ポッポ屋日記

日記的なブログにしたいです

【ご報告】四半世紀を生きました

 

 

皆様こんにちは、ニホンバトです

遅れての報告となってしまいましたが、私ニホンバトは2022年7月14日を持って25歳になりました事をご報告します。

25年…つまり四半世紀を生きてきたわけですか…今日を迎えるまでの間に色々な事がありました。特にここ2~3年は濃密な期間だったような気もしていますが、今こうして振り返ってみると、あっという間にも感じられる期間だったなぁ…とも思えました。

 

周りからは"まだ"25歳とも言われたりしますが、僕にとっては"もう"25歳だと考えてます。

高校を卒業して、社会に出て、20歳を超えてからの日々は本当にあっという間だと感じられるぐらい時の流れが早く感じるんですよね。

今の世の中の社会情勢や世界の流れを見ていたりすると、正直なところ、現代の若者でもある僕たちの将来に明るい未来が待っているとはとても思えません。だからという訳ではないのですが僕は先々の事、自分の将来の事を見据えて努力をしているだとか、そんな高尚な生き方はしてません。

ほんの少し先の未来にご褒美や楽しみを作っておく事で今を生きるためのモチベーションを維持し続け、当日に受けた褒美で生き甲斐を感じ、今を生きている事を実感する…そして生の享受を受けるまでのその間にほんのまた少し先の未来に別の生き甲斐のゴールポストを立てて、そこに向かって再び努力をしていく…今の僕はそんな事の繰り返しで今を生きていると言えますでしょう。

 

僕には人生の目標だとか、将来の夢だとか、そういう確固たる意思や崇高な目標というものを持った事がないし、そういう夢がないもんですから当然「自分は何のために生きているんだろう…?」と時々思う事があります。

人は何のために生き、人間という生物としての一生を何のために全うしているのか?明確な答えを持って日々を生きている人なんて多分ほんのひと握りの人しか居ないだろうし、僕も当然何のために生きているのかなんて考えた事もなかったからただ惰性で平凡な日々を繰り返しながら生きてきただけでした。

でも僕は自分の原点というものを振り返ってみた時に、ゲームが好きである事、FFが好きである事を思い出しました。

僕の人生には常にゲームという存在があって、FFという存在があって、それらは自分の人生と共に步み、楽しみ続けてきました。特にFFは僕が物心ついた時から既に存在していたもので、それらにはずっと触れ続けてきた。時にはレトロな作品でその当時のユーザーが体験した気持ちを味わい、時にはナンバリングタイトルのミュージックを聴く事でその作品の情景やストーリーに思いを馳せては心に染み渡らせて来ました。

今では当たり前のようにFFの事を追い続け、FFに関する新しい話題を模索しては一喜一憂する…FFに対する関心や興味はいつまでも尽きる事なく、追いかけ続け、楽しみ続ける…

 

気付けば僕は自分の人生レベル25にしてやっと人生のちょっとした目標ができてました。

 

それは「歳をとってもゲームを楽しみ続ける事」

そして「FFを永遠に愛し続ける事」です

 

僕が定める生き甲斐のゴールポストはその殆どがゲームに関する事です。僕の人生は常にゲームと共にあり、ゲームという存在が必要不可欠になっていました。モチベーションを維持する為の目標であるゲームの為に僕は何度も努力を重ねてきた。

だから僕はこれから先、何度も歳をとっておっさんになったとしても、ジジイになったとしても、子供の頃のような気持ちでずっと永遠にゲームを楽しみ続けたい。そしてFFという作品を一生愛し続けたい。いや愛し続ける。

当たり前過ぎて見えてこなかったのですが、僕はゲームとFFのために今を生きている。そしてその気持ちが一生揺らぐ事は無い。根拠もないですが、不思議とそう思えるんですよね。だからこれから先の僕はゲームとFFという存在のために生きていこうかと考えてます。そうすれば、あらゆる苦しみだって乗り越えられそうな気もするし、実際過去に何度も乗り越えてきましたからね。

 

そして25年という節目を迎えるにあたって、僕は今年の誕生日は豪華にしようと考えていました。25であればギリ食べられるかなと思い、ホールケーキを予約してみたり、スクエニカフェでFF7の生誕25周年と共にお祝いをしてみたり…その前には急遽友達の誘いで千葉に行く事にもなったし、今年の誕生日はまさにとても豪華な誕生日となりました。

誕生日祝いのメッセージも今年も皆様から多く頂けましたし、素敵な形でお祝いしてくれた方もいました。

そして友人からバースデーカードを頂いた事でとても心が暖かくなりました。365日のうちのたった1日、何の変哲もない日がその日だけは特別なものに変わる…誕生日ってのは素晴らしい日ですね。

 

その日は最後の最後まで本当に素敵な一日でした

皆様本当にありがとうございました!

 

誕生日当日にスクエニカフェに行った話はレポート記事として別日に投稿します!

 

これから先のニホンバトを皆様どうかよろしくお願い致します!🙏

 

【2022年7月16日 ニホンバト】

 

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劇場版 からかい上手の高木さんを観に行きました

 

皆さんこんにちは、ニホンバトです!

今年の夏、皆さんはどうお過ごしになる予定ですか?僕は今年の8月のメインイベントとして据えているFINAL FANTASY 35周年記念オーケストラコンサートの「Distant Worlds」の開催日が近付いている事に興奮し過ぎて、今にも心が爆発しそうなレベルでヤバいです()

オマケにFF7の生誕25周年を記念したARTNIA、スクエニカフェとの合同コラボカフェイベントが開催される事が決定したのを受け、予定には無かったのですが、7月の誕生日の日にスクエニカフェでの来店予約を入れたので、今年の誕生日は今までにない豪勢な誕生日にしようと、生まれてから四半世紀を迎えるその日を同じく四半世紀を迎えるFF7と共にお祝いしようという事になったので、それもめちゃくちゃ楽しみ過ぎてしょうがないという状況になっています。

そんなわけで今年の6月は徹底的な節約月とする事を心に決めており、生活必需品の買い物以外での無駄なお金の消費(帰りに自分へのご褒美としてちょっとした外食やファストフードを食べる、余暇として銭湯を楽しむ等)は極力しないようにしようと色々と努力をしてきました。

そのおかげで今月の半月を迎える頃には消費金額を3000円未満に抑える事に成功しており、「あ、自分は節約やろうと思えばちゃんとできるんだな…」という事を改めて実感した事になりました。しかし、いくら節約節制を心がけると言ってもその月々を生きるのにちょっとした贅沢やご褒美がないとやはり僕は生きていけません。

なので今日はずっと前から楽しみにしていた「からかい上手の高木さん」の劇場版を観に行く事にしました。

 

f:id:Gameslifeisff:20220614190658j:image(左)劇場版パンフレット (右)入場特典グッズ第1弾「からかい上手の高木さん 映画巻」

 

僕と高木さんという作品について

今回の映画の事を語る前に僕と高木さんという作品について軽く説明したいと思います。この段階ではまだ映画のネタバレはしませんので安心してください✋😎

からかい上手の高木さんという作品は月刊少年サンデー(通称 ゲッサン)での読み切りを経て2016年8月号から定期連載を開始、隣の席の女の子の高木さんを何度もからかおうとする西片と、その企みを上回る鮮やかな戦略と知恵で西片をからかい返す高木さんという2人の等身大の少年少女の日常を描いた青春ラブコメディで、その純粋でピュアに溢れた内容と世界観が数多くの読者の心を鷲掴みにし、その後2018年のアニメ化を経て人気が一気にうなぎ登りとなり、大人気となったのはもはや言うまでもない過去の話…

今や単行本の累計発行部数は1100万部を突破し、〇〇さん系作品の先駆け、あるいは礎とまで呼ばれるようになったんだとか。

僕が高木さんという作品と出会ったのはちょうど5年前、2017年の夏で一番最初にpixivコミックで原作の高木さんの第1話を試し読みしたのが始まりでした。一言で言うなら僕にとってこの作品は「僕に尊いという感情を初めて覚えさせた衝撃の一作」です。それまで僕はラブコメ作品というものを読んだことがなく、そもそもその当時はコロコロを高校生で卒業して以来漫画を読んだ事がなかったレベルで漫画を読んで来なかったので、ひたすらにピュアで尊さに溢れている高木さんという原作漫画の内容に雷で撃たれたような衝撃を覚えた僕はあまりの尊さにドハマりし、夢中になりました。

どれぐらいドハマりしたのかと言うと、その当時LASTBOSSという名で二次創作小説を作ってしまうほど本当にドハマりしていたぐらいのレベルでして、その当時(2017年8月時点)ではpixivに投稿された高木さんの二次創作小説は5作品ぐらいしかないぐらい過疎ってたのでかなり寂しかった事をよく覚えています(笑)

この作品のおかげで僕は様々な高木さんファンの方達との出会いと交流を楽しむ事が出来、その中には今でも繋がりを持つ良き友人になる事ができた人もいました。しかし、最初はえげつないまでのパッションに溢れていた僕の中の高木さん愛も時が経つにつれてだんだんと萎むように落ちて行き、高木さんファンとしての活動を続けていく中で、良くも悪くも色んな事があったおかげで一時的に高木さんという作品から自分を遠ざけていた期間もありました。

しかし何だかんだ言いながらも高木さんのアニメ2期、3期は当たり前のように見ていたし、pixivの二次創作に至っては今でも色んな人の手で造られた高木さんを毎日検索して見てしまうぐらい、高木さんという作品と自分は常に関わっており、そして今や劇場版作品をわざわざ東京まで出向いて観に行ってしまう。何気に5年間も同じ作品との関わりや繋がりをずっと持ち続けているのって実は凄い事なのでは?と思うと同時に、「自分はやっぱり高木さんという作品が好きなんだなぁ…」と、しみじみ思う事もありました。

 

というわけでここから先は高木さんの劇場版アニメを見たその感想を述べていきたいと思います!

当然ながらここから先は映画内容のネタバレを存分に含めているのでまだ未視聴の方はこの先を見ない事を強くオススメします既に鑑賞済みの方、ネタバレしてもOKの方は自己責任で閲覧する事をお願い致します🙏

 

それではどうぞ↓↓↓

 

この作品は「一夏の間に描かれた愛の軌跡」

劇場版からかい上手の高木さんは2022年の1月〜3月に放送されたアニメシリーズ第3期の最終回のその後の時間軸で描かれた作品内容になっています。

物語としてはいつもの通りにからかい、からかわれる日常を過ごす高木さんと西片が"中学生最後の夏"を過ごす間に高木さんと一緒に虫送り*1をしたり、神社の境内で見つけた白い子猫の「ハナ」を巡って2人の青春が描かれ、3人娘の群像劇も入った青春映画で、終盤からラストシーンに掛けての描写はまさにこれまでずっと高木さんのファンが見たかったであろう理想のシーンであると同時に、逆にこの時が来て欲しくなかった…!という思いを感じる人もいたであろう、最高のラストを迎える事でこの映画は完結を迎えました。

この映画の事を語る前に何より大前提として覚えておいて欲しいのは、高木さんというアニメはシーズンを迎える毎に2人の心の距離感がだんだん近付いて来ており、更に西片の恋愛に絡めた周りからの言動に対する姿勢や西片自身の向き合い方が大きく変わったという事です。原作ではつい最近までずっとサザエさん時空で描かれていた事で時間の経過を感じさせない"永遠の日常"を描いていた原作本編ではありますが、アニメでは原作との差異を見せるためにアニメ内での時間の経過とそれに伴うキャラクターの心の成長、変化というオリジナル要素を取り入れたことによって、全体を通した物語にストーリー性という弾みを付けているのがアニメならではの魅力となっており、今回の映画ではそれを踏まえた上での作品であるという事を知ってもらえればこの映画をより楽しく、そして尊いという気持ちを倍増させて見る事が出来ると思います。

つまり何が言いたいのかと言うと「高木さんファンなら300%は絶対に満足するであろう作品」だということです。

 

劇場版でも高木さんと西片のからかい、からかわれの関係性が未だに続き、描かれているのは確かなのですが、アニメ1期ではまだお互いをからかいのライバル的存在として(少なくとも西片の中ではその時点では確実に今よりも高木さんを好敵手として認識していたのは間違いない)見ていたであろう描写が強く、また演出もからかいによるコミカルさが強調されがちだったのに比べると、劇場版では2人の心の距離感が一気に近付いた事により、お互いの存在を強く意識し、互いの事を思いやる素振りや行動を自然と見せている事が多くあり、特に西片君の高木さんとの向き合い方が確実に変化しているがアニメ1期との大きな違いで、それが最終的にはあの告白に繋がったという事を考えると本当に大人になったんだなぁ…と、親心のような目線で2人の様子をしみじみと見る事が出来ました(笑)

具体的に言えば西片が高木さんの蛍を見に行きたいという希望を叶えるために恥ずかしさを覚えながらも自分から高木さんを虫送りに誘ったり、その後蛍を見つけられなかった事に対して申し訳なさそうに高木さんに謝ったり、ハナとの日常を過ごす中で高木さんが「ハナ〜西片は私に会いたくないんだって〜」と言うとすかさず「そういう訳じゃないよ!」と否定したり、高木さんが里親としてハナを飼える事が確定した矢先、他の親子にハナを見つけられてしまい、自分たちの元を離れそうになった時、先に里親になる事が決まったばかりだった高木さんの事を思って飛び出しそうになったり*2と、西片はただただ純粋に高木さんの事を想って言動や行動を取る事が確実に、そしてハッキリと描写されるようになった。

そして終盤の陽が沈む中、絶望に打ちひしがれながら里親募集のポスターを剥がしていた時、ハナの幸せを願う心と大切な存在を奪われてしまった喪失感が同時に混濁し、感情が昂って思わず泣き出してしまう高木さんに対する西片の一世一代の告白シーン…

これは決して突発的なものではなく、ハナと共に高木さんと一緒の時間を過ごしていた中でまだ確定的ではなかった自分の中の高木さんに対する想いが強く固められるようになっていき、大切な物を失って空いてしまった高木さんの心の穴を自分が埋めてあげたい…とあの瞬間、西片の中では決意し、最大限の勇気を振り絞って高木さんに告白をした。

その全てが自分のためではなく、高木さんの事を想っての純粋な行動であるから高木さんは本当に幸せ者だし、こうやってようやく付き合う事になったんだなと思うとファンとしてはとても納得のできるシーンだった。

 

そしてこの作品の終わりと西片の確実な成長を決定付けたのはラストシーン

私も西片の事、幸せにするね」という高木さんからの告白的なセリフに西片は「うん」と回答した。

からかい上手高木さんという作品がハッピーエンドに終わった事と西片が確実に大人になる事が出来たことが決定的になった瞬間で、僕はこの時「良かった〜!最高の終わり方で!」と喜ぶ気持ちと「あぁ…でもこれでもう高木さんという作品の続きは見れなくなるんだな…」と思う残念な気持ち、「でも本当に幸せそうで良かった」と、微笑ましく思う気持ち等、様々な感情と気持ちが入り交じり、僕は劇場を後にした。

 

薄々、高木さんのアニメはこの映画で完結するんじゃないかと思ってはいた。けど心のどこかでは完結して欲しくないと思う気持ちも無いわけではない。それでも完結をする時はする。完結作品としてこんなに綺麗な終わり方をした作品はアニメ作品全体を通してもそうそうないはずで、これがラストでも全員が納得することのできる最高の作品だった

この作品は3シーズンに渡って描写された高木さんと西片君の心の距離感と西片の成長、そんな2人が最後には結ばれるまでの「一夏の間に描かれた愛の軌跡」僕にとってはそんな作品でした。

 

小豆島の原風景や3人娘の顛末にも注目

高木さんという作品は原作者の山本崇一朗先生の出身地が香川県の小豆島ということもあって、アニメではハッキリと小豆島が作中の舞台だと明言されている。そのおかげなのか高木さんはシーズンを追う毎に小豆島を象徴する原風景が多く描写されるようになり、今回の劇場版では最も多くの小豆島要素が描写される事になった。

序盤に登場した虫送りの伝統行事やそれを行うために訪れた棚田、OP中で描かれる様々な小豆島の名所等、様々な小豆島の原風景が描かれている。それは小豆島が高木さんの聖地であるという認識が地元島民の人にも認識されるようになり、いつしか高木さんという作品の存在を認めるようになった事から小豆島の全面協力を得られるようになったその上でのことなのだろう。

そう考えると高木さん達が住んでいるこの小豆島は誰もが憧れるのどかな田舎風景としては本当に理想的とも言える環境で、この島の綺麗さやそこから感じるノスタルジーでセンチメンタルな感情を揺さぶられる作品にもなっている事だろう。実際、聖地巡礼として小豆島をはるばる遠くから訪れるファンも多く、僕も友人といつか小豆島に泊まりに行こうと約束した程である(未だに実現してはいないが)

それから今回の劇場版では高木さんと西片君のお話がメインになっているが、同時に三人娘の将来に関する期待と不安が描写された群像劇も注目ポイントである。中学3年を迎えたその先に待っているのは卒業と入学という出会いと別れの年、特に中学から高校にかけては慣れ親しんだ友人との別れを多く経験した人も居るであろう事から、高木さん達の間でも別れに対する不安感を持つのは必然の事で、今回その描写を担うキーキャラクターとなっているのはサナエちゃんである。

いつも天真爛漫なムードメーカーとして明るく振舞っているミナが小豆島のフェリーの港で一夏の間にやりたい事を終わらせたら別れが来てしまうかもしれないとして、終わらせたくないと泣き出すシーンには僕もそんな事があったなぁ…なんて思いを馳せる事もありながら、ちゃんと大人に近付いているんだと言うことを実感させ、向き合わなくてはならないとしながらも、やはりどこか寂しさを感じずにはいられない。そんなもどかしい気持ちが上手いこと表現されていてとても良かった。もちろん最後はハッピーに終わることが確定してるので三人娘の顛末もハッピーに終わる。僕は心の中で思わず「良かったね…良かったねぇ…!」とほっとせずにはいられなかった(笑)

 

難点があるとすれば

唯一この映画に対する難点があるとすれば高木さんの作画が安定していない事と、終盤の西片の告白シーンの時の西片が「誰!!?」というレベルで顔が別人になっているということぐらいだろうか(笑)

描写に対する不自然感というのも1箇所ほどあったりはしたが、そこは省くとしてやはり懸念されているのは作画が安定しないといったところだろうか、高木さんはとりわけ描くのが難しいキャラクターとなっている。おでこが広くて前髪での誤魔化しが効かない分、目の大きさやパーツの等間隔のさじ加減ひとつで高木さんの顔が綺麗にもブサイクにも描かれるぐらい高木さんの顔はバランスを取って描くのが難しいとされている。故に色んな人が原画を描くその分高木さんの顔のバランスが安定しないのはある意味致し方ないところではある。

そして西片の告白シーンについては、ごめんなさい。正直なことを言うと西片君の顔が普段の顔と違いすぎて「え、誰!!?」と第一に思ってしまい、肝心の告白セリフがあまり耳に入らなかったという致命的なミスをしてしまったというのがあります。

いや本当に別人ってレベルで西片君の顔が違うんですよ!特に目!あれ?君目そんなに小っさかったっけ!!?って思うぐらい西片の顔が違ったので僕の意識がそっちに集中してしまい、肝心の西片の一世一代の告白セリフがあまりよく聞こえませんでした(笑)

アレについては多分賛否両論だろうなぁ〜とは思いつつも、僕としては高木さんの視点から見えた西片君の顔はこんなイケメンに見えてたんだろうという謎の脳内補正をしていたので最初驚きはしましたが、後から考えるとそこまで気にならない部分ではありました。しかしやはりパッと見の顔の印象が全然違うので初見は驚く事間違いないし、下手すれば「こんなの西片じゃない!」って思う人も出てきてしまうかもしれません。

 

まぁでも不満点に関しては作画という技術的問題に留まるだけであって、相変わらずストーリー内容に対する不満がほぼないのは凄いところですね。あ、あと今回は高木さんと西片君の2人のゴールインを主に描くことにしたからなのか他のクラスメイトの登場描写があまりなかったのが寂しかったところですねぇ。

特に真野&中井ペアや、浜口&北条さんの4人にはもっと登場して欲しかったですねぇ、特に北条さんなんて浜口の回想のワンシーンでしか登場しませんでしたからかなり寂しい。何故ここで留学なんだ!もっと浜口と青春を送ったっていいじゃないか!とは思ったものの、北条さんはかなり成績優秀な人なので海外留学の話があってもおかしくはないかな、とも思うし、入場特典の映画巻の山本先生の一問一答のとある質問での回答を見て、これは納得せざるを得ないなととも思えました(笑)

 

高木さんという作品はとある島の少年少女がごく平凡な日常を送る中で紡がれるラブコメという事もあって、大勢のクラスの中で存在する2人だけの時間と空間が強調して描かれ、そこに横槍を入れられるような隙は存在しない。高木さんという作品はそういった現実世界では起こり得るであろう障害や横恋慕といった負の要素を徹底的に排除されている事から、読者は完全な安心感を持って2人の世界を覗き見るようにこの作品を読む事が出来る。完全無欠な2人だけで展開される世界であり、(元)高木さんで2人が結婚し、愛娘を授かる事になるのも確定している。

つまり幸せな未来しか待っていない事が決まっているラブコメでありながら、そんな2人の青春時代をずっと覗き見ていたいと思わせられる高木さんという作品は本当に凄い作品なんだなぁ…というのが見て取れる。

ファンはそんな2人が過ごす幸せしかない日常をずっと見ていたいと強く思う人が数多く存在している。漫画のような甘い青春を送る事が出来なかった自分との対比をし、その時過ごせなかった青春時代を過ごしてくれている高木さんと西片君の2人の恋を応援する事が出来る。

だからこそ高木さんという作品はここまで人気になったのかもしれない

 

アニメ4期から先はファンが「永遠の日常を望むかどうか」

高木さんのアニメは1期、2期、3期を経て劇場版で告白エンドを迎えた。正直僕としては高木さん人気の恩恵にあやかろうと、スタッフがわざと劇場版の内容をto be continuedエンドにして続編希望を煽ってしまうのでは?といった一抹の不安も持ってはいたのだが、蓋を開けてみると全然そんな事はなく、寧ろしっかりと丁寧にTVアニメで2人の心の距離感を詰めて最高のお膳立てを施した上で、劇場版で最高の料理をファンに提供するフルコースの極みの様な作品となった

個人的な事を言うと、しっかりと綺麗な終わり方をしてくれて本当に良かったと思う。これ以上の続編を望むことは想像以上に高いハードルを乗り越えなくてはならなくなるし、一度完結したはずのものの続編という事でファンの間でも間延び感やダレるといった現象が起きる可能性が高くなったのは確実だ。

少なくとも高木さんという作品に於いても"付き合うまでの過程を楽しんでいた"人もいた事は確かだろうし、付き合い始めた後の物語と言っても思った以上のドキドキ感を得られなくなる可能性だって大いにある。けど僕としては付き合っている最中での純粋にイチャイチャしている2人も見てみたい!と思う気持ちも確かにあるし、何より主演の声優さん2人がその先の続編をやりたい!と強く希望している事が本当に珍しいながらも希望的観測要素にもなる。

 

あとの問題はファンがこの先、仮の話として4期が決まった時に描かれるであろう「永遠の日常」を望むかどうかに強く掛かっていると思われる。高木さんという作品が3シーズン、そして劇場版の公開を迎える事ができたのは何よりファンの応援の力や支えがあっての事だと思う。

だからこそ高木さんのファンがこの先の2人の日常風景をずっと見ていたい!と望むのであれば、自ずとアニメスタッフにもその声は届いて本腰を上げてくれる可能性はあるだろう。もしかしたら主演2人が見たかった修学旅行編が長尺のOVAとして描かれるかもしれないし、一気に時空を飛ばして(元)高木さんのスピンオフアニメとして展開される事だってあるかもしれない。

 

全てはファンがこの先の更なる展開、EXステージを望んでいるかどうかに掛かっている

とはいえ、2人の日常にはからかいという要素は必要不可欠なのでトニカクカワイイの様にお互いの好きのパワー全開のゲロ甘描写をする事は多分難しいだろうし、何より付き合う前と後とでは、高木さんのからかいに対する西片の認識の違いからその意味合いが大きく変わる事になる。高木さんのからかいを好意的に受け止める事も多くなるであろう西片が、それこそ最初の1期のように勝負にこだわって高木さんをからかい落とそうという事が一切なくなるわけである。その前提であったとしても間延び感やダレを感じること無く同じように盛り上がる事ができるのかどうか…

 

それは実際に4期を迎えてみないと分からない事、今はただ劇場版の余韻に浸り、静観する事に励むだけだと思う。

 

とにかく本当に良い映画でした!

 

終わりに

出会いから約5年間、ずっと追いかけ続けていたからかい上手の高木さんという作品のある一種の完結。それを僕は見届ける事ができて本当に良かったです。高木さんの原作漫画はこれからも続きますが、僕はこれから先もずっと高木さんという作品に対する興味を無くす事はもう無いでしょう。

これからもpixivで他の方が生み出した世界線の高木さん作品を見続けるでしょうし、細々とではありますが原作漫画も取り戻していく予定です。

 

最後に一言

ここまでずっと高木さんのために走り続けてくれた演者の皆さん、アニメスタッフや監督の皆さん、そして我々ファンも共に高木さんという作品の事を常に考え、盛り上げる事ができた事を本当に誇りに思うし、本当に素晴らしい作品でした!

これからも高木さんライフは永遠に続く事でしょう!

 

ここまで読んでくれて本当にありがとうございました!それではまた別の記事でお会いしましょう!ではまた!

 

 

 

 

 

*1:高木さんの作品の舞台となっている小豆島の中山地区で300年前から行われていた豊作を願う為の伝統行事で、今回の映画でも序盤から登場しており、虫送りをする前には高木さんが真野ちゃんから聞いた蛍の伝説を信じて西片と蛍を見に行きたいと言ったり、今までずっと高木さんに対してからかいの好敵手として対抗意識を燃やしたり、異性として意識する事に対して狼狽したりもしていた西片が高木さんの願いに応える為に自分から進んで高木さんを虫送りに誘う事が出来たり…といった2人の成長描写が描かれており、更にはED後のラストシーンを描く伏線が張られていたりと、かなり重要なシーンとなっている。

*2:その直後高木さんは親子の猫に対する思いを汲み取って西片の腕を掴んで制止したが

FF35周年記念オーケストラコンサートの先行抽選販売に当選しました!

 

こんにちは!ニホンバトです。

早速になるのですが、私ニホンバトは2022年8月6日と7日に開催される予定のFINAL FANTASY 35th Anniversary Distant Worlds: music from FINAL FANTASY Coral」のチケット先行抽選販売に当選しました事を報告します!

いや本当に信じられないです…今回のオケコンの抽選販売は「当てる!」と強気に豪語して狙ってはいたものの、実際本当に当たるかどうかなんて分からないし、正直不安に思う気持ちが強くありました。この抽選に外れてしまったらどうしよう…万が一外れたらどうやってこのメンタルを立て直せば良いんだ…と先々の事での不安が募ると同時に、当たるか当たらないかが分かる一世一代の瞬間が訪れる日が刻々と近付いている事にドキドキが止まらなかった日々でもありました…!

結果として先行抽選販売には見事に当選、僕はFINAL FANTASYのオーケストラコンサートイベントを楽しめる権利を得る事が出来ました…!本当に感動しかなかったです😭

 

Distant Worlds」とは?

Distant Worldsとはスクウェア・エニックスFINAL FANTASYシリーズ20周年にあたる2007年から開催しているFINAL FANTASYの音楽を専門としたオーケストラコンサートツアーであり、日本だけでなく世界中の劇場や音楽ホールで開催されている事から、ゲーム音楽としての一面、そして「FFの音楽」を専門に扱ったオーケストラツアーとしても歴史にその名を残しています。

FFのオーケストライベント自体はそれ以前からも名前を変えて定期的に開催してはいたのですが、正式なオケコンツアーとしての名称が統一されたのはDistant Worldsが初の事で、それから数年おきに世界中のあらゆる都市でコンサートを開催、世界中のFFファンの耳に幸せと感動を与えてきました。

最後にDistant Worldsとして開催したオケコンは5年前の2017年、FF生誕30周年の記念年でした。僕はこのFF35周年オケコンに対して個人的に並々ならぬ思いを持って応募に臨んでいました。

 

思い出されるのは2年前の11月…先行抽選販売に応募して翌12月に当選、歓喜をもって喜んだものの、その後の東京都の爆発的なコロナ感染拡大によって有観客での開催が中止となってしまったFF7リメイク オーケストラコンサートツアーの東京公演…*1あの頃の僕は実家での騒動があって傷心状態でした。そんな僕にとってFF7リメイクオケコンの東京公演の抽選販売の当選は僕にとっての生きる希望であり、人生で最大級の楽しみでもあるイベントでした。だけどこの時から既にコロナは世界中に猛威を振るっており、東京都でも正月を超えてからの爆発的なコロナ感染者の拡大を受けて、そもそも開催できるのかどうかさえ危うい状況でもありました。

元々FF7Rオケコンは2020年の6月にアメリカロサンゼルスを皮切りに世界中の都市で開催され、東京公演はオケコンツアーのラストを締める最後の都市となる予定でした。しかしそれもコロナの感染拡大によって海外公演は中止、または先の見えない延期に追いやられ、東京公演がスタートするまでは一つの公演も始める事が出来ないまま、延期を重ねて繰り返していました

結果的に本来ラストを締めるはずだった東京公演が逆にワールドツアーのスタートとなる皮切りになるという皮肉になってしまい、それ以降情報は追っていないので海外公演が開催できたのかどうかは分からないです。ただ一つ言えることがあるとすれば、美しいオーケストラによる生演奏でFF7リメイクの音楽を楽しみたい!という思いで東京公演の先行抽選販売に応募して見事当てる事のできた人は、間違いなく悔し涙を飲む事になってしまっただろうな…と、今更思っても仕方の無い事なのですがFF7リメイクオケコンの悔しさを知る僕からすれば今回のFF35周年記念オケコンに対しては何がなんでも行きたい!!!というより強い思いを持つ事になったのです。

その時の自分の身に置かれた状況とその当時の気持ちを綴った記事がありますのでもしよろしければ読んでくださるとありがたいです☺️↓

幻に終わったFF7R オーケストラコンサート - ポッポ屋日記

 

FF35周年オケコンの見どころ

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今回のFF35周年記念のオケコンはそれまで開催されたオーケストラコンサートとは訳が違う。なんたってFINAL FANTASYの35周年を祝った特別なオケコンなのである。35年分の歴史が詰まった歴代FFの名曲の中からどれを観客達に聴いてもらいたいのかを厳選し、一流の交響楽団、一流の指揮者、一流のソリスト、一流の会場、全てを最高の演者達にセットアップしてもらい、最高の音楽を創り出す…Distant Worldsは数あるスクエニの音楽イベントの中で指折りの豪華音楽イベントではないか?と僕は個人的にそう思っています。

そんな豪華絢爛の音楽イベント僕が行きたくない訳が無い!なのでFF35周年オケコンの開催決定と同時にチケットの先行抽選販売の受付が始まったその日、即座に抽選販売に応募しました。この時の僕は抽選販売に当たるかどうか、正直自信がありませんでした。

何故なら以前応募したFF7リメイクのオケコンがFF7リメイクのみを対象としている事で応募に参加するであろうファンの数もある程度は絞られる事によって当選確率も高かったかと思われます。しかしDistant Worldsでは全てのFFが選曲対象としている事から応募に参加するであろうファンの数が一気に幅広くなります。FFというゲームシリーズはナンバリングの数だけ分厚いファン層が色濃く分かれており、"特定の作品のみのファン"という人も多くいるのがこのゲームの特徴です。昔ながらのFFが好きな人もいれば、現代的な次世代のFFが好きな人もいる。僕みたいにほぼ全てのナンバリング作品のFFを楽しみ、そのほぼ全てが好きだと言うファンはそんなに居ない事でしょう。だけど自分の大好きなナンバリングFFの名曲がオーケストラの生演奏で演奏されるともなればそれだけでも行きたい!という動機には繋がります。だからこそ今回のDistant Worldsのオケコンは恐らくFF7リメイクのオケコンよりも圧倒的に応募数が高く、倍率も高かった事でしょう

しかも事前情報として出されたものとして植松伸夫さんの出演が確定、更にソリストでの出演としてFF9の名曲「Melodies Of Life」を歌う白鳥英美子さん、FF10の主題歌「素敵だね」を歌うRIKKIさんの出演も確定、会場で生ノビヨ師匠に会えるだけでなく、オーケストラによる生演奏、御本人の生歌唱によるMelodies Of Lifeや素敵だねが聴けるというそれだけでもこのコンサートには行く価値が十分過ぎる程あり、応募者も圧倒的多数になるのもますます頷けてしまう。

だからこそ今回の抽選販売の結果には自信が無かった…けれど絶対に行ってやる!という想いの強さだけはめちゃくちゃありました。なんなら自分に発破をかけて行ける!と自信過剰気味になっていた部分もあったほどです(笑)

これまでの僕の人生、親元を離れて以降から圧倒的に運が良くなった。十分過ぎる程搾り取られてしまった運の残りカスを更に搾り取るかのような想いで僕はこの先行抽選販売に応募し、そして…

 

見事に当選を勝ち取りました

 

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抽選販売の当落結果が発表となる5月19日のこの日は仕事で、当選した人には午後の3時以降メールで通知される事になっていました。僕はその日の3時以降メールを見るか見ないかでめちゃくちゃ悩んでいました。3時以降にメールを見ることによって当落の結果が分かってしまう。良くも悪くも感情が大きく揺さぶられる事によって残り2時間半の仕事に身が入らなくなってしまう恐れがあったからです。

しかしその日はたまたま休憩時間の関係で3時以降も携帯を見るチャンスがあったので結果を待つことにしました。そして流れてきたあの当選通知メール…この時心の中ではうおおおおぉぉぉぉぉ!!!!!!と喜びを大爆発させていました。仕事中もずっとニヤケ顔が止まらず、この時の僕はめちゃくちゃ気持ち悪い顔をしていた事でしょう(笑)

以前のオケコンに行けなかった悔しさを知っているからこそ、今回のオケコンに行けるという事実が本当に信じられないと思うと同時に喜びもひとしおでした。今回の当選によって僕が今年の夏を生きる為の最高のモチベーションが出来上がりましたし、今回は公式が中止にしない限りは絶対に行こうと強く決意しているので8月を迎えるまでの間は節制と感染予防を徹底的に務めながら生きていこうと思います。

 

これが人生で初めてのオーケストラコンサート、そして人生で初めて体感するファイナルファンタジーのリアルイベント…残り2ヶ月ちょっと後、僕がキョードー東京の地に立ち、大好きで大好きでしょうがないFFの豪華音楽イベントを体感した時、僕はどんな感情を抱き、どんな気持ちにさせられるのか…自分でも全く想像も出来ないですが、その日が来るまでを今か今かと待ち侘びて行こうと思います。

 

8月を迎えるその日まで、同じくFF35周年オケコンに行ける皆さんも楽しみにしておきましょう!

 

ここまで読んで下さりありがとうございました☺️

 

 

 

*1:ちなみにFF7リメイクオケコンの東京公演は最終的にはオンライン公演という形でニコニコの有料生放送として公演されることになった…が、この時の僕はオンラインではオケコンの素晴らしさを味わう事なんて出来ないという理由でニコニコ生放送でのオケコンは視聴する事をしなかった。

2年振りの秩父に思いを馳せて…入間〜西武秩父往復100キロの自転車旅

 

突然の話ではあるのですが4月8日の金曜、僕は秩父の地に2年振りの来訪を果たしました。

最後に行ったのは2年前の2月に三峯神社を参拝する為に早朝から電車に乗って奥秩父まで行ったあの日以来…*1本当はもっと早く行きたかったのですが、コロナという脅威がお出かけをしたい、旅をしたいという気持ちにストップを掛けてしまい、いざ行こうと思ったら、そのタイミングで運悪く埼玉のコロナ感染者数が増大したりと、不運に見舞われる事も少なくはありませんでした。そんなこんなで行きたいと思う気持ちの踏ん切りがつかないうちに、あれよあれよと時が過ぎ、気が付けば秩父に行かなくなってから早2年…

ここで僕の秩父に行きたいという思いは爆発しました

 

そうだ、秩父に行こう…と

 

僕と秩父について

そもそも何故僕が秩父という地にそこまでの強い思いがあるのかと言うと、僕にとって秩父は「特別な場所」だからです。

というのも初めて秩父に訪れたのが2014年の僕が高校生の頃、父が亡くなって家族3人になってしまって以降ずっと日帰り旅行ですらできない状況になっていた最中、母からの提案で出された秩父神社への参拝…、僕が住んでいる地元入間からはちょうど電車1本で気軽に行ける場所として特別な神社でお参りをしようという事を理由に初めて訪れたのをキッカケに、家族では毎年正月の三が日の間に必ず参拝に訪れるようになり、帰りに秩父土産を買ったり、名物のわらじカツ丼を食べて帰るのが恒例化していました。

秩父自体は今や交通アクセスが良く、電車や車で気軽に行ける観光スポットと化していますが、家族で秩父に行くのは年に1回参拝で訪れるのみ。それ以外では一切行かないという妙なこだわりがいつの間にかできていて、でもだからこそ年一でしか足を踏み入れないが故の特別感というものを感じていました。

更に2年前、僕が自分自身を見つめ直すための旅がしたいという衝動に駆られて行った三峯神社参拝のための1人登山の体験が僕の中での秩父に対する思い入れを更に強くする事になりました。あの時も行こうと思えば西武秩父駅から三峯神社まで直通で行けるバスがあって、1時間ほど揺られながら秩父の山々を車窓から眺めて行く事も可能でした。しかしそれではあまりにも普通過ぎるし、何よりありがたみというものが感じられない気がしていた。だから僕は三峰山の登山口から自らの脚で登り辿り着くことで普通の参拝を特別な参拝として、思い出に刻みこもうとした。結果的にそれは大成功する事になり、あの時の参拝体験が自分にとって忘れる事の無い特別な思い出として記憶に残る事になりました。

色んな人の見方によって秩父の印象が変わると思いますが、僕にとっての秩父は「何度も訪れたくなる聖地」として認識しており、今回の旅路も他にはない特別な体験として胸に刻み込まれることになりました。

 

今回はその経緯をここに詳細に書き記そうと思います。

これもまた旅の思い出を振り返る備忘録です。

 

秩父への道のり

今回の旅に向けて定めた目標地点は西武秩父駅、この西武秩父駅を起点として秩父の様々な観光名所に行くのが普通だと思いますが、今回は西武秩父駅自体が最終目的地となりました。その理由についてですが、秩父に向かう為に使った交通手段が電車ではなく、自転車を使ったからです

何故自転車!?と思われたかもしれませんが、これについては本当にただの思いつきでしかなくて、秩父に行きたいという思いが強く募っていた事と同時に「そうだ、自転車で行こう」という突拍子もない発想で秩父に向かうことを決意していまして。徒歩よりもある程度早く走る事ができ、ある程度遠くの方まで向かう事ができるものとして、自転車でどこまで進めるのか?自転車で秩父まで辿り着く事ができるのか?といった自分への限界に挑んだ挑戦みたいなものでもありました。

その事をグループホームの男性世話人さんに言ったところ「絶対無理だよ、足がパンクしちゃう」と言われました。そりゃまぁ当然の反応です。けれど僕は無理と言われると逆に燃え上がってしまうタイプでして、「本当に無理かどうかはやってみなくちゃ分からない!」という理念の元、自転車で秩父に向かう事をより一層決意しました。

普通に電車で行けば良いものをわざわざ自転車で向かう…この事がいかに無謀で蛮勇的な行為だったのかこの時の僕はまだ知る由もありませんでした…

 

自転車で秩父に向かうと言ってもどうやって行くのか?当初僕は近くにある国道299号線の幹線道路に沿って自転車を走らせようかと考えていました。しかし事前に調べていて分かった事なのですが、どうやら国道299号線の途中には正丸トンネルという全長2kmに及ぶ長〜いトンネルがあるらしく、そのトンネルは車道の道幅が狭く、真ん中にはポールが立っていて追い越しが不可能、更に歩道らしい歩道は無くて激狭な上に、消火栓のような突起物があって体が車道にはみ出る危険性があるし、足元は常に濡れているという歩行者&自転車にとっては危険過ぎるにも程があるトンネルでした。元々このトンネルは歩行者&自転車向けには作っていないからなのか、この正丸トンネルに向かう手前では「この先正丸トンネル、歩行者、自転車は迂回せよ」と二度看板で強く警告されます

そこで無理をしてでも通ろうもんなら、車道では追い越せない車からクラクションを鳴らされまくるのは確実だし、激狭歩道では真横に自動車や大型トラックが結構なスピードで抜けまくるのは恐怖でしかない上に、うっかり車道に落ちようもんならが待っている。それに国道自体が全ての道で車道と歩道に完全に分けられてるわけではなく、車道のみの状態になっている部分もある事から、国道自体が歩行者や自転車にとっては結構危ない道なのでこのルートは即座に取りやめる事にしました。

そこでどうしたのか?僕は全く別のルートで秩父に向かうことにしました。それが飯能から県道70号線の原市場〜県道53号線の名栗と山伏峠を抜け、正丸トンネル出口の国道299号線と合流して進むルートでした

このルートであれば車やトラックはほとんど通らない上に走る時の景観も良く、安全に秩父へ辿り着くことができるルートとして複数のサイクリング者の間でひっそりと話題になっていました。それを見てヨシ!と僕は何も考えずにこのルートで行く事を即決!地図上で見ると明らかに遠回りなルートでありましたが、安全第一を優先してそっちを選ぶことにしました。今考えても本当に何も考えて無さすぎですね(笑)

 

出発直前に問題発覚

地元入間から秩父までは国道を使った最短ルートで行っても片道40kmもある長大さ、僕も自転車を使ってそこまでの長距離移動はした事がないので、何時間掛かって辿り着けるのか検討もつかず、できるだけ早く日帰りができるようにする為に出発を朝4時に設定しました。

前日の夜は緊張からか嗚咽が止まらず、ちゃんと寝れるのかどうかも不安になっていたので3時に起きれた時はホッと一安心しました(笑)

しかし出発の直前、ふと自転車の事について調べていたら何と自分の乗ってる自転車はマウンテンバイク型のルック車である事が判明しました。ルック車とは簡単に言うと、見た目だけをロードバイクやマウンテンバイクの形にした普通の自転車であり、本物のロードバイクのように速くは走れないし、本物のマウンテンバイクのように山道や悪路の走行をする事が出来ない…つまりなんちゃってマウンテンバイクだったという事なんですよね。

これは本物のロードバイクやマウンテンバイクが高過ぎて買えない、けど形だけでも本物っぽく見せたい!とする自転車ユーザーが多くいる事に合わせて、本物のスポーツ自転車等には使われていない安価なパーツや無名のメーカーが作る事で価格をママチャリと同等レベルの安価に抑えた自転車の事を総じてルック車という風に呼ばれているらしく、また本物のスポーツ自転車を持つ自転車乗りの人からはそういう偽物の自転車という蔑称の意味合いも込めてルック車と呼ぶ人もいるらしいので、結構厳しい立場に置かれている自転車らしい。

f:id:Gameslifeisff:20220411193409j:image自転車本体にはご丁寧に「悪路・荒地走行禁止」シールが貼られている。どおりで安いわけだ…

この自転車は数年前、近所のドン・キホーテの自転車コーナーで2万円で買った自転車で、その当時は本物のマウンテンバイクだと信じ込んでいたが故に何故このようなシールが貼ってあるのか不思議でしょうがなかったのだが、これがルック車であるとするならばあの価格の安さは納得。本物のマウンテンバイクは悪路に強くて山道を走っても壊れない丈夫さを備えている上に舗装地でも結構なスピードで走れる…が、僕の持つこのルック車は本物ではないので悪路を走れば壊れるし、舗装地しか走れない。オマケにスピードはママチャリ並の速度しか出せない上にマウンテンバイクの見た目をしているから無駄に本体の重量が重い。

自転車本体の重さはペダルの漕ぎやすさにも直結してくる重要な要素でもあるから、スピードや快適性を考慮するなら本体の重さは軽ければ軽いほど良い、つまり僕がこの自転車で秩父に向かう事は予想以上のハンディキャップを持って走る苦行のような状態になり、自転車で秩父に行くという願望に早くも暗雲が立ち込み始めました…だがしかし、たかが2万円で買った自転車であるとはいえ、この自転車は1度もパンクを起こしたことがない上に2度の事故と5度のぶつかり&横転を繰り返してもほぼ壊れること無く持った自転車なので、大丈夫だろうと…根拠の無い自信を掲げながら何とかこれで行くことを決意しました。

今更計画変更する事は出来ないし、やはり色々とやってみなくちゃ分からない。無謀とも言えるチャレンジング精神を持ってこの挑戦に挑むことにしました。

 

いざ秩父

朝の4時にいよいよ出発、暖かい季節になった事で日の出の時間も早くなってきましたが、流石に朝の4時ともなるとまだまだ外は真っ暗闇で景色も何も見えたもんじゃない。しかし早朝のこの時間は車も人もほとんど通らない事が大きなアドバンテージとなる。最初の勢いでどれだけ遠くまで走れるのかが重要なので僕は一気に飯能まで国道299に乗って駆け下り、自転車を走らせました。

f:id:Gameslifeisff:20220412051348j:imageあっという間に飯能市外の大通り商店街に到着、この先で県道70号線に入っていきます。

f:id:Gameslifeisff:20220412051702j:image県道70号線は秩父から最終的には東京の荒川に流れ着く入間川の上流を上っていくルートになっており、ここまではまだコンビニのセブンイレブンがあるのでトイレ休憩を挟む事が可能でした。途中で見かけたセイムスは看板が結構な年季が入っていましたね。
f:id:Gameslifeisff:20220412051710j:image
f:id:Gameslifeisff:20220412051706j:image原市場という地域を抜けてこの道に入った途端に山間の景色が増えてくるのでいかにも田舎という感じが出ています。
f:id:Gameslifeisff:20220412051658j:imageこの時点で走行距離は20kmを超えて、既に膝がヤバそうな感じが出てきました。

f:id:Gameslifeisff:20220412053004j:imageそしていよいよ県道53号線に突入、名栗地域に入りました。ここまでの道のりで自分を追い越した車はほとんど無く、山伏峠に入るまでの景色もとても良い風景が多かったので正直走っていて楽しかったです。ですが帰りに気付いたのですが、ここまでのルートって実は緩やかな上り坂がずっと続いていたらしくて、一生懸命漕いでいた僕の膝にじわじわとスリップダメージを与えていました。なんと恐ろしい…そしてその効果はこれから入る山伏峠で大きな影響を及ぼすことになりました
f:id:Gameslifeisff:20220412053001j:image山伏BASEと呼ばれる休憩所はこの道を通るサイクリストやバイカー御用達の休憩所らしく、テレビのロケでも取材を受けていたのをテレビで見たことがあった。

山伏峠に入った途端ひたすら登り坂が続くことになりました。この辺りから膝がもうバカになり始めてて、全くと言っていいほど足にペダルを漕ぐ力が入りません。立ち漕ぎをしようにも産まれたばかりの小鹿のように膝はガクガク、痛みも少し出ていた事からこれ以上の無理な自転車走行は膝のケアという意味でも、追い越される車に轢かれるという意味でも危険ということを考慮して自転車を押して歩くことにしました。

この時の僕は「やっぱり無謀だったのかなぁ…」と諦めの気持ちが少し出てきており、一時は「名栗元気プラザに着いたらもうそこで終わりにしても良いのでは…?」なんて思う事もありました。…が、やはりここまで来ておいて諦めて帰るというのもあまりにもしんどかったのでそのまま突き進む事を決行、後ろからの車に気をつけながらただひたすら山道を登っていきました。
f:id:Gameslifeisff:20220412053014j:image山伏峠はそこそこ高い山らしく、振り返るとなかなか雄大な景色が見られた
f:id:Gameslifeisff:20220412053007j:imageそして山伏峠の最高点である看板に到着!サイクリストやバイカーの間では有名な看板みたいですが、一般の人達からしたらマイナーな場所らしくて、やはり正丸峠の方が有名みたいですね。

f:id:Gameslifeisff:20220412125639j:image標高620mというちょっとした山レベルの高さ、ここまで自転車で登るのなんて無理無理

先程の標識から先はずっと下り坂、ここは上りでロストした時間を取り戻さねばとスピードの出しすぎには注意しながら山伏峠を一気に駆け下りました。秩父の山の上の気温は少し寒く、気温6℃の中でスピードに乗って降りた時に感じた風はかなり寒かったです(笑)

f:id:Gameslifeisff:20220412185141j:imageここは正丸峠に分岐した道で、ここを左に行けば正丸トンネル出口の国道299号線と合流します。右の正丸峠は正丸トンネル入口からの迂回路として行ける所らしく、山伏峠と比べて景観もとても良いそうです。

f:id:Gameslifeisff:20220412053011j:imageそんなこんなで正丸トンネル出口のある国道299号線と合流!残りあと10kmほど、頑張りました。
f:id:Gameslifeisff:20220412052958j:image国道は道がしっかりしていてガタツキが無く走ることが出来ましたが、国道というだけあって車や大型トラックが結構なスピードで横を抜けていくのでやはり危なっかしかったです。途中歩道が切れて反対車線に向かわないと危ない所もあったので、途中までの道のりは県道を通ってきて良かったと思いました。道中の芦ヶ久保を抜けると…

f:id:Gameslifeisff:20220412223403j:imageだんだん一軒家が増えてきました。
f:id:Gameslifeisff:20220412223407j:image秩父市にいよいよ突入!そして…
f:id:Gameslifeisff:20220412223435j:imageゴール!!!自宅からここまでの道のり片道50km、到着時刻は朝8時30分!およそ4時間半の走行で見事に西武秩父駅まで到着しました!!!芦ヶ久保を抜けたあたりから秩父までもうすぐという気持ちになっていた事でテンションが一気にヒートアップ、下り坂でずっと休ませていた足の疲労も少し回復し、最後の力を振り絞ってペダルを漕ぎ続けることが出来ました。いやこの時の達成感というのは本当に半端じゃなかったです。

しかしここまで掛かった時間の事を考慮すると流石は無駄に本体が重いママチャリだなと思う部分はありました。4時間半で50kmは時速に換算すると11km/hしか出ておらず、普段から長距離走行に慣れていて健脚が凄まじいロードバイカーの人達の凄さを実感しました。この後また長時間を掛けて同じ道で帰らなければならない地獄が待っていますが、そんな事は一旦忘れて秩父を楽しむことにしました!

 

充実の秩父ライフ

 

f:id:Gameslifeisff:20220412223431j:image西武秩父駅の出口すぐ側には有名アニメあの花のヒロイン めんまのマンホールがf:id:Gameslifeisff:20220412223428j:image
f:id:Gameslifeisff:20220412223355j:image今回の旅の第一目的は「2年振りの秩父神社への御参りをする事」以前来た時は西武秩父駅を通過点として超えてしまったのでまともに御参りをする事が出来ず、こうしてちゃんと来るのは実に2年振りの事で、身が引き締まる思いでした。

2年振りではあれど、いつもながらに境内のその佇まいは変わらず、穏やかに僕を出迎えてくれました。変わった事といえば拝殿を文化財としての保護をする為の修繕工事が長く続いているみたいで、完了は来年になるんだとか、綺麗な拝殿を拝めるのは来年かぁ…と思いつつ、ここまでの自転車旅を無事に乗り越えられたお礼と今年1年の健康を祈りました。
f:id:Gameslifeisff:20220412223352j:image秩父神社に来ると必ずやっている水みくじ、今年は中吉ながらもなかなかに良い事ばかり書かれた嬉しいものでした
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f:id:Gameslifeisff:20220412223425j:imageお守りの購入と共に自宅から持ち込んだ御朱印帳にも今年の御朱印を付けてもらいました…が、何だか今年は独特というか癖のある書体で驚き
f:id:Gameslifeisff:20220412223417j:image駅の方へと戻るその前にお腹が空いた、甘いものが食べたいと秩父神社すぐ側の和菓子屋さんに入り、スイートポテトとプリン、そして名物であるという地酒ケーキをお土産に買いました♪

トーク力のあるおば様にここまで自転車で来た事を話したらおまけの饅頭までくれました、ありがたやー(ノ_ _)ノ
f:id:Gameslifeisff:20220412223329j:image和菓子屋さんのすぐ側にある公園で枝垂れ桜を眺めながらいただきました


f:id:Gameslifeisff:20220412223333j:imageそして第2の目的は西武秩父駅すぐ側に新しく出来た「祭の湯」という温泉に入りに行くこと!ここは元々西武秩父駅すぐ側の商店街みたいなもので、土産物物産展やら食堂などがずらりと並んで居たのですが、祭の湯がある場所は元は少し殺風景な広場みたいなところでした。

何故かここに文房具屋さん(?)みたいなお店があったり、申し訳程度の子供向け筐体機が置いてある程度のものだったのですが、その寂れた商店街だった場所の広場付近で温泉の源泉が掘り起こされる事になり、商店街もろとも大幅リニューアル、そして6年前綺麗になった商店街と共に祭の湯が開業しました!

商店街自体はリニューアル後も利用はしていました。しかし祭の湯はこれまで一度も行った事がなかったので、どんな温泉施設になっているのかずっと気になっていて、利用できた事にはやっとか…!という思いが強く滲み出ていました(笑)
f:id:Gameslifeisff:20220412223336j:image2階廊下
f:id:Gameslifeisff:20220412223422j:imageラクゼーションルーム
f:id:Gameslifeisff:20220412223419j:image寝ころび処
f:id:Gameslifeisff:20220412223325j:image温泉むすめの秩父のキャラクター「秩父美祭(まつり)」

感想としてはとても素晴らしい温泉でした。

本物の温泉は露天の岩風呂のみでそれ以外は全て人工温泉になるのですが、ジェットバス、サウナと水風呂、寝ころび湯、つぼ湯と入浴施設での基本的なお風呂が充実しているのはもちろんですが、小規模な銭湯ではなかなか見られない高濃度人工炭酸泉美肌湯、そして何より岩風呂による天然温泉がとても気持ち良くて、まだ開業したばかりのこの時間は人もそれほどいなかったので凄くのびのびとお風呂に入れました!

オマケに外の露天には桜の木が植えてあって、僕が行ったこの時は桜が散り始めていたので、舞い散る花びらを眺めながらの花見温泉という状態になっており、最高のコンディションで温泉を楽しむ事が出来ました。惜しむらくは滞在時間の関係で温泉を楽しめる時間が1時間も無かった事でしょうか…次にくる時は絶対に電車で来て余裕を持って楽しもうと決意する事にしました。
f:id:Gameslifeisff:20220412223348j:imageそして待ちに待っていた食事の時間!今回は祭の湯の中にある食堂で名物のわらじカツ丼を食べる事に、副菜として味噌ポテトやしゃくし菜漬けとこれまた秩父名物の美味しいものを付けて注文、ずっとこれを待っていたんだと言わんばかりの豪勢な食事に今回も舌鼓を打ちました…!

2年振りに食べたわらじカツ…見た目の大きさに圧倒されそうですが、薄切りにした豚肉が味わいあっさりであっという間にペロリとたいらげました😋

しゃくし菜の濃厚な味付けに味噌ポテトのホクホク感も堪らない…!
f:id:Gameslifeisff:20220412223410j:image食後のデザートにほうじ茶プリンを頂く


f:id:Gameslifeisff:20220412223400j:image祭の湯のフードコート側入口に置かれた秩父美祭の等身大パネル、こっちは衣装がアイドル風なので館内の浴衣姿は祭の湯の利用者限定で見れるものだったみたいですね


f:id:Gameslifeisff:20220412223413j:image秩父神社の参拝に祭の湯での温泉と、西武秩父駅すぐ側でも十分に秩父を楽しむ事が出来た今回の自転車旅…滞在時間は3〜4時間ほどで本当はもっとここに居たかったのですが、帰り時間の関係で昼から出発しないと夕暮れ前の帰宅には間に合わないということもあり、名残惜しいですが帰ることにしました。

帰り道の工程写真は省きますがその後西武秩父駅を出発した僕は膝に気を使った帰り方(徒歩中心)で少しゆっくり目に帰ることとし、午後6時頃無事に帰宅出来ました!朝早い時間から出発してその日に帰って来るという超弾丸ツアーではありましたが、2年振りに訪れた秩父の空気感は確かに感じる事ができ、僕の中では圧倒的な充実感を持ってこの旅を楽しむ事が出来ました!

 

今回の自転車旅を終えて…

今回行った入間から秩父への自転車旅、片道50km、往復100kmの旅を終えた僕はまず第一にこう思いました。

 

秩父へは電車で行った方が圧倒的に良い」

 

元々山間部が多くて全体的な標高も高かった事から車かバイク持ちの人でないと行きにくかった秩父に唯一気軽に行くことが出来るのが西武秩父線の電車で、特急を利用しない鈍行でも1時間ちょっとで行く事ができる圧倒的な移動速度の速さ、片道440円で行く事ができる運賃の安さ等、自転車という人力で秩父へ行く事の苦労をその身で体感した僕は電車がある事の素晴らしさや有難みを感じることが出来ました

一昔前、西武鉄道の親会社であるアメリカ企業が十分な収益成果が見られないとして西武秩父線廃線にしようとした事が話題になりましたが、あれを廃線にするなんてとんでもない!と反発した地元住民や観光客の怒りがとても共感出来ましたね(笑)

それからいくら運動神経には自信がある人であっても普段からスポーツ自転車に乗って長距離移動をしている訳でもない素人が往復100kmを走ると膝が確実に死ぬという事は心がけておいたほうが方が良いです。ましてや今回乗った自転車が無駄に重いだけのマウンテンルック車でずっと平坦な道ではなく、途中登り坂が延々と続く事を考えた場合、素人が走れる限界は往復50kmまでが限度だと思います(個人の感想です)

ただ移動をする事自体の苦労や苦痛さはあっても、そこに至るまでの道のりで受けた自然溢れる風景に触れた事はとても有意義で素晴らしい時間ではありました。こういうのはやはり都会や片田舎にいては到底味わえない。たとえ何の目的がなかったとしてもそこにある自然に触れに行きたいと思える場所、それが秩父だと思いました。

 

今回の旅を経た事で僕はまた秩父に対して特別な思い入れを持つことができるようになりました。何度行っても飽きないどころか何回でも行きたい!そう思わせてくれるほど魅力に溢れている秩父…次に行く時はまた三峯神社まで登山をしに行きたいですね!

 

ここまで読んで下さりありがとうございました!

みなさんも良い旅を!

 

 

 

*1:2年前に三峯神社に行った時のブログ記事はタグ「旅日記」をタップしていただければ出てきますので良ければそちらも拝見していただけるとありがたいです🙏

FFオリジン感想 〜初めてのハクスラゲーを体験して〜

 

 

こんにちは、ニホンバトです。

以前DEATH STRANDING DC版の感想記事を書いてからしばらくの間、ゲームの感想記事は書かないと宣言していました。それは僕がゲームの感想を書くのに、伝えたい部分だけを明確に伝えられる要約力がなかったが故に、どうしても長文で長ったらしくなってしまい、「これは気軽に読めたもんじゃないな…」と自分でも感じたのでしばらくの間ゲームの感想はTwitterでつぶやくだけの感想に留めていた部分がありました。

実際デスストをやったその後は1月のフリープレイで配信されてダウンロードした「ペルソナ5スクランブル」をトロコンまでクリアし、その後自分が待ちに待ち望んでいたFFオリジンをプレイしていました。

 

今回はそんなFFオリジンのクリアからクリア後の要素についての事をあーだこーだと語らおうと思います(ネタバレ注意です)

 

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「STRANGER OF PARADISE FINAL FANTASY ORIGIN」(略称 SOPFFO、FFオリジン等)は長年FFシリーズを手掛けてきたスクウェア・エニックスとアクションゲーム作りが得意なコーエーテクモゲームスが抱えるスタジオ、TeamNINJAディシディアNT以来のタッグを組んで作られた「高難易度アクションRPG」で、その世界観はFF1をベースとしつつも、光の戦士としては好戦的で血生臭い戦い方をする主人公ジャックの存在を中心に、元となったFF1に似ているようで何処か違うパラレルワールドのような世界観に当初は話題になってました。

その後のトレーラー内容や生放送の発言により「実はジャックの正体が後に光の戦士の宿敵となるガーランド(及びカオス)」という事がゲームの発売前から発表され、大きな話題を集めると共に、ゲームを最後まで進めて分かる衝撃の真実というサプライズ感を楽しんでもらうゲームから、ジャックがどういった経緯で闇に堕ちていくのか?その顛末を楽しむゲームとして楽しんでもらう方向性にチェンジしていきました*1

僕はこのゲームを発売前の段階から相当楽しみにしており、それはPS5で過去2回配信されたトライアルバージョンによる体験版フィードバックの協力もするほど、そして来たる3月15日、僕はデジタルデラックスエディションでFFオリジンを買っていたのでアーリーアクセスよる先行プレイを経て、3月27日にストーリーをクリアしました。

 

結論から先に述べると、僕の中でのFFオリジンの評価はストーリークリアをするまでの段階では、装備集めによる強化を経て、頑張れば勝てるぐらいの程よい難易度でその世界観を余すことなく楽しむ事が出来たそこまでは最高に良かった。

しかし、エンディング後の追加最高難易度のCHAOS&ミッションレベル300での敵の攻撃力の強さは高難易度アクションを超えた「死にゲー」レベルの強さで、ザコ敵からでも1発2発攻撃を食らったら即寝っ転がる事になる。運良く1発で死ななかったとしても、ブレイクゲージを削り切られてブレイクされたら追撃を食らって即転がる。これが!マークが付かなくなる平均装備レベル295を超えていたとしてもそうなのだから、下手に極めようとすると無尽蔵に時間がかかるという事がよく分かる結果となった。とりあえずクリア前までの評価も含めてFFオリジンの良かった所、悪かった所を書いていこうと思う。

 

FFオリジンの良かった所

  • 謎が謎を呼ぶ不透明さのある序盤から打って変わって、世界の真実と仲間達との血盟の絆を描いた終盤のストーリー展開
  • 名作曲家の水田直志氏がコンポーザーを務めて作り上げた良アレンジの多いBGM
  • ストーリークリアまでの導線が非常に上手いミッションレベルが緩やかに上がる構成&難易度選択によるユーザーの実力差を埋める幅広さ
  • ソウルバーストを決めた時の爽快感
  • 何回でも攻略したくなるボス戦

主にストーリークリア前までの要素とBGMといった全体的な評価ポイントが高い傾向にあり、次の物語が展開されるステージでのミッションレベルは5や10刻みで上がるので、自然と攻略がしやすいサブミッションの攻略で装備集めをするといった導線に乗る事で次のステージでの戦闘などが苦になりにくくなっていたのはとても良かった。

大抵のハクスラゲーはストーリーがあってないようなものという風に言われることもあるのだが、そこは流石FFブランドという事もあって、FFとしてのストーリー性の高さが良く保てていた。序盤のジャックがアッシュ、ジェドと出会いカオス神殿に乗り込む事ができるようになるまでの大事な経緯が陳腐なダイジェストになってしまっていたり、序盤の掴めないストーリーには首を傾げたりもしたが、中盤から終盤に掛けて分かるようになってくる謎の真実と、仲間たちとの絆を象徴したラストはとても感動的で思わず熱中してしまった。主題歌の「My Way」と共に流れるラストシーンは本編のFF1に繋がる演出でとても素晴らしかった。

また、音楽の面でもFFオリジンならではのダークさを感じさせるBGMの質がとても高くて聴き心地が良かった。今作のコンポーザーを務めた水田直志氏はFF11FF13-2FF15DLC「エピソード プロンプト」のゲストコンポーザーを務めた人で、戦闘BGM、フィールドBGM共に数多くの名曲を生み出している。僕はFF11は未プレイではあるものの、広大なヴァナ・ディールの世界観に合った名曲は僕も好きなものが多く、FF15DLCもエピソードプロンプトのBGMが一番好きな程だったので最初から期待感は持っていた。

今回はその期待通り、ヴィランの物語であるFFオリジンの世界観に合ったダークでカオスなBGMの数々は聴き心地の良いものが多く、戦闘、フィールド共に良作が多かった。特に歴代FFの名ステージを模したフィールドでの原曲アレンジはあの頃の懐かしさを感じさせつつも、現代的なアレンジを施された名曲としていつまでも聴いていたいものが多かった。故にサウンドトラックは即購入、僕が特に好きなフィールドBGMは魔の樹海や不夜城のラスト、そして闇の大陸だ。

 

さて、ここまでは良かった部分なのだが今回は悪点の方が圧倒的に多い、特に後述するエンディング後の要素の雑な作りはとても擁護できないレベルだった。

FFオリジンの悪かった所

  • とてもPS5ソフトとは思えない程酷いグラフィックの悪さ*2
  • ゲームモードを「FPS優先」モードにしててもカメラワークや状況によってはFPSの低下があり、安定しない
  • 光源処理に問題を抱えているせいで「明るい所は光の反射が強過ぎてフィールドが見づらく」「暗い所はひたすら暗過ぎてフィールドが見えにくい」問題を抱えている
  • PS5特有の爆速ロードの機能が活かされていない*3
  • ジョブの強さに偏りがある*4
  • 味方側が敵のヘイトコントロールを自由に操れないせいで常にジャックが敵から狙われやすく、集団戦が多いザコ敵との戦いでは袋叩きに遭って死にやすい*5
  • 味方の強さと敵の強さが武器防具の平均装備レベルの数値に強く依存しており、ミッションレベルとの差が「!」マークが付く程の差があるとまともに攻略ができない
  • また、味方自体にレベルの概念がなく、ジョブレベルの上昇やジョブ適性の数値を強化する事で得られる恩恵は微々たるものなので「レベルを上げて物理で殴る」といったゴリ押しも不可能
  • エンドコンテンツの「難易度CHAOS」は敵の異常なレベルの攻撃力の急上昇&でくの棒みたいな耐久力を持ったせいで、初心者お断りレベルの「死にゲー化」「死にゲーではなく、あくまで高難易度アクション」というスタッフの見解はほぼ詐欺みたいなものに
  • エンドコンテンツのミッションレベル300の挑戦に必要なアニマの結晶の要求数が膨大なレベルで多く、別のステージでアニマの結晶集めをしなければならないので作業ゲーになりやすい
  • 上記の戦闘システムやザコ敵の異常な強さ問題を抱えているせいで難易度CHAOS&ミッションレベル300での敵との戦闘は苦痛以外の何物でもない。死にゲーが嫌いな人は投げ出すレベルでキツい
  • 星5装備やアーティファクト装備でのジョブ適正の数値の幅が広過ぎる&適性ジョブが何なのかは完全ランダムなので、任意のジョブのジョブ適性最高値を狙おうとすると異常に時間が掛かる
  • また鍛冶屋を使ったジョブ適正の強化は限界まで強化する事が出来ず、装備毎に有限で融通が効かない。そして必要なジョブの証の必要数も数値が高くなるほど尋常じゃないぐらい多い
  • 更に鍛冶屋では武器防具の適性ジョブの変更をする事が出来ないので鍛冶屋としての装備育成の融通の効きやすさや、カスタム性はほぼ皆無
  • その上、低レベル装備を合成して装備レベルを強化するといった手段がないのでお気に入りの装備で揃えるといった楽しみが持てない。*6

正直、これでもまだ足りないぐらい不満点は多いのだが、特にエンディング後のここからが本番と言われるエンドコンテンツの難易度の急上昇が異常なレベルでキツくハクスラゲーとして最高の装備を求めて何回も敵と戦う事を考えた場合、この敵の異常な強さはあまりにもキツい。

また、ジョブ適性が最高値の装備を狙うには敵からのドロップや宝箱からのレア装備をゲットした時に"偶然手に入れるしかない"という運ゲー化している要素が強くあり、鍛冶屋による装備強化には制限があるせいで、装備を強化する手段としての鍛冶屋はカスタム性が無く、最強装備を揃えるには全て敵からのドロップ&宝箱での入手による運に強く依存しすぎてしまっているが為にやりごたえよりも圧倒的な作業感や苦痛感を感じる部分が強くなってしまっている

もしも仮に、ミッションレベル300に挑戦するためのアニマの結晶の必要数が大幅に低いorそもそも挑戦にアニマの結晶は要らないとしていたり、難易度CHAOSでも頑張れば勝てるレベルの高難易度アクションとしてのバランスを保てていたり、最強装備を入手するための手段がドロップによる完全な運ゲーではなく、鍛冶屋によるカスタム性の高さによって自分だけの最強装備が「作れる」といった懐の幅広さを持てていれば、エンドコンテンツをプレイするためのモチベーションを高く保つ事が可能だった可能性が高く、他のハクスラゲーと同様に無限に楽しめる可能性を秘めた神ゲーになっていた可能性が極めて高かっただろう。

しかし実際は死にゲーと化したレベルでの難易度の急上昇が多くのユーザーをふるいに落としてしまっている。装備育成に対してのカスタム性もなかったり、ドロップした装備のジョブ適正値の幅広さがその辺のスマホゲーのガチャよりも厳しい確率になっているので、ますますやりたい!と強く思わせるほどの動機付けが起きない。

 

だから僕は個人的にこのゲームはエンディング前までは最高にちょうど良く楽しめた神ゲーだったが、エンディング後の要素は一度トロコンを諦めて投げ出すほど苦痛以外の何者でもなかった

単に僕自身のユーザースキルが足りなかったり、死にゲーというものに慣れておらず、堪え性がないからそう評価するんだろうという人もいるかもしれない。まぁ実際今の僕は昔に比べてゲームに対する堪え性が無くなってきているのは確かな事実だ。しかし練習と工夫を重ねて何回も挑んで頑張れば勝てる!という希望を持たせてくれるぐらいの難易度だったら僕も頑張れる。けれどあのFFオリジンのCHAOSの難易度は難しいを超えて理不尽だ。

こちらが任意で敵に対するヘイトコントロールが出来ず、集団でボコられてはい終わりでは誰だってゲームを投げ出すに決まっているだろう。エンドコンテンツではそういった理不尽な場面が多くて救済措置といった配慮が足りない。全てのユーザーに優しくしろとまでは言わないが、せめて理不尽と感じさせるような難易度にはしないで欲しい。と僕は強くそう願った。

 

また、先述したグラフィック、FPS、爆速ロードが無いといった問題はTeamNINJA及びコーエーテクモゲームスの技術力の低さが如実に出てしまっているとしか言いようがないのがまたなんとも辛い。

近年、コーエーテクモゲームスは多くのゲーマーから技術の梯子を降りたと言われるほど作品としてはお粗末なクオリティのものばかりを排出している現状にある。特に顕著なのは某ハードに強く偏向した作品に力を入れてしまっている事で、次世代感を強く感じさせる高クオリティの作品が作れなくなってしまっているのが何とも酷い。

代表的なのがライザのアトリエ2を作ったコーエーテクモゲームス傘下のガストや、多くの無双シリーズのゲームを作っているオメガフォースもその傾向にあり、最初に書いたペルソナ5スクランブルの開発もオメガフォースが作ったのだが、その作品でもグラフィックのキツさやフリーズが頻繁に起きるといった問題が出てしまっているので如何にコーエーテクモゲームス傘下の開発部の技術力が低下しているのかがよく分かってしまった。

その中でもTeamNINJAは落ちぶれるコエテクの中の唯一の良心と言われるほど高クオリティの作品を世に出していたりしたのだが、今回のFFオリジンでのグラフィックの酷さ問題やFPSの低下、爆速ロードが無い事など、明らかな技術力の低下が見受けられてしまい、それは過去2回行われたトライアルバージョンの段階から指摘されていた事だったにも関わらず、あまり良い改善が施されなかった事になる。もしかしたらコエテク全体の技術力の低下がTeamNINJAにも響いてしまっているのかもしれない。エンドコンテンツのゲームバランスの悪さの事を考えてもチーニンは一昔前のような高クオリティなもの作りという期待感に疑問符が着いてしまった結果となった。

 

総評

エンドコンテンツに関してはあまりにも酷いクオリティという事でお茶を濁してしまったが、今後のアップデートやDLCでの改善によっては神ゲーに変貌する可能性をこのゲームは秘めている。デジタルデラックスエディションを買っている関係でDLCコンテンツを享受する権利は得ているのでまたDLCが配信された辺りで再開してそこに期待感を持とうと思う。

とにかくエンディング前と後では評価が大きく分かれる珍しいゲームだった。

しかしエンディングを迎えるまでは実際楽しかったのは事実なので、この先の改善を強く希望する。クソゲーではないが、神ゲーとまでは言えない。何とも微妙な結果となってしまったが、全体を通しては楽しかった。

 

今後のFF作品ではもっと良い物が出来る事を期待して待っている。

 

終わり

 

 

 

*1:当初はジャックの正体を最後まで隠し通そうとしたものの、ネット上で既にジャックの正体がバレている、またはおおかた予想されてしまっているとの事から、最初から正体を明かしてしまおうという思い切った方向転換をするに至ったという経緯がある。

*2:特に髪の毛のジャギー感を強く感じる粗さはPS3未満レベル

*3:場面展開によっては10秒近いロード時間が掛かる事もある

*4:魔法職以外はほぼ近接攻撃オンリーで敵の反撃を喰らいやすく難易度高、逆に豊富な遠距離攻撃手段、回復手段、補助効果手段を持つ魔法職は敵との距離を取って戦えるので強過ぎる

*5:よって闇の噴出口や強制戦闘以外のザコ戦は全てスルーする方が攻略が早く進むという支離滅裂さがセオリーになってしまっている。

*6:これによって早期購入特典やDL版購入特典のブレイブハート&光の盾やリベリオンといった特別な武器がゲーム開始序盤でいらない子扱いされてしまうのがあまりにも不遇

鳩の小噺5「新型コロナウイルスワクチンの3回目接種を行いました」

 

昨日の3月11日、僕は新型コロナウイルスワクチンの3回目の接種をしました。

 

去年の春頃から医療従事者を先行に始まった新型コロナウイルスのワクチン接種、アメリカの製薬会社のファイザー、モデルナ、アストラゼネカの3社を中心に世界でのワクチン接種が始まり、僕もまた一般の人と比べて比較的早い8月頃に1回目と2回目のワクチンを接種する事が出来ました。

ワクチンを巡る是非について、世間では接種推奨派接種否定派に大きく分かれていて、特に接種否定派の人達はワクチンを危険な存在として認識しており、コロナをただの風邪だと声高らかに宣言したり、ノーマスク運動というデモ活動に参加したりと、SNS上でかなり悪目立ちしているのが話題になったりしますが、そんな世間の論争など何処吹く風、僕が所属している社会福祉法人では全員ワクチン接種をする事は決定事項でした。

僕の周囲ではワクチンに対する危惧をしている人は誰もおらず、 副反応はちょっと怖いよねという声がありつつも、それを理由にワクチン接種を拒否する人は誰もいませんでした。ワクチンの副反応は大抵1日〜2日で症状が収まるものが多く、またワクチンの副反応が死に直結するケースも殆どないし、ニュースでそういった情報が出てきてもいない。

ワクチン接種による副反応よりもやはりコロナに感染する事自体が怖いと思うのが大方の意見だったのでワクチンを接種する事自体に恐れはありませんでした。

けれど僕はワクチンの2回目接種をした際、副反応の症状が酷く現れてしまい、散々な目に遭っていたので3回目の接種に対する不安感はありました。ワクチンの副反応は若い人程症状が現れやすいとは聞いたものの、2回目接種の際に現れる全身症状としては低確率のはずの吐き気を引き当ててしまったので今回の3回目接種も大丈夫か...?と心配していました。

 

せっかくなので3回目接種によってどんな症状が起きたのかをここに書いておこうと思います。少しでも参考になればありがたいです。

 

  • 3月11日ワクチン接種当日〜その夜

3回目のワクチンはお昼の12時頃に病院で集団接種をしました。打ったワクチンの種類はモデルナで、1回目2回目がファイザーだったので3回目にして初めてのモデルナワクチンとなりました

3回目の接種に於けるモデルナがファイザーと比べて副反応が強く発症しやすいという話が囁かれているからなのか、世間ではモデルナワクチンを接種したくない!という声が強く出ているらしく、3回目のワクチンはファイザー人気が高まっていました。

しかし一方で1回目、2回目「ファイザー」で3回目「モデルナ」のパターンは最も質の良い抗体ができやすいとも言われているらしく、一緒に同行した職員さんはラッキーだったねと楽観的に語っていました。打った瞬間はやはり二の腕がチクッとする感じで、その日の夜に接種患部が強く腫れて痛みを伴っていました。ここまではこれまでのワクチン接種で起きた最初の症状と同様のパターンだったのでさして驚きはしませんでした。

 

  • 翌日朝

朝、早番の関係で3時半に起きた僕はおでこを触ると僅かな熱感を感じていました。それと妙な倦怠感と悪寒、特に倦怠感の方は起きてから早速症状が現れており、いつもに比べて妙に起き上がるのが面倒というか少ししんどく感じていました。

ただその時はまだ熱感はありながらもそこまで辛いって言うほど辛くはなく、朝ご飯の支度をしてご飯も普通に食べられました。この時はまだ胃腸も弱ってなかったみたいですね。

ただ食べ終わった食器の片付けをしようにも、どうもやる気が起きず、若干動くのが面倒に感じていました。また、立ち上がってから歩くのにも少しふらつきの様な感覚を僅かながらに感じていました。

その後、熱を測ってみると体温は37.3度

微熱といった感じでしたが大事をとってその日は仕事を休むと連絡を入れ、昼の朝の9時頃まで二度寝をすることにしました。

 

  • 朝9時〜昼11時まで

二度寝を決め込んで起きた後、症状は少し酷くなっていました。熱っぽさは更に高くなったような感覚がして、頭がボーッとする。倦怠感は更に強くなっているようでベッドから起き上がりたくても体が思うように動きませんでした。それでもまだ何とか動けるレベルではあったので、お昼の時間が迫ると共に熱を測り、その後昼〜翌日の朝までの食事を考慮して近所のコンビニまで買い物に行きました。

この時計測した体温は38.4度

この時点でかなり体温が高くなっており、無理して動くべきではなかったなと今更感じました(苦笑)

 

  • 昼12時〜午後2時まで

この時間が副反応の症状が最も重くなったピークの時間帯でした。

この時体温計で測れなかったので分からなかったのですが、体感的には40度の高熱が頭だけでなく全身で高熱を感じていて、中から鈍器でガンガン叩かれていて頭が割れそうなレベルで痛い頭痛が発症。胃腸も弱くなってしまい、飲み物以外何も受け付けられないレベルの吐き気を催したので帰ってきてから食べようと思っていたお粥も食べられませんでした。

それだけでなく、相変わらず続く倦怠感悪寒に加えて関節痛筋肉痛も起きてしまい、ベッドから1歩も動けない始末。

高熱、頭痛、吐き気、倦怠感、悪寒、関節痛、筋肉痛、これらの症状が同時に発症していたので意識が朦朧としてしまい、思わず救急車を呼びたい...!と無意識のうちに思うレベルでした。

こんな状態だと思考力なんか消失するレベルで何も考えられなくて、常に「頭痛い...体が熱い...辛い...キツいよ...」とうなされながら過ごしていました。正直本当に辛かったです。

2回目接種の時を上回るレベルで副反応の症状が酷かったです。

それから僕は午後の2時頃まで気絶するように眠っていました。

 

  • 午後2時〜現在

午後の2時頃、気付いたら全身が汗で濡れていました。ベッドシーツも布団カバーも汗によってぐしょ濡れ、どうやら40度近い高熱による全身発汗で相対的に体温が下がったらしいです。

ピークのあの時よりも熱感は軽くなり、あれだけ辛かったはずの頭痛も軽めに抑えられており、ここでようやくお粥が食べられるようになりました。直ぐに手元に置いてあったアクエリアスを手に取って失われた汗の分飲み干した後、動ける今のうちにとお粥の準備をしました。

あの時食べた白粥の味めっちゃ美味かった...

 

そして夜の今現在、熱は一気に下がり、頭痛はほぼなくなり、胃腸の調子も元に戻りました。

ただ病み上がり故に固形物を食べるとまた消化不良を起こすかもしれないとして、今夜のメニューもお粥で済ませました。

 

結果

今回の3回目接種の特徴として僕の体感では2回目接種での副反応と比較すると

「全身症状の発症時間は3回目の方が短かった」

「その代わり副反応の重さは3回目の方が強かった

という結果になりました。

先程1回目2回目「ファイザー」3回目「モデルナ」のパターンは「最も質の良い抗体ができやすい」...と書きましたが、その一方で「最も副反応の症状が強く出やすい」パターンであるともされているようです。

製薬会社によって成分が僅かながらに違う抗体を3回目の接種で初めて接種をした事によって身体の免疫機能が過剰反応を起こしたからなのでしょうか?僕は医者じゃないのでそのメカニズムについてはよく分かりませんが、少なくとも1回目と2回目に接種したワクチンが同じ製薬会社のワクチンで、3回目がそれとは異なるワクチンを接種する場合は注意が必要かもしれません

とは言ってもワクチンの副反応による重篤な症状の現れや死亡例というのは本当に稀なケースなのでそこまで過剰に心配する必要はないと思うのですが...

 

またこれはあくまでも僕自身が副反応を引き当ててしまい、発症した症例なので全ての人がこうなる訳では無いです。

現に同じ日に接種をした僕以外のグループホームメンバーはほぼ全員副反応が起きませんでした*1

僕だけが副反応を引き起こしやすい若者だったからなのか、はたまた僕の身体が貧弱過ぎるだけなのか、或いはその両方なのか...人によって副反応の症状が出る出ないは様々ありますが、少なくとも僕はかなり酷い症状が起きてしまいました(苦笑)

 

今は本当に十分落ち着けています。

このブログを投稿したら後でゼリーでも食べてゆっくりしようと思います😋

 

皆さんもワクチンの3回目接種をする時には体調面には気を使って、準備の方も万全に進めていてください。仕事は無理してやらない方が良いです。無理を効かせると余計に症状は酷くなるし、治るものも治らないですからね(笑)

 

それでは、鳩の小噺のコーナーでしたm(_ _)m

 

 

 

*1:1名だけ体温が上昇したものの、食欲はしっかりとあり、辛そうな様子ではなかった

【重大報告】Nintendo Switchを手放しました

 

 

いつもこのブログを読んでくれている皆様、本日はこのような不穏なタイトルであるにも関わらずこの記事を閲覧しに来ていただき、誠にありがとうございます。

フォロワーの皆様、特にNintendo Switchでフレンドとして繋がっている皆様には特にお伝えしなければならない重要な事があってこの文を綴るに至りました。

まずタイトルにもあります通り、私ニホンバトは2022年3月10日付で私自身が所有していたNintendo Switchを第三者への譲渡を理由に手放すに至った事をご報告申し上げます

譲渡をしたお相手は職場でよく仲良く話しているゲーマーの後輩であり、その方が今後私のSwitchを有効活用して使ってくれるとの事で、私の周囲の人間の中では一番信頼に足る人物である事を踏まえた上でその方に無償で譲渡致しました。今後はその後輩が私のSwitchを使ってくれます。Switchもまたちゃんと使ってくれる人の元に届けられたのでもう不憫な思いをする事はないでしょう。

そして肝心の譲渡に至った理由についてですが…

 

それについてはこれからお話しします。

 

ここから先はずっと書かないようにしようと封印していた愚痴記事になります。

 

読んでいて不快になる表現も多々あると思います。

 

それでも読んでくれる方がいましたらそこから下へスクロールをお願い致します。

 

受け付けられない方はここで読むのをやめる事を強くオススメします。

 

少々毒の強い文になると思いますので...

 

ではどうぞ

 

f:id:Gameslifeisff:20220306112321j:image

 

全ての始まりはポケモン剣盾

元々僕は大の任天堂好きでした。

物心ついた時から既に任天堂の製品に触れ、任天堂のハードとソフトを楽しんで来ました。親がゲーマーでゲームに寛容な親だったという事もあり、任天堂が新しいハードを出す度に親が発売日のローンチに毎回購入してくれていました。

スーファミ、64、ゲームキューブWiiWiiU、そしてNintendo Switch...据置ハードだけでもこれだけのハードを網羅して触れていき、それらと共に任天堂のソフトをずっと楽しみながら生きてきた人生でした。マリオ、カービィゼルダポケモンスマブラ...様々な任天堂のゲームに触れた事で作られた思い出はどれもが懐かしいと思うと共に一番ゲームが楽しかったとも言える期間でした。

またSwitchは過去のFFの名作を再びプレイする事が出来る機会を得たハードでもありました。ずっと解禁されることが無かった7以降のFFの任天堂ハードでの解禁、そのどれもが過去にはやった事があるものの、昔懐かしく思う気持ちが強くあってプレイしたくなるものばかりで、実際に買ってSwitchでのFFを大いに楽しみました。FF好きとして任天堂のハードでFFのゲームを体験する機会が得られた事は本当にその当時はとても嬉しかったです。

僕がゲームを好きになった一番最初のキッカケは任天堂だった。それは確かな自信を持って言えると思います。任天堂のゲームがあったからこそ今の自分がいるというのは間違いなかったです。

 

しかし...Nintendo Switchが発売されてから5年が過ぎた今、僕が思う事は

「Switchの作品にやりたいものがもうない」という事です。

一昔前はそれこそSwitchの作品を大いに楽しんでいました。ローンチソフトだったゼルダの伝説 ブレスオブザワイルドでは人生で初めて触れたオープンワールドのゲームだったという事もあって、これまでのゼルダシリーズの常識を覆した革新的な作品として深みにハマったというのもありますし。

スーパーマリオオデッセイではマリオサンシャイン以来の箱庭ゲームとしての最新作という事もあって、世界をまたに駆けるマリオの冒険に感動を覚えたり。

星のカービィスターアライズでは星のカービィWii以来のみんなで遊べるカービィとして家族みんなでワイワイ楽しく遊んだ記憶が深く胸に刻まれていたり...と、Switchで出た任天堂の最新作を楽しみまくった最初の1〜2年はとっても楽しい事ばかりでした。

...しかし、その気持ちが狂い始めたのはやはりあのソフトの存在でした。

 

ポケットモンスター「ソード」「シールド」

 

言わずと知れたポケットモンスターシリーズの当時の本編最新作にしてポケモンシリーズのSwitchソフトとしては2作目の作品。そこで起きたポケモンのリストラ騒動...ずっと当たり前だと思い続けていた過去作のポケモンが全て最新作に連れて来れるという"当たり前"、自分の愛する推しポケモンと共に最新作の地方で大冒険ができていたあの当たり前が崩れた初めての作品.....僕はポケモンにもハマっていた人間でしたのでその事実にはショックを隠しきれませんでした。

しかしその事自体が任天堂を好きになれなくなった原因の全てではありません。もちろんリストラ自体も大きなショックではありましたが、本質的な問題はそこではありませんでした。新しい世代のポケモン本編が出る度に新しい地方を生み出し、新しいポケモンを誕生させなければならない。過去には毎作100匹以上の新ポケモンを生み出している以上、それまで蓄積してきたポケモンの数が膨大なデータ量になるのは容易に想像出来る事でした。

だから僕自身はショックだったけどそれを受け入れてソフトを買おうと思っていた節もありました。けれど結局僕はポケモン剣盾を買いませんでした。理由は

「リストラ騒動を抜きにしても酷い剣盾のバグの多さから来るゲームフリークの技術力の低さ問題」「それを起因としたユーザーの批判を中傷で潰す任天堂界隈のディストピア感の酷さ」

この2つがポケモン剣盾を買わなかった理由と任天堂の作品に期待感を持てなくなった最初のキッカケでした。

僕は過去にポケモン剣盾に対してリストラ騒動の事や開発会社であるゲームフリークの技術力がSwitchの作品から格段に低くなった事を理由に苦言を呈した記事を書いて世に出した事がありました。結果、その記事は多くの人の目に触れて読まれたようで、当時はポケモン剣盾が発売されたばっかりの時だったので記事に対して多数の反応がありました。リストラ騒動に関してはファンの間でも大きく真っ二つに分かれた問題だったので記事の内容に賛同してくれる人もいましたが、反応があったものの半分以上は記事の内容への批判とその記事を書いた僕自身への中傷でした。

「こいつはポケモンの事を何も考えてない」

「アンチ乙」

「ゲーフリの気持ちを考えろ」

その方達の反応はまるでポケモンを批判をされる事自体を許さないとする怒りの気持ちが如実に現れた反応でした。僕は僕の気持ちとして今のポケモンに対して思う事、ゲームフリークに対して思う事を正直に述べただけなのに、僕の事をポケモンアンチだと中傷したその方達の怒りっ振りは凄まじいものがありました。

それだけではなく、僕はTwitterでもポケモン剣盾について苦言を呈すツイートを連日していたのでそれが原因でフォロワーさんとの繋がりが切れた事もありました。

自分がされて嫌だなと思う事はしない、言わない。人としてそれが常識だって言うのは頭の中では分かってるつもりでした。でもそれ以上に僕は昔ハマっていた頃のポケモンと今のポケモンの変わり様にショックが隠し切れなくなって、到底受け入れられなくなっていたんです。その気持ちを押し殺してまで、隠してまでポケモンの事を建前で語る事は出来ない。僕は僕の本音としてショックであるという事を述べさせてもらいました。けれど、出る杭は打たれるという言葉の通り、みんなが当たり前のように喜び、受け入れているポケモンに対して苦言を呈す僕の存在は同じ任天堂界隈の中では一際目立ち、浮いた存在でした。

だから当然信者と言われる人達に目をつけられるのも早かったです。スクショで僕のツイートを晒して袋叩きにしたり、スレッドで僕の名前を出して匿名で叩きにいったりと僕は僕の知らないところでポケモンアンチとして、任天堂アンチとしてその名が少し知られていたみたいです。

僕がポケモン剣盾を批判したのはポケモンシリーズがずっと好きだったが故の何で?、どうして?という気持ちの表れでしかなくて、悲しいという気持ちが大きかったから書かずには居られなかった。けれど任天堂界隈というのは少しでも任天堂の作品に対する批判をされる事が許せない人が多いみたいで

「楽しんでる人の気持ちを考えろ!💢」という言葉がその事を如実に表している事になります。

 

それからというものの、僕はポケモンの事について触れる事をやめました。実際、僕のフォロワーさんはみんなポケモン好きです。だからポケモンを楽しんでいるみんなの気持ちを踏みにじらないようにしようと、色々思うことはあっても僕はその事を考えないようにしようと、務めてポケモンの事に触れないようにしようとしました。そしたら、僕はその内、ポケモンに興味が無くなりました。

要するに気持ちが冷めてしまったんです。それまでずっとポケモンの事を考える日々で、アニポケは毎週欠かさず録画して見て、映画も毎年必ず見るほど大好きだったはずのポケモンに対する思い入れや気持ちだとかが一気に無くなってしまいました。昔はあれほどまでに大好きなポケモンバカだった筈なのに、今は微塵の興味もない。ポケモンの新作発表会があっても全然ワクワクしない。

それは多分、僕が袋叩きにされた事で、同じ任天堂のファンである事に違和感を覚え始めて、最終的には任天堂自体に対する気持ちが冷めたからそういう無の感情しか生み出せなくなったんだろうなって思ってます。

 

でも僕が任天堂に対して気持ちが冷めたのはポケモンだけではないです。ポケモンはあくまでも始まりのキッカケに過ぎないのです。

 

ポケモンショックの次はあつ森ショック

僕はあつまれどうぶつの森(以下 あつ森)に大きな期待を寄せていました。

Switchで始まる新しいどうぶつの森の進化、3DSで出たとびだせどうぶつの森(以下 とび森)が自分史上最高傑作だったが故にSwitchというハードでどんな進化を遂げるのか?期待とワクワクが自分の中に渦巻いていました。

僕が望んでいたどう森の新作は既に完成されていたとび森のシステムをベースとして正当進化させたどう森、それがあつ森になる...はずでした。

けれど、実際に出来上がった作品はこんな物でした。

スローライフが退屈でしょうがない ~あつ森に飽きてしまった人のあつ森感想〜 - ポッポ屋日記

詳しい内容はこの記事を見てもらえば分かりますが、発売当初のあつ森はローンチ時点で一年間で起こる行事の全てや従来あった施設等をソフト内には収録しておらず、インターネットに接続し、アップデートを施す事によってリアルタイムにイベントを楽しむためのソシャゲみたいな状態になっていました。

要するに最初から全てのイベント要素等をソフトには収録しておらず、ゲーム内容もアプデ前提の作りになっているせいでローンチ当初のあつ森はゲームとしての中身はスカスカ、システム面で言っても新要素は痒いところに手が届かない融通の効かなさとUIのクソ不便さが、作業になりやすいどう森シリーズでは当たり前の日常を過ごすのにストレスが蓄積していくばかり。

オマケにとび森の時点で完成されきっていたどう森シリーズお馴染みの仕様があつ森から大きく劣化してしまい*1、ストレスになる事が余計に増えてしまった。

あつ森の世界で日常を過していくにはまず最初に色々とやらなければならない事が多くあって、ユーザーはそれを半ば強いられる形で最初の何日間かは過ごさなきゃいけない。言わばチュートリアルのようなものが1日2日ほどで完了していたそれまでのどう森と違ってあつ森は何日間もの時間をじっくりとかけて熟(こな)さなければならない。そうでなければ収録されている要素の全ては解禁されず、「何をするのも自由」という言葉とは裏腹に、ある程度の行動制限を強いられる事の矛盾に僕は首を傾げました。

そして僕があつ森で何よりも嫌だったのは

「行事のリアルタイムイベント化」「アプデ前提によって完成されるロンチ時の中身60%方式」だった。

とび森の時はイベントが最初からソフトに全て収録されている事によって仕事などの事情でイベントを楽しむことが出来なかった人でも日付変更によって行事を楽しむなどの融通が効く事ができていた。けれどそれらの行事は全てオンラインによって管理されるようになり、リアルタイムなイベントとして楽しまざるを得ない事になった。それによって行事のある日が仕事の人などはイベントを楽しむことが出来なくなった。

その日は都合が悪いからと日付変更をして楽しもうとしてもイベントの制限と解禁は本営側で管理されているがために、日付をずらしてイベントを楽しむ事が出来なくなった。それらは全て不正利用によってユーザー間での差別が起こることを防ぐ為とされているが、いつ何時でも抜け穴は存在していて不正を働く人は必ず出てきてしまう。そういう人達を是正しようとして全てを統制するつもりでいたとしても、それで割を食うのはリアルな仕事の都合によって帰宅時間が夜だったり、早朝だったりする人だ。

あつ森のイベントは全ての人が平等に楽しめるものではなくなった。これがオンラインに繋げる必要も無い、オフラインで完成されていたものであればリアルタイムな時間に都合を合わせる必要なんか無く楽しめていたはずだ。でもそれが一切出来なくなった。

楽しみたいと思ったイベントすらリアルな事情によってまともに楽しむ事も出来ないんじゃあつ森をやる意味が大きく削がれることになる。

 

そしてさっきから何度も触れているゲームとしての中身スカスカ問題は長期に渡るアップデートを前提とした作りに敢えてしたという事があつ森開発スタッフ側から明らかにされているので、ロンチ当初の中身スカスカは"仕様"という事になる

要するに、このスカスカな現状を当たり前のものだとして受け入れて楽しめという事を公式側から強要されている事になる。実際、僕があつ森を引退した後、度重なる大型アップデートによって従来のとび森にあった施設やシステムは拡充され完成されるようになり、現在ではハニワや純喫茶ハトの巣が復活したんだとか。

けれど、それが実装されたのはあつ森の発売から1年と7ヶ月が経ってからの事だったから、ハトの巣でゆっくり寛げるには1年と7ヶ月というリアルな時を過ごさなければならないという事になる。

あつ森の中身が完成されるのに1年と7ヶ月...それまでの間は虚無の様なスカスカおせち状態のあつ森をずっと楽しまなければならない事になる。そんなの僕には到底我慢できませんでした。また、そんなスカスカ仕様だった中身を100%に補填する為の埋め合わせアプデを任天堂がすると告知すると必ずと言って良いほど「神アプデ!!!」と賞賛される様相に僕はある種のカルト感を覚えていました。

もしもこういう従来のシリーズでは既に存在していたシステムや要素を埋め合わせるためのアップデートをサードパーティのゲームがしていたら「こんなの最初から実装されてて当たり前だろ!」と批判されて袋叩きにあっていたはずです。でもそれを任天堂がやると批判ではなく、賞賛に繋がる..."任天堂がアプデをするという事実"にしかみんなが着目していないせいで、肝心のアプデ内容に対する評価がちゃんとできていない。そういうアプデ内容に対する批判をすると必ずと言って良いレベルで信者からの横槍が入る...

ここでもまた任天堂界隈のディストピア感が大きく現れることになります。任天堂のやることなすこと全てが正しいと信じきっている人が少なくないから、任天堂の批判をされると途端に怒る。任天堂への批判をまるで自分への批判かのように捉えて怒る。

僕はそういう人を何度も見てきました。正直、自分と企業を自己同一化してしまってる人が多くて怖いです。だからあの界隈では批判は許されず、賞賛をする事しか許されない。愚痴を言うと必ず「楽しんでる人のことを...」という文言で圧力を掛けられることになる.....僕は任天堂界隈への嫌気が後に任天堂自体に対する不信感に繋がることになりました。

 

僅か3ヶ月にも満たないまま引退する事にした僕はあつ森のダウンロード版を予約購入した事を激しく後悔しました。一昔前の任天堂だったらこんなにクオリティの低いソフトを出すはずがない...と思っていただけに、バグだらけの剣盾に続いて中身スカスカ虚無なあつ森が世に出た事が本当にショック過ぎて、僕はこの2つの作品のクオリティの低さを理由に任天堂のソフトに対する信頼感が崩れる事になりました。

 

任天堂への失望感は不信感へ

2019年に出たポケモン剣盾、2020年に出たあつ森という2つのビッグタイトルが軒並みあんまりなクオリティだった事もあり、僕は最近の任天堂ソフトの質に問題があるのでは?と思うようになってきました。

最近のゲームには必ず何かしらのバグがあって、時間をかけて最初からバグがない状態で出すよりも後からアプデで修正するのが当たり前...最近のゲーム業界ではそんな時代に入ってるとも言われていますが、それにしたって最近の任天堂が出す作品は軒並みクオリティが低く感じました。

故に任天堂がその後出している新作に対する期待感がだんだん薄まるようになっていき、いつしか僕は任天堂ソフトに対する興味がなくなっていきました。

 

それだけじゃないです。僕は任天堂の企業体質そのものにもだんだん不信感を感じるようになってきていました。任天堂と言えばよく任天堂神対応という話がバズって話題に上る事が時々ありますが、逆に任天堂に対する悪い話は全くと言って良い程、拡散されていません。

一昔前、3DSWiiUで用いていた「ニンテンドーネットワークID」(以下 NNID)が不正ログインの被害にあい、NNIDで管理されているアカウント内残高や登録したクレジットカードを使ってゲームソフトの不正購入といった被害が出ているという話がありました。それはフォロワーさんのリツイートを通じて出てきた話なのですが、肝心のそのツイートは神対応のツイートより全然拡散されていませんでした。

しかしTwitterで検索すると被害にあってる人の数はまぁまぁな数がいて、不正利用に対する嘆きのツイートが多く見られました。これはいわば不正ログイン被害というれっきとしたネットワークIDの管理不足及びセキュリティシステムがなっていないから起きた事...であるにも関わらず、任天堂その事をフォロワーが100万人いるはずのメインアカウントでは告知せず、フォローしてる人数が少ない「任天堂サポート」というアカウントで告知するに留める程度で終わっていました

アカウントの不正ログインによるクレカの不正利用といった重大な被害であるにも関わらず、マイナスな情報だと認識しているからなのか、それをメインアカウントで告知しない事は不誠実な対応だと僕は捉えました。オマケに酷いのがクレカの不正利用という被害にあった被害者が任天堂にその事を問い合わせると「カード会社と直接お話してください」と不正使用に対する対応は全てカード会社と本人のやり取りに丸投げという不誠実にも程があるレベルの、不誠実極まりない悪質な対応をされたという話も出ています。

つまり任天堂が運営して管理するIDシステムやプラットフォーム上で起きている問題であるにも関わらず、任天堂はそのことに対して知らん振りをしてまともな対応すらしないという話を聞いて僕は任天堂に対する怒りを覚えました。

嘘だと思う人も多いかもしれませんが、実際に被害に遭ってる人がいるのは確かな事実です。にも関わらず、その事を述べたツイートは全く拡散されずに泣き寝入りする被害者も居る事態、逆に任天堂の嘘みたいな神対応話は素晴らしい!流石任天堂!と絶賛されながら拡散されるという現状...

任天堂神対応話はあまりにも出来すぎている話も多く、つい最近拡散された「メルカリで買った中古の3DSがかつて自分が手放した3DSだった」という話が真っ赤な嘘だったというのは記憶に新しいです。

 

任天堂の不誠実さを象徴するもうひとつの出来事はJoy-Conのドリフト問題を解決しない事」です。SwitchのJoy-Conのアナログスティック部分が勝手に誤動作する事で、キャラクターが動いたり、メニュー画面が勝手にスクロールするような状態をドリフトと称して呼ばれている現象があります。これはSwitchが発売された2017年当初からずっと叫ばれ続けている問題であり、ドリフトの原因となるものも明らかにされています。

にも関わらず、任天堂はアナログスティックのドリフト問題を解決するばかりか、何の改善を施すこともせずに逆に新しいSwitchを出すばかり...昔発売された本体と一体型になっているSwitch Liteも、つい最近発売された有機ELモデルのJoy-Conもほとんど改善されてないまま放置、Joy-Conだけは相変わらず使って半年〜1年以内にドリフトを起こして、修理に出すか新しいものを買わなければならないという現状...このコントローラーのあまりにもお粗末な造り具合にフランスでは消費者団体がJoy-Conを名指しした上で計画的陳腐化と称して任天堂に損害賠償を求める訴えを起こした程です。

あれだけJoy-Conのドリフトが酷いと世界で訴えられてるにも関わらず、任天堂は何故それを改善しようとしないのか?もはやすぐ壊れやすいJoy-Conの修理費でユーザーから搾取しているのでは?と疑ってしまうほど Joy-Conの壊れ具合は酷いものです。僕も初めてSwitchを買ってから3回ほど、新しいものと交換をしました。理由は全てJoy-Conのドリフト問題で1度修理に出してしまうと帰ってくるまでが面倒だからという理由で、壊れる度に新しいJoy-Conを買っていました。

しかしそれでもやはりJoy-Conは半年しかアナログスティックの正常性が保つ事が出来ず、まるで消耗品のように壊れていくばかり...けれどJoy-Conはれっきとしたコントローラー、決して安いものでは無いのです。結構な値段のするものですからそれなりに年数が持ってくれないととても困るのです。5年もの猶予があれば任天堂Joy-Conのスティック部分の改善を施す事だって出来たはずです。なのにそれをしない.....

 

そんな話を聞いているうちに僕は任天堂に対する信頼感というものが無くなっていき、逆に不信感を感じるようになってきました。

 

ソフト自体のクオリティの低さに留まらず、企業体質としてのユーザーに対する不誠実さ、そういう批判をされることを許さないとして潰しに掛る信者たちが蔓延る界隈.....

 

複雑で色んな原因が絡んでいく事によって、いつしか僕はNintendo Switch自体を起動する事が無くなりました。

 

僕がNintendo Switchを手放した理由

2021年の一年間はSwitchのゲームは1本も買いませんでした。最後に買ったSwitchのゲームは2020年のあつ森の後に発売された「世界のアソビ大全51」で細々とゲームを楽しんでいた程度で終わっており、それから一切Switchの新作ソフトを買ったり、プレイする事はありませんでした。

僕の中で任天堂ソフトに対する期待感が皆無になった事と、任天堂自体への不信感が募った事、任天堂界隈と言われる所のディストピアな世界に嫌気が差した事...それまで当たり前のように受け入れて楽しんでいたはずの"任天堂のソフトを遊ぶ"という事が出来なくなった自分はいつしかSwitchの存在を放ったらかす様になりました。

今年の1月に2021年のSwitchのプレイ記録が算出されました。結果、1年間のトータルでSwitchで遊んだ時間は147時間ちょっと、オマケに遊んだソフトの第1位がYouTubeというゲームですらないお粗末さ

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一方で2021年の3月末に買ったPlayStation 5でのゲームを遊んだ時間はトータル800時間を優に超えており、去年の僕のゲームライフはPS4&PS5ソフト一色だったのが伺い知れる結果となりました。

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僕はこの現状を鑑みた結果、今の僕がSwitchを持っている事にもはや意味が無い事を実感しました。

なので僕はこれから先、Switchのソフトをプレイする事が無いと判断した以上、僕の元に置かれて死蔵されるよりも"ちゃんと使ってくれる人の元に届けた方が良い"...そう決意しました。

 

この決意をするまでには相当悩んだりもしました

いくらSwitchのソフトをプレイする事が無くなったからと言っても、ゲーム機本体を手放すというのは余程の事がない限りするべきでは無い。Switchのフレンドとして繋がってくれている人の存在もあるし、もしかしたらこの先Switchでやりたい!と思うソフトが出てきたとしても、本体が無い事を理由にプレイする機会もチャンスも一切得られなくなる。持っている事による無意味さも深刻だが、手元から失う事による損失もまた代償としては大きなものでした。

けれど、それでも僕はこのSwitchをいつまでも持ち続けていることに意味を見出せませんでした

任天堂のハードというのは代々任天堂のソフトをプレイする為だけに存在するというのが大きくあります。当然の事ながら、任天堂のソフトは任天堂のハードでしかプレイする事が出来ない。

かつて僕が任天堂のハードを買い、いつまでもその本体を持ち続けられていたのは、僕がかつて任天堂のソフトを愛していたから保ち続けられていた様なものであり、任天堂のソフトに対して一切の期待感が持てなくなり、興味も無くなってしまった今、僕はSwitchをいつまでも持ち続ける事に意味を感じられませんでした。

 

そして今の僕はPlayStationのゲームに魅力を感じて、ゲーマーとして心惹かれるようになっています。

PS4、PS5にはこれまで体感する事の出来なかった素晴らしく面白いゲームが沢山あります。そしてそれらの殆どはNintendo Switchではプレイできません。なぜならSwitchというハードはゲーム機としての性能が圧倒的に低いPS4はおろか、PS3の性能にも届くかどうか...というのが現状。そんな低性能なハードではプレイ出来るソフトに大きな制限が課せられてしまうのも仕方がない事です。これはゲハ的思考でもなんでもありません。言わずと知れた事実です。

けれど界隈の人達は"Nintendo Switchは低性能"という事実を受け入れる事が出来ない人が多いみたいで、大手サードパーティがPS、Xbox向けに新作ソフトの発表をすると「Switchにもクレクレ」と乞食をする始末、最近のゲームはマルチ販売されるのが当たり前になってきた現状で何故Switchだけがマルチからハブられる事になるのか?それは業界のしがらみでもなければ、圧力でもない。ただ単純にSwitchはゲーム機としての性能が低い。故にSwitchがマルチに入ると途端に開発が難航するからです

その事が分からないのか、理解できないのか...或いは敢えて理解しようとしないのか、ソニーの圧力ガーと陰謀論を唱える人達によってSwitchがマルチに入らなかったサードパーティのソフトはネガキャンをされる惨状...そのくせにウィッチャー3やドラクエ11Sの様にSwitchの性能に合わせてダウングレードという作業をして頑張ったソフトもあるにも関わらず、任天堂ユーザーは任天堂のソフトにしか興味が無いからサードが出した期待の新作は鳴かず飛ばずの結果に終わる事も少なくはない。

そんな現状ではサードが社運を掛けて作る新作をSwitchに向けて作るはずがなく、サードが出すSwitch向けの面白そうなソフトは皆無に等しい。

日本の世間ではSwitchの方が売れてるからと言ったって大抵みんな任天堂のソフトにしか興味が無いからサードのゲームが売れる土壌にもなっていない。それなのに業界では任天堂がトップを走るという歪んだ鼻高をする人達でいっぱいの今の任天堂界隈に僕の席はない。

 

やりたいと思えるソフトが何も無かった中、「1年半振りにSwitchのソフトをプレイする事になりそうだな...」と思い期待していたものがありました。それがスクエニが今日発売したチョコボGP...しかし先日の生放送で、チョコボGPはオンライン要素を強く推している上に、"プライズパス"というオンラインスコアカードを購入し、日々チョコボGPモードをプレイする事で、プライズパスのレベルを上げないとプレイアブルキャラとしてのクラウドが手に入らないという、まるで「ソシャゲ」の様なシステムである事が公式生放送で公開されてから、僕はチョコボGPに見切りをつけました。

あのチョコボGPだけが僕がSwitchを今でも持ち続ける事が出来た唯一の存在意義だった。

けれどそんな唯一の希望だったはずのチョコボGPも地雷の予感を感じさせてしまった。

チョコボGPを買う事を辞めた僕はSwitchで欲しいと思うソフトが一切無くなった。そしてまた僕のSwitchはゲーム機としての役割を果たす事が出来ず、ホコリ被る日々を過ごす事が確定してしまった。

僕はSwitchのゲームをこの先やる事がもうないのに、いつまで経ってもSwitch本体を死蔵して持ち続けている...それではSwitchがあまりにも報われないし、僕も心苦しくなる。

 

だったらSwitchを手放し、もうSwitchユーザーではなくなる事を選ぶ事にしよう

 

それが僕がNintendo Switchを手放した理由です

 

自分がゲーマーであるという自負が少しでもあるのならSwitchとPS5、両方のゲームを楽しんでこそゲーマーであるだろう...という意見があるのも分かりますし、ごもっともな意見だと思います。

しかし僕はPS5での圧倒的豪華なゲーム体験を味わってしまった。Switchでは4Kの美麗なグラフィックでの風景を見ることも出来ないし、60fpsによるぬるぬるフレームレートで快適なゲームプレイをする事も出来ない。ゲームを語る上では欠かせない解像度とフレームレートはゲームをプレイする上での快適さを構成する基本的で重要な要素であり、それは高ければ高い程良いです。

PS5で一度ゲーム体験の上限を味わってしまった以上、下限を楽しむ事が出来なくなった僕は今更Switchのソフトをプレイする気にならないんです。

仮にPS4&PS5とSwitchのマルチソフトが同時に発売されたら僕はSwitch版よりもPS4&PS5版の方を選びます。そっちの方が少しでも快適なゲーム体験を得られるからです。

 

2017年当時はずっとワクワクと期待感に満ち溢れながら楽しんでいたNintendo Switchというハードとソフト...最初の2年間だけは本当に純粋に楽しむ気持ちがまだ保てていました。

だけどそれも2019年〜20年に掛けて色々とおかしくなり始めて、2021年、そして2022年となった今、僕は完全にSwitchのソフトを楽しめなくなった。

 

たった5年でここまで自分の中の価値観が大きく変わる事になるなんて思わなかったです。

5年前の自分にお前は将来任天堂が好きではなくなると言ったとしても信じようとしなかったでしょう。

 

改めて言います

僕は2022年3月10日をもってSwitchユーザーでは無くなりました

特にSwitchでフレンドとして繋がってくれていた皆様には突然の報告となってしまった事を深くお詫び致します。

今の僕は任天堂に対して不信感という毒を持っています。ニホンバトのアカウントではそれを表には出していませんでしたが、裏垢では結構な猛毒を吐きまくっています。

また目に見えるブログという形でかつてのような愚痴記事を書くこともずっと封印していました。それは自分の書きたいことよりも周りの気持ちの尊重というある種の憚りを受けて、ずっと書きたくても書かないようにしようと我慢していた部分もありました。

しかし今回ばかりは書かせてください。"今の僕が任天堂のソフトを楽しめなくなった事"、"Switchというハードを起動せずずっと死蔵するようになっていた事"は事実であり、Switchを手放した以上、皆様にはそれに至った経緯というのをキッチリと説明する義務があると感じ、今回は敢えて猛毒を織り交ぜながら書くことにしました。

ここまで書いてあるこの文の全ては僕自身の本音の気持ちです。

 

これから先の僕はPS5でPSのソフトを楽しむ人として生きていきます。

色々と失望させちゃってごめんなさい

ガッカリさせちゃってすみません

 

皆様は素敵なSwitchゲームライフをお楽しみください。

 

 

最後に

このNintendo Switchを後輩に明け渡すまでの間、僕はSwitchで遊んできた5年間の日々を思い出していました。

振り返ってみれば楽しかったな...と思う事もいっぱいありました。初めてNintendo Switchを店頭のゲオで購入する時に店員さんがゲーム機の箱を持ってくる瞬間、そこで初めて実物大のゲーム機を見た時の大きさに対する驚きや、持ってみた時の重量感、早く開けたい!早くやりたい!とワクワクする気持ちを抑えながら駆け足で帰っていたあの時間...そして箱を開け、中身を見た瞬間の感動...あれは今でも忘れられない瞬間でもありました。

任天堂のゲームをプレイする時はいつも家族の誰かしらと同じ画面を共有しながら一緒にプレイしたり、横からあーだこーだ言ったりと、常に誰かと共にある状況でゲームをプレイしていました。みんなで一緒にプレイができるマリオテニスACEでは母や弟と一緒にJoy-Conを振って楽しんだりもしましたし、マリオカートDXでは対戦で大いに盛り上がりました。最後にやった世界のアソビ大全51では、昔から麻雀を得意としていた母がアソビ大全に収録されている麻雀のプレイにハマっていて、若かりし頃と比べてゲームをほとんどやらなくなったあの母親が久々にゲームにハマっている姿を見るのは久しぶりでした。

Nintendo Switchというハードは任天堂のソフトと、昔懐かしいと思う気持ちを蘇らせるためのレトロゲームやそのリマスターをプレイするのに最適なハードだと思います。

僕自身はこの5年間もの期間の間で価値観が大きく変容したのでSwitchを手放す事にしましたが、きっとNintendo Switchというハードはこれからも世間の注目を集める存在としてこれからも活躍をしていくのでしょう。残念ながら僕はそれを体験という形で共に歩む事は出来ませんが、Switchというハードがこれからも多くの人に感動を与えるハードになる事を元ユーザーとして心から願っております。

 

 

ここまでの長文を読んでくれて本当にありがとうございました。

それではまた、もう愚痴記事は書かないつもりですのでどうかよろしくお願い致します!

 

ありがとうございました!

 

 

 

*1:代表的なのがそれまで一切壊れることのなかったスコップや釣竿、虫取り網といった道具がDIYという新システムの都合上回数制限が付いて壊れるようになり、消耗品と化してしまった...等