ポッポ屋日記

日記的なブログにしたいです

青空

 

ご無沙汰しています。

あれから2ヶ月近くの月日が経ってしまった。8月の丸々1ヶ月の間、リアルでは行事やお出かけによってそこそこ楽しい思い出が出来たりもしたのだが、それをこのブログで報告する事もなく、8月は1つも記事を残さないという初投稿日〜2記事目の期間が空いた時以来の不名誉な記録となってしまい、ここまで3年以上続いてきた月一更新の記録も途絶えてしまった。

とはいえ、実を言うとここ最近の僕はブログを書く事に対して"若干億劫になりつつあった"というのもまた事実で、絵師の人が絵を描いてても上手く筆が乗らない上に、そもそも描き始めるまでの気力がないというスランプに陥りやすいのと同じように、最近の僕自身もまた自分のブログに向き合う為の気力が削がれていたというのもあって、下書きを書く気すらなかった。

そもそもの話として普段から刺激的な毎日を送ってるわけでもなければ、非日常的なイベントを楽しんでいるわけでもない平凡な人生を送っている人が、身の回りで起こった出来事や事象についてをネタにして書こうとしてもそれができるのはせいぜい月1~2本までが限度だよなぁと思うわけで、あと作れるものと言えば過去を振り返ったり自分の趣味趣向を述べる自分語りだったり、世間一般で起きている事象や話題になってるモノに対して自分の物差しで計った価値観で話すコメンテーター的な記事だったり、自分が少し前まで書いてたようなゲームのレビュー系記事だったり……と、やりようによっては定期的な更新(週1~2ぐらい?)はできそうだけど、毎日更新するのってめちゃくちゃ難しいよなぁ〜と思うんですよ。

アフィリエイトによる広告収入で収益化していたり、人気ブロガーと呼ばれる人は日々何かしらの記事を更新してはそれを途絶えさせないように努力をしているみたいで、すごいなぁという尊敬の気持ちを持つと共に「僕には絶対出来ないな」という謎の自信に満ち溢れているわけなのです。

そもそも僕がこのブログを始めたキッカケも「自分がかつてそこに居て、生きていた証を残したい」という動機から始まっており、ある種の「備忘録」的な意味合いの方が強いんですよね。だから極端な話、このブログが誰からの注目を浴びなくなったって構わないし、収益化する気だって微塵もない。にも関わらず最近では頼んでもないのに僕のブログ記事の本文の間にWeb広告リンクが挟まれるようになっていて、僕のブログにそれなりのPV数(アクセス数)があるから広告が貼られるようになったのかしら?て思うんですよね。…て事はもしかしたらやろうと思えばこのブログも収益化申請をする事ができるのかもしれない。でも更新頻度は月一しかない上に、人気ブロガーと比べてアクセス数に雲泥の差がある僕のブログ程度じゃ、収入も月10円行くかどうかだろう。そんなんじゃ駄菓子のコーラガムすら買えやしない。

収益化申請をして更新頻度を毎日にして炎上商法に手を出せばそれなりの収入になるのかもしれない…が、そこまでの労力と危険を犯してまでやるべき事か?と言われると甚だ疑問でしかないので、やはり月1~2で色々ボヤく程度にだべってるぐらいがちょうど良いなって思うわけなのです。

そんなだべりすら8月は更新されなかったんですからよっぽど億劫だったんだなぁ〜と。

 

とゆーわけで前置きが長くなってしまいましたが次からは本題です。

最近目次の作り方をようやく理解する事が出来ました(運営4年目なのに遅!とは言わないでw)

主に青空の事とか、SNSから離れてうんたらかんたら〜みたいな内容です。どぞ💁‍♂️

モク~ジ↓

 

Blue Skyに移ってから起きた変化

7月末日に主なSNSの活動の場をTwitter…もといXからBlue Sky(以下青空と呼称)に移ると宣言をしてから2ヶ月近くが経った。

2ヶ月近くの時を過ごしてきた中で僕の心境にもほんのわずかばかりの変化が起きた。今日は青空に移って良かった事を中心に話していこうと思う。

 

良かった事その1「心理的ストレスが大幅に減った」

やっぱ一番はこれっすね。SNSを見ててストレスを感じないのが何より良い。Xの引退宣言をした後、Xは情報取得をする為だけに鍵垢だけ利用する事にした。そこの鍵垢では人との繋がりという繋がりは殆ど存在せず、特定の本当に信頼出来る一部の人を除いてフォローしてるのは殆ど公式垢しかない。

そして青空の方はというと、未だに招待制である事は変わっておらず、元から移行する為のハードルが高いためか、Xから流入&移行してきた人はほとんど居らず、知り合いもほぼあまり居ない状況。つまりXの引退によってニホンバトのアカウントで繋がっていたほぼ全ての繋がりを手放した事になるのだが、多くの人との繋がりが一気に無くなったその分、一喜一憂する事象やニュースを見る機会も大幅に減った。

特にゲーム界隈から自分の身を2、3歩引いた状態にした事は本当に良かったと思っている。

ゲームという趣味を楽しむ時、これまでの僕は大抵1人で楽しむ事の方が殆どだった。それがSNSというツールの中の"ゲームという名のコミュニティ"を通じて色んな人と出会い、価値観や趣味を共有しては次第に人と共にゲームを楽しむようになっていった。

そういった中でゲームを通じたコミュニケーションのディスカッションにより、ゲーム仲間が増えて色んなゲームの話をして盛り上がるようになった。正直、ゲームのプレイを通じた楽しさや面白さを発信して一緒に楽しむ事で盛り上がるのはとても好きだ。でもゲームのプレイとは直接関係のない"ゲーム関係の事象やニュースに関する話を一緒にする人"は選んだ方が良いとも思った。

 

話は変わるが、日本は世界でも数少ない無宗教国家だとも言われている。世界230ヶ国以上ある国の中でそれぞれが国を挙げて信仰する特定の宗教というものが決まっており、決まってキリスト教イスラム教、ヒンドゥー教が大多数を占め、残りが仏教や土着宗教を信仰する中、日本は国家を挙げて推し進める宗教もなければ、国民全体も特定の名目の宗教に信徒する人は殆ど居ないと言われている。

だが日本は政治に一切興味のないノンポリとは違い、特定の宗教に信徒していないからといって信仰心そのものが一切ない訳では無いと僕は個人的にそう思っている。何故なら特定の宗派というものに傾倒していなかったとしても、日本のありとあらゆる地域には大なり小なり神社仏閣があって、そこにはそれぞれの地域に根ざした神様が祀られており、人々はその神様や仏様、眷属である狛犬様に対して祈りを捧げ、時には望みを乞い願う事もある。

神様というものの存在を信じるのか?信じないのか?は別として、そういった神社仏閣と神様仏様に対して大抵の日本人は無条件で敬い信仰する事がある。悪い事をしたらバチが当たるといった恐れを抱いたり、験担ぎによって先の成功を祈るといった科学的根拠に基づかない理論であったとしても、そういった"モノの存在"が人の心にある一定の影響を与えているのは確かであり、心の拠り所にしている人もいれば、良い事があったら信じるといった程度で気軽に捉えている人もいる。

重要なのはそのどちらも自然的時節によって生まれた神様の存在を信じている事であり、すなわち信仰をしている事。日本人がキリスト教を始めとした特定の絶対神唯一神といった存在を信徒する事に対して抵抗感はあるが、自分の身近に存在する特定地域の神様や、旅先で祀られてる仏様のような「いつ生まれ、祀られるようになったのか?」の時期が不明だったり、バラバラな神様であったとしても、ある程度の信仰心を持ち合わせている事は確かであり、その存在を概ね信じている人が多いのはそういう事なのかもしれない。

そういうのを「自然宗教」と呼ぶらしい。

確かに日本には八百万の神という言葉が昔からあるように、万物には神や精霊が宿るとされ、ありとあらゆる種類の神様がいると伝えられてきている。更にこの現代に於いて神と称して慕うものや、敬うものの対象は伝承として伝えられる神様だけに留まらず、特定の人物やグループ、作品、特定企業といった一個人、一企業、一作品に対しても神聖視するほど広く多様性を持つようになっており、そういった尊敬や憧れから来る神といった扱いは名称としては軽く捉えられがちではあるのだが、中には特定宗教に信徒するのと変わらないぐらい深い思い入れと強い信仰心を持って接している者もおり、日本は無宗教国家ではあるものの、こういう点に於いて宗教気質な部分があるのは世界の国々と大して変わらない所があると僕はそう思っている。*1

それをもっとカジュアルにしたのが最近流行りの「推し」という言葉であり、よりディープになると「カルト」になるんだと思われる。

ここまで長々と信仰宗教という文化について語ってきたが、つまり何が言いたいのか?というと、日本のゲーム界隈というのは総じて宗教的になりやすいというのが大きくあると思っていて、それが時には過激なカルト思想にまで発展する恐れもあるという事に留意しなければならないと思う所だ。

 

世界には昔からCS機のプラットフォームホルダーとして展開してきた3つの企業がある。日本の任天堂ソニー、そしてアメリカのマイクロソフトだ。これら3つの企業は同じゲームという娯楽文化の業界を席巻する企業である一方で、その市場経済を巡って争っている点もあり、指針として分かりやすいのが自社ハードの普及率とそこから来るゲームソフトの売上の高さやDL率といったものがしばしば話題として上りやすいだろう。

これら3つの企業が切磋琢磨という形で互いに刺激されてより良いものを作ろうと努力してくれれば一番良いのだが、昔からどのプラットフォーマーもきな臭い動きをしてライバル企業を蹴落としたり、出し抜いて独走をしようとしている点がある事が少なくなく、そういったビジネスバトルの結果がユーザーのゲームをプレイする時の環境や選択に大きな影響を与える事も時にはあり、「それがユーザーの為になるのかどうか?」と言われると、立場と見る視点によって答えが大きく変わるので、一概に答えが出せるものではないから回答が難しい部分もあるのだが、少なくともポジティブに捉えられる事はあまりなくて、そういった話題が出る度にそれぞれのプラットフォーマーのファンやユーザーはそれそれが持つ価値観をぶつけ合う事で争いの火種になってしまう事も少なくない。

そこで先程話した信仰話に繋がってくるのだが、こういった3つのプラットフォーム企業には総じて信者という者が必ずと言っていいほど存在しており、しかも信者と言われる人の大抵が自意識過剰の過激派で異教徒(ライバル企業とそのファン)を許さない傾向があり、自分の愛する企業の良さを唱える事よりも異教徒とそれに付随する関連企業の悪い点を醜く、そして声高々に伝える妨害活動にばかり力を入れて勤しむ暇な人が多いみたいで、更に自らが崇拝する企業と自分を自己同一化してしまっている人がいるのもまた問題で、愛する企業の悪口を言われる=自分の悪口を言われたかのように捉えて過剰に怒り出す者もいたり、ほんの冗談のつもりの軽めの言葉であったとしても、信仰する企業に対して向けられた言葉に対して過敏になるなど、深く思い入れを持ち過ぎた特定ゲームメーカーの信奉者に関しては良かったという話をあまり聞かない。

それどころか、そういった過激派信者が悪目立ちするせいで、そのプラットフォームやメーカーに対する一般ピープルからの大きなイメージダウンに繋がってしまっているという事の方が多く、しかもタチが悪い事に決まって過激派信者はそれが自分のせいであるという事を全くもって自覚していない。

僕も昔からスクウェア・エニックスやFFを愛する信者だと自称はしているが、スクエニの成すありとあらゆる事業や活動の全てに対して肯定している訳では無い。企業の体質としておかしいと思った点があれば、それは少しおかしいんじゃないか?って疑問を持って普通に言う事だってあるし、時には失望めいた気持ちを抱く事だってある。基本的に好きな姿勢である事に変わりはないが、例え思い入れの強い所であったとしても良いものは良い、ダメなものはダメだとハッキリ言えるようなスタンスでなければファンとして健全ではないと僕はそう捉えている。

企業の姿勢として悪手である事に目を瞑ったり、世に出した作品で看過できない悪点があっても、それに対して一切言及せずに褒め称える事しかしなかったらそれはもう既に危ない信者でもあるし、そういった点を普通に指摘する人に対して怒りだしたらその時点でアウトな過激派信者

逆に企業のやること成す事全てに対して全否定をし、世間から褒められている点に対してもこじつけるかのように悪点として変換して炙り出そうとする者がいたらそれはファンでもなんでもないただの作品&特定メーカーに対するアンチ

どっちにしてもタチが悪い存在であり、そういった人達に関わってしまう危険性が常にあるゲーム界隈というものへの自分との距離感は常に気を配らないといけないと強く思う所があった。

僕はこれまでTwitterをやっている中で任天堂ソニー、MSそれぞれの過激派信者という存在を目にした事があったのだが、どいつもこいつもどうしようもないぐらいクソみたいな人達ばかりで、贔屓するものにはとことん甘く、異教徒に対しては超絶厳しい…というか厳しいを通り越して嫌いになっている。そういった人達の発言は大抵見る人の気持ちや読む人の気持ちを考えていなくて責任感がない。中には人としての感性を疑うぐらい常軌を逸した発言や行動をする人もいたので、普通のゲーム好きの人はこういった過激派信者に関わるのは危険だし、出来ることなら関わらない方が良い*2

こういった人達は総じて「ゲハ」という言葉で括られるネット上に生息する人種であり、昔は2ちゃんねる(現5ちゃんねる)といった匿名掲示板や○○○ー○○報、○○○○稿*3といった悪質なアフェリエイトサイトのコメント欄だけに留まっているものが多かったのだが、最近ではTwitterのようなSNS上にも普通に現れるようになっており、ゲームメーカーのツイートのリプ欄にはぶら下がるように過激な発言や物言いをしてくる人がいたり、特定のゲーム界隈の話題に対して個人の意見として言及していると、その意見や発言に対して目を付けられてウザ絡みしてきたりと、とにかくタチが悪く、ゲーム界隈の界隈としての健全性が近年急速に損なわれつつある事を僕はかなり問題視している。

普通にゲームそのものに対する世間からのイメージダウンに大きく繋がる事になるし、業界や界隈内部で瓦解が起きているとゲームと関わりのない他者や異業種の団体からの差し金でゲーム内容に対する理不尽な規制を食らわされかねない事だってある。

この世の中はいつだってゲームという存在そのものを潰そうと躍起になっている業界や団体というものが常に居て、そういった人達からの理不尽さに立ち向かわなければならないのにも関わらず、同じゲームという趣味娯楽を愛する者同士で泥沼の争いが絶えないような現状のままであればいつかゲームという娯楽そのものが規制で無くなってもおかしくないなと思うところがある。

 

そして僕はそんなゲーム界隈というものそのものに深く関わり過ぎてしまったせいで精神的に疲弊する事になってしまった。

ゲームを楽しむ人のみんながみんな常にゲームのプレイを通した話題をする事ばかりではなく、ゲーム業界のニュースや一個人のバズった発言に対して何かしらの言及をする人だっている。そういった発言自体は過激なものでは無いが、間接的にゲーム界隈の負の側面に触れる一端ともなる。近年ではゲーム関係に関わりのある人のフォローを増やしてそれらで構築されたタイムラインをずっと眺めていたのだが、どことなくみんなゲハ的な話題に触れる事がちょいちょいあって、それを見る事で間接的に嫌な気持ちになる事も決して少なくはなかった。

完全自衛するためにはその人をミュートにするしか方法がなく、それも出来ないまま無作為に流れてくるツイートを見続けた結果、精神疲弊からゲームそのものを楽しめなくなってしまいそうになった事もある。このままでは僕自身がゲームを嫌いになってしまいかねない。だからそこから逃げるかのように僕はTwitterを辞めて繋がりの殆どを断ち切り、青空に引きこもるようになった。

そのおかげなのか、最近はゲームを再び純粋に楽しめるようになってきた。

公式アカウント以外からのゲームの情報を殆ど遮断した事によって良くも悪くも色んな声が入ってこない。時には有益な情報を見逃してしまう事もあるのだが、逆に一個人の思想に基づいた価値観や有象無象の批評というものが流れてこない。自分の心に影響を及ぼす人の言葉というものが目に入ってこなくなった事で、かつて誰との繋がりも持たずに一人でゲームを楽しんでいた学生時代と似たような感覚になりつつあるのが今の状況で、もちろんそれでも繋がりを持っている人はいたりするのだが、そういった人達は総じて僕が心の底から信頼している人しか繋がりがなくて、非常に建設的であり、そして健全である。

つい最近、自分がゲーム界隈から離れて正解だったのかどうか?を疑問として人に聞いた事がある。そしたらその人は「最初に述べた楽しいと思う気持ちそのものが答えなんじゃないか?」と言ってくれた。つまり、最近の僕はゲームを再び純粋に楽しめるようになってきていて、楽しいと思う気持ちが強くなってきている。それはゲーム界隈から自分の存在を切り離して距離を置いたからこそ感じられている事で、そういった行動の結果が今の気持ちとして現れている。

つまり…僕はゲーム界隈から離れて正解の人間だった。という事になるわけだ。

 

そういう意味で言えば僕はTwitterを辞めて青空に避難してきて正解だったとも言える。おかげで本当に毎日が楽しくてしょうがない。

いつだって自分の気持ちを優先する事は大事、そう思える顛末だった。

 

良かった事その2「リアルの時間を大切にするようになった」

青空に移った事自体は良いものの、青空は良くも悪くも発展途上のSNSで人の流入も少なく、セッションも入ってこない。だからタイムラインを眺めてても更新される事がほとんど無いからもっぱら壁打ちみたいな状態になりつつあった。

だけど逆に考えるとそれによってSNSの閲覧そのものに対する依存度を大きく減らす事にも繋がっていて、最近ではSNSを見る時間が大きく減っていった。これにより、僕はリアルの時間を大切にする意識がより強くなった

リアルの世界では自分の周囲にいる人たちとどう付き合っていけるかが重要な要素となっている。特に仕事上での人間関係が上手く行ってれば仕事のモチベーションも高く維持出来るし、リアルの生活の充実度も総じて上がる。逆にここが上手くいってないと何をやっても楽しくなく、現実が辛く感じてしまうだろう。

幸いにも僕はリアルの人生でクソだと思うような出来事やトラブルに遭遇した事は殆どない。現状にも大きく満足している。だからリアルを生きる事は凄く楽しいと思ってるし、それなりに充実している。でもSNSから身を切り離すようになってからはそんな当たり前のように生きているリアルに対してより真剣に向き合うようになった。

自分が生きている地域やそこで暮らす人達との触れ合い、仕事での関わり方など、この世界に生きる事の楽しさや良さをだんだん強く感じられるようになってきた。もちろんゲーマーとしてゲームに関わる事を辞めるつもりは無いが、別にSNSとセットじゃなくてもゲームは楽しくやって行ける。

自分が何を選び、何を楽しむのか?の選択は自分の自由だし、自分の思うがままに楽しむ事だってできる。今ある生活、現状を大切にしながら日々を生きられる事に対しては感謝の気持ちしかない。その有難みを強く感じる事ができるようになったのが大きなポイントなのかもしれない。

 

良かった事その3「空をよく見るようになった」

最後の最後になんだそれ!?と思った人もいるかもしれないが、ぶっちゃけ青空に移ってからの僕は本当に空をよく見るようになった(笑)

これは特に意識的にそうしようと思った訳ではなくて、外を出る時、周囲によく目を凝らすようになった結果、空も自然と見るようになったというのが正しくて、意識的により強くなったのは先月末に行った谷岡久美さんのバースデーライブに行ってからだった。

谷岡久美さんはかつてFF11FFCCシリーズの楽曲を手掛けた事のあるコンポーザーさんで、代表曲として「Awakening」や「カゼノネ」「星月夜」等がある。そんな谷岡さんは毎年8月の時期にバースデーソロライブを開催しており、今年は下北沢の小さなライブハウスでピアノソロコンサートを行っていた。

僕は谷岡さんに一目お会いしたいという思いと実際のピアノ演奏曲を聴いてみたいという2つの思いを持ってこのライブを観に来ていた。結果、非常に充実したライブとなっていて満足に終わり、CDを買ったり、ちょっとだけ谷岡さんとお話できたりと、凄くスペシャルな体験をさせてもらったような気がしていた。

そんな谷岡さんの趣味は「空を見ること」で、何気ない風景として身近にある空を眺める事で、その時にしか見えない風景や雲の見せる表情の変化を感じ取る事で癒されたり、時にはインスピレーションが掻き立てられたりと、谷岡さんの音楽活動にも繋がるぐらい重要な趣味となっていて、仮にそれが仕事に繋がっていなかったとしても凄く素敵な趣味だなぁと思っていて、その話を聞いて以降からは僕も意識的に空をよく見るようになった。

するとどうだろう。空は確かにその時その時によって見せる表情が大きく違っており、時間帯による違いだけでなく、天気の影響によって見せる空模様が全然違ったりするので見ていて本当に楽しい。特にここ最近は陽が沈むのが早まり、昇るのが遅くなってきた。それによって出勤時間帯の朝焼けと夕焼けの時間がとても美しく映っており、確かに空を見る事自体がとても楽しく感じている。美しさだけに限らず、雨模様によって曇天となっている空もまた違った姿を見せているから空の気分みたいなものを感じられる。

空に思いを馳せるぐらい心の余裕を感じられるようになった今は本当に楽しくて仕方ないんだな…と

f:id:Gameslifeisff:20230924050527j:image空は今日も青かった

青空に移ってから起きた心の変化はそのどれもが良い方向に導いてくれている。世界最大級のSNSとして運営を続けてきたTwitterはXに変わり、元から混沌化してきていたTwitterはXになった事で更に混沌化の道を突き進み始めている。

ゲーム関係の事が原因で心の疲弊が起きなかったとしても何か別の形で病んで離れる切っ掛けがあったのかもしれないなぁ…と、今となってはそう思うばかりだ。

 

吉田直樹さんの情熱大陸を見て

今年の7月23日にTBS系列で放送された看板番組の情熱大陸、その日のゲストはFF14のディレクター 兼 FF16のプロデューサー*4吉田直樹さんだった。

吉田さんは言わずと知れたスクエニ内の超有名スタッフで、FF14プレイヤーであるヒカセンの間からはしばしば「吉田」の愛称で親しまれている。正直な事を言うと僕はFF14は未プレイ勢なので吉田さんの事や第三開発事業本部については知らない事が多く、その人となりを知りたいという意味でも今回の情熱大陸には注目していた。

番組内ではFF14の新たな拡張パッケージで実装されるバトルコンテンツのテストプレイを通して感じた気になる点や改善点などの指摘をスクエニスタッフに対して指示する場面や、FF14のリアルイベントにコスプレをして登壇をする裏側の様子など、ディレクターとしての仕事だけでないマルチな活動をしている様子が映し出された。

そんな中、番組内のとあるシーンが日本のネット上を大きくザワつかせた。それはエゴサーチのシーン。

先述したFF14のリアルイベントの登壇後、裏側に戻って吉田さんがすぐにした事はスマホを開いてSNSでの反応を見る事だった。イベントで新たに発表となる新情報のお披露目に対するSNSでの反応から感触を掴む事で、その発表が成功だったか否かを判断しており、自分の意図するものがちゃんと視聴者にも伝わったのかどうか?常に振り返りと反省を繰り返す事で、コンテンツの発表の仕方や、ユーザーとの距離感や付き合い方を考える為の要素となっており、メディアやネットという矢面に立たされる仕事をする以上、欠かせない行為になっているんだという。

しかし……エゴサーチから見えてくるものは大抵良い事ばかりではない。

場面が切り替わったそこはスクエニ社内の吉田さんのデスク、そこでは吉田さんがプロデューサーを務めるFF16に対するネット上の反応を掴むために1人のYouTuberが投稿したと思われるFF16に対する考察動画のようなものの中にあるコメント欄を見ていた。

そこに映し出されていたのはFF16に対してハナから期待していないかのような批判コメント、次に映ったのはそもそものFFシリーズに対する嘲りの入った中傷コメントだった。ネット上で度々言われまくるFFシリーズに対する過度な批判や誹謗中傷のコメント。35年以上続いてきた伝統あるシリーズ作品である以上、多くの人の関心を寄せる事になるFFには理不尽な誹謗中傷の声が絶えず、後を絶たない。その中には吉田直樹さん個人に対する誹謗中傷の声も当たり前のように書かれており、吉田さんはそれらを全て読んで把握しているんだという。

「僕が君たち(誹謗中傷者)に対して何か悪い事でもしたのかい?って思うんですよね」

こういったネット上での誹謗中傷に対する耐性はある程度持ち合わせている吉田さんではありますが、こういった声に対してはいつも辟易としており、怒りや呆れの気持ちが常に出てきてしまうんだとか。そのシーンの最後はナレーションでこう締めくくられていた。

 

こういった誹謗中傷の声の大半は日本から書かれる事が多い

 

このナレーションによる締めの言葉が日本のネット上を大きくザワつかせる事となり、この手の日本のネットリテラシーの無さに対する反応が良くも悪くも現れる事になったんだという。(しかも皮肉な事にネット上で)

僕はこのシーンを初めて見た時、正直な事を言うとFFシリーズが常日頃から理不尽な誹謗中傷に晒されているのはず〜〜〜〜〜っと前からそうだったので視聴者の驚きの反応とは逆に少し冷めた感じで見ていたのと同時に、そういったタチの悪い声が吉田さん個人に対してまで波及しているという事実に一番驚かされた。そしてそういった声は日本から発信されているのが一番多いという事実に対してはまぁその通りだろうな」としか思えないのが、僕の思う感想だった。

 

FFシリーズに関して言えば、FFはいつの頃からか新作が発表される度に「こんなのFFじゃない」「FFらしさがない」という定番の文句を皮切りに新作に対して常日頃から誹謗中傷が繰り返されている。正直言ってそういった類の文句は中身の入ってない質の悪い文句がネット上で大量に流布されてるもんだから、シリーズ全体のファンとしては常々辟易とした気持ちばかりになる。

こういった声が出始めたのはおそらく当時最新作だったFF7がPSハードに移行した頃の1997年まで遡る事になるだろうと思われる。あの当時、それまでのナンバリングFFはファミコンからスーファミで展開をしていた事から世間の間でおそらく次のFF7ニンテンドウ64で出るだろうと思われていたのかもしれない。しかし蓋を開けてみれば、FFは7以降からナンバリングタイトルの主要展開プラットフォームをPSハードに移した。理由としては当時から既に技術屋としての地位を確立し始めていた旧スクウェア社がゲームの新たな表現方法にチャレンジしたいという事で、その当時のスクウェアの理想を叶えられるハードは、当時のゲーム機としては革新的とも言える3D描画技術を導入して売り出されるソニープレイステーションしかないだろう…と、スクウェアの思う理想とそれを叶えられるハードとして初代PSが合致した結果としてそうなったと思われる。

一応その当時は後発だったニンテンドウ64でも3D描画技術を取り入れたゲームはもちろんあったのだが、PSで発売されたFF7の同梱ディスクの枚数がCD-ROM3枚組だった事を考えると、FF7のボリューミーな内容を描き切るのに64では力不足だったのは否めないかもしれない。

しかしドラクエと共にその当時の任天堂ハードを大きく牽引する大作ソフトでもあったFFがPSハードにプラットフォームを移した事の衝撃は業界内でも、そしてユーザー間でも大きかったみたいで、FFシリーズが新たなステージにのし上がった事を喜ぶファンの人もいた一方で、任天堂を裏切った」という風に恨みを抱き、以降のFFシリーズに対して理不尽な誹謗中傷の声を唱え続ける声が囁かれ始める事となったのもここからだったかもしれない。

オマケにその当時はちょうどこの時期を境に「スクウェア社が任天堂から関係を断絶された&スクウェア社員は任天堂を出入り禁止にされた」という話が急浮上してきており、それが一般ユーザー層にまで伝わってしまった事からスクウェア任天堂ファンからヘイトを向けられる追い風となってしまったのは確かで、更に言えば家庭用ハードで3D描画技術を取り入れたのは実は初代PSが最初ではなく、厳密に言えばセガが発売したセガサターンというハードが一番最初ではあったのだが、後発で出された初代PSに販売台数では大きく負け越す結果となってしまい、後に出たドリームキャスト鳴かず飛ばずだった事からPSハードの大成功がセガがハード事業を撤退する遠因になっており、その遠因の元を作ったと言われるFF7に対して大きな恨み(もはやここまで来るとこじつけにも近い当て付けなのだが)をセガファンから持たれているのも合わさって、その当時から既にスクウェアそしてFFシリーズは多くの勢力の恨みを抱かれる事になったんだろうと思われる。

以降、FFは新作ナンバリングタイトルを出す度に一定数のアンチから理不尽な誹謗中傷に晒される事になる。FF8ではやれ等身が高くしたから顔がジャギジャギで汚いだの、ヒロインが電波って言われるなどで袋叩きに遭い、FF9では原点回帰を称した事でしばらくの間なりは潜めたものの、FF11ではオンラインである事に対して忌避する声が出るわ、FF12では戦闘システムが難しすぎる、オイオイオでネタにしたり、FF13ではファルシのルシ、コクーンやパージといった専門用語と英語を合わせたネタ文章を作って嘲笑をしたり、初代FF14では根性版と呼ばれるぐらい酷い仕様だった事でFF自体のオワコン化を唱え、FF15ではホストファンタジーとネタにする以上にこれ以上までにないレベルでネット上で袋叩きにされる事となり、それまで何ともなく過ごせてたはずのFF10がある動画サイトの動画から反吐が出るネットミームにされるわ、最新のFF16ではやれ暗いだの完全アクションは嫌だって喚くなどでもううんざり!!!!!🖕🖕🖕

もちろん全てのナンバリングタイトルが作品傾向や方向性の違いからどの作品も万人から完璧だと言われる作品が無いことは重々承知している。しかし事FFに関してだけはあからさまに叩かれ過ぎだし、こういった誹謗中傷の声が息をするように日本のネット上からポンポンと現れるのははっきり言って異常である。しかし日々FFに対する誹謗中傷をする彼らは何故そういった行動をしており、その行動原理はどこから来ているのか?最初にお話したゲーム界隈の話を思い出して貰えれば分かると思うが、大抵そういうのはゲーム界隈の宗教資質な面から来ているものが多い、…て、ほらめんどくさい!!!!!

こういう恨み節を抱く一部の声だけはデカい層が日々FFに対するネガキャンをしてきたせいで、日本のネット上でのFFに対する扱いはだんだん酷くなってきているのを僕は感じていて、「FFだったら、スクエニだったら何を言っても良い」「ネタにしても良い」「悪口を言ったって平気」そんな日本の悪しき風潮がネット上で蔓延っているが故にこうなっていると僕は予想していて、その誹謗中傷をする発言が今のFFを愛するファンの心を傷付け、褒め称える声を塞ぎ込ませてしまっているという事を彼等は実感してないだろうし、下手すりゃ罪悪感すら感じていないんだろう。ネタにする人だってそうだ。ネタにするのは大抵殆どが「その作品をやった事の無い人」が殆どで、ちゃんと作品をしっかりプレイして楽しんできた人で思い入れが強くあればあるほどそんな風に簡単にネタにしようなんて思う事はないはず。

過去の作品にしか触れた事のない、もしくは全く触れた事がなくてさらさら興味もないエアプが、FFに対する話題でネガキャンをしたり、ネタにしたりしてる今の状況ははっきり言って地獄だと言わざるを得ない。だから健全なFFファンであればあるほど、そういった話題に関わらないようにするために目立たないようにしたり、閉鎖的なコミュニティに塞ぎ込んで内輪で楽しんだりとクローズドなファンが増えて行ってしまう。そうすればするほどFFに対してあーだこーだと言う輩の声の方がデカくなり、FFを知らない人がその言葉を見てFFに対するイメージがどことなく悪くなる悪循環にも繋がっていく。

そういう差別的な言動をする人たちの行動原理の背景には特定ハードや企業に対する崇拝的なまでの信仰心があって、異教徒を排他する目的でそういう事をしている人がいるのも否めなくなってきているだろう。だからゲーム界隈という世界そのものには極力深く関わらない方が良い。何故ならそういう深淵に触れてしまう事もあるからだ。

熱くなってしまったが、FF自体に対する誹謗中傷の声だけに留まらず、吉田直樹さん個人に対する誹謗中傷の声が出続けているのも、似たような理由を持って勝手に恨みを抱いている人が多いからなのであろう。正直、僕個人としては可哀想な人生を送ってるんやな…としか思えないのが正直な所なのだが、ゲームコミュニティの中には何と、共通した好きなものを語る事を目的に形成されたコミュニティではなく、共通して嫌いなものを如何なる方法を使ってでも強く叩く事を目的に形成されたコミュニティ」も存在するんだとか

そういったコミュニティは自身の思想に似通った価値観を持った人としかやり取りをしない事でエコーチェンバーが働いてしまい、執拗なまでに叩いたり、誹謗中傷をする事の常識の無さに気付く事が出来ず、またそれを指摘する者が誰もいない事でコミュニティの自浄作用も働かず、過激な行動に出る事を躊躇わない無敵の人が形成されてしまう。そういったコミュニティと関わってしまう事が一般ゲームユーザーにとって一番危険な事であり、ゲームの楽しい話題を出す事以外は沈黙を貫くのが無難な現状になってるのが非常に残念な所でもある。

 

吉田さん個人の誹謗中傷にFFシリーズ全体への誹謗中傷、近年ではFF16に対するネガティブキャンペーンも発売前の段階から今に至るまでずーっと延々と続いており、ネットやSNSでFFの事を検索しない方が良いレベルに至るまでネット上でのFFの話題は荒れた内容も流入して来やすい。

もちろんそんなネガキャンにも負けないぐらい褒め称えた声を出して行ければそれが一番良いのだろうが、嫌な気持ちにならないようにするのであればやはり目立たないようにするのが一番なのが現状となっている。

情熱大陸を見て、吉田さん個人の人となりを知れたのは良かったものの、それとは別にFFという作品をこれからも愛していくのならネットとの関わりは絶った方が良いとも思わされた。

 

終わりに

青空に移って必要最低限の繋がりしか残さず、リアルに注視してゲームを深く楽しめる環境を整えた事で今の僕はとても幸せな気持ちになれている。

この現状を選んだ事が正解であるかどうかはまだもう少し時間が経って見ないと分からない。ただ今の時点で言える事としては、Xを引退して以降からは余計な話題が目に入る事もないし、変にネガティブな声も入ってこない。それで幸せだと思える現状が出来ているのなら、ある意味それが一番良い状態だと言えるのかもしれない。

僕はこれからも青空の方で悠々自適にやっていくつもりだ。もし興味のある人がいたら是非青空に来て欲しい。今のXに疲れたと感じたのであれば青空に限らず、避難先を作っておくのは大事な事なので、予備のひとつやふたつは持っておいた方が良いだろう。

だいぶ長くなってしまったが、久し振りのブログ記事だったので書くのがとても楽しかった。

これからも皆さんにとって素敵な毎日が訪れる事を祈っています🙏

 

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

 

 

 

 

*1:最も、その点に於いては海外もまた例外では無い事もあり、キリスト教を始めとした創唱宗教の信仰はしていないが、特定の有名人やグループや企業に対しては崇拝的に愛し崇めるといった信仰をしている人がいるのもまた然りである。

*2:ちなみに目撃した数で言えば「ソニー<任天堂<MS」の順で多かった。特にMSの過激派信者は数も多い上に国に関係なく質も特に悪いで最悪も最悪だった

*3:どちらも危険なサイトの為伏字にしております

*4:他にももっと多くの肩書きがあるのだが、正式に書こうとするとめちゃくちゃ長くなるので割愛