ポッポ屋日記

日記的なブログにしたいです

FINAL FANTASY ⅩⅤ 感想記事 〜発売から5年後にやるFF15〜

 

どうも、ニホンバトです。

今回は2020年にPS4ソフトのFF7リメイクをクリアした後に購入しながらも、FFのオフラインナンバリングタイトルで唯一プレイ出来ていなかったFF15をクリアしたので今回は簡単な感想記事をここに書き記そうかと思います。

 

いやぁ実は正直な事を言いますと僕がFF15に手を出す前のFF15に対する印象は発売されたあの当時からFF15はずーーーーーっと叩かれまくってた印象しかなかったんですよね

当時のFF15のジャンルはまだFF作品としては馴染みがなかったアクションRPGである事や、ゲーム本編で全ての伏線回収や設定などを明かさずにメディアミックス展開や外伝的作品の発売でその全容が知れるように展開した事、そして当時から既にその存在自体がゲーム界隈ではまだ賛否両論だったDLCの販売...等、あの当時のスクエニFF15で表現したかった事や、やりたかった事の思惑と、ユーザーがFF15に対して求めていた理想の形の乖離が酷かったんですよね...

残念ながら僕は当時を知るリアルタイムユーザーでは無いのでその当時のユーザーが憤慨する気持ちが分からないのですが、2016年発売当時のFF15の作品の質はFFシリーズとして以前にひとつのゲーム作品としての質があまりにもお粗末な(特にストーリー)物でとても手放しで評価できるものでは無い代物だったとか、更に問題は作品自体の質だけではなく、今でも別の作品で問題化されているが、FF15は当時のゲームディレクターだった人のTwitterやインタビュー記事等での痛い発言や問題発言なども相まって作品自体の質の低さが揚げ足取りになる事となってしまい、FF15が切っ掛けで堰を切るかのようにネット上ではFF15及び近年のFFシリーズに対する不満をぶちまけるかのように痛烈に批判、中傷をするアンチやゲハが沸いて出てきてしまった事、そしてそんな彼等のネガティブキャンペーンがFFと関わりのない人にまでFFに対する印象を悪くさせるのに一役買ってしまい、あの当時からのFF叩きの雰囲気は異常以外の何物でもない状態にある事は確かだった。

しかし「やれる事は全てやった」当時のDのその発言がすぐに手のひらを返す事となってしまい、修正データやDLCの配信に伴うアップデートの回数は実に20回以上、その末にFF15本編はDLCを含めない追加データだけで30GB以上、DLCマルチプレイゲームのデータを入れると実に120GB以上の、必要容量だけで言えば超大作級のAAAクラスのゲームソフトとなってしまったのは何とも皮肉なものである。

 

もちろん制作に関わった人たちからしたらどんな理由があれどFF15が叩かれるのは全く良い気分がしないだろうし、僕もまたFF15を理由にして未だにFF7リメイクやFF16を貶めるような発言をする人には軽蔑の眼差ししかない。

あの当時の事はあの当時の事、発売から5年が経ち、FF15に対する注目度も低くなって風化していった2021年の今、そういう印象のフィルター無しのフラットな気持ちでやるFF15本編に対する感想を僕が感じた正直な気持ちで書いていこうかと思います。

 

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冒険と言うよりも旅路と表現するのが正しいFF15の世界

結論から先に言うとゲームクリアまでした僕がまず最初に感じた事は「言うほど酷い出来ではない」という事

 

ゲーム開始時、本作のヒロインであるルナフレーナとの結婚式のために旅立ったノクティス達...しかし港町のガーディナを発つ直前で王都陥落の訃報を知り、その惨状を目の当たりにした彼らはニフルハイム帝国に対抗する力を得るために冒険をする...

ルシス領内のオープンワールドでの自由気ままな旅が出来る第9章までと、オルティシエでの水神リヴァイアサンとの啓示後、一気にリニア方式で物語が進む第10章以降とでは評価が一気に分断されると、当時はそう語られていたが、第10章以降で触れるルナフレーナのノクティスに対する想いと真実炎神イフリート氷神シヴァとの間で紡がれた愛の契りと堕天の経緯インソムニアでの新生 王の剣と関わる中で描写されたノクティスの精神的成長...鬼王、伏龍王、夜叉王との戦いで描かれる最強固になった仲間たちとの絆の演出強化...など、特にロイヤルパックを適用した時でのインソムニアでのストーリー強化は最後の戦いに向かう王達の背中をカッコ良く見せるのにだいぶ進化しており、結末自体は内容だけを見れば悲運の最期となってしまっているが、だからこそ感じられる彼ら仲間達と積み上げてきた旅の思い出、旅路の全てが結果的に終末を迎えた時の感動に一役買っており、そのあまりにも辛すぎる真の王としての使命を果たすまでの間に手向けられたストーリーは、ノクトの王としての自覚を持つまでの成長過程と、運命を受け入れるまでの経緯を描いた話としては相当優秀だった...と、僕はそう思えた。

本編内容自体は確かにかなり短い、主たる冒険舞台はルシス領とオルティシエ、そしてニフルハイムのみ、第9章まではルシス領のオープンワールドでのサブクエストや釣りのスポット等で様々な寄り道要素があり、ダンジョンの冒険もそこで楽しむ事ができる。しかしそれもメインストーリー1本のみに絞って動いていけば恐らく50時間も掛からずにクリアするのも簡単なのかもしれない。

僕がクリアした時のプレイ時間は150時間以上掛かったわけだが、それはオルティシエでの水神との啓示をするまでの間に様々なサブクエや討伐依頼、ダンジョン巡りといったやり込み要素をプレイできるだけプレイし尽くした故にこれだけの時間が掛かったのだが、そのどれもがとても楽しかった

釣りは操作が本格的で魚の種類も豊富でついつい時間を掛けてやってしまうし、ハンターとしての討伐で仲間達との共闘を感じ、キャンプや料理、写真と現実の旅でも大事な思い出作りの要素がFF15にはふんだんに詰まっており、グラディオ、プロンプト、イグニスと本当に仲の良い男たち4人の絆が描かれた今作は既存のRPGでよくある冒険感と言うよりかは現実でも身近によくある旅路といった表現をした方が正しいのかもしれない。

もちろんただ単純にクリアだけを目指していくのならばそれをやるのも容易だろう、しかしこの作品はユーザーが彼ら4人との積み上げてきた思い出が多ければ多いほどエンディングシーンが感慨深くなり、特に最後のキャンプでのあのシーン、そしてあのセリフはとてもネタにできる程のもんなんかじゃないと思うほど感動を覚えるセリフだった...少なくともこのゲームを最後までプレイした僕はそう思った。

 

それでもFF15クソゲーとして叩かれた理由

だが大いにイオスの旅を楽しめた僕ではあったが不満点が決して無いわけではなかった。ここから先は僕がプレイしてて感じた不満点をいくつか取り上げていこうと思う。ちなみに今回僕がプレイしたFF15アプデやロイヤルパックの購入によるストーリー補完は適用済みで、DLCマルチプレイゲームは未プレイ、第13章は初見はグラディオルートにせずにノクティスルートで進行、マルチメディアによる映画・アニメは未視聴、つまり純粋に発売当時の製品版に近い環境でプレイをしたその上で感じた不満点を述べていこうと思います。

 

リード、ダスカ、クレインとルシス領内にある3つの地方を渡って歩けるオープンワールドはFF史上初のゲーム要素で魅力的なもののひとつではあるのだが、実際に歩いてみると歩いた先で見つかるような物が何も無い事が多くて内容はスカスカだったりするし、草木の生い茂る林等では木にぶつかって動けない事もしばしば*1、オマケに殆どの草木にはオブジェクトの透過処理がされていないのか、雑木林の多いところで敵との戦闘になるとカメラが木に視界をさえぎられて何も見えない事も少なくはない。

またオープンワールドと言っても見えてるところ全てに行ける訳ではなく、道路から降りていけるガードレールの箇所は様々あるが、ノクト達が降り立つ事を想定していないのか降りる事の出来ない高さがあるガードレールや、トンネルがある関係でトンネルのある山の上に登ることが出来なかったりとオープンワールドとしては色々と歩ける範囲に制限が設けられてる事が少なくない。

1度でも他のオープンワールドゲームをプレイした事がある人からするとFF15オープンワールドとしての評価は決して高い方ではない。しかしオープンワールドゲームの共通の魅力として景色は圧倒的に良い、特にFF15はFF史上最高のグラフィックと言われる程のフォトリアル系グラフィックなので輝く青空や流れゆく雲の姿、そして自然豊かな景色と現実のそれに近いフィールドは散策しているだけでもすごく楽しい。

またFF15にはレガリアがあるので車でドライブしている感覚を味わうことができるのもFF15ならではの魅力だ。車から見える景色を眺めるという現実感に近い旅の楽しみ方にファストトラベルを敢えてせずにオートドライブで走る事もよくやっていた。

 

  • 説明不足、描写不足、唐突な展開について

ある意味一番叩かれていたであろうこの要素、いわゆるRPGでは超重要なストーリーの根幹について関わる問題ではあるのだが、確かにロイヤルパックが適用されたこの時でも若干粗が目立つストーリー展開がある事も無いことは無かった。

第7章の奮起では王都に仕えていたジャレッドと孫のタルコットが登場するのだが、ある時ファントムソードの入手のためにノクト達がダンジョンに潜入している間にジャレッドは突然やってきた帝国軍人に拷問をされた上で斬り捨てられてしまう。ノクト達がレスタルムの街に戻ってきた時には既に亡くなっており、その訃報を知る事となる、その後オルティシエに行く為にカエムの岬に向かうのだが、途中で帝国基地を見つけたノクト達は同行していたイリスを途中のパーキングポイントに置いてヴォラレ基地への潜入をしていく。

この時の彼らの目的は"ジャレッドを斬った"とされるカリゴ准将の捕縛を目的として来たのだが、そもそも彼らは何故ジャレッドを斬ったのがカリゴだと分かったのか?調べたにしてもいつ、どのタイミングで調査をしたのか?そして前もってイグニスがメルダシオ協会に捕縛したカリゴの拘束を依頼するというあまりにも不自然な手際の良さ...オマケに捕縛してメルダシオに引き渡したカリゴはすぐに脱走してしまったのだが、その知らせを聞いたノクト達はそこまで残念がってはいないという何のためにわざわざ基地へ潜入してここまでの事をやったのか、よく分からないという展開に首を傾げざるを得ない事になっていた。

カリゴの拘束はジャレッドの仇討ちとしてノクト達は動いたらしいのだが、そもそも何故ジャレッドを斬ったのがカリゴだと分かり、そのカリゴがヴォラレ基地にいる...と何を根拠にしてそこにいると確信したのか?色々と説明不足な点が見受けられる事が多いストーリーで、基地の攻略をさせるためにメインストーリーに無理矢理組み込んだと思われても仕方の無い部分がある。

当時はこの頃を境にストーリーの粗が目立つようになったとされ、オルティシエの水神の啓示は街を破壊しかねない危険な行為であるはずなのに政治家は住民の避難誘導だけで啓示をやらせてくれたり、その前には母国の危機という時に帝国に奪われたレガリアを取り戻しに行ったりと、人によっては説得力がない描写が目立つとされており、その点を良いとするか不服とするかは人によるが、僕が違和感を感じたのはヴォラレ基地と後述する第10章以降の話だけなので、案外そこまでストーリーに対する細かな精度を求めていないのかもしれないし、逆に言えばアプデとロイヤルパックの適用でストーリー強化された事でそこまでの違和感がなくなっているだけなのかもしれない。

ただそれでも伝わらない部分は伝わらない所もあるし、アプデ前はどれだけ描写不足だったんだろうか...と思うと少し恐ろしくも感じる

 

  • 伝わらなかった光耀の指輪の意味

描写不足の続きだが、第10章ではノクト達は帝国に向かう列車に乗っている、何故列車に乗っているのかは帝国に奪われたとされるクリスタルを取り戻す為と帝国への反撃として乗り込む為に乗ったのだが、これについてもシーンによる説明はなく唐突な展開となっている

ルーナの死から2週間が経った今でもルーナから明け渡された指輪を付けることが出来ず、失明したイグニスに対して声を掛ける事もなく塞ぎ込むノクトに対して堪忍袋の緒が切れたグラディオはノクトに対してキレ散らかす、この時グラディオが怒った理由はパーティから抜けている間に王の盾としての己の使命を再認識し、それを全うしようと務めていたグラディオ光耀の指輪をノクトに渡すという神凪としての使命を果たして亡くなったルナフレーナの覚悟が込められた指輪を付けることが出来ず、オマケにノクトの為に失明という大きな障害を抱えたイグニスにも気使う言葉ひとつも掛けられずに王としての自覚と覚悟を未だに持てないノクトに対する不甲斐なさから来るブチ切れではあるのだが、そもそもこの展開はゲーム内では2週間経っているが、ユーザーからすれば第9章のクリアからたった数分後の出来事であるので何故グラディオが突然ノクトに怒ったのかがよく分からない事になっている。オマケにレギス国王からルーナの手に渡り、ノクトへ手渡すという重要なキーアイテムであるはずの光耀の指輪の意味も映画を見ていないと何故この指輪の存在が重要視されているのかがよく分からない事となっており、イマイチ意味が伝わらない。意味が伝わらないからこそグラディオのブチ切れがユーザーからすれば理不尽な物に感じ、彼に対する印象が悪くなる。

オマケに青字で書いた王の盾としての使命の再認識はエピソードグラディオラスというDLCでの描写で成り立っているのでDLC実装前の段階ではそういう王の盾としての再認識があるグラディオの思いを知る事が無いため、余計に「グラディオが突然キレた」という印象を持ちやすくなってしまっている。

DLCをやりこんだ場合、この大喧嘩のシーンはグラディオ、ノクティス、イグニス3人の思いのすれ違いということがよく分かるのだが、DLC実装前での段階では本当によく分からないまま列車に乗り込み、よく分からない理由でグラディオにキレられるシーンという印象しかなく、また彼の飛ばす檄は言葉のトゲがキツイ為に余計にグラディオに対する心象を悪くしてしまう悪循環になっている。せめて光耀の指輪が持つ意味だけでもゲーム本編内で描写されていれば覚悟が決まらないノクトに対する苛立ちを持つグラディオに対して共感できる部分が持てたのかもしれないが、その後和解するまではダンジョンでもネチネチとノクトに対して嫌味ったらしい悪口を言うために余計にグラディオに対する印象が悪くなってしまう。FF15自体がメディアミックスでの展開を推し進めていただけに描写不足、説明不足という弊害が起きてしまい、僕にとっての最大の描写不足はこの第10章の列車での喧嘩シーンだと思っている

 

その後、ノクトとグラディオはイグニスの心情の吐露によって和解、その後帝国へ向かう間にルナフレーナの描写強化等で良い印象を持つのだが...

 

  • プレイしてて全く楽しくなかった第13章

世間から最大の問題とされていた第13章、いよいよ敵の本拠地へ突入するというある意味ストーリー的には最大の山場とも言える場面なのだが、いざ入ってみると何故か帝国は既に壊滅状態、人は誰も居なくなり、シガイがうようよするだけという異常な空間...そこでアーデンの罠によって武器が使えなくなり、おどろおどろしい不気味な音楽が流れる中でノクト1人で進み、床に転がっている暴走魔導兵が掴みかかってくるというホラー的演出でまるでバイオハザードをやっているかのような恐怖体験を味わわされ、オマケにその舞台となるジグナタス要塞は長大にダンジョンが長く、更に歩いてる最中はアーデンの蔑む声が響き渡るといううっとおしさに拍車を掛けるという三重苦以上の苦痛な章となっており、はっきり言うとやってて全く楽しくなかった章だった

死体のように転がる魔導兵が掴みかかってきたり、開けた扉の先でいきなり驚かすように現れたりと要らぬホラー的演出はクリエイターの悪趣味が露見したとも思えたし、道筋は一本道だがあまりにも長く険しいダンジョンにクリアするのに2時間も掛かってしまい、本当に苦痛でしか無かった。そりゃファンからは最大の汚点とされるのも仕方の無い要素であり、これを皮切りにFF15叩きが過激化したのかと思うと何とも居た堪れないのが僕の思うところである。

 

何気にこの章ではシガイとアーデンの関係性、そしてアーデンの正体という超重要なストーリーの核心に触れられるのだが如何せんそこにたどり着くまでの道のりが長く険しすぎる為に悪印象だけが残る事となってしまい、FF15の第13章は最大のトラウマ章として今でも語り草とされてしまっている。

 

  • エンディングについて

これまでノクトは様々な人物から王としての自覚が足りないと指摘と叱責をされてきた。だがまだ20歳という若さで父親の死をキッカケにルシスの全国民を抱えて王になれと言われても無理な話なのであって、先程のルーナの死も13年振りにあった恋人が1日も経たないうちに死んでしまってから2週間なので最愛の人が亡くなってからたった2週間で精神的に復帰するなどまず無理な話なのである

しかし彼は王として役割を担い、その使命を全うしなければならない。だが周りがノクトに対して期待している王とは王政者としての王ではあるのだが、イオスの神...このゲームにも登場する六神が期待する「真の王」とはその意味合いが全く違う。

真の王とはイオスという星を蝕むシガイと星の病を完全に浄化する力を持った人物の事であり、その力は六神をも超える力を持つと言われている。そしてその力を得る為には光耀の指輪に歴代王の力を吸収させ、自らの命を捧げる事によってその力を得る事ができる...つまり神々が選ぶ真の王とは「イオスという星を救う為の生贄」という過酷過ぎる運命をノクトは背負わされる事となってしまったのだ*2。この事実は本人はおろか、仲間達3人も知らず、六神以外で知っていそうなのはレギスとアーデンぐらいしか知らなそうである。

オマケにノクトはわずか5歳にして真の王に選ばれている。真の王に選ばれた人物がどんな末路を辿るのかを既に知っていたであろうレギスはノクトに対してそれほどの厳しいしつけをする事なく自由にのびのびと育てた。そのせいでイマイチ王としての覚悟が決まらない不甲斐ないノクトができてしまった部分もあるのだが、その過酷過ぎる運命を知っていたが故にレギスも言い出せなかったのであろう

真の王という存在がノクティス以前の王の中にもいたのかは不明、しかし予想以上に星の病が進行していた事や星の病の元凶でもある寄生虫と黒色粒子を取り込んだ事で不浄の存在となり、不老不死となったアーデンを倒せる唯一の人物として真の王というものの存在が神々の間で必要だと判断されたのであろう。

しかしこの六神...特にリヴァイアサンとバハムートは人間及びノクトに対してかなり傲慢な態度を取るとても神とは思えない奴らであるリヴァイアサンはそもそも人間嫌いで人間をはなから見下しており、真の王としての啓示のためにルナフレーナから呼び出された時は人間をゴミ扱いしながら自身は崇めよと神らしくない態度で接しており、バハムートもまた人として生きる事の幸せを捨てて星の為に真の王としての役割を全うしろと強要している。そこにノクトの人生の事など全く考えておらず、慈悲はない。

恐らく神話にも登場する六神というのは人間の為の神様ではなく、あくまでもイオスという星の為の神様なのであり、六神がノクト達に協力するのもあくまでもイオスから星の病を救う為の駒として使う為に協力しているだけなのだと思うと彼等の手助けも何となく心に引っかかる部分がある。一応このゲームの宿敵はアーデンであり、ルシス王家への復讐を果たそうとする彼の存在自体が世界の危機に瀕してる事に変わりは無いため一応はノクト達の味方なのだが、それでも彼等自身が何とかせずに星を救う為に犠牲になれとノクトに強要をする彼らも十分な悪人である。

 

そもそもアーデンがルシス王家に恨みを抱く事になった切っ掛けはその六神及び六神が作り出したクリスタルに自分の存在を受け入れてもらう事が出来ず、オマケに弟のソムヌスに殺されたというものであり、そもそもの元凶が彼ら六神にあるというものがある。つまりこの作品で世界が危機に瀕した事の全ての元凶はこの世界の神達...という事になるわけである。

ただしこれはゲーム本編でDLC未プレイで感じた事なのでDLCをプレイした場合はまた違う真実が見えてくるのかもしれない。

 

そんなこんなでエンディングではノクトは真の王としての使命を果たす為にその命を散らしてしまう。FF13FF零式とのちょっとした繋がりを持った新たなクリスタルの物語としての連動性が当初予定されていたこの作品、FF13が神の定めた死の運命に抗い大勝利を収める話であったのに対し、FF15は世界を救うためとはいえ、神の定めた運命を受け入れる物語という対比が実に面白い事になっている。

結局真の王としての使命を果たした事によってイオスの星は救われた。しかしこれによってルシス王家の血は途絶え、仲間たちは最高の友を失った。帝国は既に壊滅、神凪としての使命を引き継いできたフルーレ家も滅亡、世界を取りまとめる者が誰もいなくなった世界で平和な世界を築けるのかと言うと何だか疑問でしかない。

主人公が死ぬエンディングというのはFFの中でもかなり珍しい。ナンバリングだけで考えると最初から世界に存在しない人間であったティーダ以来の人物でもあったが、ノクトの方は明らかに生きていたのである。生きた人間でもあるノクトが世界の為に星の為に最後は死ぬというこのエンディングに対して世間からの評価は賛否両論、FF史上類を見ない主人公には悲劇的なエンディングになっていて、ノクトは死後の世界でルナフレーナと幸せそうな結婚式を挙げているがそれでも良かったねとは一概に言えない人も多くいるだろう

この点に関して僕は例外として不満点としている訳では無い。死という運命があったからこそ最後のキャンプでのシーンは感動できた部分もあるし、最高だと思えた。しかし僕が思うにこのエンディングは当時のFF15スタッフ達にとっては仮エンドでDLCシーズンパス第2弾で用意する予定だったエピソードノクティスで真エンディングにする予定だったのか?それともこれが本当にスタッフの思う最高のエンディングとして捉えていたのか?その時のディレクターの思いを知りたい部分がある。

最初からDLCを発売する予定としてこのエンディングを仮エンドとして本編に組み込んだのなら用意周到で挑戦的だなとも思えるし、まさかここまで袋叩きにされるとは思っていなくて急遽用意したのならだいぶ稚拙だなとも思える。だが当時のスクエニ及びFF15スタッフはRPGでは当たり前のように存在する「売上初動型」という枠から外れようと挑戦していた節があったらしく、恐らく発売当初の本編が色々と描写不足が多すぎたのも最初からDLCでストーリー補完を展開して完璧な作品にしようとしていただけなのかもしれない。

しかしそれは昨今のゲームソフトで問題となっている未完成品をユーザーに売りつけたと炎上する案件であり、FF15もまたそれを理由にして叩かれる事となってしまったのであろう...

結果的にDLCシーズンパス第2弾の開発は中止、ゲームとしてのDLCはエピソードアーデンで終わり、最後まで完結することの無い煮え切らない最後を迎えることとなってしまったのであった...*3

 

総評

発売から今年の11月に5年が経ち、だいぶ時が進みこのゲームも風化していった。中盤色々と不満点は述べて言ったが結果的に僕はこのFF15はプレイして楽しかった最高のFFだと思っている。何よりも彼ら4人との思い出を積み上げていったこの感覚が最高のゲーム体験となって思い出に刻まれており、発売当初から比較すれば良い作品だったのではないか?とも思っている。

あとは当時のFF15スタッフがこの作品で何をしたかったのか、何をユーザーに訴えかけてこの作品をお届けしたかったのか?その思いに触れていく事をメインに楽しんでいこうと思う。

 

僕はまだDLCもプレイしていないしメディアミックスにも触れていない。そこに触れた時僕のFF15に対する印象もまた大きく違って見えてくるであろう。その時にはまた追記するか別の記事としてここに書いていこうと思います。

 

ここまで読んでくださりありがとうございました!

 

 

 

*1:特にレガリアtype-Dでは雑木林に突っ込んでしまうと高さのある枝にぶつかりまくって最悪動けなくなる事も、某勇者の息吹の様に見えてるところのほぼ全部に行ける訳では無いのだ

*2:世界を救うために人の命を犠牲にするという意味ではFF10の究極召喚に似たようなものもあるが、あちらはまやかしの希望であったのに対し、こちらは本当の意味での希望となっており、それしか方法が無かった。

*3:オマケにエピソードアーデンは最終作のエピソードノクティスへの導線とするための序章とも言えるエピソードとなっており、ここから真エンディングを作り出そうとしていたと思うと本当に不甲斐ないものである