ポッポ屋日記

日記的なブログにしたいです

1ヶ月Twitter断ち生活

 

こんにちは、ニホンバトです。

Twitterで会うのが1ヶ月振りの皆さんお久しぶりです。

 

この度は突然Twitterから忽然と消えた事で、フォロワーの皆様におかれましては心配とご迷惑をお掛けしてしまったことを重ねてお詫び申し上げます。

申し訳ありませんでした

 

突然ではありますが皆さんはSNSを辞めたいと一度は思った事ありませんか?僕は過去に何度か辞めたいと思った事があります

情報収集のために始めたつもりのTwitterで本当の名前も顔も声も知らないけれど趣味が合う人と出会い、意気投合をした。けどTwitterというツールをやっていく中では様々なトラブルに見舞われてしまったのもまた事実でして...世界中の人間が現実とは違うTwitterという二面性を持てるツールを使っている訳ですからそこで現実には見せない黒い本心を見せていたり、他人に対してぞんざいな扱いをする人もいたりと、人間色んなタイプの性格がありますから相性が合わない人も決して少なくはないてす。

僕のTwitter生活も決して良い事ばかりではありませんでした。自分の好きな趣味や興味のある事を発信して活動をすると同じ趣味の人と出会う事がある。そしていつの間にか同じ趣味を持つ者同士のコミュニティに入っている事がある。

そこで仲良くをしているうちは良いのですが、「好きなものが同じ」という共通項は出会いの切っ掛けや相手に対して抱きやすい第一印象の素材に過ぎず、繋がりが長く続いていけばいくほど相手に対する印象は内々に変わっていくものであります。僕はその過程で悪印象に変わってしまう事が多く、何人もの色んな人との縁が切れていきました。仲が良いと思っていたのはただの自意識過剰、思い込みに過ぎず、何度も人から切り捨てられてきた。

その度に脳内での自分は何本もの失敗、挫折という名の付いた矢が刺さりまくり、身体中はボロボロ、自分自身に嫌気が差して、全てが嫌になって逃げ出してしまいそうになる事もしばしば

 

そして僕は決意しました

今回は思い切ってTwitterを断ってみようと

 

 

突然のTwitter断ちを決意した理由は「心の安寧の為」

9月に入った当初、僕は8月にお別れをしてしまった人の事で、心の傷がまだ完全に癒えていませんでした。またしても別れを経験してしまうとは思ってもいなかった事からショックがそれなりにあって、まだほんの少しだけ引きずっていた。

その事に加えて前々の段階からまたゲーム業界のきな臭い話がタイムラインに流れる様になっていて、主にPS5とXSXに関する事が多かったのですが、発売前の段階から既にゲハやらアンチやら信者やらが織り成すネガキャン試合といった様相が段々と目に付く様になり、必然とネガティブな感情が入ったツイートをよく見るようになりました。

その事に関しては僕自身が直接攻撃されている訳では無いので憂鬱になる事はないはずなのですが、やはり人のネガティブな感情が込められたツイートというのは目にするだけでも自分自身の心に悪影響を与えてしまう。

自分が直接怒られていなくても人が人を怒っている場面に遭遇すると何故か萎縮してしまったり、人の怒鳴り声を聞くと自分自身のパフォーマンス力が落ちる

というデータにもある様に、Twitterもまた人の負の感情が込められたツイートを見ると自分自身に直接迷惑がかかっている訳でもないツイートにも関わらず、何となく憂鬱な感情を引き起こしてしまうという事がさっきの例えと同じ様にあるのでは?と僕は思っています。奇しくもTwitterを休む少し前からTLは何かと不穏な事が多いTLでした。

新たな新ハードが出る時期になる度にゲーム界隈全体が...主に任天堂ソニーマイクロソフトとそのファンとで三つ巴のゲーム戦争の様な状態になっていて阿鼻叫喚になる始末...。ゲーム界隈は自分の好きな事や愛するものをこれいいよ!と強くアピールして布教しようというポジティブな感情のツイートが少なく

「○○は○○よりも低性能!」だとか「○○は...」「○○は...」と、人の揚げ足取りをしたり、悪口やこじつけ、中傷を言ったりする事で相手(この場合は企業)を貶めたり、おとしめる事で自分の好きな物の優位性を保とうとするネガティブな感情のツイートが多く見受けられます。

罵り合い合戦やマウント取りが多いゲーム界隈のツイートは見ていて時折辟易とする事があり、例えそれが自分で意識していなかったとしても無意識のうちにそれがストレスとなってしまい、何となくTwitterを見ている事が疲れてしまう...本当はそんなの1ミリも気にする必要がなく、ただ自分が好きだと思うもの、やりたいと思うものに対してひたむきに楽しめればそれで良いだけなはずなのに、ゲームというジャンル全体の中で起きる有象無象に目がチラついてしまうのはゲームという趣味を持つ人には避けては通れないものなのでしょうか...

 

それだけではなく、ふと自分がどういう一日を過ごしているのか...という事を振り返った時、考えてみると四六時中Twitterばかり見ている時間が圧倒的に多かったんですよね

多分殆どの人が何かしらの目的を持ってTwitterを見ているなんて事はなくて、何となく、ダラダラとTwitterを見ちゃうなんて事はよくある話だと思うのですが、僕もまた特にこれといった目的も何も無いのにTwitterを開いては閉じて開いては閉じてを繰り返す事が多いなと気付きました。

これはいけない、もちろんTwitterを見る事自体が悪では無いし、どうするのかは自分の自由ではあるのですが、殆ど依存にも近いレベルでずっとTwitterを見ている...それが果たして良い事なのかどうか...?疑念に思ったりもしました。

過去には自分のフォロワーさんの中にも学業を優先する為にTwitter断ちをした人もいたし、この機会に自分も少しTwitterを断ってみよう。そう思い、始めてみました。

 

ここから先の文ではTwitterを断ってから経過した日数毎にTwitter断ちをしたことでどんなメリット、デメリットを感じたか、そして自分の心境にどんな変化を感じたのかをリアルタイム方式に書いていこうと思います。

 

Twitter断ち生活1日目

Twitterを断つためにログアウトをしてからアプリを削除、Twitterはウェブでも見れてしまうのでウェブでもTwitterは検索禁止、極力Twitterを見ない事を徹底する生活が始まった。

しかし1日目にして早くもTwitterが見れない事にそわそわしてしまう...消したからアプリはもう存在しないのに一日に何度もスマホのホーム画面を立ち上げてはアプリが無い事にハッと気付き、慌てて画面を消す。自分はどうやら結構なTwitter依存だった事が1日目にして早くも判明した。

けれど良い事もあった。仕事がある日でも1日に平均5時間以上Twitterを常日頃から見ていた時間が一気にゼロになった事で他の事に集中して取り組む時間を取る事が出来る様になった事。今日はずっと書きたいと思っていた先生にお手紙を書く事が出来た。Twitterをやっていた時だったら絶対に書いてる途中で用もないのにTwitterを覗いてタイムラインを更新させてしまっていた事だろう...

無駄にダラダラとやってしまう事を排除する事で本当にやるべき事に取り組みやすくなるのがSNSを断つメリットとして一番に取り上げられる事が多い。その効果を確かに感じる事が出来た。しかし今はまだ休日中で次に書く3日目は仕事が入る。仕事がある日は昼休みに必ずTwitterを見て昼間のツイートをチェックするのが日課になっていた。そんな中でTwitterを見る事が無くなると昼休みがどう変わるのか...少し心配になってきた。

 

Twitter断ち生活3日目

意外な事にソワソワをしていたのは最初だけで3日ぐらい経ってもTwitterの事を気にする事が無くなりつつあった。

今日は仕事の昼休みもあったのだが、Twitterが無いので自然とTwitter以外の何かを求めて時間を潰すようになっていた。今更気付いた事なのだが、僕の職場ではだいたいの人が昼休みにはもっぱらスマホとにらめっこをしていた。大抵はTwitterのようなSNSか、YouTubeスマホゲームか...とにかく何かしらのコンテンツを用いて時間を潰していた。自分もTwitterに変わる何かしらで時間でも潰した方が良いのか...?と思ったりもした。けれど普段からずっと見ていたスマホを見る事を辞めて、少し物思いにふけりながら瞑想をしたり自分の事を考えるのも良い事かもしれない。

けどここで大きな失敗に気付いた。9月12日に呟いたゲッサンの購入報告ツイートを最後にフォロワーのみんなにTwitter断ちを宣言する事もなく、突然Twitterを断った事で周りのみんなにあらぬ心配を掛けさせてしまったかもしれないという事を思うとめちゃくちゃ大きな失敗だった...

事故があったとかでTwitterが呟けなくなったり、家族の身に大変な事が起きたから呟くのを一時的に辞めたとかそういうのでは無い、今回は計画的な目的を持って始めたTwitter断ちだったから一言ぐらい宣言をしておけば良かったと後悔した...でもその後悔が正しい事なのか正しくない事なのかは正直分からない。前もって宣言をするという事はいずれ戻る、もしくは戻りたいという意思があるんだと思わせてしまう事になり、それを宣言してしまうと何となく自分でも尾を引いてしまうのでは...?と感じる部分もある。でもそれもまた自分を心配してくれてた人にとっては勝手な事にも思えるだろうし、自分も随分勝手なやつだと思う。反面、これは自意識過剰なのでは...?とも思うし、どっちが正しい感情なのかが分からなくなって、頭の中でグルグルしてしまう。

 

ただ少なくともそういう無意識的な自分勝手さが人に嫌われちゃう要素になってしまってるのかな...と、思うばかりであった。

 

いずれにせよ、あと1週間か2週間でも経過すれば自分を見つめ直す余裕が出てくるかもしれない。

 

Twitter断ち生活1週間目

Twitterを断ってから1週間...この1週間が実に長く遠い1週間の様に感じた。以前は1週間なんて本当にあっという間で「え?もう○日?」と思うぐらい短く感じていたのだが、一日一日を長く噛み締めるようになってきているからなのか、1週間という時間経過がとても長く感じた。

以前の朝は毎朝起きて早々のTwitterチェックだった。そこに最低でも30分の時間を費やし見ていた事を考えるとかなりの時間の浪費にも思える。仮に...もし仮にTwitterを見ているこの時間が「無駄時間」であると断定して言うならば、朝のチェックに30分、仕事の昼休みの合間に1時間、夕方から寝るまで、果ては深夜にもTwitterを見てたりするから1日の大半、かなりの時間がTwitterの閲覧に消費されてる事となり、大きな無駄時間となっている事になる。その間は他の趣味や、やらねばならない事に取り組む時間が持てなくなるから(単に時間配分が下手な自己管理の甘さが招いているだけと言われればぐうの音も出ないが)何かしらやらねばならない事があって、それを優先したいと思った時には一時的にTwitterを制限する方が集中して取り組みやすいのかもしれない。

 

それと...ここでようやく自分を見つめ直す余裕みたいなものが出てきた。

 

Twitterというツールが世の中に出てきたことで人は現実とはまた違う関係性で人との繋がりを仮想空間上で持てるようになった。趣味や娯楽の一環として楽しむ人が大半の中、僕自身はTwitterというツールで出会う人間に対しては良くも悪くも固執していた部分があった。思えばそれもリアルで互いに友達だ、やれ親友だと言えるような関係性を持った人が学生時代に1人も居なかった自分の過去が、人に対する人との繋がりを求めたがる反動か何かを生み出していたのかもしれない...

けれど世のお父さんお母さんがネットの人に対して危ないというイメージを持っていて、大丈夫?というその心配を危惧した通り、ネットの人との繋がりを持つのは良いにしても、そこから信頼出来る友達になれそうな人を探そうというのは僕自身の経験からすると危ないからそれはよした方が良い、リアルに既に友達がいるのなら尚更だと思う。例えネットで繋がりを持った相互フォロー関係の人であったとしても、ほんのちょっとの些細な価値観の相違や意見の食い違いだけで「この人とは馬が合わないな...」となって事切れてしまう事も少なくはない。それがどんなにこの人なら信頼出来ると自分自身が思った相手だったとしても、ある時突然相手から拒絶されるようになってその関係性が突然終わってしまう事も珍しくはない。

けれど、信頼を得たいのならば、まずは自分が相手の事を心から信頼しないと相手にも信頼して貰う事が出来ない。例え裏切られたり、ある時急に見限られてしまって自分自身が傷付き泣く様な事になったとしても...その事を踏まえた上で自分が相手の事を信頼しないとそもそも友情関係は生まれない。やめた方が良いと言った僕もまたそこから本当に気心の知れた友達ができているのでそこの所は難しい限りである。

 

しかし最近は不用意に相手の事を信頼しすぎた事で傷付き酷く落ち込む事態になっていたのもまた事実...相手との適度な距離感を保つというのは本当に難しいものだ...

 

Twitter断ち生活2週間目

Twitterを断ってから2週間が過ぎた。

振り返って下書きを見返すと当初に書いた自分の文があまりにも内容的にこれは酷いと感じたので修正と書き換えをすることにした。特に「Twitter断ちを決意した理由は...」から始まる文はTwitter断ちの理由も当時と今の心境とでは全然違ったので内容をガラッと変え、いらない御託は消し、自分の正直な気持ちを書くことにした。

絵の世界でもそうなのだが、その当時良いと感じたつもりで書いた文は時間経過をしてから見ると「なんか違うな...」という感想になりやすい。自分を見つめ直す時間を経た上で読むと「そうじゃないんだよな...」と、なんか違うという感覚になったから、多分その違うという感覚が今の自分の正しい本音なのだろう。

 

Twitterを断っている間でも自分の好きなゲーム情報はゲームメモというサイトで逐一収集をしていた。FFに関してはFFポータルアプリから新情報が更新されるし、動画での発表があるのならYouTubeを見れば更新で分かる。ある程度重要な情報は弟から聞かせて貰えることもあるので自分がTwitterをやっていない事に対する不便さを感じる事はほぼ無くなっていた。

しかし情報収集の要として使っていたゲームメモでもやはりゲーム界隈特有の不穏な空気感や殺伐とした雰囲気がコメント欄を見て感じてしまい、「あ、これはダメだ」と思って即ログやブックマークから削除した。元々そういうゲーム界隈の殺伐とした空気感に息詰まって休んだ部分もあるのにゲームメモでもそういう状況に陥ってしまうのはTwitter断ちをした意味がなくなり本末転倒、しばらくゲーム情報からもシャットダウンをする事にした*1

今はTGSオンラインで開催されているスクエニの放送を見て、特にFFの音楽について取り上げたMUSIC番組には心癒されながら見て聴いて楽しんでいる。そういえばこの前やったPS5の新情報の放送でFF16の情報が出た時は死ぬほどびっくりしたしテンションが上がった。これは僕がPS5を買うための動機にも十分なり得る要素のひとつだ。もう既にPS5欲しいなという思いも持ち始めている。そのためにはまず5万5千円分の貯金をしなければ...

それからFFCCリマスターもクリアした。そしてFF7リメイクのあのマテリアルアルティマニアも買い物した。意外と充実したFFライフ、今年いっぱいもこれがあれば暇をしなくても済みそうだ(笑)

 

Twitter断ち生活3週間目

ここまで来ると完全にTwitterの存在は一切気にならなくなっていた。人間SNSが無くても案外やっていけるもんなんだな...と感じた今日この頃

Twitter断ちをしてからはテレビを見る頻度が増えたのでニュース情報に飢える事はあまりなく、Twitterチェックしなければという義務感に駆られる事もないから非常に心がスッキリしている。それに...今まで出会った中で嫌な思い出になってしまった人達の事で過去に縛られて思い悩む必要も無い。それがTwitter断ちで1番の良い所だった。

でも、それでもやっぱり誰とも話せない時が寂しいと思う事もあって、ある時突然Twitter断ちする以前に関わっていたフォロワーさんの事を思い出す事があった。TwitterというSNSの下、同じ時を過ごす中で殆どのフォロワーさん達とは楽しく話す事もできていたし、同じ趣味を持ち、共通の話題の方向性も一致していた。基本的に「この人なら信頼出来る」と僕が思ってフォローした人たちなんだからほぼ全員良い人達なんだと僕は思っている。その思いは今でも変わらない。

Twitterを始めたばっかりの頃はそれこそ情報収集のためだけという義務感から来ていたものもあった...しかし、時が経った今となっては僕がTwitterをする理由は単なる情報収集に留まるものでは無くなっていた事に気付かされた。

 

普段の何気ない日常のあれこれを呟き、好きなものを共有したり、話題に出して共感し合ったり、時にはネタに走ったり相手の呟いたネタに乗ったり、真剣な話をしたり...以前はごく普通に、当たり前の様に過ごしていたフォロワーさん達と交わした会話の日々は実はとてもかけがえのないものだったんだな...と改めて思う事ができた。

 

Twitterという世界から自らを切り離し、離れ、日々を過ごして来たからこそ、今まで自分に関わってくれた人達へのありがたみを感じる事ができた。

今度帰って来た時には心置き無く、気持ち良くTwitterができる事だろう。

残り1週間とちょっとの日々がかなり遠く感じた

 

Twitterを断ってから1ヶ月を経て

10月12日の今日

とうとうTwitterを断ってから1ヶ月が経過した

 

1ヶ月という期間は予想以上に長いようで短く、あっという間だった。

 

この1ヶ月の間、色んな事を思い、悩み、過去を振り返って思い出に浸ったりもした。1週間...2週間と節目節目の時期を過ぎるとその時の自分が感じた感情や自分がどんな心境になったのかを職場で1人の時に考え、悩み、このブログに綴って来た。

1ヶ月のTwitter断ちを経て感じた事...それはTwitterから切り離された生活は自分が思った以上に抱えていた悩みを捨て去る事が出来て癒しとなった事...と、同時に自分を慕い、関わってくれた人が周りから急に居なくなってしまう事に対する寂しさは計り知れないものがあった。という事だった。

僕が時折憂う悩みの種は今でもTwitterに存在するし、同じSNSの世界の中で触れて関わる事は無くともそこで共存もしている。その事に頭を悩ませる事も確かにある。けれどその悩み以上にTwitterには楽しい事もあれば良い思い出だっていっぱいある。人に固執し過ぎるのは確かに良くないが、自分達の日常や生活の一部をSNSを通じて共有する事で自分を知ってもらい、相手の事を知り、そこから転じて絆を深められる事の素晴らしさはSNSの最大の魅力でもあり、それが心を満たしてくれた。

ある友達は言っていた。「SNSの繋がりは切ろうと思えば簡単に切れてしまう関係性だ」と...そこは自分も身を持って体験しているからよく分かる。けれどそれでもSNSをやっている以上、人との繋がりを持ち、仲良くしていきたいと思う心までは捨てる事が出来ず、適度な距離感で相手との繋がりを持ち、長く持続していけばそれは素晴らしい関係性なのではないか?と、僕は思うに至った。

しかしどんなに自分が好意的に接していても人によっては別れの時が来てしまう場合もある。そういう時はその時の出会いと別れを一期一会とし、楽しかった思い出があるのなら時々その思い出を思い出して、大切にし、気に悩むのはやめると決めた。あまり重く考えるのはオーバーかもしれないけど、1ヶ月前の僕と比べると今は安心して前向きにSNSが出来る気がしていた。もうあまり悩まない。これからは本当に楽しくTwitterができそう。そんな自信にみなぎ溢れていた。

 

思えば1ヶ月前の自分はずいぶん小さな事で悩んでたんだな...とすら思えてくる。この記事を書き始めた時に書いた「1ミリも気にしなくていい事」も具体的にどんな事で憂いていたのかも忘れた。

本当にTwitterを再開しても大丈夫なのかという不安も少しはあるけど、それ以上に自信と安心感があるからきっと大丈夫

 

結論:Twitter断ちをして本当に良かったのか?

結果的に僕は良かったと思っている。もしあのままTwitter断ちをせずに1ヶ月そのまま過ごしていたら多分、気にしなくてもいい様などうでもいい部分にまで気にするようになって軽くノイローゼになっていたかもしれない。

自分を見つめ直すという意味でも、心の安寧を得るという意味でもこの1ヶ月間は本当に最高のリフレッシュとなった。

もしかしたらまたいつか嫌だなと思うことがあって悩ましく思う部分も出てくるかもしれない。友達もまた、1度Twitter断ちの良さを知った上でまた嫌な事があるとSNSがもっと嫌いになるかもしれないと心配もしてくれた。けど昔ほどもう悩まなくなった部分もあるし、フォロワーさんとの時間を共有して過ごしてきたあの日々がありがたいと感じられた今なら、心置き無くTwitterを再開できる。

 

皆さんには本当に感謝しかありません。

そして今一度、突然の途絶えでフォロワーの皆様にご心配とご迷惑をおかけした事、大変申し訳ありませんでした。

 

今年もあと2ヶ月を切りましたが宜しくお願い致します!

 

ニホンバト

 

 

 

 

*1:オマケにゲームメモは時折リークを元にした情報発信をする事で先行でネタバレを食らってしまう記事も投稿される事がある為、これを機会にゲーム系情報サイトを見るのもやめた方が良いかもしれない