ポッポ屋日記

日記的なブログにしたいです

今年の半年を振り返って

 

今年ももうすぐで半年が経とうとしている

思えば今年は去年よりもより良い一年を過ごしたいと例年以上に強く願っていた。

正月に初詣をした時、去年までの五体満足のお礼を申し、去年以上に強く今年の願いを祈った。その時たまたま発見した掲示板に今年の厄年のリストを見た。僕は前厄だった。

厄というものは大抵、本厄だけを祓い、前厄や後厄にまで厄祓いをする人はなかなか居ないのだと母は言った。しかし僕は前厄としておきながら厄祓いをせずに一年を過ごすのには一抹の不安があった、大抵の人は多分きっと祓わなかったとしても大丈夫だったのだろう。しかし僕は一応念の為、厄を祓ってもらった。

2019年は幸せの絶頂だと思っていたところからの急転直下でその年を終えてしまっていたという事実が尾を引く事になるのを恐れ、何かにすがりたくなっていたんだろうと今考えるとそう思える。

 

その時の僕はまだ去年のモヤを引きずっていた

けれども僕は一人でも生きていける、何かを成し得たいと思う強い動機が出来た事で2月に登山をする決意が決まった。眷属の狼様に見送られ一人で登った三峰山の大地は登っている最中不思議と自分に力を与えてくれているような気がした。もちろん普段自分が足を踏み入れない世界に赴きたいという気持ちもあるにはあったのだが、それ以上に過去の自分を乗り越えるための力が欲しいと思って山を登ったのは確かだった。

登山口に向かう段階から早朝のまだ人が誰もいない時間、朝焼けが昇り、寒空の元で自分一人だけの世界が広がっているような気がして、まるで世界に自分が1人だけの様にも思えてテンションが上がっていた。そして山を登ってる最中はずっとその頂きを目指すために一心不乱で無我夢中だった。

普通は誰も山になんか登りたがらない。危ないし、熊出たら怖いし、死ぬかもしれない。だから行き帰りのバスが走ってて交通手段が確立されている今だったらみんなバスを使うだろう。しかしこの時の僕はこの参拝をより意味のあるものにするには己のその足で一歩一歩着実に登り詰めるのが一番である。そう思って自らの足で登る道を選んだのだった。そしてようやく辿り着いた三峯神社の山門、そして境内の景色を僕はまだ忘れてない。そこでもまた無事だったことのお礼と願いを願った。そして帰ろうかとも考えたが、僕は更なる頂上を目指す事とした

三峯神社に祀られている伊邪那岐命神、伊邪那美命神とはまた別の神様が存在するそこへと僕は向かった、途中人生が終わるポイントもあったが「俺はまだ死ぬ訳にはいかない、死ぬ訳にはいかない」とその言葉を自分に言い聞かせるように唱えながら前へと突き進んだ。

そこで見えたのはとてつもないほど壮観な景色でその頂点は神様のいる小さな社が存在するだけの狭いスペースだった。感動...と言うよりかは自分の中で達成感が満たされていくのを感じる事ができた。危険な道のりでもあったが、ここまで来るのにトラブルが起きることもなく、無事安全に辿り着けたという事はこの先もきっと安心してやっていけるということ、そう考えたらこの先の人生に安全は保証されたような気がして嬉しかった。

 

この時の出来事はきっと忘れる事はない

最高に良い経験ができたからだ

 

 

...しかし、既にこの時点でコロナの足音は静かにとやってきていた

 

 

3月の末近くまではまだギリギリ人は緊急事態宣言発令前までの特に予防の意識改革がされていない状態だった。

ある意味まだ楽観視してる人が多かった気もする。だがとうとう出された緊急事態宣言、それによって政府や行政、企業、民間人と日本に住む全ての人に対してコロナウイルスに対する徹底的な取り組みがなされる事になった。仕事はなるべく現場出勤を控えてリモートの仕事に切りかえ、それが出来ない人でも常にマスクを着用し、通勤ラッシュによる人混みが発生する時間を避けた時差出勤をする事に、毎日の検温は当たり前、仕事中も徹底した三密の回避とソーシャルディスタンスを取らねばならず、それまでずっと当たり前にしていた仕事のやり方は否が応にも変わる事となった。

 

この時、僕の現場もまたコロナの騒動に揺れていた。基本リモートで成立する仕事ではない販売業である事に加え、自粛要請の対象外でもあるスーパーの部類に入るから一斉に休める訳でもない。しかしこの時、緊急事態宣言が解除されるその時までずっと自粛休みをする事になった人が急増、限りある休みは普段と変わらないながらも自粛休みをした人の分の負担はこちらに重くのしかかってきていた。

毎日毎日、お客さんがほとんど来なくなったが、欠けてしまった人員の埋め合わせをするために倍以上の奔走をする日々、連続して同じ仕事をやり続ける事に対する長期的なサイクルと終わりが不透明で見えてこない所にストレスが溜まり、一時期は仕事を1週間近く休む事になってしまったこともあった。この時うちの市内ではコロナ感染者がじわじわと増えていき、しかも近所にコロナの集団感染が発生した施設があったのでもしかしたら自分もコロナに掛かってしまうのでは...?と戦々恐々だった。

この時自分はコロナが日本全国で蔓延しているこの最中で仕事をする事に疑問を覚えていた。仕事をするためとはいえ外に出るのは相当なリスクがある。接客業である以上人と人との距離の近さは避けられない。しかも一度コロナに掛かってしまえばみんなに迷惑をかけてしまう。自分はこの状況下において仕事をし続けるのは果たして正しいことなのか?疑問でしか無かった

けれども世の中にはコロナによって経営に大きな打撃が掛かり、派遣切りなどが発生して仕事をクビになってしまった人もいる、再就職をしたくても出来ない現状のままどうする事も出来ない状況に立たされてしまっている人もいる。コロナのせいで人生が大きく乱されてしまった人も数多くいる中で、現状維持のまま仕事が出来る環境にあるのはとても幸せな事なんだな...と今考えればそう思える。

辛いところも色々あったが緊急事態宣言が解除されてみんなが戻ってきて、安定した状態になるまで頑張ってこれたのは本当に良かったな...とそっと胸を撫で下ろしている自分がいる。

 

時々、もしも自分がコロナに掛かったら...と考えることがある。周り近所の人たちとの接触を避けるために自宅待機でいるのか、それとも入院隔離という道を選ぶか、あるいは指定のホテルで隔離生活を送るのか、同居してる家族にまで掛かっていた場合どうなってしまうのか、隔離生活を送るためのノウハウやホテル生活になった時に掛かるお金はどうなるのか、仕事は?周囲が自分に対して見る目は?治った後のケアは?そして死なずに生きていけるのか?

 

いろいろと考え出したらキリがない、でもキリがない程の色々を今からでも考えておかないと多分コロナに掛かってしまった時、パニックになって絶望する。コロナは死ぬかもしれない病気で完璧なワクチンも治療薬もまだ確立されていない。そんなコロナの脅威にこの年晒される危機に瀕するなんて思ってもいなかった。本当に色々と予想外すぎる事が起き過ぎていて普段の時にはないストレスが溜まるばかり...

でもそれでも我が家の家族が皆コロナに掛かることなく、平穏無事にこの半年を迎えられそうになったのは冬に訪れた神様の御加護があっての事なのかな...とスピリチュアル的な発想でこの文を締めくくろうと思う

 

あと半年、2020年も無事平穏に過ごしていきたいばかりだ