ポッポ屋日記

日記的なブログにしたいです

鳩の小噺1「生きがい」

 

こんにちは、ニホンバトです。

普段僕がこのブログで投稿している記事は主にゲーム(特にFF)の感想記事を中心とした内容の物が多いのですが、ブログというのは自分の身の回りの事や自分の事を発信する媒体でもあるので、せっかくなら自分の近況やその時思った事を手短に書いて発信する。そんなブログも書きたいという事で、「鳩の小噺」というコーナーを始めました😊

内容としては雑談レベルの事や自分の主観的な価値観であーだこーだ言ったりもしますが、一個人の意見として軽く考えて貰えたら有難いです。僕は何かを書くと大抵長ったらしくなってしまうのがたまにキズなので...(笑)

 

さて、第1回となったこのコーナーの最初のテーマは生きがい...いきなり重そうなタイトルになってしまって申し訳ない...ですが内容としてはほぼ近況報告なので安心してください🙇‍♂️

僕は去年の11月に実家を家出しました。理由は母親との金銭を巡る価値観の相違、そしてそこから来る大喧嘩の末、心が疲弊し、また母親からの言葉で傷付けられたと感じた僕は実家を飛び出して出ていきました。

頼れるあては僕が働く職場の福祉法人だけ...正直な話何の計画性も勝算もなく気持ちが先行して実家を飛び出したのはあまりにも無謀で無計画すぎるにも程がありました...しかし僕は逃げ出したいとする自分自身の気持ちを最優先して二度と実家には戻らない事を決意して出ていきました。

その後、大変な紆余曲折がありながらも色んな人からの支援や応援の声を頂いたおかげで再び底辺に落ちかけていた気持ちも何とか沈み過ぎる事無く過ごす事ができ、僕の所属する法人が管理・運営をするグループホームに入居、今現在は自分の稼いだお金で生活費をまかないながら安心して今を過ごす事ができています。

 

今過ごしてる住居に入ってから今月で半年...実家を飛び出してから気付けば7ヶ月も経っていました...その間にあの母親からは何度か手紙を貰ったりもしたのですが、書いてある内容は「自分には非が無い」「〇〇(福祉法人)は酷いです」「実家に帰ってきて全てやり直してください」とあくまでも自分自身にも原因があるということを認める事は無く、僕が家出した後の家族との交流を拒否した事もあって、最終的には家族としての縁切りまで一方的に突きつけてきました。正直呆れしかないですね😩

でも最後の手紙(本人曰く)を貰って以降は向こうからのアプローチは何の音沙汰も無くなりました。途中で金まで請求されましたが、僕が断固として返信をしなかった事が功を奏したのか、それとも諦めが悪いはずのあの人が諦めてくれたのか...は分かりませんが、実家との関わり、母親との関わりが完全に無くなって過ごせている今の自分はとても有意義で非常にストレスフリーです😆

正直なことを言うともうちょっと実家とは距離のある場所に暮らしたかったのが本音ではあるのですが...あの時はそうも言ってられないほど逼迫してたのもあったし、不思議な事に実家を離れてから一度も母には遭遇していないので恐れる事無く過ごせています。それに物理的な距離は近くても、心の距離は地球と月までの間並みのレベルで心が離れているので今更会ったところで僕の心が変わることは無いです。

仮に、あの人にはあの人なりの思う気持ちがあったんだとしも、青二才の今の僕にはその気持ちは理解が出来ず、現時点ではそんな母親に対して呆れと嘲笑の気持ちしか出てきません。あの人が反発する僕に対して言ってきた言葉の理不尽さを思うとあの人は人を金蔓としか思っていない、息子を思う母親の気持ちなど無いとしか考えられなくなっています。

もしも、お互いの気持ちに再び寄り添って実家暮らしに戻るという奇跡が起こったとしてもそれは少なくとも十数年以上先の未来の話になるでしょう。ともかく今は僕自身の生活を最優先とする事に一生懸命になっています。

 

ですが僕は時々ふと思う事があるのです。

自分は何のために生きているのだろう...?」と

別に死にたいと思うほど人生に絶望している訳ではないのです。しかし昔から夢も目標もなくただ流浪の流れに沿ってのうのうと生きてきただけの僕が今こうして働き詰めながら仕事を頑張って生きる理由とは何なんだろう...?と考える事もあります。

昔はそれこそあの母親を楽させてあげたい、家族として共に協力し合いながら生きていきたいという他者に依存した理由があって生きてきた部分が強かったです。しかし親の為に尽くして生きる事が馬鹿らしくなった僕は自分の人生を自分の為に生きるという決意をしてここまでやってきました。ですがそう決意したのは良いものの、自分がこれから先の人生を生きていく中でいったい何を目標に、何を理由に、何を生きがいとしてこの先を生きていくのか?時々分からなくなることがあるのです。

こういう風に考えるようになったのは昔は曲がりなりにも「家族のために生きる」という分かりやすい理由があったからこそ何の考えもなしに色んなことを頑張る事ができて、いざ自分のために生きるとなった時、自分は最終的に何をしたら満足するんだろう?と人生の目標や夢みたいなものを抱いていないからこそ考えてしまう悩みなんだろうなって思ったりもします。

 

例えば、飛行機のパイロットになりたいって夢を持ったら勉強を頑張って、良い高校や大学に入って夢の為に勉強を頑張る、そして航空会社に就職をしてその夢を叶える。漠然としてるけど大きな夢を持つ事でその人はその目標一筋に今を生きる事ができる。

では特にこれといった夢や目標がない人は?

叶えたいとする夢や成し遂げたいとする目標を持たない人はいったい何を理由に、何を生きがいに今を一生懸命頑張って生きるのか?人が人として最低限の営みをして生きねばならない理由は何なのか?きっとハッキリとしたその理由を見つけるのってめちゃくちゃ難しくて、10年20年...下手すりゃ30年経ってようやく見つけられるほど簡単に答えを出せる問題ではなくて、きっと「何のために生きるんだろう?」って思いながら生きていくのでしょうね(笑)

 

ただ自分の好きな事して生きていたいっていう指針みたいなものはあります。それこそ好きなゲームをプレイするとか、好きなマンガを読み漁るとかそういう趣味を楽しむ事だったり、このコロナ禍じゃなければ外に出てお出かけを楽しむとかそういう事もできたと思います。

特に昔からサブカル文化に触れてきた若者は自分の楽しむ趣味や推しの為に生きるという人も決して少なくはなく、サブカルの存在も決して軽視できないものになってます。僕はそこまで熱を上げるほど趣味のために生きてる訳では無いですが、モチベーションの維持の為には欠かせない存在であり、毎月趣味のための日数が近付いてくるとより頑張る事が出来ます。そしてその趣味を楽しめたこの瞬間に幸せを感じて頑張るためのモチベが回復するんですよね...

 

趣味を楽しんだり、休日はゆっくり過ごしたり、今はまだ生きがいとする確固たるものは無かったりしますが、今の段階ではまだその先の人生の事をそこまで深く考える必要は無いのかな、なんて思ったりします。

もしかしたらこうやってこのまま平凡に生きていけることが幸せなのかもしれないし、趣味を楽しみながら生きる今も最高な気がしますしね。

 

これまで少し大変な時期もありましたが今の僕は平穏無事に毎日を過ごせてます。

皆々様、その節は大変お世話になりました😭

本当にありがとうございます!今後ともよろしくお願い致します🙏🙇‍♂️