ポッポ屋日記

日記的なブログにしたいです

今年の自分は運が良いのか悪いのかあまりよく分からないという話

 

運というものは本当に存在するのかどうかあまりよく分からない。

RPGでもよくクリティカルヒットの確率を高めたり、レアアイテムのドロップ率を高める要素として「運」という項目が数値化されて存在していたりするが、現実世界でも運というものが果たして存在するのかどうか?仮に存在していたとして、一人一人に割り当てられた運の数値に大した違いはあるのかどうか?何を持って運が良いとし、何を持って運が悪いとするのか?それは所詮結果の後付け、自身の身に起きた事象をポジティブにもネガティブにも捉える事が出来る都合の良い言葉なのかもしれない。

でも人は運という存在を当たり前のように認識し、信じている人も多い。特にお正月のあるこの時期なんて神社仏閣には必ずと言っていいほど「おみくじ」というものが存在し、個人の運を試すような事をして人はそれに一喜一憂している。商業的な意味でも景気の良くなる月でもあるから「今年のあなたの運試し!」みたいな売り文句で福袋が置かれている事もあるから運というものの存在を信じてる人が多いのかもしれない。

かく言う自分も運というものの存在を信じている人間のひとりだ。流石にあらゆる事象の全てを運が良い悪いで片付けている訳では無いが、少なくとも去年1年間の間に起こった出来事の大半は運が良かったと思える年だったのは間違いない。

だが僕は運が良い時があれば悪い時も必ずあると思っている部分がある。つまり運が良いと思える事ばかりだった去年と比較すれば、今年は運のしっぺ返しが来るかもしれないと恐れながら日常を過ごしていた。実際、運が悪いと思える出来事は3つほどあった。

 

まずひとつは世間のオミクロン株の大流行

2つ目は交通事故

3つ目は自宅待機による仕事の休業だ

 

新年のご挨拶にも書いたように、今年の三が日の3日目は昔からの付き合いである友達に会いに東京へ向かった。この時はまだオミクロン株が大流行する一歩手前の状態で、今思えば訪れるのにはかなりギリギリの時だったのは間違いない。ただあの時は数時間だけだったものの、友達と一緒に交流して何かをして過ごすという当たり前の時間をとても幸せに感じる事が出来て、オマケに久し振りに訪れる事が出来た東京&大好きなスクエニのファンが集う聖地に訪れる事が出来た事が僕にはとても嬉しかった。あの時過ごした時間の思い出は新年最初の思い出として深く心に刻み込まれた。

しかしその後から東京を始めとした日本全国でオミクロン株が大流行、症状はデルタ株と比べれば比較的軽いものの、感染力が異常に強いという特徴のせいで日本は第6波という未曾有の感染被害に悩まされる事に結果的になってしまった。こればっかりは自分たちだけでどうにかできる問題ではなかったから運が悪いと捉えるのは早計かもしれない...が、それが後に後述する自宅待機という結果を招いた事になるわけだから結果的に運が悪かったとも言えよう。けれど、交流を果たした僕と友達はコロナに感染する事はなかった。そこは運が良かったと言えるのかもしれない。

 

2つ目は交通事故

1月12日の午前...僕は歯医者の定期検診を終えた後、地図上で調べて判明したちょっとした辺境のコメダ珈琲に行ってみようと思い、国道沿いの歩道を自転車で進んでいた。過去に何度も自身の不注意で転んだり、物にぶつかったりして怪我をしていた事のある自分は慎重になって進もうと気を付けたつもりでいた。しかし運の悪い事に事故は起こってしまった。

事故現場は国道沿いの左手側に車が学校に入る為の脇道がある所で、学校に用がある学校関係者の人が車で出入りする現場だった。車が国道から直接歩道に入る道であるにも関わらず、そこの歩道は横断歩道にはなっておらず、信号機も、一時停止の標識も白線もない現場だった。今思えば事故を誘発しかねない危険な現場だったという事が見て取れる。僕はそこを低スピードで進んでいた。そしてそこに車が学校に入ろうと左折して入ってくるなんてこの時は微塵も思っていなかった。だが事故は起きてしまった。

僕が歩道を真っ直ぐ進んだタイミングと、車が左折して入ってきたタイミングが不幸な事に一致してしまい、自転車走行中だった僕は左折してきた車に自転車ごとぶつかって倒れた。簡単に言えば轢かれた事になる。だがこの時の僕は車にぶつけられた部分に激しい痛みがある訳でもなく、骨が折れた様な感覚もない。アドレナリンが出ていたのは間違いないだろうから油断はできないところではあったが、この時の僕は奇跡的にも無傷の状態でいる事が出来た。

そして僕を轢いてしまった車の運転手はすぐに車から降りてきて僕の元へ駆けつけた。相手は若い女性で、ちょうど入ろうと思っていた学校にお子さんを送り迎えする途中だったのは、中からやってきた先生らしき人物に子供が連れていかれたのを見て察する事が出来た。この時の女性は酷く焦り、半ばパニックになっていた。それもそうだろう、この人にとっては初めての交通事故でしかも加害者側、被害者となってしまった僕の身を案じるだけでなく、事故が招いた事によって起こる自身の行く末やこれからの事など、色んな事が頭を駆け回ってしまい、目の前の状況に対してどう対処するのが良いのか悪いのかも分からなくなってしまうのも当然の話だ。

だがこの時の僕は酷く冷静だった。何故なら僕は過去にも似たような状況での事故に遭った経験があるからだ。事故に遭ったらまず何をするべきでどんな事をするべきなのか?その正解を既に知っていた僕は妙に冷静になる事が出来、落ち着いて対処をする事が可能だったからだ。僕はとりあえず警察を呼びましょうと女性に提案した。怪我をしていた場合は救急車を呼ぶ方が先だが、幸い僕の怪我は怪我と呼べるかどうかも疑わしいレベルでの軽傷だ、すぐに病院に行けなくても支障はないという事で警察を呼ぶ方を最優先とした。

そして警察が来てからはすぐに現場検証、僕自身の身体に深い傷を負った形跡も無い事から今回の事故は人身事故ではなく、物損事故として処理される事が決まった。それからは車のお相手が任意保険での保険会社に入っていた事から保険会社の方に電話をして事故の状況を話し、今後の対応をどうすべきか話し合った。その後、お互いの連絡先情報等を交換した事が完了していたのでその場では解散、僕は事の経緯を職場や報告すべき所に報告をした後、そのままコメダへと向かって至福のひとときを楽しんだ(おい)

その後相手の保険会社からの連絡が入り、この時は平日の休日だった為、その日のうちに病院へ向かい、念の為に検査をしたが結果ひび割れも骨折りもないという事で医学的にも無傷が証明された。病院の治療費は向こう持ちという事でお金は払わずに済み、念の為として書いてもらった診断書の文書料も後に振り込んでもらう事になった。自転車に乗ったまま車に轢かれるという交通事故、普通だったらケガの一つや二つしててもおかしくないものだが、奇跡的にも無傷という不幸中の幸いとも言える出来事となった。この時印象深いなと思ったのは、加害者となってしまった御相手の方の終始申し訳ないと思う気持ちが伝わるその様子だった。焦ってパニックに陥っていた相手の女性は泣きそうになっていたし、その日の夜のうちに家族総出で僕の元に来てわざわざ謝罪をしに来るという行動をされた事にはとても驚いた。

寧ろ僕の方も若干申し訳ないなと思う気持ちがほんのわずかばかりにあった。もちろん怪我をしてしまった場合はそんな事を思う必要性は無いのだろうが、自分が無傷で済んだが故に、ここまで大層申し訳ないという謝罪を受けるとそこまでしなくても良いのでは...と思ってしまった事は決して否めない。だが事故というものはこれが仮に人身事故だった場合、治療を終えて日常生活を送れるようになるまでの間は相手の保険会社さんと話し合って、事故の争点や慰謝料の請求といった、被害者、加害者というそれぞれの立場としてのやり取りをしなければならない訳であって、被害者である僕自身が納得出来る様になるまでの間は決して直接的なやり取りでの和解をしてはいけない...という事になるのだろう。つまり、本来なら相手の人がその日のうちに謝罪に来る事も、それを僕が甘んじて受ける事も、事故後の対応の仕方としては本来間違っているのかもしれない。けれどこれは僕が無傷で済んだからこそ成立する事なのであって、でもこれは数少ない例外中の例外なのだろう。今のところ僕は事故後の経過による事故で受けた膝の痛みやむち打ちなどの症状は出ていないし、経過は良好、普通に仕事もできていることから文書料の請求だけで今回の事故の処理は済みそうだ。

新年早々事故に遭うなんて何と運の悪い...とも最初は思ったものの、それでも全くの怪我もなく無傷で済んだのはこれもある意味奇跡とも言えるなと、僕はそう思う。運が良いのか悪いのか...とてもよく分からない話だ。でも僕はこの事故のせいで相手の人が不幸にならなくて良かったと思っている。事故自体は物損事故で済んだから相手のドライバーとしての履歴に傷が付くこともないだろうし、これからはもっと気をつけようとお互いに慎重になる事が出来た。これが大きな損害にならなかっただけ、お互いにまだ幸運だった...とも言えるのかもしれない。

けどもう二度とこんな事故は起こしたくないし、起こされたくもないですけどね(笑)

 

3つ目は法人内の新型コロナウイルス感染による自宅待機命令、及びそれに伴う仕事の休業だった。

簡潔に言えば僕の所属する法人内の入所施設でコロナウイルスの感染が判明した。おそらくはオミクロン株の感染、この施設は過去にもデルタ株が大流行した時にクラスター発生を引き起こした事がある。あれから十分な対策はとっていたはずなのに、またもや同じ施設でのコロナウイルスの感染確認によって一部の世話人の人達は法人に対して不信感を抱いていた。しかしどんなに苦言を呈していても、コロナ感染が起きてしまったことに変わりはない。今更それを止める術もないし、感染したその人の事を攻めてもしょうがないだろう。

しかしそれによって少し困った事になってしまった。それが自宅待機による一時的な仕事の休業だった。別に僕自身がコロナに感染した訳では無い。しかし僕の今住んでいるグループホーム(以下GH)の同居人のうちの1人が感染が判明した入所施設の職員だったということもあり、PCRの検査の結果による今後の判断を待つしか無かった。お上は最悪のケースを想定してそれ以上の感染拡大を防ぐ為に、ここのGHに住む入居者を一時的に隔離措置する事が決まったのだ。

おかげで一部の人は1日2日ほど仕事が出来ずに自宅待機となった。しかしこの時の僕は幸か不幸か有休と公休を合わせた3日間の連休に入っていたのでしばらくの間は間が持っていた。だがそれ以上の経過観察をする必要性も出てくる可能性はあった。場合によっては1週間〜2週間の自宅待機を命じられる可能性もゼロではなかった。まだ色んなことが分からないままの状態で時を過ごしていたという事もあってこれから先どうなるのかも未定のまま、下手すれば初めて仕事が出来なくなる可能性もあるのでは?という事も考えた。

コロナによる仕事の休業は誰もがなる可能性の高い日常生活に於けるリスクのひとつだ。それは何も自分自身がコロナに感染することだけが全てではない。自分の周りにいる人全てにコロナの感染リスクがあって、それに自分が巻き込まれる可能性も無くはないのだ。今の世間はみんなそんなリスクの綱渡りをしながら今を生きている事になる。無論それは僕もまた同じで、寧ろこの2年間もの間一切仕事を休業せずにいられた事が奇跡だと言えるのだから「ついに焼が回ったか...」とも考えたりもした。

僕は長期に渡る自宅待機生活を覚悟した。仕事が出来なくなる事による収入の減収やそれに伴う今後の生活の事など色んな事を心配しそうになったが、それをここで深く悩んで考えてても仕方がない。寧ろ今この時の時間を好きな事ができるチャンスだと捉えて楽しもう!と意気込んでさえいた。しかしその覚悟も虚しく(?)それはあっけなく終わりを迎えた。

3日間のお休みの最後の日の夜(1月18日現在)お上から連絡があり、感染が判明した入所施設でのPCR検査の結果全員陰性、クラスター発生は起きなかったという事でとりあえず自宅待機命令は解除された。つまり僕はただ単純に"3日間のお休みを過ごしただけに終わった"という事になる。

僕はこれに対して嬉しいと思う気持ちが半分、少し残念だと思う気持ちが半分、相反する気持ちが半々という少し複雑な気分になっていた。仕事が出来ることによる収入の安定という安心を得られる事が保証された嬉しさもありながら、久しぶりの長期休暇を悠々自適に過ごすかぁと意気込んでいただけに空回りしてしまった的な考えに至ったというのもあって不謹慎ながらも複雑な気分になってしまったことは否めない(笑)

ま、仕事が出来るだけでもありがたいと思うのが正解なのかもしれない...が、せっかくなら長いお休みをするのも良かったかもな...なんて思ってたりもするが(笑)

 

長くなってしまったが今年の僕の運は良い事と悪い事の両方が起きている。

正月に友人とあって楽しいひとときを過ごせた...が、その後オミクロンが世間で大流行してしまった。

不幸にも車に轢かれる事故を起こされてしまった...だが奇跡の無傷で済んだ

法人内でコロナ感染が判明、自宅待機を余儀なくされた...が、結局は通常通りの休みを過ごしただけで済んだ

...等、今年の僕の運は幸と不幸が同時に起きている。去年が本厄とは思えないレベルで運が良かったというのもあり、運の悪さを痛感する事が起きないようにしていた僕がこの1月中の間だけでも不幸と言える出来事が起きた。しかしそんな不幸をリカバリーするかのような幸運が起きた事もまた事実、結局今年の運が良いのか悪いのかもよく分からないという状態になっている。けれど冒頭にも述べた通り、運が良かったか悪かったのかなんてのは今その場で判断できるものではなく、結果に対して後から結論付ける為の便宜でしかない。

運が良かったのか悪かったのかなんてのは年末近くになって振り返りでもしないと分からないもの何だろう。今できることはこれ以上運が悪いなと思う出来事に遭遇しないように祈るしかない。悪い事が起きてしまったらその時はその時だ。取り返しのつかない事や理不尽な出来事が起きない限りは大抵の事は努力でカバー出来るからだ。

これから先も面白いと思う出来事や、良い事悪い事構わず印象的な出来事が起きたらここに書いて報告していくつもりです。

その時には暇つぶし程度にでも読んでもらえたらとてもありがたいです。でも例え読まれる事がなくてもこれは僕の日記みたいなもんですから振り返るための記録作りとしてブログは良い媒体だなと思うわけなのです。

 

では皆さん、今後も健康とコロナには十分気を付けてお過ごしください。何か面白い事が起きたらここに書きます(。・ω・)ノ゙

 

それではまた!