いつもこのブログを読んでくれている皆様、本日はこのような不穏なタイトルであるにも関わらずこの記事を閲覧しに来ていただき、誠にありがとうございます。
フォロワーの皆様、特にNintendo Switchでフレンドとして繋がっている皆様には特にお伝えしなければならない重要な事があってこの文を綴るに至りました。
まずタイトルにもあります通り、私ニホンバトは2022年3月10日付で私自身が所有していたNintendo Switchを第三者への譲渡を理由に手放すに至った事をご報告申し上げます。
譲渡をしたお相手は職場でよく仲良く話しているゲーマーの後輩であり、その方が今後私のSwitchを有効活用して使ってくれるとの事で、私の周囲の人間の中では一番信頼に足る人物である事を踏まえた上でその方に無償で譲渡致しました。今後はその後輩が私のSwitchを使ってくれます。Switchもまたちゃんと使ってくれる人の元に届けられたのでもう不憫な思いをする事はないでしょう。
そして肝心の譲渡に至った理由についてですが…
それについてはこれからお話しします。
ここから先はずっと書かないようにしようと封印していた愚痴記事になります。
読んでいて不快になる表現も多々あると思います。
それでも読んでくれる方がいましたらそこから下へスクロールをお願い致します。
受け付けられない方はここで読むのをやめる事を強くオススメします。
少々毒の強い文になると思いますので...
ではどうぞ
全ての始まりはポケモン剣盾
元々僕は大の任天堂好きでした。
物心ついた時から既に任天堂の製品に触れ、任天堂のハードとソフトを楽しんで来ました。親がゲーマーでゲームに寛容な親だったという事もあり、任天堂が新しいハードを出す度に親が発売日のローンチに毎回購入してくれていました。
スーファミ、64、ゲームキューブ、Wii、WiiU、そしてNintendo Switch...据置ハードだけでもこれだけのハードを網羅して触れていき、それらと共に任天堂のソフトをずっと楽しみながら生きてきた人生でした。マリオ、カービィ、ゼルダ、ポケモン、スマブラ...様々な任天堂のゲームに触れた事で作られた思い出はどれもが懐かしいと思うと共に一番ゲームが楽しかったとも言える期間でした。
またSwitchは過去のFFの名作を再びプレイする事が出来る機会を得たハードでもありました。ずっと解禁されることが無かった7以降のFFの任天堂ハードでの解禁、そのどれもが過去にはやった事があるものの、昔懐かしく思う気持ちが強くあってプレイしたくなるものばかりで、実際に買ってSwitchでのFFを大いに楽しみました。FF好きとして任天堂のハードでFFのゲームを体験する機会が得られた事は本当にその当時はとても嬉しかったです。
僕がゲームを好きになった一番最初のキッカケは任天堂だった。それは確かな自信を持って言えると思います。任天堂のゲームがあったからこそ今の自分がいるというのは間違いなかったです。
しかし...Nintendo Switchが発売されてから5年が過ぎた今、僕が思う事は
「Switchの作品にやりたいものがもうない」という事です。
一昔前はそれこそSwitchの作品を大いに楽しんでいました。ローンチソフトだったゼルダの伝説 ブレスオブザワイルドでは人生で初めて触れたオープンワールドのゲームだったという事もあって、これまでのゼルダシリーズの常識を覆した革新的な作品として深みにハマったというのもありますし。
スーパーマリオオデッセイではマリオサンシャイン以来の箱庭ゲームとしての最新作という事もあって、世界をまたに駆けるマリオの冒険に感動を覚えたり。
星のカービィスターアライズでは星のカービィWii以来のみんなで遊べるカービィとして家族みんなでワイワイ楽しく遊んだ記憶が深く胸に刻まれていたり...と、Switchで出た任天堂の最新作を楽しみまくった最初の1〜2年はとっても楽しい事ばかりでした。
...しかし、その気持ちが狂い始めたのはやはりあのソフトの存在でした。
ポケットモンスター「ソード」「シールド」
言わずと知れたポケットモンスターシリーズの当時の本編最新作にしてポケモンシリーズのSwitchソフトとしては2作目の作品。そこで起きたポケモンのリストラ騒動...ずっと当たり前だと思い続けていた過去作のポケモンが全て最新作に連れて来れるという"当たり前"、自分の愛する推しポケモンと共に最新作の地方で大冒険ができていたあの当たり前が崩れた初めての作品.....僕はポケモンにもハマっていた人間でしたのでその事実にはショックを隠しきれませんでした。
しかしその事自体が任天堂を好きになれなくなった原因の全てではありません。もちろんリストラ自体も大きなショックではありましたが、本質的な問題はそこではありませんでした。新しい世代のポケモン本編が出る度に新しい地方を生み出し、新しいポケモンを誕生させなければならない。過去には毎作100匹以上の新ポケモンを生み出している以上、それまで蓄積してきたポケモンの数が膨大なデータ量になるのは容易に想像出来る事でした。
だから僕自身はショックだったけどそれを受け入れてソフトを買おうと思っていた節もありました。けれど結局僕はポケモン剣盾を買いませんでした。理由は
「リストラ騒動を抜きにしても酷い剣盾のバグの多さから来るゲームフリークの技術力の低さ問題」と「それを起因としたユーザーの批判を中傷で潰す任天堂界隈のディストピア感の酷さ」
この2つがポケモン剣盾を買わなかった理由と任天堂の作品に期待感を持てなくなった最初のキッカケでした。
僕は過去にポケモン剣盾に対してリストラ騒動の事や開発会社であるゲームフリークの技術力がSwitchの作品から格段に低くなった事を理由に苦言を呈した記事を書いて世に出した事がありました。結果、その記事は多くの人の目に触れて読まれたようで、当時はポケモン剣盾が発売されたばっかりの時だったので記事に対して多数の反応がありました。リストラ騒動に関してはファンの間でも大きく真っ二つに分かれた問題だったので記事の内容に賛同してくれる人もいましたが、反応があったものの半分以上は記事の内容への批判とその記事を書いた僕自身への中傷でした。
「こいつはポケモンの事を何も考えてない」
「アンチ乙」
「ゲーフリの気持ちを考えろ」
その方達の反応はまるでポケモンを批判をされる事自体を許さないとする怒りの気持ちが如実に現れた反応でした。僕は僕の気持ちとして今のポケモンに対して思う事、ゲームフリークに対して思う事を正直に述べただけなのに、僕の事をポケモンアンチだと中傷したその方達の怒りっ振りは凄まじいものがありました。
それだけではなく、僕はTwitterでもポケモン剣盾について苦言を呈すツイートを連日していたのでそれが原因でフォロワーさんとの繋がりが切れた事もありました。
自分がされて嫌だなと思う事はしない、言わない。人としてそれが常識だって言うのは頭の中では分かってるつもりでした。でもそれ以上に僕は昔ハマっていた頃のポケモンと今のポケモンの変わり様にショックが隠し切れなくなって、到底受け入れられなくなっていたんです。その気持ちを押し殺してまで、隠してまでポケモンの事を建前で語る事は出来ない。僕は僕の本音としてショックであるという事を述べさせてもらいました。けれど、出る杭は打たれるという言葉の通り、みんなが当たり前のように喜び、受け入れているポケモンに対して苦言を呈す僕の存在は同じ任天堂界隈の中では一際目立ち、浮いた存在でした。
だから当然信者と言われる人達に目をつけられるのも早かったです。スクショで僕のツイートを晒して袋叩きにしたり、スレッドで僕の名前を出して匿名で叩きにいったりと僕は僕の知らないところでポケモンアンチとして、任天堂アンチとしてその名が少し知られていたみたいです。
僕がポケモン剣盾を批判したのはポケモンシリーズがずっと好きだったが故の何で?、どうして?という気持ちの表れでしかなくて、悲しいという気持ちが大きかったから書かずには居られなかった。けれど任天堂界隈というのは少しでも任天堂の作品に対する批判をされる事が許せない人が多いみたいで
「楽しんでる人の気持ちを考えろ!💢」という言葉がその事を如実に表している事になります。
それからというものの、僕はポケモンの事について触れる事をやめました。実際、僕のフォロワーさんはみんなポケモン好きです。だからポケモンを楽しんでいるみんなの気持ちを踏みにじらないようにしようと、色々思うことはあっても僕はその事を考えないようにしようと、務めてポケモンの事に触れないようにしようとしました。そしたら、僕はその内、ポケモンに興味が無くなりました。
要するに気持ちが冷めてしまったんです。それまでずっとポケモンの事を考える日々で、アニポケは毎週欠かさず録画して見て、映画も毎年必ず見るほど大好きだったはずのポケモンに対する思い入れや気持ちだとかが一気に無くなってしまいました。昔はあれほどまでに大好きなポケモンバカだった筈なのに、今は微塵の興味もない。ポケモンの新作発表会があっても全然ワクワクしない。
それは多分、僕が袋叩きにされた事で、同じ任天堂のファンである事に違和感を覚え始めて、最終的には任天堂自体に対する気持ちが冷めたからそういう無の感情しか生み出せなくなったんだろうなって思ってます。
でも僕が任天堂に対して気持ちが冷めたのはポケモンだけではないです。ポケモンはあくまでも始まりのキッカケに過ぎないのです。
ポケモンショックの次はあつ森ショック
僕はあつまれどうぶつの森(以下 あつ森)に大きな期待を寄せていました。
Switchで始まる新しいどうぶつの森の進化、3DSで出たとびだせどうぶつの森(以下 とび森)が自分史上最高傑作だったが故にSwitchというハードでどんな進化を遂げるのか?期待とワクワクが自分の中に渦巻いていました。
僕が望んでいたどう森の新作は既に完成されていたとび森のシステムをベースとして正当進化させたどう森、それがあつ森になる...はずでした。
けれど、実際に出来上がった作品はこんな物でした。
スローライフが退屈でしょうがない ~あつ森に飽きてしまった人のあつ森感想〜 - ポッポ屋日記
詳しい内容はこの記事を見てもらえば分かりますが、発売当初のあつ森はローンチ時点で一年間で起こる行事の全てや従来あった施設等をソフト内には収録しておらず、インターネットに接続し、アップデートを施す事によってリアルタイムにイベントを楽しむためのソシャゲみたいな状態になっていました。
要するに最初から全てのイベント要素等をソフトには収録しておらず、ゲーム内容もアプデ前提の作りになっているせいでローンチ当初のあつ森はゲームとしての中身はスカスカ、システム面で言っても新要素は痒いところに手が届かない融通の効かなさとUIのクソ不便さが、作業になりやすいどう森シリーズでは当たり前の日常を過ごすのにストレスが蓄積していくばかり。
オマケにとび森の時点で完成されきっていたどう森シリーズお馴染みの仕様があつ森から大きく劣化してしまい*1、ストレスになる事が余計に増えてしまった。
あつ森の世界で日常を過していくにはまず最初に色々とやらなければならない事が多くあって、ユーザーはそれを半ば強いられる形で最初の何日間かは過ごさなきゃいけない。言わばチュートリアルのようなものが1日2日ほどで完了していたそれまでのどう森と違ってあつ森は何日間もの時間をじっくりとかけて熟(こな)さなければならない。そうでなければ収録されている要素の全ては解禁されず、「何をするのも自由」という言葉とは裏腹に、ある程度の行動制限を強いられる事の矛盾に僕は首を傾げました。
そして僕があつ森で何よりも嫌だったのは
「行事のリアルタイムイベント化」と「アプデ前提によって完成されるロンチ時の中身60%方式」だった。
とび森の時はイベントが最初からソフトに全て収録されている事によって仕事などの事情でイベントを楽しむことが出来なかった人でも日付変更によって行事を楽しむなどの融通が効く事ができていた。けれどそれらの行事は全てオンラインによって管理されるようになり、リアルタイムなイベントとして楽しまざるを得ない事になった。それによって行事のある日が仕事の人などはイベントを楽しむことが出来なくなった。
その日は都合が悪いからと日付変更をして楽しもうとしてもイベントの制限と解禁は本営側で管理されているがために、日付をずらしてイベントを楽しむ事が出来なくなった。それらは全て不正利用によってユーザー間での差別が起こることを防ぐ為とされているが、いつ何時でも抜け穴は存在していて不正を働く人は必ず出てきてしまう。そういう人達を是正しようとして全てを統制するつもりでいたとしても、それで割を食うのはリアルな仕事の都合によって帰宅時間が夜だったり、早朝だったりする人だ。
あつ森のイベントは全ての人が平等に楽しめるものではなくなった。これがオンラインに繋げる必要も無い、オフラインで完成されていたものであればリアルタイムな時間に都合を合わせる必要なんか無く楽しめていたはずだ。でもそれが一切出来なくなった。
楽しみたいと思ったイベントすらリアルな事情によってまともに楽しむ事も出来ないんじゃあつ森をやる意味が大きく削がれることになる。
そしてさっきから何度も触れているゲームとしての中身スカスカ問題は長期に渡るアップデートを前提とした作りに敢えてしたという事があつ森開発スタッフ側から明らかにされているので、ロンチ当初の中身スカスカは"仕様"という事になる。
要するに、このスカスカな現状を当たり前のものだとして受け入れて楽しめという事を公式側から強要されている事になる。実際、僕があつ森を引退した後、度重なる大型アップデートによって従来のとび森にあった施設やシステムは拡充され完成されるようになり、現在ではハニワや純喫茶ハトの巣が復活したんだとか。
けれど、それが実装されたのはあつ森の発売から1年と7ヶ月が経ってからの事だったから、ハトの巣でゆっくり寛げるには1年と7ヶ月というリアルな時を過ごさなければならないという事になる。
あつ森の中身が完成されるのに1年と7ヶ月...それまでの間は虚無の様なスカスカおせち状態のあつ森をずっと楽しまなければならない事になる。そんなの僕には到底我慢できませんでした。また、そんなスカスカ仕様だった中身を100%に補填する為の埋め合わせアプデを任天堂がすると告知すると必ずと言って良いほど「神アプデ!!!」と賞賛される様相に僕はある種のカルト感を覚えていました。
もしもこういう従来のシリーズでは既に存在していたシステムや要素を埋め合わせるためのアップデートをサードパーティのゲームがしていたら「こんなの最初から実装されてて当たり前だろ!」と批判されて袋叩きにあっていたはずです。でもそれを任天堂がやると批判ではなく、賞賛に繋がる..."任天堂がアプデをするという事実"にしかみんなが着目していないせいで、肝心のアプデ内容に対する評価がちゃんとできていない。そういうアプデ内容に対する批判をすると必ずと言って良いレベルで信者からの横槍が入る...
ここでもまた任天堂界隈のディストピア感が大きく現れることになります。任天堂のやることなすこと全てが正しいと信じきっている人が少なくないから、任天堂の批判をされると途端に怒る。任天堂への批判をまるで自分への批判かのように捉えて怒る。
僕はそういう人を何度も見てきました。正直、自分と企業を自己同一化してしまってる人が多くて怖いです。だからあの界隈では批判は許されず、賞賛をする事しか許されない。愚痴を言うと必ず「楽しんでる人のことを...」という文言で圧力を掛けられることになる.....僕は任天堂界隈への嫌気が後に任天堂自体に対する不信感に繋がることになりました。
僅か3ヶ月にも満たないまま引退する事にした僕はあつ森のダウンロード版を予約購入した事を激しく後悔しました。一昔前の任天堂だったらこんなにクオリティの低いソフトを出すはずがない...と思っていただけに、バグだらけの剣盾に続いて中身スカスカ虚無なあつ森が世に出た事が本当にショック過ぎて、僕はこの2つの作品のクオリティの低さを理由に任天堂のソフトに対する信頼感が崩れる事になりました。
任天堂への失望感は不信感へ
2019年に出たポケモン剣盾、2020年に出たあつ森という2つのビッグタイトルが軒並みあんまりなクオリティだった事もあり、僕は最近の任天堂ソフトの質に問題があるのでは?と思うようになってきました。
最近のゲームには必ず何かしらのバグがあって、時間をかけて最初からバグがない状態で出すよりも後からアプデで修正するのが当たり前...最近のゲーム業界ではそんな時代に入ってるとも言われていますが、それにしたって最近の任天堂が出す作品は軒並みクオリティが低く感じました。
故に任天堂がその後出している新作に対する期待感がだんだん薄まるようになっていき、いつしか僕は任天堂ソフトに対する興味がなくなっていきました。
それだけじゃないです。僕は任天堂の企業体質そのものにもだんだん不信感を感じるようになってきていました。任天堂と言えばよく任天堂の神対応という話がバズって話題に上る事が時々ありますが、逆に任天堂に対する悪い話は全くと言って良い程、拡散されていません。
一昔前、3DSとWiiUで用いていた「ニンテンドーネットワークID」(以下 NNID)が不正ログインの被害にあい、NNIDで管理されているアカウント内残高や登録したクレジットカードを使ってゲームソフトの不正購入といった被害が出ているという話がありました。それはフォロワーさんのリツイートを通じて出てきた話なのですが、肝心のそのツイートは神対応のツイートより全然拡散されていませんでした。
しかしTwitterで検索すると被害にあってる人の数はまぁまぁな数がいて、不正利用に対する嘆きのツイートが多く見られました。これはいわば不正ログイン被害というれっきとしたネットワークIDの管理不足及びセキュリティシステムがなっていないから起きた事...であるにも関わらず、任天堂はその事をフォロワーが100万人いるはずのメインアカウントでは告知せず、フォローしてる人数が少ない「任天堂サポート」というアカウントで告知するに留める程度で終わっていました。
アカウントの不正ログインによるクレカの不正利用といった重大な被害であるにも関わらず、マイナスな情報だと認識しているからなのか、それをメインアカウントで告知しない事は不誠実な対応だと僕は捉えました。オマケに酷いのがクレカの不正利用という被害にあった被害者が任天堂にその事を問い合わせると「カード会社と直接お話してください」と不正使用に対する対応は全てカード会社と本人のやり取りに丸投げという不誠実にも程があるレベルの、不誠実極まりない悪質な対応をされたという話も出ています。
つまり任天堂が運営して管理するIDシステムやプラットフォーム上で起きている問題であるにも関わらず、任天堂はそのことに対して知らん振りをしてまともな対応すらしないという話を聞いて僕は任天堂に対する怒りを覚えました。
嘘だと思う人も多いかもしれませんが、実際に被害に遭ってる人がいるのは確かな事実です。にも関わらず、その事を述べたツイートは全く拡散されずに泣き寝入りする被害者も居る事態、逆に任天堂の嘘みたいな神対応話は素晴らしい!流石任天堂!と絶賛されながら拡散されるという現状...
任天堂の神対応話はあまりにも出来すぎている話も多く、つい最近拡散された「メルカリで買った中古の3DSがかつて自分が手放した3DSだった」という話が真っ赤な嘘だったというのは記憶に新しいです。
任天堂の不誠実さを象徴するもうひとつの出来事は「Joy-Conのドリフト問題を解決しない事」です。SwitchのJoy-Conのアナログスティック部分が勝手に誤動作する事で、キャラクターが動いたり、メニュー画面が勝手にスクロールするような状態をドリフトと称して呼ばれている現象があります。これはSwitchが発売された2017年当初からずっと叫ばれ続けている問題であり、ドリフトの原因となるものも明らかにされています。
にも関わらず、任天堂はアナログスティックのドリフト問題を解決するばかりか、何の改善を施すこともせずに逆に新しいSwitchを出すばかり...昔発売された本体と一体型になっているSwitch Liteも、つい最近発売された有機ELモデルのJoy-Conもほとんど改善されてないまま放置、Joy-Conだけは相変わらず使って半年〜1年以内にドリフトを起こして、修理に出すか新しいものを買わなければならないという現状...このコントローラーのあまりにもお粗末な造り具合にフランスでは消費者団体がJoy-Conを名指しした上で「計画的陳腐化」と称して任天堂に損害賠償を求める訴えを起こした程です。
あれだけJoy-Conのドリフトが酷いと世界で訴えられてるにも関わらず、任天堂は何故それを改善しようとしないのか?もはやすぐ壊れやすいJoy-Conの修理費でユーザーから搾取しているのでは?と疑ってしまうほど Joy-Conの壊れ具合は酷いものです。僕も初めてSwitchを買ってから3回ほど、新しいものと交換をしました。理由は全てJoy-Conのドリフト問題で1度修理に出してしまうと帰ってくるまでが面倒だからという理由で、壊れる度に新しいJoy-Conを買っていました。
しかしそれでもやはりJoy-Conは半年しかアナログスティックの正常性が保つ事が出来ず、まるで消耗品のように壊れていくばかり...けれどJoy-Conはれっきとしたコントローラー、決して安いものでは無いのです。結構な値段のするものですからそれなりに年数が持ってくれないととても困るのです。5年もの猶予があれば任天堂はJoy-Conのスティック部分の改善を施す事だって出来たはずです。なのにそれをしない.....
そんな話を聞いているうちに僕は任天堂に対する信頼感というものが無くなっていき、逆に不信感を感じるようになってきました。
ソフト自体のクオリティの低さに留まらず、企業体質としてのユーザーに対する不誠実さ、そういう批判をされることを許さないとして潰しに掛る信者たちが蔓延る界隈.....
複雑で色んな原因が絡んでいく事によって、いつしか僕はNintendo Switch自体を起動する事が無くなりました。
2021年の一年間はSwitchのゲームは1本も買いませんでした。最後に買ったSwitchのゲームは2020年のあつ森の後に発売された「世界のアソビ大全51」で細々とゲームを楽しんでいた程度で終わっており、それから一切Switchの新作ソフトを買ったり、プレイする事はありませんでした。
僕の中で任天堂ソフトに対する期待感が皆無になった事と、任天堂自体への不信感が募った事、任天堂界隈と言われる所のディストピアな世界に嫌気が差した事...それまで当たり前のように受け入れて楽しんでいたはずの"任天堂のソフトを遊ぶ"という事が出来なくなった自分はいつしかSwitchの存在を放ったらかす様になりました。
今年の1月に2021年のSwitchのプレイ記録が算出されました。結果、1年間のトータルでSwitchで遊んだ時間は147時間ちょっと、オマケに遊んだソフトの第1位がYouTubeというゲームですらないお粗末さ
一方で2021年の3月末に買ったPlayStation 5でのゲームを遊んだ時間はトータル800時間を優に超えており、去年の僕のゲームライフはPS4&PS5ソフト一色だったのが伺い知れる結果となりました。
僕はこの現状を鑑みた結果、今の僕がSwitchを持っている事にもはや意味が無い事を実感しました。
なので僕はこれから先、Switchのソフトをプレイする事が無いと判断した以上、僕の元に置かれて死蔵されるよりも"ちゃんと使ってくれる人の元に届けた方が良い"...そう決意しました。
この決意をするまでには相当悩んだりもしました
いくらSwitchのソフトをプレイする事が無くなったからと言っても、ゲーム機本体を手放すというのは余程の事がない限りするべきでは無い。Switchのフレンドとして繋がってくれている人の存在もあるし、もしかしたらこの先Switchでやりたい!と思うソフトが出てきたとしても、本体が無い事を理由にプレイする機会もチャンスも一切得られなくなる。持っている事による無意味さも深刻だが、手元から失う事による損失もまた代償としては大きなものでした。
けれど、それでも僕はこのSwitchをいつまでも持ち続けていることに意味を見出せませんでした。
任天堂のハードというのは代々任天堂のソフトをプレイする為だけに存在するというのが大きくあります。当然の事ながら、任天堂のソフトは任天堂のハードでしかプレイする事が出来ない。
かつて僕が任天堂のハードを買い、いつまでもその本体を持ち続けられていたのは、僕がかつて任天堂のソフトを愛していたから保ち続けられていた様なものであり、任天堂のソフトに対して一切の期待感が持てなくなり、興味も無くなってしまった今、僕はSwitchをいつまでも持ち続ける事に意味を感じられませんでした。
そして今の僕はPlayStationのゲームに魅力を感じて、ゲーマーとして心惹かれるようになっています。
PS4、PS5にはこれまで体感する事の出来なかった素晴らしく面白いゲームが沢山あります。そしてそれらの殆どはNintendo Switchではプレイできません。なぜならSwitchというハードはゲーム機としての性能が圧倒的に低い。PS4はおろか、PS3の性能にも届くかどうか...というのが現状。そんな低性能なハードではプレイ出来るソフトに大きな制限が課せられてしまうのも仕方がない事です。これはゲハ的思考でもなんでもありません。言わずと知れた事実です。
けれど界隈の人達は"Nintendo Switchは低性能"という事実を受け入れる事が出来ない人が多いみたいで、大手サードパーティがPS、Xbox向けに新作ソフトの発表をすると「Switchにもクレクレ」と乞食をする始末、最近のゲームはマルチ販売されるのが当たり前になってきた現状で何故Switchだけがマルチからハブられる事になるのか?それは業界のしがらみでもなければ、圧力でもない。ただ単純にSwitchはゲーム機としての性能が低い。故にSwitchがマルチに入ると途端に開発が難航するからです。
その事が分からないのか、理解できないのか...或いは敢えて理解しようとしないのか、ソニーの圧力ガーと陰謀論を唱える人達によってSwitchがマルチに入らなかったサードパーティのソフトはネガキャンをされる惨状...そのくせにウィッチャー3やドラクエ11Sの様にSwitchの性能に合わせてダウングレードという作業をして頑張ったソフトもあるにも関わらず、任天堂ユーザーは任天堂のソフトにしか興味が無いからサードが出した期待の新作は鳴かず飛ばずの結果に終わる事も少なくはない。
そんな現状ではサードが社運を掛けて作る新作をSwitchに向けて作るはずがなく、サードが出すSwitch向けの面白そうなソフトは皆無に等しい。
日本の世間ではSwitchの方が売れてるからと言ったって大抵みんな任天堂のソフトにしか興味が無いからサードのゲームが売れる土壌にもなっていない。それなのに業界では任天堂がトップを走るという歪んだ鼻高をする人達でいっぱいの今の任天堂界隈に僕の席はない。
やりたいと思えるソフトが何も無かった中、「1年半振りにSwitchのソフトをプレイする事になりそうだな...」と思い期待していたものがありました。それがスクエニが今日発売したチョコボGP...しかし先日の生放送で、チョコボGPはオンライン要素を強く推している上に、"プライズパス"というオンラインスコアカードを購入し、日々チョコボGPモードをプレイする事で、プライズパスのレベルを上げないとプレイアブルキャラとしてのクラウドが手に入らないという、まるで「ソシャゲ」の様なシステムである事が公式生放送で公開されてから、僕はチョコボGPに見切りをつけました。
あのチョコボGPだけが僕がSwitchを今でも持ち続ける事が出来た唯一の存在意義だった。
けれどそんな唯一の希望だったはずのチョコボGPも地雷の予感を感じさせてしまった。
チョコボGPを買う事を辞めた僕はSwitchで欲しいと思うソフトが一切無くなった。そしてまた僕のSwitchはゲーム機としての役割を果たす事が出来ず、ホコリ被る日々を過ごす事が確定してしまった。
僕はSwitchのゲームをこの先やる事がもうないのに、いつまで経ってもSwitch本体を死蔵して持ち続けている...それではSwitchがあまりにも報われないし、僕も心苦しくなる。
だったらSwitchを手放し、もうSwitchユーザーではなくなる事を選ぶ事にしよう
それが僕がNintendo Switchを手放した理由です
自分がゲーマーであるという自負が少しでもあるのならSwitchとPS5、両方のゲームを楽しんでこそゲーマーであるだろう...という意見があるのも分かりますし、ごもっともな意見だと思います。
しかし僕はPS5での圧倒的豪華なゲーム体験を味わってしまった。Switchでは4Kの美麗なグラフィックでの風景を見ることも出来ないし、60fpsによるぬるぬるフレームレートで快適なゲームプレイをする事も出来ない。ゲームを語る上では欠かせない解像度とフレームレートはゲームをプレイする上での快適さを構成する基本的で重要な要素であり、それは高ければ高い程良いです。
PS5で一度ゲーム体験の上限を味わってしまった以上、下限を楽しむ事が出来なくなった僕は今更Switchのソフトをプレイする気にならないんです。
仮にPS4&PS5とSwitchのマルチソフトが同時に発売されたら僕はSwitch版よりもPS4&PS5版の方を選びます。そっちの方が少しでも快適なゲーム体験を得られるからです。
2017年当時はずっとワクワクと期待感に満ち溢れながら楽しんでいたNintendo Switchというハードとソフト...最初の2年間だけは本当に純粋に楽しむ気持ちがまだ保てていました。
だけどそれも2019年〜20年に掛けて色々とおかしくなり始めて、2021年、そして2022年となった今、僕は完全にSwitchのソフトを楽しめなくなった。
たった5年でここまで自分の中の価値観が大きく変わる事になるなんて思わなかったです。
5年前の自分にお前は将来任天堂が好きではなくなると言ったとしても信じようとしなかったでしょう。
改めて言います
僕は2022年3月10日をもってSwitchユーザーでは無くなりました
特にSwitchでフレンドとして繋がってくれていた皆様には突然の報告となってしまった事を深くお詫び致します。
今の僕は任天堂に対して不信感という毒を持っています。ニホンバトのアカウントではそれを表には出していませんでしたが、裏垢では結構な猛毒を吐きまくっています。
また目に見えるブログという形でかつてのような愚痴記事を書くこともずっと封印していました。それは自分の書きたいことよりも周りの気持ちの尊重というある種の憚りを受けて、ずっと書きたくても書かないようにしようと我慢していた部分もありました。
しかし今回ばかりは書かせてください。"今の僕が任天堂のソフトを楽しめなくなった事"、"Switchというハードを起動せずずっと死蔵するようになっていた事"は事実であり、Switchを手放した以上、皆様にはそれに至った経緯というのをキッチリと説明する義務があると感じ、今回は敢えて猛毒を織り交ぜながら書くことにしました。
ここまで書いてあるこの文の全ては僕自身の本音の気持ちです。
これから先の僕はPS5でPSのソフトを楽しむ人として生きていきます。
色々と失望させちゃってごめんなさい
ガッカリさせちゃってすみません
皆様は素敵なSwitchゲームライフをお楽しみください。
最後に
このNintendo Switchを後輩に明け渡すまでの間、僕はSwitchで遊んできた5年間の日々を思い出していました。
振り返ってみれば楽しかったな...と思う事もいっぱいありました。初めてNintendo Switchを店頭のゲオで購入する時に店員さんがゲーム機の箱を持ってくる瞬間、そこで初めて実物大のゲーム機を見た時の大きさに対する驚きや、持ってみた時の重量感、早く開けたい!早くやりたい!とワクワクする気持ちを抑えながら駆け足で帰っていたあの時間...そして箱を開け、中身を見た瞬間の感動...あれは今でも忘れられない瞬間でもありました。
任天堂のゲームをプレイする時はいつも家族の誰かしらと同じ画面を共有しながら一緒にプレイしたり、横からあーだこーだ言ったりと、常に誰かと共にある状況でゲームをプレイしていました。みんなで一緒にプレイができるマリオテニスACEでは母や弟と一緒にJoy-Conを振って楽しんだりもしましたし、マリオカートDXでは対戦で大いに盛り上がりました。最後にやった世界のアソビ大全51では、昔から麻雀を得意としていた母がアソビ大全に収録されている麻雀のプレイにハマっていて、若かりし頃と比べてゲームをほとんどやらなくなったあの母親が久々にゲームにハマっている姿を見るのは久しぶりでした。
Nintendo Switchというハードは任天堂のソフトと、昔懐かしいと思う気持ちを蘇らせるためのレトロゲームやそのリマスターをプレイするのに最適なハードだと思います。
僕自身はこの5年間もの期間の間で価値観が大きく変容したのでSwitchを手放す事にしましたが、きっとNintendo Switchというハードはこれからも世間の注目を集める存在としてこれからも活躍をしていくのでしょう。残念ながら僕はそれを体験という形で共に歩む事は出来ませんが、Switchというハードがこれからも多くの人に感動を与えるハードになる事を元ユーザーとして心から願っております。
ここまでの長文を読んでくれて本当にありがとうございました。
それではまた、もう愚痴記事は書かないつもりですのでどうかよろしくお願い致します!
ありがとうございました!