ポッポ屋日記

日記的なブログにしたいです

軽い気持ちで観に行った映画「グランツーリスモ」があまりにも超名作過ぎて、人生初の2回目のリピート鑑賞までしてしまったというお話

 

こんにちは、ニホンバトです。

今回のこの記事は本来書く予定にはなく、緊急的な意味合いも含めて書いています。なんならこの記事の執筆日は昨日の2回目のリピート鑑賞を終えたばかりの勢いそのままに書いている状態です。

いやほらよく言うじゃないですか、"鉄は熱いうちに打て"って、映画グランツーリスモを観終わって最高に胸が高鳴って記憶に焼き付いている状態で心から思った感想を書けるのって今しかないんすよ!なので気持ち冷めやまぬうちに映画「グランツーリスモ」(以下 GT)のレビュー記事を書こうとしているわけなんですよね(笑)

とゆーわけで、この映画を観始めたキッカケから自分にとってこの作品の何が良かったのか?そして2回目の鑑賞も含めた感想を述べさせてもらおうと思っています。一応、ネタバレ注意です

 

 

 

きっかけ

f:id:Gameslifeisff:20231017213514j:imageきっかけは本当にささやかで羽毛のように軽いものでした。先月の9月の終盤に4年近く引きずっていた禍根が解消される事が確定し、自身のささやかな身辺状況の変化と、心境が大きく変わる事から、これからの自分が生きる方向性を見定めるためにジブリ映画「君たちはどう生きるか」を観終わってスッキリした気分になったあと、「今話題になってる映画GTは来月に回すかぁ」といった本当に軽い気持ちの一言で表せてしまうようなごく軽いものでした。

先週の12日からスタートした5連勤をこなす中でだんだん疲労が溜まってしんどいなぁ…という気持ちでフラストレーションが高まっていく中、「5連勤の最後はレイトショーで映画を観てそれを自分へのご褒美にしよう」と、前々から決め込む事になり、それをモチベにして労働に励んでいました。 そして来たる5連勤目の仕事を終えた僕は、そそくさと家に帰ってから夕飯と風呂を済ませ、再び出掛ける身支度をして夜の街を駆け抜けました。本来なら夜7時台のこの時間はひと仕事を終えて家でのんびりゆっくりと過ごすための時間、思えばあの時間に外へ出掛けたのはこれがかなり久しぶりでした。

そして待ちに待った地元映画館でのレイトショー上映、公開から1ヶ月が経った今の映画GTの上映本数がレイトショーの1日1本のみしかやっていなかったというのもあったのですが、僕にとってはこれが人生で初めてのレイトショーでの映画鑑賞となりました。*1僕がチケットを購入した時点で2人、後から飛び入りらしきお客さんが3人の計6人の静かな環境で映画を観始めたのですが……そのあまりにも胸熱な内容に僕は一気に心を奪われる事となりました…!

グランツーリスモというソニー、そしてポリフォニー・デジタル取締役の山内一典さんが生み出した稀代の名作ドライビングシミュレーターのハリウッド映画化という事もあって、どんな内容になるんだろう?と半ば軽い気持ちで観始めたら、子供の頃からレーサーになりたいという夢を持った熱い心を持つ少年がゲームを通して一世一代のチャンスを掴み、その夢を叶えるという壮大な"実話"のサクセスストーリーに魂が打ち震えるように揺れ動き、上映終了後の満足感はとんでもないものがありました…!

映画鑑賞後のトイレの中で「ヤバい…これはヤバイわ…!」と1人興奮する僕、実家を出て以降からの映画鑑賞は世間で話題になってるアニメ映画ぐらいしか観なくなってしまった上に、洋画を観るのなんて10年近く振りにもなる中、果たして満足できるものなのかどうか?に対する多少の不安感はあったものの、そんなものなぞ一気に吹き飛ばす!というレベルで映画GTは超名作だったから僕はより一層酷く興奮していた。それ以外での近年の名作と言われる名作をこれまで観ていなかったから評価基準というものが定まってなくて、評価に対するプラス補正値がより高い可能性がもしかしたらあるのかもしれない。でもその事を抜きにしてもこの作品は世界で絶賛されるレベルに値するぐらい良い作品だったのは確かだった。

f:id:Gameslifeisff:20231017213522j:imageその後、僕はすぐにでもパンフレットを買おうとしたのだが、残念ながら鑑賞日当日はレイトショーでの上映だったので劇場販売カウンターは閉まってしまい、その日の内にパンフを買う事は出来なかった。しかし、素晴らしかった内容なだけにパンフを買う事が確定していた僕は翌日の昼間に同じ映画館に出向いてパンフを即購入した。「これ(パンフ)は絶対に購入しなければならない」そう確信めいた決心を持っていた僕は疲れてクタクタであるはずなのに、自分でも驚くぐらいの行動力を見せたのですが、その行動力はそれだけに留まらず……と、語りたいところですが!これ以上自分の話をしててもしょうがないのでここからはこの映画GTの何が良かったのか?そしてどういう所に興奮と感動を覚えたのか?というポイントを語っていこうと思います!

人にオススメをするのにはもう遅いレビューになってしまうかもしれませんが、同じ映画を観た人に少しでも共感してもらえると嬉しいです☺️

 

映画GTはヤン・マーデンボローとジャック・ソルターの成長と友情を描いた物語

グランツーリスモという映画の原題は1997年に初代プレイステーションソニーから発売された同名のレーシングゲームであり、その当時から既にGTはゲームというより「ドライビングシミュレーター」の方向性を打ち出していました。コースの作りや風景、車の走行に対する挙動からエンジン音、鏡面反射した時の光り方に至るまで「何もかもがリアルである事」の方向性を徹底的にこだわり作り上げた結果、同シリーズは累計9000万本以上*2の売上を誇る世界的人気のゲームになりました。

原案者である山内一典さん自身のこだわりが詰まったゲーム内に出てくる車自体の細部の作り込みのその完成度の高さには世界中の車好きのみならず、車業界関係者も唸るほどのレベルで多くの人が注目する事になり、ナンバリングを更新していく毎にゲーム内で扱う車の公式ライセンス(自動車ブランド)が増えていき、最新作のGT7ではシリーズ史上最多の「60以上の自動車ブランド」「400種類以上の車種」を収録。しかも今でもアップデートによって新たに扱える車種が増えているとの事なので、モーターファンにとっては珠玉の逸品になっている事でしょう。

でもちょっと待って!私ゲームの事とかよく分からないし、そんなマニアックな作品を元にした映画なんだったら車の知識とかないと楽しめないんじゃないの…?と、今そう思いませんでしたか?

 

ではここではっきり言いましょう………

 

 

ぶっちゃけ全っっっ然大丈夫です!!!

 

 

この映画を観た僕自身もモータースポーツ自体ほとんど見たことがなくてさして興味が無く、ゲーマーではあるのですがグランツーリスモ自体、触れたのは一昔前まで住んでたGHの同居人からPS2GT4を軽く触らせてもらった程度のにわかで、車の知識に於いてもゲームの知識に於いてもどっちもズブの素人レベルの人間です

そんな人間である自分でさえも楽しむ事が出来たのはこの映画の本質がヤン・マーデンボローとジャック・ソルターの成長と友情を描いたサクセスストーリーであるからです。

この作品の主人公であるヤンはかつて実際に開催されていたGTアカデミーをキッカケにプロのレースドライバーになった成功者の内の一人です。この映画ではそんな彼の過去と、実際にプロのレーサーになるまでの過程を描いたドキュメンタリー的な要素も含めた映画となっており、どちらかと言うと家族や同僚、指導者との人間ドラマが半分、実際のレースシーンが半分といった構成になっています。

そしてもう1人の主人公として名が挙がるのがジャック・ソルターです。ジャックは序盤、モーターレースチーム「キャパ」のメカニックをしていたのですが、自分の元へ尋ねてきた旧友からの突拍子もない頼みを聞かされ最初は断ったものの、最終的にはGTアカデミーのチーフ・エンジニアの仕事をしぶしぶ受ける事になり、やさぐれながらも厳しい指導をしていくのですが、才覚を持ったヤンとの出会いが彼の中で燻っていたレーサー魂に火がつき、最終的にはヤンとの絆を育み、彼もまた成長するという過程からジャックは第2の主人公とも言われています

ヤンにはヤン自身の現状と家庭(主に父親との確執)の問題があり、ジャックもまた自分自身の過去に対するトラウマを抱えている人物、そんな2人が出会い、指導者と生徒という師弟関係になり、友人となり、信頼の置ける親友となる…共に切磋琢磨しながら互いを支え合う事で最終的には自分自身の抱える問題と向き合い、乗り越え成長する。師弟関係を超えた絆と友情を育み、前人未到の挑戦に対して共に挑戦し、大成功を果たすそのストーリー内容は往年の名作である「ロッキー」や最新の「トップガン・マーヴェリック」のようなスポーツ映画の最高に気持ちの良い部分を濃縮したかのような誰にでも分かりやすい普遍的な内容となっており、モータースポーツやゲームに対する知識がなくても全然楽しめます!

ただせめて事前に知っておくべき知識として主要な登場人物とライバルの名前と車種を覚えておけばより一層深く楽しめるのは間違いないかもしれません!大丈夫大丈夫、最低でもヤンとジャックとGTアカデミー同期生のマティとアントニオと、ライバルレーサーのキャパと金色のランボルギーニ、シューリンと白に虹色のアウディだけでも覚えれば十分!!!え?何故特定のその人物だけ名前を出したのかって?そりゃあ今ここに出てきた彼らがレースの試合の要になる人物だからですよ(笑)

 

以下からは大まかなストーリーラインに沿いながらこの作品の魅力を語っていきたいと思います!

(内容紹介を優先して時間軸が飛ぶ場合もありますがご了承下さい)

 

「GTアカデミー」とは

物語の序盤、映し出されたのはイギリスはカーディフウェールズの一角にあるとある家、そこにはGTの特製ハンコン*3の箱を前に大興奮する少年ヤン・マーデンボロー(アーチー・マデクウィ)が居た。友人との通話をしながらこの日が来るのを待ち侘びていた喜びに打ち震えるヤン、昔から車が大好きだったヤンはゲームのグランツーリスモを愛し、ハンコンを手に入れるために血のにじむような努力(アルバイト)をしてきた。一瞬映し出されたある一角の棚には歴代GTのソフトが置いてあり、モニター画面に映し出されていたのは最新作のGT7である事から、史実通りに考えるのであればこの作品の時間軸は2022年の秋〜冬頃という事になる。

その努力が報われる瞬間を今まさに楽しもう!とした瞬間、ヤンの父親のスティーブが「外でサッカーしないか?」と誘ってきた。しかし今すぐにでもハンコンを試したい気持ちでいっぱいのヤンはその誘いを断る。すると父のスティーブは「ゲームで遊んでばかりなんかいて…少しは弟を見習え」と呆れた様子を見せる。ヤンは現在大学を中退してアルバイト生活をしているフリーターのような状態で、日中の殆どは愛するGTを遊びまくる毎日、そんなヤンの現状に対してスティーブはその事を特に快く思っておらず、「遊んでばかりいないで現実を見ろ」と小言を言っては度々ヤンと衝突している。

だがヤンには夢があった。子供の頃から車が好きで、将来はプロのレーサーになりたいという壮大な夢が。しかしプロレーサーというのはもはやトップアスリートの世界、昔から英才教育を受けてきた子供ならまだしも、それまでスポーツらしいスポーツは特にせず、ゲームばかり遊んでいたヤンには無理のある夢だと決め付けていたスティーブはヤンの抱く夢を頭ごなしに否定する。

父親からの偏見によって互いに折り合わない親子関係…何も無い日々を過ごす中でこういった誰にでも起こり得る些細な問題がヤンの心の中で大きな燻りとなっていた…

 

一方舞台は変わって日本の東京、そこに1人のある男が飛行機に乗って現れた。彼の名はダニー・ムーア(オーランド・ブルーム) 日産ドイツ支社に勤める男で彼はある事をプレゼンするために日本の横浜にある日産本社を訪れた。ホール会場にて集められた本社の重役達を前にダニーがまずプレゼンしたのは世界中で愛されているゲームのGTのドライビングシミュレーターとしての質の高さを絶賛するものだった。

とてもこよなくクルマを愛する山内一典という一人の日本人の彼の徹底したこだわりによって作られたGTはドライビングシミュレーターとしてとてもよく出来ているという事を褒めたたえた後、次に話したのは世間の車に対する認識の現状を憂うものだった。今の世間は誰もクルマを所有したがらない。車なんて高いし、運転が難しいし、持ってても意味がない。今の世間が車に対して思う認識は憧れの対象でもなければ、所有する事でもなく、カーシェアリングとしてレンタルするか、タクシー代わりに使える便利な足使い程度、しかしGTは車にこだわったゲーム、そしてそれをプレイするユーザーの中には車を愛してる人も多くいる。それを掘り起こしましょう!と。

「じゃあ具体的に何をどうするんですか?」

重役の一人から出た厳しい質問にダニーは堂々と答える。

GTを愛する世界中のプレイヤーの中からトッププレイヤー達を集め、本物のプロレーサーに育て上げる!」と

 

それこそ名付けて「GTアカデミー」だと!

 

プロのゲーマーを本物のレーサーに育て上げる。荒唐無稽とも思える壮大な計画に本社重役達は驚いたり、呆然としたり、苦い顔をしたりと反応は様々。少なくともポジティブな反応ではない事は確かで、通るかどうかも不明瞭なものだった。その後、本社をチェックアウトし帰ろうとするダニー、そこに役員の1人がダニーに忘れ物を届けに来た。

「プロのゲーマーが本物のレーサーになれると?」

「我々の作った車に彼らを乗せて万が一の事が起きたら全責任は我々が背負う事になる」

日産側にとってもかなりのリスクになり得るダニーのプレゼンはなんと承認された。しかし条件として優秀なチーフ・エンジニアをダニーが用意する事を条件にした。条件付きではあるものの、本社の承認が通った事に対する喜びからその日の夜、ダニーは意気揚々とチーフ・エンジニアを引き受けてくれそうな知り合いに電話を掛けまくった。しかし、今まで前例もなければ、夢物語とすら思える計画内容に対して理解を得られなかったダニーは次々と依頼を断られてしまう。

横線で引かれまくった候補者リストの最後に残っていたのは「ジャック・ソルター」その名の横に「ありえない!」とまで書くぐらい頼りたくなかった最後の候補に対してダニーは「よりにもよってジャックか…」と頭を抱える事となった。

 

場面は変わってイギリスはチーム・キャパのガレージ、そこで金色のランボルギーニを整備する一人のツナギの男が居た。そう彼こそがありえないと書かれていたジャック・ソルター(デヴィッド・ハーバー)で、彼宛に「客だ」として呼ばれた(ついでに修理が遅いの言葉も添えて) ジャックとは旧友でもあったダニーがジャックの元へと訪問し、早速壮大なGTアカデミーの計画を伝えた。しかし反応は言わずもがなな結果となっており、半ばクレイジーな計画に対してジャックは冷笑していた。モータースポーツに使われるレーシングカーは最高時速320kmにもなる地上の弾丸、そんなものに車の運転経験すらない人を乗せたらどうなるのか?一瞬で身体がバラバラ、オマケにゲームと違って現実ではリセットが出来ない。下手なミスをすれば死の危険があるモータースポーツにズブの素人を参加させる事自体危険なものだとして、ジャックは当然のようにダニーの提案を断る。

「金持ちからレースを取り戻さないか?」ジャックが元レーサーである事を知っていたダニーが金持ちの道楽と化してしまった今のロードレースに対する啓発を込めてジャックを焚きつけようとします…が、それでもジャックの答えはノーだった。何度食い下がってもジャックの答えが変わる事はなく、藁にもすがる思いで訪ねたジャックにさえも断られたダニーはもはやお手上げ状態だった。ダニーの理想とするGTアカデミー計画はここで躓き、潰えてしまうのか…

しかし、その後のある出来事をきっかけにジャックはチーフエンジニアの仕事を引き受ける電話をダニーにする。ただし、危険だと判断したらすぐに手を引くという条件付きな事から、渋々引き受ける事になったのは確かだった…

 

フルで書いてしまうと感想じゃなくてただのストーリー紹介になってしまうのでその後の展開の詳細は割愛しますが、この後の展開として

 

GT7オンラインサーバーでのイギリス国内のベストラップ1位を樹立したヤンがGTアカデミー予選会の参加資格を得る→家族との食事で再びヤンとスティーブが対立する→弟の誘いに乗せられて夜遊びに出かける→パトカー回避カーチェイス→父の職場で手伝いをさせられる&親子喧嘩の末にGTアカデミー予選会に急いで参加する→1位で優勝、GTアカデミー参加資格を得る

 

といった流れになってまして、字面で書いただけだと結構な量があるんですが、編集の流れがかなり早くて展開スピードも超早いんですよね。一応この間にも結構重要なセリフだとか、伏線となるシーンが張り巡らされてはいるんですけど、もしかしたらこの序盤が映画GTの中で一番ダレてしまう所なのかもしれません

途中ド派手な音楽やカーチェイスなどのシーンで迫力を見せている部分もあるのですが、基本的にここまでのシーンで一番前面に出されているのは「ヤン自身の現状と父親との確執」そして「GTアカデミー発足」までを描いているので、とても大事な所ではあるんだけど、どうしてもダレてしまうのは致し方ないのかなとも思います。

ヤン自身の立場上、現状のままではいけないと分かっているのは確かなんだけど、それでもレーサーになるという夢を諦めきれないヤンの意地もある。それに何より「好きな事を仕事にしろ」とヤンにそう言ったのは父であるスティーブ自身の言葉であり、しかしそれに対してヤンが目指した夢のハードルが高過ぎるという事でスティーブはどうしても親として口を挟みたくなってしまう。そういった親心は分からなくもないし、ヤンの気持ちも大事にしたい所がある。見る人の立場によってヤンの気持ちに感情移入するか、スティーブの心境に同情するか、意見が別れそうなところでもあるんですよね。でもまぁ僕も一応若者の1人ですからヤンの気持ちを大事にしたい気持ちの方が強いですが(笑)

こうした誰にでも起こり得る親子関係の些細な確執は後に大きな感動を生むことになるのですが…それは是非劇場で☺️

兎にも角にも、その後のヤンは急いで友人が経営するゲームカフェに戻ってGTアカデミー予選会のレースに参加してそこで驚くべき実力を発揮して優勝するわけなんですが、ここのレースシーンもなかなか良い展開だったんですよね〜!でも残念ながらそれ以上にGTアカデミーの最終試験とFIA公式ライセンス取得レースと最後のル・マンが良過ぎてそれらと比べると霞んでしまうんですよね…!😂

でもまぁ白熱のレースシーンを描くためのジャブとしては結構良い場面であったと思いましたね!

 

リアルを徹底的に描いた過酷なGTアカデミー

見事にGTアカデミー予選会を突破したヤンは日産からの招待を受けてカーディフウェールズからシルバーストンまで移動します。そこに集まっていたのは協業する日産本社の人達やドイツ日産の関係者、そして世界中から集められた各国のGTアカデミー予選会を突破した精鋭達、つまりe-sportsであればもはや優勝レベルの実力を持つGTのプロゲーマーなわけなんですよね。それだけでも普通のプレイヤーには手の届かない凄い領域に入っているメンバーなんですが、今回の目的はe-sportsの優勝ではなく、ここから本物のプロレーサーになれる可能性を持った逸材を見付け、育て上げる事、予選会を突破した彼らには自分だけのオリジナルシートとヘルメットが与えられますが、ここで喜び満足するのはまだ早く、寧ろここからが地獄の本番とも言えるのがGTアカデミーでした。

10人の少年少女たちは日産関係者の人達から温かく出迎えられ、最後にチーフエンジニアを務めるジャックからの挨拶がされました。

 

「俺の後ろに集まってるヤツらは途方もない夢を実現させようと躍起になっているが、俺がムリだと証明してやる

「(厳しい訓練に耐えられる)覚悟が無い奴は今すぐ帰れ!残るんだったら俺が徹底的にお前らの事をシゴいて自分に才能がなかったという事を自覚させてやる!俺が見たところ…全員無理だな!

と、これから途方もない夢に挑戦しようとする彼らの出迎えとしてはややクレイジーなスピーチをしたジャック、若干引き気味でありつつも「感動のスピーチだったよ」と皮肉をぶつけるダニー、しかしジャックにとってこれはジョークでも何でもなくただの本音でしかなかった。何故ならチーフエンジニアを引き受けたジャック自身もこの時点ではまだ予選会を勝ち抜いた彼らが本物のプロレーサーになんかなれるわけがないと高を括ってたからです

この時のヤンはジャックから「背が高いな シートに座れるか?」と問いかけられた際、「ゲームでは問題なかった」と意気揚々と答えると「ゲームじゃない」の一言を返され、周りからも失笑されるといういきなり出鼻をくじかれるスタートを切る事に

 

そしてGTアカデミーの講習プログラムが始まったのですが、これがまぁかなりキツイ。

基礎体力を付けるための走り込みによるトレーニングやモータースポーツを知識を学ぶ講習を受けるのはもちろんですが、反射神経を鍛えるためのトレーニングをサウナにも近い過酷な環境の中でやらされたり、実際のレーシングカーに乗って運転するトレーニングでは日本の自動車講習よろしくパイロンを倒さないような正確性のある運転を求められたりと、訓練に対して求められる成果レベルのハードルがかなり高い!

しかし彼らにとって一番キツいのはそういったトレーニングメニューの内容自体よりジャックから浴びせられる厳しい罵声混じりの扱きだった。甘えも妥協も許されず、常にベストな成果をあげることを求めるジャックはミスをしたら皮肉たっぷりの罵声を浴びせて心を折れに掛かってくる。その厳しさのあまり、GTアカデミー候補生からは「鬼教官」とさえ呼ばれる始末。

しかし何故ここまで厳しい指導がされるのか?それはモータースポーツ自体が常に死と隣り合わせの最高に危険なスポーツだからです。最高時速320kmにもなるレーシングカーの車内に掛かるGはロケット打ち上げ時に掛かるGの2倍、車内は60℃近い過酷な熱気となり、判断を少しでも間違えたらスピンや衝突、クラッシュは当たり前。一瞬の判断の迷いが死に繋がる事も有り得るモータースポーツに於いてミスは絶対に許されない。だからこそ例え練習であってもミスをしたらフルボッコなレベルで叱る。心は折れそうになるが命までは失われないだけまだマシな部類に入るのだ。

そしていよいよ脱落者を決めるふるいにかける事を宣言したジャック、訓練はここから更に厳しくなり、そのあまりの過酷さに根を上げ始めるGTアカデミー候補生達が次々と現れ始めた。

  • 練習コースの運転中にハンドル操作を誤ってガードにぶつかる→脱落
  • GTシミュレーターでの練習で焦ってコースアウト→脱落
  • レーニングの過酷さに身体が耐え切れず、コース横の芝生に嘔吐→脱落
  • そもそも見込みがないと判断される→脱落

…と、次々とふるいに掛けられ落とされる候補生たち、本来ならあまりよろしくない状況ではあるのだが、脱落者を見送っていくジャックは「おつかれ」「バーイ」とどこか楽しさすら感じていそうな素振りを見せているのを2回観ててもそう感じましたね(笑)

脱落者が増えていく度にやはりこいつらには才能がなかったんだという事を次々と証明してる事になるので、ジャックとしては「ほら見た事か」と言わんばかりの心境だったでしょうね。

そんな中、ヤンにも脱落の危機が訪れます。同じ候補生で実力がトップのマティと練習試合をしている時、ヤンは横にジャックを乗せた状態で走っていました。運転技術が高くてなかなかマティを追い抜けないヤン、そんな中ヤンの得意なコーナリングに差し掛かります。いつものヤンだったらここで巧みなドリフト技術を使って相手を追い抜ける場面、ただゲームでは得意ではあるものの、実践で試すのはこれが初めて、一瞬の迷いが命取りとなるここで、ジャックの声掛けと同時にヤンは覚悟を決めてブレーキを掛ける!!!

…しかし、ヤンのブレーキを掛ける判断が遅かったのか車体は上手く曲がりきれずにガードにぶつかって煙を出してしまいます

「ビビりやがって!!!」と、横に同乗していたジャックは怒り心頭。しかしヤンは確かに自分はあの瞬間にしっかりブレーキを掛けたはずだという確信を持っており、それでも曲がりきれなかった事に違和感を感じていました。そしてそれがフェード*4である事に気付いたヤンは翌日の講義の時間でその事をジャックに主張します。

しかし、本物のレーシングカーに乗って行う実技の本番にビビって踏み込めなかったんだろうと決め付けていたジャックは、フェードではないと真っ向から否定、それでもなお食い下がるヤンの様子は負け惜しみからそう言っているんだろう…と周りの候補生たちからもそう思われ、この時「ヤンは落ちたな」と誰もが確信していました。

だがその直後、サーキットに呼ばれたジャックはヤンが運転していたレーシングカーに乗ってテスト走行したドライバーからこう言われます。

彼の言う通りだ、フェードだったよ」と…

そう言われ、呆然と立ち尽くすジャック…その直後にジャックの口角が僅かに上がっていたのを見て、もしかするとこの瞬間からヤンの隠れた才能に気付いて、ジャックの心境に変化が起きたターニングポイントだったのかもしれません

すぐさま居残ってトレーニングをしていたヤンの元へ訪れたジャックは何故フェードだと見抜けたのか?と問います。彼いわく、ゲームのグランツーリスモはゲームとひと言でいってもその作りはとてもよく出来ている…と、車の見た目や制動挙動に限らず、内部で使われているパーツも本物と同じものである事、そしてヤンはこれまで何千時間もGTをプレイしていた事からそのパーツの特徴と構造を全て知り尽くしていて把握していた。それによってフェードを起こしていた事を見抜く事が出来た…と。

ビビりから来る運転技術のミスではなく、車自体の故障であることを見抜いたヤンの機転の良さによってヤンのGTアカデミー脱落は見事に回避され、最後の最終試験に残る事が出来た。その事を通知したジャックは喜びを爆発させるヤンの雄叫びを背中で聞きながら「こいつは本物だ」と少し誇らしげにしていたのかもしれません。

 

ここからはいよいよ本物のレースと同様に1位を競う最終選抜レースが始まるのですが!それは次の項目に回すとして…

ここのGTアカデミーの訓練パートではヤンがお気に入りのミュージックとしてケニー・Gとエンヤの名前と曲が出てきます。さり気ないシーンではあるのですが、大事なレースが始まる前のルーティンとしてヤンが必ず聴くぐらいであり、そしてこれが最後のル・マンで大きな活躍をします。どういうところで活躍するのかは…ここでは語りません😊

ここまでを観ているとGTアカデミーというものの過酷さが如実に伝わってくるなぁ…と思いました。GTアカデミー by 日産×PlayStationは日産とソニー、そしてポリフォニー・デジタルの3社が協業して立ち上げた実際の企画であり、2008年〜2016年まで行われていました。その中でヤン・マーデンボロー選手は2011年GTアカデミーを勝ち抜いた4期生であり、改めて言うのも何ですが、この映画はそのヤン選手の実際の経験を元にした実話ベースの話です。

そしてそこでも本物のプロレーサーとして育てあげるための訓練は過酷さを極めていたようで、普段ずっと家の中で過ごす事が殆どだったゲーマー達は基礎体力と持久力が常人よりも低い中で、いきなり軍隊式のトレーニングを課せられた候補生たちは次々と脱落していったらしいです。映画では展開のテンポが早かったがために脱落の流れがかなりスムーズでしたが、実際に候補生たちが見切りをつけられ落とされる様子というのはかなりリアルに描いていたんじゃないかなぁと思いました。

そしてここでのヤンは憧れだった夢への実現のチャンスを奇跡的な方法で掴み取った事から彼のGTアカデミーに対する姿勢は本気で並々ならぬ思いがありました。それは自らの夢に対する執着だけでなく、「家族(主に父のスティーブ)に対する背水の陣」があったからというのも大きかったんだと思います。父から現実を見ろ、このままだとお前の終末点はここ(工事現場)だとさえ言われ、半ば反発する形で家を飛び出してGTアカデミーの道へ進んだ以上、背に腹はかえられない思いに駆られていたのは確かで、ここで脱落して戻る事は「夢の実現は無謀だったという事を証明する事になってしまう

その事への焦燥感で頭がいっぱいだったヤンはブレーキミスがフェードだとジャックに主張する所にもかなり迫真の本気さが伝わったんじゃないかなと思うんですよね。モータースポーツという競技での新人育成がどんなもので、そしてそれがどれほど過酷なものなのか?どのスポーツにも言える事ですが、プロのアスリートを目指す事は生半可な気持ちでできるものじゃないってのが伝わってきてとても良かったですね…!

 

白熱のレースシーンがマジで熱い!!!

さて!いよいよGTアカデミーでは最後の選抜レースが始まることになるのですが!ここで少し趣向を変えてこの作品の大きな魅力の一つであるレースシーンについて色々述べたいと思います!👍

この記事の最初の方で僕は「モータースポーツは詳しくないし、さして興味もなかった」と書いたのですが、そんな僕ですら迫力のあるレースシーンには観ててかなり興奮してしまいました!この映画では車を走らせるシーンがいくつも登場するのですが、具体的に書くと

  1. 夜遊びの帰りにパトカーの制止を振り切るカーチェイス
  2. GTアカデミー予選会のGTレース
  3. GTアカデミー最終選抜レース
  4. FIA国際ライセンス取得レース
  5. ル・マン24時間耐久レース

と…大まかに5つのレースシーンがあるのですが、その中でも特に3、4、5のレースシーンは観てるこっちが前のめりになって応援したくなるほどで、最後のル・マンのレースなんか初めての鑑賞の時は興奮で魂の震えを感じずにはいられませんでしたね…!!!レースシーンでは具体的に何に対して興奮するのかと言うと、ヤンの卓越した技術と才能によって次々とライバルを抜き去って行く爽快感や、ライバルの妨害によって逆境に立たされる場面でも機転を効かせて切り抜けるのもそうなんですが、何よりピットでのジャックとの熱い会話や現場の熱気が伝わってくるのが凄く良かった!

ヤンが優勢に立っていればイケイケGOGO!と捲し立てるし、不利な状況になると緊迫感が伝わってくる。海外の人たちのリアクションや感情表現は日本人のそれと違ってとてもアグレッシブなので、モータースポーツに限らず、スポーツ映画での臨場感を伝えるのに洋画はとても相性が良いのかもしれません。映画GTではそういった現場のリアリティが画面を通しても伝わってくるのが良いんですよね…!

それとすごく親切だなぁと思うところがひとつあって、その時走ってるレースでヤンが今何位で、何周目に入ってるのか?がリアルタイムに伝わってくる所がとても分かりやすくて、ヤンの順位表示に関してはまさにGTのゲーム的表現を映画に取り入れてる事でその時の状況を瞬時に理解する事が出来るのでヤンの応援に力が入るんですよね。本物のレースでは拮抗するとプロの人ですら誰のどのチームの車が1位なのか?等を判断するのが難しいとの事らしいので、画面に映るレーシングカーの上にリアルの順位表示を付けたのはとても良い表現だったと思いましたね。

そして何より迫力が凄かった!今回の映画GTは本物のレースサーキットとレーシングカーとプロのドライバーを全て用意してあり*5実際のレースシーンはCGをほぼ使わずに走っている事で本物さながらの迫力を表現出来ているそうです。また、技術的な事についてあまり詳しく解説は出来ないのですが、レーシングカーを後ろから追走したり、前から回り込むような迫力のあるカットを映せているのは、ドローンレースでもよく使われているFPVドローン*6を使って高速で走っているレーシングカーに着いて来れているからこそ実現できているんだそうです。これによって、本物のモータースポーツでもあまり映らなかった間近で走るレーシングカーのカットをより多く映す事ができるので、より深い臨場感を味わえたんですよね。

また、レーシングカーの車内ではヤン役のアーチーさんが実際のレーシングスーツを着て、ヘルメットを被り、車内に乗っている様子が映し出されますが、実はこの時乗っている車はグリーンバックの中にある動かない車…ではなく、遠隔操作によって動く本物の車内で撮影しており、違うのはハンドルとアクセルとブレーキのペダルがダミーな所ぐらいで、それ以外は全て本物、運転は本場のサーキットでの運転経験があるスタントドライバーが遠隔操作で運転する事によって、車内に乗っているアーチーさんは運転経験がなくても時速320kmに近い走行速度の車内を経験する事が出来るので、車内でのヤンの緊張感や鬼気迫る様子がリアリティに映し出されているんですよね。

リアルタイムに映し出される順位表示に遠隔操作による本物の走行、そしてそれを追走するドローンによる最新技術、更にヤンを中心に映し出される車内の様子、これらが合わさる事によって本物のレースさながらの迫力を観客は味わう事が出来、レースシーンがとても迫力のあるものになりました…!

 

というわけでここからは名シーンとも言えるGTアカデミー最終選抜レースとFIA国際ライセンス取得レースで良かったポイントを述べていこうと思います。

 

・GTアカデミー最終選抜レース

ここまでの訓練に耐えて最後のレースに挑むヤン、レースがスタートするとヤンは順調にライバル達を抜き去り、1位のマティ、2位のアントニオの元まで追いつきます。だがこの2人は腕も立つ上位組なだけになかなか追いつけない。しかしヤンは天才的な才能によって抜けると思った場面でインを突き、アントニオを追い抜いていよいよマティの元まで追いつきます。

マティとの一騎打ちとなったこの場面最後の最終コーナー、あの時フェードによって曲がり切る事が出来なかったカーブに差し掛かったヤンはあの時と同じ勢いでブレーキを掛け、見事に成功!直線で一気にトップスピードを上げて最後の大勝負!そしてふたりはほぼ同時にゴール!どっちが先にゴールしたのかの協議が始まりました。

ジャックがスローモーションでのカットで見た結果…勝負はヤンの勝利、しかしその結果を伝える事を一旦ダニーに止められます。

マーケティングの視点から考えてみよう」

そう言ったダニーはインタビューでも緊張してキョドってしまい、受け答えもハッキリしないヤンよりもマティの方が日産の代表の顔として相応しいと述べる…が、勝負としての実力ではヤンの方が上だったと判断しているジャックはそれが勝者と敗者の違いだとして意見が対立。未だに結果が伝えられずにやきもきしている2人、協議の末に決まったその結果は……ヤンの勝利!この時のヤンの喜びようはパッションに溢れていてとても良かったですね…!

見事にGTアカデミー最終選抜を突破したヤンはこの後の日産との契約を果たすための条件として課せられたFIA国際ライセンス取得のため、オーストリアのウィーンまで飛びました。

 

FIA国際ライセンス取得レース

ここまで書いてきてそろそろ長過ぎてしまうので本当はカットしたかったのですが、やはりこのレースに関してどうしても外す事が出来ないので手短に語りますが、FIA国際ライセンスを取得するための条件としてヤンにはこれから行う6回のレースの間で4位以内に入る必要があります。

そこで新しく現れるライバルがシューリンとキャパなんですよね…!特にこのキャパがまぁ汚い野郎で!レース中には何度もヤンのカートにワザとぶつかって来てはマシンを壊したり、スピンさせようとしたりするし、そのくせ実力はしっかりあるもんだから腹立たしいったらありゃしない!*7そんなキャパの妨害のせいで初戦は最下位という最悪の結果に、以降もドバイの最終レースに入るまでは伸び悩む結果となってしまうんですよね。

そしてヤンの立場もこの時点ではまだまだ厳しいところがあります。GTアカデミーでそれなりの運転経験を積んできたとはいえ、元はGTをやり込んだだけのシムレーサー、そんなヤンが本物のプロレーサーになれるとは周りの誰も期待しておらず、同じチーム内のエンジニアでさえヤンの事を「ヌーブ(初心者)」とバカにする始末。でも実はこの時からジャックの心境には変化が起き始めていて、GTアカデミーの講師をしていた時とは違って「お前ならできる」とか「安心しろ、誰も期待してない。気楽にやれ」といったヤンの事を励ます前向きな言葉を多く出すようになります。

ヤンが本物のプロレーサーになるための才能があると確信してからのジャックはヤンを心の底から応援するようになり、そんな期待された声に応えるようにヤンもまた、ジャックの事をだんだん信頼するようになっていきます。レースを通じて互いに信頼関係を積み上げていくこの様子が映画GTの見どころにもなっており、そんな2人の信頼関係が最後に発揮されるのがル・マンのレースとなっているので、この2人のドラマは本当に良いものがあるんですよね…!

そしていよいよあとには引けない大一番!ヤンとジャックはドバイのドバイ・オートドロームでの最終レースに入ります!

オートドロームでの最終レースでヤンは順調に順位を追い上げて行きますが、4位、5位のキャパとシューリンに挟まれ、ヤンは再び追い詰められる。2台挟み撃ちという最悪な状況の中、ヤンはここをどう切り抜けるのか?取った選択はまさかの減速!予想外の行動にキャパ達が一瞬の動揺を見せた所を見逃さなかったヤンは、すかさずインコースを突いてキャパとシューリンの2人をごぼう抜きにします!見事に4位まで登りつめたヤンはライセンス取得のチャンスを掴みかけます。この時、ヤンに追い抜かれた事に激高したキャパはすぐさま追い上げて抜かそうとしますが…キャパは怒りのあまりにオーバースピードを出してしまい、コーナリングを曲がりきれずに横転してクラッシュしてしまいます!実は冒頭でもキャパはキレやすくて、精細さを欠きやすい事をジャックから指摘されていたのですが、その指摘されたポイントが如実に出る形として現れてしまいましたね……このクラッシュによってキャパは無事だったものの、怒りのリタイア。そしてこの時、クラッシュした勢いでキャパのランボルギーニのタイヤが外れ、そのままヤンのGT-3のフロントガラスに激突!ひび割れてしまった状態で黄旗が出され、ピットイン。

視界にハンデは出来たものの、支障はあまりないということでレースはすぐさま再開。後ろに着いてくるシューリンの猛追が迫りますが、それを何とか切り抜け、ヤンは見事にゴール!!!4位入賞で国際ライセンスを取得する事に成功しました!!!

この時、ヤンは妨害された怒りをキャパにぶつけますが、そんな事よりもライセンスが取れた事を大いに喜ぶジャックとダニー、誰も実現できないと思われていた4位入賞による国際ライセンスの取得に胸を躍らせ、激しく喜ぶ様子にスクリーンを通して見ていた自分もかなり興奮していました…!ヤンを自然と応援したくなる構図になっていた映画なだけに、ヤンやジャックに対する思い入れの強さもだんだん強くなっていた劇場観覧者の人達もここまでで結構な感情移入をしてきたんじゃないでしょうか?僕も本当に試合を眺める観客と同じぐらい高ぶる気持ちで胸がいっぱいでしたしね…!

国際ライセンスを取得する事に成功したヤンは晴れて日産と契約を結ぶ事になり、調印式のために訪れた日本でガールフレンドのオードリーと一緒に日本を観光して楽しみまくりました。

 

しかし、良い事が起これば悪い事も起きる。

次に起きた最悪のシーンに僕はかなりの衝撃を覚えました。

 

衝撃的過ぎて自然と涙が出たニュルブルクリンク北コース

国際ライセンスを取得した事で選手として順調な道のりを進んでいたヤン、次に挑んだのは緑の地獄とも称されるドイツのニュルブルクリンク北コースだった。

全世界で中継されたレースの様子を母のレスリーと父のスティーブがテレビを通してヤンの初陣を見届ける。そこでのレース前、ヤンは日本での観光で購入したお土産をジャックにプレゼントした。この買い物をする時に友人へのお土産として…と言ってプレゼントを購入していたことから、ヤンの中でのジャックへの信頼感はとても大きくなっている事が伺えました。

そんなプレゼントを渡した後に始まったニュルブルクリンク北コースでのレース、ここまで順調なレース運びとなっていたところで風速の強い向かい風が吹き始めた。「そろそろピットインさせよう」そう決めたジャックは無線でヤンに指示をします…が、故障をしていたのかジャックの無線はヤンの耳には届かず、ヤンは山の山頂を登る直線で優勢に立とうと一気にスピードを出して追い上げます。その結果………

 

フルークプラッツでヤンの車の車体が浮き上がり、上下真っ逆さまに横転、コースアウトと同時に大クラッシュをしてしまいました……

 

その事故の瞬間は全世界に中継され、両親もその瞬間を目撃、それがヤンの車だと確信した母のレスリーは大号泣、ピットの現場は騒然とし、大勢の人達が大慌てで対処する中、ジャックとダニーはヤンの救出に向かった救急車を追いかけますが追いつけず…壮絶な瞬間を目撃した緊迫感に現場は地獄の様相と化していました……

 

この時、僕はあまりにも衝撃的過ぎるシーンに自然と涙が出ていました。映画やゲームといった創作物としての作品を観たりプレイしていたりした時、感動とされるシーンや、クライマックスのシーンでは感極まって涙したり、そこに至るまでの間には心の中で自然と悲しい気持ちになったその末に涙を流す事が多かった。つまり涙を流すのにもある程度の下準備やお膳立てをゲーム側や映画側がして涙を流す準備みたいな段階を踏んでから涙を流す事が多かった。

でもこのシーンに関してはそんな下準備も何も無くいきなり唐突に衝撃というものはやって来ていて、悲しい…という気持ちが頭の中で追い付いて来るよりも"先に"涙の方が自然と出てしまっていたんです。こんなの初めての経験だった。人はあまりにも突発的に衝撃的なものを目撃すると身体が自然と涙を流す…つまり悲しいという気持ちを頭の中で理解するよりも先に身体の方が本能的に悲しみの感情を感じ取って涙を流す生き物なんだな…ってのをこの時初めてそう感じました。

騒然と化するピットの現場、泣き叫ぶ母親の声、後から知らされた観客が死んだ=ヤンが殺してしまったという事実。深い悲しみに陥り、絶望に苛まれてしまったヤンの様子は観ていてとてもいたたまれず、鑑賞している自分もまた絶望の淵に叩き落とされたかのような絶望感を感じました…

あんなにも衝撃的過ぎる衝撃は他になく、僕の気持ちの整理も追いつかないような状態でした。

 

でもこの後が作中でも重要なシーンと言えるぐらい重要な場面でして、ヤンを連れてニュルブルクリンクの事故現場までやってきたジャックはここで初めて元プロレーサーだったジャックが何故現役を退いてしまったのか?の真実が語られます。今まで殆どの人に語ることのなかった真実をヤンに話したのはそれほどジャックはヤンに対して全幅の信頼を寄せているから。起きてしまった事実をどう受けいれ、そしてどう向き合うのか?例え逃げたって良い、今ここでレースから逃げたとしても誰もヤンの事を責めたりはしない。でもそれでも尚ヤンには前を向いて欲しい。それはチーフエンジニアとしての、指導係としてのジャックではなく、ジャック・ソルターという一人の人間として、そしてヤンの友人としてヤンには前を向いて欲しい。それが今のジャックの心からの願いだった。

絶望のどん底まで叩き落とされてからの立ち上がる様子はスポーツを題材にした作品ではよくある展開ですが、やはり映画GTでもここは熱いですね…!ハリウッドでこんな少年漫画的な展開が観れるとは思わなかったのでここで思わずグッと涙が出そうになりました…!

 

感動に心が湧いたル・マン24時間耐久レース

そして最後の名場面となったル・マン24時間耐久レースについてですが…ここで僕は大きく悩みましたが、このシーンについては多くを語りません

是非とも、劇場に足を運んで観てほしいのです

ヤンとスティーブ親子の確執、ケニー・Gとエンヤ、GTアカデミーの候補生、ヌーブ(初心者)、ヤンがジャックに渡したプレゼント、ジャックとヤンの熱い会話、その全てが最高の形でクライマックスを彩る要素となります

レースの果てに魅せた最高の演出、そしてエンディングをこの目で是非見届けて欲しいです。少なくとも僕がこのル・マン24時間耐久レースのシーンを観終わった時、感極まった末に再び涙を流していました。同じく映画GTを観たPSユーザーのフォロワーさんはここで嗚咽するぐらい咽び泣いたんだそうです。でもその気持ちもすごくよく分かります。

ここまでを観ていれば観客はヤンとジャックに対する思い入れも深くなっているはずで、レース前のあのシーンに涙し、レース中の熱い展開に胸を躍らせ、最後のクライマックスの瞬間は共に喜びたくなるぐらいの感情を爆発させている事でしょう…!

 

ゲームのグランツーリスモモータースポーツが何故世界中の人達から愛され、今なお続くコンテンツ&スポーツとなっているのか?その理由が僕はこの映画を通して知る事ができた。それだけでも本当に良かった。

 

映画グランツーリスモは間違いなく僕が観た今年の映画の中でNo.1の映画でした!!!

 

2回目のリピート鑑賞を経て

初めてのレイトショーでの映画鑑賞を終え、深夜の街中で興奮冷めやまない状態となった僕でしたが、その熱意は留まることを知らず、興奮状態のまま映画GTや実際のGTアカデミーの事について色々検索をしていました。するとTwitterの映画GT公式アカウントを見つけ、どうやら10月12日以降から上映終了となる映画館が次々と出始めるとのことでした。実際、僕が観に行った10月16日の時点でも地元映画館では上映終了ギリギリの状態となっていたらしくて、残念ながら3日後の10月19日を持って上映終了となってしまった

そして映画GTはIMAXや4DX、screenXなどでの特殊な上映形態での上映もしているという事が調べて分かった。白熱の様相を見せたGTの4DXでの鑑賞…行きたい気持ちは山々だが、今月は節制を心がけなければならないから我慢しなければ……

 

 

 

 


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いやこんなの絶対に行かなきゃ損じゃん!!!!!

 

とゆーわけで節制しなくちゃの心掛けはどこへやら、16日の鑑賞後の翌日の17日、TOHOシネマズ新宿のゴジラビルまで来てしまいました(笑)

16日の鑑賞後に帰宅した後の深夜、4DX上映の存在を知った僕は近場で4DXもしくはIMAXで観に行ける映画館がないかどうか探しまくりました。その結果、TOHOシネマズ新宿であればMX4D(4DXと同じ)で映画GTを観れるとの事で、これは絶対に観に行かなくては!と思い、深夜にTOHOシネマズ新宿のウェブサイトに入ってチケットの予約購入をしました。平日であるにも関わらず、その時点でも既に多くの座席が売れていまして、ここで迷っていたら良い座席が取れなくなる!と思い、予約購入の決意を固めました。

何気に人生で初めてのTOHOシネマズ新宿の利用となり、そしてこれが人生で初めての2回目のリピート鑑賞となりました。

僕はこれまで映画館で観る映画は1回で終わって満足する事が殆どで、2回目以降のリピート鑑賞を映画館でするという発想がありませんでした。実家にいた頃は映画館で観終わった作品がだいたい半年後にレンタルショップ店でレンタルDVD化してる事が多く、それを見付けたら借りて観る程度にはリピート鑑賞をする事があまりなく、最近の映画商法としてよくある入場者限定特典を公開週によって変えるという手法に対して、いささかどうなんだと思うこともあったりしたのですが、この映画だけは絶対に4DXでのリピートが必須だなと思っていたので、今回の映画のリピート鑑賞に対しては何の躊躇もありませんでした。

 

鑑賞前にケバブサンドで腹ごしらえをしてからいざ鑑賞!感想としましては…やはり思っていた通り、レースシーンになった時の体感演出は凄まじいものとなっており、まるでレーサーになったかのようなとてつもない臨場体験を感じる事が出来ました!具体的にはエンジンを入れた時に感じるアイドリング時の座席の振動やカーブを曲がる時の座席の左右方向への揺れ、キャパに邪魔をされてボディを壁に擦られてる時には火花としてストロボでのフラッシュが焚かれ、車がクラッシュしたり、衝突した時に出る煙もフォグで表現しており、映画GTの上映前に映るPS studioのロゴ紹介の瞬間にも4D演出が入ったのはちょっと笑っちゃいましたけどね(笑)

4D演出には他にも風を吹き出したり、雨を降らせたり、匂いを演出したりといったものもあるのですが、今回の映画GTではそういった演出は使われず、4D演出としては結構控えめなものでした。しかし、レースシーンでレーシングカーを運転してる時の座席の揺れの演出は凄まじいものがあり、特にカーブに差し掛かって、追い抜くためにトップスピードでギアを入れた瞬間には鑑賞者である自分達にもGが掛かったかのような錯覚を感じる事ができたのでこれだけでも4DX料金を支払っただけの事はありましたね!!!

トップガン マーヴェリック」や「THE FIRST SRAM DUNK」のように、最近の映画は「映画館で観るべき映画」というふうに、映画館での大画面や豪華な音響設備で見る事を前提にしたかのような構成になってる映画も出てたりしていますが、映画GTもその類に漏れず、まさに映画館で観るべき映画であり、そしてIMAXか4DXで観るべき映画でもあると思いました。上映終了となってしまうその前に、映画GTの4DXでの鑑賞をする事が出来て本当に良かったと思いましたね…!感無量でした!

 

まとめ

そういえば2回目のリピート鑑賞の時に感じた印象深い出来事なんですけども、実は同じスクリーンの中にいた観客の人がもれなくみんな泣いてたんですよね…特にニュルブルクリンク北コースのシーンからル・マンのクライマックスに掛けてはヤンとジャックの熱い友情を大きく感じる所から、思わず涙を流してしまう人がとても多かったです。

後ろからは若い男性客の鼻をすする声が聞こえ、僕の2席横に座っていたおば様は指で涙を拭い、斜め前にいた女性はハンカチを目元に当てていました。僕は流石に2回連続での鑑賞だった為に涙こそは出ませんでしたが(それでもニュルのシーンとラストでまた泣きそうになったけど)これが初めての鑑賞だったらつられて一斉に泣いていた事でしょうね。

昨今、映画館では劇場鑑賞中にも関わらず、スマートフォンやスマートウォッチの起動をして場内を光らせるマナー違反を平然とする質の悪い鑑賞者が増え、そういった"一部の迷惑な輩"による快適な映画鑑賞を阻害された事を理由に映画館で映画を観に行く事を辞める人が増え、由々しき問題となっている現状があります。

今回の1回目と2回目の映画鑑賞では幸いにもそういったマナー違反を犯す人が居なかった為に映画GTの世界観に深くのめり込んで鑑賞する事ができただけでなく、2回目の鑑賞ではどことなく観客のみんなとの一体感というものを感じる事が出来ました。

 

映画「グランツーリスモ」はPlayStationの同名の大人気ゲームを元にした作品です。ですが、この映画作品の本質はゲームを通じて夢を叶えた少年ヤン・マーデンボローと、夢を手放し自堕落な毎日を送っていたエンジニアのジャック・ソルターが出会い、友情を育み、共に成長し、壮大な夢に挑む熱い少年漫画のような希望溢れるストーリーとなっています。

「頑張れば夢は叶うんだ」「希望が持てるんだ」と、気持ちを前向きにさせてくれる映画になっていますので、まだ映画GTを観たことがないという方は最寄りの上映している映画館を探して是非観に行って観てください!

 

最高に面白い作品である事を保証しますよ☺️👍

 

さてさて、本当に長い長い長文となってしまいましたが、ここまで読んで頂きありがとうございました!!!

 

皆さんもぜひ、素敵な映画ライフ、そしてゲームライフをお楽しみください😊

 

ありがとうございました!!!

 

 

ニホンバト

 

 

 

*1:昔は上映開始時間が更に遅いスーパーレイトショーというものもあったんですが、残念ながら現在はなくなってしまいました。成人したばかりでやっていた今のうちに体感して観たかった…!

*2:2022年11月16日時点

*3:ハンドルコントローラーの略

*4:自動車やオートバイでの走行中に摩擦ブレーキを連続使用した結果、ブレーキの効き(制動力)が低下すること。これは同様の摩擦材を使う乾式のクラッチディスクでも起こりうる。(Wikipediaより引用)

*5:劇中であったGTアカデミーの舞台のシルバーストン・サーキットル・マンの舞台となったサルト・サーキットはハンガロリンクに専用のセットを設けた事で模造したらしい

*6:ファースト・パーソン・ビューの略

*7:でもキャパのようにワザとぶつかってくるといった妨害行為があるのは本物のレースでも日常茶飯事らしく、ぶつけられたらやり返すぐらいの勢いで立ち向かわないと付け狙われ続けてしまうみたいです。

青空

 

ご無沙汰しています。

あれから2ヶ月近くの月日が経ってしまった。8月の丸々1ヶ月の間、リアルでは行事やお出かけによってそこそこ楽しい思い出が出来たりもしたのだが、それをこのブログで報告する事もなく、8月は1つも記事を残さないという初投稿日〜2記事目の期間が空いた時以来の不名誉な記録となってしまい、ここまで3年以上続いてきた月一更新の記録も途絶えてしまった。

とはいえ、実を言うとここ最近の僕はブログを書く事に対して"若干億劫になりつつあった"というのもまた事実で、絵師の人が絵を描いてても上手く筆が乗らない上に、そもそも描き始めるまでの気力がないというスランプに陥りやすいのと同じように、最近の僕自身もまた自分のブログに向き合う為の気力が削がれていたというのもあって、下書きを書く気すらなかった。

そもそもの話として普段から刺激的な毎日を送ってるわけでもなければ、非日常的なイベントを楽しんでいるわけでもない平凡な人生を送っている人が、身の回りで起こった出来事や事象についてをネタにして書こうとしてもそれができるのはせいぜい月1~2本までが限度だよなぁと思うわけで、あと作れるものと言えば過去を振り返ったり自分の趣味趣向を述べる自分語りだったり、世間一般で起きている事象や話題になってるモノに対して自分の物差しで計った価値観で話すコメンテーター的な記事だったり、自分が少し前まで書いてたようなゲームのレビュー系記事だったり……と、やりようによっては定期的な更新(週1~2ぐらい?)はできそうだけど、毎日更新するのってめちゃくちゃ難しいよなぁ〜と思うんですよ。

アフィリエイトによる広告収入で収益化していたり、人気ブロガーと呼ばれる人は日々何かしらの記事を更新してはそれを途絶えさせないように努力をしているみたいで、すごいなぁという尊敬の気持ちを持つと共に「僕には絶対出来ないな」という謎の自信に満ち溢れているわけなのです。

そもそも僕がこのブログを始めたキッカケも「自分がかつてそこに居て、生きていた証を残したい」という動機から始まっており、ある種の「備忘録」的な意味合いの方が強いんですよね。だから極端な話、このブログが誰からの注目を浴びなくなったって構わないし、収益化する気だって微塵もない。にも関わらず最近では頼んでもないのに僕のブログ記事の本文の間にWeb広告リンクが挟まれるようになっていて、僕のブログにそれなりのPV数(アクセス数)があるから広告が貼られるようになったのかしら?て思うんですよね。…て事はもしかしたらやろうと思えばこのブログも収益化申請をする事ができるのかもしれない。でも更新頻度は月一しかない上に、人気ブロガーと比べてアクセス数に雲泥の差がある僕のブログ程度じゃ、収入も月10円行くかどうかだろう。そんなんじゃ駄菓子のコーラガムすら買えやしない。

収益化申請をして更新頻度を毎日にして炎上商法に手を出せばそれなりの収入になるのかもしれない…が、そこまでの労力と危険を犯してまでやるべき事か?と言われると甚だ疑問でしかないので、やはり月1~2で色々ボヤく程度にだべってるぐらいがちょうど良いなって思うわけなのです。

そんなだべりすら8月は更新されなかったんですからよっぽど億劫だったんだなぁ〜と。

 

とゆーわけで前置きが長くなってしまいましたが次からは本題です。

最近目次の作り方をようやく理解する事が出来ました(運営4年目なのに遅!とは言わないでw)

主に青空の事とか、SNSから離れてうんたらかんたら〜みたいな内容です。どぞ💁‍♂️

モク~ジ↓

 

Blue Skyに移ってから起きた変化

7月末日に主なSNSの活動の場をTwitter…もといXからBlue Sky(以下青空と呼称)に移ると宣言をしてから2ヶ月近くが経った。

2ヶ月近くの時を過ごしてきた中で僕の心境にもほんのわずかばかりの変化が起きた。今日は青空に移って良かった事を中心に話していこうと思う。

 

良かった事その1「心理的ストレスが大幅に減った」

やっぱ一番はこれっすね。SNSを見ててストレスを感じないのが何より良い。Xの引退宣言をした後、Xは情報取得をする為だけに鍵垢だけ利用する事にした。そこの鍵垢では人との繋がりという繋がりは殆ど存在せず、特定の本当に信頼出来る一部の人を除いてフォローしてるのは殆ど公式垢しかない。

そして青空の方はというと、未だに招待制である事は変わっておらず、元から移行する為のハードルが高いためか、Xから流入&移行してきた人はほとんど居らず、知り合いもほぼあまり居ない状況。つまりXの引退によってニホンバトのアカウントで繋がっていたほぼ全ての繋がりを手放した事になるのだが、多くの人との繋がりが一気に無くなったその分、一喜一憂する事象やニュースを見る機会も大幅に減った。

特にゲーム界隈から自分の身を2、3歩引いた状態にした事は本当に良かったと思っている。

ゲームという趣味を楽しむ時、これまでの僕は大抵1人で楽しむ事の方が殆どだった。それがSNSというツールの中の"ゲームという名のコミュニティ"を通じて色んな人と出会い、価値観や趣味を共有しては次第に人と共にゲームを楽しむようになっていった。

そういった中でゲームを通じたコミュニケーションのディスカッションにより、ゲーム仲間が増えて色んなゲームの話をして盛り上がるようになった。正直、ゲームのプレイを通じた楽しさや面白さを発信して一緒に楽しむ事で盛り上がるのはとても好きだ。でもゲームのプレイとは直接関係のない"ゲーム関係の事象やニュースに関する話を一緒にする人"は選んだ方が良いとも思った。

 

話は変わるが、日本は世界でも数少ない無宗教国家だとも言われている。世界230ヶ国以上ある国の中でそれぞれが国を挙げて信仰する特定の宗教というものが決まっており、決まってキリスト教イスラム教、ヒンドゥー教が大多数を占め、残りが仏教や土着宗教を信仰する中、日本は国家を挙げて推し進める宗教もなければ、国民全体も特定の名目の宗教に信徒する人は殆ど居ないと言われている。

だが日本は政治に一切興味のないノンポリとは違い、特定の宗教に信徒していないからといって信仰心そのものが一切ない訳では無いと僕は個人的にそう思っている。何故なら特定の宗派というものに傾倒していなかったとしても、日本のありとあらゆる地域には大なり小なり神社仏閣があって、そこにはそれぞれの地域に根ざした神様が祀られており、人々はその神様や仏様、眷属である狛犬様に対して祈りを捧げ、時には望みを乞い願う事もある。

神様というものの存在を信じるのか?信じないのか?は別として、そういった神社仏閣と神様仏様に対して大抵の日本人は無条件で敬い信仰する事がある。悪い事をしたらバチが当たるといった恐れを抱いたり、験担ぎによって先の成功を祈るといった科学的根拠に基づかない理論であったとしても、そういった"モノの存在"が人の心にある一定の影響を与えているのは確かであり、心の拠り所にしている人もいれば、良い事があったら信じるといった程度で気軽に捉えている人もいる。

重要なのはそのどちらも自然的時節によって生まれた神様の存在を信じている事であり、すなわち信仰をしている事。日本人がキリスト教を始めとした特定の絶対神唯一神といった存在を信徒する事に対して抵抗感はあるが、自分の身近に存在する特定地域の神様や、旅先で祀られてる仏様のような「いつ生まれ、祀られるようになったのか?」の時期が不明だったり、バラバラな神様であったとしても、ある程度の信仰心を持ち合わせている事は確かであり、その存在を概ね信じている人が多いのはそういう事なのかもしれない。

そういうのを「自然宗教」と呼ぶらしい。

確かに日本には八百万の神という言葉が昔からあるように、万物には神や精霊が宿るとされ、ありとあらゆる種類の神様がいると伝えられてきている。更にこの現代に於いて神と称して慕うものや、敬うものの対象は伝承として伝えられる神様だけに留まらず、特定の人物やグループ、作品、特定企業といった一個人、一企業、一作品に対しても神聖視するほど広く多様性を持つようになっており、そういった尊敬や憧れから来る神といった扱いは名称としては軽く捉えられがちではあるのだが、中には特定宗教に信徒するのと変わらないぐらい深い思い入れと強い信仰心を持って接している者もおり、日本は無宗教国家ではあるものの、こういう点に於いて宗教気質な部分があるのは世界の国々と大して変わらない所があると僕はそう思っている。*1

それをもっとカジュアルにしたのが最近流行りの「推し」という言葉であり、よりディープになると「カルト」になるんだと思われる。

ここまで長々と信仰宗教という文化について語ってきたが、つまり何が言いたいのか?というと、日本のゲーム界隈というのは総じて宗教的になりやすいというのが大きくあると思っていて、それが時には過激なカルト思想にまで発展する恐れもあるという事に留意しなければならないと思う所だ。

 

世界には昔からCS機のプラットフォームホルダーとして展開してきた3つの企業がある。日本の任天堂ソニー、そしてアメリカのマイクロソフトだ。これら3つの企業は同じゲームという娯楽文化の業界を席巻する企業である一方で、その市場経済を巡って争っている点もあり、指針として分かりやすいのが自社ハードの普及率とそこから来るゲームソフトの売上の高さやDL率といったものがしばしば話題として上りやすいだろう。

これら3つの企業が切磋琢磨という形で互いに刺激されてより良いものを作ろうと努力してくれれば一番良いのだが、昔からどのプラットフォーマーもきな臭い動きをしてライバル企業を蹴落としたり、出し抜いて独走をしようとしている点がある事が少なくなく、そういったビジネスバトルの結果がユーザーのゲームをプレイする時の環境や選択に大きな影響を与える事も時にはあり、「それがユーザーの為になるのかどうか?」と言われると、立場と見る視点によって答えが大きく変わるので、一概に答えが出せるものではないから回答が難しい部分もあるのだが、少なくともポジティブに捉えられる事はあまりなくて、そういった話題が出る度にそれぞれのプラットフォーマーのファンやユーザーはそれそれが持つ価値観をぶつけ合う事で争いの火種になってしまう事も少なくない。

そこで先程話した信仰話に繋がってくるのだが、こういった3つのプラットフォーム企業には総じて信者という者が必ずと言っていいほど存在しており、しかも信者と言われる人の大抵が自意識過剰の過激派で異教徒(ライバル企業とそのファン)を許さない傾向があり、自分の愛する企業の良さを唱える事よりも異教徒とそれに付随する関連企業の悪い点を醜く、そして声高々に伝える妨害活動にばかり力を入れて勤しむ暇な人が多いみたいで、更に自らが崇拝する企業と自分を自己同一化してしまっている人がいるのもまた問題で、愛する企業の悪口を言われる=自分の悪口を言われたかのように捉えて過剰に怒り出す者もいたり、ほんの冗談のつもりの軽めの言葉であったとしても、信仰する企業に対して向けられた言葉に対して過敏になるなど、深く思い入れを持ち過ぎた特定ゲームメーカーの信奉者に関しては良かったという話をあまり聞かない。

それどころか、そういった過激派信者が悪目立ちするせいで、そのプラットフォームやメーカーに対する一般ピープルからの大きなイメージダウンに繋がってしまっているという事の方が多く、しかもタチが悪い事に決まって過激派信者はそれが自分のせいであるという事を全くもって自覚していない。

僕も昔からスクウェア・エニックスやFFを愛する信者だと自称はしているが、スクエニの成すありとあらゆる事業や活動の全てに対して肯定している訳では無い。企業の体質としておかしいと思った点があれば、それは少しおかしいんじゃないか?って疑問を持って普通に言う事だってあるし、時には失望めいた気持ちを抱く事だってある。基本的に好きな姿勢である事に変わりはないが、例え思い入れの強い所であったとしても良いものは良い、ダメなものはダメだとハッキリ言えるようなスタンスでなければファンとして健全ではないと僕はそう捉えている。

企業の姿勢として悪手である事に目を瞑ったり、世に出した作品で看過できない悪点があっても、それに対して一切言及せずに褒め称える事しかしなかったらそれはもう既に危ない信者でもあるし、そういった点を普通に指摘する人に対して怒りだしたらその時点でアウトな過激派信者

逆に企業のやること成す事全てに対して全否定をし、世間から褒められている点に対してもこじつけるかのように悪点として変換して炙り出そうとする者がいたらそれはファンでもなんでもないただの作品&特定メーカーに対するアンチ

どっちにしてもタチが悪い存在であり、そういった人達に関わってしまう危険性が常にあるゲーム界隈というものへの自分との距離感は常に気を配らないといけないと強く思う所があった。

僕はこれまでTwitterをやっている中で任天堂ソニー、MSそれぞれの過激派信者という存在を目にした事があったのだが、どいつもこいつもどうしようもないぐらいクソみたいな人達ばかりで、贔屓するものにはとことん甘く、異教徒に対しては超絶厳しい…というか厳しいを通り越して嫌いになっている。そういった人達の発言は大抵見る人の気持ちや読む人の気持ちを考えていなくて責任感がない。中には人としての感性を疑うぐらい常軌を逸した発言や行動をする人もいたので、普通のゲーム好きの人はこういった過激派信者に関わるのは危険だし、出来ることなら関わらない方が良い*2

こういった人達は総じて「ゲハ」という言葉で括られるネット上に生息する人種であり、昔は2ちゃんねる(現5ちゃんねる)といった匿名掲示板や○○○ー○○報、○○○○稿*3といった悪質なアフェリエイトサイトのコメント欄だけに留まっているものが多かったのだが、最近ではTwitterのようなSNS上にも普通に現れるようになっており、ゲームメーカーのツイートのリプ欄にはぶら下がるように過激な発言や物言いをしてくる人がいたり、特定のゲーム界隈の話題に対して個人の意見として言及していると、その意見や発言に対して目を付けられてウザ絡みしてきたりと、とにかくタチが悪く、ゲーム界隈の界隈としての健全性が近年急速に損なわれつつある事を僕はかなり問題視している。

普通にゲームそのものに対する世間からのイメージダウンに大きく繋がる事になるし、業界や界隈内部で瓦解が起きているとゲームと関わりのない他者や異業種の団体からの差し金でゲーム内容に対する理不尽な規制を食らわされかねない事だってある。

この世の中はいつだってゲームという存在そのものを潰そうと躍起になっている業界や団体というものが常に居て、そういった人達からの理不尽さに立ち向かわなければならないのにも関わらず、同じゲームという趣味娯楽を愛する者同士で泥沼の争いが絶えないような現状のままであればいつかゲームという娯楽そのものが規制で無くなってもおかしくないなと思うところがある。

 

そして僕はそんなゲーム界隈というものそのものに深く関わり過ぎてしまったせいで精神的に疲弊する事になってしまった。

ゲームを楽しむ人のみんながみんな常にゲームのプレイを通した話題をする事ばかりではなく、ゲーム業界のニュースや一個人のバズった発言に対して何かしらの言及をする人だっている。そういった発言自体は過激なものでは無いが、間接的にゲーム界隈の負の側面に触れる一端ともなる。近年ではゲーム関係に関わりのある人のフォローを増やしてそれらで構築されたタイムラインをずっと眺めていたのだが、どことなくみんなゲハ的な話題に触れる事がちょいちょいあって、それを見る事で間接的に嫌な気持ちになる事も決して少なくはなかった。

完全自衛するためにはその人をミュートにするしか方法がなく、それも出来ないまま無作為に流れてくるツイートを見続けた結果、精神疲弊からゲームそのものを楽しめなくなってしまいそうになった事もある。このままでは僕自身がゲームを嫌いになってしまいかねない。だからそこから逃げるかのように僕はTwitterを辞めて繋がりの殆どを断ち切り、青空に引きこもるようになった。

そのおかげなのか、最近はゲームを再び純粋に楽しめるようになってきた。

公式アカウント以外からのゲームの情報を殆ど遮断した事によって良くも悪くも色んな声が入ってこない。時には有益な情報を見逃してしまう事もあるのだが、逆に一個人の思想に基づいた価値観や有象無象の批評というものが流れてこない。自分の心に影響を及ぼす人の言葉というものが目に入ってこなくなった事で、かつて誰との繋がりも持たずに一人でゲームを楽しんでいた学生時代と似たような感覚になりつつあるのが今の状況で、もちろんそれでも繋がりを持っている人はいたりするのだが、そういった人達は総じて僕が心の底から信頼している人しか繋がりがなくて、非常に建設的であり、そして健全である。

つい最近、自分がゲーム界隈から離れて正解だったのかどうか?を疑問として人に聞いた事がある。そしたらその人は「最初に述べた楽しいと思う気持ちそのものが答えなんじゃないか?」と言ってくれた。つまり、最近の僕はゲームを再び純粋に楽しめるようになってきていて、楽しいと思う気持ちが強くなってきている。それはゲーム界隈から自分の存在を切り離して距離を置いたからこそ感じられている事で、そういった行動の結果が今の気持ちとして現れている。

つまり…僕はゲーム界隈から離れて正解の人間だった。という事になるわけだ。

 

そういう意味で言えば僕はTwitterを辞めて青空に避難してきて正解だったとも言える。おかげで本当に毎日が楽しくてしょうがない。

いつだって自分の気持ちを優先する事は大事、そう思える顛末だった。

 

良かった事その2「リアルの時間を大切にするようになった」

青空に移った事自体は良いものの、青空は良くも悪くも発展途上のSNSで人の流入も少なく、セッションも入ってこない。だからタイムラインを眺めてても更新される事がほとんど無いからもっぱら壁打ちみたいな状態になりつつあった。

だけど逆に考えるとそれによってSNSの閲覧そのものに対する依存度を大きく減らす事にも繋がっていて、最近ではSNSを見る時間が大きく減っていった。これにより、僕はリアルの時間を大切にする意識がより強くなった

リアルの世界では自分の周囲にいる人たちとどう付き合っていけるかが重要な要素となっている。特に仕事上での人間関係が上手く行ってれば仕事のモチベーションも高く維持出来るし、リアルの生活の充実度も総じて上がる。逆にここが上手くいってないと何をやっても楽しくなく、現実が辛く感じてしまうだろう。

幸いにも僕はリアルの人生でクソだと思うような出来事やトラブルに遭遇した事は殆どない。現状にも大きく満足している。だからリアルを生きる事は凄く楽しいと思ってるし、それなりに充実している。でもSNSから身を切り離すようになってからはそんな当たり前のように生きているリアルに対してより真剣に向き合うようになった。

自分が生きている地域やそこで暮らす人達との触れ合い、仕事での関わり方など、この世界に生きる事の楽しさや良さをだんだん強く感じられるようになってきた。もちろんゲーマーとしてゲームに関わる事を辞めるつもりは無いが、別にSNSとセットじゃなくてもゲームは楽しくやって行ける。

自分が何を選び、何を楽しむのか?の選択は自分の自由だし、自分の思うがままに楽しむ事だってできる。今ある生活、現状を大切にしながら日々を生きられる事に対しては感謝の気持ちしかない。その有難みを強く感じる事ができるようになったのが大きなポイントなのかもしれない。

 

良かった事その3「空をよく見るようになった」

最後の最後になんだそれ!?と思った人もいるかもしれないが、ぶっちゃけ青空に移ってからの僕は本当に空をよく見るようになった(笑)

これは特に意識的にそうしようと思った訳ではなくて、外を出る時、周囲によく目を凝らすようになった結果、空も自然と見るようになったというのが正しくて、意識的により強くなったのは先月末に行った谷岡久美さんのバースデーライブに行ってからだった。

谷岡久美さんはかつてFF11FFCCシリーズの楽曲を手掛けた事のあるコンポーザーさんで、代表曲として「Awakening」や「カゼノネ」「星月夜」等がある。そんな谷岡さんは毎年8月の時期にバースデーソロライブを開催しており、今年は下北沢の小さなライブハウスでピアノソロコンサートを行っていた。

僕は谷岡さんに一目お会いしたいという思いと実際のピアノ演奏曲を聴いてみたいという2つの思いを持ってこのライブを観に来ていた。結果、非常に充実したライブとなっていて満足に終わり、CDを買ったり、ちょっとだけ谷岡さんとお話できたりと、凄くスペシャルな体験をさせてもらったような気がしていた。

そんな谷岡さんの趣味は「空を見ること」で、何気ない風景として身近にある空を眺める事で、その時にしか見えない風景や雲の見せる表情の変化を感じ取る事で癒されたり、時にはインスピレーションが掻き立てられたりと、谷岡さんの音楽活動にも繋がるぐらい重要な趣味となっていて、仮にそれが仕事に繋がっていなかったとしても凄く素敵な趣味だなぁと思っていて、その話を聞いて以降からは僕も意識的に空をよく見るようになった。

するとどうだろう。空は確かにその時その時によって見せる表情が大きく違っており、時間帯による違いだけでなく、天気の影響によって見せる空模様が全然違ったりするので見ていて本当に楽しい。特にここ最近は陽が沈むのが早まり、昇るのが遅くなってきた。それによって出勤時間帯の朝焼けと夕焼けの時間がとても美しく映っており、確かに空を見る事自体がとても楽しく感じている。美しさだけに限らず、雨模様によって曇天となっている空もまた違った姿を見せているから空の気分みたいなものを感じられる。

空に思いを馳せるぐらい心の余裕を感じられるようになった今は本当に楽しくて仕方ないんだな…と

f:id:Gameslifeisff:20230924050527j:image空は今日も青かった

青空に移ってから起きた心の変化はそのどれもが良い方向に導いてくれている。世界最大級のSNSとして運営を続けてきたTwitterはXに変わり、元から混沌化してきていたTwitterはXになった事で更に混沌化の道を突き進み始めている。

ゲーム関係の事が原因で心の疲弊が起きなかったとしても何か別の形で病んで離れる切っ掛けがあったのかもしれないなぁ…と、今となってはそう思うばかりだ。

 

吉田直樹さんの情熱大陸を見て

今年の7月23日にTBS系列で放送された看板番組の情熱大陸、その日のゲストはFF14のディレクター 兼 FF16のプロデューサー*4吉田直樹さんだった。

吉田さんは言わずと知れたスクエニ内の超有名スタッフで、FF14プレイヤーであるヒカセンの間からはしばしば「吉田」の愛称で親しまれている。正直な事を言うと僕はFF14は未プレイ勢なので吉田さんの事や第三開発事業本部については知らない事が多く、その人となりを知りたいという意味でも今回の情熱大陸には注目していた。

番組内ではFF14の新たな拡張パッケージで実装されるバトルコンテンツのテストプレイを通して感じた気になる点や改善点などの指摘をスクエニスタッフに対して指示する場面や、FF14のリアルイベントにコスプレをして登壇をする裏側の様子など、ディレクターとしての仕事だけでないマルチな活動をしている様子が映し出された。

そんな中、番組内のとあるシーンが日本のネット上を大きくザワつかせた。それはエゴサーチのシーン。

先述したFF14のリアルイベントの登壇後、裏側に戻って吉田さんがすぐにした事はスマホを開いてSNSでの反応を見る事だった。イベントで新たに発表となる新情報のお披露目に対するSNSでの反応から感触を掴む事で、その発表が成功だったか否かを判断しており、自分の意図するものがちゃんと視聴者にも伝わったのかどうか?常に振り返りと反省を繰り返す事で、コンテンツの発表の仕方や、ユーザーとの距離感や付き合い方を考える為の要素となっており、メディアやネットという矢面に立たされる仕事をする以上、欠かせない行為になっているんだという。

しかし……エゴサーチから見えてくるものは大抵良い事ばかりではない。

場面が切り替わったそこはスクエニ社内の吉田さんのデスク、そこでは吉田さんがプロデューサーを務めるFF16に対するネット上の反応を掴むために1人のYouTuberが投稿したと思われるFF16に対する考察動画のようなものの中にあるコメント欄を見ていた。

そこに映し出されていたのはFF16に対してハナから期待していないかのような批判コメント、次に映ったのはそもそものFFシリーズに対する嘲りの入った中傷コメントだった。ネット上で度々言われまくるFFシリーズに対する過度な批判や誹謗中傷のコメント。35年以上続いてきた伝統あるシリーズ作品である以上、多くの人の関心を寄せる事になるFFには理不尽な誹謗中傷の声が絶えず、後を絶たない。その中には吉田直樹さん個人に対する誹謗中傷の声も当たり前のように書かれており、吉田さんはそれらを全て読んで把握しているんだという。

「僕が君たち(誹謗中傷者)に対して何か悪い事でもしたのかい?って思うんですよね」

こういったネット上での誹謗中傷に対する耐性はある程度持ち合わせている吉田さんではありますが、こういった声に対してはいつも辟易としており、怒りや呆れの気持ちが常に出てきてしまうんだとか。そのシーンの最後はナレーションでこう締めくくられていた。

 

こういった誹謗中傷の声の大半は日本から書かれる事が多い

 

このナレーションによる締めの言葉が日本のネット上を大きくザワつかせる事となり、この手の日本のネットリテラシーの無さに対する反応が良くも悪くも現れる事になったんだという。(しかも皮肉な事にネット上で)

僕はこのシーンを初めて見た時、正直な事を言うとFFシリーズが常日頃から理不尽な誹謗中傷に晒されているのはず〜〜〜〜〜っと前からそうだったので視聴者の驚きの反応とは逆に少し冷めた感じで見ていたのと同時に、そういったタチの悪い声が吉田さん個人に対してまで波及しているという事実に一番驚かされた。そしてそういった声は日本から発信されているのが一番多いという事実に対してはまぁその通りだろうな」としか思えないのが、僕の思う感想だった。

 

FFシリーズに関して言えば、FFはいつの頃からか新作が発表される度に「こんなのFFじゃない」「FFらしさがない」という定番の文句を皮切りに新作に対して常日頃から誹謗中傷が繰り返されている。正直言ってそういった類の文句は中身の入ってない質の悪い文句がネット上で大量に流布されてるもんだから、シリーズ全体のファンとしては常々辟易とした気持ちばかりになる。

こういった声が出始めたのはおそらく当時最新作だったFF7がPSハードに移行した頃の1997年まで遡る事になるだろうと思われる。あの当時、それまでのナンバリングFFはファミコンからスーファミで展開をしていた事から世間の間でおそらく次のFF7ニンテンドウ64で出るだろうと思われていたのかもしれない。しかし蓋を開けてみれば、FFは7以降からナンバリングタイトルの主要展開プラットフォームをPSハードに移した。理由としては当時から既に技術屋としての地位を確立し始めていた旧スクウェア社がゲームの新たな表現方法にチャレンジしたいという事で、その当時のスクウェアの理想を叶えられるハードは、当時のゲーム機としては革新的とも言える3D描画技術を導入して売り出されるソニープレイステーションしかないだろう…と、スクウェアの思う理想とそれを叶えられるハードとして初代PSが合致した結果としてそうなったと思われる。

一応その当時は後発だったニンテンドウ64でも3D描画技術を取り入れたゲームはもちろんあったのだが、PSで発売されたFF7の同梱ディスクの枚数がCD-ROM3枚組だった事を考えると、FF7のボリューミーな内容を描き切るのに64では力不足だったのは否めないかもしれない。

しかしドラクエと共にその当時の任天堂ハードを大きく牽引する大作ソフトでもあったFFがPSハードにプラットフォームを移した事の衝撃は業界内でも、そしてユーザー間でも大きかったみたいで、FFシリーズが新たなステージにのし上がった事を喜ぶファンの人もいた一方で、任天堂を裏切った」という風に恨みを抱き、以降のFFシリーズに対して理不尽な誹謗中傷の声を唱え続ける声が囁かれ始める事となったのもここからだったかもしれない。

オマケにその当時はちょうどこの時期を境に「スクウェア社が任天堂から関係を断絶された&スクウェア社員は任天堂を出入り禁止にされた」という話が急浮上してきており、それが一般ユーザー層にまで伝わってしまった事からスクウェア任天堂ファンからヘイトを向けられる追い風となってしまったのは確かで、更に言えば家庭用ハードで3D描画技術を取り入れたのは実は初代PSが最初ではなく、厳密に言えばセガが発売したセガサターンというハードが一番最初ではあったのだが、後発で出された初代PSに販売台数では大きく負け越す結果となってしまい、後に出たドリームキャスト鳴かず飛ばずだった事からPSハードの大成功がセガがハード事業を撤退する遠因になっており、その遠因の元を作ったと言われるFF7に対して大きな恨み(もはやここまで来るとこじつけにも近い当て付けなのだが)をセガファンから持たれているのも合わさって、その当時から既にスクウェアそしてFFシリーズは多くの勢力の恨みを抱かれる事になったんだろうと思われる。

以降、FFは新作ナンバリングタイトルを出す度に一定数のアンチから理不尽な誹謗中傷に晒される事になる。FF8ではやれ等身が高くしたから顔がジャギジャギで汚いだの、ヒロインが電波って言われるなどで袋叩きに遭い、FF9では原点回帰を称した事でしばらくの間なりは潜めたものの、FF11ではオンラインである事に対して忌避する声が出るわ、FF12では戦闘システムが難しすぎる、オイオイオでネタにしたり、FF13ではファルシのルシ、コクーンやパージといった専門用語と英語を合わせたネタ文章を作って嘲笑をしたり、初代FF14では根性版と呼ばれるぐらい酷い仕様だった事でFF自体のオワコン化を唱え、FF15ではホストファンタジーとネタにする以上にこれ以上までにないレベルでネット上で袋叩きにされる事となり、それまで何ともなく過ごせてたはずのFF10がある動画サイトの動画から反吐が出るネットミームにされるわ、最新のFF16ではやれ暗いだの完全アクションは嫌だって喚くなどでもううんざり!!!!!🖕🖕🖕

もちろん全てのナンバリングタイトルが作品傾向や方向性の違いからどの作品も万人から完璧だと言われる作品が無いことは重々承知している。しかし事FFに関してだけはあからさまに叩かれ過ぎだし、こういった誹謗中傷の声が息をするように日本のネット上からポンポンと現れるのははっきり言って異常である。しかし日々FFに対する誹謗中傷をする彼らは何故そういった行動をしており、その行動原理はどこから来ているのか?最初にお話したゲーム界隈の話を思い出して貰えれば分かると思うが、大抵そういうのはゲーム界隈の宗教資質な面から来ているものが多い、…て、ほらめんどくさい!!!!!

こういう恨み節を抱く一部の声だけはデカい層が日々FFに対するネガキャンをしてきたせいで、日本のネット上でのFFに対する扱いはだんだん酷くなってきているのを僕は感じていて、「FFだったら、スクエニだったら何を言っても良い」「ネタにしても良い」「悪口を言ったって平気」そんな日本の悪しき風潮がネット上で蔓延っているが故にこうなっていると僕は予想していて、その誹謗中傷をする発言が今のFFを愛するファンの心を傷付け、褒め称える声を塞ぎ込ませてしまっているという事を彼等は実感してないだろうし、下手すりゃ罪悪感すら感じていないんだろう。ネタにする人だってそうだ。ネタにするのは大抵殆どが「その作品をやった事の無い人」が殆どで、ちゃんと作品をしっかりプレイして楽しんできた人で思い入れが強くあればあるほどそんな風に簡単にネタにしようなんて思う事はないはず。

過去の作品にしか触れた事のない、もしくは全く触れた事がなくてさらさら興味もないエアプが、FFに対する話題でネガキャンをしたり、ネタにしたりしてる今の状況ははっきり言って地獄だと言わざるを得ない。だから健全なFFファンであればあるほど、そういった話題に関わらないようにするために目立たないようにしたり、閉鎖的なコミュニティに塞ぎ込んで内輪で楽しんだりとクローズドなファンが増えて行ってしまう。そうすればするほどFFに対してあーだこーだと言う輩の声の方がデカくなり、FFを知らない人がその言葉を見てFFに対するイメージがどことなく悪くなる悪循環にも繋がっていく。

そういう差別的な言動をする人たちの行動原理の背景には特定ハードや企業に対する崇拝的なまでの信仰心があって、異教徒を排他する目的でそういう事をしている人がいるのも否めなくなってきているだろう。だからゲーム界隈という世界そのものには極力深く関わらない方が良い。何故ならそういう深淵に触れてしまう事もあるからだ。

熱くなってしまったが、FF自体に対する誹謗中傷の声だけに留まらず、吉田直樹さん個人に対する誹謗中傷の声が出続けているのも、似たような理由を持って勝手に恨みを抱いている人が多いからなのであろう。正直、僕個人としては可哀想な人生を送ってるんやな…としか思えないのが正直な所なのだが、ゲームコミュニティの中には何と、共通した好きなものを語る事を目的に形成されたコミュニティではなく、共通して嫌いなものを如何なる方法を使ってでも強く叩く事を目的に形成されたコミュニティ」も存在するんだとか

そういったコミュニティは自身の思想に似通った価値観を持った人としかやり取りをしない事でエコーチェンバーが働いてしまい、執拗なまでに叩いたり、誹謗中傷をする事の常識の無さに気付く事が出来ず、またそれを指摘する者が誰もいない事でコミュニティの自浄作用も働かず、過激な行動に出る事を躊躇わない無敵の人が形成されてしまう。そういったコミュニティと関わってしまう事が一般ゲームユーザーにとって一番危険な事であり、ゲームの楽しい話題を出す事以外は沈黙を貫くのが無難な現状になってるのが非常に残念な所でもある。

 

吉田さん個人の誹謗中傷にFFシリーズ全体への誹謗中傷、近年ではFF16に対するネガティブキャンペーンも発売前の段階から今に至るまでずーっと延々と続いており、ネットやSNSでFFの事を検索しない方が良いレベルに至るまでネット上でのFFの話題は荒れた内容も流入して来やすい。

もちろんそんなネガキャンにも負けないぐらい褒め称えた声を出して行ければそれが一番良いのだろうが、嫌な気持ちにならないようにするのであればやはり目立たないようにするのが一番なのが現状となっている。

情熱大陸を見て、吉田さん個人の人となりを知れたのは良かったものの、それとは別にFFという作品をこれからも愛していくのならネットとの関わりは絶った方が良いとも思わされた。

 

終わりに

青空に移って必要最低限の繋がりしか残さず、リアルに注視してゲームを深く楽しめる環境を整えた事で今の僕はとても幸せな気持ちになれている。

この現状を選んだ事が正解であるかどうかはまだもう少し時間が経って見ないと分からない。ただ今の時点で言える事としては、Xを引退して以降からは余計な話題が目に入る事もないし、変にネガティブな声も入ってこない。それで幸せだと思える現状が出来ているのなら、ある意味それが一番良い状態だと言えるのかもしれない。

僕はこれからも青空の方で悠々自適にやっていくつもりだ。もし興味のある人がいたら是非青空に来て欲しい。今のXに疲れたと感じたのであれば青空に限らず、避難先を作っておくのは大事な事なので、予備のひとつやふたつは持っておいた方が良いだろう。

だいぶ長くなってしまったが、久し振りのブログ記事だったので書くのがとても楽しかった。

これからも皆さんにとって素敵な毎日が訪れる事を祈っています🙏

 

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

 

 

 

 

*1:最も、その点に於いては海外もまた例外では無い事もあり、キリスト教を始めとした創唱宗教の信仰はしていないが、特定の有名人やグループや企業に対しては崇拝的に愛し崇めるといった信仰をしている人がいるのもまた然りである。

*2:ちなみに目撃した数で言えば「ソニー<任天堂<MS」の順で多かった。特にMSの過激派信者は数も多い上に国に関係なく質も特に悪いで最悪も最悪だった

*3:どちらも危険なサイトの為伏字にしております

*4:他にももっと多くの肩書きがあるのだが、正式に書こうとするとめちゃくちゃ長くなるので割愛

【報告】活動の場を移します。というお話

 

こんにちは、ニホンバトです。

ここ最近、夢ができたとか誕生日を迎えたとかで報告する事が色々と多かったのですが、今回もまた皆さんに大事な事を報告する事になりました。

 

私、ニホンバトはSNSの主な活動の場をX(旧Twitter)からBlue Skyに完全移行する事にしました。

 

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皆さんにとっては何の脈略もない突然の報告となってしまい申し訳ありません。

単刀直入に移行をする理由を申しますと「Twitterの改悪に改悪を重ねたクソ仕様」と「ゲーム界隈で散見されるネガティブな声を見続けた事によるストレス値が限界を迎えた」この2つが掛け合わさった事がTwitter引退を決意する主な理由、ダブルパンチとなりました。

Twitterのそれまで良かった有用な機能は削除&有料化という不便な仕様にした挙句、API有料化による連携サービスのサ終化や外部ツールの使用制限、唐突なAPI制限にガバ仕様による無差別的な凍結祭り*1Twitter社をイーロン・マスクが買収してからというものの良い事がひとつもなく、独裁者と化したイーロンによる傍若無人な振る舞いがユーザーへの皺寄せに繋がる結果となってしまっています。

何より罪深いと思ってるのが「おすすめ」タブの登場とそれのデフォルト表示です。こいつのせいで僕はここを辞める決意をする事になった

そんなこんなで最終的にはTwitterという名前と青い鳥のアイコンを捨てて、Xとかいう何の面白みもないものに変わり果てるみたいですからいよいよTwitterも終わりですね。今はまだ離れるユーザーも少ないでしょうからサ終感を感じる事はないのかもしれません。しかし僕はこれが終わりの始まりだと思っており、将来どんな結果に繋がるのかという事を考えると心配で心配で夜しかぐっすり寝られません!

X社…改めイーロンにはほとほと愛想が尽きた。

…というのが僕の見解になります。

 

そして僕がTwitterから離れる事になったもうひとつの理由。これが多分一番重要だと思うんですけど、ここ最近のTwitterのゲーム界隈で散見されるネガティブな話題と、それに対して言及する形で論争をする声を見続けた事で精神的に限界を迎え、Twitterから自分を切り離したい。そう思うに至るようになりました。

先に申し上げておきたいのは、これについては決して皆さんが悪い訳ではありません。ただ単に僕の堪え性がなかっただけの話なので、「こいつに我慢強さが足りなかったんだな」程度に思っといてくれたらありがたいです。ただ最近ずっと思っている事があって、「ゲーム界隈荒れ過ぎじゃないか?」と思うんですよね。

ゲームという趣味は漫画やアニメに並ぶ娯楽のひとつとして誰しもが楽しんでいる趣味です。様々なジャンルのゲームがあって、昔からずっと続いてきた伝統あるシリーズ作品のゲームもあれば、新進気鋭の面白い作品もあったりする。それぞれの作品に違いがあって、一つ一つの作品に魅力溢れるポイントがあって、ユーザーはその作品を楽しむ事で幸福感を得る事ができる。辛い現実から受ける傷を癒すツールとしても、単純な趣味としても優秀なもので、僕も長年ゲーマーとしてこの世界に生きてきました。

しかし一方でゲーム業界というのは厳しいビジネスの世界でもあります。ゲームという事業から産出される莫大な利益を我がものにせんとするがために、ハード事業やソフトウェア事業においてマルチや独占、契約や買収といった情報戦が飛び交い、今でも大手3社を中心として激しい争いが発生しています。それによって切磋琢磨された事でより良いゲームが作られ、ユーザーのゲーム体験の質を向上させる結果に繋がれば万々歳なのですが、現実はそう簡単に上手くいくわけではなく、どちらかと言うと足の引っ張り合いによって己がトップを出し抜かんとする不毛な争いを続けている始末。

それによって時にはユーザーに不利益が被る事も多々あり、そういった観点からユーザーはゲーム業界のニュースに対して敏感な部分もあります。ユーザーってのは本来ゲーム会社のいち顧客でしかなく、ゲーム業界の事業に直接関われる訳でもないですから、こういったニュースに対しては普通言及をしても仕方ない部分が強いと思うのですが、そのニュースで報じられた内容の是非について一個人の見解を示す事がユーザー間の建設的な議論に繋がり、報じられているニュース内容に対する解像度を高める事が出来ると考えれば、ゲーム業界のニュースに対して言及をするのにも意味があるのかもしれません。

ですがみんながみんなそんな建設的な議論ができる人ばかりではなく、自分の思い込みの激しさや感情論に任せた極端な肯定&否定意見を述べてそれに対するツッコミが入って不毛な言い争いに発展する…なんて事になりやすく、いわゆるクソリプや誹謗中傷といった声も出てくる事によってそれを見たユーザーのモチベーションは下がり、精神にも影響を及ぼす事になります。

 

そういった声が出始めた辺りから関連ワードのミュートやブロックで自衛を続けてた自分だったのですが、今度は僕の大好きなFFシリーズ最新作のFF16を巡る評価や誹謗中傷云々の事で多くの人が荒れる事になってしまいまして…FF16という作品自体を純粋に楽しむ人も多かったですが、その反面FF16のゲーム内容に対する批評や、時にはゲーム内容とは関係のない話題で言い争いをしている人の方が多い印象を受けまして…そういった有象無象の蔓延る声がどうしても目に付いてしまう事で僕のストレス値も蓄積する事になり、それがとうとう限界を迎えたという事になりました。

そんなのミュートやブロックを活用して自衛すれば良いじゃん!って思うかもしれません。それは確かにそうだと思いますし、ごもっともな事だと思います。ですがどんなに頑張って対策を施したとしてもTwitterの「おすすめ」タブの仕様によってこういった不毛な声を視界に入れないようにするのにも限界があるんですよね……

Twitterの「おすすめ」タブというのは自分がフォローしている人とフォローしていない人(!)も含めた様々なツイートを時系列を無視したランダムで表示するタイムラインとなっており、それだけでなく「○○さんがいいねしました」や「○○さんが返信しました」といった自分とは直接関係のないメンションを通じて知らないユーザーの声を見る事になり、そういった広範囲な表示には対応しきれない部分があるんですよね…

おすすめに表示される知らない人は大抵、自分がフォローしている人がどれぐらい多く共通でフォローしているのか?の数や、関連性の高さから来るアルゴリズムによって「あなたにも相性が合うかも?」みたいなおすすめとして表示されているのですが、正直全くもって迷惑にしかならないクソ仕様ですね。僕は自分が興味を持ってフォローした人のツイートしか見たくないんです。確かに外からの声を見聞きする事で興味を持つ可能性がある事自体は否定しませんが、それでフォローを増やすかどうかは完全に自分の裁量で決める事になるので、少なくともフォローを増やす気がない今の自分にとってはありがた迷惑な話でしかないその上に、アカウント切り替えや数時間の放置からの再起動をすると「おすすめがデフォルト表示」されるというはた迷惑な仕様によってどうしても見たくないものも見てしまう始末。

だからどんなにミュートやブロックを活用して少しでも快適なタイムラインを構築しようとしたとしても、おすすめタブの仕様によってネガティブな声を防ぎ切る事が出来ず、結局どんなに頑張って自衛したとて、そういった声が目に入ってしまい、それで精神を病む事になってしまうようであるのならば、いっその事Twitterを辞めてしまおう。

その答えに帰結しました。

 

特にFF16を巡る誹謗中傷とそれに言及する声を見るのが僕にはとても辛かった…僕は僕の大好きなFF16の事をみんなと共有して楽しく話したかった。

でも多くの人の関心は"FF16の評価を巡る話"と"誹謗中傷に対する反論"が多く、自分の大好きなゲームの事で皆が言い争って喧嘩の日々に明け暮れている。そんな声ばっかり見続けるようになってたらその内「あれ?これネタバレ自衛のためにTwitterから離れてた時の方が一番楽しかったのでは…?」とすら思い始め、結局人と楽しさを共有する事よりも自分の中で楽しんでる方が一番楽しいとすら思うようになってしまいました。

でも僕はみんなに聖人君子になってと求めている訳ではありません。これは本当に僕自身に堪え性がなかっただけの話で、決してみんなが悪い訳ではありません。ゲーマーとしてゲームに関する話題やニュースに言及しない訳にはいかないし、実際僕もいくつかのニュースに対して言及してた事もありました。だから時としてそういう声が出るのは仕方の無い事なんです。ただ、FF16を巡る事に関係なく、僕のタイムラインでは常日頃から誰かが知らない誰かを嘲っていたり、あたおかな人のリプライを引用して晒したり、スクショ晒しをして論争の火種を付けたり…と、そんなのが蔓延る毎日でもありました。

当初の僕が理想としていたゲーム界隈の流れと今の流れが全く違うものになってしまい、そのギャップに日々苦しめられる事になり、そういった声を見ているうちにだんだん僕の中では心が燻って来るようになってしまいました。

正直、今のTwitterのニホンバトのタイムラインは見てて楽しいよりも苦しいの方が勝ります。そんな状態ではまともにSNSを続けるのも厳しい状況…じゃあどうするか?

 

最終的な結論として「Blue Skyの方にメイン活動の場を移す」事で答えが決まりました。

あそこであればまだ殆どの人が手を付けていない未開の地でもあるし、心機一転としてやり直すにはちょうど良い所で良い機会だと思ったのでそっちへの移行を決意する事にしました。

 

今後の動向について

僕はメイン活動の場をブルスカの方に移す事にしましたが、流石にTwitterのニホンバトのアカウントを消す事まではしません。あそこにはあそこにしかない繋がりがあるのも確かですし、一度消してしまうと万が一の時に色々と面倒なことになるのでアカウント自体は残しておきます。

しかしそのアカウントから何かを呟いたり、RTしたり、PS5からゲームのプレイしてる様子をシェアする事は無くなると思うので実質機能停止する事になります。本当に万が一の事が無い限りは基本的な日常のつぶやきやゲームプレイのシェアはブルスカの方からやっていく事にします。

また、有名人や企業、公式アカウントの殆どが未だにTwitterに依存している事から情報収集の要としてTwitterを使わない訳にはいかないので、鍵垢だけはログイン状態を保持して閲覧を続けていくつもりです。しかし鍵垢の方でも目立った動きは見せず、推し作家さんの呟く絵に対していいねやRTをして履歴保存するだけの状態になるかと思います。

Twitterへのブログ等のお知らせもこれで最後にします。今まで閲覧してくれた皆様、本当にありがとうございました。

 

最後に

昔、僕は過去に2回精神的な病みを理由に自分のTwitterアカウントを削除してはそれまで構築された人との繋がりや関係性を捨て去り、リセットしてやり直していた事がありました。理由としては界隈に自分の居場所が無くなって居心地の悪さを感じたとか、自分自身の振る舞いで人に迷惑をかけて自己嫌悪に陥るなど、様々でした。僕がニホンバトとして垢転生をする前はLASTBOSSとして好きな任天堂ゲームの事を語ってたり、ポケモンや高木さんを愛でては色んな人との繋がりを作っていきました。

けれど同じ共通の趣味を持っていて、愛するものが同じである事だけを理由に簡単にフォローを増やし過ぎてしまったが故に、その人の人となりや人物像に対して「思っていたのと違う」という理想と現実の齟齬が生まれてトラブルが発生する事もなくはありませんでした。その当時の僕は今よりも超絶ネガティブだった為、病んでる姿を見せる事で多くの人に迷惑をかけてしまった事もあります。

感受性が高過ぎるが故にこうなってしまうのかは分かりませんが、僕は自分自身が言われている訳では無い悪口や文句であったとしても、その言葉を見る事自体が僕自身の心にマイナスな影響を与えてしまい、精神状態にも影響を及ぼすほど今の僕のメンタルはなかなかにしんどい事になってます。

以前、「しばらくTwitterから離れていた事で嫌な話題を目にする事の耐性値が低くなってしまった」と言っていた事があったかと思いますが、僕自身が人のネガティブな感情を受け止めるほどの耐性がそもそも無かったんだろうなと今はそう考えてます。

だけど1ヶ月以上Twitterから離れてて分かったのは、Twitterから離れている間は精神衛生上の懸念を払拭できて心の安定した状態を高く保つ事ができていたのは確かだった。なので有象無象の激しい声を見てしまう可能性が高くある今のTwitterをやり続けるのはリスクに繋がり、人の流入が厳しく制限されている現在のBlue Skyが今の自分にとって一番快適なSNSである。…だから僕はブルスカの方に居を構える事になった。そしてTwitterに別れを告げる事にした。

 

そういう事なんだと思います。

 

正直、今ここを離れるのはかなり寂しい事になるとは思いますが、僕は自分の精神衛生を大事にしたいので本当に申し訳ありませんが、X(旧Twitter)を引退させて頂こうと思います。

 

再度申し上げますが、皆様にとって何の前触れも無い唐突なお知らせとなってしまったこと、本当に申し訳ありませんでした。

フォロワーの皆様が少しでも自分の好きなもので幸せは気持ちになっていることを願っております

 

皆様、今まで本当にありがとうございました

 

 

 

令和5年 7月31日   ニホンバト

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:その癖、本当に凍結されるべき詐欺アカウントbotはのうのうとTwitterに蔓延るというどうしようもないカオスな現状

世界一需要のない話

 

人間には3つの三大欲求というものがあります。

食欲、性欲、睡眠欲…どれも人間が人間として、または生物として生きる上では欠かせない欲求となっていて、それは人が人である限り、意識せずとも本能的に求める欲求でもあると言われています。

その中でも食欲と睡眠欲は誰しもが求め、満たされなければならないもの。よく食べ、よく眠る事は人生を生きる上では必須の行為となるわけです。

…では性欲の方は?これについては少し特殊で、三大欲求の中で唯一人間が抑える事の出来る欲であるとも言われています。何故なら人間には他の生物にはない「理性」というものが備わっています。他の動物などが発情期などを機に絶えず交尾をしたくなる欲求に駆られていく中、人間にはその理性を持って自らの性欲を抑えつける事が可能だとされています。

しかし実はこれ、あまり良くない結果にも繋がりやすいものでして、性欲に限らず人間は本当に心の底から興味が無い限り、叶えたい、手に入れたいという欲求を抑えていくと、抑えてきた分だけ抑えきれなくなって爆発した時の反動が凄まじいというのはよく言われる話でして、分かりやすい例で言うと、子供の頃から親の方針で好きなゲームや漫画を楽しむといった遊びの趣味をする事を厳しく制限されてきた子供が大人になってその制限から開放された時、反動で一気にその趣味にハマって散財するようになってしまい、金銭感覚も掴めないまま遊びに対する欲求を満たすオタクになってしまう…なんて言われたりしています。

なので何事も我慢のし過ぎは良くないもので、性欲もまた理性で抑えつけられるからといって我慢ばっかりしてたら、我慢の限界で大爆発した時に大変な発散の仕方をしてしまって人生破滅する…なんて事になったら目も当てられないですからね。ですからある程度の性欲のある人は定期的にその欲を発散する事が大事になると思います。

しかしその性欲の発散方法といってもどうすれば良いのか?それは人によって様々です。愛するパートナーがいるのならその人とイチャイチャラブラブしてれば良いだろうし、お金があるのなら風俗にいって処理してもらうのもまた手です。しかし大抵殆どの人は1人でナニする方法を選ぶ人が多いのではないでしょうか?かく言う僕もまたその内の一人です(どうでもいいカミングアウト)

性欲ってのは何も無くても突然やってくる事が多いものでして、心の奥底から湧いてくる源泉のようなものだと僕は勝手にそう思ってます。その溢れかえってくる源泉を上手く流すようにしないとただ溢れこぼれて他の物事に対する集中力が削がれてしまいます。なのでそういう時にはいつも大抵自分で致しています。(隠語)

特段エロい事を常に考えているわけではないのですが、ふとした時に性的欲求を煽るものが僕の脳内でサブリミナル的に流れる事がありまして、そういう時に大抵勃起しては周りの状況に応じて致す事は多々あります。いや流石に職場で勃起しちゃったからと言って職場ではやりませんよ?そういうのは失礼というか、人として節操のない行動になってしまいますからね。

一人で致せるそういう状況の時は大抵、pixivの創作物からオカズになりそうなものを探したり、DLsiteやFANZAで購入した創作物の力を借りて致す事はよくあります。特にこの2つのサイトにはよくお世話になってます。とはいえ、昔は結構興奮気味に致す事も多かったのですが、最近では淡々と、まるで通例業務的な感じで致す傾向になってきている事を自分でも感じています。決して性欲が薄くなったとかそういう類の話ではないのですが、それがさも当たり前のような行為として続けてきたもんですから、情緒も何もあったもんじゃないというか、当たり前になり過ぎてその行為に対して何も感じなくなったというのが正しい言い方になるんでしょうか?(笑)

自慰行為に対するエクスタシーを感じる事がほぼ無くなっている事から最近ではこの欲求が邪魔だな…と思う事もなくはないです。ですがそれでも人間の本能としてそういった感情を捨て切る事は難しいですから、その都度自分で処理をしなければならない。この時間がとても無駄に感じる事もあるし、でも仕方の無い事だと思ってる。このままの流れで行くと僕はいつしか性欲そのものが無くなっていくのでしょうか…?それはあと10年、20年経ってみないと分からない事ですね。

 

性の目覚めの話

僕が初めて性的興奮を覚えたのは確か小学校高学年ぐらいの時だったと思います。その前から机の下に隠れてクラスメイトの女子のパンツを覗いたり、女の子同士が人気のない教室の隅で何かやっている事に対して本能的に何かを感じていた所もあったのですが、その時は性的欲求みたいなものを自覚する事はありませんでした。

僕が初めてそれを性的興奮だと認識したのは小5の時、修学旅行の前に行われた宿泊学習で一緒のグループになったクラスメイトの男の子に対して酷く興奮していたのを朧気ながらに覚えています。何で女の子じゃなくて男子に?って思うかもしれませんが、当時の僕は可愛いものや人が好きで好きでたまらなかったらしく、僕が惚れて(?)いた男の子の顔が周りに比べるとかなりの童顔で可愛らしかったというのがあったんですよね。特に意識しなくても僕はその男の子の顔を目で追うようになってしまい、その子の事をじっと見つめてしまう。あの時の気持ちを今言葉にするのならきっと「可愛いなぁ…」なんて思いながらその子の顔を見ていた事でしょう。

ホモなのか?と言われたらハッキリそうだとは言えないからう〜んと悩みます。じゃあノンケ?と言われると決してそうとは言いきれない部分もあるのでこれもまた悩みます。結局僕は男の子が好きだからその子に興奮していたのか?それとも単に可愛い人が好きだから男女関係なく興奮していたのか?それは分かりませんが、答えになりそうなヒントはあります。

僕はショタコンではありますが、ロリコンではないです。つまり可愛い女の子<可愛い男の子の方が好きという趣向がありますから、もしかしたら僕は幼少期の頃からショタコンの気があったのかもしれません。

とにかく、その男の子に見惚れていた僕がその男の子に対してある事をしたエピソードがあるのですが……それは詳細に話すといくらなんでもえげつない話になってしまうので、ここは残念ですがカットさせていただきます。

とにかく可愛い男の子が本能的に好きだった僕は小中学生の時代までは人の顔とか体付きとかをよく見ていたかと思います。しかし高校生になったのを境に周りの人に対してそういった気を持たなくなったことから、やはり僕はショタコンの気があるヤバい人だったのだろうという自覚があります。いや、流石に今ではリアルな小中学生に対して興奮するとかそんなあられもない事にはなっていませんが、今でも二次元の類ではそういう年齢設定が低そうな男の子の絵を見ては可愛い…と思う事が多々あるのは確かなので、こういった欲求は二次元の中だけで済ませられているのはある意味良かった事なのかもしれません。

だってその欲求をリアルな小中学生とかに向けてしまったらそれはもう犯罪ですからね。ロリコン好きの人が二次元のロリを見る事でその性的欲求を満たして理性を維持しているのと同じように、僕はショタを見る事で燻った感情を満たしているという事ですから。おかげでリアルでは人を見てそういったエロい欲求に駆られる事は無くなりましたし、なんなら街中を歩いてる女性の格好が少し露出度多めであるのを見たとしても、なんの感情も湧くことなく普通に接する事が出来ますからね(笑)

そう出来ているのも僕が普段から湧いて出る性欲を上手〜く処理しているからこその賜物なのかな…と

あれ?でもそうなると恋愛とか出来なくね?ってなるかもしれませんが、そもそも僕自身、恋愛というものに興味がありません。いや人の色恋沙汰の話を聞いたり、漫画やアニメの世界などで描かれる恋愛模様とかに対する興味自体はありますが、僕自身の恋愛に対しては一切興味が無いというか、恋人を作ろうという気持ちになった事は殆どありません。高校生の頃に1度だけ顔も見えないチャット相手に対して次第に惹かれるようになってネット恋愛をして恋人を作った事はありますが、結局長くは持たなかったですし、その当時はネット恋愛なんて御法度も御法度でしたからね。(今も気を付けないと危ない側面が多い所もありますが)

愛するパートナーを作っていくことで人生観が180度変わって当たり前のように過ごしていた日常が夢のような感覚に変わる魅力みたいなものはあるのかもしれません。しかし今の現状僕は恋人を作りたいとは一切思わず、寧ろ一人で気楽に生きていたいと思う気持ちの方が強いです。友人との人付き合いは好きだから積極的に参加はするけども、僕自身が誰かに惚れた腫れたで誰かに対して夢中になってその人のために時間とお金を割くという事が今の所想像が出来ないんですよね。

結局恋愛って理想通りに行くばかりではないし、寧ろ理想通りに行かない事の方が殆どで、愛する人のために尽くしていかなければならない。そういうの、ちょっと面倒だなって思ってしまう部分があるんですよね。だから恋人は作らない。誰かと結婚をして子供を持ちたいという気すら考えられない。そういう事を40代、50代の年上男性の方に言うと「それって人としてどうなの?」と言われてしまう事が多いのですが、何も誰かと恋愛をして結婚して子供を設ける事が人生のゴールではないですからね。

結婚をする事、家庭を持つ事が人生で最高の幸せだと誰が決めたんでしょうか?そんなの昔ながらに続いてきた人が決めたエゴだと思いません?自分の人生は自分のためにある。どんな働き方をするのだって、どんな趣味を楽しむのだって、恋愛をするのかしないのかだってそれを決めるのは人の自由。自分自身が選ぶ権利を持ってるわけなんですから、そういった選択をした事に対して人からどうこう言われる筋合いはないと思うんですよね。だから一生恋愛はしない!って決意してる人が居たって僕は良いと思うのです。何故なら僕自身も今のところは恋愛も結婚する気もないんですから。

まぁそういう考えの人が増えたから生涯未婚率が増加してるし、一生独身を貫く人が増える事は将来的に国にとっては良くない事だってのは分かってるんですけどね。ですが、月々の手取り給料額が13万〜14万の男が果たして女性と結婚して、更に子供を設けて、この国で何不自由なく暮らす事が出来ると思います?無理でしょ、普通に考えたら

とまぁ、恋愛するしないの話とか、結婚するしないの話に脱線してしまいましたが、今の僕には恋人とかパートナーとかそういった人は誰もいないので性欲に対しても一人で向き合ってるという話なのです。

 

フェチシズムについて

僕が湧いて出る性的欲求を満たすためにpixivやDLsiteといったサイトを利用している事を先程書いたと思うが、その中でも僕はどんなジャンルが好きなのか?を書いて行きたいと思う。

僕はとりわけ「おねショタ」というジャンルが好きである。その名の通りお姉さんとショタという組み合わせで描かれるカップリングで、その中でもお姉さんやショタの年齢設定がどう言ったものが好みなのか?どういうシチュエーションに性的興奮を覚えるのか?と様々なものがあるが、僕は基本ショタ側は小学生〜中学生まで、お姉さん側は中〜成人(20代までが理想的)である事が理想的で、シチュエーションとしては陵辱やNTRとかでなければ大抵なんでもOK*1

理想としては純愛物が好きなので、とにかくイチャイチャラブラブしてればなんだって良い。そして特に重要視するのがショタが可愛いかどうか?であり、例えお姉さんがどんなに可愛くて美人に描かれていたとしても、ショタの顔が可愛くなかったら萌えないのでスルーしがちになる。

おねショタ漫画ではショタの目を隠すタイプのものもよくあるが、あれも個人的にはあまり好きではない。何故ならショタの顔が可愛く見えるかどうかに於いて目は特に重要な要素としてあるから、ショタの目を隠してお姉さんの魅力を引き立たせているものよりかは、ハッキリとショタの目を描いてショタの顔に個性を持たせていた方が僕は好きだったりする。ショタの顔を可愛く描く事に自信が無いのか、それともショタの目を敢えて隠す事で読者自身の妄想による補正で顔を作って欲しいとしているのか?その理由を想像する事は出来ないが、とにかく僕はショタの顔は隠されているよりもハッキリと描かれていた方が興奮する。

想像力が足りないと言われればそれまでかもしれないが、 僕はそっちの方が萌えるからだ。

 

また、ジャンルとしてはマイナーで数少ないがインピオというジャンルも好きだったりする。これは小〜中学生同士のイチャイチャを描いているもので、いわゆるクラスメイトの同級生とアレやコレやをするシチュエーションになるのだが、それについては可愛いと可愛いの組み合わせによって萌える部分もあったりするし、まだ性知識もおぼつかないぐらいの年齢の子供達が無自覚に、あるいは本能的にエッチな事をする事による快感を覚えてしまうその背徳感を想像したらめちゃくちゃ興奮すると思いません???

サラっとめちゃくちゃ気持ち悪い事を書いてしまいましたが、とにかく僕は比較的エッチな事をするキャラクターの年齢層が低めの方が興奮するみたいです。(ここまで書いてて自分は今何を書いてるんだ…?とすら思えてきた)

 

また、二次創作に於けるエロについては1つのハッキリしたポリシーがあります。それは「その作品のエロを受け入れられるか?否か?」です。

僕がエロ云々の前に好きだとする作品の二次創作に於けるエロについては、その作品に出てくるキャラクターを性的に見れるかどうか?に掛かっているところがありまして、それは作品によってもよりけりで、普通に好きな上で見れるものもあれば、イメージ的にエロは受け付けられない作品もあったりします。

大抵そういうのって思い入れが強い作品であればあるほどそういう目では見られない傾向が強くて、とりわけそこまで思い入れが強い訳では無い作品に対しては普通に受け入れられるみたいな側面があります。まぁそもそも二次創作の元となる全年齢向けの作品にエロ要素なんて組み込まれてない訳ですから、そういった作品に無理矢理エロ要素を絡めて興奮をするってのは人によっては作品自体の精錬性を汚してる事にもなるし、あまりこういった事は大きな声では言えないのが普通ですしね。

例えば僕は昔からからかい上手の高木さんという作品が好きですが、高木さんという作品が好きなその上で高木さんの二次創作で描かれるR-18絵や小説は普通に見れたりします。ただし陵辱、NTR等はNGです。流石に好きな作品の好きなキャラクターが見ず知らずの相手に汚されてる様子を見て興奮できるほど僕はそこまでの境地に達してはいませんからね。

高木さんのR-18作品は高木さんと西片といったカップリングに於けるR-18であれば普通に見れます。それは恋愛作品に於けるイチャラブの要素として尊さを感じながら見れる部分があるからなのかもしれません。

しかし高木さんのファンの中にはそういったエロを求めない人も中にはいます(というかそっちの方が大半だったりしますし)なのでそもそも高木さんという作品のエロ自体が受け付けられない、そういった作品を描(書)いている人は高木さんという作品、キャラクターを汚してるというふうに捉えてる人も少なくはありません。

そういったファン心理に対しては「まぁでもそりゃそうだよな」って思うのが僕の感想であり、その考え自体を否定する気はありません。二次創作のエロはファンとして普通に受け入れられる人もいれば、受け入れられない人もいる。というか大抵は受け入れられない人の方が多いと思うから、受け入れられるという人はその事自体を話題として話す事は基本憚り、ある程度の棲み分けをしなければなりません。何故ならそういったエロ話をする事自体が人からの顰蹙を買うものであるという事を心掛けておかないと、人とのトラブルにも繋がりかねませんからね。

僕は高木さんのR-18作品は普通に見れるし、何ならその昔、カップルの営みと称して官能小説も書いたことがある。でも大抵の人がそういう二次創作を受け入れられる人ばかりではないというのは肝に銘じているし、だからこそこういった話は基本表沙汰にする事はなかった。では何故今になって急に書く事にしたのか?と言うとこのブログで世界一需要のない話を書いてやろうと思い、思いついたのが普段誰にも言ってなかった性癖やエロ話といった類だった。おかげさまでこれを読んでる人の何人が「こいつヤベェやつだ…」と思って引いているのか?そう考えるとなんだか少し興奮してきますね(笑)(ヤバい)

 

最近、新たな性癖に目覚めそうです

ここ最近、pixivを漁っている中で僕はある作品を見つけました。

「りゅーくんとこころくん」/「をい塚」のシリーズ [pixiv]

唐柄市に住む中学生の青山りゅうのすけくんと広瀬こころくんが中学校で出会い、交流を深めていく中でこころくんの心の問題である自己肯定感を高めながら、将来的にりゅーくんと恋人になるシリーズとなっておりまして、これはジャンルで言うと「BL」に当たります。

今まで自分はBLといったジャンルに興味がありませんでした。今までNL(ノーマルラブ)で尊さを満たしていた部分が強かった事から、BLや百合といった要素に対する魅力をそこまで感じず、萌える事はあまりありませんでした。しかし、このをい塚さんが描いたりゅーくんとこころくんシリーズを初めて目にした時、それはそれは大変な衝撃を受けました。

をい塚さんの描くりゅーくんとこころくんがとにかくまぁ可愛いて可愛くて!尊み120%超えだったんですよね…!何がそんなに良いと思ったの?と聞かれたらそれはもうとにかく読んで!としか言いようがないのですが、1つ言えることがあるとすれば、人としての純な優しさや慈しみのあるりゅーくんの人柄にとてつもない大きな魅力を感じられて、それに対して次第に惹かれていくこころくんのいじらしくもドギマギしていく様子に共感を得られるところがありまして、どちらも魅力的な要素を持った少年であることが素晴らしく良くてですね。

オマケにそんな作品を描くをい塚さんの絵柄がとにかく可愛らしくて、何を見ても尊い、特に恋人になったであろう2人が取るスキンシップや愛し合っていく様子の何もかもが神聖さを感じられて素晴らしく良いんですよね…!!!そこには確かな人間の恋模様というものが生まれていて、そこに男女であるとか、男同士であるとかの性別の垣根は無いとそこで初めて感じる事が出来ました。つまり人を好きになる事、その先に見える真の愛に性別は関係ない。そういう事です。

実際こんな気持ちになるのは初めての事でして、さして興味のなかったBLでここまで尊いと感じる事はありませんでした。そしてこの作品を見つけた事によって僕はをい塚さんがこれまで描いたりゅーくんとこころくんシリーズはもちろん、過去に描いてきた作品の全てを余すことなく見ては楽しみ尽くしまして、その作品を一つ一つ見ていくのに夢中になったあまり、夜11時ぐらいにをい塚さんの作品を見つけてから全ての作品を見終わる頃には朝になってしまっていました(笑)

それぐらい、をい塚さんが描いてきた作品の全てに夢中になり、僕は「この人を全力で支援したい!」と思い、pixiv FANBOXは即加入、これまで発売しているBOOTHの作品もブーストを掛けて購入、あまりにも好き過ぎてをい塚さん本人に直接メッセージを送ってしまうほど、僕はこの方の作品に夢中になりました。

この時覚えた尊さの衝撃は僕が初めてからかい上手の高木さんの作品を読んだ時と似た感覚を覚えていまして、それぐらいこのシリーズ作品には尊さを覚えてしまうぐらいのパワーがあるのです…!

おかげで僕はBLというジャンルに大きな魅力を感じるようになり、FF16でディオンとテランスがBLである事に対しても尊さを覚えてしまいました(笑) それぐらいをい塚さんが描いているりゅーくんとこころくんシリーズから感じる尊みの破壊力の高さは計り知れないという事なんでしょうね!(笑)

というわけでをい塚さんの作品をみんなも見てください!もう本当に何もかもが素晴らしいですから!!!(熱い宣伝)

pixiv → をい塚 - pixiv

pixiv FANBOX → をい塚|pixivFANBOX

BOOTH → うずむし増殖地 - BOOTH

ポイピク → をい塚&apos;s Poipiku | Illustration&more Box [POIPIKU]

 

 

というわけで、つらつらと長らく書いてしまいましたが、世界一需要のない話を終わりにします。

あ、いやでもをい塚さんの紹介は超絶意義のあるものですからみんな見てってくださいね!(笑)

 

ここまで長々と失礼しました〜🙏

ではまた👋

 

 

 

 

 

*1:そもそもそういう痛々しいシチュエーション自体が嫌いな為

LEVEL UP!25→26

 

皆さん、誕生日は好きですか?

僕はどちらかと言うと…好きな方に入ります

でもいつか誕生日を迎える事が憂鬱になる、そんな時が来るのかもしれませんねぇ…

 

と、いうわけでいつもとは違う前置きで始まりましたがタイトルにもあります通り、私は今日で26歳になりました。

僕もとうとう20代の後半に差し掛かって来たんですねぇ…。年齢と言えば、僕が一昔前のその当時ハマっていた「からかい上手の高木さん」という作品のファンコミュニティをキッカケに出会い、今でも付き合いのある友人2人がいるのですが、出会った当時の頃の年齢が18歳(友人A)、21歳(僕)、24歳(友人B)だったので、あれから5年も経ったって事になるんですよ!ヤバくないですか!!?でもまぁそんな事を言ってても20代である事に変わりはないので、自分たちより年上の世代の方からは「まだまだ20代なのに何言ってんの」と言われるのが常、それに今は人生100年時代なんて言われる時代になってるみたいですからねぇ。それに当てはめて考えるとまだ人生の1/4を過ぎただけでしかないわけで、人生を悟るにはまだまだ早いみたいです。下手したら僕が40代になる頃には医療の発展で延命治療だとか身体的若返りの方法を編み出して人生120年時代って言われるようになったりして(笑)

でも僕は思うのです、いくら「今はまだ20代だから」…といって油断なんかしていたら、自分は何者にもなれないまま30代、40代を迎えてしまうのでは…?と危惧しています。といいますのも、僕はこの歳にして初めて本気で目指したい、叶えたいと思える夢が出来ました。それは職業に関する夢になるのですが、その志を抱いたこの時点で僕は26歳、夢を叶えるための努力をするのに例えば2年の時間を費やすとしたら、その夢が叶う頃には28歳になる。世の中の一般社会では早いと高校卒業後から働くための就職先を決めて、18歳にして労働を通じた社会経験をする事になる。大卒であっても22歳から社会経験をスタートさせるのでこの時点で4年ものブランクがある。オマケに高卒、大卒そのどちらであっても就職先を決めるまでの間に社会でやっていくためのスキルは学習しているはずで、それなりの備えは準備できているはず。

方やこちとら高校卒業後に決まった就職先は障害者の集まる就労継続支援施設で、最初のB型施設で3年、現在のA型施設で利用者として働いてからもうすぐ5年、合計8年の月日が流れた事になる。もちろんそこで経験してきた社会経験そのものが全くもって無駄という訳ではないのだが、僕が目指そうとしている職業は今の仕事内容からは遠くかけ離れたもので、それに関するスキルも経験もノウハウもない。まさにズブの素人と同じ状態になっている訳でして、それを乗り切るための学習努力を今からでもしようと考えている訳なのですが、世間一般の学生さんが学校生活を送る中で、ひたすら社会に出るための勉強と努力をしたその上で将来の就職先を決めて働き出しているというのに、僕は僕が経験したことのない異業種に対する挑戦をしようと志したその時点で26歳……

夢を抱き、志し、それを目指そうとしていくのに20代後半というのはいささか動き出すのが遅いのではないか?と思うわけなのです。

いやもちろん世の中には昔から叶えたかった夢を叶えるために"40代で脱サラして努力をした末に成功した"って人も中にはいらっしゃるとは思うのですが、何かを叶えたい、夢を目指したいとする努力をするのに動き出す年齢は早いに越したことはないのではないのかなぁ〜と、そう思うんです。世の中には自分の子供を才ある子供に育て上げたいが為に、幼少期の頃から英才教育を叩き込むママさんだっているわけですし。そういう早いうちからストイックに努力をしてきた人の方が最終的に得られる能力の高さは段違いにある訳でして、そういう意味合いで言わば"周回遅れの人生"を歩んできた僕が果たして自ら抱き始めた「大手企業の特例子会社に勤める」という夢を叶える事が出来るかどうか?正直不安な気持ちでいっぱいな所がまだまだあるんですよね…

でもまぁ、何かを志したり努力をするのに歳だとか早い遅いは関係ない!って言いますしね(笑) 本気であれば頑張れる。元気があればなんでも出来る。その事をモットーにこれからも自分の好きな事を楽しみながら生きていきたいです😊

 

そんなこんなで人生の新たな目標が定まった僕は今日、毎年恒例となった美味しいものを食べに行きました😋

f:id:Gameslifeisff:20230714143336j:image今年の3月4月に観に行ったFFX歌舞伎をキッカケに知り、毎月行くのがもはや恒例となった東新宿にあるスタンディングカレースタイルのカレー屋のサンラサーさん。今日は久々のわんぱく(あいがけ+炙りチーズ+アチャール盛り)にシン無水チキンカレーを乗せて贅沢に仕上げてもらいました😊

 

f:id:Gameslifeisff:20230714152127j:imageその後、久し振りの来店となったスクエニ本社お膝元のカフェARTNIAへ


f:id:Gameslifeisff:20230714152134j:image
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f:id:Gameslifeisff:20230714152138j:image今回の目的である常設メニューのいちごのパンケーキとキャラメルカプチーノを頂きました🍓😋🍓

ラテアートに描かれたモーグリが可愛過ぎて飲むのが勿体なかった…!一生見ていられる…🤤

ゆったり落ち着いた空間の中で広がるARTNIA店内でのファンの交流が紡がれる様子は見ていてとても癒される場所となっており、ずっとここに居たいと思うぐらい居心地の良い所で、流石10年以上の運営が続いたスクエニファンの聖地だなと思わされました😊

久々のパンケーキもとっても美味しかったです😋


f:id:Gameslifeisff:20230714152130j:image締めはスライムベスのジュースを頂きました🍹

 

今日一日で多くのフォロワーさん、友人、知人から誕生日を祝って貰えました🙌

皆さん本当にありがとうございます(*・ω・)*_ _)ペコリ

人生はまだまだこれから!弱冠26歳の若輩者ではありますが、FF好きの僕をこれからもよろしくお願い致します!🙏

 

本日はどうもありがとうございました!!!

また次の記事でお会いしましょう!

 

令和5年 7月14日 ニホンバト

 

 

 

 

 

【重大報告】夢が出来ました

 

お久しぶりです。ニホンバトです。

今回は普段のありふれた日常を気ままにお伝えする日記的なものではないのですが…皆様にちょっとした報告がございます。

 

それは夢ができた事です。

 

そしてその夢は……

 

とある大手有名企業の特例子会社に就職する事です。

 

夢を持ち始めたこれから

僕は軽度の知的障害を持った障害児、障害者としてこれまで25年以上の人生を生きて来ました。

しかしながらその25年間を生きている中で、僕は将来叶えたいと願う大きな夢や目標というものを一度も持った事がありませんでした。家庭環境の問題や経済的理由の問題など、幼少期の頃から夢を持てるような余裕のある環境ではなかったのは確かでしたが、それ以上に僕は目の前の人生、つまり目先の目標や目的を叶える事に手一杯で、しかも今の現状に対して大きな不満もなく、満足度が高かったが故に、夢を持つという発想自体がありませんでした。

小学生の頃、学校の卒業アルバムの制作過程で「将来の夢を書きましょう!」という課題が出された時、僕はなりたいと思う夢、叶えたいと思う夢がなかったが故に大いに悩み、悩み抜いた末に"電車の運転士という本気で思ってもいない漠然とした夢"を書いて提出してしまった事を思い出しました。

それぐらい僕にとって夢というものは容易に想像出来るものではなく、憧れや、なりたい職業というものも思いつかなかった事からこれまでの僕は安定志向で現実主義で、そして日々繰り返されているライフワークがある現状に満足してるもんなのだと思っていました。

しかし…そんな僕にも人生を賭けてでも本気で叶えたいと思える夢が出来ました

その夢を叶える為に、僕は現実社会で生きるための修行(訓練)を受けようと考えています。もう少し具体的に言うと就労移行支援事業所という障害者の人が一般企業に就職をするのに必要なマナーやスキルを学習できる訓練校のようなものがあり、僕はそこで教養を学んでこようと考えています

 

あまり大っぴらに語れる事ではありませんが、僕は中学2年の夏〜高校卒業直前の4年近くもの間不登校をしてきた少年でした。その間で学ぶことが出来る教養や体験を受ける機会は失われ、何の学びも交流もできないまま高校卒業を迎える事になりました。

ですが、自分自身がしてきた行いに対する将来の危機意識を持った僕は「今からでも働くための就職先を見つけたいです!」と担任の先生に話し、何とか職業体験をして、卒業後に就職するためのアテを見付けられたのはどん底期の中では唯一良かった事でした。

そこから少しずつ、少しずつ労働を重ねて行き、新たな事業所(現職)に転職して、そこからもうすぐで丸5年を迎える事になります

障害による知能の発達の遅れと、そこから来る精神年齢の低さによる心の乱れといった不安要素も、歳を重ねていく事で少しづつ改善されていった所があり、人生のどん底*1だった中学〜高校時代の頃の自分と比べると圧倒的に大きく成長し、成熟して行った気概を今になって感じています

そこから今度は就労移行支援施設の利用で更なる修行をつけ、将来叶えたいと思う夢に向けて挑戦をする…叶えられれば理想的とも言える人生の道を歩む事ができると思いますが、当然そこに至るまでには、これまで以上に厳しい試練に耐えなければならない事もあるでしょう。

夢を叶えるために、これまでしてきた自分の好きな事を制限する必要も出て来るかと思います。下手すれば自分の好きなゲームをする事さえ封印しなければならないかもしれませんし、新しいグッズを買ったり、イベントに行くといった推し活も出来なくなると思います。しかしそれでも僕は夢の実現のために頑張ってみたいのです!

一昔前の僕だったら怖くて挑戦できないと、しりごんでいたかと思います。しかし今の僕だったらやってやろう!という気持ちが強く、大きく出ています。

 

決して楽な道のりではないとは思うのですが、僕は挑戦してみたいのです。自分自身にどれだけの可能性を秘めているのか?そして、どこまでできるのか?

その理想、そして夢を叶える為に僕は最大限の努力を惜しまないつもりです。

なのでこれを読んでいる皆さん、どうか応援して頂けるとありがたいです!!!

 

僕の人生を掛けてまで挑む挑戦を見届けてくれたら幸いです…!!!

 

ここまでお読み頂きありがとうございました😊

 

 

*1:と自分では勝手に思っている

6月に入りました

 

こんにちは、ニホンバトです。

いよいよ今年も6月に突入しましたね!

 

世間一般にとっての6月はかつて1年の中で唯一祝日がなかった月*1な上に、梅雨に入る事によって毎日を生きるのにもブルーな気分にさせられる…そんな月であるかと思います。

しかし、我々ゲーマーにとっての6月はむしろ1年の中で一番熱いと言えるかもしれない盛り上がる月になっておりまして、例年であればこの時期にゲームの祭典であるE3が開催されて……いたのですが、残念ながら今年のE3の開催は中止となりました(チーン)

コロナ禍に於けるリアルイベントが世界的に規制を掛けられていた事で開催が難しくなっていた中、数年前から少しずつ着手し始めていたオンライン放送の配信による利便性の高さと、話題作りの為の対費用効果がリアルイベントのそれを上回るようになっていた事で、ゲーム情報の解禁はオンライン配信がメインに成り代わりつつあったのもそうなのですが、それとは別に毎年E3が開催される時期になってくると"リーカー"と呼ばれる未公開の情報を何処ぞの情報筋から取得してネタバレとしてバラすというクソみたいな所業をする輩*2が出てきてフラゲ&ネタバレ祭りみたいな地獄絵図になっており、ゲームメーカーとしてもこのE3へ出展で自社の情報を勝手にリークされるぐらいなら、不参加にして自社のオンラインイベントを開催した方が良い……という事になっていまして、ここ数年ではE3離れという現象が起きていました。

毎年この時期になると各ハードプラットフォーマーがE3内でショーケースのような大型イベントを開催して、そこでゲームの新たな新情報をお披露目して盛り上がる…というのが主流としてあったのですが、今のご時世それは自社のオンライン配信で事足りる事になり、E3で発表する事の必然性が薄くなっていました。

そういった様々な要因があった事から数年前にはSIEが先に不参加の表明をし、次に任天堂、MSと次々とハードプラットフォーマーの不参加表明が出されました。今年はそれに加えて大手ソフトメーカーの不参加表明も次々と発表された事によってE3に出展するメーカーはほぼおらず、もはやE3は開催する意味が無いぐらいボロボロ、おかげで今年の3月早々からE3の開催中止が決定されました。

かつて東京ゲームショウやドイツのGamescomと並ぶ三大ゲームイベントと呼ばれただけの輝かしい栄光は今はそこにはなく、全て自社のオンラインイベントで間に合うという事になったこれも時代によるものなのかもしれませんね……個人的な事を言えば人生で1回ぐらいはE3に一般参加してみたかったというのが強くあります。

しかしコロナ禍を経験したことによってオンラインの必要性の強さも知っているので一概にリアルイベントじゃなきゃヤダ!とは言えないのもよく分かります。寂しい所が強くあるのは否めませんがね…

 

しかし!そんなE3に変わる新たなイベントが今年の6月に開催されようとしています!それがSUMMER GAME FESTです!このイベントはコロナ禍を理由に開催中止となったE3やgamescomに代わるイベントとして開催されたゲームの新たなイベントで、2020年の初期と2021年の頃はまだ荒削りなところもあったのですが、2022年は多くの大手ゲームメーカーの参加を取り付け、盛り上がる発表を見せた事で着実に毎年恒例のイベントとしての地位を確立しようとしており、だんだんこのイベントに対する注目度も集まっています。

そして今年2023はより多くのハード&ソフトメーカーの参加を取り付ける事が出来ており、SIEやMSも招致しており、更に国内外問わず多くの大手ソフトメーカーが参加しており、大変大きな期待ができそうな参加ラインナップとなっています。

今年はどんな大きな発表が待っているのか…ユーザーとしては注目せざるを得ないイベントである事は間違いないですね!!!

 

というわけであと10日ちょっとほど待つ事になると思いますが、どんな盛り上がりを見せてくれるのか?そこら辺の期待感も込めてイベントの開催を待ちましょう🤗

 

短い記事となりましたがお読みいただきありがとうございました😊

 

 

 

*1:現在は現天皇陛下皇后様が変わられた事により、天皇誕生日が変わった事で12月も祝日が無くなりました

*2:海外ではこういったフラゲ&ネタバレを勝手にする事に対しては寧ろ好意的に受け取られてる側面が強くあるらしく、ネタバレを嫌う&サプライズ感が損なわれる事を残念に思う人が多い日本人のそれとは全く違う感性である事がよく分かります。