ポッポ屋日記

日記的なブログにしたいです

鳩の小噺1「生きがい」

 

こんにちは、ニホンバトです。

普段僕がこのブログで投稿している記事は主にゲーム(特にFF)の感想記事を中心とした内容の物が多いのですが、ブログというのは自分の身の回りの事や自分の事を発信する媒体でもあるので、せっかくなら自分の近況やその時思った事を手短に書いて発信する。そんなブログも書きたいという事で、「鳩の小噺」というコーナーを始めました😊

内容としては雑談レベルの事や自分の主観的な価値観であーだこーだ言ったりもしますが、一個人の意見として軽く考えて貰えたら有難いです。僕は何かを書くと大抵長ったらしくなってしまうのがたまにキズなので...(笑)

 

さて、第1回となったこのコーナーの最初のテーマは生きがい...いきなり重そうなタイトルになってしまって申し訳ない...ですが内容としてはほぼ近況報告なので安心してください🙇‍♂️

僕は去年の11月に実家を家出しました。理由は母親との金銭を巡る価値観の相違、そしてそこから来る大喧嘩の末、心が疲弊し、また母親からの言葉で傷付けられたと感じた僕は実家を飛び出して出ていきました。

頼れるあては僕が働く職場の福祉法人だけ...正直な話何の計画性も勝算もなく気持ちが先行して実家を飛び出したのはあまりにも無謀で無計画すぎるにも程がありました...しかし僕は逃げ出したいとする自分自身の気持ちを最優先して二度と実家には戻らない事を決意して出ていきました。

その後、大変な紆余曲折がありながらも色んな人からの支援や応援の声を頂いたおかげで再び底辺に落ちかけていた気持ちも何とか沈み過ぎる事無く過ごす事ができ、僕の所属する法人が管理・運営をするグループホームに入居、今現在は自分の稼いだお金で生活費をまかないながら安心して今を過ごす事ができています。

 

今過ごしてる住居に入ってから今月で半年...実家を飛び出してから気付けば7ヶ月も経っていました...その間にあの母親からは何度か手紙を貰ったりもしたのですが、書いてある内容は「自分には非が無い」「〇〇(福祉法人)は酷いです」「実家に帰ってきて全てやり直してください」とあくまでも自分自身にも原因があるということを認める事は無く、僕が家出した後の家族との交流を拒否した事もあって、最終的には家族としての縁切りまで一方的に突きつけてきました。正直呆れしかないですね😩

でも最後の手紙(本人曰く)を貰って以降は向こうからのアプローチは何の音沙汰も無くなりました。途中で金まで請求されましたが、僕が断固として返信をしなかった事が功を奏したのか、それとも諦めが悪いはずのあの人が諦めてくれたのか...は分かりませんが、実家との関わり、母親との関わりが完全に無くなって過ごせている今の自分はとても有意義で非常にストレスフリーです😆

正直なことを言うともうちょっと実家とは距離のある場所に暮らしたかったのが本音ではあるのですが...あの時はそうも言ってられないほど逼迫してたのもあったし、不思議な事に実家を離れてから一度も母には遭遇していないので恐れる事無く過ごせています。それに物理的な距離は近くても、心の距離は地球と月までの間並みのレベルで心が離れているので今更会ったところで僕の心が変わることは無いです。

仮に、あの人にはあの人なりの思う気持ちがあったんだとしも、青二才の今の僕にはその気持ちは理解が出来ず、現時点ではそんな母親に対して呆れと嘲笑の気持ちしか出てきません。あの人が反発する僕に対して言ってきた言葉の理不尽さを思うとあの人は人を金蔓としか思っていない、息子を思う母親の気持ちなど無いとしか考えられなくなっています。

もしも、お互いの気持ちに再び寄り添って実家暮らしに戻るという奇跡が起こったとしてもそれは少なくとも十数年以上先の未来の話になるでしょう。ともかく今は僕自身の生活を最優先とする事に一生懸命になっています。

 

ですが僕は時々ふと思う事があるのです。

自分は何のために生きているのだろう...?」と

別に死にたいと思うほど人生に絶望している訳ではないのです。しかし昔から夢も目標もなくただ流浪の流れに沿ってのうのうと生きてきただけの僕が今こうして働き詰めながら仕事を頑張って生きる理由とは何なんだろう...?と考える事もあります。

昔はそれこそあの母親を楽させてあげたい、家族として共に協力し合いながら生きていきたいという他者に依存した理由があって生きてきた部分が強かったです。しかし親の為に尽くして生きる事が馬鹿らしくなった僕は自分の人生を自分の為に生きるという決意をしてここまでやってきました。ですがそう決意したのは良いものの、自分がこれから先の人生を生きていく中でいったい何を目標に、何を理由に、何を生きがいとしてこの先を生きていくのか?時々分からなくなることがあるのです。

こういう風に考えるようになったのは昔は曲がりなりにも「家族のために生きる」という分かりやすい理由があったからこそ何の考えもなしに色んなことを頑張る事ができて、いざ自分のために生きるとなった時、自分は最終的に何をしたら満足するんだろう?と人生の目標や夢みたいなものを抱いていないからこそ考えてしまう悩みなんだろうなって思ったりもします。

 

例えば、飛行機のパイロットになりたいって夢を持ったら勉強を頑張って、良い高校や大学に入って夢の為に勉強を頑張る、そして航空会社に就職をしてその夢を叶える。漠然としてるけど大きな夢を持つ事でその人はその目標一筋に今を生きる事ができる。

では特にこれといった夢や目標がない人は?

叶えたいとする夢や成し遂げたいとする目標を持たない人はいったい何を理由に、何を生きがいに今を一生懸命頑張って生きるのか?人が人として最低限の営みをして生きねばならない理由は何なのか?きっとハッキリとしたその理由を見つけるのってめちゃくちゃ難しくて、10年20年...下手すりゃ30年経ってようやく見つけられるほど簡単に答えを出せる問題ではなくて、きっと「何のために生きるんだろう?」って思いながら生きていくのでしょうね(笑)

 

ただ自分の好きな事して生きていたいっていう指針みたいなものはあります。それこそ好きなゲームをプレイするとか、好きなマンガを読み漁るとかそういう趣味を楽しむ事だったり、このコロナ禍じゃなければ外に出てお出かけを楽しむとかそういう事もできたと思います。

特に昔からサブカル文化に触れてきた若者は自分の楽しむ趣味や推しの為に生きるという人も決して少なくはなく、サブカルの存在も決して軽視できないものになってます。僕はそこまで熱を上げるほど趣味のために生きてる訳では無いですが、モチベーションの維持の為には欠かせない存在であり、毎月趣味のための日数が近付いてくるとより頑張る事が出来ます。そしてその趣味を楽しめたこの瞬間に幸せを感じて頑張るためのモチベが回復するんですよね...

 

趣味を楽しんだり、休日はゆっくり過ごしたり、今はまだ生きがいとする確固たるものは無かったりしますが、今の段階ではまだその先の人生の事をそこまで深く考える必要は無いのかな、なんて思ったりします。

もしかしたらこうやってこのまま平凡に生きていけることが幸せなのかもしれないし、趣味を楽しみながら生きる今も最高な気がしますしね。

 

これまで少し大変な時期もありましたが今の僕は平穏無事に毎日を過ごせてます。

皆々様、その節は大変お世話になりました😭

本当にありがとうございます!今後ともよろしくお願い致します🙏🙇‍♂️

 

 

FINAL FANTASY ⅩⅤ 感想記事 〜メディアミックス作品を見て〜

 

FF15の感想記事もこれで最後になります。

PS5を買ってからおよそ2ヶ月ほどの時間を掛けてゲームのFF15本編とエピソード〇〇でのDLCをプレイしてきた。ゲームで楽しめるところは存分に楽しみ尽くしてきた。最後に残るのはメディアミックス作品を楽しんだ感想になる。

FF15に於けるメディアミックス作品というのは主に3つある、ひとつは映画、ひとつはアニメ、そして最後は小説、特に前者2つはFF15という作品の世界観により深い造詣を持たせるのには重要な作品となっており、後者の小説はゲームでは実現できなかった新たな物語の真実が描かれたものとなっており、シーズンパス第2弾を待ち望んでいたユーザーにとっては開発中止という煽りを受けてしまった分、小説という媒体で最後の物語を見届ける事ができる形として収まったことになる。

最後なだけにそこまで長くは書かないので気軽に読んでくれると嬉しいです

 

ノクト達の少年時代を描いたBROTHERHOOD FINAL FANTASY ⅩⅤ

Brotherhood FINAL FANTASY ⅩⅤ(以下ブラザーフッド)はメディアミックス作品のひとつとしてFF15開発スタッフ協力の元、生み出されたオリジナルアニメ作品で1話に対する長さは10分〜15分程度で全5話構成、当時はブルーレイディスクとDVDでのセル版の発売もあったが、今でも公式YouTubeで見る事ができる。

ゲーム内ではあれだけ仲が良いとされているノクト達4人がどういう経緯で出会い、どんな出来事によってその絆を深めていったのか?が詳しく描かれた話となっており、ほんの少しパラレルな世界線になっているものの、過去の話の設定はゲーム本編にも生かされている部分があるのでメディアミックス作品としては見ておくとより面白いものを感じる事ができるだろう。

 

個人的に面白かったのは第1話と第2話と第4話で、1話のクロウズ・ネストで食事をする時にノクトがさも当然のようにハンバーガーに入っている野菜をイグニスに渡して避けてたり、2話で幼少期は太っていたプロンプトが仔犬だったプライナの介抱という偶然の出会いからルナフレーナと邂逅し、ノクトと仲良くするようになったり、4話で世話係としてキッチリし過ぎているのもあって意外とノクトとは仲が良くない時期がイグニスにもあったり...と、彼ら4人を主観とし、まだ平和だった頃のインソムニアで過ごす物語は短いながらも一定のクオリティがあってとても面白かった。

特に驚いたのはインソムニアという都市の圧倒的東京感、ブラザーフッド内でのインソムニアの街並みはチラッとしか出てこないが、雑踏する人の数の多さやそこら中に張り巡らされた大小様々にある広告看板やポスターの数、果ては都市部に存在する小学校や路地&細道の多い住宅街など、街の構造はまんま東京都内そのものでしかなく、2話の幼少期プロンプトの話で特にそれが感じられるだけにインソムニアという都市がどれほどすごいものだったのかというのがよく分かる。

エピソードアーデンで貴重な昼間のインソムニアを歩き回れたのもそうだが、世界の人々にとってインソムニア=東京という現実に近い非現実な世界というのは当時革新的だった事だろう。それだけに本編でもエピソードアーデンでも完全に平和なインソムニアの街並みを歩き回る事が出来なかったのは非常に悔やまれる所だ*1

 

他にもグラディオの妹のイリスがノクトを好きになった理由が第3話で描かれていたり、第4話でイグニスが追い求めるお菓子がFF15本編内で登場したりとFF15に登場する設定が色々と深く描かれていたりするので見て損は無い作品だと思った

とても良いアニメーション作品だった

 

王都陥落の真実を描いたKINGSGLAIVE FINAL FANTASY ⅩⅤ

KINGSGLAIVE FINAL FANTASY ⅩⅤ(以下 KGFF15)はゲーム本編の序盤、たった一日で父レギスが死ぬという重大な訃報となった王都陥落の真実をレギスの視点、そして王の剣の視点で描いた完全メディアミックス連動作品

要するに映画なのだがFFの「映画」としてのジャンルで言えばあの迷作「FINAL FANTASY」以来の映画作品となっており、もっと広い視野で見ればFF7アドベントチルドレン以来の完全フルCG映像作品となっており、当時の最先端の映像技術が結集したこの作品はその映像美も、そしてひとつの映画作品としての内容も面白いと高い評価を受けていた。*2

有料で見る作品となっているため詳しい内容は書けないが、この作品の主人公はレギス国王直属の戦闘部隊「王の剣」の隊員 ニックス・ウリックが主人公となっており、彼の尽力的な活躍によってルナフレーナが光耀の指輪を持ってオルティシエに向かう事ができたという貴重なバトンパスをする事ができている。

この作品もまたメディアミックス作品となっているが故に知られざるFF15の設定の造形の深さを知る事ができる。分かりやすいものでもざっとこんな感じ

  • OPで描かれるテネブラエが帝国の属国となった理由
  • レイヴスがレギスとルシス王国に恨みを抱くようになった母の死の経緯
  • そんなレイヴスの左腕が義手になった理由
  • レギスとグラディオの父クレイラスを殺したグラウカ将軍の正体
  • 光耀の指輪が持つ意味とその存在の重要性
  • 王都陥落の立役者となってしまった王の剣の裏切り

特にレイヴスが歴代王と共に歴史を紡ぎ歩んできた神凪の一族であるフルーレ家の末裔でありながら、ルシス王家の敵となる帝国に属した人間となった最大の理由が映画のOPに描写されており、レイヴスがルシスを恨む理由がDLCやアップデートを含めないゲーム本編内だけでは分からない事になっていた。それ故に映画を見ている人と見ていない人との差が生まれてしまっているのだが、一応見ていなくてもFF15のゲームは楽しめなくはないので+‪αとして考えておいた方が良いだろう。

他にもグラウカ将軍の正体がまさかのあいつだったり、光耀の指輪が真の王としての使命を果たすのに必要なアイテムである等、FF15の設定をより深く知るのには重要な映像作品となっている。

 

・王の剣という存在について

王の剣とは本編の約15年前にレギス国王が立ち上げたレギス王直属の戦闘部隊で、代々歴代王が神から与えられた武器召喚とシフト、魔法の力を王家ではない人間に与える事によって戦闘力の増強を促し、帝国に対抗する力を得た凄腕の部隊である。

実はその王の剣が立ち上がったキッカケは正しく先述したOPのテネブラエ襲撃事件で多数の王家に関わる人間が殺された事で守るだけでは無い攻めに特化した部隊を作ると当時のレギス王が決意して出来たものなのである。特徴的なのはその部隊メンバーの殆どが帝国に襲撃されて故郷を失った移民で構成されている事であり、メンバーはそれぞれが生まれ育った故郷に強い郷土愛を持っており、帝国から奪われた故郷を取り返す為「故郷の誇りに」という言葉を合言葉に常日頃から死と隣り合わせなミッションをこなしている。

しかし、そんな王家直属の精鋭部隊であるはずの彼等王の剣はあろう事か王家に対する裏切りを起こした事で帝国のインソムニア襲撃の功績に手を貸す事となってしまった。

何故そんな事が起こったのか?それはまさしく帝国側が出した停戦協定の条件に含まれている「首都インソムニア以外の全ての領地をニフルハイム帝国に明け渡す事」という条件をレギスが飲んだ事による王の剣からの大反発の末そうなってしまった...ということである。

元々帝国に地元の地区を襲われ、難民となってしまった彼らをルシスが移民としてインソムニアに受け入れ、その中で強い人たちを王の剣に選んできた、王の剣に選ばれた彼らも帝国と戦い打ち勝つ事でルシスが地元を取り返してくれる、そう希望を持って日々の鍛錬に明け暮れていたはずだ、しかしここに来ての停戦協定を受け入れるための領地の明け渡し...地元愛が強い彼らにとって帝国に奪われた領地を取り戻すために対抗勢力となっていたルシス側に付いて尽力していたにも関わらず、身を粉にしてまで尽くしてきたルシスから突如の突き放しとも言える停戦協定の受け入れは彼らにとっては寝耳に水であり、故郷の誇りの為に戦ってきた彼等の思いを踏みにじるのと同等かそれ以上の行為に等しいものだったに違いない。

愛情と憎悪は表裏一体と言うべきか、裏切りと感じた彼等がその先で起こした謀反は奇しくも帝国に上手い事利用される事となってしまい、裏切りを起こした王の剣の結末はまさに「因果応報」という言葉が最も似合う事になってしまうのは容易に想像できるだろう*3

ニックス・ウリックは最後の最後まで王の剣として、そして1人の人間としてルシス王国に尽くしてきた人物として影ながらその名を残す事となる...

 

ちなみにこの王の剣という存在は映画を見ていない人にもFF15を楽しんでもらうように配慮した為か、作中にその名はほとんど出てこない、ただし最後の第14章のインソムニア突入でグラディオ達仲間の3人は王の剣の衣装を着るので何故この服を満を持して着るのか?その意味がいまいち伝わらない感じになってしまっていた*4

王の剣に関するストーリーはロイヤルパックを適用する事で追加され、王の剣の生き残りをコル将軍が取り仕切ってたりする。追加サブクエや思い出話、真の王となったノクトがこれまで尽力してきてくれた王の剣のメンバーに対して演説で鼓舞するシーンは名シーンそのものである。

 

・迫力のアクションシーンと大スぺクタルな戦い

ニックスはシフトによる間合い詰めと魔法を得意としており、中盤から終盤にかけて描写される「王の剣VS帝国軍」の空中戦、「第一魔法障壁VSシガイ」の戦いはその規模の大きさから怪獣映画に勝るとも劣らない大スぺクタルなシーンとなっており、シガイのダイヤウェポンの圧倒的絶望感や歴代王の像達が帝国軍勢に立ち向かう様子は固唾を呑んで見守り見とれてしまうほど、特にニックス&ソムヌス像とグラウカ将軍&ダイヤウェポンは動きが完全にリンクしており、自宅で見ただけでもその迫力は凄まじいものがあった。

これを映画館で見た時はどれほどの迫力だったのだろうか...

 

まとめ

映画、アニメはそのどちらも必ず見なければならないとされる程のものでは無いが、見ておけば設定や人物像の描写が深くされる事によってより一層FF15という作品の世界観に深く浸れる事は間違いないだろう。またそのどちらもがひとつの映画、アニメ作品として面白い部分もある。単純なFFのアニメ、FFの映画単体として考えても良い。

このふたつはどちらも本編とDLCクリア後に見たものではあるのだが、あれはそういうことだったのねとより深い造詣を持つ事ができた。

より一層の深いFF15の世界を味わう事ができ、十分過ぎるほどまでに楽しんできた。これにて僕のFF15感想記事はここで終わる事とします。

 

ここまでFF15の世界を作り上げてきたFF15スタッフの皆さん、良い作品をどうもありがとうございました。

 

終わり

 

 

小説作品「The Dawn Of The Future」を読んで(6月11日追記)

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ゲームでのFINAL FANTASY ⅩⅤはDLCシーズンパス第一弾で仲間達の知られざる活躍を描き、DLCシーズンパス第二弾で本編のエンディングとは全く異なる結末、未来の夜明けを描く予定であった。しかしその構想はゲーム体験としては実現に至らず、DLCの開発は中止、頓挫してしまい最後の最後まで応援してきたファンですらアンチに成り変わる程の反感を買ってしまった。

ゲーム本編では実質未完という形で終わってしまったFF15の物語、そのラストを締めくくる予定だった未来の夜明けは「FINAL FANTASY ⅩⅤ -The Dawn Of The Future-」という小説作品で唯一描かれている。僕はFF7リメイクを目的としてPS4を買ったあの時から、もといそれ以前からFF15をずっとやりたいと願ってきた。その作品をプレイするに至るまでの間にFF15という作品がどんな道を歩んできたのかをある程度知っていた僕は、FF15という作品の全てを知り尽くす為、FF15の小説も買おうと心に決めていた。そしてこの小説が届いたあの時「これを読む時はゲームとメディアミックスでFF15の全てを味わい尽くした時だ」と決め、買ってしばらくは小説を封印していた。

そしてゲームで体験出来る全てを体験した後、僕はこの小説を読んだ、率直な感想を言うと、裏切りに裏切りが積み重なった末、世界に、王家に、神に恨みを抱くようになったアーデンの始まりの物語と、世界に夜明けと人の未来を取り戻す為に奔走し、戦ったアラネア、ルナフレーナ、そしてノクティスの最後の物語は予想以上に全てが綺麗に丸く収まっており、本編とは180度も違う大団円はFF15の真エンディングとして相応しいものを感じ取ることが出来た。やはりFF15開発スタッフはこの未来の夜明けをFF15の本当のエンディングとして描きたかったのであろう...それほどまでにこの小説作品の物語としての質はとても高い。内容が物凄く面白いだけに「これがゲームで実現できていれば...」という悔しさが滲み出てくるばかりである...

ゲームでもエピソードアーデンとして描かれた「聖者の迷い」はエピソードアーデンの内容と同じ物語をなぞりつつも、ゲームでは描かれにくいアーデンの心境や心情描写の深さを表現しており、またエピソードアーデン"プロローグ"の詳細な物語も描写されている。神の定めた使命と運命にアーデンが抗った事をキッカケに未来が大きく変わる事を示唆した小説のラストシーンは、エピソードアーデン本編のラストでも「残念なお知らせです」から始まるME.766年...10年後の世界での大きな変化が伏線として張られている。

f:id:Gameslifeisff:20210611091145j:imageto be continued in FF15 CHAPTER14とはまさしくエピソードルナフレーナ、エピソードノクティスの事を指しており、未来が大きく変わった10年後の世界で真の黒幕との戦いが描かれるはずだった事、そしてそれがもう二度と来ないという事を思うと、別の意味で"本当に残念なお知らせ"だったのはあまりにも皮肉が効いてしまっている

 

外伝ストーリーのエピソードアラネアに当たる「終わりの始まり」はエピソードイグニスでの帝国軍との戦いの後〜CHAPTER12「かたむく世界」でノクト達がテネブラエでアラネア達と会うまでの間を描いた物語で、この章ではCHAPTER13で大問題となっていたニフルハイム帝国の帝都グラレアが崩壊した理由が克明に描かれており、これを読む事で崩壊したグラレアをノクトが突き進まなければならなかったその理由を知り、ようやくその背景描写に納得する事ができた。しかしこの小説を読む以外では帝国崩壊の理由を知る事が出来ないため、これもゲームで描かれる予定だったんだろうな...と思うと切ない、また映画でしか活躍がなかったあの敵が出てきた時にも「あぁ...きっとエピソードアラネアではこいつがボスだったんだろうな...」と思うとこれもまた切ない。しかし物語はとても面白かった。オマケにとある重要人物の登場によって外伝ストーリーでありながらエピソードルナフレーナにも繋がる事が描写された時には、「シーズンパス第二弾は一貫した連動性があったんだな」と思えた。

 

エピソードルナフレーナに当たる「自由への選択」は世界が闇に覆われた10年後の世界で神の力によって復活したルナフレーナがとある人物と出会い、旅をする中で神から課せられた使命と自由意志の狭間で迷い、決意する物語

ラストを飾るエピソードノクティスに当たる「最後の剣」は真の王として覚醒するまでの間にクリスタルの力で世界の2000年間の全てを知った事、そして大切な人が生きている事を知ったノクトがもう二度と大切な誰かを失わせない為に神に反旗を翻し、人としての未来を勝ち取る物語

双方運命が変わった10年後の未来で描かれるエピソードであり、ずっと自分の人生を使命と共に生きてきたルナフレーナが、神の定めた運命に従い生きてきたルナフレーナがとある人物ととの旅を通じて自分のしたい事、成し遂げたいと思う自分というものを見つけ、自由意志のために動き、そしてまたノクトも真の王として民を、国を、王家を、そして大切な人を二度と失わんとする思いからFF15という物語の真の黒幕を倒す為、ある意外過ぎる人物と手を組み戦った

この章はまさに全ての人物が運命なんてものに惑わされず自らの確固たる意思で動いたものであり、ラストを飾るのに相応しいエピソードだった。運命への反逆を描いたFF13と運命を受け入れ従ったFF15は対比になっていると書いたが、未来の夜明けではFF15もまた一方的に定められた運命と神に反逆した物語となっており、その結末は素晴らしいものがあった。

 

最後の総評

改めてもう一度書くが、FF15開発スタッフにとって未来の夜明けはFF15で描きたかった本当の物語、真のエンディングとして描くつもりだったのであろう、きっとそれはエピソードイグニスのifストーリーとは違うノクト達や全ての人物が幸せになる最高のストーリーとして、紡ぎ出すつもりだったはずだ。

未来の夜明けを最後まで開発し、ゲームとして配信する事ができていたらもしかしたらFF15も結果的に神ゲーとして賞賛されていたのかもしれない。しかしそれ以前に2006年のヴェルサス13計画発足当時から運命の鍵を握る誰かが違う選択をしていたとしたら、10年後の未来となる2016年にはFF15が、そしてFFシリーズ自体が大きく変わる運命になっていたのかもしれない...

現実世界としてここにある今は残念ながらFF15クソゲーとして叩かれ、黒歴史、FFブランドの陥落と囁かれる結果となってしまったが、もしかしたら運命の鍵を握る人が別の選択肢を選んだ事でFF15神ゲーと賞賛される世界線がどこかにあったのかもしれない。だがここはゲームじゃない、現実だ。その世界を見る事も、その運命を変える事ももう二度と出来ない。FF15が辿った結末はFF15本編の結末と同じ神の定めた運命に抗う事が出来ず、従い受け入れるしかなかったのかもしれない。しかし必ずどこかでその運命をねじ曲げる程の選択肢が幾度としてあったのかもしれない。それもまた結局は神の手の平の上で転がされていただけなんだとしたらどうしようもないが

 

でも僕は結果的に最後の最後までFF15という作品を追い続け、楽しむ事が出来て良かった。

感性を疑われるかもしれないが僕はFF15神ゲーとまでは言わないまでも良ゲーだと思っている。本編、補完アプデ、DLC、映画、アニメ、そして小説。それら全てを含めてFF15はひとつのFF作品として紛うことなき歴史に残るゲームだと思っている。その一つ一つがどれも素晴らしい。子供の頃からのFF好きとして僕はFF15をプレイする事ができて本当に良かった!

 

きっとこのゲーム体験は僕の人生の1ページに刻まれ永遠に残る事でしょう!

 

FINAL FANTASY ⅩⅤ開発スタッフの皆さん!

本当に本当にお疲れ様でした!!!

 

これからも僕は未来のFFをずっとずっと楽しみ続けます!!!!!

 

Fin

 

 

 

*1:ヴェルサスⅩⅢ時代のPVではインソムニア内で帝国軍と戦うノクト達が描写されたりもしたので当初は本当に歩き回れる予定だったのかもしれない

*2:ただゲームのOPとも言える内容となっている王都陥落の出来事はゲーム内でも描かれるべきという批判の声も少なからずあった為、急遽王都陥落の様子(映画の映像)をダイジェストカットで入れ込むことになった経緯がある

*3:ただニックス以外全員裏切ったのかと言えば決してそうではなく、劇中に登場する王の剣の主要メンバーのうちで裏切ったのはだいたい半数ほどで残りのメンバーは裏切り者から殺されてしまったり、ニックスに協力した末の戦死だったり、途中で改心してニックスに手を貸したりと、決して全員が全員裏切り者ではなかった模様

*4:王に尽くす最強の部隊という事の意を示したかった部分もあったのかもしれないが、裏切り者集団という印象が強く残る映画を見たあとでは妙に複雑な気分になる事は免れない。あとグラディオ、お前は王の剣じゃなく王の盾では無いのか?というツッコミはNG

FINAL FANTASY ⅩⅤ 感想記事 〜DLCストーリーを経て〜

 

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前回書いたFF15本編の感想記事に続き、今回は本編では描かれなかった知られざる物語であるDLCストーリーを攻略した。FF15本編をクリアしただけでは煮え切らないストーリー要素もあった中で、このDLCをクリアした後だとFF15全体に対する物語としての纏まりの良さが全然違ったので一つ一つのDLCに対する感想をピックアップしつつも、そのDLC攻略を経て何を感じたのか?をここに書いていこうと思います。

 

FF15DLCについて

FF15本編では仲間が不在or空白期間が設けられる機会が3回ある。以下に並べるとこう

  • 第6章の奮起の最後に別行動をするグラディオ
  • 第9章のクリアからノクトが目覚めるまでの間の空白期間
  • 第11章の最後にアーデンの罠ではぐれてしまうプロンプト

この時パーティーを抜けている時の仲間がどういう行動を起こしていたのか、空白期間の時の仲間はどうしていたのか?等の描写は本編内では一切描かれておらず、帰って来たと思ったら顔に傷が増えていたり、目が覚めたら仲間が失明していたり、救出した直後に「俺、ニフルハイム人なんだ」とカミングアウトされたりと仲間の心境と見た目に大きな変化が起きていて、どんな経緯があってそうなったのかの説明はほぼ皆無と言っても過言ではない。

そもそもこの当時のFF15開発チームは既存のRPGというジャンルに於いて当たり前のようなスタイルとなっていたゲームの「売上初動型」から脱却し、今の任天堂が自社ソフトでやっている"定期的なアプデとDLCによって長く長期的に一つの作品、コンテンツを楽しんでもらおうとする"「長期スパン型」でこのFF15を盛り上げようとしていた節があったらしく、恐らく本編を開発していたこの時からスタッフは別行動をしている時の仲間のサイドストーリーをDLCとして出す予定にしていたのだろう。しかしそのスタイルの弊害として、後出しでコンテンツ内容を埋め合わせる事を前提としているがために発売初期のゲーム内容はスカスカで痒いところに手が届かないなんて事がザラにあり、懸念も無しに初動で買ってくれたユーザーからは「未完成品を売り付けた」と叩かれる原因にもなっており、コンテンツの充実が成されていない初期のゲームソフト本編を「有料β版」「中身の無いスカスカおせち」と揶揄される事も少なくはない。

オマケにFF15本編に限って言えばDLC内容は本編内容にも根強く関わるストーリー補完DLCであるが故に「最初から本編に入れとけよ」と叩かれる原因となってしまい、1度クリアしたらそこで終わりとする僕みたいな考えをするユーザーも多かったがために、DLC自体の売上も芳しくなく、その事実はDLC関連のトロフィー獲得率の低さが全てを物語る事となってしまった...

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f:id:Gameslifeisff:20210524083259p:imageこれはロイヤルパック適用後の新しいトロフィーになるのだが、全体的にトロフィー獲得率が低い、特に後から追加されたアーカイブ要素は本編を最初からプレイし直さないと埋め合わせできない要素もあったりするので最初からやり直すのがダルいと感じるユーザーも多かったのか獲得率0.数パーセント台と異様に低い

 

当時のFF15スタッフもここまでDLCの売上が低いとは思わなかっただろう、しかし一度始めたシーズンパス計画を今更止める事など出来ず、シーズンパス第2弾が中止する直前までスタッフはこのFF15という作品世界の構築を最後まで完結させようとひた走っていたのかもしれない。

紆余曲折あって開発中止になってしまったDLCコンテンツだが、これまで配信されてきたDLCはストーリーの補完と共にFF15本編とは違う操作感でのバトルなどを楽しむことができて内容はとても充実していた。隠されていた真実や事実が明るみになるDLCストーリーはFF15の世界観を広げるのに一役買っており、よりFF15という作品に対する思い入れが深くなった。

以下感想です

 

王の盾としての武者修行を果たすストイックなエピソードグラディオラス

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エピソードグラディオラスはカエムの岬でノクト達との別行動を希望したグラディオが、本編でも共に戦ったコル将軍の案内で初代王の盾とも言われる剣聖ギルガメッシュの元に向かい、王の盾としての稽古を付けてもらうというお話

そもそもグラディオがノクト達から離れてまでギルガメッシュの元へ向かった理由は帝国のレイヴス将軍と初めて相見えた時にその圧倒的な強さから軽々と吹っ飛ばされて負けてしまい、王の盾としての己の未熟さを憂いたグラディオが悩んだ末に、代々王の盾として歴代王を守ってきたアミシティア家では伝説の存在となっているギルガメッシュの元へ向かうという経緯になっている。

このエピソードはFF15では一番最初のストーリーDLCとなっているが故に、歩けるマップの範囲は一本道で広さもそれほどなく、ギルガメッシュとの決着を付けるまで立ちはだかる敵を次々と倒すというシンプルな内容だけに全体的なボリュームはそれほど無い。しかしこのストーリーでは不死将軍と言われながら本編ではそれほど絡む事があまり無かったコル将軍や本編では王都陥落で既に亡くなってしまったグラディオの父のクレイラスの過去を窺い知ることが出来、歴代のFF作品では殆どないシリアスでカッコいいギルガメッシュと相対できるのは良いポイントだ。

・バトルについて

グラディオのバトルは王の盾らしく守りを主体としたカウンター型の戦い方となっており、ガード&ジャストガードで敵の攻撃を防ぐ事で攻撃倍率を上げることができ、高倍率による攻撃でガンガン攻め立てるという力強いグラディオらしい戦いとなっている。また途中には石柱が存在しており、引っこ抜いて叩きつけるような攻撃をする事でグラディオの大剣が通りにくい敵にも大ダメージを与えることができる。

 

ギルガメッシュの試練を終えて

グラディオはこの修行の最中で英霊達の試練を次々と乗り越え、ギルガメッシュと互角に戦える程の力をつけて来た、そしてとうとう最後はギルガメッシュとの直接対決で渡り合えるほどになった。だが力任せに進んでここまでやってきたグラディオの事を愚かだとギルガメッシュは評し、生半可な実力であれば死を...と本気で殺しに掛かってくるギルガメッシュ...グラディオの額に大きな傷ができているのはこの戦いの最中にギルガメッシュから付けられた新しい生傷だった。途中で片腕から光の手によって両手になり、攻撃が激しくなる中で何とかギルガメッシュに打ち勝ったグラディオ、最後に自分よりも格上の相手と戦う時に感じた恐怖心や体の震えに気付くことが出来たと述べ、立ち去ろうとする...するとギルガメッシュはそれまで認める事がなかったグラディオを王の盾として認めた。

"己の弱さを認められない者に王の盾は務まらない"そのポリシーからくるギルガメッシュのこだわりがグラディオの発言と一致した事によりグラディオは歴代で2人目のギルガメッシュの試練からの生還者となった。真に強いやつは己の力を過信せずに自分の弱さを認めて見つめ直す事が出来る者、剣聖にも認められた事で王の盾としての自負と自信が着いたグラディオは王の盾として、そしてノクトを護る盾としての役割の重要性を再確認し、己の使命を全うする事に対して強く決意するのであった...*1

しかし、このグラディオの決意が後の第10章の例の冒頭シーンでその思いの強さのあまりに空回りしてしまう事になってしまうがそれはまた後述する。


f:id:Gameslifeisff:20210524142119j:imageクリア後はギルガメッシュから譲り受けたコルの源氏の刀がバックに写っている。ルシス三強と言われたコルからの大剣には力強いパワーがある事だろう

 

衝撃の出生と歪な過去への決別を描いたエピソードプロンプト
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エピソードプロンプトは本編時間軸の中では最も遅いエピソードとなっており、アーデンの罠によってノクトに列車から落とされてしまってからジグナタス要塞に拘束されるまでの間を描いた物語となっている。

このエピソードでは常に明るくておちゃらけた印象を持つプロンプトの本来の姿を見る事ができる。事前にアニメのBrotherhood FF15を見ている人には分かるが、本来の彼の性格というのは内気で大人しくて引っ込み思案、そして自分に対して自信が無いというネガティブさが幼少期から続く彼本来の姿であり、本編内で常に明るく振舞っていたのは彼自身の性格を変えようとする努力が実を結んだものだと言うのがよく分かる。一応ゲーム本編内でもレストストップのホテルに泊まった時のプロンプトと2人きりの会話イベントで、適切な選択肢を選んでいくと昔の彼の心境を知る事ができるためその点が伏線として貼られている。

・バトルについて

プロンプトのバトルシステムは銃火器をメインに使ったいわゆるTPS(サード・パーソン・シューティング)敵とのバトルでは様々な武器を使って敵を蜂の巣にするのが主なバトルで、ヘッドショットによるクリティカルダメージの概念もある。標準装備の携行刀とハンドガン以外の武器には弾数制限があり、無駄撃ちをするとすぐに弾が無くなってしまうのだが、所々に武器の補給ポイントがある為、弾が無くなっても代わりの武器をすぐに取る事ができる。

また、プロンプトには敵のWeek状態時に使えるブレイクブローがあり、単発の威力が低い通常攻撃と違って大きなダメージソースとなるので如何に敵をWeek状態に持ち込み、ブレイクブローを決めるかがカギになっている。この辺はバトルロイヤル系のゲームに慣れた人だったらすぐに馴染みやすいシステムとなっているだろう。またプロンプトのバトルは他のキャラとは大きく操作感が違う為新鮮な気持ちでプレイがしやすい、しかし反面元からHPが低い事による打たれ弱さや、他のキャラにはある□ボタン押しっぱなしによるオート回避が無いため移動スピードが早いトウテツ系などの小回りの効く野獣などには滅法弱い、中盤から近距離に強いアラネアが加入するので肉弾戦はアラネアに任せ、遠くからレクタサジッタ(スナイパーライフル)や無反動砲アーレア等で攻撃をしていけば安定した戦いができるだろう。

また、エピソードプロンプトにはちょっとしたやり込み要素としてスノーモービルの改造があり、時間帯毎に発生するエリアクエストをクリアする事で制御システムというアイテムを入手でき、その数に応じてシステムを解放することによってスノーモービルの利便性を大きく向上させるシステムとなっている。2周目以降では思い出のアルバム集めという要素もある為、そのコンプリートを狙う人だった場合数あるエピソードの中では恐らく一番プレイ時間が長いエピソードになるだろう。僕もまたそういうコンプリートにはこだわる人だったのでエピソードプロンプトを一番よくやっていた。魔導兵生産工場を抜けてからの雪山のフィールドはとても広大でエピソードグラディオよりも広いと感じた部分もあり、とてもよくやり込んだものだ。

 

・本人も知らなかった驚愕の出自

プロンプトは列車から落とされた後に雪山で遭難し、瀕死の状態に陥っていた。そして帝国軍に捕まり目覚めた場所は謎の無機質で冷たい工場...よく見ると腕には謎のバーコードが付いていた。そこでいきなりアーデンが登場し、ヴァーサタイルに会ってみろと告げられ消えていく...訳も分からないまま工場内を進んでいくプロンプト、途中で遭遇する魔導兵達を退けながら進んで行く最中でヴァーサタイルが残した音声記録と資料を読み進めていくと、ノクト達が旅の途中で戦っていた魔導兵達はヴァーサタイルの遺伝子情報から作り出されたクローンベビーにシガイの元となるプラスモディウム変異体を注入してシガイ化させた人間がベースとなって作り出されたものである事が分かった*2

そして遂にヴァーサタイルと対面した時、プロンプトは衝撃の事実を聞かされる。プロンプトの産まれはニフルハイム人であり、先述したヴァーサタイルの遺伝子から作り出されたクローンベビーであり、本来魔導兵の材料となるはずの人間だった...あまりにも惨たらしい事実にショックを受けたのか「オレはルシスの人間だ!!!」と泣き叫ぶプロンプト、しかし生粋のマッドサイエンティストであるヴァーサタイルは既に本人のシガイ化が進んでおり、「せめて我が一部としてやろう」とプロンプトに手を掛けようとするが、危機迫る状況の中で追い詰められたプロンプトはヴァーサタイルを撃ち殺した。アーデンに「父殺し?」と煽られる中、絶望に苛まれたプロンプト、すると死んだはずのヴァーサタイルは帝国軍の最終兵器「インモルターリズ」と融合し、復活してしまった。そこで助けに来たアラネアに喝を入れられて工場を脱出、スノーモービルで標のあるポイントまで逃げ仰せたプロンプトだが彼の中での絶望感は完全には消えておらず、今までノクト達の味方として、友としてここまで来たプロンプトにとってルシスを絶望に追いやった帝国側の人間であるという事実にショックを未だに引きずっていた。

自分が何者であるかにこだわり、ノクト達に顔向けできないといじけるプロンプトに痺れを切らしたアラネアは「生まれなんかどうでもいい、自分がどうしたいのかは自分で決めれば良い!」と荒っぽい喝を再び入れる。それでも絶望に打ちひしがれるプロンプトの元にプライナがやって来る、プライナに導かれた先にいたのは帝国の魔導兵...その時現れたノクティスの幻影が自分を魔導兵として認識し、殺そうと迫ってくるが、何とか逃げ切った。そして再び魔導兵を発見した時、無機質なはずの魔導兵に自分の姿を重ねた...自分の出自はとても素晴らしいとは言えない地獄のようなものだったかもしれない。ただそれでも今のプロンプトはプロンプトである。過去との決別を決意したプロンプトは涙しながら魔導兵に銃口を向けて別れの一撃を放った。

そして自分という存在を生み出したヴァーサタイルとの決着を付けるため、プロンプトはアラネアと共にインモルターリズの撃破に向かうのであった...

プロンプトは終始明るいキャラというイメージを持っていた人にとってこのストーリーにはとても大きなギャップを感じた事だろう、僕もまたプロンプトという人間の素性が本編ではあまり分からなかったのでかなり驚かされるストーリーだった。このエピソード自体の全体の雰囲気は過去との決別を決意するまではかなり暗く陰鬱とした展開となっているために人によっては少しキツい部分もあるかもしれない。しかし絶望しかない状況に陥る中でも希望を持って立ち上がるストーリー展開には熱く滾るものがあった。アラネアとの共闘も貴重な機会であり、システムの新鮮さも相まってとてもやってて楽しいエピソードだった。

ロイヤルパックを適用した後のインソムニアでされるノクトとプロンプトの会話で「生まれとか関係ない国にしような」というノクトの発言はこのエピソードのエンディングに出てくる発言となっており、己の出自が何であろうと、偏見や差別も無く、その人自身の個を認めて認識してくれる事を肯定した発言でもあるノクトのこのセリフはプロンプトにとってこれ以上無いほどの希望溢れるセリフとなっているだろう...


f:id:Gameslifeisff:20210524142101j:imageエンディング前は薄暗く霧がかった寒空の中で希望のない虚ろな目をしたプロンプトが遠くを見つめるという暗いタイトル画面だったものがエンディング後、快晴の青空の中で希望ある笑顔を取り戻し、銃を肩に置くという希望のあるタイトル画面に変化するのもとても良い。また、胸元にはライオンハートが追加されている

 

全ては王を護る為...失明の理由と壮絶な死闘を繰り広げたエピソードイグニス
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エピソードイグニスは第9章のクリアからノクトが目覚めるまでの間に何があったのか?を詳細に描いたストーリーで、そこにはイグニスの決死の覚悟と活躍が描かれていた。エピソードイグニス配信前は理由も説明もないまま描かれた唐突な失明によって、第14章までバトルを中心にまともな活躍が出来なくなっており、「ファッション失明」と揶揄される程になってしまったイグニスだが、そこには彼の「王を護る者」としての覚悟と決意が滲み出た男の勲章である事がエピソードイグニスでは描かれていた...これをやる前とやった後では彼に対する印象が全くもって違って見えるだろう。

・バトルについて

イグニスのバトルスタイルはエレメントダガーを用いて三属性を使い分けた攻めのラッシュスタイルが主で、彼のダメージ倍率は敵を斬って斬って斬りまくり、攻めれば攻めるほど攻撃倍率が上がる。逆にしばらく攻撃しないだけでダメージ倍率は一気に下がっていく、ゲーム本編ではコマンド技がサポートに徹した技が多く、軍師としてあまり攻める印象ではないイメージを持つだけにグラディオ以上に攻めることを主体としたイグニスのバトルスタイルはかなりの上級者向けとも言える。

ダメージを受けた時の槍によるカウンターステップもコツが要るが、上手く使いこなす事が出来ればピンチ状態に陥るほどのダメージ以外では倒れない強靭さを持つ事ができる。元々ダガー系の武器自体が攻撃回数の多い武器のため、使いこなせば本編でもかなりの強さを誇っているのだが、そこに属性による補正が掛かればまさに鬼に金棒、エレメンタル無双の気持ちいいバトルが展開できる。

 

DLCで明確に描かれた光耀の指輪のリスク

舞台は水神との戦いで崩壊したオルティシエとなっており、水神の啓示で倒れたノクトを救出する為にイグニスが立ち上がる展開となっている、作中では光耀の指輪を何とか手に入れんと躍起になる帝国軍との戦いが主であり、途中では軍師らしく帝国軍の陣地制圧を状況把握するタクティカルオペレーションなるシステムなども存在する。

戦う軍師としてアコルド首相のカメリアやウィスカムとの協力も得て祭壇にいるノクトの元へと向かうイグニス、しかし帝国軍の邪魔によってどうにも行かず、行き詰まっていた。そこに何と宿敵レイヴスが登場、もはやこれまでか...そう思ったその時、何とレイヴスが帝国を裏切った。レイヴスの目的はノクティスと共にいる妹のルナフレーナの救出、それぞれが抱える救わねばならない大切な人がいるという目的が一致し、利害が一致した為レイヴスは一時的にイグニスに協力する選択を選んだのであった。危険な賭けではあるが選択の余地がなかったイグニスはレイヴスと共に共闘する事を選択、2人は何とか祭壇にいるノクトとルナフレーナの元へ到着したのだが...残念な事にルナフレーナは力及ばず亡くなっていた。アーデンに刺されながらも大切なノクトを守る為に必死で尽くしていたルナフレーナは最期まで彼の事を守りきっていた。

しかし、レイヴスにとっては唯一の肉親である妹を亡くしてしまった絶望感からルナフレーナがルシスの犠牲になった事に怒りを覚えノクトに刃を向けようとする、それを見たイグニスは必死で彼を止め、説得を試みた。怒りで興奮状態のレイヴスと戦い勝ったイグニス、ルーナの死も己の使命を果たすためには仕方の無いことなんだ、後悔はしていないんだとする妹の気持ちを本当は分かっていたレイヴスは兄として妹を喜ばせる事を何もしてやれなかったとする後悔に膝から崩れ落ちていた...

そこにグラディオに化けたアーデンが登場、帝国軍に取り押さえられてしまったイグニスは気絶しているノクトに手を掛けようとするアーデンに必死の叫びをした。そこでアーデンはイグニスに究極の選択を迫った。

ここで全員死ぬか?、アーデンと共に来るか?

絶望的に追い込まれた状況の中でどちらにしても何かしらの犠牲を伴う究極の選択だった。そこでアーデンに抗い戦う事を選んだイグニスは取り押さえる帝国兵を必死に払い除け、目の前に落ちていた光耀の指輪を手にする。

そしてそれを着ける事で指輪の力を得てアーデンに対抗しようとするイグニス、しかし光耀の指輪は神が選んだ歴代王以外の者が着けた時、指輪の力を使う資格が無いと判断されれば最悪装着者の命を奪う危険極まりない代物だった。そうじゃないにしても、歴代王以外の者で指輪の力を得るためには体のパーツから何やら、果ては命まで犠牲にしなければならず実際指輪を着けたイグニスは絶叫をしながら目を焼かれて失明した事で指輪の力を得る事が出来た*3

そうして何とかアーデンを退ける事に成功したイグニス、失明という大きな代償はあったものの、自らの命を犠牲にしかねない覚悟を持って守り抜いたイグニスの覚悟に感化されたレイヴスはそれまで懐疑的だったノクトが真の王になる事への希望を持って見守る事に決めたのであった...

 

このエピソードで実はイグニスがプライナの力によって10年後のノクトの末路を未来視している。その時は「何だったんだ?今のは...」とさほど理解出来ていない様子だったが、エンディングでノクトに「旅はここで終わりにしないか?この先何かもっと大きなものを失う気がする」と呟いたことから、イグニスがこの旅を続けた先に待っている結末に薄々気付き始めた節があったと思われる。実際イグニスは第10章冒頭でグラディオとノクトが大喧嘩をしている時にイグニスが自ら仲介して2人の喧嘩を止めることが出来なかった*4

イグニスが個人で抱えた思いに悩まされつつもそれぞれの使命や役割を果たす旅を続けていき、10年後の最後のキャンプでまるで心残りが無いかの様に明るく振る舞うノクトに対してイグニスが何かを言おうとしたものの、ノクトの決意を揺らがせてはいけないと黙る事に決め、最後に握手をした時に一番最初に出会った時に握手した事を思い出し涙した...ノクトが辿る運命を分かっていながら最後に死ぬ友人を見送るという非常に切ないエンディングになっているが、その命運を変えることが出来ないのなら自らもまた受け入れる選択をしようと心に決めたと考えれば、非常に切ないながらも良いエンディングだったとも思える。

イグニスの失明の理由が明確に描かれ、光耀の指輪というキーアイテムの重要性も描かれたストーリー補完としても秀逸なエピソードだった。

 

・まさかのifストーリー

エピソードイグニスの1周目をクリアするとEXTRA CHAPTERという項目が開放される、それは第3章でアーデンがイグニスに究極の選択を迫ったあのシーンで1周目では「アーデンに抗い戦う」という選択しか選べなかった。しかし2周目になるとそこに「アーデンと共に行く」という選択肢が追加される。それを選ぶ事によって物語はその結末を大きく変える世界線に飛ぶ事となる...

共に行く選択を選んだイグニスが運び出されたのは本編では終盤に訪れるジグナタス要塞、そこは帝国がルシスから奪ったクリスタルが保管されている場所だとアーデンから聞かされたイグニスは奥へ進むことにした。その途中、イグニスの脳内にクリスタルから響く謎の声が真の王という者の役割とその末路の全てが説明された。衝撃の真実に驚愕しつつもイグニスはそのままクリスタルが安置されている最奥まで辿り着く、その時現れたアーデンは闇に穢れた本来の姿を表した。そこでアーデンはイグニスに自分がアーデン・ルシス・チェラムというルシス王家の人間であった事、そして初代王としての王位に就く事なく弟に殺された人間である事を伝えた上でイグニスを殺しに掛かった、この時のアーデンは本編以上に攻撃が激しく、ファントムソードを使った攻撃力の高さがえげつない。その後のムービーでファントム・ディストラクションを使った施設の破壊の絶望感からはっきり言ってこっちの方がラスボス感が凄いのは否めない

アーデンの目的はイグニスをクリスタルの前まで連れてきて殺し、ノクトにイグニスの死体を見せる事でノクト自身の真の王としての自覚を促し覚醒させる事、しかしその時イグニスが持ち込んでいた光耀の指輪を見て思わず動揺、イグニスは世界を救う為の代償として大親友であるノクトを失う事の未来を拒絶、死の運命を断ち切る決死の覚悟で光耀の指輪を付けたイグニスは絶叫して失明しながらも指輪の力を得て本気のアーデンに戦いを挑む、しかしその力は長くは持たずに途中でその力は失われ一気に大ピンチになってしまう...その時指輪の中の歴代王がイグニスに呼びかける「王の運命を変える力を得たくば己の命を差し出せ」そこで現れる選択肢は3つ

  • あきらめる
  • 命をかけて戦う
  • 命をすべて差し出して戦う

(以下命をすべて差し出して戦うの展開)

命をすべて差し出す選択を選んだイグニスは全身を指輪からの炎に焼かれてこの世のものとは思えない悲痛な叫びを上げながらも*5指輪から更なる力を得てアーデンとの死闘を繰り広げる。

それに見事打ち勝ったイグニス、決死の覚悟で戦いに挑まれたアーデンはもはやボロボロ、その場で消えはしたが指輪の力を使ったイグニスの体もまた灰のように白くなり、死の淵に立たされていた、そこにイグニス!と彼の名を叫びながらノクトたちが現れる、何故この場にノクト達が来てくれたのか不思議がるイグニス、実はレイヴスからの協力によりイグニスが連れていかれた場所を知ったノクト達は急いで駆け付けることが出来たのだった。

自分の為に瀕死の状態になるまで戦ってくれたイグニスに対して涙した後「大切な仲間を守れる力をくれ!」と真の王としての決意を一気に固めて光耀の指輪を付けたノクティス、するとクリスタルからの光により灰になりかけたイグニスの身体は見事に元の姿へと戻る事ができた。

真の王としての覚醒をしに自ら眠りにつきに行ったノクト...その後目を覚ましたイグニスはノクトが真の王としての使命を果たした時にどんな末路を迎えるのかをこれまでの旅で出会った人物全員に伝達した。何とかノクトが死なずに世界の危機を救える方法を模索し続けるイグニス達、ノクトが目覚めるまでに掛けた10年間の間にその方法をとうとう見つけ出した。インソムニア城最後の大階段で本編ではノクト1人で進んでいたものがこのストーリーではみんなで向かう事に、そこで待ち構えていたのは何と本編ではアーデンに殺された上にシガイとして無理矢理復活させられ、二度死んだあのレイヴスが10年後の世界でも生き残っていた。立派な口髭を蓄え、ノクトに直接父王の剣を託すレイヴス...最後は真の王のノクティスを見送り...そして見事に世界から夜明けを取り戻したノクト達...

ラストシーン、光を取り戻した世界で王の玉座がある間に向かうイグニス、そこに鎮座していたのはルシスの王として立派に構えるあのノクティスだった...ノクトはイグニスに何かを呼びかけ、イグニスもまたそれに答え、ストーリーはそこで終わった。

 

このifストーリーではノクトが真の王としての使命を果たして死ぬ運命を回避し、ノクトが死なない未来を手に入れたパラレルワールドの様な世界線になっている。EXTRA CHAPTER名が「もうひとつの可能性」としている事からイグニスが選んだ選択がある意味ノクトの命運を左右した重要性のあるものだったという事を表現したかったのだろう。

このifストーリーによってイグニスは失明する事が無くなり、ノクトが死ななくなり、そしてレイヴスも生存した。人によってはこっちの方がグッドエンドだとする人もいる。しかし何故この様なifストーリーを作るに至ったのかが僕は不思議でしょうがなかった。シーズンパス第2弾で全てが救われるハッピーエンドを作ろうとしていたという読みが合っているのであれば、これはある意味将来的にFF15の結末をハッピーに終わらせる事の先行体験のようなものだと僕は捉えている。神に抗って打ち勝ったFF13と神の定めた運命を受け入れたFF15の対比も面白かったが、やはりノクト達が救われるストーリーを彼らFF15スタッフは描きたかったのでは無いのだろうか?今となってはその真意は分からないままだが、ひとつの可能性のある物語としてとても面白いストーリーだったことは間違いない。


f:id:Gameslifeisff:20210524142104j:imageEXTRA CHAPTERのクリアで変化するタイトル画面、ノクトを死なせずに光を取り戻した後の世界なのか、凛々しくやり切ったと言わんばかりの顔で遠くを見つめるイグニスの顔はとても爽やかだった

 

闇の王に成り果てたアーデンの真実と真の黒幕が判明するエピソードアーデン

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ゲーム本編で配信されたエピソードとしては残念ながら最後のDLCとなってしまったエピソードアーデンはゲーム本編や他のエピソードシリーズ等でノクトの宿敵として立ちはだかり、ルシス王家への復讐心を一心に燃やしたアーデン・ルシス・チェラムの真実の物語として配信された。

その前に古来2000年以上の時代を生きてきたアーデンとは一体何者なのか?そして初代ルシスの王である弟のソムヌス・ルシス・チェラムとは何者なのか?等を描いたイメージビデオが公式YouTubeに載っているので是非それを見て欲しい。(ここまであまりにも長くストーリー解説し過ぎたから少しでも文字数を抑えようとしているのは秘密)

FINAL FANTASY XV EPISODE ARDYN - PROLOGUE - YouTube

 

・バトルについて

アーデンは元はルシス王家の人間だった故にファントムソードを扱う事ができる、それだけでなく不死の人間としてシガイの力を操る事ができるアーデンは無類の強さを誇っており、シガイ化攻撃によって敵を一撃死させる事ができる。オマケにHPが0になってピンチ状態になった時もオーバーデスという現象によって攻撃力が急上昇、逆境に追い込まれた時程最強の強さを持つという実にアーデンらしい戦い方となっている。

更にファントムギアゲージを最大まで溜めた時に放てるファントム・ディストラクションは敵への大ダメージ&HP吸収という破格の強さを誇っており、このファントムギアゲージを如何に貯めるのかが鍵となっている部分もある。

 

・アーデンがルシス王家に恨みを抱くようになるまで

エピソードアーデンのプロローグで最後に人ならざる者へと変貌してしまったアーデンはソムヌスの手によって処刑された、しかし不死の身体となったアーデンの処刑は適わず、後に真の王になったノクトが目覚める神影島(みかげしま)の石牢に何と2000年間も閉じ込められてしまう。ルシス王家の間では闇に葬られた禁忌「アダギウム」として代々極秘裏にアーデンの存在を封印し、歴史上からもその名を抹消していた。しかし極僅かな資料を元にニフルハイム帝国の若かりし頃のヴァーサタイルが石牢に封印されていたアーデンを発見、直ぐに帝国で保護をしようとするが封印が解かれたと聞き付けた王都警護隊がアーデンの取り押さえに掛かる。

目覚めたばかりで訳も分からない状態の中でいきなり敵対してくる勢力に抵抗した末にアーデンは自覚も無しに警護隊の1人をシガイ化させてしまう。自分の中のおぞましい力が目覚めてしまった事に狼狽えるアーデン、だがヴァーサタイルはそれを素晴らしい力として褒め称える。その後気絶した末に7ヶ月の時が経って再び目覚め、ヴァーサタイルの案内で今のイオスと国々の誕生とその関係、創世記の史実やシガイの研究成果等あらゆる物をアーデンに見せた後、最後に見せたのは魔大戦の後に眠りについていたまま氷漬けにされて運び出された炎神イフリートの姿だった。

この段階ではまだアーデンはルシス王家に対する恨みは抱いておらず、2000年もの時が経って恨むべき相手もいなくなってしまった今のルシス王家には興味も微塵もない様子で、それ故にどんなにヴァーサタイルからルシス王家への恨みをけしかけられても鬱陶しいと一蹴するだけだった。しかしそんなアーデンに襲いかかってくるのはアーデンがまだ生きていた時代に見せた嫉妬に狂って刃を向けた頃のソムヌスの幻影だった。アーデンが生きていた頃のソムヌスは醜悪極まりない態度で自分に非難の目を向け、愛するエイラに手を掛けた事の記憶が強かったが故にそこに存在せず、実在しないはずの幻のソムヌスは終始アーデンの事を蔑み、アーデンの怒りを静かに増幅させた。

イフリートとの戦いで力を貸せ!とイフリートのシガイ化で記憶を読み取った際、アーデンは2000年前のあの当時、クリスタルに選ばれた王はソムヌスではなく、アーデンだった事を知る。その時アーデンの名を呼びながら現れた幻の空間...そこに居たのはソムヌスによって死んだはずのエイラそのものだった、それが幻なのか神の力によって一時的に復活したものなのか...アーデンは急いで彼女の元へ向かうと、彼女は神の意志に背いて王位に就く者の真実をソムヌスに話してしまった事をアーデンにカミングアウトした。プロローグの終盤で民に向けて自分こそが神に選ばれたルシスの王だと高らかに宣言し、アーデンを殺そうとしてきたソムヌスは嘘によって王位に就いた偽りの王だとアーデンは確信する、だがエイラはアーデンの人生をめちゃくちゃにした全ての元凶は自分のせいだと主張する。迫真した様子でそう主張する彼女の言葉に嘘は感じられない、しかしとてもその事実が信じられなかったアーデンは思わず神に「何故このような試練を?」と天に向かって仰ぎ見る。その時、アーデンのシガイの力でずっと触れていたエイラの事をシガイ化させかけてしまう、死は直ぐにやってくると悟ったエイラは自分の犯した罪の重さに耐えきれなくなり、アーデンの持つナイフで自分を殺すようにと懇願する。そこに「そうだ、殺せ」と煽るソムヌス。

しかしエイラの想いに触れた事によって聖人に戻りかけていたアーデンは死による救済を選ぶ事が出来ず、救う道を選ぶ事しか出来ないと涙する。だがソムヌスの幻影は決してそれを許さず、アーデンの手を取ってエイラを殺させようとする*6

結果...一度ならず二度までも愛するエイラを殺されたアーデンはソムヌスに対する恨みを一気に爆発させ、ソムヌス本人を殺せない代わりにソムヌスが作り出した子々孫々の全てを根絶やしにする事を決意する...

それが血に塗れた己自身の生きる道だと宣言して...

 

・ソムヌスとの直接対決

ソムヌスに対する恨みの爆発によってルシス王家に対する復讐心を激しく燃やすアーデンはシガイ化したイフリートを従え、ヴァーサタイルと協力してルシスの滅亡計画を始動する。

この時はレギスが国王に就任して初めての記念パレードで人は大勢、襲撃をするのにはまさに打って付けで絶好のチャンスだった。そして一気に攻め始めたアーデンは魔法障壁の増幅装置を次々と破壊して守りの陣営を崩し始めていた。そしてある程度の破壊が済んだ後、増幅装置のガーディアンに歴代王の魂を宿らせている事に気付いたアーデンは第一魔法障壁にソムヌスの魂が宿っていると睨んだ。

ヴァーサタイルに王を殺しに行くと告げ、単身レギスの元へと向かうアーデン、この時のアーデンは王都警護隊に化けたまま行動しており、周りからはアーデンをアーデンとして認識せず、王都警護隊を装った何かだとしか見られていなかった。しかしアーデンが放った赤いファントムソードの存在からそいつがアダギウムだと勘づいたレギスは現役の王としてアーデンとの対決をしていく、しかし2000年間闇を抱えて生きてきたアーデンを前にレギスでも敵う事がなかった、アーデンの真の目的はソムヌスの魂を現世に宿し、あの時の決着を付けること、そしてルシス王家の滅亡を果たす事、その事で頭がいっぱいで仕方がなかった。

そして遂にレギス昏倒の危機にソムヌスが現れた、長きに渡る兄弟としての確執や鬱憤をこの戦いで晴らしていくように攻め立てるアーデン、そんな戦いの最中でソムヌスは「シガイに穢れた兄上を王の座位に座らすことは出来ない」「自分の判断は正しかった、兄上はやはり化け物だ!」と過去にアーデンにしてきた仕打ちは間違ってなかったと肯定するソムヌス。そしてソムヌスは神凪には神凪としての力を与えられ、アーデンは人をシガイから救える力を神に与えられたにも関わらず、自分は何度求めても神から何の力も与えて貰えなかった事、その事で嫉妬心が出てしまったことに対するその時の心境を吐露していくソムヌス、しかし終盤、シガイはこの世から消すべき存在と言い切り、シガイの権化と化したアーデンと最後まで敵対した、最後に勝ったのはアーデンだった

途中ソムヌスは何度かアーデンに対して反省した態度のようなものを見せるが少なくともアーデンにとってはソムヌスの態度は嘘にまみれた卑しいものにしか見えず、謝れば謝るほどアーデンの怒りの炎に油を注ぐだけだった。ソムヌスの反省の態度が本当か嘘かの真意は定かではないが、少なくとも本当にアーデンに対して行った仕打ちについて心から反省しているのであればアーデンに対して剣を振るう事は無いはずで、その中にソムヌスの本音も織り込んでくるのでアーデンにとっては本当に身勝手な態度にしか見えないだろう、プレイヤーとしてもアーデンに対する感情移入は出来てもソムヌスに対する感情移入はとてもじゃないがしにくい、結局ソムヌスは最後に「本当に安らかに眠ってくれ」と意味深な言葉を残して消え去った

 

FF15本編に於ける真の黒幕

ソムヌスに対する復讐は果たしたはずなのに上っ面な謝罪によって清々する事が出来なかったアーデンは昏倒したレギスを手に掛けようとする、だがそこに剣神バハムートが現れ、クリスタルの中の「対をなす世界」に引き込まれるアーデン、神が何故邪魔をするのかをアーデンが問うた時、バハムートはアーデンに対して衝撃の事実を口にする。

アーデンの使命はシガイの権化として世界に闇を齎す事、闇を広げて世界に絶望を与える事でいつしか現れる真の王に、真の王としての力を覚醒させ、真の王の力を持ってして滅ぼされるように仕向ける事、それによってアーデンが元となって生み出されたシガイの全てが消滅し、世界からシガイと星の病が消え去り、世界に夜明けが取り戻せる...と

ノクトが世界に光を齎す者としての生贄であれば、アーデンは世界に闇を齎す者としての生贄でしかなく、結局このFF15本編の物語というのは、バハムートが星を救うために選んだ生贄と生贄による不毛な戦いでしかなく、その結末はどちらも救われないという余計に悲しい物語となってしまった。アーデンは世界を救う救世主では無く、世界に闇を広げる生贄という運命にある事は実はエイラとソムヌスも知っていたらしく、バハムートから「それでも運命に抗うのか?」と言う問いで「運命に従う」という選択を選んだ場合、最後の最後までその真実を告げられないまま亡くなったエイラとソムヌスに対して弄ばれたと思い込んだアーデンはルシス王家だけでなく、神凪にも大きな恨みを抱く事となってしまった...

ここで運命に抗うを選択した場合、神から無駄に生き長らえさせた事に対してそんな力をくれと言った覚えはないと言い放ち、神の定めた運命に縛られない己自身の道を生きるとする決意を高らかに宣言する、しかし神の定めた運命に抗う事など出来ないと決め付けたバハムートはエイラの幻影を呼んでアーデンを刺しまくるというバハムートの悪人としての一面を見せることとなる。神の定めた運命は絶対だと信じてやまないバハムートはアーデンを元の神影島まで送り返すのであった...

弟であるソムヌスに裏切られ、自分が愛していたはずのエイラにも自分の運命を教えて貰えなかったことによる裏切りに遭い、神から一方的に己の使命やら運命とやらを押し付けられた挙句、その運命に抗う事すら許さないとする身勝手な発言を受け、全てに絶望したアーデンはまだ見ぬ真の王をこの手で殺し、世界の全てを絶望に塗り替える決意を決め、狂気のように大きな高笑いを上げ...物語はそこで終わった。

 

この物語で判明する真の黒幕は剣神バハムート

前回の感想記事にも書いたように、FF15の世界の神様である六神はあくまでも人間のための神様ではなく、イオスという星の為の神様でしかなく、その中でも剣神バハムートは六神の中で最も位が高い存在であると同時にイオスという星が救われる事を六神の中で最も重要視しており、真の王と定めて選んだノクティスの事も、シガイ化の原因である寄生虫を吸収する力を与えて闇堕ちさせたアーデンの事もどちらもイオスを救う為の装置としか考えておらず、駒扱いしている点からその傍若無人さが伺い知れる

神は人間を遥かに超越した存在であり、人間は神が定めた運命に抗い生きる事が出来ない、この星の絶対君主としての強い自負がある故に神らしい傲慢な態度でノクトとアーデンに死の運命を突き付けるバハムートの姿はまさに真の黒幕としての悪そのもの、しかしこのエピソードが配信されたのを最後にゲームとしてこの続きを描く事が出来なくなったがために、ゲームでは最後の最後までバハムートの掌の上で踊らされて終わるという不毛な結末となってしまった

 

アーデンにもし救いの道があったとするのならば彼等FF15スタッフは一体どんな結末でそのサクセスストーリーを考えていたのだろうか?

今となってはそれを知る由はない...

 

f:id:Gameslifeisff:20210524142203j:imageクリア後に変わるタイトル画面、2000年前のルシスでエイラと共に深い眠りにつくまだ救世主としてのアーデン、こんな過去にはもう戻れないし、未来も無い事を思うと切なさしか滲み出てこないタイトル画面である

 

全てのDLCストーリーをプレイして

FINAL FANTASY ⅩⅤはそのゲーム体験を極上のものとする為にDLCという形で真にノクトとアーデンが救われる物語を創り出そうとしていた。

しかし悲しいかな、売上不振という現実的な問題にぶち当たってしまったせいで結局この物語の続きをゲーム内で生み出すことは出来なかった。開発中だったDLCの開発中止というニュースは当時のゲーム業界全体で見てもほとんど例がない異例の事態となっており、衝撃的なニュースとしてゲームメディア全体にセンセーショナルに報道された。

FF15は発売当初の本編内容が至らなさすぎた事に加えて当時のゲハ達が過剰にFF叩きをした事なども原因の一つとしてあるが、今でも一部の人がFF15をFFの歴史から葬り去りたいとする最大の理由はFF13を最後に新たなオフラインナンバリングFFが生み出せなかったことによる長い空白期間のせいで、ユーザー層もガラッと変わり、その当時熱中していたFFユーザーとゲーム開発者の間では埋めようにも埋めきれない大きな溝が出来てしまったからであろう...

最初は小さかったFF開発者に対する不満が積み上がり、最終的には本編の発売で爆発した。その結果あのような地獄の様相となってしまったのは本当に今考えても少しだけおかしな話ではあるのだが

 

僕はこのエピソードシリーズをプレイすればするほど開発者がこの作品で描きたかった事、表現したかった事の想いに触れて感じ取るようになっていた。

エピソードグラディオラスで王の盾という使命の大事さを伝え、エピソードプロンプトで禍々しい過去に決別する強さを描き、エピソードイグニスで王を護る者として、そして友として最後までノクトを護り切るとするその覚悟を見せ付け、エピソードアーデンでこれから始まるであろう運命を自らの手で切り開く物語の序章を描いた...

 

FF15という作品はきっとこんなもので終わるせるつもりなんて無かったはずだ、それはこのエピソードシリーズの内容の充実度と作り込みの凄さからでも分かる事だった。

だからこそ僕はスクエニにはこの物語を完結させようと最後までひた走って欲しかった。

この作品が不甲斐ない結果に終わってしまったのは本当に残念でならないが、それでも僕はこの作品を最後までプレイ出来て良かったと思っている。

僕にとって彼らと共に過ごしてきた旅路の日々は深く胸に刻まれている、ノクト達に...そしてアーデンが運命に抗った末にどんな未来が待ち受けていたのか?それは完結作品として発売された小説を読んでその最後を見届けようと思う


f:id:Gameslifeisff:20210524142154j:imageエピソードアーデンの続きをゲーム内で予告していたこの画面、結局この物語の続きはゲーム内で描かれる事は無かったが、その真相の全ては小説で読みといていこうと思う

 

超絶長い感想記事となってしまいましたが次回書く予定の「メディアミックス作品を見て」で完結しようと思います。

ここまで読んでくださりありがとうございました!!!

 

 

 

*1:実はこの時ギルガメッシュ歴代最後の王の盾という発言をグラディオにサラッとしている。なのでギルガメッシュはノクトの真の王としての役割をもしかしたら知っていたのかもしれない。しかしグラディオはそのままスルーしたのでノクトの運命に気付く事がなかった

*2:他にも映画作品のKINGSGLAIVE FF15で王都陥落に大きな脅威となったシガイアーマーのダイヤウェポンの詳細資料やシガイ研究に携わる研究員の手記等で最初は意気揚々としていたものがだんだん絶望に苛まれ堕ちて行く様子が描かれるなど結構重要な事実の判明も多い、ちなみに帝国がシガイの研究をしていた事と魔導兵の元が何なのか等は本編の第13章でアーデンの口から語られていたりもする

*3:この指輪には歴代王の魂が宿っており、同時にこの指輪自体が相当厄介な代物で先述したように指輪の力を得る資格が無いと判断された者は焼き殺され、指輪の力を引き出せたとしてもそれは装着者の命を持って引き出される場合もあり、実際映画KINGSGLAIVEの主人公であるニックス・ウリックは帝国に立ち向かう力を得るために自らの命を犠牲にして指輪の力を使ってルナフレーナを守り抜いた。また、ルシス王国が帝国の脅威に晒されずにいた最大の理由でもある第一魔法障壁は障壁の維持に相当の力を使うのか歴代王の命を削るらしく、レギスもまたアニメでの回想やエピソードアーデン等では黒髪で若かったにも関わらず、ノクトが20歳になる15年の間で一気に老化し衰弱してしまった。真の王の力を発揮した後指輪はその役目を終えたように砕け散るのだが、それまで何人の命を奪ったのかと思うととても恐ろしい代物である。

*4:ここまで来ると第10章の冒頭のシーンは完全に理解する事ができる。まずエピソードイグニスのエンディングでノクトは悩みを誰にも打ち明けずに1人で抱え込んでしまう性格上の問題がある事がユーザーにも明確になった。ノクトがルーナの死から2週間経っても未だに塞ぎ込んでいたのは弱冠20歳にして王としての使命を果たさなければならないという周りからの期待も含めた重圧に気持ちが押し潰されそうになっており、上手くその気持ちを仲間たちと共有する事が出来なかった事、そしてそれに対してグラディオが檄を飛ばしたのは本人も含めてそれぞれが果たすべき役割を全うしている(ルナフレーナの神凪としての使命やイグニスが王を護る者として失明してまでノクトを護った事など)にも関わらず、未だにノクトが王としての自覚を持てない事に対する良くも悪くも真の王としての末路を知らないが故に言えた檄でもあり、そしてイグニスはイグニスで王としての自覚が足りないと憤慨するグラディオの気持ちに共感はしつつも、自らもその意見に同意した場合、王としての自覚を持ち役割を果たせ=ノクトに死ねと言ってるのと同じなのでは?と思う部分もあったからこそ何も言えなかった...という3人それぞれの思いのすれ違いだったという構図がとてもよく分かる。

*5:どうでもいいかもしれないが指輪を付けて苦しむ宮野さんの演技力がとてつもなく迫真で凄すぎる。声優さんの凄みを感じられた

*6:この時、〇ボタン連打のQTEが発生するが成功しても失敗してもエイラは死んでしまう

FINAL FANTASY ⅩⅤ 感想記事 〜発売から5年後にやるFF15〜

 

どうも、ニホンバトです。

今回は2020年にPS4ソフトのFF7リメイクをクリアした後に購入しながらも、FFのオフラインナンバリングタイトルで唯一プレイ出来ていなかったFF15をクリアしたので今回は簡単な感想記事をここに書き記そうかと思います。

 

いやぁ実は正直な事を言いますと僕がFF15に手を出す前のFF15に対する印象は発売されたあの当時からFF15はずーーーーーっと叩かれまくってた印象しかなかったんですよね

当時のFF15のジャンルはまだFF作品としては馴染みがなかったアクションRPGである事や、ゲーム本編で全ての伏線回収や設定などを明かさずにメディアミックス展開や外伝的作品の発売でその全容が知れるように展開した事、そして当時から既にその存在自体がゲーム界隈ではまだ賛否両論だったDLCの販売...等、あの当時のスクエニFF15で表現したかった事や、やりたかった事の思惑と、ユーザーがFF15に対して求めていた理想の形の乖離が酷かったんですよね...

残念ながら僕は当時を知るリアルタイムユーザーでは無いのでその当時のユーザーが憤慨する気持ちが分からないのですが、2016年発売当時のFF15の作品の質はFFシリーズとして以前にひとつのゲーム作品としての質があまりにもお粗末な(特にストーリー)物でとても手放しで評価できるものでは無い代物だったとか、更に問題は作品自体の質だけではなく、今でも別の作品で問題化されているが、FF15は当時のゲームディレクターだった人のTwitterやインタビュー記事等での痛い発言や問題発言なども相まって作品自体の質の低さが揚げ足取りになる事となってしまい、FF15が切っ掛けで堰を切るかのようにネット上ではFF15及び近年のFFシリーズに対する不満をぶちまけるかのように痛烈に批判、中傷をするアンチやゲハが沸いて出てきてしまった事、そしてそんな彼等のネガティブキャンペーンがFFと関わりのない人にまでFFに対する印象を悪くさせるのに一役買ってしまい、あの当時からのFF叩きの雰囲気は異常以外の何物でもない状態にある事は確かだった。

しかし「やれる事は全てやった」当時のDのその発言がすぐに手のひらを返す事となってしまい、修正データやDLCの配信に伴うアップデートの回数は実に20回以上、その末にFF15本編はDLCを含めない追加データだけで30GB以上、DLCマルチプレイゲームのデータを入れると実に120GB以上の、必要容量だけで言えば超大作級のAAAクラスのゲームソフトとなってしまったのは何とも皮肉なものである。

 

もちろん制作に関わった人たちからしたらどんな理由があれどFF15が叩かれるのは全く良い気分がしないだろうし、僕もまたFF15を理由にして未だにFF7リメイクやFF16を貶めるような発言をする人には軽蔑の眼差ししかない。

あの当時の事はあの当時の事、発売から5年が経ち、FF15に対する注目度も低くなって風化していった2021年の今、そういう印象のフィルター無しのフラットな気持ちでやるFF15本編に対する感想を僕が感じた正直な気持ちで書いていこうかと思います。

 

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冒険と言うよりも旅路と表現するのが正しいFF15の世界

結論から先に言うとゲームクリアまでした僕がまず最初に感じた事は「言うほど酷い出来ではない」という事

 

ゲーム開始時、本作のヒロインであるルナフレーナとの結婚式のために旅立ったノクティス達...しかし港町のガーディナを発つ直前で王都陥落の訃報を知り、その惨状を目の当たりにした彼らはニフルハイム帝国に対抗する力を得るために冒険をする...

ルシス領内のオープンワールドでの自由気ままな旅が出来る第9章までと、オルティシエでの水神リヴァイアサンとの啓示後、一気にリニア方式で物語が進む第10章以降とでは評価が一気に分断されると、当時はそう語られていたが、第10章以降で触れるルナフレーナのノクティスに対する想いと真実炎神イフリート氷神シヴァとの間で紡がれた愛の契りと堕天の経緯インソムニアでの新生 王の剣と関わる中で描写されたノクティスの精神的成長...鬼王、伏龍王、夜叉王との戦いで描かれる最強固になった仲間たちとの絆の演出強化...など、特にロイヤルパックを適用した時でのインソムニアでのストーリー強化は最後の戦いに向かう王達の背中をカッコ良く見せるのにだいぶ進化しており、結末自体は内容だけを見れば悲運の最期となってしまっているが、だからこそ感じられる彼ら仲間達と積み上げてきた旅の思い出、旅路の全てが結果的に終末を迎えた時の感動に一役買っており、そのあまりにも辛すぎる真の王としての使命を果たすまでの間に手向けられたストーリーは、ノクトの王としての自覚を持つまでの成長過程と、運命を受け入れるまでの経緯を描いた話としては相当優秀だった...と、僕はそう思えた。

本編内容自体は確かにかなり短い、主たる冒険舞台はルシス領とオルティシエ、そしてニフルハイムのみ、第9章まではルシス領のオープンワールドでのサブクエストや釣りのスポット等で様々な寄り道要素があり、ダンジョンの冒険もそこで楽しむ事ができる。しかしそれもメインストーリー1本のみに絞って動いていけば恐らく50時間も掛からずにクリアするのも簡単なのかもしれない。

僕がクリアした時のプレイ時間は150時間以上掛かったわけだが、それはオルティシエでの水神との啓示をするまでの間に様々なサブクエや討伐依頼、ダンジョン巡りといったやり込み要素をプレイできるだけプレイし尽くした故にこれだけの時間が掛かったのだが、そのどれもがとても楽しかった

釣りは操作が本格的で魚の種類も豊富でついつい時間を掛けてやってしまうし、ハンターとしての討伐で仲間達との共闘を感じ、キャンプや料理、写真と現実の旅でも大事な思い出作りの要素がFF15にはふんだんに詰まっており、グラディオ、プロンプト、イグニスと本当に仲の良い男たち4人の絆が描かれた今作は既存のRPGでよくある冒険感と言うよりかは現実でも身近によくある旅路といった表現をした方が正しいのかもしれない。

もちろんただ単純にクリアだけを目指していくのならばそれをやるのも容易だろう、しかしこの作品はユーザーが彼ら4人との積み上げてきた思い出が多ければ多いほどエンディングシーンが感慨深くなり、特に最後のキャンプでのあのシーン、そしてあのセリフはとてもネタにできる程のもんなんかじゃないと思うほど感動を覚えるセリフだった...少なくともこのゲームを最後までプレイした僕はそう思った。

 

それでもFF15クソゲーとして叩かれた理由

だが大いにイオスの旅を楽しめた僕ではあったが不満点が決して無いわけではなかった。ここから先は僕がプレイしてて感じた不満点をいくつか取り上げていこうと思う。ちなみに今回僕がプレイしたFF15アプデやロイヤルパックの購入によるストーリー補完は適用済みで、DLCマルチプレイゲームは未プレイ、第13章は初見はグラディオルートにせずにノクティスルートで進行、マルチメディアによる映画・アニメは未視聴、つまり純粋に発売当時の製品版に近い環境でプレイをしたその上で感じた不満点を述べていこうと思います。

 

リード、ダスカ、クレインとルシス領内にある3つの地方を渡って歩けるオープンワールドはFF史上初のゲーム要素で魅力的なもののひとつではあるのだが、実際に歩いてみると歩いた先で見つかるような物が何も無い事が多くて内容はスカスカだったりするし、草木の生い茂る林等では木にぶつかって動けない事もしばしば*1、オマケに殆どの草木にはオブジェクトの透過処理がされていないのか、雑木林の多いところで敵との戦闘になるとカメラが木に視界をさえぎられて何も見えない事も少なくはない。

またオープンワールドと言っても見えてるところ全てに行ける訳ではなく、道路から降りていけるガードレールの箇所は様々あるが、ノクト達が降り立つ事を想定していないのか降りる事の出来ない高さがあるガードレールや、トンネルがある関係でトンネルのある山の上に登ることが出来なかったりとオープンワールドとしては色々と歩ける範囲に制限が設けられてる事が少なくない。

1度でも他のオープンワールドゲームをプレイした事がある人からするとFF15オープンワールドとしての評価は決して高い方ではない。しかしオープンワールドゲームの共通の魅力として景色は圧倒的に良い、特にFF15はFF史上最高のグラフィックと言われる程のフォトリアル系グラフィックなので輝く青空や流れゆく雲の姿、そして自然豊かな景色と現実のそれに近いフィールドは散策しているだけでもすごく楽しい。

またFF15にはレガリアがあるので車でドライブしている感覚を味わうことができるのもFF15ならではの魅力だ。車から見える景色を眺めるという現実感に近い旅の楽しみ方にファストトラベルを敢えてせずにオートドライブで走る事もよくやっていた。

 

  • 説明不足、描写不足、唐突な展開について

ある意味一番叩かれていたであろうこの要素、いわゆるRPGでは超重要なストーリーの根幹について関わる問題ではあるのだが、確かにロイヤルパックが適用されたこの時でも若干粗が目立つストーリー展開がある事も無いことは無かった。

第7章の奮起では王都に仕えていたジャレッドと孫のタルコットが登場するのだが、ある時ファントムソードの入手のためにノクト達がダンジョンに潜入している間にジャレッドは突然やってきた帝国軍人に拷問をされた上で斬り捨てられてしまう。ノクト達がレスタルムの街に戻ってきた時には既に亡くなっており、その訃報を知る事となる、その後オルティシエに行く為にカエムの岬に向かうのだが、途中で帝国基地を見つけたノクト達は同行していたイリスを途中のパーキングポイントに置いてヴォラレ基地への潜入をしていく。

この時の彼らの目的は"ジャレッドを斬った"とされるカリゴ准将の捕縛を目的として来たのだが、そもそも彼らは何故ジャレッドを斬ったのがカリゴだと分かったのか?調べたにしてもいつ、どのタイミングで調査をしたのか?そして前もってイグニスがメルダシオ協会に捕縛したカリゴの拘束を依頼するというあまりにも不自然な手際の良さ...オマケに捕縛してメルダシオに引き渡したカリゴはすぐに脱走してしまったのだが、その知らせを聞いたノクト達はそこまで残念がってはいないという何のためにわざわざ基地へ潜入してここまでの事をやったのか、よく分からないという展開に首を傾げざるを得ない事になっていた。

カリゴの拘束はジャレッドの仇討ちとしてノクト達は動いたらしいのだが、そもそも何故ジャレッドを斬ったのがカリゴだと分かり、そのカリゴがヴォラレ基地にいる...と何を根拠にしてそこにいると確信したのか?色々と説明不足な点が見受けられる事が多いストーリーで、基地の攻略をさせるためにメインストーリーに無理矢理組み込んだと思われても仕方の無い部分がある。

当時はこの頃を境にストーリーの粗が目立つようになったとされ、オルティシエの水神の啓示は街を破壊しかねない危険な行為であるはずなのに政治家は住民の避難誘導だけで啓示をやらせてくれたり、その前には母国の危機という時に帝国に奪われたレガリアを取り戻しに行ったりと、人によっては説得力がない描写が目立つとされており、その点を良いとするか不服とするかは人によるが、僕が違和感を感じたのはヴォラレ基地と後述する第10章以降の話だけなので、案外そこまでストーリーに対する細かな精度を求めていないのかもしれないし、逆に言えばアプデとロイヤルパックの適用でストーリー強化された事でそこまでの違和感がなくなっているだけなのかもしれない。

ただそれでも伝わらない部分は伝わらない所もあるし、アプデ前はどれだけ描写不足だったんだろうか...と思うと少し恐ろしくも感じる

 

  • 伝わらなかった光耀の指輪の意味

描写不足の続きだが、第10章ではノクト達は帝国に向かう列車に乗っている、何故列車に乗っているのかは帝国に奪われたとされるクリスタルを取り戻す為と帝国への反撃として乗り込む為に乗ったのだが、これについてもシーンによる説明はなく唐突な展開となっている

ルーナの死から2週間が経った今でもルーナから明け渡された指輪を付けることが出来ず、失明したイグニスに対して声を掛ける事もなく塞ぎ込むノクトに対して堪忍袋の緒が切れたグラディオはノクトに対してキレ散らかす、この時グラディオが怒った理由はパーティから抜けている間に王の盾としての己の使命を再認識し、それを全うしようと務めていたグラディオ光耀の指輪をノクトに渡すという神凪としての使命を果たして亡くなったルナフレーナの覚悟が込められた指輪を付けることが出来ず、オマケにノクトの為に失明という大きな障害を抱えたイグニスにも気使う言葉ひとつも掛けられずに王としての自覚と覚悟を未だに持てないノクトに対する不甲斐なさから来るブチ切れではあるのだが、そもそもこの展開はゲーム内では2週間経っているが、ユーザーからすれば第9章のクリアからたった数分後の出来事であるので何故グラディオが突然ノクトに怒ったのかがよく分からない事になっている。オマケにレギス国王からルーナの手に渡り、ノクトへ手渡すという重要なキーアイテムであるはずの光耀の指輪の意味も映画を見ていないと何故この指輪の存在が重要視されているのかがよく分からない事となっており、イマイチ意味が伝わらない。意味が伝わらないからこそグラディオのブチ切れがユーザーからすれば理不尽な物に感じ、彼に対する印象が悪くなる。

オマケに青字で書いた王の盾としての使命の再認識はエピソードグラディオラスというDLCでの描写で成り立っているのでDLC実装前の段階ではそういう王の盾としての再認識があるグラディオの思いを知る事が無いため、余計に「グラディオが突然キレた」という印象を持ちやすくなってしまっている。

DLCをやりこんだ場合、この大喧嘩のシーンはグラディオ、ノクティス、イグニス3人の思いのすれ違いということがよく分かるのだが、DLC実装前での段階では本当によく分からないまま列車に乗り込み、よく分からない理由でグラディオにキレられるシーンという印象しかなく、また彼の飛ばす檄は言葉のトゲがキツイ為に余計にグラディオに対する心象を悪くしてしまう悪循環になっている。せめて光耀の指輪が持つ意味だけでもゲーム本編内で描写されていれば覚悟が決まらないノクトに対する苛立ちを持つグラディオに対して共感できる部分が持てたのかもしれないが、その後和解するまではダンジョンでもネチネチとノクトに対して嫌味ったらしい悪口を言うために余計にグラディオに対する印象が悪くなってしまう。FF15自体がメディアミックスでの展開を推し進めていただけに描写不足、説明不足という弊害が起きてしまい、僕にとっての最大の描写不足はこの第10章の列車での喧嘩シーンだと思っている

 

その後、ノクトとグラディオはイグニスの心情の吐露によって和解、その後帝国へ向かう間にルナフレーナの描写強化等で良い印象を持つのだが...

 

  • プレイしてて全く楽しくなかった第13章

世間から最大の問題とされていた第13章、いよいよ敵の本拠地へ突入するというある意味ストーリー的には最大の山場とも言える場面なのだが、いざ入ってみると何故か帝国は既に壊滅状態、人は誰も居なくなり、シガイがうようよするだけという異常な空間...そこでアーデンの罠によって武器が使えなくなり、おどろおどろしい不気味な音楽が流れる中でノクト1人で進み、床に転がっている暴走魔導兵が掴みかかってくるというホラー的演出でまるでバイオハザードをやっているかのような恐怖体験を味わわされ、オマケにその舞台となるジグナタス要塞は長大にダンジョンが長く、更に歩いてる最中はアーデンの蔑む声が響き渡るといううっとおしさに拍車を掛けるという三重苦以上の苦痛な章となっており、はっきり言うとやってて全く楽しくなかった章だった

死体のように転がる魔導兵が掴みかかってきたり、開けた扉の先でいきなり驚かすように現れたりと要らぬホラー的演出はクリエイターの悪趣味が露見したとも思えたし、道筋は一本道だがあまりにも長く険しいダンジョンにクリアするのに2時間も掛かってしまい、本当に苦痛でしか無かった。そりゃファンからは最大の汚点とされるのも仕方の無い要素であり、これを皮切りにFF15叩きが過激化したのかと思うと何とも居た堪れないのが僕の思うところである。

 

何気にこの章ではシガイとアーデンの関係性、そしてアーデンの正体という超重要なストーリーの核心に触れられるのだが如何せんそこにたどり着くまでの道のりが長く険しすぎる為に悪印象だけが残る事となってしまい、FF15の第13章は最大のトラウマ章として今でも語り草とされてしまっている。

 

  • エンディングについて

これまでノクトは様々な人物から王としての自覚が足りないと指摘と叱責をされてきた。だがまだ20歳という若さで父親の死をキッカケにルシスの全国民を抱えて王になれと言われても無理な話なのであって、先程のルーナの死も13年振りにあった恋人が1日も経たないうちに死んでしまってから2週間なので最愛の人が亡くなってからたった2週間で精神的に復帰するなどまず無理な話なのである

しかし彼は王として役割を担い、その使命を全うしなければならない。だが周りがノクトに対して期待している王とは王政者としての王ではあるのだが、イオスの神...このゲームにも登場する六神が期待する「真の王」とはその意味合いが全く違う。

真の王とはイオスという星を蝕むシガイと星の病を完全に浄化する力を持った人物の事であり、その力は六神をも超える力を持つと言われている。そしてその力を得る為には光耀の指輪に歴代王の力を吸収させ、自らの命を捧げる事によってその力を得る事ができる...つまり神々が選ぶ真の王とは「イオスという星を救う為の生贄」という過酷過ぎる運命をノクトは背負わされる事となってしまったのだ*2。この事実は本人はおろか、仲間達3人も知らず、六神以外で知っていそうなのはレギスとアーデンぐらいしか知らなそうである。

オマケにノクトはわずか5歳にして真の王に選ばれている。真の王に選ばれた人物がどんな末路を辿るのかを既に知っていたであろうレギスはノクトに対してそれほどの厳しいしつけをする事なく自由にのびのびと育てた。そのせいでイマイチ王としての覚悟が決まらない不甲斐ないノクトができてしまった部分もあるのだが、その過酷過ぎる運命を知っていたが故にレギスも言い出せなかったのであろう

真の王という存在がノクティス以前の王の中にもいたのかは不明、しかし予想以上に星の病が進行していた事や星の病の元凶でもある寄生虫と黒色粒子を取り込んだ事で不浄の存在となり、不老不死となったアーデンを倒せる唯一の人物として真の王というものの存在が神々の間で必要だと判断されたのであろう。

しかしこの六神...特にリヴァイアサンとバハムートは人間及びノクトに対してかなり傲慢な態度を取るとても神とは思えない奴らであるリヴァイアサンはそもそも人間嫌いで人間をはなから見下しており、真の王としての啓示のためにルナフレーナから呼び出された時は人間をゴミ扱いしながら自身は崇めよと神らしくない態度で接しており、バハムートもまた人として生きる事の幸せを捨てて星の為に真の王としての役割を全うしろと強要している。そこにノクトの人生の事など全く考えておらず、慈悲はない。

恐らく神話にも登場する六神というのは人間の為の神様ではなく、あくまでもイオスという星の為の神様なのであり、六神がノクト達に協力するのもあくまでもイオスから星の病を救う為の駒として使う為に協力しているだけなのだと思うと彼等の手助けも何となく心に引っかかる部分がある。一応このゲームの宿敵はアーデンであり、ルシス王家への復讐を果たそうとする彼の存在自体が世界の危機に瀕してる事に変わりは無いため一応はノクト達の味方なのだが、それでも彼等自身が何とかせずに星を救う為に犠牲になれとノクトに強要をする彼らも十分な悪人である。

 

そもそもアーデンがルシス王家に恨みを抱く事になった切っ掛けはその六神及び六神が作り出したクリスタルに自分の存在を受け入れてもらう事が出来ず、オマケに弟のソムヌスに殺されたというものであり、そもそもの元凶が彼ら六神にあるというものがある。つまりこの作品で世界が危機に瀕した事の全ての元凶はこの世界の神達...という事になるわけである。

ただしこれはゲーム本編でDLC未プレイで感じた事なのでDLCをプレイした場合はまた違う真実が見えてくるのかもしれない。

 

そんなこんなでエンディングではノクトは真の王としての使命を果たす為にその命を散らしてしまう。FF13FF零式とのちょっとした繋がりを持った新たなクリスタルの物語としての連動性が当初予定されていたこの作品、FF13が神の定めた死の運命に抗い大勝利を収める話であったのに対し、FF15は世界を救うためとはいえ、神の定めた運命を受け入れる物語という対比が実に面白い事になっている。

結局真の王としての使命を果たした事によってイオスの星は救われた。しかしこれによってルシス王家の血は途絶え、仲間たちは最高の友を失った。帝国は既に壊滅、神凪としての使命を引き継いできたフルーレ家も滅亡、世界を取りまとめる者が誰もいなくなった世界で平和な世界を築けるのかと言うと何だか疑問でしかない。

主人公が死ぬエンディングというのはFFの中でもかなり珍しい。ナンバリングだけで考えると最初から世界に存在しない人間であったティーダ以来の人物でもあったが、ノクトの方は明らかに生きていたのである。生きた人間でもあるノクトが世界の為に星の為に最後は死ぬというこのエンディングに対して世間からの評価は賛否両論、FF史上類を見ない主人公には悲劇的なエンディングになっていて、ノクトは死後の世界でルナフレーナと幸せそうな結婚式を挙げているがそれでも良かったねとは一概に言えない人も多くいるだろう

この点に関して僕は例外として不満点としている訳では無い。死という運命があったからこそ最後のキャンプでのシーンは感動できた部分もあるし、最高だと思えた。しかし僕が思うにこのエンディングは当時のFF15スタッフ達にとっては仮エンドでDLCシーズンパス第2弾で用意する予定だったエピソードノクティスで真エンディングにする予定だったのか?それともこれが本当にスタッフの思う最高のエンディングとして捉えていたのか?その時のディレクターの思いを知りたい部分がある。

最初からDLCを発売する予定としてこのエンディングを仮エンドとして本編に組み込んだのなら用意周到で挑戦的だなとも思えるし、まさかここまで袋叩きにされるとは思っていなくて急遽用意したのならだいぶ稚拙だなとも思える。だが当時のスクエニ及びFF15スタッフはRPGでは当たり前のように存在する「売上初動型」という枠から外れようと挑戦していた節があったらしく、恐らく発売当初の本編が色々と描写不足が多すぎたのも最初からDLCでストーリー補完を展開して完璧な作品にしようとしていただけなのかもしれない。

しかしそれは昨今のゲームソフトで問題となっている未完成品をユーザーに売りつけたと炎上する案件であり、FF15もまたそれを理由にして叩かれる事となってしまったのであろう...

結果的にDLCシーズンパス第2弾の開発は中止、ゲームとしてのDLCはエピソードアーデンで終わり、最後まで完結することの無い煮え切らない最後を迎えることとなってしまったのであった...*3

 

総評

発売から今年の11月に5年が経ち、だいぶ時が進みこのゲームも風化していった。中盤色々と不満点は述べて言ったが結果的に僕はこのFF15はプレイして楽しかった最高のFFだと思っている。何よりも彼ら4人との思い出を積み上げていったこの感覚が最高のゲーム体験となって思い出に刻まれており、発売当初から比較すれば良い作品だったのではないか?とも思っている。

あとは当時のFF15スタッフがこの作品で何をしたかったのか、何をユーザーに訴えかけてこの作品をお届けしたかったのか?その思いに触れていく事をメインに楽しんでいこうと思う。

 

僕はまだDLCもプレイしていないしメディアミックスにも触れていない。そこに触れた時僕のFF15に対する印象もまた大きく違って見えてくるであろう。その時にはまた追記するか別の記事としてここに書いていこうと思います。

 

ここまで読んでくださりありがとうございました!

 

 

 

*1:特にレガリアtype-Dでは雑木林に突っ込んでしまうと高さのある枝にぶつかりまくって最悪動けなくなる事も、某勇者の息吹の様に見えてるところのほぼ全部に行ける訳では無いのだ

*2:世界を救うために人の命を犠牲にするという意味ではFF10の究極召喚に似たようなものもあるが、あちらはまやかしの希望であったのに対し、こちらは本当の意味での希望となっており、それしか方法が無かった。

*3:オマケにエピソードアーデンは最終作のエピソードノクティスへの導線とするための序章とも言えるエピソードとなっており、ここから真エンディングを作り出そうとしていたと思うと本当に不甲斐ないものである

3月中に4KテレビとPS5を買った話

 

お久しぶりです、ニホンバトです。

令和3年も4月から新年度に突入し、コロナ禍でまだまだ世間が大変な中ではありますが、コロナ禍としては2回目の春を迎えましたね。

 

僕もなんやかんやあった末に親元を離れた生活を始めてからもうすぐで5ヶ月...今年の正月に僕はある目標を立てました。それは

「今年中に4KテレビとPS5を手に入れる事」

この目標を書いた正月のあの頃は実家を出てからまだ間も無かった時期というのもあり、将来一般就労に就きたいだとか、今いるGHを出て一人暮らししたいだとか、そういう大きな動きが必要とされる目標は直ぐに決めきれるほどのものではなく、まだ自分の中では将来に対する展望は漠然とした状態でした。

そんな中でまずは日々の仕事を精力的にこなし、安定した生活を維持する事を前提にしつつ、とりあえずの目標として立てたものが4KテレビとPS5の購入...親元を離れた生活をしていく事になった事で僕は何者にも縛られない自由を手に入れた、それによって基本的な生活方針を自分で考えられるようになった。そしてそこで僕が何よりも重要視するようになったのは日常生活に過ごすという観点に於けるQOL、特に仕事がオフの日をどう快適に過ごすのか?を絶対視していました。

休みの日にどういう過ごし方をして満足度を高めるのかは人それぞれですが、僕は昔から休日は家で過ごし、漫画やゲームといった家の中で出来る趣味娯楽を楽しむ事が多く、その方針は今でも変わりません。寧ろ無用な外出は避けるように規制されているコロナ禍の今に於いては家の中で過ごす事...つまり「おうち時間」の楽しみ方が注目度を高めている中で昔からおうち時間を過ごす為にあったゲームという娯楽は特にコロナ特需を満たすものとして人気が高まっており、こういうイレギュラーな状況下でも大きな経済成長をしている企業カテゴリーの中にゲームというジャンルが入るほどです。

 

そもそも僕が実家を飛び出した時には僅かな手荷物と2回目にこっそり実家へ忍び込んで取りに行った着替えぐらいしか物がなく、11月中は何かと物が入用な状態でした。

幸い自分が今働いている職場から受け取ってる給料をそのまま貯蓄に回せたことで生活に必要な物(洗濯用品や寝具等)は何とか買い揃える事が出来ました。最初は野宿も覚悟して実家を飛び出したあの頃と比べると衣食住は確保されて働き口も保証されている、こんなにも幸せ過ぎる当たり前な事は他にありません。

そんなこんなで生活をしていくうちに僕の心に余裕が出てきました。生活準備に必要な契約や手続きも済ませた事で毎月貯蓄できる程の余裕が出てきました。そして僕は実家で過ごしていた時と同じように趣味娯楽を楽しんでいこう...と、そう考えるように至りました。

月に1回の漫画購入はもちろん、当たり前のように楽しんでいたゲームという趣味を取り戻したい、そう思い立った時にまず必要となるのはゲーム機、そしてテレビのような液晶モニターでした。幸い実家からNintendo Switchを取り戻していた僕はテレビを買うまでの間はテーブルモードでSwitchのゲームを細々と楽しんではいた.....のですが、僕がSwitchを携帯モードやテーブルモードでプレイしていたのはあくまでも実家のテレビを長時間占有することが出来ない事情がある上での対策としてやっていただけに過ぎず、僕がSwitchでメインとしてやりたいのはTVモードであり、ずっとSwitchの本体液晶ディスプレイだけでやるのにはだんだん苦痛を感じる様になりました。

テーブルモードも決して悪いものでは無いのですがやはりゲームはテレビに繋げてどっしり腰を据えてやりたいという思いが強くなり、ゲームを快適に楽しむためにテレビを買いたい、そう思うようになったのです。

 

前置きが長くなりましたが僕は休日を過ごす時の満足度を高めるものとして、そして将来いつか絶対に欲しい!という強い願いを込めて4KテレビとPS5を買う事を今年の正月に目標として立てました。

 

決意を固めた4Kテレビの購入

以前にも僕は4Kテレビの事で記事を書いていました。欲しいメーカーのテレビはSONYBRAVIAシリーズで、2020年製の4K液晶テレビの中では最上位のモデルのX9500Hの49v型、本当は今年発売される予定になっている2021年発売のBRAVIA XRシリーズが出るのを待つのも手ではあったのですが、テレビに繋げてゲーム機を早くやりたかった事と、XRがどれほどの値段になるのか未知数で分からなかったこと、そして今のタイミングで発売されている目当てのBRAVIAが家電量販店でかなりの底値で販売されているのをキッカケにBRAVIAを買う決意がつきました

 

そして実際に家電量販店でBRAVIAを購入

家にやってきたその姿がこちら!

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いやぁデカい!店舗で見ると小さく感じていましたがやはり狭い部屋の中で見るとその大きさがすごく実感できますね!

通販で買った150cmのローボードに49vの大きさのテレビは置ける範囲としてはバランスを保つという意味でもまぁまぁギリギリ、液晶画面の大きさに圧倒されると共にその厚みの薄さに驚かされました。「今のテレビってこんなに薄いんだ...!」と、感心しつつ、テレビの組み立てと搬入をしてくれた業者さんを見守っていました。

X9500Hは2020年製のBRAVIAの4K液晶テレビとしてはシリーズ最高峰、4K解像度で画面を映し出す高解像度プロセッサーの導入にHDRの進化などで美しい4K高画質の映像を表現することが可能に、BSやCSでの4K放送に映画やゲーム、ネット動画等での4K映像コンテンツを楽しむ事が出来る素晴らしいテレビでもあります。もちろん地上波放送やフルHDの2Kで表現される映像コンテンツであったとしても4Kの恩恵を全く受けられない訳ではなく、4K相当の映像にアップコンバートしたり、後述するモーションフローの設定によって動きの激しい映像でのフレームレートを向上させる手助けをしたりするので同じ2Kの映像でも違う体験を楽しむことができます。

 

しかしぶっちゃけて言うと僕が4Kテレビを買った最大の理由が4KテレビでPS5のゲームを楽しみたい!とする動機が強くあり、これの為だけに4Kテレビを買ったと言っても過言では無いです。最新の家庭用ゲーム機は4Kでの映像表現に突入した時代...4Kの美しい映像によるゲーム体験が味わえるのは4Kテレビだけ!そう思って買うことを決意致しました。

しかしもちろんAndroid TVとしての映像ストリーミングコンテンツも豊富にあってそれらはとても魅力的に見えました。無料で楽しめるYouTubeGYAO!TVer、AbemaTVに加えて有料課金で楽しめるAmazonプライムビデオやNetflixといった映像コンテンツが豊富に沢山あり、そのどれもがとても魅力的に見えてしょうがなく、今の僕が過ごしてる場所のWiFi環境がもしも光回線だったら僕は間違いなくストリーミング系映像コンテンツのヘビーユーザーになっていた事は間違いないでしょう

 

BRAVIAをSwitchに繋いでみた

BRAVIAは4KテレビではありますがNintendo Switchは最大解像度1080pで画面描画を映し出すフルHDのゲーム機です。つまり4K以前のフルハイビジョンテレビでも十分な状態だったと言えなくもないのですが、Switchでも4Kテレビに繋ぐ事の恩恵は十分にあります

最近の4Kテレビはテレビ側の補正によって2Kの映像を4K相当の画質に擬似的にアップコンバートする機能が備え付けてあるのでSwitchの映像でも十分綺麗になるんですよね。

f:id:Gameslifeisff:20210404075912j:imageSwitchのホーム画面、前まで本体液晶の小さいサイズでしか見てなかったのでホーム画面だけでもその大きさに圧倒される


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まずは試しにスマブラを起動、forから進化したグラフィックの強化の実感は何より、画面が大きくなった事でフィールドとファイターの大きさや位置関係を把握できるようになり、特に広過ぎてファイターが見えない事で有名なエンジェランドニューポークシティでカメラがズームアウトしてもファイターが見えやすいのは良い恩恵です。

元からカメラ操作の柔軟性の高さからズームアップすることでステージ背景の作り込みやキャラクターが身につけている装備品や服の素材感やディティールの細さがよく作り込まれてると好評の部分もあったのですが、BRAVIAに繋ぐ事によって解像度が向上&画面サイズがアップした事によりその作り込みの凄さを更に実感することができています

乱闘画面でもキャラクターが放つ必殺技や最後の切り札のエフェクトに更なる迫力を増しており、こんな大画面でスマブラをやったら凄いだろうな...という理想をまさに叶えてくれている凄い代物となっています。

 

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続いてあつまれどうぶつの森を起動、画面サイズが大きくなった事でポケットに入っている動植物のアイコンが大きくなり、アイコンを見るだけでもどんな物が入ってるのかを瞬時に把握できるのは良い利点でしたね。

この日たまたま来ていたレイジとの2ショットではメッシュ帽の通気性の良い模様やレイジの3本爪が鮮明に見えるなど、解像度の向上と画面のサイズアップによって細かいところまでよく見えるのはとても素晴らしかったです。

解像度の向上による恩恵はあつ森でも感じており、滝つぼや川のせせらぎ、海で揺らめく水面の描写など特に水関係の描写ではそのリアリティ感が感じられた様な気がしました。僕の買ったBRAVIAは49vという最小サイズである関係上、テレビスピーカーの迫力という意味では他の大型サイズのBRAVIAには劣ってしまっているのですが、それでもあつ森のフィールドで感じる環境音の心地良さはしっかりと実感出来ました。

 

BRAVIA Switch」と検索して出てくる記事にも書いてあるのですがBRAVIA自体のアップコンバート補正によってTVモードで元からフルHDが出ている解像度の場合は擬似4Kに、1080p出ていないゲームでも補正によって擬似フルHDに画質向上するのが望めるのはゲーマーとしては嬉しいところですね。

BRAVIAにはもうひとつ、フレームレートのアップコンバートをする倍速機能というのが付いており、「画質設定」の「モーションフロー」の項目にてその設定ができるのですが、これによって元からフレームレートが決まっている映像コンテンツのfpsを擬似的に向上させることによってぬるぬる感のある動きをする映像を見る事が出来ます

僕も地上波放送で試しにモーションフローを最大にして映像を見て見たのですがまぁぬるぬる動く事動く事.....特にCMでの演者の動きや口元の動きが明らかに滑らかになっており、初見では「気持ち悪!」と思うほどぬるぬるしています(笑)

ただ残念な事にこのモーションフロー、決してゲーム向きではないんですよね...地上波放送にしろHDMIに繋いだデバイス機器にしろ、元からfpsが決まっている映像をBRAVIA側の補正によってヌルヌルにした映像を視聴者に表現している訳ですから元の映像から映像処理を施し、そこから実際に画面に写しだすまでには0.1秒ほどのタイムラグがある訳ですね。つまりそれがどういう事かと言うとゲームに於いて言えばコントローラーのボタンを押してから押したボタンに対するアクションを起こすまでの応答速度の時間にタイムラグが発生してしまうんですよね。

これは普段からリアルタイム性が求められるアクションゲームや格闘ゲームをしていたりする人だと顕著に感じる問題でして、一般ユーザーでも「ちょっと遅れてる...?」と感じられる程度に遅延は感じます。僕も最初はスマブラで画質モードを「ダイナミック」にしてモーションフローを最大にしてヌルヌルしたスマブラを楽しもうとしていたのですが、例え映像の動きは綺麗になってても、ボタンを押してからの応答速度にタイムラグを感じるようであればせっかくの楽しいゲーム体験が台無し、僕はすぐさま応答速度による遅延がないゲームモードに変更しました。

 

ゲームモードでは映し出される映像はゲーム機本体の性能に依存した映像がそのまま映し出される事になり、モーションフローも使用されないので残念ながらSwitchの場合は綺麗に補正した映像でゲームを楽しむ事は出来ませんが、操作の快適さを取るという意味では画質モードはゲームモード1本のみ、そんな事をBRAVIAが届いた一日目に早くも実感しました。

f:id:Gameslifeisff:20210404083020j:imageブルーレイディスクによる映像コンテンツの再生やテレビ放送には操作遅延等の心配は無いのでモーションフローの利点を生かせるのはゲームのように自ら操作をしない映像コンテンツを楽しむ時が一番になるだろう

 

それからこれは余談になるのですがBRAVIAの横にPS5を置く関係性上の問題でSwitch本体を置くスペースが無くなり、仕方なしにBRAVIAの後ろに追いやられる事になりました...

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今後SwitchはTVモード専用でプレイするのでドックから取り外す事が無いとはいえ、なんだか少しかわいそうな扱いをしているみたいで申し訳ない...僕が買ってもらったこのSwitchも発売日に買ったものだからもう丸4年が過ぎた代物でこれはいつまで持ってくれるのか...少し不安な気持ちを抱きつつもSwitchでもまた再びテレビでゲームができる様になった事は嬉しい限りですね。

 

テレビはテレビ自体がエンターテインメントを更に楽しむ為のデバイスへと進化

テレビは昔から地上波放送を受信するだけでなく、BS、CS、ゲーム、レコーダーと、色んな放送や機器と繋がることによって様々な楽しみ方をするようになりました。

最近ではそこにネットストリーミング系映像コンテンツが加わった事によってエンターテインメントに大きな幅が加わったすごいテレビになりました。単なる解像度の進化だけには留まらない最新のテレビ...誰もが一生に一度は買いたい夢の製品ですね!

 

奇跡のPS5当選

テレビの購入をしたからには最後はPS5の購入をしたい。そう思ってはいたのだが正直な話それはいつ実現するのかも分からない夢物語だと思っていた。何せPS5本体の基盤に使われている半導体の供給不足と圧倒的な人気による需要過多が重なって去年の発売開始から今に至るまで品薄状態が続き、定期的に行われている抽選販売に当選するか、Amazon等のECサイトでのゲリラ販売を勝ち取らないと手に入らないレベルの代物となっているのが現状で、正直な話僕もいつ買えるのかは分からないと覚悟していた

僕のフォロワーさんで昔からPSのゲームを愛する人達は数あれど、その全員がPS5を手に入れる事ができている訳ではなく、今でもPS5を手に入れるのに四苦八苦している現状がある。

 

これは長く長期的な戦いになる...その覚悟を持ってPS5のゲットに挑むつもりだった。

そこでまず最初に手をつけたのがテレビを買ったばかりの時はまだ受付中だったノジマでの全国抽選販売ノジマは数ある抽選販売を行う家電量販店のサイトの中では転売屋対策を徹底的にしているサイトでもあり、少しでも平等公平に、不正がないように欲しいとするユーザーの手に行き渡るようにと対策してくれているとの事で信用のできるサイトだと確信していた。

 

しかしこの時の僕はテレビを買ったばかりの段階だったので万が一これが当たるなんてことは一切考えること無く、正直な話「当たれば奇跡だな」という軽い気持ちだったのは否めない。ECサイトでの争奪戦には勝ち取れる自信がなかったし、僕は最初から抽選販売による当選1本のみに絞っていた、...が、いくら転売対策をしているノジマとはいえ日本全国から圧倒的な数の応募が来ているなんて事を考えたら当たるなんて事は微塵も考えていなかった。

 

どうせ外れる、僕はそう思って疑わなかった

 

しかし...

 

 

 

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まさかの奇跡の当選を果たしてしまった...

 

 

あまりにも予想外過ぎる結果だった...

抽選販売の結果がメールで通知される3月29日の夕方、仕事終わりに毎日のメールチェックをしていた時、ノジマからのメールがあって確認をしてみた、そこにはこんなメールが...

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これを見て目ん玉が飛び出そうになった、まだテレビが届いてから1週間も経ってない段階でPS5が当選するなんて本当にマジで夢にも思っていなかった。あまりにも奇跡過ぎて興奮を超えて変に冷静になってしまったのは今でもよく覚えている。今でも当選をしたという事実が信じられないぐらいで明日俺死ぬんじゃないか?と自分の運を使い果たした事にそう思わざるを得なかった。

しかし、せっかくそんな奇跡を起こしたのだから早速迎えに行かなければ、そう思いこのメールが届いた翌日には即PS5を購入しに向かったのだった。

 

PS5開封の儀

というわけで既に何番煎じになってるかも分からないが、僕なりの開封の儀のレポートをここに書いていこうと思う。

その前に感じたのはまず持ち帰った時の箱の圧倒的な大きさとその重さ、PS5本体は横置きした時の横幅の大きさが39cmと大変大きな代物となっており、その大きさの分それを入れる箱も必然的に大きくなり、重さも歴代で最高クラスに近い重さ。ここまでの重量感を感じたのは小学生の頃に買ってもらった初期型PS3を家まで持ち帰るのに何度も手を痛くしながら持って帰った時以来の重量感だった。

何故ここまで本体が大きくなったのか?と言うと一番はマザーボード基盤の高性能化による排熱、冷却処理問題を解決する為にここまでの大きさになったと思われる。ゲーム機に限らず、機器の製品が高性能化するとその分その機器を動かすための処理能力や負荷が大きくなって大量の熱が発生する。ゲーム機に限って言えばGPUとCPU性能が大きく向上するとその分発生する熱量も多くなる、それを上手く排熱出来ないとそれがゲーム機本体の負担になってしまい予期せぬ故障を起こすなどのトラブルに繋がってしまう、一時期ニンテンドーDSPSPといった携帯機ブームもあったが、時代が進んでも高性能化した後続の携帯機が出ないのは、携帯機がスマートフォンに置き換わっているというのもあるが、何より最大の理由が携帯機としての手頃なサイズ感を保ったまま高性能化させようとしてしまうと、携帯機に掛る熱量が大量発生し、それを効率よく処理するための革新的な技術ができていないために性能としては頭打ちになってしまっているのが現状としてあるからであろう

故にPS5では4K高画質でゲームを取り扱う高性能な次世代機であるが故に排熱処理を物理的な大きさで解決したという事なのだろう。PSシリーズは長年初期型の発売から数年が経つと小型化したマイナーチェンジ機を出してきた経緯があるが、今回のPS5に限って言えば小型化されるかどうか、そもそも小型化できるのかどうか?いささか怪しい部分も無くはない気がする。

初期型と同程度の性能を保ちながら本体の大きさを小型化する...技術力のあるソニーだったら実現出来なくはなさそうだが果たしてそれがいつになるのか...?ある意味楽しみで仕方がない。

 

さて話はだいぶ脱線してしまったが、箱で比較して見た時の大きさは本当に圧倒的で、横にNintendo Switchの箱と比較すると一目瞭然、まるでSwitchが子供のように思えて仕方ないレベルの大きさである(笑)

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f:id:Gameslifeisff:20210405101850j:image横幅でも上回り、縦の長さはSwitchのおよそ2倍、いかにPS5がデカく、Switchが小さいのかが箱だけでもよく分かる

 

箱自体に取っ手が付いており、箱はその取っ手の部分から開けることになる。開けるとまず最初に見えるのがスタートアップガイドなどが入った付属品の箱だった。
f:id:Gameslifeisff:20210405101841j:image紙の内容はPS5本体の設置の仕方と初期設定の簡単な方法のみのシンプルな内容だった
f:id:Gameslifeisff:20210405101907j:image左下から時計回りにPS5本体に取り付ける「ベース」「ACアダプター」DualSense充電用の「USB typeCケーブル 」「HDMI2.1ケーブル」となっている

 

そしてこれが噂のPS5の新コントローラーのDualSense!
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これまでのPSのコントローラーとしてはおなじみだったDUALSHOCKは誰の手にも馴染みやすいスマートな形をしていたのが特徴だったが、先代のDUALSHOCK4と比べるとその大きさと重量感がスケールアップ、Switchのプロコンと比べてみると形状は完全にXboxのコントローラーやプロコンのそれと一緒、しかし重量感で言えばDualSenseの方が圧倒的に重く、R2、L2ボタンのグリップの入り込み具合はSwitchのプロコンにはない特徴をしている。

このコントローラーには既にマイクが備え付けられていてこのコントローラー一つだけでボイスチャットをすることも可能らしい、オマケにDualSenseの下部に付いている3.5mm端子プラグに既に持ってるイヤホンやヘッドホンを差し込めば、DualSenseを通して3Dオーディオを感じる事が可能なんだとか、とにかく凄いコントローラーであることは間違いない。

 

そしてお披露目となったこれがPlayStation5本体である!
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デカい!デカすぎる!(褒め言葉)

縦にしても横にしてもその大きさと高さは圧倒的で本体の重量感も凄まじい、まるでレコーダーデッキを持っているかのような重量感に落とさないかどうかの心配をしつつもベースを取り付ける作業を行った

f:id:Gameslifeisff:20210405101814j:imageSwitch本体との比較では更にその大きさの差を感じとることができる。これが同じ第9世代ゲーム機か...
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今回PS5を置くにあたって横置きにするか縦置きにするかでは相当迷いに迷った。本当は構図的にテレビの左横にSwitch、右横にPS5を置くというのが理想としてあったのだが、それでも150cmのローボードでは結構ギリギリな気もしたし、PS5の縦置きが凄まじくスタイリッシュでカッコイイのは分かってはいたのだが、やはり何より万が一の地震が起きてしまった時に安定しないという意味では横置きにするのが1番だと僕は思っていた。

結果ローボードを目一杯使ってこの構図となったのだが結果的にこれで良かったと僕は思っている。何よりテレビの横にゲーム機を置くという理想の配置がこれで出来上がった訳なのだからこの時点で大満足なのである。縦にするか横にするかで迷う人も多いと思いますが僕は個人的には安定しているという意味で横置きにするのを推奨します。


f:id:Gameslifeisff:20210405101818j:imageそして起動した時に現れたこの画面の指示に従ってPSボタンを押し...

f:id:Gameslifeisff:20210405101858j:imageHDRの調整
f:id:Gameslifeisff:20210405101836j:imageメディアアプリはその殆どをBRAVIA自体のアプリケーションで補うことが可能だったのでダウンロードはやめた

 

そしていよいよセッティングが完了!

4K高画質で映し出すBRAVIAと4Kゲーム機のPS5が繋がり、いよいよ本格的なゲーム再デビューを果たす時がやってきた!

 

というわけでここまで書いてきた訳だが今でも僕はPS5でゲームをとても楽しんでいます。

何より嬉しかったのは実家から抜け出す時にこれだけは失いたくない!と思って持ち出したFF7リメイクとFF15のゲームソフトを5ヶ月の時を経て再びプレイできるようになったというのが凄まじいぐらいに嬉しくてしょうがなくて、感動もののレベルだった...また、長くなってしまうので割愛&僕のTwitterを見て欲しいのだが、PS5でプレイするPS4のゲームはその圧倒的な性能によるフル稼働の恩恵をしっかりと受けており、特にFF7リメイクではPS4Pro相当の4K高画質を感じており、FF15でもHDR設定とフレームレート設定などで圧倒的なぬるぬる感を感じるFF15を楽しむ事ができているので素晴らしいゲーム機を買えて本当に良かったな...としみじみと思うばかりである。

f:id:Gameslifeisff:20210405101854j:image最後に狙うはFF7リメイクインターグレード、このソフトの発売日を待ちわびるばかりである

 

締めの言葉

4KテレビとPS5を買う事は僕の今年立てた夢でもあった。人間辛い事が多い現代社会の中で働いて生きていくためのモチベーションを得るには娯楽体験が必要不可欠だ、僕にとってそれはゲームであり、ゲームのためにモチベを維持して生きていると言っても過言では無いのは確かだった。

とはいえこんなにも早く夢が叶ったのは予想外過ぎた事で、正直な話今でも信じられないぐらいだ。仕事から帰って部屋を開ければ4KテレビとPS5がある。そんな夢のような光景を目の当たりにしながら僕はこれからもゲームを、娯楽を、そして人生を悠々自適に生きていきたい。

 

素晴らしい奇跡のような話ではありますが僕はここまでを生きる事ができて本当に良かったです。

 

これからも良きゲームライフを、そして良き人生を生きていこうかと思います!

 

ここまで読んで下さりありがとうございました!

 

 

【4月30日追記】

PULSE 3Dワイヤレスヘッドセットを購入しました

 

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PS5に奇跡の当選をしてから早1ヶ月が経った今日この頃、あれから僕は実家から持ち出したFF15を楽しみながら日々を送っています。

FF15はFFシリーズの中でオンラインを除いたオフラインナンバリングタイトルの中では唯一プレイしたくてもプレイ出来ていなかったタイトルでもあり、世間からの評価は散々なものではありますが、今のところ僕はFFとして大いに楽しんでおります。

 

魅力的な要素が多いPS5の新機能として大きな魅力の一つとされているのが「Tempest 3Dオーディオ」これはソニーの音楽技術の「360 Reality Audio」という新しいサラウンド技術をPS5向けに応用したもので、「左右からの独立した音」という既存のステレオ技術から更に進化し、3Dオーディオは多角的な音の出力に対応した新技術となっており、特に上下から発せられる音の高低差の違いや前から来る音、後ろから来る音という前後からの音の違いも明確に表現した新しい音響技術であり、既にサラウンドヘッドホンというジャンルのヘッドホンがFPSをよくプレイするヘビーユーザーの間でゲーミングヘッドセットの一つとして愛用していたのだが、これが一般的なユーザーの日の目にも浴びる形となったとも言えるかもしれない。*1

PULSE 3DヘッドセットはTempest 3Dオーディオ向けに最適なチューニングを施したもので、一般的なユーザーでも3Dオーディオを楽しめるという事でPS5の周辺機器グッズの中ではダントツの人気となっていて、Amazon等では未だに売り切れ&転売価格で発売されているというのが現状である。

 

僕はPS5に当選をしてノジマに本体を受け取りに行ったあの日、周辺機器の物が買えないのかどうか思い切って店員さんに聞いてみた。

すると店員さんは周辺機器のバーコードリストを持ってきて下さり、「現状売り切れているものが多いが代金を払って頂ければメーカーからの入荷があり次第確保して連絡します」との事、つまりここでPULSE 3Dヘッドセット代を払えば入荷日未定でも確実に定価で買う事ができるという事で僕はそこで迷う事が無かった。

PS5本体代に長期保証、ヘッドセット代で正直めちゃくちゃカツカツになってしまったのだが僕はあの時ヘッドセットを買う事を迷わないでよかったと思っている。

 

それから1ヶ月も経たないうちに店員さんからの連絡があり無事にPULSE 3Dヘッドセットを買う事が出来たということである。

 

PULSE 3Dヘッドセットレビュー

先程貼った箱の写真、大きさは一般的なヘッドホンの箱と変わらないかほんの気持ち小さい程度、中には一体どんなものが入っているのか...ワクワクしながら開封しました!

 

f:id:Gameslifeisff:20210430204432j:image同梱物はPULSE 3Dヘッドセット本体、ワイヤレスアダプター(USB状の物)、type-c端子のUSB充電ケーブル、3.5mm端子イヤホンケーブルといった具合
f:id:Gameslifeisff:20210430204424j:imagePS5に合わせた白を基調としたスタイリッシュなデザインで正直見た目はカッコイイ

 

こちらがPS5公式の純正ヘッドセット(定価1万円程)

イヤーパッドがかなり大きく見えてビックリしたが重さは重すぎる訳でもなくてそこそこな感じがした。このヘッドセットは従来のヘッドホンによくある頭の大きさに合わせて調整する左右の可動部が無く、ヘッドセット上部にあるゴムバンドが付けた人の頭の形に合わせて伸びるので誰でもピッタリフィットで付けることができる。

Amazonなどのレビューでは頭の大きい人はネジを外さないと付けられないといったレビューが人気となっており、正直自分の頭の大きさでも付けられるのかどうか不安で仕方が無かったのだが案外キツ過ぎない程度に付けることができたのでとりあえず一安心、密着度が高い事によって長時間付けると耳が痛くなるというレビューもあるがそこは確かにメガネと併用して付けると耳に少し圧迫跡が残って少し痛いような気がした。

しかしそこまで気にならない程度のものだったのでこれも僕はクリアとした。

f:id:Gameslifeisff:20210430204412j:imageワイヤレスとして使う方法はこのワイヤレスアダプタ(USBドングルとも言う)をPS5の前面にあるtype-Aケーブル差し込み口(DualSenseコントローラーを充電する時にも使う所)に差し込んでセット、PS5の電源を付けるとアダプターの端子部の反対側の下部が白く点滅し、自動でペアリング状態に入る。

その状態でヘッドセットの左イヤーパッドの部分にある電源スイッチをONにするとPS5とヘッドセットを繋ぐ事ができる。

あとはPS5のホーム画面から「設定」→「サウンド」→「音声出力」の項目から「3Dオーディオを有効にする」を選択すれば3Dオーディオを楽しむための手筈は全て整う。
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僕は残念ながらローンチでのPS5専用ソフトを持っていなかったので何の参考にもならないかもしれないが、標準でプリインストールされているASTOR's PLAY ROOMをプレイして売りの3Dオーディオの凄さというものを確かめてみた。

PlayStationの公式マスコットキャラクターにもなっているアストロはホームのGPUプラザで無邪気に遊んでおり、その声が聞こえてくるのだが3Dオーディオを有効にした場合確かに左右だけでなく、前や後ろからの音の違いが明確に分かる事ができた。カメラをアストロの正面に回せば前から、左に一回転させると右、後ろ、左、そして再び前へとカメラを向ける角度によって聞こえてくる声のボリュームや響きが全然違う。

更にその効果を実感したのは「SSDスピードウェイ」というステージで、途中坂道を駆け上がる最中に小型飛行機が横をすり抜ける場面があるのだが、左、右と順番にやってきた時に前から後ろへ駆け抜ける音の疾走感、上下から来る音の高さの違いも明確に分かるようになっており、画面内で実際に聞こえてくるであろう音のリアリティさが更に増しているのが分かった。

ここで試しに3Dオーディオを有効にするを切ってみたのだが、左右からの独立した音の違いは分かっても前と後ろ、そして上下に移動する音の広がりが明らかに狭くなっており、臨場感が明らかに低下していたのが分かった。

たかが音の違いひとつ、だがこれは決して侮れるものではない。ユーザーが味わうゲーム体験の進化にTempest 3Dオーディオは臨場感の増加という意味では無くてはならないものになっており、ゲーム体験を豪華にするのには十分な効果があるものだった。凄いぞ3Dヘッドセット*2

 

ただし、ひとつ気をつけてもらいたいのは3Dオーディオは3Dオーディオに対応したPS5ソフトでしか適用されないのには注意しなければならない事

PS5のソフトが4K/120fpsに対応すると言っても今開発中のゲームを120fpsで表現するかどうかは開発の判断によって委ねられるのと同じように3Dオーディオに関してもメーカーが対応すると考えてゲーム作りをしなければ3Dオーディオを実感する事が出来ない。更に3Dオーディオを有効にした状態で3Dオーディオ非対応ソフトやPS4ソフトをプレイした場合、逆に音がこもって音質が悪くなってしまうのでPS4ソフトをやる時に使う場合は素直に3Dオーディオを切ってプレイする事をオススメする。

僕は音にこだわりを持ってないというかそこまで詳しくないので参考にはならないかもしれないが、3Dヘッドセットのヘッドホンとしての音質は良い方だと思うので普通のヘッドホンとして使っても問題は無いだろう。

あまり使うことは無いかもしれないが万が一ヘッドセットの充電が切れたとしても着脱可能な有線ケーブルを使うことで充電がない状態でも有線ヘッドホンとして使う事ができる。これはワイヤレスアダプターが対応しないデバイスに繋ぎたい時やいちいち充電がめんどくさいという億劫なユーザーにも対応したものでいつか僕もこれを使う時が来るのかもしれない。

Tempest 3Dオーディオ、そしてPULSE 3Dヘッドセットは凄いヘッドホンだと言うのがよく分かった*3

 

おまけ

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f:id:Gameslifeisff:20210430204420j:imageこのヘッドセット、なんとNintendo Switchにも使用する事ができる。

電源に繋いだドックのUSB差し込み口にワイヤレスアダプターをセットする事でペアリングが起動、そのままSwitchでヘッドセットを使う事ができる。

ソニー製のヘッドホンがNintendo Switchで使えるというある意味禁断のコラボ的なものにゾクゾクもするが、その前にSwitchで無線タイプのヘッドホンに対応していた事自体が驚きで、長年イマイチ使いどころがなくて放置されていたドックのUSB差し込み口がここで生かされる形になろうとはいやはやどんなもんかと思った次第である。

 

現在これがあるおかげで夜9時以降でも安心してゲームを楽しむことができている。同居人に騒音で迷惑をかけることもないし、音の音質も良いし、これにて一件落着、万々

 

今は本当に手に入らないとする声も多いですがいつか大量生産によって多くのユーザーに普及される事を祈って、今日もゲームを楽しもうかと思います。

 

ここまで読んでくださりありがとうございました

 

 

 

*1:この技術によって例えばFPSのゲームでは敵の足音がどこから聞こえて来るのか?銃弾はどっちの方向から撃たれたのかを音で判別する事ができるようになったり、雑踏の多い街中を歩くゲームがあれば人の話し声が前後左右から聞こえてくるだけでなく、上から鳴いている鳥の声まで聞こえてくるという凄い代物、場合によってはリアリティーな没入感が更に進化した凄いゲームが出来上がる可能性も秘めた技術なのである。

*2:ちなみに気になる遅延についてはワイヤレスアダプターから出ているBluetoothとは違う独自無線を使っていることによって遅延は一切なく快適にプレイ出来ている。Bluetoothイヤホン等では対応コーデックによって遅延があるかないかを気にしなければならないと所だが、PULSE 3Dヘッドセットではその心配はないようだ

*3:ちなみにこのヘッドセットはヘッドセットという名の通りマイクが付いており、ヘッドセットひとつでボイスチャットを楽しむ事もできるらしいのだがあいにく僕は誰かと通話する予定は無いので使うことが無い。よってレビューすることも出来ないのでそこは他のレビューブログ記事を見つけて読んでもらいたい

FINAL FANTASY VII REMAKE INTERGRADEが出る喜びを発信したいだけの話

 

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こんにちは!ニホンバトです!

いやぁびっくりしましたねぇ!FF7リメイクの新たな新展開が2021年に呼び起こされるとは

 

2月26日の朝に放送されていたState of Play*1の放送当日、僕はどんなPS4、PS5の最新情報が出るのか楽しみにしながら放送を見ていました。

以前に放送していたFF16の新情報でも出ないかなぁ...とほんのちょっぴりの期待をしていただけの放送ではありましたがまぁまさかFF7Rの新情報が真っ先に、しかも2020年の発売から1年足らずでやってくるとは!おっかなびっくりびっくり、誰もいないのに1人で「えっ?えっ?えっ?」とか「ちょっと待ってちょっと待って」って言ってました(笑)

 

正直な感想を言いますともう一年前にプラチナトロフィーを取るほどやり込んでオールコンプリートしたにも関わらず、発売前のトレーラーを見ていた時と同じレベルで僕のテンションが爆上がりしました!

あの当時見ていたPVとはなんか違うヌルヌルとした違和感...からのユフィ・キサラギ*2の登場!お前ミッドガルに居たんかぁぁぁぁ!!!!!

f:id:Gameslifeisff:20210303233321p:imageユフィファン大歓喜、声も相まってかわいいです

*FF7Rインターグレードの公式動画からのキャプチャーです

リンク→FINAL FANTASY VII REMAKE INTERGRADE – PS5 Announcement Trailer - YouTube

 

そして描かれる伍番魔晄炉爆破後のバレットとティファ達、ユフィに協力する謎のイケメンのソノン・クサカベ*3と同行する中、新たに登場する謎の敵勢力、そして最後にチラッとだけ登場したダージュオブケルベロスFF7の「ヴァイス*4とコンピレーション作品へのサービスを盛り込みつつも新たに描かれるであろうエピソードの開幕に胸のトキメキが止まりませんでした!

ユフィはヴィンセントと同じくオリジナル版FF7では隠しキャラクターという扱いでしたから彼女と同行できる時間が人によっては少ない、もしくは無い人もいましたので彼女は次回作でどういう形で登場し、クラウドたちの仲間になるのかが楽しみにしていたのですがまさかこうも早く出るとは!

ただオリジナル版FF7でもユフィとは運が良ければミッドガルを出てすぐの森でエンカウントできるので彼女がミッドガルに潜入していたという設定もあながち違和感がない設定になってるんじゃないかなと思います。

広大なミッドガルの世界の裏側で彼女はどんな運命の歯車に乗っていったのか...楽しみ過ぎて仕方がないです。

 

PS5版になって進化した事

FF7リメイクインターグレード(以下FF7RINT)とはPS4版FF7RをPS5のハード性能に合わせたスケールアップを施した上に追加要素を加えたFF7Rの決定版

既に公式動画からの情報で多くのゲームメディアがFF7RINTの新要素を報じているが僕のブログでも改めて一つ一つ紹介していこうと思う。

*以下の画像もFF7RINTの公式動画からのキャプチャーです

リンク→FINAL FANTASY VII REMAKE INTERGRADE – PS5 Features Video - YouTube

 

テクスチャとはゲームに於いては物質の表面の質感や手触り感を表現するものであり、どれだけ高繊細で高画質なテクスチャを貼り付けるかによって本物に近い物の質感や現実感のある景色を表現する事が可能で、FF7Rでは通常版PS4の性能の限界のフルHDでしか表現する事が出来なかったテクスチャが4Kテクスチャとなった事でよりリアルな高繊細に、より物の細部まで描かれるようになった。

 

左がPS5版、右がPS4

f:id:Gameslifeisff:20210304001713p:imagePS5版はPS4版に比べて太陽から射し込む光がより明るくなりプレートの至る所にパイプが組み込まれてるのかがよく分かるようになっている
f:id:Gameslifeisff:20210304001703p:image遠景のゴミの山はPS4版に比べてより繊細に描かれているのがよく分かる

 

  • フォグエフェクトの追加によってフィールドをよりリアルに

フォグとは視点(カメラ)からの距離に応じて遠くのモデルほどかすませる表現方法で霧を表現する時に使われるエフェクト

霧が立ち込める風景を描く事でよりその場所にリアリティを演出できるとして新たに導入された表現方法、これによってよりその場所がリアルになる。

 

f:id:Gameslifeisff:20210304004148p:image水気の多い下水道では霧が立ち込める事によって現実に近いエリアに
f:id:Gameslifeisff:20210304004140p:imageダンスやライブで必ず用いられるスモーク表現もフォグ効果によって演出、ダンスシーンでの没入感が一気に増えた

 

  • ライティング効果の強化によって全体的に明るく

ライティングとは電灯や街灯、太陽光といったありとあらゆる光源の明るさの強さを決める効果の事、明る過ぎてしまう所は抑え、暗過ぎる所は明るくと光にメリハリを付けることによって人が目視しやすいシーンを作る。ゲーム本編で行き交うほとんどの場所が建物内で暗所も多いミッドガルではまさにうってつけの強化ではないだろうか?

 

f:id:Gameslifeisff:20210304005745p:imageスタンドライトの明るさ強化がクラウドの美しさをより際立たせる
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f:id:Gameslifeisff:20210304005805p:image全体的に明るいと思っていた神羅ビルもこうして比較すると暗かったんだなというのがよく分かる

f:id:Gameslifeisff:20210304010018p:imageこうして見るとクラウドの肩パッドの質感や髪のツヤツヤ感とサラサラ感が全然違う、ここまで違いが明確に分かるのは元々SD画質だったFF10のHDリマスターの比較動画並にフルHDと4Kの違いを見せつけられた様だった。

 

フルHDから4Kに変わるとここまで大きく変わるのか...という事をまざまざと見せつけられた比較動画に多くのユーザーがPS5というハードの進化を感じたはずだ。僕も正直驚いた、きっとこれを本物の4Kテレビで見たら印象が大分大きく違って見える事だろう...

 

  • 気分に合わせて選べる2つのゲームモード

今までのFF7Rで表現出来る解像度とフレームレート*5限界値はPS4 Proによる4Kアップコンバート+30FPSまでが限度だったPS4もハードサイクルとしては末期に差し掛かっていた中でも十二分に頑張っていたとは思うが、これがPS5になると一気に変わる。

 

美しい映像美を見る為のグラフィックモードか

 

最高のヌルヌル具合を楽しむ為のパフォーマンスモードか

 

そのどちらかを選べるのだ

f:id:Gameslifeisff:20210304011934p:imageよりリアルで高繊細なミッドガルを見たい人は4K高画質のグラフィックモードを
f:id:Gameslifeisff:20210304011943p:image映像にヌルヌルとした違和感があったのはこの為、写真では一切分からないが動きの激しい戦闘中でもブレることなく滑らかに動いていた

 

残念ながら2つのモードを選べるという点から4K高画質とフレームレート60FPSの両立は出来ないようだが気分に合わせて切り替えが出来ることをメリットに映像表現が全体的に高繊細に進化したFF7Rの世界を楽しめるのは十分過ぎる程の魅力だ。

ここまで手を尽くしたんだなとするスタッフの開発努力がよく分かる

 

  • ゲームの難易度にNORMAL(CLASSIC)を追加

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CLASSICとはアクションが苦手な人でも簡単にプレイができるように戦闘中の移動から通常攻撃、防御から回避に至るまでの全行動をオートメーション化、ユーザーは貯まったATBゲージを元に状況に応じて適切なコマンドを選択すれば敵にも簡単に勝てるというお優しいモードだった。

前作までのCLASSICはEASYよりも上にあって難易度はEASYと同じレベル、アクション行動のオートメーション化だけでなく、敵の攻撃力が弱まり、味方の攻撃力が上がるという付与もされており、ストーリーを楽しみたい人やアクションが苦手とする人にもやりやすいととても好評だった。しかしこうしてNORMALでのCLASSICが追加されているという事はオートメーション化してても歯応えのあるバトルを楽しみたい!とするユーザーの声が多かったのだろう。

確かにEASYはあまりにも敵が簡単にやられるので簡単過ぎる節がある。*6コマンドバトル化できるとはいえ、ある程度の戦ってる!という手応えがなければつまらないもんなんだろう。こうして従来のCLASSICはEASYと統合化、難易度選択の幅に広がりができてやりやすいユーザーも増える事に期待したい。

 

  • PS5最大の魅力の爆速ローディング

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これはPS5に出ているPS5版のゲーム全般に言える魅力だがPS5本体に搭載されている記録メディアの超高速SSDとカスタムI/Oの恩恵によってFF7RINTもPS4版に比べて圧倒的なロード時間の速さを実現している。

公式動画からの計測で試した所、セーブデータファイルを選んでからロードをしてキャラクターを動かせるまでに掛かった時間はなんと2秒

タイトル画面からのセーブデータ一覧の読み込みを含めて計測してもたった5秒程度とこれまでのゲームでは絶対に実現できなかったロードの速さが実現出来ている。SIEは普段ゲームをするのにソフト起動からのタイトル画面表示までへの読み込みや、場面切り替えでいちいち挟み込まれるロード時間に対して多くのユーザーが煩わしさを感じていると睨んでおり、ロードによる無駄なゲームプレイ時間の損失を出さない事を実現するとしてこの超高速SSDとカスタム I/Oを作り出してきた。ゲーム体験のQOLの向上にこのロード時間の短さは大きな恩恵に繋がるかもしれない。爆速化したロードがFF7RINTのゲーム体験にどんな変化を及ぼすのか楽しみで仕方がない。

 

  • フォトモードの実装で魅力あるワンシーンを収める

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有名タイトルでは最早当たり前のようになってきたフォトモードをFF7RINTにて初めて実装

せっかくこれだけの美麗グラフィックになったFF7Rの世界を好きな様に撮影できないのは確かに惜しい部分もあった。美しい背景をバックにしたクラウド達や戦闘中の迫力あるワンシーン等を一枚の写真として収められるのはスクショマニアにはたまらないところだろう。f:id:Gameslifeisff:20210304100753p:image画角やカメラ位置、角度変更にカラーフィルターなど様々な加工と演出を加える事によって自分だけのオリジナルの写真を作る事ができるみたいだ

 

  • FF7R本編では語られなかったユフィの知られざる物語を堪能出来る(DLC)

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冒頭の動画にも出てきたようにインターグレードになって変わった最大の魅力は新規に描かれるユフィの物語であろう。

知られざるミッドガルの裏側をユフィの視点で描き、究極のマテリアを巡る神羅との戦いもまた見逃せない一幕、全2章構成で作られており、ソノン・クサカベとの共闘ができるのも楽しみなポイントだ
f:id:Gameslifeisff:20210304101455p:imageユフィの物語では操作キャラはユフィのみでソノンは操作できないという特殊な状態になるらしい

 

ただし注意してもらいたいのはこれはソフトに最初から入っている追加要素ではなくDLCである事には留意してもらいたい。

実はこれまでFF7Rでは有償DLCというのを一切実装してこなかった。本編購入特典による召喚獣DLCはあったもののそれは完全に店舗別特典を受けた人のみの特典となっており今現在も後から有償販売という形は取られていない

FF7Rアルティマニアに先行して載っていたDLC装備のミッドガルバングルやスーパースターベルト等も後に無料DLCとして配布していた事によりFF7R本編ではこれまで一切有償のしかも大型のDLCの導入がされてこなかった事がよく分かる。このDLCPS5で発売されるFF7RINT専用のDLCPS4版の無印FF7RにはDLCの販売予定は一切無い

詳しく後述するがFF7RはPS4版でも導入できる容量が限界ギリギリのいっぱいいっぱいだった事もあり、泣く泣くカットするしか無かった没チャプターが存在する事をFF7Rマテリアルアルティマニア*7を読んだ僕はとてもよく知っている。伍番魔晄炉爆破後のティファ達が描かれているのも実現したかったであろう没チャプターの導入をPS5版になる事でようやく採り入れられるようになったんだな...という事が僕には分かるのであのPVを見た時に実は「おぉ...!没チャプターやんけ!」と感慨に浸っていたのは秘密の話である。

 

 

この様にPS5版になった事によって大きく様変わりしたFF7RINT...次世代ゲーム機に合わせた進化を2021年の6月に早くも感じる事ができるのはFFファンとして、そしてFF7Rのファンとしてとても嬉しい限りだ、僕はますますPS5と4Kテレビの購入に向けて気合いが入るようになった。

 

 

完全版商法だと炎上している事について

しかし現在、FF7RINTの発表後、巷では「完全版商法じゃねぇか!」とする批判が相次いでおり炎上しているとの事らしいが僕はそれに大きな異を唱えたい

世間ではハード毎によるソフトの時限独占や旧作版所持ユーザーを切り捨てる完全版商法など、ゲームビジネスでは当たり前となっている事がユーザーに激しく嫌われている事は僕もよく分かっているつもりだ。よく分かっているからこそFF7Rの完全版は他の完全版ソフトとは大きく異なる点がある事にも気付いており、そこまで叩かれる程のものでは無いという事をこの場を借りて発信したい

 

どうかこれに怒っている人程読んで貰えたらありがたい

 

  • 完全版の質の善し悪しはアフターサポートがどれだけ充実しているかが重要

旧作版にはなかった進化や追加要素の導入によってゲーム体験の質を向上させる。PS4版では体験できずPS5専用ソフトに変わっているという点では確かにFF7RINTは完全版ソフトと言っても差し支えは無いだろう。

しかし僕は完全版商法としての質の良い悪いの判断は旧作版を持っているユーザーに対するアフターサポートがどれだけ成されているのか?をとても重要視している。一言に完全版と言っても完全版となったソフトのケースは様々にある。

 

元々のXbox360から追加要素を導入してPS3に電撃移植で発売されたテイルズオブヴェスペリア

同じくXbox360で初作が発売されたものの、売上が伸び悩みプラチナゲームズが望んだ続編の出資をセガから渋られていた所に任天堂からの出資支援があって任天堂独占となったベヨネッタシリーズ

ゲーム全体のうちの5%の追加要素をDLCではなくフルプライス価格で再発売した事で炎上騒ぎとなったペルソナ5 ザ・ロイヤル

PS43DSという異なるハードの2機種で発売し、そこで終わっていれば良かったもののPS4海外版発売の翌日にゴリッゴリの追加要素を取り入れまくったSwitch完全版のSを発表して海外では大炎上旧作PS4版を持っているユーザーへのDLC補完などのアフターサポートも無しのままSwitch版が発売され、11ヶ月の時限独占を終えた後SをPS4Xbox Oneに移植したものの、Switchでダウングレードされた旧作PS4版の劣化移植である事が判明して全ハードユーザーからボコボコのサンドバックにされまくって大爆死したドラゴンクエスト11S

 

...など、完全版商法とネット上で揶揄されてざわついたこれらのソフトはみんな共通して旧作版を持っているユーザーに対するアフターサポートのケアが成されていないのが挙げられる。

DLCで後から入れられそうな程度の追加要素をソフト内導入によるフルプライスで販売をしたり、一番最初に欲しい!と思って買ったユーザーに対するケアがしっかり成されていなければどんな会社事情があろうとも炎上するのは当然の話である。

その点FF7RINTが違うのは「PS4版FF7Rを持っている人は100円でPS5のFF7RINTにアップグレードする事ができる」という旧作版所持ユーザーに優しいサポートがされている。FF7RINTに対して完全版商法だと怒っている人の多くがこの事実をすっ飛ばして炎上を起こしたいと評価を下げているようだが、この事実を無視した上でFF7RINTを完全版商法だと批判をするのは完全なお門違いであり、少なくともドラクエ11Sより酷いと言われる筋合いや要素は何一つない

f:id:Gameslifeisff:20210304113435p:image動画の最後にちゃんとこの事実を説明しているにも関わらずそれが見えてない人が多い模様

 

こういう事を書くと「それでも無料じゃなくて100円掛かるから」とか、「日本で充実していないPS5で出したから」とか色々言ってきそうなもんだが少なくともFF7Rのアプグレに100円が掛かるのにはれっきとした理由がある。

 

  • PS5のアップグレードに100円掛かる理由

結論から言うとPS4版の所持ユーザーにPS5版を無料で配布しようとすると日本の「不当景品類及び不当表示防止法」に引っかかるからである。

事業者(メーカー、販売・サービス業者)は売上・利益の増大のために、各種広告等における自らの商品・サービスの表示(商品名、キャッチコピー、説明文、写真・イラストなど)を消費者にとって魅力的なものにしようと考えている。また販売にあたって景品類(賞金や賞品など)をつけることもある。しかし、その表示が不当(虚偽・誇大)だったり、景品類が過大だったりすると、公正な競争が阻害され、消費者が商品・サービスの選択に悪影響を及ぼす。

景品表示法は、不当な表示や過大な景品類を規制し、公正な競争を確保することにより、消費者が適正に商品・サービスを選択できる環境を守ることを目的としている。

Wikipediaより背景と目的の項目にて引用

リンク→不当景品類及び不当表示防止法 - Wikipedia

つまりPS4版の購入ユーザーに対してメーカーが感謝の気持ちを込めてPS4版所持ユーザー限定でソフトやDLCの無料配布をしようとしてもそれは過剰サービスに当たり、国から行政指導を受けてしまうためどうしても無料にはできないのだ

これについては様々なメーカーが苦労しながら法に引っかからないための対策をしているらしく、先程書いたペルソナ5ザ・ロイヤルのDLCも旧ペルソナ5を持っているユーザーに対してはDLCを無料で配布しようと考えていたものの、景表法に引っかかる為最小価格の10円の優待価格で販売したのに収めた経緯がある

 

ペルソナ4ダンシングオールナイトのDLC販売について景表法に抵触する経緯の説明

PS4版『ペルソナ4 ダンシング・オールナイト』のDLC販売に関しまして | ペルソナチャンネル | ペルソナシリーズ最新情報

閃の軌跡4の早期購入特典についてのお詫び

英雄伝説 閃の軌跡III・IV スーパープライス | Falcom

ボーダーランズ3のアップグレードに対する景表法対策の記事

ボダラン3:次世代機へのアップグレード開始、PS4→PS5は日本の不当景品類及び不当表示防止法対策で100円必要に | EAA!! FPS News(イーエーエー/いえぁ)

 

故にFF7Rのアップグレードに100円が掛かるのも仕方の無い事なのだ。恨むならスクエニを恨むのではなくそういう法律を作った国を恨んだ方が良い。

 

  • ストーリーDLCについて

FF7RINTはユフィのストーリーDLCについても炎上しているらしいがこれについては僕も少しだけ思う所が無い訳では無い。初作のFF7Rで描きたかったFF7Rの全てを描き切り、次回作に向けた開発が進んでいるかと思っていたばかりにびっくりした。

しかし元々のFF7Rはユフィが登場しなくても1つの作品としてちゃんと完成されている名作である事に変わりはないし、あくまでも外伝的な話の要素として導入したのであるのならばそれを買うかどうかはユーザー次第なわけだし、あくまでもオプションとして考えれば良いのでは?とも思っている。

それに先にも触れたようにFF7RはPS4であったとしても導入できるストーリー容量には限界があった制約の元作られたとマテリアルアルティマニアで語られており、2020年の時点で発売から7年経っていたハードではDLCの導入もままならなかった訳なのだろう。これはある意味必然でもある。

それにPS4版を持っているユーザーはアップグレードで100円、DLCに2178円、合計でたった2278円払うだけでFF7RINTの全てを楽しめるわけである。とても良心的価格だとは思えないだろうか?

 

  • PS5へのハード移行について

更にこういう事を言えば「未だに普及していない&高いPS5を買わないとダメじゃん!」っていう声が聞こえてきそうだが、よく考えてみてほしい、PS4は発売されてから何年経った?

先程も言った様に既に7年、2021年には8年もの時が過ぎようとしているのである。PlayStationのハードサイクルとして7年はちょうど新しい次世代ゲーム機の発売がされてソフトも移行していく時期であり、FF7Rに限らず多くのゲームがPS5に移行していくのはこれもまた必然なのである

そもそもPS4版のFF7Rが発売された時点でPS4末期にして最高のゲームと称されていたネットの声も少なからずあったはずであり、このままずっとPS4だけで分作となったFF7Rの物語を完結させようとするのは普通に考えても有り得ない

PS4の発売開始と同時にFF7Rが発売されていたのなら最後まで同じハードで完結して欲しいと思う気持ちも分からなくはない。しかしハード末期に発売されたゲームをそのまま延々と同じハードで出し続けていく事には誰が得をするのだろうか?PS5という頼れる新人エースがいるにも関わらずFF7Rに関してだけ延々にPS4をマラソンに走らせ続けるのも酷な話だろう。

 

またPS5自体が品薄で買えないという問題もコロナ禍の影響で半導体の調達が困難になっている事に加えて世界的な需要過多も絡んで買えない状況になっている訳で、そこの解決はSIEに任せるしかなく、日本でまだ普及がしていない段階でPS5への移行を決めたスクエニの判断を愚策だと思うのは個人の勝手だが大っぴらにひけらかしてまで批判できる要素だとは俺は思えない。

それを言うのであれば全てのPS5に移行したソフトが同じ批判を受けなければフェアではない。スクエニに対する理不尽な感情を抱く人がやいのやいのと騒いでるとしか俺には思えない。

 

もちろん俺だってもしこれが仮にPS5専用に移行したのは変わらず、しかしアップグレードによるアフターサポートは無しユフィの追加要素もDLCでは無くソフト内導入によるフルプライス価格での再発売という形で販売をしていたら「ふざけるなバカヤロウ!」と怒りを露わにしていた。それは間違いない、例えファンであろうと販売形式が愚かであれば俺は好きな物にだって怒る時は怒る

しかし実際はアップグレードありでアフターサポートは充実しており、ユフィの追加要素はDLCだから安価で買いやすい、オマケにユフィのDLCはFF7RINTをパッケージやダウンロード版で改めて買い直した場合、ユフィのDLCは無料という新規ユーザーにも優しいサービスが充実している。ここまでユーザー第一に優待されているにも関わらず批判をされる要素がどこにあるのだろうか?それを良いと思うかクソと思うかは個人の自由だが、少なくともソフトを買う気もない&買いもしない人がFF7Rの事であーだこーだととやかく言う筋合いは無い。

 

今の僕はPS5どころか4Kテレビすら持っていない状況だがそれでもソフトだけは買おうと考えている程僕はこのFF7RINTがとても魅力的なものに思えている。僕個人はね

 

結論:楽しみ過ぎてしょうがない

長くなってしまいましたが、とにかく僕はこの新たにPS5で展開されるFF7RINTがとても楽しみ過ぎてしょうがないです!

いずれ発売されるであろうFF7R2やFF16など、オフラインナンバリングFFも近年は盛り上がりを見せてきていると思いますので僕はこの6月10日を生き甲斐に頑張って日々の仕事に励んでいこうかと思っています!💪

 

あぁ...早く4KテレビとPS5とFF7RINTを手に入れたい!!!

 

終わり

 

 

 

*1:プレイステーションに関連したゲームソフトの最新情報をお届けするインターネット番組、近年始まり、Nintendo Directが先駆けとしてあった

*2:神羅軍とも戦争をしたウータイという国出身のマテリア大好きな謎のニンジャ少女 16歳でオリジナル版FF7のメンバーの中では最年少、扱う武器が投擲武器の関係で手裏剣だったり、忍びらしいハチマキを付けてるが、へそ出しショートパンツでルーズソックスを履いた若々しいファッションスタイルが特徴

*3:ユフィと同じウータイ出身の新キャラクター、ユフィの父ゴドーに師事した格闘家でバレット達とは違う本家アバランチに所属しているらしい

*4:2006年の1月に発売されたオリジナル版FF7本編から3年後の世界を描き、オリジナル版FF7では仲間だったヴィンセント・ヴァレンタインを主役にしたダージュオブケルベロスFF7で登場するラスボス、どうやら彼とは神羅バトルシミュレーションで戦えるようだが...?

*5:簡単に言えば1秒間に画面に映し出す写真の枚数の事を指してFPSと言う、画面に映って動いている動画も実はパラパラ漫画の要領で写真を何枚も映し出して動いている様に見せているのであり、その数値が高ければ高いほど物体は滑らかに動いていく、バトルロイヤル系のFPSなどでは重要視されがちだが一般的なユーザーでも30FPSと60FPSの違いは明確に分かるぐらいパラパラであり、PS5のカタログスペックの限界として引き出せる120FPSは更に次元の違う滑らかさとなっているらしい。

一般的な地上波テレビ放送では30FPS、映画やアニメは臨場感を出すために敢えて23〜24FPSに抑えているらしい。

*6:実際、ミッドガルのあるきかたという本ではCLASSICで一切操作しなくても勝てるのか?というチャレンジ企画で立ちはだかったボス敵のほぼ全員にノー操作で勝つ事ができているほど簡単

*7:僕もかつて持っていたFF7Rの登場キャラクター、アートワーク、設定デザイン画、絵コンテといった開発資料をスタッフの解説と共に膨大に掲載した設定資料集、その中に番外編としてティファミッションのチャプターを導入する予定だったものの、PS4の性能の限界の関係で泣く泣くカットしたらしい

批判について真剣に考えてみる(後編)

 

前回の記事で批判という存在をテーマにして記事を書き始めた時に、批判の本来の意味や批判と僕について、批判をする時は理路整然としなければならなかったり、愛するコンテンツへの批判に過剰反応する人たちについて、妄信的思想は危険という事を書いてきたが、かなり長くなりそうだったので前後編に分けました。

ここからは後編です。

 

好きの反対は嫌いではなく無関心

前回も述べたが本来の批判というのはコンテンツや作品の良点と悪点を割り出した上で品評したり、改善点を考え提案する。そして建設的な議論を交わす事だ。

その中でも悪点、つまり問題点をあぶり出し指摘するというのはどうしても肯定的に捉えがちになっている物事に対する評価をする上では特に重要なポイントだと僕は思っている。その逆もまた然りだ。議論とはあるひとつの事象に対してお互いの思う意見を交わし、擦り合わせる事によって自分だけでは気づかなかった点に気付かせる事を目的としている。

要するに1つの物事に対して一面的に捉えるだけでなく多面的に捉える事によってその物事に対する価値観を柔軟に変化させたり、善し悪しを最終的に推し量るのが議論というものだ。ただ現状それができている人ははっきり言って少なく、白黒はっきり分かれた一面的な意見だけで互いにぶつかり合い、とっちらかった大喧嘩を交わす...そうでなかったとしても「自分とこの人は馬が合わない」としていつの間にか距離を置いて遠ざけるようになったり、縁を切ったりと、特に人との繋がりや思い入れが希薄になりやすいSNSという世界に於いては繋がった相手との価値観の相違は簡単に相手との繋がりの解消を選択させてしまう重大なファクターとなり得る。

 

好きと嫌い...好きは当然肯定、好意といった分かりやすい形で物事に対して関心を持っていることになる。しかし嫌いもまたある意味物事やコンテンツに対して関心を持っているという意の裏返しなのでは?と僕は思っている。

とある作品が好きになれない、または嫌いとする感情はマイナス感情ではあるが話題に出して関わるという意味では好きと同様に物事に対して関心を持っており、場合によってはその作品を嫌いとする理由を述べる為に作品自体の事を事細かに調べており、下手をすればファンよりも詳しくなっているなんて事が時たまあったりする。ファンよりもアンチの方が作品に詳しいとされる理由はそういうところに起因するものがある。

 

好きは好きとするポイントを見つけるのがとても簡単で曖昧な言い方をしても好きというプラス感情の作用によって人からの反感を買う事がほぼ無い。

しかし嫌いは何がどういう理由で作品が嫌いなのかを具体的に説明しなければならない。でなければそれはただ中傷したいだけのアンチなんだと簡単に認定されてしまい、袋叩きに遭う。いずれにしろアンチアンチの作用によって受け手側の感情が爆発して批判者が人格攻撃を受けるリスクがある事に変わりは無いのだが、それでも作品を自分が嫌いとする理由をひとつでもふたつでも具体的に述べる事が出来ればただ漠然的に嫌いなんだとするレッテルを貼られることはある程度回避することができ、受け手側の感情の逆撫でを軽減できる。

また一言に嫌いとは言っても改善して欲しい、かつての栄光を取り戻して欲しいという願いを込めて問題点を指摘し批判をする人も必ずいる。長年ファンだった芸能人が犯罪を犯して投獄された時に批判はするものの、罪を償って帰ってきて欲しいという願いと慈悲の気持ちが込められており、完全なアンチだから批判をするとは言いきれないのが現状としてある。

ゲームに対してああして欲しい、こうして欲しいという嘆願も込めて批判をするのもゲーム開発者に作品を愛するユーザーとしてひとつの意見としてそれを述べる事によって作品の質の向上を願っているからこそ批判をする場合だってある。そういう思想が根幹にある人の批判は決してただのアンチと簡単に決めつけて排除されるべきではない。本当に心の底から嫌いになった瞬間と言うのは物事やコンテンツに対して一切の興味を示さなくなった時が本当の意味での嫌いだと僕は思っている

 

好きの反対は嫌いではなく無関心

 

よく聞く言葉だが本当に正しくその通りだな...と心を突く言葉として僕は思っている。

 

自分の愛するコンテンツが落ちぶれてしまったら

嫌い嫌いと言っているうちはまだ嫌いだとする物事に関心を持っている証拠である。

しかしコンテンツや作品が落ちぶれた時、いつまでもずっと失望による絶望感から燻り続けてしまうのもあまり良くはない。ずっと失望感を持ち、愚痴り続けていると「この人まだ言ってるよ...」と、周りからの印象は悪くなるだろうし何より自分自身が疲れてしまう。改悪したコンテンツに改善の余地や希望が見られなかった場合、思い切ってそのコンテンツからは離れ、また違うコンテンツに対して関心と興味を持ち、好きを発信し続ける事が精神衛生上良いのでは?とも考えている。

長年愛し続けてきたコンテンツから自らを切り捨てて離れる事は相当難しいかもしれないが、苦しみながらも関心を持ち続けてしまう事はコンテンツに対して自分が縛られていることにもなってしまう。だったら一旦はそこから離れ、また時々顔を出すか思い切って違う趣味や推しとなる別の存在を見つけて好きの気持ちをそこに向けて発信し、その気持ちを持ち続ければ良いと僕は思う。

現に僕は改悪されたコンテンツや人に対して燻った想いを持ち続けてしまっていたが、自分の中で心の断捨離をした事によって今は別の話題や別の好きな物に関心を向けて好きを発信する事ができている。ずっと憧れていて追いかけ続けていたコンテンツの背中に追い続けられなくなった時は必死になって追うのをやめて、立ち止まり、また別のコンテンツの背中を追い掛けるようにすれば良いと僕は思う

 

批判を気にしない心の余裕を持つ事も大事

自分の愛する作品やコンテンツが他人に批判をされていた時にムッとしてしまう感情は誰しもが抱く事だ。その事に対してつい反論したくなる感情が掻き立てられるのも分からなくはない。しかしそういう時こそ相手の批判を気にせずにどっしりと構える心の余裕を持つことも大事だ。本当は相手の意見を吟味した上で物事の善し悪しを判断できるのが一番なのだが別にそうまでしなくても気にしないという心の余裕を持つことは精神衛生上的な意味でも重要な事だ。作品に対する自分の愛に自信があるのなら理不尽な非難や中傷に対してノーダメージでいることだってできる。

更に中傷と批判の違いが見分けられるのならそこからお付き合いすべき人間を見定めたり、自分の価値観が歪んだものになっていないか確かめることだってできる。僕はスクウェア・エニックスFINAL FANTASYシリーズが好きなのだがあの作品も結構色んな事をネットで言われている...が、そんなもん関係なしに僕は今FFに対する情熱が燃えに燃えている最中なので中傷というものには一切耳を傾けず、ただひたすらに愛する事だけに力を注いでいる。

 

理想はある程度の批判ができる社会になる事

否定的な意味合いでの批判という文化は実になる事がほとんどなく、前へ進むための要素を何も生まないかもしれない。しかし間違った事を間違ってると言える人の存在は必要不可欠であり、そういった反対意見を述べる人の存在は決してなくなることは無い。

だが結局は肯定するにしても否定するにしても程度と加減が大事なのであって、批判しすぎるのも良くないが肯定しすぎるのも良くない。好きなものに対しては基本的にポジティブな考えでいても構わないだろう、けれどファンとして批判をする時は批判をする。そしてその批判を見た人は「この人は〇〇のアンチなんだな...」と簡単に決めつけないで欲しい。

悪意のある中傷だと分かるもの以外の批判はその人が批判をするに至った理由などを考えその心境を汲み取れるようになればとても建設的な議論を交わす事ができる。人間の感情や価値観に大きく関わる事なのでなかなか根本的解決は難しいかもしれないが、この記事を読んだ人が少しでも批判の本来の意味を改めて知り、自分の批判は中小になっていないか?知り合いの批判は誰しもが感じる感性として当然のものと思えるか?等を考えられるようになってくれたらとても嬉しい。

 

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