ポッポ屋日記

日記的なブログにしたいです

FFCCリマスター感想記事 17年の時を超えた令和の冒険記

 

はじめに

2018年の秋...スクエニNintendo Directを通じてNintendo Switchで初めて任天堂ハードでの7以降のナンバリングFFシリーズの進出を発表した。当時からずっとゲーム業界の間ではタブーとされていた任天堂と7以降のFFシリーズへの軋轢の事を思うと2018年にされた発表は当時の経緯を知るファンである僕にとってあまりにも衝撃的なものだった。

そしてそのDirect内で一番最初に発表されたFFタイトルがFINAL FANTASY CRYSTAL CHRONICLES リマスター *1だった。

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タイトルロゴ&新規描き下ろしアートデザイン

 

2003年、スクウェアエニックスが1つになるという衝撃的な合併を果たした当時、スクエニ和田洋一元社長は当時絶縁状態にあったスクウェア任天堂の仲を取り持つ為に当時の岩田聡元社長と話し合いの場を設けて会談、長らく続いた絶縁関係は任天堂向けの新たなFFを作る事によって解消とし、任天堂スクウェアの2社は小さな繋がりで結び付き、雪解けを始める事となった*2

 

そして同年、任天堂向けFFとして初めて世に出たFFがまさにGCFFCCという事だった*3

 

当時から全くのノーマークだったFFCC

そんなFFCCが2018年に発表されたNintendo Directでリマスター版が発売されると発表、当時の思い出が深く心に刻み込まれたFFCCユーザーの多くがこの発表に歓喜した。

...しかし、数あるナンバリングFFをプレイしてきた僕ではあったが、実はFFCCシリーズだけはこれまでの人生で1度もプレイした事がないFFだった。

FFCCシリーズはDSにも数多くの作品を世に出してきたので年齢的に考えるとDS、Wiiがドンピシャ世代であるはずの僕だったのだが、不思議な事にFFCCに関しては全くもってその存在に触れる事も気付く事もなくスルーしており、FFCCというシリーズの存在に気付いたのはシアトリズムFFの楽曲リストから見たのが初めてだった(ガチで)

子供の頃からずっとナンバリングにお熱だった僕はFFが他にも色んなスピンオフ作品シリーズとして展開している事を知らず、気付いた頃にはFFCCは既にかつての古き良き名作としての懐かしいソフトとなってしまっていた為、ソフトをブックオフで探して買って...という程までには至らず、ずっと縁もゆかりも無いソフトとして見てるだけだった...しかしそんなFFCC17年の時を経て2020年8月27日にリマスター版として帰ってくる事になった。本格的なFF熱が高校生の頃からずっと今でも燃え続けている僕はもちろんNintendo Switchで展開された全てのFFを買うつもりでいたのでリマスター版も即購入、人生で初のFFCCの世界に足を踏み入れる事となった*4

 

牧歌的な雰囲気が出た絵本のような独自の世界観はFFCC最大の魅力

ゲームを起動してはじめからを押すとまず最初に流れるのが歌手のYaeさんが歌うカゼノネとミルラの雫を求め、長い旅をする事になるクリスタルキャラバン達が夜明けを迎えるオープニングムービーだった。

リマスター版となった事で映像表現が進化したのはもちろんの事だが、特にカゼノネはYaeさんが17年振りに歌の音源を新録オマケに幻の2番が追加され、その歌詞が当時と全く同じスタッフによって新たに書き起こされるという奇跡のような進化を遂げている*5

この作品の主人公はクリスタルキャラバン達、瘴気に包まれた世界の中でクリスタルの加護を受けて生きる村の人々は1年に1度、瘴気を守る力が弱まるクリスタルの力を取り戻す為に村の若者が代表してミルラの雫を求めるクリスタルキャラバンを結成、故郷の村から離れ雫を求め旅をする...というこれまでのFFには無かった一線を画した設定や世界観は当時から斬新なものとして話題になり、今でもなかなか見ないFFCCならではの魅力となっている。

 

  • 谷岡久美さんが手掛ける民族的な音楽が更に牧歌的な雰囲気を醸し出す

FFシリーズの音楽はいずれも名作揃いで世界的な人気がある。その中でかつてFF11チョコボシリーズの音楽を担当した事がある谷岡久美さんがコンポーザーとして手掛けたFFCCの音楽はオープニングのカゼノネを筆頭に民族楽器が多く多用されている事で出てくる暖かみのある音の柔らかさが聴く者を癒してくれる。谷岡さん曰く、ケルト感に近い雰囲気を感じさせつつも決してこれはケルトです!という主張をして楽曲を手掛けている訳では無いので、ある1つの特定の音楽ジャンルの枠にはまりそうではまらない、FFCCオリジナルの音楽となっている。

FFCCのダンジョンBGMは全体的に(良い意味で)力強い主張をしてくる音楽がほとんど無い。おそらくそれはアーティファクトの成長システムの都合上、同じダンジョンを何度も周回する事を前提としているのでずっと長く聴いていても疲れない楽曲作りを意識する事でプレイヤーに癒し効果を与えているのかもしれない。

アクションゲームやRPGゲームのフィールド&ダンジョンBGMは長くそのエリアに滞在する事を想定した場合、ずっと永遠に聴いても疲れを感じない程度に主張しない音楽作りをされる事が多いと聞く、ストーリー進行での重要イベントや時期限定エリアなどで流れるフィールドBGMは重要局面である事を意識させるために音の力が強いBGMを流す事で緊張感や焦燥感をユーザーに与え、それがゲームのテンポを良くして印象に残りやすい体験となって心に残る事がある。

しかし同じエリアを何度も周回する事で常時聴き続ける事になるFFCCのダンジョンBGMは激しい音の主張を抑えたBGMである事で常に聴いていられるものになっている。それでいてフィールドを歩く冒険感を感じさせてくれるのでこれが谷岡さんの手掛ける音楽の魅力なのかもしれない。

自分が特に好きなBGMはリバーベル街道とカトゥリゲス鉱山、ヴェオ・ル水門にデーモンズ・コート、ラスダンのヴィレンジェ山...と、色々ある。あとイベント限定音楽だがしましま盗賊団のテーマ曲も個人的には凄く好み

 

  • 板鼻利幸さんの描く暖かみのあるアートデザインとGCに合わせたグラフィックと進化

FFCCが独自の牧歌的な印象を与えやすい要因の1つにはFF9チョコボシリーズのキャラクターデザインを手掛ける板鼻さんの絵がベースにあるというのもFFCCの魅力を語る上では外せないものだろう。

FFCCでは主人公のクリスタルキャラバンのキャラクターを設定する時に4人の種族がいる。

  • 守りに長けたクラヴァット
  • 武道を極め力が強いリルティ
  • 知能が高く魔法力があるユーク
  • 素早い動きで敵を翻弄し、必殺技が強いセルキー

強い個性と特徴を持った4種族はそれぞれの種族ならではの味があり、デザイン自体は強い個を主張している訳でもないのでプレイヤーはプレイヤー本人に近い感覚でプレイができる。そんな中でもリルティは野菜の擬人化だったり、ユークは魔法生物だから奇抜なデザインの服や兜は人間っぽい雰囲気を作っているだけ...という裏設定があったりと、板鼻さんの中で描かれる瘴気に包まれた世界とその中を旅するクリスタルキャラバンのイメージが詰まったデザインは谷岡さんが手掛ける音楽との融合性もあってFFCCの独自の世界観が作り出されている。

特に丸くてふわふわでとても可愛らしい今作のモーグリのデザインは箸袋の裏に鉛筆で落書き程度に描かれたものが誕生の切っ掛けだという話を聞いた時にはたいへん驚いた。

 

また、そんな板鼻さんがデザインした絵を元に当時GCに落とし込まれたグラフィックは再現度が高く、キャラクターの表情は今のゲームほど表情がグリグリ動いたりするような感情豊かなものでは無いのだが、その表情を変えない部分は(当時はボイスが無かった為)日記に書かれる人間味溢れるテキストがカバー、また当時から既に水の質感とグラフィックが素晴らしいと言われていたFFCCだが、リマスター版になった事で更に水の質感のクオリティはアップ

たまたま買って持っていたGC版のFFCCと比べると現行機ならではの綺麗なグラフィックに進化していたのがよくわかった。

 

こうして見ると一見、全てが平和な世界に思えてくるのだが、実はそれだけじゃないのがFFCCが今でもファンに愛される所以ではないかと思う。それはまた後述する。

 

  • 新たに付いたボイスで繰り出される豪華声優陣

その昔、FFCCでボイスが付いていたのは主題歌とステージナレーションを担当していたYaeさんの声だけだった。リマスター版になって大きく変化したところはキャラクターにボイスが付いたこと、今やどのゲームにもキャラクターボイスが付くのは当たり前の事、今のゲームの魅力を語る上では声優陣の豪華さが声優ファンを取り込む要因の一つにもなっており、魅力として語られる事も多々ある。

馴染み深いキャラクターには意外な声優さんが付くこともあり、特に一人称が「オレ」で語られる旅人モーグリのスティルツキンを子安武人さんが爽やかな声で演じていたのには発表当初から「ギャップがあり過ぎる」と話題になっていた

あまり声優には詳しくない僕ではあるが、しましま盗賊団のアルテミシオンの小桜エツ子さん、同じくしましま盗賊団のメ・ガジの西村知道さん、セルキーのハナ・コールをライトニングの声優さんでお馴染みの坂本真綾さんが務めてたりと確かに豪華でそうそうたる面々、個人的に黒騎士を演じた大塚明夫さんは黒騎士が全身鎧ずくめな点が共通して声だけ聞くとFF12のジャッジ・ガブラスにしか聞こえなくなってくる(笑)

 

もちろんあの当時の思い出を大切にしたいとするプレイヤーにはボイスをオフにする機能もあるので当時と全く同じ環境で楽しむ事もできる柔軟性がある。ボイス付きでも僕は十分楽しめたが、その当時どんな声を想像して脳内再生していたのかを考えればそれもまた乙な楽しみ方なのかもしれない。

 

意外と闇深いFFCC

先程から牧歌的で朗らか...という文を強調してFFCCの魅力をお伝えしてきたが、このゲーム...一見平和そうな世界に見えて実は闇深き側面を持ったゲームとしてもその名が高い。

彼らクリスタルキャラバンが活躍するFFCCの世界では実は人類の99%が瘴気によって滅亡しており、クリスタルの加護によって守られた1%の残り数少ない人類がその年の1年を生き残るために雫を求める...という超退廃的な世界背景がある事が伺える。

道中で出会う他のクリスタルキャラバン達が皆それぞれ気ままな旅をしているかのように見えるが、実は大切な故郷の村の命を預かっているのと同じ使命を背負っているためにプレッシャーが半端ない事になっている。更にFFCCの闇深さを語る上で外せないのが鬱気味になるサブイベントの内容である。

特に挙げられる3つのイベントが

  1. 黒騎士の街道イベント
  2. ティダの村の手紙イベント
  3. デ・ナムの手紙イベントである。

黒騎士は実はFFCCでは本編の核心に触れるある重要なファクターを持つキャラクターとなっており、故郷の村から最初に移動した時にほぼ確実にイベントが起きるため、年数が進めば進む程イベントは進行していき、その結末を否が応でも見る事になる。

伝説のリルティの騎士として語り草となっている黒騎士、しかし最近の実態には不穏な影が差しており、その素性が分かってきてプレイヤーが気付いた頃には.....とても切ない結末を迎える事となる救いようのないキャラクターである。

 

そしてティダの村の手紙イベントやデ・ナムの手紙イベントもプレイヤーが任意に進められるサブイベントとなっているがその結末もまた酷い。人によってはティダやデ・ナムの方が後味が悪いと感じる人も居るほどである。

ネタバレ防止のため詳細は伏せるがデ・ナムに至っては進行すればするほど酷い事になっていくのでかなりのホラー*6である。こういう鬱イベントは一見穏やかな世界観の中で描かれる方がギャップから来る怖さの倍増がある。これはFFCCという世界が決して穏やかならぬものである事を指し示したスタッフからのメッセージなのかもしれない

こういう闇深いが、奥のある現実を見せる事でよりFFCCというゲームが人気になっていった要因であることを考えると今でもファンが愛してやまないのも頷ける*7

 

評価点のまとめと問題点

ここまで書いてきた僕が思う評価点をまとめると

  1. 谷岡久美さんの音楽とYaeさんの歌声を象徴として彩るFFCCの牧歌的な世界観の加味
  2. 板鼻利幸氏が描くFFの中では穏やかなアートグラフィックから織り成す世界観
  3. 豪華声優陣が華を添えるリマスター版追加要素
  4. 穏やかなだけじゃない鬱イベントが写し出すFFCCの更に深いストーリーを描いた奥深さ

と、ここまでFFCCの魅力を書いてきた僕だがもちろんFFCCの全てを手放しで評価できる訳では無い。ナンバリングとは違う独自のシステムを持つが故に僕にとっては難点となってしまうポイントがいくつかある。次はそれを書いていこう

 

元々FFCCはみんなでできるファイナルファンタジーを想定して作ったゲームであるためにソロでは敵の対処がかなり厳しく、ステージの構造上マルチの方が圧倒的に楽な部分がある。

仲間を復活させるレイズはもちろんソロでは死んだらそこでおしまいなので意味を成さず、合体魔法の材料になるのが関の山、ダンジョンレベルが高難度になると1対複数の敵を相手に立ち向かわなければならないため、適切な立ち回りが求められやすく厳しい戦いになる。

ジャック・モキートの館で対応する種族が乗ると踏めるスイッチ床はソロでは1種族しか対応しないため、同じ種族の紋章に変化するのを待つのに最大15秒ほどかかるのでタイムロスになる

特に酷いのはレベナ・テ・ラで、2種類の魔法を撃って2つのスイッチを制限時間内に壊して解く仕掛けでは魔法の発動時間に時間差があるガ系魔法を撃ち、その間に発動が早い弱い魔法を撃って同時に壊すという高等テクニックをしなければならず、魔法の詠唱時間が長いリルティのソロではアクセサリーの力を使わなければ仕掛けを解くのがほぼ不可能な為、種族によってプレイのしやすさに差が出てきてしまう。マルチを前提にした仕掛けはレベナ・テ・ラにはもう一個あり、そちらも工夫とダメージ覚悟をしてやっと解けるので周回にはかなりの苦労を要する。

 

  • ソロで着いてくるお供のモグが時たまプレイヤーをイラつかせてしまう

これもソロプレイ故の難点で、ソロでプレイしている時ではクリスタルケージを持つ役割をモグが担って着いてきてくれる。プレイヤーのサポート役として大変大いに役立つのだが、モグはクリスタルケージをずっと持てずに疲れてしまう。

「疲れたクポ〜、持つの変わってクポ〜」という声と共にモグの移動速度が下がり、どんどん前へ進むプレイヤーに着いて来れなくなってプレイヤーを瘴気から守りきれなくなってしまう、その場合は移動が遅くなったモグの速度に歩みを合わせるかクリスタルケージを持ってあげれば良いのだが、クリスタルケージを持って十数秒ほど歩いた所で「クリスタルケージはモグに任せるクポ〜」と言うので「お、もう疲れが回復したのか」と思い、モグにクリスタルケージを渡すと直後に「疲れたクポ〜」と言うのがザラにあるのでかなりイラッとさせられてしまう。

モグもロボットではなく、共に旅をする仲間なんだと言えば聞こえは良いのだが、サポート役としてはあまり良い印象に残りにくいのが実情で、オマケにキランダ火山やライナリー砂漠と言った灼熱地帯ではふわふわのモグの毛が暑さの原因となり余計にすぐに疲れてしまう。

それを防止するにはモーグリの巣に入りボディペイントシステムで毛をカットするお手入れをするのだが、毛のカットはハサミ1本しかなく、一気に刈れるようなバリカンなどが無いため時間が掛かる。オマケにダンジョンを数回クリアすれば毛は直ぐに生え変わる為、キランダ火山とライナリー砂漠の周回はコナルとレベナとは別の意味で苦痛に感じてしまうだろう。

モグに愛着が持てるかどうかがこの難点を克服するポイントなのだがなかなかにそれを乗り越えるのは難しい事だろう。

 

  • コナル・クルハ湿原とレベナ・テ・ラのダンジョンが長過ぎて周回するのに時間が掛かる

FFCCの成長システムはアーティファクトというダンジョン攻略中に拾う4つとボス撃破後の精算画面で得られる4つの能力値の成長アイテムの中から1つを選び成長させていくのだが、ダンジョンのクリア後に得られるアーティファクトは1つだけ。キャラクターの育成に取り組むのならば何度も周回する事で少しずつ成長をしていくしかない。その為には如何にクリアするまでの距離が短く、手軽に攻略できるステージでアーティファクトを取れるのかが重要になるのだが、コナル・クルハ湿原とレベナ・テ・ラのステージはとにかくフィールドが広い、もしくは仕掛けが複雑でどんなに効率よくプレイしたとしても1回の攻略に10分以上は掛かってしまう...

そこで得られる目当てのアーティファクトが見つからなかった場合はまたしてもダンジョンの最初からやり直し...周回することを前提としたゲームデザインにするのならばダンジョンは気軽にサクサクと攻略できる程度にしておくのがセオリーなはずなのだが、この2つのダンジョンに関してはそうもいかない。敵も強く、エリアも広く、仕掛けも複雑な三重苦が揃った終盤のこのダンジョンはさすがにやってて気だるさを感じてしまう。特に僕は周回をあまりやらないタイプの人間なので1回の周回でこの長さは本当にやる気がしない。どうやらこのステージは当時のスタッフがFFCCの開発初期にステージ作りに手を付け始めた頃だったらしく、加減が分からなかったとの事、長く冒険できる苦労はラスダンのヴィレンジェ山で達成感を感じる程度に特別長くしておけば充分だと思うのでここはマイナスポイントである*8

 

  • 全体マップが無いため、そのステージの全容を理解しにくい

その昔、FFCCではソロプレイをしている時にGBAGCに繋げるとミニマップが見れる機能が存在していた。リマスター版ではそのミニマップが常に表示される事である程度の範囲を見る事ができるのだが、マップの全体像を見る事ができる全体マップが一切ない。

オマケに大抵のダンジョン攻略中のカメラは俯瞰に近い斜め見下ろしの視点で固定となっているのでカメラを動かして、先を見通して進む...といった進み方が出来ないので非常に迷う!

特にだだっ広くて周りの風景に変化がないライナリー砂漠でマップなしだとガチで迷う事になるため、ここはソロ限定でも良いから途中で全体マップが見れるようにして欲しかった。

結局、ひとつひとつのエリアマップの全体像を把握するのにはゲーム攻略サイトに頼らざるを得なかった。追加の機能を入れられない故に仕方がないところなのかもしれないが、そこも当時と全く同じなのには少しガッカリした。

 

  • ダンジョン攻略中にエリアチェンジをした時にほぼ処理落ちに近いfpsの低下がある

これはNintendo Switch版特有の障害なのかは分からないが、2マップ以上あるダンジョンでは別エリアに移動した時にロードを挟んだ後移動をする。その暗転明けをする際、ほぼ高確率で動作が重くなる。

おそらく初めて別エリアを行った際にマップデータを読み込んだりするなどの理由もあるのだろうが、それでも処理落ちしちゃうんじゃないの...?と思うほどにゲームが重くなる事が多いのでいつもヒヤヒヤしている。今回のリマスター版はクロスマルチ、クロスバイに対応する為に1回発売を延期した経緯がある。特に気になるほどの事でもないが、度々動作が重くなるのには一松の不安を覚える

 

  • ロードが長い

昔からゲームの評価を決めるポイントのひとつにロード時間の長さや頻度が品評される事もある。昨今ではPS4ソフトのゴーストオブツシマのロード時間がPS4ソフトとは思えないほどの脅威のロード時間の短さがユーザーの間で話題となっていたりするほどユーザーにとってロードという時間が如何に無駄な時間として見られているのかがよく分かる。

さて、そんな中でリマスター版のロード時間はどうなのかと言えば...あまりそんなに宜しくない。寧ろ長い方の部類に入るぐらいロード時間はやや長め、ゲームを起動してからのタイトル画面に移るまでの時間や起動してからのロード時間はSwitchで出たFFのゲームの中でも最長に近い部類の長さになっており、ひとつひとつのレスポンスが長い。

周回の長さやロード時間の事を併せると1時間経ってもそれほど成長してないな...と感じる事も時々あるのでもうちょっと短くして欲しかった。

 

  • サブキャラ育成がダルい

クリスタルキャラバンはキャラクターエディットを使って8人分の新たなキャラバンを作る事ができる。しかしアーティファクトを使った能力値の成長記録は一人一人個別に設定されており、メインキャラ1人を強く育ててダンジョンレベルを上げてしまうと後から2人目以降のサブキャラを育成しようとした時に敵が強すぎて厳しい戦いとなってしまい、成長どころかダンジョンのクリアすら難しくなる事態に発展してしまう。

なので最初からサブキャラも育成する事を前提とした場合、ダンジョンレベル1の段階で育成に取り組まなければいけなかった。しかしもう1キャラの育成のし直しは辛く気が遠い戦いになってしまう。だからこその救済措置としてオンラインマルチでダンジョンレベルが低い人のマルチに参加する方法で成長を促す構造になっているのかもしれない。

 

と、ここまで以上の点でFFCCリマスターには不満点がかなり出る結果となった。他にも発売当初には倉庫でアイテム増殖ができてしまうバグやライナリー砂漠で謎解きをしなくても?属性のホットスポットが現れるバグ、マルチの募集ではなく外部からの参加にも関わらず、クリスタルケージの属性を変えたことで自分のクリスタルケージの属性も変わり、どこにも行けずに手詰まりになってしまうバグなど様々な練り込み不足、調整不足な点が挙げられた。

 

実は怖くてオンラインマルチを一度もやってない

僕はオンラインをする際、オンライン対戦をするのにはまだ抵抗はないが、他人と協力するオンライン協力プレイには消極的で極力やりたくない考えだ。

自宅のWiFi環境があまり良いとは言えない事から他人に迷惑をかける事になるかもしれないのはもちろんだが自分が下手なプレイをしてしまった時に煽られたり、相手が怒ってSNSなどの外部ツールを使ってニックネームを晒されたりしたなどの話を聞いているとどうも他人と協力プレイする気が湧いてこない。だからリマスター版ではずっとオフラインのソロでやる事となり、ソロならではの不満点を見つけてここに書くのに至った。

協力プレイには協力プレイならではの下手なプレイが出来ない空気感をひしひしと感じ、他人が少し上手くない人に対してテレビの向こう側でチッ、と舌打ちしている事を思うと僕は怖くてオンライン協力プレイが出来ない。

だからリマスター版で追加されたクロスマルチプレイの新たな利点は全く生かされてない結果になってしまった。

 

総評

FFCCは当時のプレイヤーが家族や友人みんなと体験した思い出が詰まったゲームである人が多い。故に過去の思い出補正の事もあって今のリマスター版をダメだと評する人もかなり多い。

僕も長年1人でプレイ出来るFFをずっとやっていていた為にマルチ前提となったゲームバランスのある内容には少々煩わしさを覚えたものだが、それでも当時ゲームキューブで出た任天堂向けFFであった事を考慮すると独自の牧歌的な雰囲気に包まれた今作の世界観の良さはFFCCシリーズの始まりとして素晴らしいものがあった。

 

アバター チ・キンの成長はまだ続いている。

今後は気長にゆっくり自身の成長を高めるものとしてやっていこうかと思う。

 

 

10月4日追記:成長を通してみて

本編のクリア後も成長の余地があるチ・キンを最強にする為、未取得のアーティファクトや最強装備を揃えるために色々頑張り、今もまだ成長中な現在

このゲームはFFではなかなかに珍しいハクスラ系の成長システムを持ったゲームであり、同じダンジョンの周回を繰り返しては目当ての報酬を引き当てるまで何度もリセマラをして成長を促している。しかしこのゲーム、やはり一つ一つの能力を成長させていくのにはえらく時間が掛かる。単純なレベル制ではないからいくら立ちはだかる面倒くさい敵を倒しても経験値を得られず、クリアして得られるアーティファクトは必ず1つしか手に入れられない点がダルさに拍車がかかってしまう。

何故1回の報酬獲得で複数個のアーティファクトをゲットして一気に成長できるようにしなかったのか?ただでさえアーティファクトだけでも70個近くあるのを全て集め切るのには、被り無しで取れてもその個数分だけ同じ回数ダンジョンを周回しなければならない。リバーベルやキノコの森のように手短に終われるダンジョンならまだしも、やはりコナル・クルハ湿原やレベナ・テ・ラの様な長くて時間が掛かるダンジョンだと周回する気が起きず、無駄に長くプレイさせられている気がしてならない

さっきもレイズリングを獲得するために1人で湿原を頑張ってプレイしたのだが、高得点クリアを目指すためにほぼ全ての敵を相手にしなければならなかった事で1回のプレイに30分以上もの時間が掛かった。オマケに目当てのものが出なかった時のリセマラもまぁスムーズにやってもなかなか出ない事も多いので時間が掛かる。下手すりゃリセマラ厳選だけでも30分は掛かった事もあるので、成長させる為にプレイする時間が苦痛に感じ、ますますアーティファクトを複数個取れるシステムにしなかった事に疑問を抱かざるを得ない。オマケにサブキャラを作って育成する目的もあるのなら尚更である。

 

このゲームには親の職業によって得られる恩恵に大きな差がある。特に商人や鍛冶屋、錬金術師、裁縫関係は恩恵の大きい職業としてメインキャラの親の職業にこれらを選ぶ事をゲームサイトで勧められている程。しかしその事を知らずに僕がメインキャラのチ・キンに対して選んだ職業は農家、農家には特に家族と仲良くなっても得られるメリットが無く、ただのお飾りのようになっているだけのいわゆるハズレ職業である。

錬金術師と鍛冶屋、商人の職業レベルの成長によって作れるアルテマ系の武器はサブキャラ育成を前提とした隠し要素となっており、アルテマ武器の作成はPS4版ではトロフィーに設定されているほど、しかしこのゲーム自体がソロでサブキャラ育成する事を想定した作りになっていない為、サブキャラで最初からアーティファクトを集め直すことを考えたら本当にやる気にもならず、チ・キンの育成が終わったらこのゲームを終わりにしようか考えているほど、とにかくFFCCの成長システムが超面倒くさい。

 

僕は元々ゲームクリアという大きな目標やレベル上げ、目当ての装備の獲得の為にマラソンや吟味といった単純作業をロールプレイする事には抵抗が殆どない人なのだが、FFCCでは下手にゲームクリアという大きな目標を終わらせてしまった事でこれ以上の育成を施す意味が見いだせなくなってしまい、やる気がなくなっているのが現状だ*9

自分にはどうも周回プレイという概念が無いのか、周回プレイをする事に対しては全然やる気がしない。例えばひとつのゲーム...特に僕はRPG対してはラスボスを倒すまでの間に色んな要素をクリアして、ラスボスを倒してエンドロールを迎えたらそこで終わり!という、簡単に言えばRPGは何度も周回するものではなく、本編をゲームクリアするまでの間に数ある要素を極めてから攻略するもの」という通念上の概念を持ってしまってる事で周回プレイを前提としたゲームが好きになれないのもあるのかもしれない。*10

 

注釈にも書いたが大きな目標や目的がないロールプレイや目標の実現が果てしなく遠い周回プレイには自分は大きな抵抗感がある。考えてみたら発売から2ヶ月ちょっとの今年の5月末に引退したあつ森もまたある意味ひとつの大きなロールプレイに思える。朝起きて、住民全員に挨拶をして、雑草取りをし、石を叩き、化石を掘る。木にフルーツが成っていたらそれの収穫作業をする...これもまたひとつの習慣、ロールプレイの一種だ。

ではそのロールプレイをする事にどんな意味があるのか?そのロールプレイをした先に何が待っているのか?その意味は自分で見つけなければならず、ゲーム側から目標提示されることはない。だから当たり前のように思ってする習慣付けが出来ず、今自分がやってる事に対して意味を見い出すことも無くやっていたらすぐに飽きが来てやる気が出なくなってしまう。

今僕がやっているFFCCの育成もまた育成を成しえた先に待っているものが何も無い。だからどうもやる気がしないし、面倒くさいと思いながらやる事が殆どだ。きっと多くのユーザーの思い出にFFCCが楽しい記憶として残っているのはみんなでやったという体験の記憶が強く残っているから楽しかったとする人が多いのだろう。

 

ソロでやるとなかなかに苦痛な要素が多いFFCCリマスター、楽しい事は楽しいのだが何とも難儀なゲームになってしまった...

 

 

 

10月9日追記:ラスボスの存在について(ネタバレ注意)

無類のFF好きな僕ではあるが、マルチ向けなゲーム作りがされたFFCCのソロでのシステム周りに不便さを感じた事でつらつらと不満点を追記し、辛口な評価をしてしまったが流石に不満で締めくくられてしまってはネガキャンにも捉えられかねないので更なる追記としてラスボスの事について書いていこうかと思う。

 

ネタバレ必至なのでここから先の閲覧にご注意ください

 

  • ミオとラモエ

FFCCでは瘴気に包まれた世界と密接に関係した記憶を巡るあるキャラクターがいる

 

それがミオラモエ

 

ミオの存在が明らかになるのは黒騎士イベントの4回目の時、記憶を失った黒騎士が自分の記憶を奪った諸悪の根源(と思い込んでいる)とする白い光を無我夢中に追い続けたもの、そして初めてその声が明らかになったのは黒騎士イベント5回目の時だった。

全体的に落ち着いていて柔らかな物腰で語る少女の様な声、しかし主人公たちに語らう内容は全体的に後退的でどことなく声のトーンからも絶望感をやや感じる所がある。彼女の語りによると、ソール=ラクトから聞かされた瘴気の根源を探し当てようとして消えてしまった伝道師とお供の伝説のリルティの騎士...つまりハーディ(ガーディ)と黒騎士は瘴気の根源となるヴィレンジェ山のメテオパラサイトの元に辿り着いた時に現れたラモエという存在によって記憶を食され自我を失ってしまったという...

 

ミオとラモエは共に人々の思い出を糧として生きる存在、違うのは元々はミオが先にこの世界に存在しており、ラモエは突如飛来した隕石が大クリスタルを破壊したと同時に生じた世界の流れの歪みから生まれた事

そしてミオが食すのは人の脳から消えかかって薄れた思い出でそれを食す代わりにお礼でミルラの雫へと還元していた事に対し、ラモエは己の私腹を肥やす為に記憶に新しい思い出まで食らい、魔物を生み出してしまう

という事だった。町や村に立ち寄った時にNPCが自分が何をしていたのか、これから何をするのかを忘れてしまうという健忘症の様な症状が出ていたのはラモエがところ構わずに深く刻まれた新しい思い出も食べている事の現れであり、実はこれがラモエの存在を示唆するさり気ない大きな伏線となっていた。

 

クリスタルキャラバン達がひとつひとつの旅の思い出を日記に書くのは、単なる思い出作りだけではなく、ある日突然無くなってしまった思い出や薄れかかった記憶を思い出させる為に記録として残る日記に書いているというのが正解なのかもしれない。

水かけ祭りで思い出の日記を振り返るのはその記憶をしっかりと胸に刻み込んでおくため。実にFFCCというゲームの世界観に合わせてマッチした設定である。

 

  • メテオパラサイトとラモエの関係性

メテオパラサイトとは地球に飛来した隕石に住み着く地球外生命体で、世界のモデルケースを語ったアミダッティ宜しく、外からやってきた者、つまりはこいつが人類の99%を死滅させた瘴気の原因そのものである。

宇宙からやってきた地球外生命体が元の星に居た種族を滅ぼしてしまうという設定を聞くとFF7に於けるジェノバと古代種の歴史を思い起こさせる。違うのはFF7では侵略された側の古代種が己の力でジェノバと対抗し、弱体化をさせた末に滅びの一途をたどったのに対し、FFCCではメテオパラサイトの存在に気づかずに原因が掴めないまま瘴気によって朽ちてしまったがある程度はまだ生き残っているという事

いずれにしても人類の脅威になっていた事に変わりはないのだが、そんなメテオパラサイトとラモエにどんな関係性があるのかと言うと瘴気の関係によって生まれる悲しみの思い出がラモエにとっては大好物という事に関係していた。

メテオパラサイトが生み出した瘴気によって多くの悲しみの思い出が刻まれた。その思い出を食らい格別だと感じたラモエはメテオパラサイトの存在を放置し、あまつさえメテオパラサイトを倒そうとするキャラバンを自身の住まうクリスタルワールドに引きずり込み、倒すという所業をやってのけていたのだった。

人類にとって脅威となるメテオパラサイトを倒せば世界に永遠の平和が訪れる代わりに、ラモエにとっては大好物となる悲しみの思い出が殆ど生まれなくなる。思い出を食らい魔物を生み出す事で悲しみの循環を紡いできていたラモエの企みは脆く崩れ去ってしまう。メテオパラサイトの存在こそが自身の成長を大きく促す事を認識していたラモエはキャラバンからメテオパラサイトを守る事で共生関係を紡いできていたのだった。

ジャック・モキートの館での書斎にある本やアミダッティ一行から聞かされるセルキーの古文書、マグ・メルでカーバンクルが話してくれる古代の歴史に光と魔と姫の童話など...多くの伏線が貼られる中で明かされたラモエという存在は密かに水面下で人類を蝕むFFのラスボスとしても申し分無いほどの存在だった。

 

思い出を食らって生きたラモエの存在によってFFCCの人類はいつの間にか瘴気のある世界が当たり前の世界となり、ミルラの雫を求める旅に出る事に疑念を抱かなくなった。

本当ならばこんな旅はもうしたくないはずなのだが、当たり前のように旅をし、当たり前のように世界を駆け巡る。その事に疑問を抱いたクリスタルキャラバンが英雄となる...歪みから生まれ、悲しみを求めて生き続けるラモエもまた悲しい運命を背負った生き物なのかもしれない...

 

世界に真の平和が訪れた後の世界ではその後どの様に物語が紡がれてゆくのか...それは彼らクリスタルキャラバン達が決める事である。

 

終わり

 

 

*1:以下 FFCC、リマスターエディション版を指す場合リマスター版と呼称する

*2:それでもスクエニスクウェアサイドはPlayStationの主力ソフトとして今のFFを提供するソニーとの関係性という立場上の事情もある為、任天堂にはDS版FF3や4、WiiウェアのFF4THE AFTERや過去作FFのVC移植など、ナンバリングに関してはFF1~FF6までのFFをメインとしたFC、SFCユーザーに懐かしさを提供した控えめで物静かな売り方がメインとなっていたため本当の雪解けと言えるのはスマブラforクラウドが参戦して以降からだと思っている(個人の見解です)

ちなみに任天堂向けに出したFFで個人的に最高傑作だと思うFFはシアトリズムファイナルファンタジーシリーズ

*3:この時の裏話としてスクエニ元社長の和田洋一氏がnoteに当時のFFCCの開発経緯と当時のスクエニにとってFFCCというゲームがどういう存在だったのか?について語っているので興味のある人は調べて読んでみよう

*4:かつてFFCCを大いに楽しんでいたフォロワーさんからは「FFCCが人生初プレイなのは凄く羨ましいです」と言われ、かなり驚いた

*5:残念ながら2番はゲーム内では聴く事が出来ないがサウンドトラックCDでは視聴可能、オマケにキーは当時と同じ様に全く下げずに歌ったらしく、Yaeさんの歌唱力の凄さが表れている。ちなみにエンディングの星月夜も新録

*6:分かりやすく言うと某有名ゾンビホラーゲームのあの記録を彷彿とさせる結末となる為にデ・ナムのイベントは屈指の鬱イベントとして語られている

*7:もちろん全てのサブイベントが鬱的なものではなく、しましま盗賊団との小競り合い的な街道イベントや詐欺師ガーディを巡るイベント、いなかパンと世界のモデルケースについてなど、クスッと笑えてシュールなイベントも多いのでそういう所もまた人気の部分になっている

*8:それでもオートセーブ機能が付いた事でボスを撃破した後の精算画面で目当てのアーティファクトや素材アイテムが出なかった時はリセマラをして吟味する事ができるようになっているのでGC版のように最初からやり直しという苦労をしなくて良いのは改善点ではあるが

*9:おまけにゲームクリア後の隠しボス的なものもいないのでますますクリア後のFFCCでこれ以上の育成をするのは自己満でやるという事実に天秤が傾いてしまう

*10:余談だが、最初から周回プレイを前提としたゲームデザインではないもの...例えばクリアしたらそこで完結するFF7や8などをもう一度最初からやり直してプレイした事はある。それこそ周回プレイじゃないかと思われるが、その頃は昔のゲームクリアを本当の意味で極めてクリアした訳では無かったから最初からやり直してやれた部分もあるし、最初からやり直す事で極めてからクリアするという大きな目標を掲げた事で周回をする事にも大きな意味を見出していたからできたのもある。大きな目標が成し得る訳では無いほぼ無意味に近いロールプレイは好みではないのだろう