ポッポ屋日記

日記的なブログにしたいです

あれからもう2年

 

こんにちは、ニホンバトです。

最近寒くなってきましたね…今年の冬は例年以上に寒いと言われてるんだとか。皆さんはいかがお過ごしでしょうか?この時期になってくると増えるコロナの猛威やインフルエンザウイルスの事もありますから、皆さまにはどうか無事に過ごせる事をささやかながら願っておりますm(_ _)m

 

さて、閑話休題

 

僕のブログを前から読んでいた人や、昔から繋がりのある方はこのタイトルを見て色々と察しがつくかもしれませんが、11月10日のこの日は僕が実家を出て、親元を離れた生活を始めた日で、あれから丸2年経った事となりました

いやぁ早いですねぇ…もう2年ですよ?人生まだまだ先がある事を考えたら2年なんてちっぽけに感じる短さかもしれませんが、僕にとっちゃこの2年ってのはあまりにも濃密な2年に感じていましてね、ぶっちゃけ実家にいた頃の3、4年なんか屁に感じてしまうぐらい色々な事があって、むっっっちゃ大変!…けれど同時に楽しい2年でもありましたね。今年に入ってからはようやく自分の好きを思う存分楽しみながら生活できている状態になってるのでようやく色々と安定してきたかなぁ〜って感じていますね。

2年前のこの日一体何があったのか?今更ここで改めて説明するよりも過去記事を読んでもらった方が早いので下記にリンク貼っておきます_( _'ω')_

↓↓↓

僕の家庭内事情 - ポッポ屋日記

あれから... - ポッポ屋日記

11月10日 - ポッポ屋日記

改めて自分でも読み返して思ったんですけど3個目の記事はちょっと中二病発してますね(白目)

それと1個目と2個目の記事の方は母親との大喧嘩で精神が狂いそうになってる時に書いた割にはよく丁寧に書けてるなぁ〜と思わず感心してしまいました(自画自賛)。特に前者なんか地獄のような大喧嘩の末に憔悴し切った状態の中、母親への怒りの手紙を書く前に書いたものだったんでよく怪文書を作らずにここまで冷静に書けたな…と、まぁ実を言うとあの記事を書いていたその時点で既に怒りはMAX状態だったので、ある意味冷静さを保つという意味でも何かを書かずには居られなかったんだろうなぁ〜と今となってはそう思えますね。

まぁその分、内容はかなりリアルに踏み込んだ生々しく、赤裸々な内容をネット上にお届けしちゃってる訳なのですが、その時当時の自分が置かれている環境、今日に至るまでの状況等を多くの人に知ってもらいたかった思いの方が強かったのでこの記事は消さずに残すことにします。

 

母に対して思う事

今思えばあの母親とはあの騒動が起きるずっと前からボタンのかけ違えが既にあったんだなぁ〜と思うのが第一ですかね。

学生時代の僕と今の僕とでは思想も理念も価値観も全然違っちゃってるので今でも信じられませんが、当時の自分は母親の存在に依存していたという事もあって、母親の理不尽な言動や歪んだ金銭感覚に対しては"それが全てだ"と認識して飲み込んでた部分が強かったんですよね。でも決して全てを盲目的に肯定していた訳ではなくて、やはりあの時から既に母親の怒り任せに出てくる暴言や、こんな母親に家庭を支配されている状況に対して違和感を覚える部分があって、心のどっかではやはりおかしいと既に感じていたんでしょうね

でもあの頃は一端に金を稼げるほどの力がなかったから、やはりこちら側が我慢をする事で全てを飲み込むしかなかった。けれど社会人になり、それなりの収入を得られるようになってからは僕自身も家族の家計を支えているんだ!という自負を覚えるようになった。だけどそれでも家庭の財布は未だに母親が全て握ったままで、あの頃の僕は稼いだ給料の内、小遣い分を除いたほぼ全てを母親に引き渡して、残りのそのお金が一体家計の何の支払いに使われ、何の費用に補填されたのかが全く分からなかったんですよね

信じられないですか?僕も信じられません、てか普通ありえないですよね(笑) 自分が汗水垂らして働いて稼いだお金が家計の足しに使われているわけなんですから、うちが毎月消費する支出額がいくらで、どのカテゴリーや買い物にいくらぐらい使われているのか?などを具体的に教えてくれても良かったわけですし、ていうか家計を支える者の1人として知る権利は当然あったはずなんですけどね〜

でもあの母親はそれを頑なに教えてはくれませんでしたね。前に何度か「うちは何にいくらぐらいお金を使ってるの?」と聞いた事があったんですけど、それに対しては口を濁すようにはぐらかすばかりで、ハッキリとした答えを教えてはくれませんでした。家計のお金を管理する者として僕に余計な心配や詮索はさせたくなかったんでしょうが、毎月の消費金額の内容も知らないままいっつも決まって「家計がピンチなの」とその言葉ばかり聞かされるもんですからだんだん「どうしてそうなるの!!?」と不満に思う事ばかりが溜まっていきましたね。

今思えばあの頃の家計簿の内訳を教えなかった母親のやり方は失敗でしたね。母親は買い物で発行されたレシートや支払い明細書は全て取っといとくようなマメなタイプだったので家計簿の詳細な記録は残っていたはずで、もしもあの頃のどっかしらでその具体的な内訳を僕や弟に教えてくれさえすれば、自分たちでもこれぐらいの無駄なお金の消費が発生してしまってるんだ…という認識をする事となり、母親が口酸っぱく言ってる"節約"に対してより強く意識する事が出来たでしょうから、家計に使われているお金の詳細な内訳を見せない、教えない、伝えないというのはお金の教育をするという意味では悪手も悪手でしたね

今自分たちが置かれている生活環境の中で、何にいくらの支出が発生していて、毎月いくら払ってる事になるのか?その現状を知る事がまず大事で、現状を知る事によってお金を節約するための対策を考える事ができる。金銭に対する意識を強く持たせる事ができる。現状を知るからこそ改善や節約をする為の努力をする事もできるし、何も知らされなければ具体的にどう行動意識をする事で節約という努力を果たした事になるのか?が分からないままなので、いつまで経っても節約する事が出来ない。それで「節約しろ!」と怒られても「じゃあいったい具体的に何すりゃいいのさ!」という話になっちまうんですよねぇこれが。

故に、我が家の家計事情について詳細な情報を何も聞かされもせず、知らされないまま「家計がピンチ」というワードを度々聞かされていたらそりゃ不満も溜まるだろうし、何故?どうして?という事にもなりますよね。思えばそっからもう色々と間違っていて、僕自身が色んな人の思想や価値観に触れた事による母親との価値観の乖離も大きくなったのもあって、最終的にはこんなんなっちゃったという訳でしてね。

 

時折、「あの頃の自分はそれでも我慢という苦渋の決断をしたら少しは違う結果になったんかなぁ?」と思う事もあるんですが、何度考えてもあの頃よりも最悪な展開になる事しか想像が出来ないんですよねぇ…(笑) 少なくとも家を出ていく事は確実に避けては通れなかっただろうし、今回の場合はその時期がたまたま早まっただけ…と思う事で今は納得しています。

あの頃、母親は僕と弟が家庭の事を第一に考えた行動をしない、協調性がないと思っていたのかもしれません。もしかしたら僕自身にも至らない部分があったのかもしれない…けど、母も母自身が家庭の財布を握っている以上、管理者としてしっかりとした運用や節制の申し出等には、こちら側が納得できるような説明とかもちゃんとして欲しかったし、こちらに色々と我慢を強いる割には、母はタバコが辞められなかったり、パチンコに時折行く事もあって、僕はダラしないと強く不満に思っていた。また、行き過ぎた怒りをこちらにぶつける事等の自身の過ちや非を認めて、一度でも真剣に謝罪などをしてくれていれば色々と少しは違ったのかもしれない。

 

でも正直な所、人はそう簡単には変わらない。

2年という時が経っていたとしても、その2年の間に自分の価値観を大きく変える程の衝撃的な出来事が起きない限り、自分の性格や価値観に対して改めて向き合い、内省をするなんて事は起きないと思ってます。ましてや、自分は全て正しい!と思い込んでいるあの母ですからね?今の僕はあの母親自身が変わる事に対してハナから期待などしていません

リンク先として貼り付けた2本目のブログ記事では最後に和解が出来たと記述していますが、結局あの後、定期的に実家に帰省して欲しいという要望に僕がNoを突きつけたら恩を仇で返されたと騒ぎ立て、僕が火の車状態だった家計の延命をする目的で背負わされる事になった借金の返済に対する連帯責任請求の要求をしたその途端に、分籍届を出して籍を分けろと戸籍上の縁切りを要求し返して来たりと、クソみたいな事をやってきたもんですからあの母親とはもう完全におしまいです。

僕は母がこれまでの間に僕や弟に対してしてきた怒りにかまけた時の人としての振る舞い方や、実家を出ていって今の生活に至るまでの間にしてきた数々の言動の酷さを一生忘れる事はありませんし、許す気もサラサラありません。

向こうも僕の事を親不孝者のバカ息子だと思ってるのならそれで良いです。そもそも息子なんて2人もいなかった、1人しか居なかったとすら思ってるんじゃないでしょうか?

あの人は自分の母親という存在を心底嫌っていました。自身が叶えられなかった夢を娘に押し付け、娘のやりたい事や好きな事をさせずに自分の言う事をなんでも聞く都合のいい子供として思い通りに操ろうとしていた、そこがあの人の逆鱗に触れて最終的に縁を切る事になった。その時、自分の子供達には同じ思いをさせないようにしよう。そう決意していたみたいでしたが、残念ながら結局は息子である僕に対して同じ思いを持たせてしまうほど祖母から受け継がれた母の性格的本質は変わっていなかったみたいです

母にとってはこれ以上にない屈辱的な言葉になってしまうでしょうが、結局は母もまたずっとずっと嫌っていた祖母と根本的な所で大して変わらない部分があります。そのせいで息子である僕が母親という存在を認めたく無くなるほど酷い振る舞い方をしてきてしまった。それはとても非常に残念なことです。

 

今の僕はあの母親ともう一度向き合う事ができるほど心が成熟はしていません。今はまだ自分の事で手一杯だし、今のままでは仮の話として「母が危篤状態になった」という報せを受けた時に何も考えることなく一目散にあの人の元に向かえるか?と言うといささか疑問でしかありません

せめてもの手向けとして、あの人の健康自体は願っておきますが、今はまだあの人と向き合う時じゃない、向き合うにしてもその時がいつ来るのかは不明。

 

現状はそれで良いと思ってます。

 

弟に対して思う事

僕が2年前に家を出ていくまでの間、弟はニートでした。勉強が全く身につかず、工業高校を中退する事になって、このままだと社会的に生きるのが厳しくなると判断されて昼もやってる定時制高校に転校をし、晴れて卒業はできたものの、在学中の就職活動を一切していなかった事から定職に就く事もなく、ダラダラと毎日スマブラばかりを延々とやり続ける日々…自分は働きに出る中で弟は家で毎日ゲーム三昧。そんな状況、普通に考えたら有り得ない状況だと誰もが思うだろうし、今でも父親が生きていたらきっと引っぱたかれて家を追い出されてたかもしれませんね。

僕は弟に対しては甘い…という訳では無いのですがある程度の許容はしていました。本人にも何かしらの事情や訳があるのかもしれない。それを本人は話したがらない*1し、それに対して深く追求しようとしても無駄だろうから、こちら側が強いるよりも本人の気持ちや気が向くのを待ち続けよう…と、でも僕が実家を出ていく間際の時には流石の僕もいい加減弟に対する不満が溜まりに溜まってましたね。過去記事にも弟に対する不満をぶっちゃけてる記述がありますし。

ですが、僕が出ていってからのあいつは見違えるほどちゃんとよくやってくれたみたいです。一番の懸念だった定職問題も良い就職先を見つけられたみたいですし、今でも頑張ってるのがよく分かります。現状どんな人と関わりを持ち、社会を知る事になっているのかの把握は出来ませんが、少なくともそれなりの努力をしてそれなりの成果を出せているみたいですから僕としては「良かった…」と安心しました。

ただ1つ気がかりだったのは、僕が家を飛び出した事で、あの傍若無人な振る舞いをする母と二人暮しという状況を生み出してしまった事に対して、弟の精神的負担や家庭環境の不和が生じないか等の懸念が大いにありました。残された者に対する負担の大きさですね。心配をしてた通り、母親の歪んだ価値観や理不尽な要求等の振る舞いは弟を時折苦しめる事になってしまってるみたいで、たまに精神的にしんどくなる事もあるみたいです。

けれど、あいつには僕と違って大抵の物事には動じない胆力がある。理不尽な怒りを見せる母親の言動に対してはあいつも「面倒くさ」と思う事がありつつも、それなりに上手くやっていけてるみたいですから僕としては本当に良かったと思ってます。

自分の勝手で出て行くことになり、あの母親と二人暮しという状況を生み出してしまったことに対して申し訳ないとは思いつつも、それなりに上手くやりながら、あいつもあいつで好きな事ができているみたいですから僕は安心しました。

 

良い事ばかりではないかもだけど、今のまま頑張ってくれればそれで良い。僕はそう思ってます。

 

2年経った今思う事

色々と大変だったあの出来事があってから2年…僕はこの2年間で精神的にも大きく成長する事ができました。

この2年間について一言で説明するのなら「大きな成長を与える機会となった2年間」とでも言っておきましょうか。最初は色々大変でした。主にあの母親と心がズタズタな状態の最中で何度か向き合わなければならない事が一番の苦痛でしたが、それを乗り越えてからは、これまで実家にいた時には叶えられなかった自分の好きなように動ける生き方、自分で物事の選択ができる事の嬉しさ等を感じると同時に、あらゆる物事を自分1人の心で判断し、その結果起きる事の全てに責任を持たなければならない。社会を生きる者としての学びを多く感じる事ができました。

今日に至るまでの間に支えてもらった多くの人には感謝してもしきれない想いでいっぱいです。リアルで支えてくれた支援員の方はもちろん、僕の親友、SNSのフォロワーさん、そして大好きなFF、あらゆる人や物に心を支えられここまでやっていく事ができました。

その時お世話になった全ての方々に改めて感謝の意を示させて頂こうと思います。

本当にありがとうございます

 

2年もすればそろそろほとぼりが冷め始める頃だと思いますが、僕は実家に戻る気はありません。あの母親と再びひとつ屋根の下で暮らす事も全く想定していません。

こういう話を誰かに話すとここまで育ててくれた恩を仇で返すなんて!と思う人もいるかもしれません。親には基本感謝するものだと、そう思う人も少なくないかもしれません。

ですが、いくらお腹を痛めて産んで育ててくれた親であったとしても「親に感謝できない事情」というのは往々にしてあるのです。親への感謝というものはそれまでずっと大切に大切に育ててもらったと感じたその時に、息子や娘が自発的にするものなのであり、親の方から見返り的な意味で求めるものではありません。それは単なるエゴ、ただのエゴの押しつけです。

もちろん僕だっていくらあの母親とはいえ、ここまで好き勝手な事をしてきた事を許容し、育ててきてくれた事自体に感謝はしています。しかし心の底から感謝し切れるか?と聞かれると迷いなしに「はい」と言える自信はありません。もちろんあと数年が経って僕の中の心境の変化が起きたり、数年経ってから初めて知られざる思いみたいなものに触れて感謝の気持ちで溢れかえる可能性だってあります。しかし今の段階ではそうなる可能性は考えつかないし、こればっかりは本当に時間が解決するしかないと思っています。

 

それよりも今の僕にとって重要なのはこれから。

これからが大事なのです。

僕はこのブログ記事を最後に11月10日のこの日という過ぎ去った過去を振り返るのはもうやめにします。

この2年間の間に僕の生活環境は大きく変わった。職場の労働形態も変わったし、収入が増えたその分、ある程度の好きな事をする事ができるようになった。僕の心境も大きく変わった。

これからの日々に目を向ける事、それが今の僕がするべき生き方というか、ふわっとした目標だと思ってます。まだ四半世紀しか生きていないわけで、人生この先何が起こるのかなんて分かりはしない。

ただ願う事があるとすれば、このまま自分の好きを好きなように楽しみ続ける事が出来る環境の中で平穏な日々を過ごしていけたらな…と、そんな事を思うばかりです(笑)

 

これからの僕はより更に前向きに生きていきます。

なのでこれからもどうかよろしくお願い致します🙏

 

本日はどうもありがとうございました!

 

 

 

*1:今思えば説明したくても出来ない可能性もあったのでは?とも思っています