ポッポ屋日記

日記的なブログにしたいです

コロナと共に生きる生活に終わりは来るのか

 

今回は本当にただ思った事を書いただけの日記みたいなものですので特に読んでも読まなくてもどちらでも良いです。

暇つぶしにもならないかもしれませんが

 

 

僕が所属している社会福祉法人(以下"社福")でコロナの感染者が出た。それを知ったのは僕の住むグループホーム(以下GH)の同居人のひとりが突如お上からの指示でその人の職場でもある介護施設に隔離される事になった事で初めてその事実を知った。

あとからホームページを見てみると社福が運営する介護施設で職員の感染が判明したとの報告があった。しかもホームページにはそれより前から別の施設でも職員によるコロナ感染が判明していたという事実を知り、その時点では計4箇所の施設でコロナ感染者が発生した事になる*1

うちの社福では以前にも同じ施設でコロナの感染者が出た事があった。しかもその時はデルタ株が猛威を振るっていた夏の時期で同施設での大規模クラスターも発生した。幸いそれが他施設への感染拡大に繋がることは無かったが、クラスターが発生した介護施設での厨房機能は麻痺、しばらくの間は僕の職場で施設の夕食を作って届ける期間が発生した。あの頃はうちの社福ではまだ誰一人としてコロナに感染したという情報が出ていなかった。それがとうとうついにといった感じなのだが、それでもまだ感染が判明したのは1施設のみに留まっていて、僕は「うちの法人の感染予防対策は万全なんだな」と思っていた部分もあった。

しかし今年の1月末になってから再びコロナがうちの社福に猛威を振るう事になってしまった。しかも今度は複数箇所の施設による感染拡大が広がりつつある状況...感染株の種類は公表されていないが、恐らく感染力の強いオミクロン株で間違いはないだろう。感染した4箇所の施設の中には以前クラスター発生した施設も含まれていた。老人ホームの介護施設職員経験者の世話人のおばさんは「あそこの施設の感染予防対策はどうなってるのよ...ちょっとずさん過ぎない?」と周りにボヤいていた。

確かにうちの社福はデルタ株の時代に一度は感染者が発生してしまっている。事態が収拾した後の警戒感は更に強くなって然るべきで、その気持ちは分かるし、同じ施設で何故?と思う気持ちも分からなくはない。だが今世間で猛威を振るってるのは感染力の強いオミクロン株だ。症状は比較的軽めと言われていても人から人への感染の伝達速度はデルタの比ではない。いくらマスクを付けて手洗いうがい消毒の対策をして万全を期していたとしてもほんの少しの油断が感染に繋がってしまうウイルスだ。

世間がコロナに対する恐怖心を持ったおかげでインフルエンザウイルスの感染者が皆無に等しいぐらい激減している...にも関わらずそれでも感染してしまうオミクロンによる感染拡大力の強さは異常である事を如実に表している。だからこれはある意味仕方がない事なのだ。あの世話人さんにはその事をどうかわかって貰いたい。そんな事を時々思いながら僕はコロナ感染と背中合わせの今を過している。

 

2年前にコロナが世界で少しずつ流行り始めてからそれまで過ごしていた生活スタイルが大きく変わった。みながみんなマスクを付ける事が当たり前のようになり、食事の為にマスクを外す時は必ず黙食、外出先では常に消毒と手洗いをこまめにやって長時間の滞在は控える。そもそも不要不急の外出をしない。

休みの日は家で過ごし、必要な買い物以外での外出はしない。国や都道府県からはそう求められているコロナ禍での生活スタイル...。僕もできる限りそれを守った生活をしようと心掛けることは度々あった。でも世間のみんなはそれをきっちりと守れる人達ばかりではない。不本意ながら家に居る事で外圧的な窮屈感を感じて我慢が出来なくなった人が己の欲求に身を任せて自分の好きな事をしに外へ出て活動をしていく.....それが自身の感染リスクを高めるという危険があったとしても人は己の欲求に理性で抗う事はとても難しい。周りの人達の事を鑑みない人にとっては世間から求められている自粛という風潮に嫌気が差しているのだろう。

僕もまた自分の好きな事をしたい、欲求に素直になって外で好きな事を楽しみたい、と思う事は何度かあった。でもそれをしようと考えるその度に僕は周りの人達への迷惑というものを考え、悩まされる事になる。好きな事をしたい、感染リスクを背負ってでもお出かけをしたい。その欲求がある一方で、万が一感染してしまったら...感染した時に周りからどういう目で見られてしまうのか...感染してしまったあとの自分の生活は...コロナに感染する事で発生する大きなデメリットや周りからの確実に受けるであろう白い目の事を思う度に僕は罪悪感を感じて出かけたいと思う欲求が萎んで落ちていく...自身が満たされたいとする強い欲求と周りの人間から嫌われたくないと思う自身への保身がいつも激しくぶつかり合う。結果保身がいつも勝って出かけたいと思う欲求は抑え込まれることになる。

おかげでどうしても行きたかった2つの重大なお出かけを泣く泣く諦める事になった。今更その事を思っても仕方がないのだが、もしあの時の僕が周りの事なんか一切考えずにお出かけを楽しみに行ってたらどんな事になっていたのだろうか。少なくとも今こうやって部屋でゆっくりとゲームを楽しみながら過ごす日々を迎えられる事は無かったのでは?とも考えている。

 

世間でワクチンの2回接種が進むようになって一時期は感染者の数が激減して抑えられたかのように見えた。おかげでやっとこのwithコロナという生活に終止符が打てる。そう思った時もあった。でもオミクロンの存在がその淡い希望をぶち壊した。それどころか自分の身近な周りにまでコロナの感染者が発生するようになって、常日頃からオミクロンに感染するかもしれないリスクが大きく跳ね上がった。もはやコロナにいつ感染してしまってもおかしくはない。

常に感染するリスクの事を考えながら生活をしなければならないことになった。

 

この生活に終わりは来るのだろうか?コロナ前まで過ごしていた当たり前のような日常を取り戻す事なんてできるのだろうか?コロナは季節性インフルエンザと違って通年で感染してしまうリスクのある病気、ワクチンで重症化を抑え込まれたとしても全く感染しなくなるわけではない。コロナに直接効く特効薬もまだ治験段階で一般に普及するほどのものは完成できていない。

いつまでこの生活をずっと続けなくてはならないのだろうか?その先の未来に僕はあまり希望が感じられない。終わりの見えない闇の中をずっと彷徨い続けている気がする...。これまでの人生を生きててこんな未曾有の時代を生きる事になるなんてとても思いはしなかった。

もしかしたらコロナを完全に死滅させる事は不可能で、これから先はずっとコロナと共に生きていかねばならない事になるかもしれない。まさしくwithコロナ、コロナと共にある生活が当たり前のようになる。

世間はコロナの終わりを夢見ながら日々を生きているが、何を持ってして終わりとするのか?果たして本当に終わりなんて来るのだろうか?僕は個人的にコロナが居なくなる事を願うよりもコロナとどう付き合ってこれからを生きていくのか?にシフトした方が良いのでは?とも考えている。

それは決してワクチンの接種を否定したり、感染予防対策やマスクに対する反発をしている訳では無い。それらはもちろん大事な事だし、自身と周りへの感染拡大を防止する当たり前の配慮としてあって当然だとも考えている。だけどそれをしたからといってコロナを完全に死滅させる事は不可能だとも考えている。

コロナは常に存在する病気であると認識してコロナと共に生きる事を当たり前のように考えなくてはならない。感染してしまったとしても余程馬鹿な真似をした人でない限り、感染した個人に対する責め苦を与える様な懲罰は与えず、仕方がない事として受け入れてもらわないと感染者本人の精神が持たない。コロナ自体も怖いが、コロナに対する恐怖心を強く持つ世間や周りからの過剰な反応というのも実はかなり恐ろしい。

感染者本人を吊し上げてサンドバッグのように叩く...間違っても世間がその様に感染者個人の人権を危険に晒すような事をしてはならないと思う。

 

願わくば僕だってコロナの終息を想いたい

しかしそれが果たしていつになるのか?何年?何十年先の出来事になるのか?そんな先の見えない未来の事に思いを馳せながらこの先を生きていかねばならない...改めて激動過ぎる時代に突入してしまったんだな...と僕は思う。

 

いつかこの話が笑い話として振り返れる日が来る事を願いながらこの先も生きていく、生きねばならない。

みなさんもどうかコロナには気をつけましょう。身体を無事に保ってください。

 

 

*1:現在は更に複数の施設で感染が拡大し、一部GHでの感染も判明、更には僕の職場でも感染者が現れた

DEATH STRANDING DC版感想記事 たった1人で世界を繋いだ男の配送記録

 

(この記事にはデスストランディングのネタバレが含まれます)

 

去年の僕はゲーム漬けの1年だった。

春にPS5を買ってからのプレイステーションでの年間プレイ時間数は800時間を超えた。僕はRPGが好きなので1つのゲームに対してプレイする時間が長くなりやすく、一度これをやろうと決めてゲームを始めたら最後、ゲーム内のやり込み要素を全部クリアするまで他のゲームには一切手を付けない。

そのせいで幅広いジャンルや数ある名作に触れる機会が減ってしまうのは残念なところである。だがその分濃密に掛けたプレイ時間の長さと期間がプレイした後の思い出として克明に残りやすくなっており、ゲーマーとして充分ゲームを楽しむ事が出来ていると感じられる。

去年の8月から始めて3ヶ月間もの期間を掛けて長らくプレイしたペルソナ5 THE ROYALをクリアしたあと僕はニーアオートマタを始めた。来るFFの新作が出るまでの間、名作ゲームに触れられる時は触れてやりたいと思って始めたオートマタ、まだまだ序盤も序盤でさぁこれからだぞという時に僕はとあるゲームの存在が目に入った。

それがデスストランディングである

 

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DEATH STRANDINGとの出会い

デスストランディング(以下デススト)とはかの有名な小島秀夫監督がコナミを退社後に独立して建てた新たな開発会社で作られ世に出た処女作であり、当時はSIEからのサポートもあって作られた為、発売プラットフォームはPS4で独占。PS4専用ゲームとして発売されたそのゲームは世界中で大きく話題になった。

コナミ退社後の小島監督が作った新作という事もそうだが、これまで小島監督が作り上げてきたメタルギアシリーズとはまた違う新たな世界観での物語や、これまでのゲームにはなかった独特のゲーム内容によって深みにハマる人が続出、クオリティの高い作品を生み出した事で世界中から高い評価を得て、その年のThe Game Awards 2019では数々の賞を受賞した名作となった。

そんなデスストは2021年にディレクターズ・カット版と称したPS5版が発売された。PS4版でも十分な名作であったデスストがPS5にハードを移したことで体験出来る快適さや新たな要素を追加するなどデスストの更なる進化を感じさせるものとなっている。

僕はそんなデスストの存在を目にした時、急激にその作品の存在が気になるようになった。小島監督の新作だからという事は関係なしに、これまでやった事のない配達ゲームというカテゴリーやその世界観が気になったというのもあり、無性にやりたくなっていた。しかしフォロワーさんからは「凄く面白いけど万人受けはしないから強く勧めたりはしない」と一応の警告は受けていた。

しかしその言葉を聞いて僕はますますこのデスストという作品の存在が気になるようになっていた。あの時どうしてこんなにもデスストという存在に僕の心が引き込まれたのか、今となってはよく分からない。しかしやりたくなっていたことは確かだった。だから僕はそのソフトを買う事に躊躇はなかった。

そして僕はデスストを購入、少しの間積んでいた後始めることとなった。

 

PS5の性能を生かした基本的な魅力

デスストのDC版はPS5で発売された事で大きく進化した。具体的にはPS5の基本的な魅力となる4Kグラフィックや高フレームレートの安定化はもちろんの事、PS5独自の爆速ロードもデスストでしっかりとその真価を発揮する事となった。

僕がゲームを最初に起動してめちゃくちゃ驚いたのはその圧倒的なグラフィックの綺麗さ、そして登場人物の実写レベルのモデリングの良さである。

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f:id:Gameslifeisff:20220201123251j:imageこうして画像として見ただけでもほぼ実写...というか実写そのものである。

このゲームは登場する主要人物の殆どが実在する世界的ハリウッドスターからモデルデータを取り、それを元にモデリングをしているのである意味では納得の仕上がりだとは思うのだが、それでも黙って見ていると実写と酷似してしまうのでデスストを知らない人が何も聞かされずにムービーを見た場合、映画を見ていると思わず錯覚してしまうだろう。それぐらいのレベルでデスストのモデリングのレベルは桁違いに高い。

FF7リメイクもまた等身が高くなったリアル系グラフィックになった事で髪1本1本の質感や衣服のリアル感を感じさせる仕上がりとなっていたのだが、個人的にデスストはそれと同等、もしくはそれ以上のレベルでグラフィックが綺麗。性能の良いハードをベースに作られるゲームというのはこんなにも没入感の高いものを作る事ができるのか...と思わず感銘を受けた。

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f:id:Gameslifeisff:20220201123241j:imageデスストは基本的に世界の空が快晴になる事がない。なのでスクショをすると全体的に明るさが暗めの写真ばかりになってしまうのだが、DC版で追加されたフォトモードを使った加工で世界を明るくする事ができる。その時でもこの美麗なグラフィックは映える事となる。道中で流れる川の水の透明感、至る所に生える芝生の青々しさ、ゴツゴツした岩場の堅くて荒そうな質感、雪山での白い雪のふわふわ感...自然風景がまるで現実にあるものと同じような感覚をゲームでも味わえる時代が来るとは...ゲームの進化ここに極まれりといった所だと感じた。

またPS5のゲーム特有の爆速ロードはデスストでも大きく実感する事となった。デスストではフラジャイルジャンプというファストトラベル要素があるのだが、地方をまたがった移動をした場合でも掛かるロード時間は5秒にも満たない。この記事を書く少し前にゲームさんぽというYouTubeチャンネルでデスストの動画を見たのだが、その時のデスストはオリジナルのPS4版でフラジャイルジャンプをした場面が映っていた。だが、その時掛かったロード時間はなんと数十秒以上、ロード時間を長いと感じさせない為にPS4時代でよくあったロード中のTips表示がされていたのを見て「移動の度にこんなロードを待つ事になったらストレスだろうな...」と感じる事となった。それぐらいまでにデスストDC版のロード時間の短さは圧倒的なレベルなのだ。

また3Dヘッドセットでの3Dオーディオにも対応、デスストはカメラを動かす場面がとても多くあり、ヘッドセットでの3Dオーディオを有効にした状態でプレイすると、カメラの向きに対するキャラクターの喋り声などがちゃんと四方八方から聞こえてくる。特にラストシーンでのある人物からの語りのシーンではその凄さを実感することができる。

そしてアダプティブトリガーにも対応、今回びっくりしたのは銃や投擲武器、ランチャー等の引き金を引く時の引き絞る重さの違いがそれぞれの武器であり、ハンドガンは1発1発を打つ時のR2ボタンの固さが一番固くて重さがあり、アサルトライフルは軽い力で押しただけでも2~3発はあっという間に出てくる。チャージ式武器は押している間のチャージが段階的に溜まる度にボタンが小刻みに揺れてチャージ中であることを実感させる。

また、サムは荷物を手で持つ事ができるのだが、荷物によって手で持った時の重量感の違いがトリガーを押す時の重さで感じる事が出来、荷物運びのリアリティさをさらに感じさせることが出来る。PS5の機能を実感させるだけでもPS4版とは別次元である事を感じさせる物となった。

 

デスストの基本的な遊び方

ゲームを語る時によく「お使いゲー」という言葉が出てくる。例えば物語を先に進めるためにあるアイテムが欲しいとなってそのアイテムを持っているであろう人物を尋ねた時に「そのアイテムを渡す前に〇〇に会って〇〇を持ってきて欲しい」や「自分はそれを持っていないが〇〇にいる〇〇なら持ってるかもしれない」といった言葉で今いる地域やフィールドからの移動を促して移動をさせる事で物語を進めるやり方を若干揶揄めいた言葉として「お使いゲー」と語られることがある。もちろんお使いゲーという名の通り本当にNPCからあるアイテムが欲しいと求められてアイテムを調達して渡すといったミッションやクエストがあったりもするのでそう言われる事もあるのだが、「お使いゲー」という言葉自体はネガティブな意味合いで使われる事が多く、プレイ時間を無駄に引き伸ばすための水増し要素という風にマイナスな言葉として捉えられることが多い。

だがデスストはそんなお使い要素に特化したある意味では究極のお使いゲーと言えるだろう。何故なら主人公のサム・ポーター・ブリッシズの職業が配達人であり、このゲームは配達によって人々の心と世界を繋ぐというコンセプトのゲームになっているのである。ある施設からの依頼を受けて別の施設へ荷物を届ける。その道中は決して平坦ばかりの楽な道ではなく、川や坂道、崖、ぬかるみ、時雨(タイムフォール/ときう)、猛吹雪といった地形や自然現象による障害だけでなく、荷物に執着してポーターの荷物を奪いに来るミュール(配達依存症)や殺しに掛かってくるテロリスト、あの世からやってくるBT*1など、外的脅威もあって一筋縄では行かない。

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f:id:Gameslifeisff:20220201140945j:image依頼を受注したら荷物を積む、この時の積み方はとても重要で体の重心が偏り過ぎないバランスの取れた荷物の積み方をしなければならない。それが長距離移動の際にも大きく響くこととなる。荷物はサム自身が積み込むだけでなく、フローターやバイク、トラックといった乗り物を使って積み込むことも可能だ。中には1トンクラスの量の荷物を運ばなければならないこともあるのでそうなった時にトラック配送は必須となる。
f:id:Gameslifeisff:20220201140937j:image配送を受注したらいよいよ配送のスタート、この時のルート取りはとても大事で、地図を見て事前に行きやすそうなルートを模索するかとりあえず目標に向かって歩き始めてから現地でルート変更を行うかなどのプレイスタイルはユーザーに委ねられている。人それぞれでやり方が違うから一概に正解はないが、重要なのは荷物をどれだけ無事に綺麗に運べるかが重要*2

特にプレミアム配送といった難易度の高い配送では劣化率を数%に抑える事が必須条件なので荷物を丁重に扱うことは大事な事なのである。

f:id:Gameslifeisff:20220201142042j:image配送依頼にはそれぞれでの評価軸がある。荷物の安全性、サービスの良さ、荷物を運んだ数量、荷物を運ぶ速さ、そしてブリッジリンク(後述)、荷物の配送依頼を完了した時に受取人からいいねを貰う事が出来る。このいいねには依頼によってカテゴリーがあり、評価をあげることによってサムの配達人としてのランクを上げることが出来る。こうして評価を高めていくことでサム自身にも転びにくさの耐性が出来たり、スタミナがアップしたりといったメリットがある。これを延々と繰り返していく。まさに究極のお使いゲー、しかし僕はこれに見事にどっぷりとハマってしまい、見事配達依存症となった(笑)

 

現実とリンクさせるデスストの世界観

デスストは2019年に発売されたゲーム、しかしこのゲームはDC版が出るまでの間、とある事で時折話題になっていた。それがコロナ禍を予見していたかのような終末的世界観の現実とのリンクである。

舞台はデス・ストランディング(以下DS)という災厄によって人口が全人類の数%にまで減ってしまったアメリカ大陸。あの世とこの世が繋がってしまい、あの世からビーチを通じてBTがこの世に座礁してきたことによって人類は脅威に晒された。BTに取り込まれた人間は対消滅(ヴォイドアウト)を起こし、その辺一帯はクレーターになってしまう。

更にはカイラル雲から降り出す時雨が作物の成長過多、建物の劣化、生物の急激な老化を促すといった危険な自然現象の発生により既存のインフラ設備や交通網はほぼ壊滅、世界を覆っていたネットワーク通信網も遮断され、地上は危険極まりない世界となってしまった。人類は地下にシェルターを作ってそこに移り住み、永遠に引こもるようになってしまった。そんな中でも一部の人たちは危険な地表に出てシェルターに暮らす人々に物資を届けなければならない。それがポーターと呼ばれる重要な人物たちだ。

僅かに残った人類が生き延びるために配達人の需要が増え、ポーター達は黙々と己の仕事に従事して配達を続ける。これ以上の人口が増えることのない終末的な世界の中でブリジット・ストランド大統領はアメリカの再建をただひたむきに願い、ブリッジズという組織を立ち上げ、UCA(United Cities of America)という新たな合衆国を立ち上げようと奮起した。

主人公のサムはそんなブリジットに自らが果たす事の出来なかった使命とテロリストに捕らわれた義姉のアメリの事を託され、最初は渋々ながらもアメリ救出を第一として都市と都市を繋げることになったのだ...

この全人類の脅威となる要素が"ある日唐突に現れた事"とそれによって"人類が外に出られなくなってしまった事"、この2つがコロナ禍の現実の今とリンクしているとしてまるで予言であったかのように小島監督の築き上げた世界観にフィーチャーが当てられている。

小島監督の予言といえばMGS2愛国者達が主人公の雷電に通信で話していた「情報化社会の発展による緩やかな人類の衰退」という内容の通信がまさに今の現代で起きている事を予知していたと最近になってからネット上で話題になる事があり、今回はそれに少し似た様相になっているのだろう。この作品はプレイしていると微かに現実とリンクしている事が多くあって、まるで今起きている懸念を解決しなかった場合のAfterを見ているかのように錯覚する事がある。

例えばミュール(配達依存症)の誕生の経緯。これはDSが起きる前、世界の配送システムはネットワークによるインフラ整備が完全に整った事によって生身の人間による配達を必要とせず、自動配送ロボットやドローンが配達を担うようになった。しかしそれによって全世界の配達人は一気に職を失い様々な問題が発生した。そこでロボットやドローンによる配送は取りやめとなり、再び配達人が活躍することになった...だが、一度ロボットに職を奪われた事に対する強いヒステリーが「これは自分にしかできない配達だ」という強い思想を生み出し、それがいつしか歪んで配達ではなく、荷物自体に依存するようになってしまい、ポーターの荷物を奪いに襲う危険な存在となってしまった。

このミュール誕生の切っ掛けとなったロボットやドローンによる配送は今まさに現実でも導入されようとしているもので、ロボットによる生産工場の自動化が工場勤務の人達の職を奪ってしまったのと同じように配達人の職を奪う事になってしまうかもしれないというひとつの可能性としてフィクションとして見れない部分がある。

更に色々と考えさせられる部分も多くあるので少しだけピックアップしようと思う。

 

・ディメンス(分離破壊主義者)の思想とDS発生前のアメリカ合衆国

ディメンスは作中ではテロリストと呼ばれるミュールよりも危険な存在、荷物に依存しているミュールは荷物だけが目的なのでサムを見つけても気絶させるだけに留めている部分がある。しかしテロリストは道中でサムを見つけるとその生命を奪ってこようと銃火器を使って殺しにやってくる。ミュールよりも数が多いので見つかると厄介な上に命を落とす危険性もある恐ろしいヤツら。

しかしそんなディメンスも元は少し考え方が過激な右翼派ぐらいの人たちでしかなかったはずだ。ブリッジズが建国しようとしているUCAという新たな合衆国の誕生は世界に法律と規律というルールで人類を縛る枷になる。そう考えているディメンス達は対消滅テロを起こす事で繋がろうとしている人々の繋がりを分断している。DSによって国は崩壊し、政府もいなくなった作中のアメリカでは自分たちが生き残るために何者に縛られることもなく好き勝手自由に生きる事が出来る。

誰かとの繋がりを作ることはその誰かと自分を互いに干渉させる事になる。そこから生まれるものは決して良い事ばかりではない。だから繋がりを断つ、破壊をする。やってる事は危険極まりない彼らだが彼らの思想には共感できる部分が多々ある。

DSが起きる前のアメリカでは全人類がネットワークを通じて世界と繋がっていた。しかし繋がった事によって逆に無用な争いや綻びを生み出し、人種や風習、思想の違いによって個人間や企業間、政府間での争いが絶えずそれはそれは酷い世界だったという。そんな最中でDSは起き、人類は分断された。「無用な繋がりがあるからこそ人は互いに傷つけあってしまう」ディメンスとなった人達ももしかしたらDSが起きる前の"繋がっているのにバラバラで争いが絶えないネットワークの世界"に嫌気がさした人達の集まりとも言えるのかもしれない。

現実でもまたネットワークの構築から発展、SNSの進化などによって人々は簡単に誰かとの繋がりを持つ事ができるようになった。しかしそれと同時に思想の違う者同士がひとつのネットワークで繋がった事によって争いや論争も起きるようになり、誰かが誰かにいがみ合う世の中になってしまった。特にマイナスな感情に作用されやすいSNSというものは無用な争いを生み出し、人々の心を疲弊させていく。争いが絶えないネットワーク上の混沌とした世界に満ちている現実世界の中でデスストのDSのように人類の大量消滅クラスの厄災が起きたらリアルでもディメンスの様な思想を持つ集団が現れるかもしれない。そうでなくても今の時点で既にひとつの思想に固執した人が集団で集まって危険な事をしている人達は数多に存在している。そんな彼らをひとつにまとめるというのは決して一筋縄では行かず、難しいものなのである*3

 

・UCAに加盟しないブレッパーズの考え

これはディメンスの思想と似た事になるが、作中メインで配送する事になるアメリカ中部には多くのブレッパーズ達が存在している。ここでのブレッパーズとはノットシティの様なブリッジズが運営する都市には住まず、各個人でシェルターを持ってそこに1人、あるいは家族の少人数で暮らす人達のことを指す。彼等は様々な事情や考えがあってシェルターに暮らしている。厳しい立地環境の中で暮らす人達もいるが、彼等は基本必要以上の繋がりを求めておらず、中には都市や合衆国とは距離を置いている、もしくは繋がりを断って孤立する事、孤独である事を敢えて望んでいる人たちもいる

なので初めての配送で最初に会った時はいきなりUCAには加盟してくれず、カイラル通信だけは繋げるがUCAには加盟しないという人もいるし、そもそもカイラル通信ですら繋げたくない人もいたりする。何故そういう考えに至るのか...大抵はDSが起きた当時の合衆国政府の対応の酷さによる国や政府自体への不信感がUCA加盟を拒む原因となっている人が多い。人類の消滅という究極的な脅威が起きた時に人々を先導しなければならない立場の人達がまともな対応すら出来ず、それが国や政府に対する不信感に繋がっている。

これもまたコロナ禍に於ける対応の酷さが国や都道府県、政府に対する不信感を募らせている日本や世界の状況と似たような事になっている。未知の脅威に晒された時に人々をまとめ上げて先導するべき立場にある政府はその対応の仕方によって人々からの信頼を得るか、不信感に繋がるかのどっちかに転がってしまう。オマケにその対応の仕方に決まった正解は無く、何をしても批判をされる事になる立場の人達だから余計にキツイ事になる。

デスストの中での合衆国政府がDSが起きた時にどんな対応をしたのか詳しく知る事は出来ないが、「国は何もしてくれなかった」と言うブレッパーの言葉から見るに相当無策でめちゃくちゃなら対応をした事は間違いないだろう。そういうところでも思想の違いというものは如実に現れており、改めてそれを一つにまとめあげることの難しさを実感する事になった。

しかしサムの頑張りによってはそんなブレッパーズ達からの信頼をだんだん得られるようになって、最終的にはUCAへの加盟をしてくれる。中には何回も配送をしないとUCAに加盟してくれないブレッパーもいたが、信頼を得てUCAに加盟するという言葉を聞いた時にはやっとか...!嬉しい...!と喜びを噛み締める事もあった。

 

・ただ繋がる事だけが決して良い事ではない

これは小島監督が出演した番組のゲームゲノムやSWITCHインタビューでも語られていた事だが、繋がるという事は同時に責任を持たなければならない事になる。

それを否応にも実感することになるとあるキャラクターがいる。それがアメリカ中部で2つ目に訪れ事になるブレッパーのエルダーというおじいちゃんである。彼は高齢の持病持ちの人で常に薬を飲む事で生き長らえている人である。彼には定期的に薬が必要で、エルダー宛の指名なし配送の中には薬を届けるという依頼も存在する。

このゲームの第一の目的はカイラル通信を繋いで世界中の都市を一つにまとめて繋げる事。中部地方での最優先事項の目的はノットシティから次のノットシティへの距離が離れ過ぎている為、都市と都市の間に存在するブレッパーズのシェルターとカイラル通信を繋いで小規模の通信網を広げる事でそこを中継地点とし、次のノットシティへとQpid*4を繋ぐ事、ブレッパーズへのカイラル通信の繋がりはノットシティへの繋がりになる。ある意味では手段として捉えることもできる。しかしゲーム的にはそうかもしれないが現実問題として考えた時、ただ繋がるだけでは決してダメなのである。

大抵のブレッパーズはカイラル通信を繋げてからしばらくの間そこを訪れる事が無く放置されていてもいつかまた来た時には出迎えてくれる。しかしエルダーだけは違う。カイラル通信を繋げられた事にプレイヤーは安心して次の施設に向かっていく中でエルダーの事を放置してしまうと...

 

エルダーは亡くなってしまう

 

最初の頃は「おーいサム!」と元気に出迎えてくれていたあのエルダーおじいちゃんの元に久しぶりに訪れてみると何故かエルダーからの出迎えはなく、荷物を納品しても本人は出てこず、自動音声によるアナウンスがあるだけ、そのまま納品完了のリザルト画面に入り、何かおかしいな...と思ったのも束の間、そこにはBTと化したエルダーと思われるホログラムが薄っすらと浮かび上がってただ静かにそこに佇んでいた...

その後にエルダーからの遺書のメールがサムの元にタイマー機能を使って届けられる事になる。エルダーが亡くなった原因は持続的に飲んでいた抗生物質の薬が枯渇して寿命を維持する事が出来なくなった事が原因となる。エルダー死亡の前触れとしてエルダーへの定期的な配送を放置していると出迎えるエルダーが点滴姿になっている事がある。思えばここでおかしいと思うべきだったところではある。それを更に放置するとエルダーは亡くなってしまう。

この点について小島監督は監督からユーザーへのメッセージが込められたもので、「ただ繋がるだけではダメで、繋がった後のアクションが大事なんだ」という意味でエルダーの死亡タイマーが設けられた事になっている。デスストの中でカイラル通信という形で人との繋がりを作るのはある意味で言えば「手段」であり、「ゲーム的」だとも言える。けれどこれを現実で当てはめて考えた場合、それは決して放置してはならない大事な「縁」とも言えるのだ。

故にエルダーをうっかり死亡させてしまった僕は激しく後悔した、その後に届くエンジニアからのメールには「ブリッジズには亡くなった彼の事を弔うという責任がある」と定期的に彼の事を気にかけなかったサムの事を暗に批判している

しかしこれについてはユーザーの間でも賛否両論で、ただただ面倒臭いと切り捨てるユーザーも少なくはなかった。身近な所で言うとみんなが誰しも触れているSNSなんかは、例えばとあるひとつの出来事をきっかけにフォロー、フォロワーという繋がりを作る事が多い。しかしその繋がりを作った後で、定期的にリプライを送って会話をする、お互いにいいねをして干渉をする、等のアクションをとって繋がりを意味の無い繋がりにしないように維持するのは相当難しく、一人の人間が定期的にアクションを取れる人数には限界がある。

だからただ繋がっているだけで何の親しみの込めた発展もない形骸化した繋がりになってしまってる人はみんな絶対に1人はいる事は確かだろう。それに繋がったからと言ってそこまで深く干渉して欲しくないという出会った当初のブレッパーの様な考えを持つ人も多くいる。だからその人と仲良くしたいと思ったとしても信頼を積み上げて仲良くするのは相当難しいし気が遠くなる。こういうSNSの場では深い繋がりを最初から求めてない人もいたりするのでエルダーの要素については賛否両論となってしまうのも仕方がないだろう。

とはいえ、僕は彼の寿命を維持させたかった。それだけは深い後悔として今も心に残っている。

 

間接的に世界と繋がっているオンライン要素

デスストは基本的に1人プレイ専用のゲームでオンラインでリアルタイムに競ったり協力プレイをするといった要素はない。しかしデスストの世界は完全に1人で攻略するしかないという訳では無い。

オンラインに繋げて他のデスストプレイヤーとの間接的な繋がりによって建設物や車両、荷物を共有する「ソーシャル・ストランド・システム」というオンライン要素がデスストには備わっていて、それによってプレイヤーは他者との間接的な繋がりを維持する事が出来る。これによって起こる最大のメリットは「他プレイヤーが作った建設物が共有される事

例えばカイラル通信が繋がる前のエリアでは建設物は何も無く、厳しい道のりを1人で進まなくてはならない。しかしその辺地域のエリアに対応した施設がカイラル通信で繋がるとそのエリアを攻略していた他プレイヤーとの情報共有がされることになる。それによって川幅が広くてハシゴでも使わなければ渡るのも厳しかった所に橋ができていたり、危険なミュールやテロリスト、BTが出没する座礁地帯の周辺にポストが置かれて荷物の預りや共有をする事ができたりと様々なメリットや恩恵を受けられる事が多い。

看板によってこの先の障害情報を知る事ができたり、放置されている車両に乗る事で早く移動出来る手段を得たりと、他プレイヤーとのプレイデータの情報共有は自身のプレイにも大きく有利な展開となる。それによって快適な配送を維持する事が出来て、ユーザーの利益に繋がる。これが間接的なデスストのオンラインシステムであり、これまでのゲームにはなかった新しいオンライン要素としてこれも話題に上がっている。

またこれらの建設物等には「いいね」で評価を与える事ができるようになっており、送ったいいねの情報は実際に相手プレイヤーに通知されて届く事になる。ボタンによる手動のいいねだけでなく、建設物を利用する事、看板の効果を受けること、車両に乗ること、他プレイヤーの落とした荷物を届ける事、国道を使う事、あらゆるアクションが誰かの遺物の干渉を受けており、またいいねによる評価はポジティブなものとして自身の気持ちを前向きに高めてくれる。人からもらったいいねはブリッジリンクという評価軸でのパラメーターを上げることが出来る

正直な話、誰かとの強い干渉をする事になる従来のゲームのオンラインプレイやオンライン要素というものにはネットの向こうにいる人間を直接相手しなければならないという事で嫌だなと思い、壁を作ってやらないようにしていた部分がある。ましてや友達でもなんでもない赤の他人との対戦や協力プレイというものでは少なくともトラブルに発展するケースも少なくはない。顔も知らないネットの向こうにはどんな人間がプレイしているのかも分からない。互いに強い干渉を必要とするオンラインプレイというものには昔からハードルが高く感じていた。

しかし直接的ではなく、間接的な繋がりによって緩やかな干渉をする事が出来るデスストの様なオンライン要素は進んで繋がりを求めたくなる。見知らぬ人からのいいねを貰うことで嬉しい気持ちになる、嬉しい気持ちになると他の人にいいねを上げたくなる。これは良い!と思った建設物等にいいねを送るとそのいいねが相手の元に届く、その評価を受けたプレイヤーは嬉しい気持ちになって違う誰かにいいねを送りたくなる...と、完全にポジティブないいねがユーザーの相互作用を働かせている。

これは今後のゲームにも取り入れて欲しい新たなオンライン要素として僕はこのゲームを支持したい。

 

DC版になって新しく追加された事

DC版ではオリジナル版と比べて新たに追加された要素がとても多くなっている。

サムに自動的について行って荷物運びのサポートをしてくれる自動追従ロボットや建設装置に新たに追加されたジャンプ台や荷物カタパルトの存在、これまで戦ったボス敵と再戦する事ができるようになる悪夢の要素や、追加された武器を思う存分練習する事ができる&スコアを競うことができる訓練場、レースゲーム、様々なものがあるがその中でも僕がこれは凄い...と思ったのは「マニューバユニット」

f:id:Gameslifeisff:20220201133120j:imageマニューバユニットはサムが転びそうになった時のよろめき具合を修正して転びにくくさせるバックパック装置なのだが、一見すると使いにくそうであまりメリットがないな...と思った。しかしLv3になるとその性能は圧倒的に大きく変わる。Lv3ではなんと「どんなに高いところから飛んでもノーダメージで済む」というチートめいた壊れっぷりになっているのだ。

その名の通り本当にどんな高いところから飛んでもマニューバユニットの力によってノーダメージで済む上に、荷物に対するダメージもない。これによって徒歩での移動時でもスピードスケルトンと組み合わせて少し高いところから飛んだだけでも圧倒的な長距離移動をする事ができる。

f:id:Gameslifeisff:20220201133738j:image例えばこんな高いところからも...
f:id:Gameslifeisff:20220201133800j:imageジャーンプ!
f:id:Gameslifeisff:20220201133757j:imageそのまま落ちて...
f:id:Gameslifeisff:20220201133804j:image着地!

マニューバユニットはバッテリーさえあれば有効化されて高いところからの移動を楽にさせてくれる。ただし着地先が不安定な急坂だと着地した瞬間滑り落ちるし、着地した少し先に崖などがあってよろめいて落ちた場合はそのままサムのダメージに繋がってしまう。ただしジャンプの動作を取っていればマニューバユニットは起動するのであまりデメリットにはならない。寧ろメリットしかないのが凄いところで、少なくともこれがあれば崖や高いところから降りる為のロープ用パイルはほぼ要らなくなってしまう。あんまり使いすぎると配送がつまらなくなってしまいそうだが、少なくとも僕はもうマニューバユニットがないと生きていけないレベルでどっぷりマニューバユニットを使い込んでしまっている(笑)

デスストDC版は様々な追加要素があるが特にこのマニューバユニットは本当に凄かった。オリジナルのPS4版以上に快適な配送をする事が出来るのでデスストをやった事のない人はDC版のデスストをオススメする。春にはデスストDCのPC版が出るとの事なのでまだPS5が手に入れられてない人は春まで待って、手持ちのPCでやってみるのも良いかもしれない。最初は不便な事が多くて不満も出やすいかもしれないが、配送を完了した時の達成感やそこから出るドーパミンの量は半端ないので僕は是非ともオススメしたい。

 

最後に

デスストのストーリーはとても考えさせられるものとなっており、アメリを救うという目的の先に見える展開はとても壮大なことになっているので是非その手でプレイして見てほしい。ハマればあなたはサムという人間に対する深い思い入れができているかもしれない...!

そして見事配達依存症となった僕は現在難易度をHARDに上げてプレミアム配送のLegend of Legends評価を獲るゴールドトロフィーとプラチナトロフィーを目指している。最後の最後まで読んでくださりありがとうございました。

 

皆様も今後も良きゲームをお楽しみください!

 

 

*1:Beached Thing(s)(=座礁物、座礁体)の略称。時雨が降る座礁地帯となったエリアに出没。

*2:速達配送の場合は速さも重要視されるが

*3:現に物語序盤のサムもカイラル通信を使って世界を繋げてくれと頼み込むダイハードマンに対して「世界がネットワークで覆われても人類は争いを止めなかった。世界を無理矢理繋げてもまた綻びと争いが起きるだけだ!」と世界を繋げて合衆国を再建する事に猛反対していた。悪い意味で変わらなかった人類に対する失望はサムだけでなく多くの人が抱いた事なのかもしれない

*4:カイラル通信を繋ぐための装置

FF7の生誕25周年をお祝いしたい話

 

こんにちは、ニホンバトです!

今回の記事は2022年1月31日の昨日、生誕25周年を迎えたファイナルファンタジー7についてお祝いを兼ねてちょっとだけ語りたいのと、今後のFFシリーズについてほんの少しだけ期待している事でも語っていきたいと思います!

そこまで長くするつもりは無いので気軽に読んでくれたら嬉しいです😊

 

FINAL FANTASY Ⅶとは?

もはやあまりにも有名過ぎるゲームなので今更ここで紹介する必要は無いと思うのですが、一応簡単に紹介しますと、FINAL FANTASY Ⅶ(以下FF7)とは1997年1月31日にスクウェア社から発売されたファイナルファンタジーシリーズのナンバリング7作目の作品。

これまでファミコンスーファミという2つのハードでドット絵のナンバリング作品を出していた前作までと違い、対応ハードを新進気鋭のプレイステーションに電撃移行、当時新しかったCDロムディスクによってソフトの収録容量は他ハードに比べて大幅にアップ、更に3DCGポリゴンという当時はまだまだ新しかったグラフィックの表現方法によりドット絵では実現できなかった「物語に対するリアリティ性」を表現する事に成功。

当時の業界の中では最新鋭の高性能ハードにプラットフォームを移した事によってこれまでのFFには無い新たな表現方法を誇示し、新たな可能性を広げたFINAL FANTASYとして一躍話題になり、PlayStationでできる表現方法をふんだんに使ったゲームということもあり、「FF7はゲーム業界に革命を与えた」とも言わしめる程で、当時としてはとてつもなく凄いゲームだった。

その後、FFシリーズがシリーズとして長く続いて行くと共にFF7もまた原典であるFF7からの派生作品や外伝的作品を次々と立ち上げる「COMPILATION of FINAL FANTASY VII」という企画を立ち上げ、FF7の世界観を更に大きく広げ、FF7という作品の歴史を濃密に作り上げてきた。普通に考えた場合、大元となるFFシリーズのいちナンバリング作品のひとつでしかなかったFF7にスポットが当てられてフィーチャーされ、一つの作品の世界観を濃密に描くという事はFFシリーズに限らず、他ゲーム業界全体として考えてもそれは異例中の異例であり、その世界観の構築は今なお続いているのだが、これもまたそれほどまでにFF7という作品が世界中のFFファンから愛されたゲームであるということの証明であるのだろう。

そして現在、これまで作り上げてきたFF7の世界観から一線を画した新たな可能性を描いたFF7リメイクがPS4で発売されたのを皮切りに、FF7が再び話題となり、FF7という作品の壮大な世界観を体感する超大型企画をユーザーは再び楽しめる期間に入った。これから先もスクエニFF7リメイクを先頭に新たな世界観を構築してユーザーを楽しませるつもりなのだろう。こうして長年FFファンでいる僕もまたこんなにFFを楽しめる機会が増えると期待感が持てるなんてとても喜ばしくてしょうがない。

FF7という作品はそれだけでも多くを語ることの出来る凄い作品なのだ。

 

僕とFF7

僕は子供の頃から触れてずっと変わらず好きなものがある。それがFF...今となっては過去作から最新作までの全ての作品に触れて濃密なFFの世界を楽しんできたが、そんな中でもFF7は自分にとっても特別な思い入れのある作品だった。

そもそも僕が初めてFFという作品を"知った"のがその当時父親がスーファミでプレイしていたFF6、まだまだ子供だったので1人でRPGをプレイするのは難しくてプレイ出来ず、FF6の壮大なストーリーを理解する事は出来なかったが、画面に映るキャラクターのセリフを読み上げるのが僕はとても好きで、そのキャラクターをイメージした声質でセリフを読み上げ楽しんでいた。特に強烈なキャラクターであるケフカのセリフを読む時はより派手に、より奇抜なトーンでセリフを読んではケラケラと楽しんでいた。*1

けれど結局そのFF6はうちが持っていたROMカセットが相当古かったのかオンボロで不具合があったせいで、魔大陸突入前のエアフォース戦でフリーズ&データ焼失により父親はやる気をなくしてしまい、最後までプレイする事がなく、結局FF6のエンディングは僕が高校生になって自分でクリアするまではお預けだった。

FFという作品を"初めて知る"キッカケとなったのはFF6だが"初めてプレイする"キッカケとなったのはFF7だった。

FF7は再び登場するが、当時の父親が家にあったPlayStation(以下PS)でFF7をプレイしていたのを僕は再び傍観者として見て楽しんでいた。父親は解体真書を片手にFF7のストーリーを次々と進めた事で僕にFF7のストーリーを楽しませてくれた。しかし父はラストダンジョンである大空洞突入前に突然ゲームをやらなくなってしまった。仕事が忙しくてやる暇がなくなってしまったのか、それともこれ以上ゲームをする事に疲れてしまったのか?父は突然FF7をプレイすることをやめてしまった。僕が「お父さんFF7やらないの?」と聞いても「う〜ん...いつかやるよ」と困り顔で唸った後に必ずそう言うのだが、それでも父はそれ以降自分のハマっている「タワードリーム2」をプレイする時以外ではPSを起動する事がなくなってしまった。

これまでずっと傍観者としてFF7を見ていた僕としてはラストダンジョン突入前という佳境も佳境のところでやめられてしまったのがめちゃくちゃ腑に落ちず、この先にどんな敵が待っているのか、どんなストーリーが待ち受けているのかが知りたかった僕としては父に何度もFF7をやる事を催促していた。しかし父もまた言葉を濁してはFF7をのらりくらりとやらないように回避していた。その事に業を煮やした僕は遂に自分の手でPSを起動してFF7を始めた。

ラストダンジョン手前でやめてしまった父だが、父はガチ勢だったのでキャラクターデータはめちゃくちゃ強く、大空洞でも敵をバッサバッサと切り捨てながら進む事が出来た。当時はキャラクターのコマンドシステムをあまり理解出来ていなかったが、強力な敵の技によるアビリティや魔法コマンド、リミット技によって押し切る事が可能で、初めてプレイした僕でも簡単にFF7を進める事が可能だった。そしてあっという間に星の体内へ辿り着き、見事ラスボスを倒す事に成功してエンディングを迎える事が出来た

途中までずっと父が進めていたデータだったが、戦線離脱した父に代わって始めたFF7で初めてFFという作品を自分の手で触れて操作した。そして見事にクリアする事が出来た。その時の感動というものはひとしおで、エンディングでこんなに感慨深い気持ちになったのはこの時のFF7と高校生の頃にクリアしたFF6、そしてFF15ぐらいだ。こうして振り返ってみると僕が今なおFFにハマってずっとシリーズを追い続ける事になった重要な切っ掛けを作ったのはFF6FF7だった...

それからの僕はFFという作品の面白さを肌で体感した事で今度はFF7を最初から自分の手でやりたい!と思い立つようになり、ニューゲームで再び開始、FF7を今度は最初から自分の手で動かしてクリアした事でその満足度はめちゃくちゃ高かった。そしてその勢いそのままにFF8を始めよう!と起動したのは良いものの、ジャンクションシステムという全く違うキャラクター育成システムについてこれずに挫折してしまったのは以前にも語ったと思う。

その当時の僕が自分の手で再び最初からFF7をプレイしている様子を見た父は「おぉ、今度は自分でやってるのか」と面白げに見ていたのだが、未だに分からないのは父はどうしてあの時突然FF7をプレイする事をやめてしまったのか?面倒くさくなってやめたのか、それとも何か別の理由があるのか?あの世に行った今では聞く事が出来なかったので残念だったが、もしこの先会うことがあれば聞いてみたい事の1つでもある。

 

そんなFF7が20年以上の時を経て再び復活し、現代のゲームとして楽しめる時代が来るとはこの時は夢にも思っていなかった。想像もしていなかった。でもFF7は僕にとっても思い入れのある作品で、その当時のリメイクが原作と同レベルの革命をもたらすのかどうかは不透明だった。しかし僕はそれ以上に言葉で言い表せない程のドキドキと理由も根拠もない期待感が心の中でめちゃくちゃ昂っていたのは確かで、結果的にその期待感を超えるほどの神作となっていた。

ずっと年がら年中FFに触れている僕だったが、FFのトレンドは今がとても熱く、素晴らしい世界観を体験させてくれるだろうという期待感で胸がいっぱいに溢れている。だから僕はFFのファンである事をやめられないし、辞める気もサラサラない(笑)

そんな中でFF7は25周年を迎えた.....僕が生まれた1997年という同じ年に世の中をあっと言わしめた作品が誕生していたなんて本当に驚きでしかない。本当におめでとうございます。

 

今後のFFに期待する事

今年はFF7が生誕25周年であるが、同じくFF11も発売から20周年になる。更に引いては全ての原点となった初代FFが発売から35周年となっており、今年はまさしくFFイヤーと言っても過言ではないレベルでめでたい作品が多い。

スクエニも当然その事を意識しているのは確かで。FFシリーズ35周年に向けた企画を考えているのは容易に想像出来る。

今年は既にチョコボGPとSTRANGER OF PARADISE FINAL FANTASY ORIGINの発売が決まっており、3月が待ち遠しいレベルで期待感が高まっている。思えばFFはこれまでずっとユーザーを飽きさせずにFFを楽しませようとして作品毎に世界観やキャラクターをガラリと変えたり、ゲームシステムも常に一定のままでキープすることもなく常に変化と挑戦を続けてきた。剣と魔法が織り成す中世風の世界観という元来の大元は変えず、バトルシステムも昔ながらのターン制RPGという伝統も変えずに続けてきたドラクエとは対を成す存在ではあるが、僕はそれぞれが独立した世界観を確立していて常に同じシステムを使い回す事なく、ユーザーに新鮮味を持たす事を第一としているFFがとても大好きである。

だから僕はこれからもFFに対して愛を叫ぶ、今後のFFがどんな革命を与えてくれるのか、どうユーザーを楽しませてくれるのか本当に楽しみで楽しみで仕方がない。願わくば今年中にはFF7リメイクの続編やFF16の続報などが出る事に期待しながら3月のチョコボGPとFFオリジンの発売を楽しみに待ちわびようと思う。

 

WE ARE FINAL FANTASY

僕はこれからも素晴らしきFFの世界を楽しんでいきます!!!

 

 

 

*1:まさかあの後ディシディアで派手派手ピエロのメイクをして超特徴的な声質で有名な千葉繁さんが声優をやるとは夢にも思わなかったが

今年の自分は運が良いのか悪いのかあまりよく分からないという話

 

運というものは本当に存在するのかどうかあまりよく分からない。

RPGでもよくクリティカルヒットの確率を高めたり、レアアイテムのドロップ率を高める要素として「運」という項目が数値化されて存在していたりするが、現実世界でも運というものが果たして存在するのかどうか?仮に存在していたとして、一人一人に割り当てられた運の数値に大した違いはあるのかどうか?何を持って運が良いとし、何を持って運が悪いとするのか?それは所詮結果の後付け、自身の身に起きた事象をポジティブにもネガティブにも捉える事が出来る都合の良い言葉なのかもしれない。

でも人は運という存在を当たり前のように認識し、信じている人も多い。特にお正月のあるこの時期なんて神社仏閣には必ずと言っていいほど「おみくじ」というものが存在し、個人の運を試すような事をして人はそれに一喜一憂している。商業的な意味でも景気の良くなる月でもあるから「今年のあなたの運試し!」みたいな売り文句で福袋が置かれている事もあるから運というものの存在を信じてる人が多いのかもしれない。

かく言う自分も運というものの存在を信じている人間のひとりだ。流石にあらゆる事象の全てを運が良い悪いで片付けている訳では無いが、少なくとも去年1年間の間に起こった出来事の大半は運が良かったと思える年だったのは間違いない。

だが僕は運が良い時があれば悪い時も必ずあると思っている部分がある。つまり運が良いと思える事ばかりだった去年と比較すれば、今年は運のしっぺ返しが来るかもしれないと恐れながら日常を過ごしていた。実際、運が悪いと思える出来事は3つほどあった。

 

まずひとつは世間のオミクロン株の大流行

2つ目は交通事故

3つ目は自宅待機による仕事の休業だ

 

新年のご挨拶にも書いたように、今年の三が日の3日目は昔からの付き合いである友達に会いに東京へ向かった。この時はまだオミクロン株が大流行する一歩手前の状態で、今思えば訪れるのにはかなりギリギリの時だったのは間違いない。ただあの時は数時間だけだったものの、友達と一緒に交流して何かをして過ごすという当たり前の時間をとても幸せに感じる事が出来て、オマケに久し振りに訪れる事が出来た東京&大好きなスクエニのファンが集う聖地に訪れる事が出来た事が僕にはとても嬉しかった。あの時過ごした時間の思い出は新年最初の思い出として深く心に刻み込まれた。

しかしその後から東京を始めとした日本全国でオミクロン株が大流行、症状はデルタ株と比べれば比較的軽いものの、感染力が異常に強いという特徴のせいで日本は第6波という未曾有の感染被害に悩まされる事に結果的になってしまった。こればっかりは自分たちだけでどうにかできる問題ではなかったから運が悪いと捉えるのは早計かもしれない...が、それが後に後述する自宅待機という結果を招いた事になるわけだから結果的に運が悪かったとも言えよう。けれど、交流を果たした僕と友達はコロナに感染する事はなかった。そこは運が良かったと言えるのかもしれない。

 

2つ目は交通事故

1月12日の午前...僕は歯医者の定期検診を終えた後、地図上で調べて判明したちょっとした辺境のコメダ珈琲に行ってみようと思い、国道沿いの歩道を自転車で進んでいた。過去に何度も自身の不注意で転んだり、物にぶつかったりして怪我をしていた事のある自分は慎重になって進もうと気を付けたつもりでいた。しかし運の悪い事に事故は起こってしまった。

事故現場は国道沿いの左手側に車が学校に入る為の脇道がある所で、学校に用がある学校関係者の人が車で出入りする現場だった。車が国道から直接歩道に入る道であるにも関わらず、そこの歩道は横断歩道にはなっておらず、信号機も、一時停止の標識も白線もない現場だった。今思えば事故を誘発しかねない危険な現場だったという事が見て取れる。僕はそこを低スピードで進んでいた。そしてそこに車が学校に入ろうと左折して入ってくるなんてこの時は微塵も思っていなかった。だが事故は起きてしまった。

僕が歩道を真っ直ぐ進んだタイミングと、車が左折して入ってきたタイミングが不幸な事に一致してしまい、自転車走行中だった僕は左折してきた車に自転車ごとぶつかって倒れた。簡単に言えば轢かれた事になる。だがこの時の僕は車にぶつけられた部分に激しい痛みがある訳でもなく、骨が折れた様な感覚もない。アドレナリンが出ていたのは間違いないだろうから油断はできないところではあったが、この時の僕は奇跡的にも無傷の状態でいる事が出来た。

そして僕を轢いてしまった車の運転手はすぐに車から降りてきて僕の元へ駆けつけた。相手は若い女性で、ちょうど入ろうと思っていた学校にお子さんを送り迎えする途中だったのは、中からやってきた先生らしき人物に子供が連れていかれたのを見て察する事が出来た。この時の女性は酷く焦り、半ばパニックになっていた。それもそうだろう、この人にとっては初めての交通事故でしかも加害者側、被害者となってしまった僕の身を案じるだけでなく、事故が招いた事によって起こる自身の行く末やこれからの事など、色んな事が頭を駆け回ってしまい、目の前の状況に対してどう対処するのが良いのか悪いのかも分からなくなってしまうのも当然の話だ。

だがこの時の僕は酷く冷静だった。何故なら僕は過去にも似たような状況での事故に遭った経験があるからだ。事故に遭ったらまず何をするべきでどんな事をするべきなのか?その正解を既に知っていた僕は妙に冷静になる事が出来、落ち着いて対処をする事が可能だったからだ。僕はとりあえず警察を呼びましょうと女性に提案した。怪我をしていた場合は救急車を呼ぶ方が先だが、幸い僕の怪我は怪我と呼べるかどうかも疑わしいレベルでの軽傷だ、すぐに病院に行けなくても支障はないという事で警察を呼ぶ方を最優先とした。

そして警察が来てからはすぐに現場検証、僕自身の身体に深い傷を負った形跡も無い事から今回の事故は人身事故ではなく、物損事故として処理される事が決まった。それからは車のお相手が任意保険での保険会社に入っていた事から保険会社の方に電話をして事故の状況を話し、今後の対応をどうすべきか話し合った。その後、お互いの連絡先情報等を交換した事が完了していたのでその場では解散、僕は事の経緯を職場や報告すべき所に報告をした後、そのままコメダへと向かって至福のひとときを楽しんだ(おい)

その後相手の保険会社からの連絡が入り、この時は平日の休日だった為、その日のうちに病院へ向かい、念の為に検査をしたが結果ひび割れも骨折りもないという事で医学的にも無傷が証明された。病院の治療費は向こう持ちという事でお金は払わずに済み、念の為として書いてもらった診断書の文書料も後に振り込んでもらう事になった。自転車に乗ったまま車に轢かれるという交通事故、普通だったらケガの一つや二つしててもおかしくないものだが、奇跡的にも無傷という不幸中の幸いとも言える出来事となった。この時印象深いなと思ったのは、加害者となってしまった御相手の方の終始申し訳ないと思う気持ちが伝わるその様子だった。焦ってパニックに陥っていた相手の女性は泣きそうになっていたし、その日の夜のうちに家族総出で僕の元に来てわざわざ謝罪をしに来るという行動をされた事にはとても驚いた。

寧ろ僕の方も若干申し訳ないなと思う気持ちがほんのわずかばかりにあった。もちろん怪我をしてしまった場合はそんな事を思う必要性は無いのだろうが、自分が無傷で済んだが故に、ここまで大層申し訳ないという謝罪を受けるとそこまでしなくても良いのでは...と思ってしまった事は決して否めない。だが事故というものはこれが仮に人身事故だった場合、治療を終えて日常生活を送れるようになるまでの間は相手の保険会社さんと話し合って、事故の争点や慰謝料の請求といった、被害者、加害者というそれぞれの立場としてのやり取りをしなければならない訳であって、被害者である僕自身が納得出来る様になるまでの間は決して直接的なやり取りでの和解をしてはいけない...という事になるのだろう。つまり、本来なら相手の人がその日のうちに謝罪に来る事も、それを僕が甘んじて受ける事も、事故後の対応の仕方としては本来間違っているのかもしれない。けれどこれは僕が無傷で済んだからこそ成立する事なのであって、でもこれは数少ない例外中の例外なのだろう。今のところ僕は事故後の経過による事故で受けた膝の痛みやむち打ちなどの症状は出ていないし、経過は良好、普通に仕事もできていることから文書料の請求だけで今回の事故の処理は済みそうだ。

新年早々事故に遭うなんて何と運の悪い...とも最初は思ったものの、それでも全くの怪我もなく無傷で済んだのはこれもある意味奇跡とも言えるなと、僕はそう思う。運が良いのか悪いのか...とてもよく分からない話だ。でも僕はこの事故のせいで相手の人が不幸にならなくて良かったと思っている。事故自体は物損事故で済んだから相手のドライバーとしての履歴に傷が付くこともないだろうし、これからはもっと気をつけようとお互いに慎重になる事が出来た。これが大きな損害にならなかっただけ、お互いにまだ幸運だった...とも言えるのかもしれない。

けどもう二度とこんな事故は起こしたくないし、起こされたくもないですけどね(笑)

 

3つ目は法人内の新型コロナウイルス感染による自宅待機命令、及びそれに伴う仕事の休業だった。

簡潔に言えば僕の所属する法人内の入所施設でコロナウイルスの感染が判明した。おそらくはオミクロン株の感染、この施設は過去にもデルタ株が大流行した時にクラスター発生を引き起こした事がある。あれから十分な対策はとっていたはずなのに、またもや同じ施設でのコロナウイルスの感染確認によって一部の世話人の人達は法人に対して不信感を抱いていた。しかしどんなに苦言を呈していても、コロナ感染が起きてしまったことに変わりはない。今更それを止める術もないし、感染したその人の事を攻めてもしょうがないだろう。

しかしそれによって少し困った事になってしまった。それが自宅待機による一時的な仕事の休業だった。別に僕自身がコロナに感染した訳では無い。しかし僕の今住んでいるグループホーム(以下GH)の同居人のうちの1人が感染が判明した入所施設の職員だったということもあり、PCRの検査の結果による今後の判断を待つしか無かった。お上は最悪のケースを想定してそれ以上の感染拡大を防ぐ為に、ここのGHに住む入居者を一時的に隔離措置する事が決まったのだ。

おかげで一部の人は1日2日ほど仕事が出来ずに自宅待機となった。しかしこの時の僕は幸か不幸か有休と公休を合わせた3日間の連休に入っていたのでしばらくの間は間が持っていた。だがそれ以上の経過観察をする必要性も出てくる可能性はあった。場合によっては1週間〜2週間の自宅待機を命じられる可能性もゼロではなかった。まだ色んなことが分からないままの状態で時を過ごしていたという事もあってこれから先どうなるのかも未定のまま、下手すれば初めて仕事が出来なくなる可能性もあるのでは?という事も考えた。

コロナによる仕事の休業は誰もがなる可能性の高い日常生活に於けるリスクのひとつだ。それは何も自分自身がコロナに感染することだけが全てではない。自分の周りにいる人全てにコロナの感染リスクがあって、それに自分が巻き込まれる可能性も無くはないのだ。今の世間はみんなそんなリスクの綱渡りをしながら今を生きている事になる。無論それは僕もまた同じで、寧ろこの2年間もの間一切仕事を休業せずにいられた事が奇跡だと言えるのだから「ついに焼が回ったか...」とも考えたりもした。

僕は長期に渡る自宅待機生活を覚悟した。仕事が出来なくなる事による収入の減収やそれに伴う今後の生活の事など色んな事を心配しそうになったが、それをここで深く悩んで考えてても仕方がない。寧ろ今この時の時間を好きな事ができるチャンスだと捉えて楽しもう!と意気込んでさえいた。しかしその覚悟も虚しく(?)それはあっけなく終わりを迎えた。

3日間のお休みの最後の日の夜(1月18日現在)お上から連絡があり、感染が判明した入所施設でのPCR検査の結果全員陰性、クラスター発生は起きなかったという事でとりあえず自宅待機命令は解除された。つまり僕はただ単純に"3日間のお休みを過ごしただけに終わった"という事になる。

僕はこれに対して嬉しいと思う気持ちが半分、少し残念だと思う気持ちが半分、相反する気持ちが半々という少し複雑な気分になっていた。仕事が出来ることによる収入の安定という安心を得られる事が保証された嬉しさもありながら、久しぶりの長期休暇を悠々自適に過ごすかぁと意気込んでいただけに空回りしてしまった的な考えに至ったというのもあって不謹慎ながらも複雑な気分になってしまったことは否めない(笑)

ま、仕事が出来るだけでもありがたいと思うのが正解なのかもしれない...が、せっかくなら長いお休みをするのも良かったかもな...なんて思ってたりもするが(笑)

 

長くなってしまったが今年の僕の運は良い事と悪い事の両方が起きている。

正月に友人とあって楽しいひとときを過ごせた...が、その後オミクロンが世間で大流行してしまった。

不幸にも車に轢かれる事故を起こされてしまった...だが奇跡の無傷で済んだ

法人内でコロナ感染が判明、自宅待機を余儀なくされた...が、結局は通常通りの休みを過ごしただけで済んだ

...等、今年の僕の運は幸と不幸が同時に起きている。去年が本厄とは思えないレベルで運が良かったというのもあり、運の悪さを痛感する事が起きないようにしていた僕がこの1月中の間だけでも不幸と言える出来事が起きた。しかしそんな不幸をリカバリーするかのような幸運が起きた事もまた事実、結局今年の運が良いのか悪いのかもよく分からないという状態になっている。けれど冒頭にも述べた通り、運が良かったか悪かったのかなんてのは今その場で判断できるものではなく、結果に対して後から結論付ける為の便宜でしかない。

運が良かったのか悪かったのかなんてのは年末近くになって振り返りでもしないと分からないもの何だろう。今できることはこれ以上運が悪いなと思う出来事に遭遇しないように祈るしかない。悪い事が起きてしまったらその時はその時だ。取り返しのつかない事や理不尽な出来事が起きない限りは大抵の事は努力でカバー出来るからだ。

これから先も面白いと思う出来事や、良い事悪い事構わず印象的な出来事が起きたらここに書いて報告していくつもりです。

その時には暇つぶし程度にでも読んでもらえたらとてもありがたいです。でも例え読まれる事がなくてもこれは僕の日記みたいなもんですから振り返るための記録作りとしてブログは良い媒体だなと思うわけなのです。

 

では皆さん、今後も健康とコロナには十分気を付けてお過ごしください。何か面白い事が起きたらここに書きます(。・ω・)ノ゙

 

それではまた!

新年のご挨拶

 

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皆様、あけましておめでとうございます。

旧年の1年間お疲れ様でした、今年のお正月は皆さんどうお過ごしになられましたでしょうか?

僕は職場で毎年恒例の4連休を過ごす中で、引越し元のグループホームのメンバーへ新年のこ挨拶に行ったり、友達と会いに東京へ行ったりと、普段はほとんど出かけるという行為をしない分、思いっきり好きな事をして楽しんできました。

特に友達と東京のARTNIA*1へカフェを堪能し、豊富な数のグッズを眺めながら自分の好きなものを選ぶあの時間はとても至福のひとときでした...

コロナが流行りだしてからもう2年...になるんですかね?あっという間といえばあっという間だったし、長かったといえば長かったとも言えます。2年前の今頃はコロナがまだ隣国でポツポツと流行り始めた?ぐらいのマイナーな存在でしかなくて、あの時あの当時はまだそこまで厳しくマスク規制されていた訳でもなく、用心してマスクをする人、全く気にせずマスクをしない人の半々に分かれてた感じでしたね。

昨年のお正月当時はまだワクチンの本格普及が始まる前の段階だったのでほとんどの人が外に出るに出られず、世界的な蔓延という意味でも酷い状況でした。今はやっとワクチンが打たれ始めた事でみるみるうちにコロナの新規陽性者の数は激減、しかしオミクロン株という存在が再び脅威になりつつある...そんな感じですね。いずれにしましてもまだまだ油断は禁物という事で、インドアに過ごしてた方が平穏だということは相も変わらず、今年もまたそんなに大きくアウトドアを楽しむという事はしないと思います。...多分

 

今年の抱負

毎年毎年これをやろう!あれをやろう!と打ち立ててるわけでは無いのですが、今年はざっくりと大まかに3つほど目標がありまして

まずは第一に「健康である事」

昨年に続き言わずもがなって感じの目標ですね。コロナに掛からないようにするのはもちろんの事、昨年は歯医者さんも含めて病院のお世話になる事が年の後半に多くあったので今年は健康第一でありたいですね!まぁまだ病気を心配するほどの年齢とかではありませんが、事故とかそういうのも含めて気を引き締めていきたいですね。特に昨年は異常と言えるレベルで運が良すぎたというのもあるので運のしっぺ返しが起きないかどうかという心配があって警戒感強く持ってますからね(笑)

次に「FFを含めて色んなゲームを楽しむ事」

社会人という忙しい身という事もあって、子供の頃と比べるとゲームができる時間が大幅に激減してしまった今ではありますが、それでもいちゲーマーとしてゲームを大いに楽しむ1年で今年もありたい!という思いは強くありまして、今ある積みゲー含めて色んなゲームを楽しもうと意気込んでいます。特に今年2022年はFINAL FANTASYがシリーズ誕生から35周年というメモリアルイヤーとなっていまして、これは絶対何かしらの大作の発表はあるだろう!と睨んでいます(笑)

スクエニ公式側もまたFF35周年を盛り上げるための企画やら何やらを色々と考えているみたいなので長年ファンとしてFFを追いかけ続けてきた僕もまたこのお祭りイヤーに参加して盛り上げていけたらな!と思っています。とにかく今は3月に発売されるチョコボGPとFFオリジンの発売が楽しみでしょうがないです!早くやりたいなぁ...!

そして最後は「完全なる一人暮らしをする事」

これは正直、今年中に達成できるかどうか分からないです。今いるグループホームという場所での暮らしはとても快適で同居人に関する不平不満もないし、家賃も安く、環境的にはとても最高の場所だと思います。でもグループホームという特性上そこに居ては出来ない事というのもないわけではないんです。ただそこにさえ目を瞑れば生活環境的にとても最高なのですが...まぁグループホームというのは本来、「障害者が自分一人で生活をする為の訓練をし、自立を促す場所」という名目上の意義がある施設でもありますので、いずれは出ていかねばならないのですが、僕はまだ実家を出て1年ちょっとしか過ぎておらず、暮らし始めてからまだ間もないというのもありますし、いざやろうとすると本当に一人暮らしってのは大変だと思うので入念な準備をしないといけないというのもあります。

でも周りの友達には一人暮らしをした経験ある人が何人かいて、羨ましい...という憧れの気持ちが出てきてしまいますね(笑)

最後の目標に関してだけは今がその時なのかはまだわからないです。その時になってみないと分からないかもしれません。でも今の時点でただ1つ言えることは、何か新しいことを始めようと動くためにはお金が必要で、とにかくお金を貯める事が第一だということだけは分かります。せっかくお金が貯まりやすいグループホームという環境に今いる訳ですからコツコツと貯めておかないといけません。好きを楽しみたい、欲しい物があるからと言って無駄使いはせず、節制を徹底していかねばなりません。でも娯楽もちゃんと楽しむ余裕もないままあんまり切り詰めすぎちゃうと自分が壊れちゃうと思うので程々に散財する事ぐらいは許して欲しいです。

 

というわけで、僕は明日から仕事始めになるので少しでも良い未来に向かう為に頑張っていきたいと思います!

皆さん今年もどうかよろしくお願いいたします!

 

ニホンバトより

 

 

*1:スクウェア・エニックス本社のお膝元にある常設のオフィシャルカフェ&ショップ施設、カフェはFFとドラクエをモチーフとしたオリジナルメニューが提供されており、季節毎に出す限定メニューはその作品のイメージが表現されていながら味もちゃんと美味しいと評判、グッズコーナーはFFとドラクエを中心にスクエニ作品の公式グッズの新作が常に取り揃えて置かれている為、スクウェア・エニックスカフェと同じくスクエニファンが集まるファン愛好の施設

2021年総決算

 

皆さんこんにちは、ニホンバトです。

さて2021年もそろそろ終わりを迎えてしまいますね。11月に入った辺りから「もうすぐで今年も終わるなぁ...」なんて思っていたら12月に入り、それから無我夢中で働いていたらあっという間に今年の終わりも近くなりました。

皆さんは今年の1年どんな年になりましたか?僕も少しだけ思い出を振り返っていこうと思います

 

2021年の思い出

2021年のお正月は初めて実家ではない所で三が日の三日三晩を過ごす事となりました。去年の自分が起こした生活環境をガラリと一変させた出来事によって僕は実家を離れ、グループホーム(以下GH)に入居することになり、今年の一月からが正式な入居になるので新生活のスタートとして身が引き締まる思いでした。

その頃は自分の生活を確立させるための準備がまだまだ必要だったという事で物は揃ってないし、諸々の契約や手続きもしなければならないという事で4月頃まではちょっと忙しい期間ではありましたね。1月の始めの頃なんてまだ4KテレビやPS5なんかなかったし、ましてやベッドすら無い状況でしたから。4KテレビのBRAVIAを買ったのは今年の3月末近くに買ったので実家を出てから半年近くはテレビが無い生活を送っていました。それを職場周りの人に言うと「よく耐えられたねぇ」と驚かれる事が多かったので、やはり世間一般的な価値観で言えばテレビは娯楽を楽しむための生活必需品でテレビの無い生活は耐えられない!とする人が多いんだな...と

でも僕は実家にいた頃から既にテレビの地上波放送は特定の番組をレコーダーで録画したものを見る以外では殆ど使わなかったし、それに加えて半年近くもテレビの無い生活を送っていたからそれに慣れきってしまったせいで、テレビをテレビとして使う事に意義を感じなくなってしまった...と思う次第なんですよね。ならどうして4Kテレビを買ったのか?それは僕がテレビをテレビとしてではなく「4K高画質で次世代ゲームを楽しむ為の大画面モニター」としての側面として見ていたから買ったんですよね(笑)

でも最近のテレビって本当に凄くて、基本的な地上波放送はもちろんの事、ネット接続をする事によってYouTubeやAbemaTV、Hulu、U-NEXT、NetflixAmazon prime videoと、ネット配信アプリも使う事ができる訳ですから凄いですよね!こういうのは大抵スマホタブレットでも見れたりしますけど、テレビならではの大画面で見れるってのはやはり迫力や臨場感というのが圧倒的に違くてですね、テレビをテレビとして使わない僕のような若者にも訴求できるように各メーカーが企業努力をしてるんだなぁ...としみじみと思えます。

 

僕はいずれGHを出て本格的な一人暮らしをしたいと夢見ているのですが、そのための準備として生活家電を買わなければならないというのがありまして...最終的には冷蔵庫、電子レンジ、炊飯器も追加で買って殆どの生活家電は揃ったのですが、その中でも僕がこだわって買ったのが4Kテレビでしたね。僕が元々ゲーム好きな人間なのでゲーム業界の流れが今4Kを主流としていく流れになっているのであれば、ユーザーである僕もまた4Kを楽しむための環境を整えなければと思い、テレビは4Kである事を前提としてメーカーにもこだわりました。僕が買ったSONYBRAVIAは2020年製のものなので残念ながらPS5の最大の魅力である4K/120fpsを楽しむ為の性能を引き出す事は出来ないのですが、4K/60fpsまでならば楽しめるのでミドルクラスな物としての価値は十分にあって今はそれを存分に楽しめてます。しかしまぁ生活必需品であるとはいえ今年は結構な散財をしました。

僕が今年プレイしたゲームはFF15、FF7RINT、P5R、Deltarune、DEATH STRANDING DC版とプレイしたゲームの数は少ないですが、そのどれもが長い時間をかけて濃密に楽しんだものばかりで、特にP5Rなんて3ヶ月掛けて300時間以上プレイしましたからね!最高にめちゃくちゃ面白かったけど、まさかこんなに時間が掛かるゲームだとは思いもしなかったです(笑)

デスストは今もまだ楽しんでる最中でして、エピソード5のママーに入った辺りで既に100時間超えてますから指名無し配送の寄り道をし過ぎましたね(笑)ぶっちゃけ3月には予約したチョコボGPとFFオリジンが迫ってきてるので早くクリアせねばならないのですが、果たしていつになったらクリアできるのやら...(笑)

いずれにしろ今後もどんな次世代ゲームが出るのかと考えるとワクワクが止まりませんね!

 

今年は運が良かった年

それから今年は妙にめちゃくちゃ運の良い年でもありました。僕は今年24歳になったので本厄という最悪な厄年ではありますが、同時に年男でもありました。本当は厄祓いに行きたかったのですがその頃はまだコロナの感染人数の拡大が酷く、ワクチン接種が始まるまではどこにも出かけられない状況だったので泣く泣く諦めるしかなかったのです。...が、本厄であるにも関わらず今年はめちゃくちゃ運の良い事に恵まれていまして...

FF7Rオーケストラコンサートチケットの抽選販売の当選

ノジマのPS5抽選販売の一発当選

チョコボGP公式アカウントが開催したTwitterキャンペーンのSwitch当選

特にこの3つはめちゃくちゃ運が良かった出来事として非常に印象に残っています。どれもこれも奇跡のようなものばっかりですね。こんなに運の良い事ばかり起きたら明日死ぬんじゃない?なんて思いながらこんな偶然を引き当てる事が出来た事にただただ自分でも驚くばかりです...(笑)

そもそもこの運気の良い流れは僕が実家を出て以降から起きていまして、親からの物理的な自立、精神的な自立によって運気が向いてきた...と考える事も出来なくはないんですよね。何故なら僕が実家を離れる事になる前「母親が病気で亡くなって葬儀を開いてる夢」というものを見た事がありまして、たった1回しか見れませんでしたがそれが強烈な内容故にめちゃくちゃよく覚えていて、その事を後に夢占いで調べてみたのですが、それによるとどうやら親が死ぬ夢というのは「親からの自立、運気アップ、環境や人間関係の変化を予兆する吉夢」としてされているらしく

特に母親の病死は「母親との親子関係の変化」(実際にそれまで良好だった関係から最悪の関係性に変化)

母親の葬儀に自分が出てるのは「自立のタイミングの示唆」(この夢を見たすぐ後に実家を出た)

そして親が死んだ事で自分が困っている時は親に依存して甘えがまだ残ってる象徴...とされているのですが、夢の中の自分は悲しいという感情にはなっているものの、特に困っていたわけではなかったので親をまだ頼りたいとする心は自分の中には既になかったという事になります。

自立をして以降から妙に運の良い現象が起こっているという事は夢占いによる効果が実際に起きているとしか思えず、完全に否定しきれないのがまた少し恐ろしいなとも思わされました。夢占いって怖いぐらいよく当たるんですね(笑)

【夢占い】親が死ぬ夢の意味は? 状況・人物・行動別に解説|「マイナビウーマン」

 

そう考えたらその当時の自分があの時選んだ選択は決して間違っていなかったどころか、寧ろ正解とも言える事ばかりが起きていたので、本当にこれで良かったんだな...と今更になってしみじみと思うばかりです。

しかしここまで運が良過ぎると来年は逆に災難が多そうな年になると言えなくはないと思うので、今後は身の回りに関するあらゆる物事には気をつけて取り組まないとな...と、身が引き締まる思いにさせられますね。

 

今年のコロナ禍生活

コロナは2021年になっても相変わらず猛威を振るい続けるばかりで、ぶっちゃけどこにも出かけられなかったです。とは言っても近所だったり、日常的に必要な最低限のお出かけぐらいだったら感染予防対策をした上で慎重に出かけるぐらいはできていたので、どこか遠くに行く旅行とか人混みの多そうな都内や県の中心部に行くという事はワクチン接種をして世間のコロナ感染状況が落ち着くまでは全く出来ない状況ではありましたね。

せいぜい遠くに出かけた事と言えば今年の7月に友達に会いにさいたま市へ出かけた事ぐらいで、それ以外での都内へのお出かけとかは一切なかったですね。

そういえばこの場を持って初めて語らせていただきたいんですけど、友達と会ってすぐにカラオケをして、その後軽く居酒屋さんに飲みに行ったんですよね。居酒屋さん自体はうちらが入った時は全然ガラガラで、「これなら静かに飲めそうだな」と思って安心しまして、実際友達一緒に飲みながら軽くトークをするあの時間は僕にとっては凄くとても楽しかったです。

でもその後入ってきた若者グループのお客さんがまぁ.....ちょっとこのコロナ禍で大声を出すなって世間から言われてるにも関わらず、とんでもないバカデカ声でおしゃべりして騒いでましてね。あの時すっっっごく居心地が悪かったです。気分を害されたというか、「お前今どういう状況だか分かってんの?マスクもしてねぇのにバカデカい声で喋ったら感染するだろうが!!!」って心の中ではめちゃくちゃ怒りを燃やしてました(笑)

まぁ居酒屋という場所の特性上、ああいうタイプの人間もいるという事なんでしょうけども、にしてもあれだけ東京都知事が三密を避けましょうと提言し、世間からの居酒屋のイメージが悪くなってしまっている中で、特にこのコロナ禍という状況下に於いてああいうマナーを心掛けてない人が同じ飲みの空間の中に入ってこられたりすると途端に離れたくなりますね。

そもそも、陽キャというか無駄にノリの良いウェイウェイ系の人が僕は凄く苦手で、あつ森で言えばジャスティンみたいなああいうのはちょっとそもそも無理って感じでしたね(笑)

自分の生きてきた人生の中で周りにこういうタイプの人間はいなかったので普段からノリが良すぎる人とかだと友達付き合いも大変そうだなぁ...なんて思ったりしながら逃げるようにおいとましました(笑)

静かに飲みたい人もいる一方でああいう人目を気にせず騒ぎ立てるタイプの人も一定数いる、どんなに大多数の人が三密を避けて静かに飲むという事を心掛けていたとしても、ああいう一部の人間のせいでコロナの感染拡大は歯止めが効かない事になり、飲みに対するイメージまで悪くしてるんだなと思うとその全てをひっくるめて政府が規制する方向に走るのも何だか頷けるなぁ...と思ってしまったわけで、でもそれでも外で飲みたいとする一部の人たちが路上飲みなんかをやり始める訳ですからイタチごっこもイタチごっこですよね。

ただまぁ友達と一緒に飲むあの時間帯は本当に楽しかったからそれは良かったです。不幸にもバカ騒ぎグループと遭遇してしまったのはアレですが、その点を除けば楽しいことばかりだったのでとても有意義な時間でした。

 

大きなお出かけをしたのはそれぐらいであとは家で引きこもってゲームをする事が大半で、はたから見たらつまらない過ごし方してんなぁ〜なんて思われるかもしれませんね(笑)

ただいつどんな情勢であっても基本的に無駄な外出は避ける様にするのが良いとされているのは今でもそうなのでこれからも僕は家にこもってゲームしまくると思います。来年の正月休みはゲーム三昧の正月になると思います(笑)

 

最後に

僕にとって今年という年は新しい生活に慣れるための年でもありました。色々あった中で迎えた新年を終えてからの僕は色々と慣れない事が多いながらも自分の自由にある程度の好きな事をして生きていける今の生活環境がすごく快適で本当に居心地が良かったです。

たらればの話になってしまいますが、もしこのまま僕が実家に残り続けていた場合どんなつまらない生活を送り続ける事になるんだろうか?と考えたらとても恐ろしくて仕方がないです。きっと家族のためとして働く事さえ嫌になって仕事を無断欠勤したりしてたかもしれません。でも僕が家を出た事でその可能性は万に一つも無くなった。それどころか運が僕に対して好転してきて、コロナにかかる事も無かったし、正直良い事ばかりでした。

自分の生き方も自分のやりたい事も好きに選べて自分の自由に過ごせる環境が今ここにある。こんなにも素晴らしい事は他に無いでしょう。僕は今ある周囲の環境に有難みを感じながらこれからを生きていく事を心がけようと思います。

 

皆さんにとって2021年はどんな年になりましたか?

僕は24年の人生の中で一番最高!と思える素晴らしい年となりました!

 

来年2022年もまた良い年としていきましょう☺️

 

それでは今年最後のブログ記事もこれで終わりにしようと思います。ここまでのご拝読、誠にありがとうございました!良いお年を!!!

6sから13へ...iPhoneの世代交代

 

こんにちは、ニホンバトです。

今回は長年ずっと使い続けていたiPhone6sから最新のiPhone13に機種変更をしたので、その経緯についてとiPhone6sの思い出を振り返りながらここに記そうと思う。

 

iPhone13機種変までの経緯

iPhone13はApple社が2021年の9月に発売したナンバリングiPhoneのシリーズ最新機種、最近のiPhoneの傾向としてシリーズ毎に複数種類の端末を用意しており、単純にiPhone13ひとつとってもサイズダウンして手頃な価格帯に抑えたiPhone13 miniやトリプルカメラを搭載した上位機種のiPhone13 Pro、その中でも最高性能&最高級のiPhone13 Pro Max等、同じナンバリングiPhoneでも一昔前のそれに比べて選択肢は大幅に増えた。

今回僕が買ったのはその中ではスタンダードモデルなiPhone13のストレージ256GB、スタンダードとは言ってもそれまで僕が長年愛用していたiPhone6sと比較するとスペックには雲泥の差があり、これだけでも僕にとっては大幅な性能の向上感を感じ取ることが出来た。

f:id:Gameslifeisff:20211215061136j:image↑iPhone13の外箱、昔からそうだがiPhoneの箱はこういうシンプルなデザインがオシャレさを醸し出している。

買ってから言うことではないが、実は僕がもし機種変更をするならiPhone13ではなく、iPhoneSE(第2世代)を買おうと考えていた事があった。というかそっちの方向で行こうと半ば決意をしていた部分もあった。

というのもそもそも僕は最近のiPhoneやハイスペックスマートフォンの価格帯の高さに苦言を呈していた事があり、「スマホにそこまでの金をかける必要あるか...?」と、最近の大手メーカーの出すスマホの高級化路線に懐疑的な目で見ていたのも確かだった。

ハイスペックと言われるスマホはどれもこれも値段が軒並み10万超えは当たり前、それはもはやちょっとした高級家電を買うのと同じレベルであり、10万もあればPS5を買って3本ほどフルプライスのソフトを買ってもお釣りが返って来る、そんな高級スマホを買ったとしても、スマホゲームもしなければ、動画編集などのスペックが要求されるアプリケーションを使う訳でもない。僕がメインに使うのはせいぜいTwitterとLINEとpixivみたいなSNSサイトと、軽くYouTubeで何本か動画を見たり、はてなブログでこうやって時折文を書くのに使うぐらいしか用途がなく、そんな自分にハイスペックスマホは宝の持ち腐れ、使うアプリの少なさやアプリに求められる要求スペックの低さのことを考慮したら4万〜6万円ほどの価格帯のミドルクラススマホを買えば十分なのでは?と思っていた。

故に現行で発売されている機種の中でもとりわけ価格帯が安くて手頃なお値段のiPhoneSE2はそんな自分にはうってつけで来年の1月になったらそれを買おうと考えていた事もあった。しかし試しにドコモのオンラインショップでiPhoneSE2の事を調べてみたら何ともう既に売り切れ。考える事はみんな同じなのかiPhoneの中でも手頃な値段で買えるiPhoneSE2は人気がとても集中しており、ドコモオンラインショップでは次回の入荷は未定の状態だった。

ここで僕は悩んだ

当初の目的として買いたかったiPhoneSE2の再入荷を待つのも良いが、それだといつ新しいiPhoneに乗り換えられるのか分からなくなってしまうし、2年前に発売されたものだから最悪そのまま販売終了になってしまう可能性も無くはない。

かと言ってAndroidのミドルクラススマホはメーカーや種類によって善し悪しがハッキリと分かれているから慣れない物を選んで失敗はしたくない。

ではどうしたのか?結論として僕はiPhone13を買った。

あれだけハイスペックスマホに懐疑的だった自分が結局価格10万超えのiPhone13を買ってるなんて何のお笑いだ?とバカにされるのも仕方がない。でも僕がiPhone13を買う決意をした理由は思ってたよりもiPhone13が安く手に入れられるプランをドコモが打ち立てていたからである。それがドコモの「いつでもカエドキプログラム」これはハイスペックスマホの購入にのみ適用されるプランで、本来10万超えもするiPhoneやハイスペックスマホ2年後に返却する事を条件に分割料金を安く抑えたもので、2年後に返却をするとその後の機種本体代の残り残金分を支払わなくても良いという"常に最新機種への乗り換えはしたいけど分割払いの残金が負担になる..."という人にはうってつけのプランとなっていた。

だが僕はこのプランを適用しているが現時点では2年後にこのiPhone13を返却する気は無い。今のところは...だが、そうなると2年間で払ってきた本体代の残金分を更に24分割に分けて支払いをすることによって結果的に4年間の支払いで本体代の分割払いが完済する計算になっている。最近のiPhoneがそうであるように、スマホのスペック向上に伴う新モデルの登場頻度は極めて高い傾向にある。その当時は最新機種だったものが1年、2年経てばもう古臭いものになるというのが最近の時流になっており、常に最新機種を求める人にとっては最もお得なプランだとも言えるかもしれない。

しかし僕はiPhone6sを5年9ヶ月も使い倒してきた男である。できるだけ長く使いたい自分にとってこのいつでもカエドキプログラムは本体代の分割払いのプランには無い48回払いをするためのプランと捉えており、10万超えの製品でも流石に48回払いもすれば月々の負担額を限りなく安く抑える事ができる。僕はそういう考えもあってiPhone13を購入するに至った。

iPhone13は最新機種だけあって大きさも、容量もスペックの高さも申し分ない。前世代機種のiPhone12と比較するととりわけ目立った違いというものはあまりないとする部分もあるらしいが、この先長くiPhone13を使っていくつもり故に性能の良いものを買っておくのは良い事だ。何より5年9ヶ月も活躍してくれたiPhone6sをそろそろ休ませてあげねばならなかったし、これからはiPhone13をずっと使い続けていく予定だ。

 

iPhone6sの思い出

僕が人生で初めて手にしたスマートフォンは高校卒業をした18歳の3月に買ってもらったiPhone6sだった。それまでは父の形見であったガラケーを使っていて、ガラケー慣れをしていた自分にとってスマートフォンというものは未知なる存在の物だった。

そもそもその時点では僕と弟はスマホというものを一度も持った事がなく、世間的にもガラケーからスマホにシフトしつつあるあの当時の中でうちらはだいぶ...というかかなり遅れた人間だった。スマホ自体に憧れみたいなものはあるにはあったのだが、僕自身そこまで欲しい!と思うほどではなく、あの当時の母はドコモのAndroidスマホを持っていたのだが、そのスマホはスペック自体が低いものだったのであまりちゃんと動作せず、またAndroid故のカスタム性の高さが母には難しかったようで上手く使いこなせないでいた。

そんなこんなで僕が学生時代の頃にスマホを買ってもらうというチャンスは一度もなかった。

しかし僕が高校卒業をしたと同時に母は急にiPhoneを買おう!と言い出した。理由はそろそろ僕と弟にスマホを持たせておかないとヤバいと母が急に思った事と、どうせなら3人全員同じキャリアで揃えれば携帯代が安くなるからという理由でそうなった。その当時の僕はiPhone自体の名前は知っていたのだが、iPhoneって何ぞや?な状態なので何もかもが新鮮だった。ドコモショップの店頭にはiPhoneの最新機種が展示されてるのだが、iPhone6sの液晶画面に映し出された見本用の色彩豊かな画像は当時として考えればめちゃくちゃ綺麗に感じられたもので、これがiPhoneなんだ...と何もかもが未知の体験だった。

その当時展示されていた最新機種は主にiPhone6sと6sPLUS、2016年の3月にはiPhoneSE(第一世代)が発売されたばかりだった。その半年後にはiPhone7が発表されたりするのだが、その当時の自分たちが選んだのはiPhone6sのストレージ64GBモデルで、ランク的なことを言えば当時としてはミドルクラス級の物だった。家族三人が全員新しいiPhoneを一気に買うという事なのでその当時のドコモショップの店員もまぁやたらと接客態度が良かったのも覚えていた*1

f:id:Gameslifeisff:20211215061142j:image今のiPhoneと比較すると本当に小さくて薄い、これだけでよく長く持ったものだ

今でこそAndroidのカスタム性の高さやiPhoneには無い特筆ある機能面によってAndroidにも人気が集中しているが、iPhoneは当時も今も初心者向けのスマートフォンとして何もかもが分かりやすく、使いやすかった。iPhone6sはホームボタンにある機能のTouch IDによる指紋認証が使いやすく、スマホを起動する時もいちいちパスコードを打たなくても良かったのでとにかく使いやすかった。またiPhone6sと6sPLUSはiPhoneSE(第一世代)と同じくイヤホンジャックがまだ搭載されている唯一のiPhone、7以降イヤホンジャックが無くなったことを考えた時に有線イヤホン派の人にとっては未だに愛用されるものとなっている。またiPhone6sは日本で1番人気のあったiPhoneとしての実績があるからなのか、発売から6年が経った今でもiOSでのサポートがされているというiPhoneとしては異例の長寿命iPhoneとして今でも話題になったりする。

 

iPhone6sは13に乗り換える今日までずっと活躍し続けてくれた。アップルから毎年のように新型iPhoneの発表がされてもまだまだ使えるからと、このiPhoneを手放す考えには至らなかった。

買ってから3年が経てばそろそろ乗り換えても良いのでは?と思ったりもするが、それでもまだまだ取り替える気は無かった。この時点で6sの本体分割払いは既に終えていた為、いつでも機種変しようと思えばできていた。1回だけかなりバッテリーの消耗が激しくなり、そろそろ寿命か?なんて思ったりもしたことがあるが、それもアップルストアでのバッテリー交換によって事なきを得た。

それから更に2年と9ヶ月...iOSのサポートが終了したらそろそろ機種変しないとな...なんて思ったりはしたものの、未だにiOSがサポートされ続けている事で機種変をすぐに決めきれるものではなかった。けれどアップルストアで処置してもらったバッテリー交換によるバッテリーも再び劣化が激しくなり、何もしなくても電池をかなり消耗するようになっていた。冬場の今なんか特に寒い気温の中で使おうもんならあっという間に充電切れ、モバイルバッテリーの存在が必須となっていた時点でそろそろ機種変しなければならなかったのは明白だった。またlightning端子を挿しても反応しない事が度々起こるようになっていて、寝る前の夜に充電器に挿したのに充電されるどころか3%までバッテリーが下がったなんて事もあった。

もうiPhone6sは限界なんだと明らかに感じていた

そろそろiPhone6sは休ませてあげねばならない、ちょうど今年の終わりも近いし、来年からまた心機一転としてiPhoneも新しくして新年を迎えよう。そしてiPhone13に機種変更した今に至る。

f:id:Gameslifeisff:20211215055631j:image大きさはiPhone13の方が大きいがこうして比較して見ると親と子の様な佇まいが感じられる。長年戦い続けた6sの汚れた背面姿はやはり格が違う。

思えばこの5年と9ヶ月間、よく壊れずに持ってくれたものである。保護カバーとフィルムはつけていたが、何度か落としてしまった事があった。その時も液晶画面がひび割れるどころか傷一つ付きもしなかった。落としどころがたまたま運が良かっただけなのかもしれない。けれど何度か落としてしまっても壊れることなく持ってくれたiPhone6sには脱帽の気持ちしかない。

6年近く壊れること無く持ち続けたのはiPhoneとして考えてもかなりの大往生で、それだけ壊れないように気を使っていたのが幸いしたのかもしれない。iPhone6sは素晴らしく使いやすいデバイスだった。人によってはこれがiPhoneの完成系だと言う人もいるし、それはその通りだろうなと思う部分もある。常に自分の手元にはいつもiPhoneがある。肌身離せないものになっていたのは確かだ。

これからはiPhone13が活躍してくれる。長い長い任期を終えてiPhone6sは眠りにつく、改めてこれまでの5年9ヶ月間僕のマイデバイスとして活躍し続けてくれて本当にありがとう。

 

iPhone6sのその後

iPhone6sはドコモの下取りに出す事にした。なかなか愛着があって手放すのも惜しいとは思うが、ドコモで買ったものをまたドコモに返すというのもまた乙だと思い、下取りしてもらう事にした。流石に6年以上前の物なので状態良好でも買取価格はさほど期待できるものでは無いが、6sも限界だと思うので向こうで休ませてあげたいと思った。

本当に手放すのは寂しくなってしまうがここまで長く持ってくれた事に感謝をしながら下取りに出させてもらう。

 

これからは新しい相棒、iPhone13と共に生きていく、また次の世代交代が行われるその日まで...

 

 

 

*1:勿論ドコモショップの店員の接客態度が良いのは今もそうだが(笑)