ポッポ屋日記

日記的なブログにしたいです

2020年総決算

 

こんにちは、ニホンバトです。

そろそろ年の瀬が近付いて来ましたので、今年の1年を振り返り、来年を明るくて良い年とする為に2020年総決算を書いていきたいと思います。

 

皆さんは今年の1年をどう過ごし、今日という日までを乗り切って来たのでしょうか?

 

思えば昨年の年末と今年のお正月の頃はよもやあんな流行病が起きて世界中が大変な事になるなんて誰一人微塵も思っていなかった事でしょう。僕もまた本当に予想外過ぎる1年を過ごしてきました。

 

まだコロナのコの字も無かった1月、毎年恒例だった家族3人での秩父神社への初詣...寒いね〜と言いながらいつものように外へ出る早朝の時間...はぁ〜と白い息を吐きながら電車に乗り込み、西武秩父線の車両から見える秩父の原風景を見ながら1時間電車の中で揺られ、1年に1回の秩父の地に足を踏み入れる事の嬉しさたるや...

お参りを済ませ、おみくじを引き、わらじカツ丼を食べ、お土産を買い、1年後の再訪を誓い、帰る...そんな恒例の風習となって当たり前だったあの初詣がまさか今年で最後になるとはこの時は思ってもいなかったです。

 

まだギリギリお出かけを楽しむ事ができていた今年の2月は一念発起して三峯神社へ山登りで参拝。今思えば真冬の時期に登山道を登って訪れるのなんてかなり無謀な事だったと思うのですが、様々な思いを抱え、心に迷いがあった自分を払拭したい!そう願って登ったあの当時、山頂までの道のりはこの目が、手が、脚が記憶しています。1人で何でも挑戦したいという思いが強かった僕は秩父大自然を楽しみながら無事に山を登り切り、参拝。

登山道を登りきった先に見えた見晴台からの雄大な景色...

巨大な大木を両脇に門構える本拝殿を見た時の荘厳さ

冬の奥宮という神の領域に足を踏み入れた時、心に感じた全てを無に浄化された瞬間...

どれをとっても新しくて新鮮な体験ばかりであり、そして最高に楽しい夢のような時間を過ごしてきた今年の2月...今年の唯一にして最高の思い出はたったこれだけでした...

 

その後は世間の誰もが知っているようにコロナウイルスが世界中で猛威をふるい、4月には緊急事態宣言の発令、緊急事態宣言が解除された後からでもしばらくの間は自粛生活が続いていた.......ものの、人間は心の何処かでコロナウイルスなんて怖くないと思ったのか、政府はGoToトラベル事業を始めとした様々なGoToキャンペーンを実施。国民一人一人の意識が気を付けてはいたものの、何処か気の緩みが散見され始めた今年の夏...

それが悪い結果となってしまったのかは分からないが、この数ヶ月で日本のコロナウイルスの感染者の数は激増している。僕の地元の市でも半年ほどでわずかトータル100人超えの感染者数でしかなかったが、11月に入った途端から一気にコロナ感染者が急増、12月の今では220人を超える累計感染者数になった事が判明、身近にコロナを感じる恐ろしい事態に今も戦々恐々としていて堪らない。

僕もまた我が家としてはどこにも出掛けない方針を打ち立て、仕事と必要最低限のお出かけ(買い物、役所関係の事務手続き等)以外では一切出掛けることをせず、家の中でのんびり過ごす毎日だった。元々インドア派だったというのもあって外に出掛けない事に対するストレスはあまりなく、家の中でテレビを見たり、SNSを見て過ごしたり、漫画・ゲームを楽しむのは当たり前の毎日だった。僕個人としては最後の2ヶ月を除いて可もなく不可もなくな1年ではあったが、何よりワクチンも無い中で家族が誰一人としてコロナウイルスに感染しない、職場でも感染者ゼロ(2020年12月現在)というのが奇跡の様なものであり、コロナに感染すること無く今年の1年を締めくくれそうになった事は本当に幸せな事でしかなく、感謝の気持ちしかない。ここまで本当によくやって来れたよなぁ...と自分でも少し驚くぐらいだ。

 

ここまで書いた文はおよそ1700字ほど、1年を振り返るのにはあっという間すぎるぐらいあっという間で特に何も書くことが無かった

何故ならそれだけこの1年というのは自粛に続く自粛続きの1年だった事を表しており、特に目立った思い出がない=派手に動く様なことはしなかったという事になる。

人が家から動いてくれなければ経済は回らないし、家の中に篭もりっきりは嫌だ!とする人の気持ちも分からなくはない。けれど僕としては感染した後のリスクを考えるとどうしても出掛けたいという意欲が湧いてこないし、それでも出掛けたい!という気概を持たせるほどの魅力あるお出かけでもない限りは極力外には出たくない考えだ。

今はマスク、ソーシャルディスタンス、消毒等でキッチリと感染予防対策を講じた上で近所を出歩く程度であれば感染リスクの低減は出来るだろう。ただそれでも出掛ける際には常にかかるかもしれないという意識を持って出掛けることが大事だ。

 

コロナという未知の病原体によって当たり前のように存在していた日常は壊れ、世の中の常識や倫理観が変わり、自分の好きなように、自分のやりたい様にお出かけを楽しむことすら出来なくなったのは本当に辛い事だ

しかしこれは死に直結する可能性が少なくないウイルス、掛かっても絶望視する程悲観する事は無いにしても、今コロナに感染していない人が出来る最大限の事はとにかく仕事以外での不要不急の外出は一切せず、人との接触を避けること、そして家の中で楽しめるコンテンツを楽しみ尽くしながら毎日毎日を過ごす事

テレビのニュースで医療従事者が疲弊している特集を見るだけでも心が痛み、不用意な外出のせいでコロナに掛かってしまい、お医者さんのお世話になってしまうことを考えたらとても申し訳ない気持ちにしかならない。だから僕はこれから先も本当の意味でコロナが収束をするまでは家の中で出来る娯楽を楽しみ、日々の生活を過ごしていこう...と、そう決意するに至った。

 

みなさんも年を越して新たな一年を迎えるとなった後でも、これからも徹底した感染予防対策をしてくださいね。

 

ファイナルファンタジーで振り返る2020年

リアルでの思い出らしい思い出が何も無かったので少し趣向を変えてこんな振り返りをしてみました!

 

2020年のファイナルファンタジー(以下FF)は2大ビッグニュースに沸いた年でした。

ひとつはFINAL FANTASY VII REMAKEの発売、原作の発売から23年の時を経てPS4で復活したかつてのFF7当時の雰囲気の良さを残しつつも現代らしいアクションバトルスタイルで臨んだFF7R...発売日の封切りから完全クリアをする1ヶ月の間はまさに夢のような1ヶ月間で、数あるゲームの中で最もゲームを楽しみまくった最高の時間だった...

僕の中でのFF7Rに対する思い入れは相当に強く、分作1作目の発売から時が経ってもサウンドトラックCDの購入でテンションが上がったり、マテリアルアルティマニアで骨の髄までFF7Rの世界をどっぷりと楽しんだり、FF7Rのオーケストラコンサートに応募をしたりと本当にこの1年間ずっと僕はFF7Rに夢中でたまらなかった。

どうしてFF7Rという作品に自分自身がこだわり、いつまでも関心を持ち、興味が尽きる事が無かったのかを少し考えた事があった。もちろんスクエニ側が発売後もずっとファンがFF7Rに対する関心を持ち続けて貰えるようにとプロモーションをしていたのも理由にはあるが、FF7という作品自体が初代PS三部作の中では人生で初めて自分の手で操作して触れたFFであり、人生で初めてクリアしたFFである事、それによって特に思い入れが強いFFであるから...と言えば少しはFF愛が強いと感じてもらえるのだろうか(笑)

現代の技術で蘇り、超絶進化したFF7Rは間違いなく2020年のMy Favorite Gameであり、自分史上最高傑作のゲームだと確信している。それほどまでにプレイをしたあの当時は本当に楽しくて楽しくてしょうがなかったのだ。

 

そしてもうひとつのビッグニュースは

FINAL FANTASY ⅩⅤⅠの発表 ですね!

9月のTwitter休み期間の間に発表されたPS5ソフトに関する放送で一番最初に発表されたナンバリングFFシリーズの最新作、HD化の時代から培ってきたフォトリアル路線で洗礼されたグラフィックは4K高画質での展開が標準となったPS5のゲーム体験に相性抜群なのはもちろん、ヴァリスゼアの大地でクリスタルの加護を受けていた世界で主人公のクライヴが戦火激しい地で悲痛な叫びを上げているPVやタイトルロゴにも使われているほどの重要な存在となっているイフリートフェニックスの存在...等、まだまだ謎だらけな要素が多いものの、新たな産声の誕生となったFFの最新作をまだ楽しむ余地が保証されたのは本当に嬉しい事この上ないですね...!これを楽しむためにもまずは4KテレビとPS5を買わなければ...果たしてそれはいつになるのか...

 

2020年に楽しんだFFはFF7RとFF12TZA、そしてFFCCリマスターとこの1年で3作のFFを楽しむ事が出来た。特にFF12TZAに関しては買ってから1年後に始めたゲームであり、ADB*1の独特なバトルスタイルやガンビットシステムの理解には時間が掛かり、慣れるのが大変だったが、玄人向けに作られたシステムは理解した後だと物凄く楽しくなり、最終的にはヤズマットに打ち勝つほどまでにやり込んだ。多分掛かった時間はFF7Rよりも長く険しい戦いだった。もちろん完全クリアという形でクリア出来たのはすごく良かったのだが、ひとつだけ心残りがあるとすればやはりザイテングラートが取れなかった事だろうか。しかし天文学的な確率過ぎて取るのに裏技やツールを使って取られるほどまでに取れない武器を取ろうとただひたすらに飛空挺内とデッキを往復しまくっていたのがすごく懐かしく感じる...チャンスは何度かあったはずなのだが、結局取れないままプレイした30時間がめちゃくちゃ無駄だったなと今となってはそう思う(笑)

 

最後にプレイしたのはFFCCリマスターでこれでSwitchで出来るFFは全て網羅(FF10-2は除く)

僕にとって2020年とはどこを取ってもFF尽くしの年だった...人生で一番好きなゲームシリーズの展開を追い続け、喜び、人生の生き甲斐のひとつとなる...ただただ純粋にFFが好きで好きでしょうがなくて、このコロナ禍の中でもFFに救われた事はいっぱいあった。

きっと来年もその先も僕はFFがずっと好きだ

その気持ちに揺るぎは無い

 

来年はPS5を買ってまだ楽しめていないFF15を遊びたいですね!

 

 

 

自由への闘い自由の代償

そしてこの年を締めるために絶対に振り返らなければならない出来事がおよそ2ヶ月前のあの頃...決して忘れる事の無い2020年11月7日の夜...

ブログにも赤裸々に綴った母親との大喧嘩と精神的疲弊から来るストレス爆発による家出騒動...

これまでブログやTwitterで色々と書いてきたのでここで改めての詳細記載は省くが、大喧嘩を始めた最初の頃から、精神的苦痛さで心が追い込まれた末に家出をするに至るまでの期間は本当に地獄でしかなかった...自分の気持ちを分かってくれない母親との価値観の相違は心の距離をどんどんと乖離させ、いつしか母親の言動やそこから感じる圧がトラウマとなり、母親に対して恐怖を感じるほどまでに恐れおののくようになってしまった。

それでも11月19日に話し合いの場が設けられ、そこでの話し合いが終わり、一件和解した...ようにも思えたが、あれから弟を通して貰った母からの手紙によると、母は精神科の先生とのカウンセリングでの受け答えで言われた「福祉法人がおかしい」という言葉*2を聞いて「やはり自分は間違ってなんか無かったんだ!」と己の価値観の優位性を自己の中で確立させ、僕を母から守ってくれた福祉法人に対しては「家族を引き離すなんて酷い」と福祉法人に対する非難を言い、法人から自分が虐待者として扱われている事に対して不服をボヤくばかり...

どんなに他人からあなたの方がおかしいと言われたとしても決して自分の意見をねじ曲げず、人の意見や反証を柔軟に受け入れることもせず、福祉法人から虐待者として扱われる事になったその経緯やそこに含まれる僕の気持ちの事など微塵にも察する事が無く、母は家族としての交流や僕との接触を図ろうとしていた時もあった。

しかし僕はそれに対して強くNoを突き付けた、いくら今は反省してるからと言われたとしても、例えあの喧嘩の時に出た威圧的な言葉が母の中では一時の感情から生み出された言葉であったとしても、精神が崩壊寸前になるまでに僕の心を追い込んでいた事実に変わりはない。例えその場限りであったとしてもその時に感じた感情こそが己自身の本心であり、そこから時が経過しても家に戻る気がないとした僕の決意と母に対する呆れた気持ちは本物だと言うことになる。

 

という名の権力に抗い

家族という名の規律と義務から逃れ

家族のためと称する支配を破り

何者に縛られる事の無い自由を求めて僕は母と戦った

 

11月の始め〜12月の今に至るまでのこの家出騒動の期間を僕は自由への闘いと称する事にした

 

今このブログを書いている僕は今まさに、その闘いに勝ったのである。僕は自由を手に入れた、もう家族のためを第一に思って生きる事はしない。その必要性がもう無くなったからである。

親と子というのはいつかは必ず別れなければならない時が来るのである、離れなければならない時が来るのである。結婚をして嫁さんと一緒に暮らす事になれば親元からは離れて生活するだろうし、親か子のどちらかが亡くなってしまったら死別する事になる。人それぞれに様々な理由があれど、遅かれ早かれ親と子は離れなければならない時がやってくる。

それを受け入れられるか否かで健全な親子関係かどうかが証明されるものなんだと僕は思う

 

しかし僕の場合、そこに代償が付いた

母と弟から家族としての縁を絶縁された

主たる理由としては

「福祉法人から虐待者扱いされている事を撤回する頼みを拒否した事に加えて僕自身の意思として母さんを虐待者として訴えた事実を伝えた事」

「クリスマスを共に過ごさず、初詣も一緒に行く選択をせず、二度と干渉しないでくれと伝えた事」

それが母の中で決め手となり、「家族として仲良くしようとする意思がない人と縁を残していたってしょうがない」とする母の結論が出た事によって僕は家族思いではない薄情者としてその存在をみなされ、追放されるに至ったのである

よもやお互いの感情的な怒りの言葉がヒートアップし、精神が疲弊した末での家出から親子としての縁、家族としての縁を絶縁される事になろうとは夢にも思いはしなかった。しかし...その事実を知ったその時、自分の意のままに行動させようと仕向け、それに従わなかったというだけで親不孝者と見なし、簡単に僕の存在を切り捨てた母に僕は終始人としての呆れの感情しか湧いてこなかった。

親子というのは全てが上手くいってる事が親子なのではない。ましてや常日頃から家族と交流し、一緒の家に住んで居る事こそが親子であり、交流をせずに離れて暮らしている事が親子ではないと定めるのはちゃんちゃらおかしい話なのである。

僕と母の親子関係は互いに互いの存在に依存した共依存親子という歪んだ関係性であったという事を母はまるっきり自覚していない。常に自分が正しいとする根拠のない自信を人に押し付け、己の意に沿わない意見や物言いに対してはヒステリックな態度を取って恐怖で支配し従わせる...もはや親という権力を持っただけのただの傍若無人な人でしかない。

 

だからこそ向こうから縁を絶縁された事が逆に僕にとっては代償ではなく、己自身の自立を促す最大のチャンスだと思っている。

だから僕はこの先の人生を己の力のみで生きて行く、例えどんなに大変で辛い人生が待っていようとも、元よりそうなる可能性に対する覚悟はできている。以前から持っていた不満を爆発させる形となってこうなるに至ったが、それでも僕は前を向いていく、明日への希望に向かって...

 

家族との思い出や想いは令和2年に置いて行き、令和3年を素敵に満ち溢れた人生にしよう!と、そう決意するに終着した僕の今年最後のブログはこれで締めさせていただく事にする。

 

今年の一年も皆さん本当にお疲れ様でした

 

もうすぐ終わりを迎える2020年を盛大に締めくくり、2021年をより明るい未来にする為に来年もまた頑張りましょう!

 

それではここまで読んでくれてありがとうございました!

 

また来年!良いお年を〜!

 

令和2年12月29日 ニホンバト

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ小噺(読まなくても良いです)

実は2020年が終わる前にどうしてもケジメを付けておかなければならない事があった。

今年の11月の末はある方との友人関係が終わりを迎えた忘れがたき悲しい思い出がこびりついており、この1年間の僕はその方の存在を忘れる事が出来ず、時折悩んでしまう事もなくはなかった。実は三峯神社へ1人で山登りをして参拝した時も、己の中で残り続けるその方への未練を断ち切る為に三峯神社の境内にある縁切り神社として有名なある神社の末社を訪れその方の幸せを願い、未練を断ち切ろうとしていた。

しかしその方との思い出には良き思い出しか無かったというのもあって、僕はその方の存在をやはり忘れる事が出来ず、悩みの種はいつも残り続けるばかりであった。もう二度と交流することも接触することも望めないほど絶望的な状況だと言うのに、それでもその方の事を忘れる事が出来なかったのは、やはり自分の中でその方の事を最高の友達だとずっと思っていたからに他ならないだろう。

僕にとっては最高の友達でもその方にとってはそうではなくなってしまった。単純に言えばそれだけの話なのだが、恋愛で振られた方が未練がましくなりがちになり、振った方が逆に吹っ切れているという別れの後の思い出の残り方としては恋愛に近い何かがあるのだろう...

 

しかしそれも今年の12月にケジメを付けるチャンスがやってきた。そしてそのおかげで僕は今まで燻っていた未練を全て断ち切る事が出来、新しい出会いや、新しい思い出に向かってひた走るための全ての準備が整った、

僕はその方の幸せをただただ願っている。

いつしか最高の友達と一緒に交流を果たし、己の夢に向かって真っ直ぐと素直に生き、幸せになって欲しい。

 

1年間ずっとくすぶり続けていたその方への未練は全て無くなった。これで心残りを残す事なく新しい2021年を迎える事ができるだろう...

 

どうか...幸せになってください

 

では、本当に終わります

どうもありがとうございました

 

 

 

 

 

*1:アクティブ・ディメンション・バトルの略、初期の頃のRPGでは当たり前だったターン制バトルにリアルタイムな時間の概念を加えたATB(アクティブ・タイム・バトル)に空間の概念を加えたMMORPGジャンルでは当たり前のバトルシステム

*2:精神科のカウンセリングの先生はあくまでも患者の心のケアを最優先として治療をするため、例え嘘や個人的見解での言葉だったとしても相手の意見に同意をする事で患者の心を傷つけないようにする事が最善のため、おかしいと言った言葉は嘘である可能性も無くはない。それに先生は僕側の事情を聞かされておらず、虐待案件として取り扱われているという事情を知らないためそういった言葉が出てしまうのも無理はないだろう