ポッポ屋日記

日記的なブログにしたいです

11月10日

 

11月10日 それは一見何の変哲もないただの11月の中の一日。特にこれといった特別なイベントがある訳でもないただの一日。けれど僕にとってこの日は、我が家と、そして僕の人生に大きな波乱を巻き起こす切っ掛けとなった忘れがたき日となってしまった。

忘れもしない 終わりの見えない口喧嘩の末、憔悴し切った僕の心にとどめを刺すように吐き捨てられた母親からの罵詈雑言を

忘れもしない この世からいなくなりたいと本気で思う程までにぐちゃぐちゃにぶち壊された僕の心の有り様を

忘れもしない 家族を捨て、母親に見切りをつけ、天涯孤独の道に身を投じる事を決意したあの時の気持ちを

忘れもしない その日の明朝、朝焼けすらない真っ暗闇な空の下で打ちつける風が異様に寒かった事を

忘れもしない 出勤先の職員さんが慰めとして出してくれた焼きたてのあんぱんが人生で最高に美味しかったことを

その日起きた事の全てを決して忘れはしない...

絶対に.....

 

けれど、逆に考えればそんな出来事があったからこそ僕は自分の人生についてちゃんと向き合い、真剣に考える事ができるようになった。正直な話、今までの僕の人生は"流し流され生きてきた人生だった"と言える。

人生を生きる上で必然的に選択しなければならない重要な選択を迫られる場面は学生時代から既にある。しかしそれまでの自分はその選択をする為の出来事に対して自分自身が決して向き合おうとはせず、自ら選択する事の権利を放棄し、半ば惰性で生きてきた時もあった...

学業の事も、自分の将来の事も先が見通せず、自分が何をしたいのか?何のために生きていたいのか?志というものを持てなかったその当時の自分は己の人生であるにも関わらず、自分が生きる目的や辛い事を頑張るための動機を自分の為ではなく、家族に依存させ、半ば"奉仕"とも言える自らの人生の生き方に一時は疑問にすら思わない事もあった。

だが、僕は初めて社会に出た事で色んな人の話を聞いた、人それぞれの価値観を知った、様々な人たちの考え方に触れていくうちに僕は当たり前のように受け入れていた"あの母親が自分や弟に対して発する言動や行動"、"あの母親が持つ価値観"に違和感を覚え、いつしかそれが"常識的に考えておかしい"という事が分かるようになり、母親とは何度か衝突するようになった。僕が家出をする事になったのだってそれはただの結果論でしかなくて「価値観の合わない者同士がひとつ屋根の下で暮らしていたらお互い離れる事になった」ただそれだけの事に過ぎないのである。

僕はあらゆる物事を運命という言葉で片付けるのはあまり好きではないのだが、敢えて断言しよう。「僕と母親はいずれ離れる事になる」という運命だったのだ。仮に...もしもあの時、僕が死にたいとすら思ったその気持ちや感情を抑えつけ、家出の衝動をグッと堪えて我慢すればそのまま上手くいったのだろうか?

.....答えは否、仮に我慢をした事でその場限りでは事が上手く運んだとしても根本的な問題解決にはならず、いつか再びあの母親とは衝突と綻びが生まれ、より酷い結果を招きかねない事にもなっていたかもしれない。それに、少し前までの僕と母親は「共依存状態」という酷く歪んだ親子関係になってしまっていたのも確かだ。考えれば考えるほど僕が親元から離れる事になるのはある意味必然だったと言えよう。

 

去年の今頃は本当に大変な事が多過ぎて苦労した部分も多かった。けれどそれがあるからこそ今の自分がいる。今の僕はとても幸せだ。

何より自分の人生をどう生きるかの選択を自分で選べる事、生活の自由、行動の自由、金銭の自由、親という名の枷を断ち切り、解放された事は僕にとって何よりの喜びだった。だがもちろん浮かれているばかりではない。自由には責任がセットで付いてくる。何かをするのも、何を選択するのにも自分の自由であると同時にその選択をした事でついてくる結果には責任を持たなくてはならない。それが例え悪い結果に繋がる事になったとしてもその責任を一緒になって負担してくれる人はいない。その事を肝に銘じた上で慎重に生きなければならない。

あれから1年が経った今、母は僕に対して何を思い、どんな心境に至っているのだろうか?23年間共に過ごしてきた当たり前の生活が崩壊し、大きく分断される事になったその結果を嘆いているのだろうか?僕は僕なりに自らが果たすべき家族としての責務を果たし生きてきたつもりでいた。親のため、家族のため、生活のため...父が早くに亡くなってシングルマザーという苦労をさせた分、息子として母を支えていかねば、恩返しをしていかねばと必死になって頑張ったつもりでいた。しかしそんな頑張りも家計が火の車という結果で報われず終い。僕自身が誰かの為に何かを頑張るという事に意味を見いだせなくなっていたのに加えて、あの母親の歪んだ価値観と傍若無人な振る舞い方が僕の中で諦めと怒りの気持ちを高めた。

僕はあの時...母には僕の出した急場を凌ぐ有効な方法を考えるために提案した「相談」という方法を無碍に否定せず、その言葉を素直に信じて欲しかった。自己の中の考えが絶対的に正しいと思い込まず、色んな意見を取り入れる事で解決しようと前向きに考え、一辺倒な方法だけでなく、多角的にやれる事をどんどんやってみようと母には動いてみて欲しかった。僕が必死になって掲げた「相談の力」をあの人が少しでも信じて頼ろうとしてくれていたら少しは違う結果になっていたのかもしれない。今となってはタラレバだし、叶わぬ願いとなってしまったのがとても残念だが.....

 

もしも母が僕の事を「家族を捨てて逃げた親不孝者」として今でも恨んでいるのならそれはとても残念で仕方がない。「戻ってこい」という再三の要求を断り、接触すら恐怖として感じていたあの当時の僕が一人で生きていく事を心に決めたのは何故なのか?どうして僕がそのような選択をするに至ったのか?母には自分の胸に手を当て、目を閉じてよく考えてみてもらいたい。

"常にずっと一緒にいる事が必ずしも良い事とは限らない"という事を少しでもあの人に理解して貰えたら僕は嬉しい。

僕の方はというと、最初こそ憎悪に近い感情を持っていた事もあった、しかし今となっては今更恨めしいと思うような感情は持ち合わせていない。あの日の出来事は過ぎ去った過去の事、流石に母がこれまで僕にしてきた仕打ちの全てを許す事は出来ないが、いつまでもそんな出来事に対して感情的に引きずっていても仕方がない。ただ一つ思う事があるとすれば「簡単に縁を切るという選択ができるほどあの人の中での僕の存在は小さかったんだな...」と思う事ぐらいだろうか。母は僕の事をもう息子だとも思っていない。あの人は自分の決めた決意をそう簡単にねじ曲げる人ではないということは息子としてよく分かっている。分籍によって戸籍上の縁を切る事すら求める人だ、仮にも今更僕が土下座して謝りに行ったとしてもあの人は僕の事を他人として扱うだろう。周りの人はよく母のしてきた事を「精神的に病んだ中で突発的にしてしまった事で本心ではないんだろうね」と思ってる人が多いようだが、僕は寧ろ逆でどんなに精神的に病んでたとしてもあの人の発する言葉に嘘偽りはないと思っている。

つまりあの人が僕の事を愚か者として見ているのなら永遠にあの人の中では愚か者なのである。かくいう僕も今はまだあの人に対して向き合う気はさらさら無いし、一生愚か者に思われたって構わない。誰がどう思おうがそれはその人の勝手だし、僕にそれを否定する権利はないからだ。僕は今はまだあの母親の事を真剣に考える時ではないと考えている。まだまだ時期尚早、今は自分の人生に向き合う事に集中して生きていたい。

 

11月10日は僕にとってあまり良い思い出のない日となってしまった。けど逆に言えば人生の転換にもなった重要な日、あの日の出来事があったから今の僕がある。そんな重要な日である事を忘れないようにするために僕はこの日の事を思い出しながらこの文を綴っている。

思えば...僕が今ある幸せな状況にまでたどり着けたのも去年のあの当時励ましたり、見守っててくれたフォロワーさん、そして友達の励ましの言葉の力が大いにあった。ボロボロになった精神状態の中でも自分の事を気に掛けてくれる存在がいた事は今でも本当にありがたい存在でしかなかった...。励ましてくれたフォロワーさん、アドバイスをくれたフォロワーさん、こちらの安否を気遣ってくれた友達、そのどれもが本当に有難い存在だった。何よりリアルでは絶対に口に出せない不満や本音を呟ける場がここにあったということ、そして親に認めて貰えなくても自分の存在を認めてくれる世界がある事、普段使いする程度にしか考えていなかったSNSがここまで人を救ってくれるとは思いもしなかった。

改めまして、あの当時のフォロワーさんにはみんな感謝しています。必要に迫られた選択の場面でも適切なアドバイスをくれたり、母に対する怒りの気持ちを持って同調してくれた事、ひっそりと影から見守っててくれた人、その何もかも皆さん全員にはとてつもない感謝の気持ちでいっぱいです!本当に本当にありがとうございます!!!

これからの僕は常に前向きに生きていく、忌まわしい過去を思い出し、振り返るのはこれで最後。これから先色々と大変なことも多いかもしれない、苦労する事が倍以上に増えるかもしれない。ただそれでも、それ以上の幸せを求めて僕は常に努力していく。この日の事を糧に僕は前へ歩き続ける。

 

これから歩む道が幸せに満たされている事を願って.....

 

終わり