ポッポ屋日記

日記的なブログにしたいです

幻に終わったFF7R オーケストラコンサート

 

僕が人生で最高のゲームだと賞賛するゲームがある。それが「FINAL FANTASY VII REMAKE

子供の頃からずっとFFシリーズを追い続けてきた中で最先端且つ最新作であるFF7Rはその当時のFF7を最新ゲーム機で表現出来る全てのリソースを使って単純に甦らせただけではなく、チャプター方式に分けたシナリオの追加やFF7Rに登場するキャラクター達のキャラクター性の更なる深掘り、コンピレーション作品に於ける外伝作品から追加された新設定などを練り直し、FF7の世界を一から再構築する事でファイナルファンタジー7は大幅なリメイクが施され作品は進化、あるいは昇華をした...

アクションRPGになった事によるバトルの新鮮味を感じるだけでなく、ミッドガルという魔晄都市の細かな作り込みに感心させられ、FF7とい作品の序章としてはあまりにも壮大なゲームになった事に僕はプレイしていた時もクリアした後も興奮が冷めやまなかった。

 

中でも僕がFF7Rの要素で特に一番大好きな点は「FF7Rで奏でられる音楽」についてだ

 

FF7Rの音楽について

元となったFF7の音楽は当時全ての楽曲を巨匠 植松伸夫さんがメインコンポーザーとして作曲をしており、メインテーマにキャラクターのテーマBGM、フィールド曲からイベント曲、そして最も人気の高いバトル曲に至るまで全ての楽曲をノビヨ師匠は作ってきた。

それももちろん凄いのだが、今回のFF7Rではそんなノビヨ師匠の原曲をベースとしつつ大胆なアレンジを加える事でFF7Rの音楽を壮大に奏で、そしてその場面場面に合わせた特徴的な音楽を流す事によって聴く者の耳に残るような音楽が豊富に作られている。*1

FF7Rオリジナル曲を除いて殆どの曲は数多くのアレンジャーによって再構築されており、数多くのアレンジャーを取りまとめているのが浜渦正志さんと鈴木光人さんのお二人FF13の閃光を始めとしたFF13の音楽が大好きな僕は浜渦さんがFF7Rの音楽にメインとして関わっていると知った当時「浜渦さんに壮大な曲を作らせたら失敗はないだろう」と僕は確信していて、また鈴木光人さんの曲は僕がオリジナルサウンドトラックで特に大好きな曲が多いディスク4の曲の多くを鈴木光人さんがアレンジしている事が判明、鈴木光人さん本人のアレンジではないが「陥没道路」のバトルアレンジBGMの「ハイタッチ」や、激しいドラムが響くオーケストラ調の「ヘルハウス」力強い女性ボーカルを使ったラグジュアリーなボーカル曲の「STAND UP」は特にお気に入りだったりする。

 

話は少し逸れるが僕はそもそもFFの何が好きかと言うと大部分はFFの音楽が好きだったりする

音楽の力はとても偉大だ、奏でる曲ひとつで人の心は揺さぶられ、時に感情をコントロールする事もある。バトル曲を聴けば己のテンションを高めてこれからの試練(仕事)に意気込み、疾走感溢れるイベント曲を聴けば思わず走りたくなるし、フィールド曲を聴けばそれをBGMに外へ歩きたくなる。

壮大な終わりを意味する主題歌を聴けば荘厳な気持ちになったりもするし、時には感動から涙する事もしばしば...未だにFF9主題歌の「Melodies Of Life」を聴いては尊い命の終わりを想像して涙する事も少なくはない

ファミコンのキー打ち込み音だった時代から生演奏に至るまでFFは数々の名曲を作ってきた。だから僕はFFの曲を何度も何度も何度も何度もリピートしながら聴いている。FFの音楽は作曲者の想いが詰まった結晶というだけでなく、聴く者の心を奮い立たせ、曲ひとつでかつてプレイしてきたFFの場面を思い出せるという意味でも僕はFFの音楽には最も価値を見出しており音楽には決して糸目をつけない。

そんな僕がどうしても、どうしても聴きに行きたくて仕方がないイベントがあった。

 

それが「FINAL FANTASY VII REMAKE Orchestra World Tour」の東京公演だった...

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FF7Rの音楽イベントについて

FF...というかそもそもスクエニはゲームの音楽イベントが最も多いゲーム会社だと個人的には思う。FF、ドラクエ、サガ、最近ではNieRシリーズ等、スクエニが携わるゲームには必ずと言ってもいい程音楽イベントが何かしらある。ライブだったりオーケストラだったり、形は様々だが名曲揃いのBGMを多く排出しているスクエニゲーム音楽はゲームイベントを開催できるほどそのクオリティは高く、FFもまた例外ではなかった。

 

FF7リメイクはそもそもソフトが発売がされる前の段階から既に音楽展開に力を入れており、2020年の1月にはリメイク版とオリジナル版のBGMを収録したLPレコードを販売。

オーケストラの封切りがあったのは2019年の12月だった。特報として2020年の6月のロサンゼルス公演を皮切りとしたFF7Rのオーケストラワールドツアーの開催が決定。日本の公演は2021年2月の最終公演だったという事もあり、それを見た当時の僕は「東京の開催は再来年かぁ、長いなぁ」と呑気にのほほんと、そう思いながら公式サイト見て過ごしていた。

2019年のあの当時はまだコロナのこの字も無い幸せだった時代、それがよもやこんな事になろうとはこの時の誰もが想像することすら出来なかったであろう...

 

2020年に入ってから新型コロナウイルスの世界的な蔓延が始まり、日本でもコロナが侵入、日本では去年の4月に緊急事態宣言が出た事もあって、4月10日発売だったFF7Rが買えるのかどうかも分からないほど危うい状況だった。

当然世界がこんな状態ではいわゆる三密になるオーケストラのリアルイベントなどは開催できるわけがなく、ロス公演を始めとした世界公演は次々と延期による延期を重ねていった...

世界版サイトを見てもチケットの「ON-SALE DATE TBA」の文字がずらりと並び、開催時期が迫ってくると1年近い期間の延期になり、 次々と日本の後方に回っていく世界公演...中には開催時期すら未定の公演もあり、世界のコロナ情勢が全く良くならない現状の今でも果たして本当に開催できるのかどうか疑念だらけな部分が多い。

オーケストラの延期について6月当時の僕は「当然だろうな...」と思う反面「2月までには収まってると良いな...」とまだ希望的観測を持っていた部分もあった。別にコロナを舐めていた訳じゃないが、世界の研究機関が協力している事によって物凄いスピードでコロナウイルスの研究が進んでいるという明るいニュースを聞いていたのもあり、来年までにはワクチンができるかもしれないとこの時の僕はまだ僅かながらの希望を持ってこの現状を見ていた。

しかしどんなに時が経っても一向に改善の兆しがない現実世界...それどころかコロナ対策が後手後手になり、GoToトラベルといった浮かれた政策を政府がしていた事や時が経つにつれて日本人全体がコロナへの危機感に対して何処か気の緩みが出てきていた事によって日本でのコロナウイルスの猛威はどんどん悪い方向に進んでいき、今や医療崩壊が起きているこの現状...

時が経てば経つほど日本の公演も無理かも...という思いが募り始め、この時の僕はFF7Rのオーケストラは日本での公演も当然延期されるだろうと思っていた。しかし.......

 

開催決定と応募とそして後悔

まさかの東京公演開催決定である。

他の世界都市公演が次々と延期に次ぐ延期を重ねていく中で日本公演だけは開催を強行する事となった。何かそう簡単に延期する事ができない理由でもあるのだろうか?世界が延期をしている中で何故日本だけは開催を?と今思えば様々な疑念が尽きない中、11月の下旬にスクエニe-storeでの先行抽選販売の応募が始まった。

この時の僕はまだFF7Rのオーケストラをどうしても聴きに行きたい!という思いがとても強かった。何故ならそもそも僕は人生で1度も生のオーケストラというものを聴いたことが無く、しかも自分が世界で1番大好きなゲーム作品のオーケストラコンサートとなれば一生に一度しか体験できない素晴らしきイベントであるという事に応募せざるを得ない心意気で胸がいっぱいで仕方が無かった。

 

人は感情が高ぶると冷静な判断が出来なくなる

 

この時の僕はまだ家出の最中で正式に住む場所も決まっていない状態...

 

おまけに通信制限に掛かってまともにサイトも見れない中僕は...

 

チケット抽選販売の応募フォームに応募した

 

と同時に僕はとんでもない事をしてしまったのでは?という後悔の念が一気に押し寄せた

 

「本当に応募して良かったのか...?」「万が一当たってしまったらどうする...?」「でもめちゃくちゃ行きたいし...」と様々な思いが交錯し、応募できたことの喜びと後悔の念が同時にせめぎ合ってとても複雑な気持ちになった。

そもそも僕は東京公演もまた他の世界公演と同じ様に延期をするだろうと当然思っていた。しかし延期をせずにまさかの開催決定をした事に対して何故?という疑念が一瞬出たのも事実だった。だからこそ僕はそこで冷静さを保ち本当にそれに応募するべきなのかどうかを吟味する必要があったのだ。しかしそう思っていたとしても時すでに遅し、応募してしまったものは仕方がない、落選すればどうせ諦めがつくんだからと、僕は天に運を任せ身を委ねるというある意味考える事を放棄した卑怯な判断をした。この時は本当に良かったのか?という疑問はあれどまだまだ東京公演を諦めきれない思いで僕自身が燻っていたのは事実だった。

 

そして結果...

 

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ま  さ  か  の  当  選

 

信じられない思いでいっぱいだった、しかしこの瞬間人生で一番と言えるぐらいのレベルで飛び上がって喜び、はしゃぎ回った。

こういうリアルイベントでの抽選販売には普通そうそうに当選はしない。コロナという世情で座席数を減らした中での当選はまさに雲を掴む以上の奇跡を起こしたんだと僕は感涙した。

あの時は一瞬だけでも本当に嬉しかった...嬉しくて嬉しくて嬉し過ぎてしょうがなかった。人生で一番大好きなゲームのオーケストラに行けるのである。聴きに行けるのである。この時の僕は多分人生で一番浮かれまくっていた時だったと思う。当選をしたからには必ず行かなければならない。その思いを強く固め、僕はFF7リメイクのオーケストラワールドツアーの東京公演に臨む気満々だった。ある人に冷静さを取り戻してもらうまでは

 

オーケストラ行きの否定と東京公演中止

去年の12月当時の僕は家出中の身であるからして今働いている職場を含めて統括しているとある福祉法人に預けられている身だった。もしもオーケストラに行きたいのならばGH(グループホーム)を統括する施設長にこの事実を話して行きたいという許可を得なければならない。そうでないと絶対にオーケストラには行けないと思っていた。

実家にいた時だったら自分の判断だけで行く事も出来ただろう。しかしまだ緊急事態宣言が出ていないとはいえ感染者がどんどん増えてきている今の東京に行く事は果たして賢明な事か?三者に判断を仰がなければならなかった。今思えば自分が預けられている身である事や人に判断を仰いだその行為はとても大正解だと思えた

 

もちろん回答はNo、至極当然の答えだった

 

理由は感染者が爆発的に増え続けている東京に行く事自体が危険過ぎるとの事、これもまたこのコロナという状況下に於いては至極当然の答えだった

 

実は僕もそう言われるだろうなと薄々分かっていた。東京公演に当選してチケット代を払ったものの次々と増え続ける東京の感染者数にだんだん冷や汗をかいていた僕は果たして本当に行けるのか?という疑問が尽きなかった。そもそもスクエニは本当にこんな状態になってる今でも開催する気なのか...?というスクエニのコロナ禍に於ける倫理観に対する疑念すら生まれていた。

正直このまま開催を強行したらとんでもない愚策でしかない、スクエニだとは名前を挙げなかったものの、Noを突きつけた施設長はオーケストラを現時点では開催しようとしていた主催者に対して「現時点では返金はしないという対応をしているイベント主催者もまたあなたの様なファンの行きたい!という気持ちを利用してお金を搾取しよう、あるいは回収しようとお金に目が眩んでるとしか思えない。」と辛辣な評価だった。

それでもどうしても行きたいというのならという事である条件が課せられた

 

それはまず開催予定日から2週間の有休もしくは休みを取り、オーケストラを楽しんだ後自費で2週間分のホテルの宿泊を予約して宿泊費を確保して自主隔離、その後コロナ感染が確認されなければ帰ってくるというそれは実質「諦めて下さい」という宣告宣言の様な無理ゲーと言わざるを得ない条件だった。

それができるんだったら行っても良いと思うという施設長の手厳しい言葉に対し、僕は最初そうしてでも行きます!と言ってしまった。...が、その後反対された事に軽くショックは受けたものの、やはり冷静になって考えてみるとこんな危険な状況になりつつある今の東京で明日どうなってるのかも分からない未知の危険性が孕んでいる都市へ不要不急の外出として行くのは自殺行為だと悟った僕は一生の思い出作りとなる公演へ行く事を諦め、チケット代がスクエニへのお布施になる事を覚悟の上でそれでも後悔しない様な考え方でいられるようにしようという決意をする事に至った。

何もこれは施設長が厳し過ぎる訳では無い。往々にして目まぐるしく変わるコロナの状況の中でいかにして先を読み、これからの行動とそこから繋がる結果を予測して動いていかなければならないとする中で東京に行く事自体を危険視する声が出る、またはそう思う人がいるのは当然の事なのであって、毎日1000人台の新規陽性者が現れている今の現状を見れば尚更それを肯定せざる得ない

もしもコロナというものが存在しないこれまで通りの世界の話であれば誰に咎められるわけでもなく、寧ろおめでとうと祝福されて気持ちよく見送って貰えた事だろう。しかしコロナは人の倫理観や行動に対する価値観を大きく一変させたウイルスであり、まさに今このタイミングでコンサートに行こうとする行為は人からはばかられても仕方がない行為であることは明白だった。

 

この時はまだ中止とも延期とも言っていないスクエニに対して「本当にやるのか...?こんなやばい状況の中でか...?」とするスクエニに対する若干の不信感が付き纏ってやまなかった。

ここで判断を誤ってガッカリするようなスクエニであって欲しくはない。そう思いつつも僕は刻一刻と迫る時の中でスクエニからの答えを待つしか無かった。

 

そして遂に...FF7Rオーケストラの東京公演の開催中止が発表された

FINAL FANTASY VII REMAKE Orchestra World Tour | SQUARE ENIX

↑日本版公式サイト

FINAL FANTASY VII REMAKE Orchestra World Tour

↑世界版公式サイト

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僕は早い段階から中止を決めたスクエニの決断を手放しで賞賛する。

東京国際フォーラムの会場を押えたり、東京フィルハーモニー交響楽団への演奏依頼や世界的有名指揮者のアーニー・ロスさんを呼ぶ手配等で莫大な手間とお金が掛かっていた事への心情は察するに余りある。しかしそれでも来場者の健康と身の安全を第一に考え、中止という判断を下したスクエニはとても立派で素晴らしいと思った。*2

 

幻の当選となったFF7リメイクのオーケストラコンサートを巡る顛末はここで一区切りを終えた

コロナという今でも続く長い長いうねりの中でのリアルイベントの肩身はとても狭く、様々な人の倫理観や価値観が錯綜し、現状を鑑みた中で何が人として普遍的に正しい価値観なのか?正しい判断なのか?という難しい問いに常に迫られている今の世の中の中でスクエニは正しい判断をしたと僕は自信を持って言える。

とても...とても立派だった

 

例えオーケストラに行かなかったとしてもFF7リメイクの音楽が素晴らしい事に変わりはない

僕はFFが大好きだ、特にFF7リメイクは世界で一番好きなFFと言えるほどのゲームでそのゲームのオーケストラとなればファンとして当然行きたいという強い気持ちももちろんあった。

しかし周囲の人の命を危険に晒し、自らの命を賭けてまでオーケストラを聴きに行きたいか?と問われれば決してそうとは言えない。

「コロナに対する過剰反応だ!」と罵る人も中にはいる事だろう。しかし、もしもこのままスクエニが東京公演の開催を中止せずに開催を強行していたら炎上の的になっていた事は必至だっただろうし、オーケストラが原因でクラスター発生したともなれば世間の怒りの火に更に油を注ぎ込む事になりかねない。風評被害からFF7R自体へのイメージダウンにも繋がるし、東京公演に行った人に対する周囲からの白い目を想像したらとても恐ろしくて仕方がない。

 

しかし例えオーケストラに行かなかったとしてもFF7Rの奏でる音楽自体の価値が素晴らしい事に変わりはない。

数多くの音楽家やアレンジャーが熱意を持って作り上げたFF7Rの音楽はいつ聞いても人の心を揺さぶる程素晴らしい事に変わりはない。今でも購入したサウンドトラックCDを引っ張り出してはFF7Rの音楽に聴き浸り、酔いしれ、気持ちを高めてもらっている。僕はそんなFF7Rの音楽をオーケストラとはまた違う別の形で楽しむ選択をしようと決意した。

 

素晴らしきFF7リメイクの音楽の世界

 

みなさんも一度試聴してみてはいかがでしょうか?

 

 

 

家で楽しめるFF7リメイクの音楽の世界    (1月30日追記)

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FF7リメイクのオーケストラコンサートの中止が発表されてから2週間程経った1月30日

本来であればFF7Rオーケストラコンサートのチケットが届く予定日だったこの日、僕はCDという形でFF7Rの音楽の世界を楽しむ形を取った。

FF7RオリジナルサウンドトラックPlusにオルゴール、そして一番に待ち望んでいたFF7RのオーケストラアレンジメントCD等、数々の音楽作品をこの手に納めることが出来てとても大満足だ。


f:id:Gameslifeisff:20210130191736j:image一番のお目当てはやはりこれ。CDを取り出すとクラウドの後ろ姿が現れるスリープケースがとても洒落ている

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コンサートの中止が発表されたあの後、スクエニe-storeから正式に注文のキャンセルが完了したと通知され、僕の口座にも無事12月に払ったチケット代が丸々返金されてきた。

コロナで中止になった東京公演のコンサートは2月13日に無観客有料配信をニコニコで行うと発表され、コロナ禍でのオーケストラの顛末を落ち着かせる形となった。残念ながらアーニー・ロスさんは世界のコロナ情勢を理由に日本への来日が出来なくなってしまったが、大きな手間と時間を掛けて押さえていたであろう東京国際フォーラムも使えて、この時のために準備していたであろう東京フィルハーモニー交響楽団の努力を無駄にすることなくコンサートを開催できる運びになったのはファンとしてとても喜ばしい事だ。

願わくばやはりコロナなんてものがない世界線で生のオーケストラコンサートを楽しみたかったがそんな贅沢を求めるのはきっと野暮な事なのだろう。ニコ生の有料配信は僕個人の都合上の理由で残念ながら見る事が出来ないが、ずっと欲しかったサウンドトラックplusとオーケストラCDは買えたし、ゲームが楽しめない状況にある今ではあるがいつか楽しめる日が来るその時まで、そしてこれからも僕はFF7リメイクの音楽の世界にどっぷりと浸かり、次回のFF7リメイク2の続報を待とうかと思います(笑)

 

せっかくここまでFF7リメイクの音楽の事を書き続けて来たので次回はサウンドトラックから選出した個人的に好きなFF7リメイクの曲ランキングを書こうかと思います!

 

ではまたいつか!

 

運命の2月13日当日(2月13日追記)

今日はコロナの影響で観客を入れたコンサートの開催が中止となったFF7リメイクオーケストラワールドツアー東京公演の日、無観客ライブ配信という形で開催される事となった今日の午後5時...遂にオーケストラが解禁された。

 

僕はニコ生の放送は視聴せず、CDという形でFF7Rオーケストラを楽しむ事とした。f:id:Gameslifeisff:20210213203558j:image

 

オーケストラだからこそ味わえる感動はCDでも十二分に伝わってきた気分で、特に今日という日に聴くオーケストラには特別な何かを感じていた。

FF7RのOSTはトラック1からトラック7まで何周も聴いているはずなのに、旋律の美しさや鼓動の力強さを体感し、何度聴いても同じ感動を味わう事ができるのはプロの音楽家達がFF7Rに対する熱い想いを持って手掛けたからこそ出来上がった最高のクオリティだからこそなのだろう。

その情熱はオーケストラに於いても当然あって然るべきなのであり、今回のニコ生放送で多くの視聴者を感動の渦に巻き込んだらしい。

 

演奏者やスタッフ、そしてファンにとってはきっと理想通りとはいかない開催となってしまって歯がゆいとする想いがあったかもしれない。

けれど、どういう形であれFF7Rのコンサートを開催する事が出来たこと、FF7Rの音楽の素晴らしさを多くの人達にお届けし、後世の歴史に記録を残す事ができたのはとても素晴らしい事だろう。

 

悔やむべきはやはりコロナの存在

運命の番人に立ち向かい打ち勝ったクラウド達のように人類もまたコロナという外から飛来した災厄に打ち勝つ事ができていれば、人類の未来も少しは良い方向に向かう事ができていたのかもしれない。

狂おしい程にコロナが憎く、ここまで滅せよ!と思った事なんか一度もない。畏怖の象徴としてまだまだコロナに悩まされる日々が続いていくかもしれない。

 

それでも僕はFF7リメイクを、そしてファイナルファンタジーを心の支えにしてこれからを生きていく

 

スクエニスタッフの皆さん、指揮者の佐々木新平さん、演奏者の東京フィルハーモニー交響楽団さん、Yoshさん

 

本日はどうもお疲れ様でした

 

 

 

*1:実際 FF7Rの作中に於ける音楽の最大の特徴が、フィールドを歩いている時のフィールド曲からモンスターに遭遇してバトルに入る時のフィールド曲をベースとしたバトルアレンジBGMの挿入や、ボスと戦っている時のフェーズチェンジ時に曲が転調する場面でどのタイミングから転調しても極力違和感がない様にひとつの曲での転調ポイントを区切りまくって転調時の違和感を無くすシームレスミュージック」が最大の特徴となっており、ボス戦闘曲を作るだけでも膨大な作曲時間が掛かるにも関わらず、最高のゲームを作るのなら音楽も最高のものにしなければという思いで曲をアレンジしたスタッフには当時のファミ通インタビューを見たあの当時脱帽した。

*2:尚、本来予定していた13日の公演でのライブ配信を無観客ライブとして配信するのか、急遽決まった大阪公演の方はどうするのか等の所はまだ決まっていないのが現状であり、引き続き経過を見守る必要がある

新年のご挨拶

 

新年おめでとうございます

フォロワーの皆様、そしてこのブログを読んでくださっている皆様へ

 

あけましておめでとうございますm(_ _)m

 

令和3年...2021年が始まりましたね

皆様は昨夜 思い思いの過ごし方で年越しをしたのでしょうか?僕も昨夜は何とか12時まで起きていようとベッドの上でダラダラしながら新年を迎えた訳なのですが、これが驚くほど新年を迎えたという実感が湧かなくてですね...。

いつも毎年当たり前のように共に過ごしていた存在が無くなってしまった事や、普段の生活環境とはかけ離れたイレギュラーな環境で年を越した事、毎年恒例のように見ていたガキ使を今年は最後まで見なかった事、深夜参りをしなかった事...等、様々な状況の違いと理由が重なった事により、いつもとは違う事だらけの年の瀬の過ごし方をしていた僕の心は新鮮な気持ちもあり、ほんの少しだけ不安な気持ちもあり...と、まぜこぜになる思いを感じながら最後の夜を過ごした訳で...気付けば新年、目が覚めた頃には年が明けていて...年を越したという実感の湧かない不思議な年越しでした。

それでもグループホームで共に過ごす同居人の利用者さんと顔を突き合わせれば「あけましておめでとうございます」と言っていたし、朝食にはおせちが出てきて、食べ終わったあとは軽く近所の氏神様の元へお参りに行ったりと、今日は正月らしい正月を過ごしておりました。

ただ例年のお正月と大きく違うのは新型コロナが今でも蔓延している最中で迎えた初めてのお正月というのもあり、三が日だからどこか出掛けようだとか、毎年恒例の神社へお参りに行こうだとか、そういう楽しみが憚られる初めてのお正月となってしまいましたね。僕は別に正月は寝正月でも全然構わないのですが、やはり世間の中にはどうしても籠りっきりの正月は嫌だ!とする人もいるみたいですね...実は僕の住んでるグループホームでもとある世話人さんが「東京の神社へお参りに行こうかと考えてる」と言っていたので、「あ、やっぱりまだまだコロナの事を舐めてる人はいるんだな、ここに」と思いながらコーヒーをずずっと啜る一時...どんな事をしてどう過ごそうか、僕もまだ模索中なところです。

 

近況報告と今年の目標について

さて、新年を迎えたと同時に僕は新生活が始まりました。ずっと一緒だった親や家族の元から離れ、己の力だけで生活をする事になった今年、昨年から生活基盤を整えるための準備は着々と進めておりますが、まだ完全に全ての準備が整った訳ではありません。

ニトリで買ったベッドは今月の26日まで届かないからベッドが凄く待ち遠しいし、買ったと言ってもまだ残りの寝具は揃ってないからそれを買い揃えないといけないし、普段の生活を快適にするためにもWi-Fiを契約しなければならないし、そもそもまだ正式入居の契約を交わしてないからそれをするために住民票の移動をしなければならないし...と、やる事がまだまだいっぱいで頭がパンクしそうです(笑)

家出をする以前にも増して金勘定の計算と見積もりはものすごい頻度でするようになりました。今度のお金は小遣い程度の範囲内で使うための金じゃない、己の生命線ともなる生活費としての金になる訳ですから当然金の重みが全然違う訳で、少しでも無駄な買い物や贅沢はしたくないとするケチ臭い性分がより出るようになってしまいました(笑)

しかし趣味に対してはあまり押さえ付けすぎるのも自分自身に良くないので使えるお金の範囲内で楽しめる様にと考える事としました。僕は今でも趣味である漫画とゲームを辞める事は出来ません。それがあるからこそ頑張ってこれた部分が沢山ある。それほどまでの価値を僕は漫画とゲームに見出しているのです。

そして今年の目標についてですが、まずは新生活に慣れる事、そして安定した生活を維持する事、さらに4KテレビとPS5を買うのが僕の今年の最終目標です!(。・`ω・´)キラン☆

何故4KテレビとPS5なのか?それは自分の人生の事を振り返って考えてみた時、僕の人生には常にゲームがありました。小さい頃からゲームに触れ、ゲームと共に生き、ゲームに一喜一憂しながらもゲームに助けられ、救われた事もあった。そんな僕の人生にゲームはマストです。今回4KテレビとPS5としたのは令和のゲーム史に残る最新鋭のゲーム機で極上のゲーム体験をしたいと考えたからです。

社会人1人分の稼ぎで自分の生活を養いながら4KテレビとPS5を揃える事はかなりの大ハードルとなりますが、必ず叶えたい夢としてその目標を抱き、これからの仕事を頑張っていこう!とする所存であります。

 

今年からは自分の人生です!己の事を第一に考え、自由気ままな生活を送っていこうと思います☺️

 

皆様にも今年の1年が大いなる福音となる事を願って...

 

不肖 ニホンバトを今年もよろしくお願いしますm(_ _)m

 

令和3年1月1日 ニホンバト

2020年総決算

 

こんにちは、ニホンバトです。

そろそろ年の瀬が近付いて来ましたので、今年の1年を振り返り、来年を明るくて良い年とする為に2020年総決算を書いていきたいと思います。

 

皆さんは今年の1年をどう過ごし、今日という日までを乗り切って来たのでしょうか?

 

思えば昨年の年末と今年のお正月の頃はよもやあんな流行病が起きて世界中が大変な事になるなんて誰一人微塵も思っていなかった事でしょう。僕もまた本当に予想外過ぎる1年を過ごしてきました。

 

まだコロナのコの字も無かった1月、毎年恒例だった家族3人での秩父神社への初詣...寒いね〜と言いながらいつものように外へ出る早朝の時間...はぁ〜と白い息を吐きながら電車に乗り込み、西武秩父線の車両から見える秩父の原風景を見ながら1時間電車の中で揺られ、1年に1回の秩父の地に足を踏み入れる事の嬉しさたるや...

お参りを済ませ、おみくじを引き、わらじカツ丼を食べ、お土産を買い、1年後の再訪を誓い、帰る...そんな恒例の風習となって当たり前だったあの初詣がまさか今年で最後になるとはこの時は思ってもいなかったです。

 

まだギリギリお出かけを楽しむ事ができていた今年の2月は一念発起して三峯神社へ山登りで参拝。今思えば真冬の時期に登山道を登って訪れるのなんてかなり無謀な事だったと思うのですが、様々な思いを抱え、心に迷いがあった自分を払拭したい!そう願って登ったあの当時、山頂までの道のりはこの目が、手が、脚が記憶しています。1人で何でも挑戦したいという思いが強かった僕は秩父大自然を楽しみながら無事に山を登り切り、参拝。

登山道を登りきった先に見えた見晴台からの雄大な景色...

巨大な大木を両脇に門構える本拝殿を見た時の荘厳さ

冬の奥宮という神の領域に足を踏み入れた時、心に感じた全てを無に浄化された瞬間...

どれをとっても新しくて新鮮な体験ばかりであり、そして最高に楽しい夢のような時間を過ごしてきた今年の2月...今年の唯一にして最高の思い出はたったこれだけでした...

 

その後は世間の誰もが知っているようにコロナウイルスが世界中で猛威をふるい、4月には緊急事態宣言の発令、緊急事態宣言が解除された後からでもしばらくの間は自粛生活が続いていた.......ものの、人間は心の何処かでコロナウイルスなんて怖くないと思ったのか、政府はGoToトラベル事業を始めとした様々なGoToキャンペーンを実施。国民一人一人の意識が気を付けてはいたものの、何処か気の緩みが散見され始めた今年の夏...

それが悪い結果となってしまったのかは分からないが、この数ヶ月で日本のコロナウイルスの感染者の数は激増している。僕の地元の市でも半年ほどでわずかトータル100人超えの感染者数でしかなかったが、11月に入った途端から一気にコロナ感染者が急増、12月の今では220人を超える累計感染者数になった事が判明、身近にコロナを感じる恐ろしい事態に今も戦々恐々としていて堪らない。

僕もまた我が家としてはどこにも出掛けない方針を打ち立て、仕事と必要最低限のお出かけ(買い物、役所関係の事務手続き等)以外では一切出掛けることをせず、家の中でのんびり過ごす毎日だった。元々インドア派だったというのもあって外に出掛けない事に対するストレスはあまりなく、家の中でテレビを見たり、SNSを見て過ごしたり、漫画・ゲームを楽しむのは当たり前の毎日だった。僕個人としては最後の2ヶ月を除いて可もなく不可もなくな1年ではあったが、何よりワクチンも無い中で家族が誰一人としてコロナウイルスに感染しない、職場でも感染者ゼロ(2020年12月現在)というのが奇跡の様なものであり、コロナに感染すること無く今年の1年を締めくくれそうになった事は本当に幸せな事でしかなく、感謝の気持ちしかない。ここまで本当によくやって来れたよなぁ...と自分でも少し驚くぐらいだ。

 

ここまで書いた文はおよそ1700字ほど、1年を振り返るのにはあっという間すぎるぐらいあっという間で特に何も書くことが無かった

何故ならそれだけこの1年というのは自粛に続く自粛続きの1年だった事を表しており、特に目立った思い出がない=派手に動く様なことはしなかったという事になる。

人が家から動いてくれなければ経済は回らないし、家の中に篭もりっきりは嫌だ!とする人の気持ちも分からなくはない。けれど僕としては感染した後のリスクを考えるとどうしても出掛けたいという意欲が湧いてこないし、それでも出掛けたい!という気概を持たせるほどの魅力あるお出かけでもない限りは極力外には出たくない考えだ。

今はマスク、ソーシャルディスタンス、消毒等でキッチリと感染予防対策を講じた上で近所を出歩く程度であれば感染リスクの低減は出来るだろう。ただそれでも出掛ける際には常にかかるかもしれないという意識を持って出掛けることが大事だ。

 

コロナという未知の病原体によって当たり前のように存在していた日常は壊れ、世の中の常識や倫理観が変わり、自分の好きなように、自分のやりたい様にお出かけを楽しむことすら出来なくなったのは本当に辛い事だ

しかしこれは死に直結する可能性が少なくないウイルス、掛かっても絶望視する程悲観する事は無いにしても、今コロナに感染していない人が出来る最大限の事はとにかく仕事以外での不要不急の外出は一切せず、人との接触を避けること、そして家の中で楽しめるコンテンツを楽しみ尽くしながら毎日毎日を過ごす事

テレビのニュースで医療従事者が疲弊している特集を見るだけでも心が痛み、不用意な外出のせいでコロナに掛かってしまい、お医者さんのお世話になってしまうことを考えたらとても申し訳ない気持ちにしかならない。だから僕はこれから先も本当の意味でコロナが収束をするまでは家の中で出来る娯楽を楽しみ、日々の生活を過ごしていこう...と、そう決意するに至った。

 

みなさんも年を越して新たな一年を迎えるとなった後でも、これからも徹底した感染予防対策をしてくださいね。

 

ファイナルファンタジーで振り返る2020年

リアルでの思い出らしい思い出が何も無かったので少し趣向を変えてこんな振り返りをしてみました!

 

2020年のファイナルファンタジー(以下FF)は2大ビッグニュースに沸いた年でした。

ひとつはFINAL FANTASY VII REMAKEの発売、原作の発売から23年の時を経てPS4で復活したかつてのFF7当時の雰囲気の良さを残しつつも現代らしいアクションバトルスタイルで臨んだFF7R...発売日の封切りから完全クリアをする1ヶ月の間はまさに夢のような1ヶ月間で、数あるゲームの中で最もゲームを楽しみまくった最高の時間だった...

僕の中でのFF7Rに対する思い入れは相当に強く、分作1作目の発売から時が経ってもサウンドトラックCDの購入でテンションが上がったり、マテリアルアルティマニアで骨の髄までFF7Rの世界をどっぷりと楽しんだり、FF7Rのオーケストラコンサートに応募をしたりと本当にこの1年間ずっと僕はFF7Rに夢中でたまらなかった。

どうしてFF7Rという作品に自分自身がこだわり、いつまでも関心を持ち、興味が尽きる事が無かったのかを少し考えた事があった。もちろんスクエニ側が発売後もずっとファンがFF7Rに対する関心を持ち続けて貰えるようにとプロモーションをしていたのも理由にはあるが、FF7という作品自体が初代PS三部作の中では人生で初めて自分の手で操作して触れたFFであり、人生で初めてクリアしたFFである事、それによって特に思い入れが強いFFであるから...と言えば少しはFF愛が強いと感じてもらえるのだろうか(笑)

現代の技術で蘇り、超絶進化したFF7Rは間違いなく2020年のMy Favorite Gameであり、自分史上最高傑作のゲームだと確信している。それほどまでにプレイをしたあの当時は本当に楽しくて楽しくてしょうがなかったのだ。

 

そしてもうひとつのビッグニュースは

FINAL FANTASY ⅩⅤⅠの発表 ですね!

9月のTwitter休み期間の間に発表されたPS5ソフトに関する放送で一番最初に発表されたナンバリングFFシリーズの最新作、HD化の時代から培ってきたフォトリアル路線で洗礼されたグラフィックは4K高画質での展開が標準となったPS5のゲーム体験に相性抜群なのはもちろん、ヴァリスゼアの大地でクリスタルの加護を受けていた世界で主人公のクライヴが戦火激しい地で悲痛な叫びを上げているPVやタイトルロゴにも使われているほどの重要な存在となっているイフリートフェニックスの存在...等、まだまだ謎だらけな要素が多いものの、新たな産声の誕生となったFFの最新作をまだ楽しむ余地が保証されたのは本当に嬉しい事この上ないですね...!これを楽しむためにもまずは4KテレビとPS5を買わなければ...果たしてそれはいつになるのか...

 

2020年に楽しんだFFはFF7RとFF12TZA、そしてFFCCリマスターとこの1年で3作のFFを楽しむ事が出来た。特にFF12TZAに関しては買ってから1年後に始めたゲームであり、ADB*1の独特なバトルスタイルやガンビットシステムの理解には時間が掛かり、慣れるのが大変だったが、玄人向けに作られたシステムは理解した後だと物凄く楽しくなり、最終的にはヤズマットに打ち勝つほどまでにやり込んだ。多分掛かった時間はFF7Rよりも長く険しい戦いだった。もちろん完全クリアという形でクリア出来たのはすごく良かったのだが、ひとつだけ心残りがあるとすればやはりザイテングラートが取れなかった事だろうか。しかし天文学的な確率過ぎて取るのに裏技やツールを使って取られるほどまでに取れない武器を取ろうとただひたすらに飛空挺内とデッキを往復しまくっていたのがすごく懐かしく感じる...チャンスは何度かあったはずなのだが、結局取れないままプレイした30時間がめちゃくちゃ無駄だったなと今となってはそう思う(笑)

 

最後にプレイしたのはFFCCリマスターでこれでSwitchで出来るFFは全て網羅(FF10-2は除く)

僕にとって2020年とはどこを取ってもFF尽くしの年だった...人生で一番好きなゲームシリーズの展開を追い続け、喜び、人生の生き甲斐のひとつとなる...ただただ純粋にFFが好きで好きでしょうがなくて、このコロナ禍の中でもFFに救われた事はいっぱいあった。

きっと来年もその先も僕はFFがずっと好きだ

その気持ちに揺るぎは無い

 

来年はPS5を買ってまだ楽しめていないFF15を遊びたいですね!

 

 

 

自由への闘い自由の代償

そしてこの年を締めるために絶対に振り返らなければならない出来事がおよそ2ヶ月前のあの頃...決して忘れる事の無い2020年11月7日の夜...

ブログにも赤裸々に綴った母親との大喧嘩と精神的疲弊から来るストレス爆発による家出騒動...

これまでブログやTwitterで色々と書いてきたのでここで改めての詳細記載は省くが、大喧嘩を始めた最初の頃から、精神的苦痛さで心が追い込まれた末に家出をするに至るまでの期間は本当に地獄でしかなかった...自分の気持ちを分かってくれない母親との価値観の相違は心の距離をどんどんと乖離させ、いつしか母親の言動やそこから感じる圧がトラウマとなり、母親に対して恐怖を感じるほどまでに恐れおののくようになってしまった。

それでも11月19日に話し合いの場が設けられ、そこでの話し合いが終わり、一件和解した...ようにも思えたが、あれから弟を通して貰った母からの手紙によると、母は精神科の先生とのカウンセリングでの受け答えで言われた「福祉法人がおかしい」という言葉*2を聞いて「やはり自分は間違ってなんか無かったんだ!」と己の価値観の優位性を自己の中で確立させ、僕を母から守ってくれた福祉法人に対しては「家族を引き離すなんて酷い」と福祉法人に対する非難を言い、法人から自分が虐待者として扱われている事に対して不服をボヤくばかり...

どんなに他人からあなたの方がおかしいと言われたとしても決して自分の意見をねじ曲げず、人の意見や反証を柔軟に受け入れることもせず、福祉法人から虐待者として扱われる事になったその経緯やそこに含まれる僕の気持ちの事など微塵にも察する事が無く、母は家族としての交流や僕との接触を図ろうとしていた時もあった。

しかし僕はそれに対して強くNoを突き付けた、いくら今は反省してるからと言われたとしても、例えあの喧嘩の時に出た威圧的な言葉が母の中では一時の感情から生み出された言葉であったとしても、精神が崩壊寸前になるまでに僕の心を追い込んでいた事実に変わりはない。例えその場限りであったとしてもその時に感じた感情こそが己自身の本心であり、そこから時が経過しても家に戻る気がないとした僕の決意と母に対する呆れた気持ちは本物だと言うことになる。

 

という名の権力に抗い

家族という名の規律と義務から逃れ

家族のためと称する支配を破り

何者に縛られる事の無い自由を求めて僕は母と戦った

 

11月の始め〜12月の今に至るまでのこの家出騒動の期間を僕は自由への闘いと称する事にした

 

今このブログを書いている僕は今まさに、その闘いに勝ったのである。僕は自由を手に入れた、もう家族のためを第一に思って生きる事はしない。その必要性がもう無くなったからである。

親と子というのはいつかは必ず別れなければならない時が来るのである、離れなければならない時が来るのである。結婚をして嫁さんと一緒に暮らす事になれば親元からは離れて生活するだろうし、親か子のどちらかが亡くなってしまったら死別する事になる。人それぞれに様々な理由があれど、遅かれ早かれ親と子は離れなければならない時がやってくる。

それを受け入れられるか否かで健全な親子関係かどうかが証明されるものなんだと僕は思う

 

しかし僕の場合、そこに代償が付いた

母と弟から家族としての縁を絶縁された

主たる理由としては

「福祉法人から虐待者扱いされている事を撤回する頼みを拒否した事に加えて僕自身の意思として母さんを虐待者として訴えた事実を伝えた事」

「クリスマスを共に過ごさず、初詣も一緒に行く選択をせず、二度と干渉しないでくれと伝えた事」

それが母の中で決め手となり、「家族として仲良くしようとする意思がない人と縁を残していたってしょうがない」とする母の結論が出た事によって僕は家族思いではない薄情者としてその存在をみなされ、追放されるに至ったのである

よもやお互いの感情的な怒りの言葉がヒートアップし、精神が疲弊した末での家出から親子としての縁、家族としての縁を絶縁される事になろうとは夢にも思いはしなかった。しかし...その事実を知ったその時、自分の意のままに行動させようと仕向け、それに従わなかったというだけで親不孝者と見なし、簡単に僕の存在を切り捨てた母に僕は終始人としての呆れの感情しか湧いてこなかった。

親子というのは全てが上手くいってる事が親子なのではない。ましてや常日頃から家族と交流し、一緒の家に住んで居る事こそが親子であり、交流をせずに離れて暮らしている事が親子ではないと定めるのはちゃんちゃらおかしい話なのである。

僕と母の親子関係は互いに互いの存在に依存した共依存親子という歪んだ関係性であったという事を母はまるっきり自覚していない。常に自分が正しいとする根拠のない自信を人に押し付け、己の意に沿わない意見や物言いに対してはヒステリックな態度を取って恐怖で支配し従わせる...もはや親という権力を持っただけのただの傍若無人な人でしかない。

 

だからこそ向こうから縁を絶縁された事が逆に僕にとっては代償ではなく、己自身の自立を促す最大のチャンスだと思っている。

だから僕はこの先の人生を己の力のみで生きて行く、例えどんなに大変で辛い人生が待っていようとも、元よりそうなる可能性に対する覚悟はできている。以前から持っていた不満を爆発させる形となってこうなるに至ったが、それでも僕は前を向いていく、明日への希望に向かって...

 

家族との思い出や想いは令和2年に置いて行き、令和3年を素敵に満ち溢れた人生にしよう!と、そう決意するに終着した僕の今年最後のブログはこれで締めさせていただく事にする。

 

今年の一年も皆さん本当にお疲れ様でした

 

もうすぐ終わりを迎える2020年を盛大に締めくくり、2021年をより明るい未来にする為に来年もまた頑張りましょう!

 

それではここまで読んでくれてありがとうございました!

 

また来年!良いお年を〜!

 

令和2年12月29日 ニホンバト

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ小噺(読まなくても良いです)

実は2020年が終わる前にどうしてもケジメを付けておかなければならない事があった。

今年の11月の末はある方との友人関係が終わりを迎えた忘れがたき悲しい思い出がこびりついており、この1年間の僕はその方の存在を忘れる事が出来ず、時折悩んでしまう事もなくはなかった。実は三峯神社へ1人で山登りをして参拝した時も、己の中で残り続けるその方への未練を断ち切る為に三峯神社の境内にある縁切り神社として有名なある神社の末社を訪れその方の幸せを願い、未練を断ち切ろうとしていた。

しかしその方との思い出には良き思い出しか無かったというのもあって、僕はその方の存在をやはり忘れる事が出来ず、悩みの種はいつも残り続けるばかりであった。もう二度と交流することも接触することも望めないほど絶望的な状況だと言うのに、それでもその方の事を忘れる事が出来なかったのは、やはり自分の中でその方の事を最高の友達だとずっと思っていたからに他ならないだろう。

僕にとっては最高の友達でもその方にとってはそうではなくなってしまった。単純に言えばそれだけの話なのだが、恋愛で振られた方が未練がましくなりがちになり、振った方が逆に吹っ切れているという別れの後の思い出の残り方としては恋愛に近い何かがあるのだろう...

 

しかしそれも今年の12月にケジメを付けるチャンスがやってきた。そしてそのおかげで僕は今まで燻っていた未練を全て断ち切る事が出来、新しい出会いや、新しい思い出に向かってひた走るための全ての準備が整った、

僕はその方の幸せをただただ願っている。

いつしか最高の友達と一緒に交流を果たし、己の夢に向かって真っ直ぐと素直に生き、幸せになって欲しい。

 

1年間ずっとくすぶり続けていたその方への未練は全て無くなった。これで心残りを残す事なく新しい2021年を迎える事ができるだろう...

 

どうか...幸せになってください

 

では、本当に終わります

どうもありがとうございました

 

 

 

 

 

*1:アクティブ・ディメンション・バトルの略、初期の頃のRPGでは当たり前だったターン制バトルにリアルタイムな時間の概念を加えたATB(アクティブ・タイム・バトル)に空間の概念を加えたMMORPGジャンルでは当たり前のバトルシステム

*2:精神科のカウンセリングの先生はあくまでも患者の心のケアを最優先として治療をするため、例え嘘や個人的見解での言葉だったとしても相手の意見に同意をする事で患者の心を傷つけないようにする事が最善のため、おかしいと言った言葉は嘘である可能性も無くはない。それに先生は僕側の事情を聞かされておらず、虐待案件として取り扱われているという事情を知らないためそういった言葉が出てしまうのも無理はないだろう

あれから...

 

母親と喧嘩をした

切っ掛けはお金に関する些細な思想の違いで

でも内容は決して些細とは言えないものだった

 

母親の思う考え方が僕には合ってなくて、母もまた僕の思う考え方が合わない部分があった

 

家族内でもぶつかり合う価値観の違いに加えて、僕が長年思い悩んでいた母の怒った時の鬼気迫る圧力や精神的に追い込まれる言葉の矢の雨によって僕は母に対してトラウマの様な感情を抱くようになってしまった。

同時に母に対する怒りがふつふつと沸いた、抑えきれなくなった感情を爆発させる様に僕はブログにありのままの現状を全てさらけ出した

 

それからの僕はいったいどうなったのか...

 

その後を出来るだけ簡潔にお話します

 

 

人生4度目の家出

母親と喧嘩した後の僕は僕自身も精神的にナーバスになる。喧嘩は激しく体力を消耗するし、怒りの感情を爆発させる事は自分の精神を追い込む事にも繋がる。だから僕は疲れきっていた

そういう時は大抵、その元凶となった母親とは話したくない気持ちになる。だから朝起きてもおはようの挨拶も交わさないし、仕事も黙って出て行き、黙って帰ってくる。でもいつまでも話しかけない訳にはいかなくて、必要最低限の会話はしなければならない時が来る。それに母としては自分にも喧嘩の原因があるとは思っていないみたいで、いつも母親を無視して不貞腐れる僕の態度が気に食わない様だった。

だから母はいつも「何であなたが不貞腐れてるんですか?あなたにそういう態度を取られる筋合いはないんですけど」といつもそう言う。

その時毎回「自分にも悪いなと思う部分は無いのか...」と感じながらも、いつも僕がそこで反省の言葉を述べなければその先の物事が円滑に進まなかった。だからいつもすみませんでしたと心のこもってない謝罪をして物事を円滑に進める。最近はいつもそうしてきた。100%自分が悪いと決め付けられる喧嘩の謝罪をするのは非常に癪だが、ここで謝らなければまた更なる大喧嘩に発展して僕の精神が病んでしまう。その事を防ぐ最後の防衛ラインとしてもここがいつもギリギリだった。

 

だけど...今回の喧嘩で最終的にその防衛線は破られてしまった。

 

最後の最後まで喧嘩をし続けた結果、僕の精神は壊れかけた。成人してからはずっと思わずにいた"死にたい"という感情が溢れ出し、死んで楽になりたいと命を投げ捨てる終末的な思想をしてしまった。

感情が昂って出た言葉ほど勢いだけで現れ、中身のない言葉は無い。しかし己の中で感じた気持ちだけは真実であり、それを誰かに吐露せずにはいられなかった。僕はその気持ちを弟とTwitterに投げ掛けた。弟は死なないでくれと言い、Twitterでも死んではダメですと名もなき人が声をかけてくれた。母はその後、隣にいる僕に聞こえるのが分かっていながら僕の悪口を延々と言い続けた。正確にはいつまでも反抗的な態度を取る僕に対する愚痴に近い様なものなんだろうが、それでも僕にとっては苦痛以外の何物でもない言葉でしかなく、延々と言われ続ける僕への悪口に精神が耐えられなかった

この時、僕は母に愛されてないんだと思った。母にとって良い息子というのは従順で、決して母に対して反抗的な態度を取らず、我が家のピンチの時には身を持って犠牲になってでも家族を助ける事、実際はそうではないのだが、その時の僕は母に愛されていないんだと強く思い込んだ。それによって僕の中のタガが外れた。

 

「もうこんな家には居られない、家出しよう」

 

極限まで精神が追い込まれると僕は家出をする結論に至る。小中高と学生時代に3度の家出をして来た僕ではあったがこれが人生で4度目の家出、そしてあの頃とは違う本気の覚悟と決意を持った家出だった。

しかし家出の成功率はどれだけの軍資金と人づてがあるかどうかで全てが決まる。大した金額の金もなければ突然家に転がり込む事になっても快く泊めさせてくれる友達も居ない。そんな状態で決断した家出という選択は非常に短絡的で無謀過ぎる選択だった。しかしそれでもその時の僕はとにかく母の傍にいるのが嫌で嫌で嫌で仕方がなかった。

あの人のいる家に戻るぐらいだったら僕はホームレスになってでも良い、どんなに辛く厳しい道のりだったとしても僕は一人で生きていく。帰る道など元から捨て去っていた。荷物をまとめ、大量の着替えや財布、重要な物などをカバンに詰めれるだけ詰め、最後に母が眠りについたのを見計らい手紙を書いた。それはこれまでの人生で母から受けた厳しさから来る叱りや理不尽な怒りに対する苦痛さ、母の行う行為の全面否定、自尊心を傷付ける言葉の羅列など、これまで言いたかったが怖くて直接言えなかった事の全てを4枚の便箋に書き殴るように認めて書いた。

この手紙で親子の縁は切れる...そうでなくても何かしらのトリガーにはなるだろう。そう思った僕は手紙をテーブルの上にそっと置き、靴を履いてベランダから飛び降りて脱出した。その時間は早朝5時、まだ朝焼けすらない深淵の闇夜だった...

 

心の中で僕は母と弟に別れを告げると同時にどんな事があっても二度と帰らない事の決意を固めた。今の僕に頼れるのは職場の社会福祉法人だけだった...その後、緊急で出てきてくれた担当支援員さんや職場の施設長に事の顛末を語った。しかし急に飛び出した話でもあったので最悪の場合はシェルターか野宿になるのも有り得る可能性を孕んでいた。しかしそれでも僕は家に帰るつもりがなかったのでその事を宣言した。

その後、担当支援員さんの尽力もあって僕はグループホームに仮入居する事ができるようになった...

 

悩みの1週間

グループホームには2つの種類がある

ひとつは高齢者のおじいさんおばあさんが入所する介護老人福祉施設

そしてもうひとつは障害者が将来的に自立した生活を送る為の訓練をしたり、両親の他界等により身寄りが無くなった障害者の生活を送る場として使う少人数型入居施設サービス

グループホームには前に一度だけ母と共にグループホームの見学に行ったことがあった。将来的な自立生活をしてみたいという話が少しだけ浮上した時、僕の所属する福祉会が運営するグループホームにちょうど1件空きがあり、入居者募集中であるという事を聞き、見学に行っていた。

この時から既に自立生活をしてみたいという思いを持っていた僕は何より自分の部屋が持てる事にテンションが高まり、親元から離れてやってみたいという気持ちはあった。...しかし最終的にはやはり実家にいた方が楽で居心地が良い事に触れてしまったことでグループホームの入居は断念、法人側の人達は僕が入居する事を前提とした算段で事を進めていただけに大きな迷惑をかけてしまった...という経緯がある。

実は家出をする以前はグループホームに対して申し訳ないがあまり良い印象が無かった。既に入居をしている利用者さん同士で話している事から出てくるのは世話人に対する愚痴が主で、一部の人は成年後見制度が適用された事でお金の自由がない、外出や余暇の自由がない等色々な話が飛び交ってはいるがどれも悪い事ばかりで良い印象がなかった。そういう話を聞くとますます実家に居る方が快適で豊かな生活を送れると思い込んでしまっていたのが親元から離れた自立生活に舵を切る事が出来なかった最大の理由だった。

 

そんなグループホーム(以下GH)に1週間仮入居することになった。実際入居してみると意外に快適で、個別に部屋があってプライベートな空間を作る事ができるし、共同リビングは広々としていて快適、風呂も何十年ぶりかってぐらいの広々としたお風呂で最初にお風呂に入って足を伸ばせた時は天国だった...

食事や風呂の時間、就寝起床の時間は決まっているが、それに沿った生活の範囲内であれば自由な時間も多いので色々な事が出来る。そして何よりも親という存在が居ない生活というのがその時の自分にとってはとにかく最高で素晴らしかった。同居する利用者の人は優しい人も多く、第二の家ができたかのような暖かい空間に包まれた僕はその時、安心感からホロリと涙した。何よりも住む場所が確保されているという事実が想像以上の安心感を生み出しており、心から安心しきっていた。

同時にそこからの1週間は考える為の1週間でもあった。僕は過去に何度も家を出たいという願いや要望を担当支援員の人に相談したことがあった。しかし一度GHの相談をしてから入居ドタキャンをしていた事や、その場の喧嘩で生み出されたその場限りの怒りの感情が冷めた時、自己の中で大したことではなかったとして家に戻る、実家で落ち着くと言った結論を何度も出してしまっていたが為に、今回の家出から始まった家を出るという希望も本意のもの、真にそれを求める事なのかどうかを疑われている節があった。

だからそこからの1週間という時間経過によって冷静さを取り戻し、冷静になったその時でも家を出たいとするのか、それとも戻りたいと思うのかを見定める必要があった。僕の決意は家を出た時からダイヤモンドの様に固く、冷静になってから考えた結論としてもこのまま母と僕が一緒の家で過ごす事は有り得ないとする結論に至っていた。寧ろ母に対するトラウマがある僕は母との接触自体が恐ろしいものでしかなく、この1週間はずっと母の事を避けていた。その事を象徴するエピソードがある

 

実家から離れ、母との直接の連絡手段は全て断った僕だったが弟には何の罪もないとして弟とだけは連絡手段としての繋がりを持っていた。しかし母のそばにいる事で弟との会話は筒抜けになっており、ある時弟を介して母から家に来いと呼び出された。内容は携帯料金の支払いに関する事と家の事、特に家の事については家に来てもらわないと出来ない話だと言っていた。しかしそもそも家に戻る事自体が有り得ないし、もしも仮にここで戻ってしまったらまたしても母から凄まれる様な言い方で僕を責め立て、トラウマを植え付けるに違いない。そう思っていた僕はGHに居た職員さんの手助けもあって実家に戻ることを避けられた。しかし完全無視という訳にはいかず、電話ぐらいなら話をしようとして電話をしたのだが...

電話に出ると開口一番に母は「あなた何自分勝手な事をしているんですか?周りの事を考えず自分勝手な考えで動いて!」と、僕自身が家出をするに至った経緯の事を一切考慮せず、家出をした事自体に対する責めを僕にしてきたのだった。この時点で最早お話にならず、案の定電話口でも僕と母の会話は激しい怒号の応酬だった。その後電話を切ってGHに帰ると、途端に震えと動悸が激しくなって過呼吸気味になり、ストレスによる吐き気等、母に対するトラウマの症状は更に酷くなっていた...

 

GHで過ごす1週間というタイムリミットが迫り、刻一刻と時間が経って行く中で僕は色々な事を考えていた。これからの事、先々での住まいの事、お金の事、仕事の事、そして何よりも残された家族の事...

家出という行為によって借金を抱える事となった母と弟から逃げ出したという事実や取り残された2人の生活がやって行けるのかどうか、3年間ニートだった弟はちゃんと就職ができるのか、借金によって追い込まれていた母は精神的に大丈夫かどうか...喧嘩して間もない頃だったからこの時は意地の方が強くなっていたが、就寝前のベッドに寝転がった後は必ず家族のことが真っ先に頭に思い浮かび、僕は母と弟に対する心配の種が尽きなかった。実はこの時は自分がした行為が果たして人として正しかったのかどうかにまだ半分疑念が残っていた。

家庭内での精神破綻の末に家族の元から逃げ出したのも同然の家出をした事に対して本当にそれで良かったのかどうかに自問自答を繰り返す日々...帰る気はさらさらなかったが、家族を見捨てるという行為の罪悪感が自分の中で強く残っていたのかもしれない...

 

心無い手紙

精神的にいっぱいいっぱいだった状態からようやく冷静になれてきたが、まだ心の余裕は全くない状態だった。とにかくこういう色々な事があったんだという事を色んな人に話す事によってその話題に関心を持ってもらい、話を聞いてもらう事だけでも僕は十分な心のケアになっていた。中には色々な精神論でアドバイスをしてくれた人もいてその人の存在は心の支えにもなり、ありがたかった。

弟との連絡についてだが、この時の弟は母の追い込みによって精神が追い込まれる俺の気持ちを察しながらも母の味方でもいなければならないというどっちつかずな状態にいて、弟も追い込まれていた。母のいる手前全面的に俺を支持することが出来ず、お互いにトゲが着いた状態の俺と母とでは直接的に冷静な話が出来ないと分かっていたからこそ、間を取り持ち、和解させようと必死になっていた。しかしそのどっちつかずな態度が俺を更に追い込み、弟との連絡も完全に断つ事になってしまった。

 

詳細は控えるが、弟から受けたある言葉によって唯一の味方だと思っていた弟からも裏切られたという気持ちが強く感じてしまった。

自分の主張を認めてくれない人の所に居たくないという気持ちは更に強くなり、僕は更に帰らない決意を固める事となった。

 

13日は僕にとって重大局面の日だった

母が職場に乗り込むと電話口で宣言して乗り込んで来る予定の日だった...この時点で4日会っていない僕が母と会う日...まだ母に対して強いトラウマが残っていた僕は冷静に話が出来る自信が無かった...それでもどうしても母とは向き合わなければならない時が来る。その事をわかっていながらもその日は吐き気やストレスが半端ない事になっていた。

お互いちゃんと冷静に話ができるのかどうか、母はまた理不尽に自分を攻めたてるような事を言わないだろうか、母と向き合う自分は過呼吸などを起こさずにいられるのか?とにかく未確定な不安要素があり過ぎて僕は本当にストレスでしか無かった。ため息は出まくり、時々吐き気が出て気持ち悪くなる...自分が自分でいられなくなる不安を抱えながらも、母の乗り込みを待っていた。

 

しかし、やって来たのは弟のみで母は手紙を僕に送っただけだった。

 

本人が来なかった事に拍子抜けしながらも、見るのも恐ろしいその手紙を恐る恐る読む事にした。

しかしそれは内容としてはむちゃくちゃな手紙で、文面上は一見冷静さを取り繕っているが、家出を勝手な行動と決めつけた事、被害妄想だと断定した事、今所属している法人やそれに関係した職場を退職し、いちから人生をやり直せと言ってきたこと等、とにかく言いたい放題のオンパレード、そこに僕に対する謝罪や反省の言葉は一切なかった。手紙からも母の自分は悪くないオーラが滲み出ていたことに呆れ果てた僕はこの手紙を最後に母とは二度と会わない事を決意した。

この心無い手紙は僕と母との溝を更に深くさせるだけだった...

 

涙の話し合い

1週間のGH生活を終えた僕は名残惜しい気持ちが残りながらも最初に仮入居したGHを去り、次のGHへ仮入居させてもらえることになった。今度は2週間ちょっとの予定を立てており、僕が正式なGH入居をするために色々な手続きをしなければならない為少し時間がかかるという、要はその時間稼ぎのために空いたGHの中で人を回して事を進めているのだろう。

僕は住む場所さえあればそれで良かったのでどんな所に引っ越す事になろうが関係なかった。たった1週間で環境が変わるのは確かにキツい部分もあるがそうも言ってられない。習うより慣れろの精神で次のGHへ向かう事にした。

今度のGHは福祉法人の元アパート寮のタイプで、大きなリビングに各部屋が繋がっていたそれとは違い、それぞれ個人に鍵付きの大きなワンルームの部屋があり、構造は古いながらも水道、電気、ガス、ユニットバスがある本当に自分でアパートを借りて入った部屋のような擬似的な一人暮らしを体験出来るタイプだった。

そこでは職場で一緒に仕事をしている同じ利用者さんがいたので直ぐに馴染み深く接する事ができた。メンバーはそれぞれ個性的ながらもいい人達ばかりだったのでよく笑う時間が増えた。僕もだんだんGH生活には随分と慣れるようになっていた。

 

そして11月19日...僕はいよいよ本当の正念場に立たされる時が来た。13日の日に来なかった母が今度は19日に正式に来る事となった。僕の中では13日に来なかったあの手紙で手打ちだと思っていたのだがそうではなかったらしい。本当は会うことすら嫌だったのだが、直接会って聞いてみないと分からない腑に落ちない点もいくつかあったので、「第三者が話し合いの場に仲介して入る事」を絶対条件として母に突きつけた。母はそれを何とか了承していよいよその時は迫っていた。

 

そして...母はやってきた。話し合いは2時間以上に渡って話され、全てが終わった。

 

1週間以上振りに会う母の姿はどこか少しやつれていて、どうやら僕が家出をする際に置いといたあの手紙を読んだ事でショックを受け、精神科に通わなければならない程の心労を与えてしまったらしい...

 

最初こそは仲介人が3人いた事に錯乱し、帰ると意地を張っていたのだが、何とか支援員さんが宥めたことで話し合いの場につけた

そこで読まれたのは母からのもう一通の手紙だった。あれから母と弟は僕がいなくなってしまった家で何とか生活をするために就職活動を続け、借金を抱えて手持ちのお金が少ない中で就職活動費や精神科に通う病院代など色々なお金が掛かってしまい、本当に大ピンチになっているという現状が伝えられ、それと同時に母は自分が怒った時の言い方や言葉の圧によって僕の精神を追い込んでしまっていた事に対して謝罪をしてくれた。

そこで感じたのは母もまた今の苦しい現状と僕の家出によって精神的に追い込まれていたという事と、喧嘩の発端となったお金のピンチを乗り越える方法の思想の違いは俯瞰的に言えば単なるボタンのかけ違いでしかなく、しかしそのボタンのかけ違いによる歪みがどんどん広がった事によって僕と母の関係性は拗れる事となり、こんな現状になってしまった事...

母の思いに触れた事で僕は母の苦悩を理解し、母もまた僕の心理を理解してくれた。そして最終的に母は僕の自立を応援してくれた。僕はこれ以上母の事を悪く言うのはやめる事にした

 

一体いつから僕と母の間に言葉で言い表せない歪みが起きてしまったのかはもう分からない。けどその歪みがずっと続いたまま生活を切り盛りし、ピンチの時になると途端に不安定になる。もしかしたら自分が働いて給料を得て家に収めている事に対していつの間にか僕が驕った態度でいてしまったのかもしれないし、母もまた僕が家に奉仕をする事は当然の事だと思い込んでいてしまったのかもしれない。

話し合いの場で母は精神が安定しなくなって涙で鼻をすすっていた時もあった、その様子を見た瞬間僕の中で一気に罪悪感の重圧がのしかかってきた。本当だったらこういうピンチの時こそ3人が協力して乗り越えられるように頑張るのが一番だったのかもしれない。少なくとも僕がした家出や置き手紙の行為が母を精神的に追い詰めることになり、精神科通いをするほどまでになった事には本当に申し訳ないと思ってる。

 

今だったら、今この瞬間だったらやり直せるかもしれない。そう思った。しかし...

僕は僕の人生を生きる選択をする事にした。

 

どんなに冷静に考えても、このまま僕と母さんが同じ家の中で暮らす事が必ずしも良い結果に繋がるとは思えなかった。自らの意思で母さんの元へ戻ったとして、また歪みのある親子関係のままで過ごしていく中で綻びが起きた時、今回以上の酷い結果に繋がらないとも限らない。僕も、母さんも、精神衛生上離れる事が最良の選択だとこの時の僕は改めて思った。

それでも僕はここまで育ててくれた母さんや同じ時を過ごしてくれた弟には感謝の気持ちを述べた。これから先の人生で共に暮らすことは出来ないし、サポートをすることは出来ないが、2人には2人の人生を生きて欲しい...と、お互いに苦しい状況になるだろうけれど、それを乗り越えてまた会いたい。そう最後に言い残して話し合いは終わった

 

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この日の夕日はとても綺麗だった...気の所為かもしれないが、まるで自分の人生の新たなる門出を祝うかのような美しく暖かい夕暮れに照らされた街並みを見た時、自分の新たな人生がスタートした気がした。そして11月19日という日は母さんにとっても、弟にとっても重大な意味を持った日になったのかなと、家族に思いを馳せる事となった...

 

それから...

ここから自分の新たな人生をスタートさせることにした。家出をする時に必要な重要な貴重品は全て持ち出し、服はあれから弟が持ってきてくれたりなどしたので充実して揃うようになって来た。ただし、僕がこれまで集めていた漫画やゲームのコレクションは全て放棄する事で合意をした。残された母さんと弟にも人生があり、そして何よりもお金が必要不可欠だった。2人が上手く就職できたとして、生活基盤が安定するようになるまでには幾許かの時間が掛かり、そしてお金も掛かる。そんな中で僕は僕だけ漫画やゲームを全て持ち出して悠々自適な生活をしていこうとするつもりは毛頭無かった。それを売り払う事でお金が出来て、2人の生活苦が乗り越えられるのならそれで良かった。

仮にも自分のお金で買ったものだから所有者としての権利は自分にあり、持って行かせてくれと言うこともできただろう、しかし僕はその全てを放棄し、ゼロからやり直す事に対して躊躇はなかった。せめてもの2人に対する贖罪...とまではいかないが、自分の好きなようにさせてもらって得た物を持ち出す権利は僕にはないと僕自身がそう決めたからだ。

これもまた子供の頃からずっとそうしてきた自己犠牲精神の表れなのかもしれない...

 

少しずつ、少しずつ取り戻していけば良い

そうする事で僕は自分の力で余暇を充実させる事ができるという自負が付くからだ

 

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新しい仮住まいのGHからは朝日が昇る様子が見える。毎朝6時頃この朝焼けを見る度に僕は色々な事に思いを巡らせる。

自分の人生の事、家族の事、友達の事、SNSのみんなの事、今はどうしているのだろうと...皆がこの同じ空を見て、同じ朝日を拝んで、今日の一日の始まりを迎えているのだろうかと...これから先の生活にまだまだ不安な要素はいっぱいあるが、不思議と乗り越えられるだろうという根拠の無い自信に満ち溢れていた。

 

将来的な自分の人生がこの先どうなるのかは本当に分からない。ただ僕は障害者である事を乗り越え、普通の人に近い人生を送りたい。自分にとってどんな人生の歩み方が最も幸せなのかはまだ分からないし、それは永遠のテーマかもしれない。それでも僕は前へ進み続ける。

 

幸せを掴むために、僕は僕として

より良い人生を過ごしていこうと思う...

 

最後に近況報告

家出をしてから明日で丸1ヶ月...おかげさまで正式にグループホームに入れるところが決まりました!引越しはもうすぐやってきます。

そしてその際、本当にものの見事に家具とか道具などが一切ないゼロからの状態で始まるので少しずつ少しずつ物を充実させていく生活方針で行こうと思います!

こうしてここまで来れたのも自分の周りの人達からの助けもあり、そして皆さんのおかげでもあります!将来を見据えてこれからの自分の人生を慎ましく、そして楽しく過ごしていこうと思いますのでよろしくお願いします!

 

まずはベッドを買わなくちゃ!(笑)

 

ニホンバトより

僕の家庭内事情

 

こんにちは、ニホンバトです。

皆さんお元気でしょうか?僕は元気です。

普通に朝起きては支度をし、仕事に向かい、実労働6時間の勤務を終えて家に帰り、日々の生活をしています。

 

しかし時折僕は日々の生活を過ごしていく中で最低1年に1回、心が疲弊して心が折れそうになる時があります。それが母親との大喧嘩です。

 

本来あまりこういう個人の家庭内事情をブログに書くべきではないと思うのですが、今回はニホンバトというTwitterでの仮面は捨てて僕のリアルをここに記して置こうかと思います。

 

尚、最初の文から途中までは僕の半生を語ります。問題の母親に対する悩みを綴った文は下の方にあるので興味のない方はスクロールしてください。

 

家族構成

僕の家庭は元々4人家族だった、福岡出身の父と東京出身の母が結婚をし、僕と弟の2人の子供を産んだ。

若い頃恋人関係にあった父と母は外資系企業のサラリーマンを務める父が海外転勤をしていたのを母は追い掛け、一緒にアフリカで過ごしていた事もあったらしい。転勤先の現地で母はアフリカの地で僕を身ごもり、日本に帰国後に出産、1997年7月14日...僕はこの世に生まれた。

初めての子供に喜んだ父と母はその後色々あって埼玉に引越しをしてこの地に定住する事となった。東京から離れて引越しをするにあたって父は脱サラ、地元の建設、建築資材の配送会社に勤める事となり、生活が始まった。

そこで僕はすくすくと育った、翌年には年子の弟も誕生し、4人家族になった。その時の母は今や絶滅危惧種となっている専業主婦、ごく普通な平凡な家庭で育った普通の人生だった。

 

しかし僕が幼稚園生から小学生になる時、ある事実が発覚した。

 

僕の先天性の知的障害だった

 

母いわく、幼稚園生の頃から僕は周りの同級生達と比べて簡単な言葉すらも喋れず、周りの子が積極的におもちゃなどで遊んだり、絵を描いて遊ぶなどの知的行動をしている中で僕は隅の方で大人しく座ってる事も多く、周りの子達に馴染めず先生にベッタリな事が多かったんだという報告があったらしい。

それだけを聞くと単におとなしくて人見知りな子なんだろうと思うだけかもしれない。何せ知的障害の定義というのは明確に決まった定義というものがあまり存在せず、これまで障害者に対する理解や認識がまだまだ足りなかった当時の日本では普通の人として認識される事も多く、単にだらしない子として特別扱いされることは無かった。その子が本当に知的障害なのかどうかは知的障害を抱えた人との交流をしていてそれなりの経験を持った人でないと見抜くのは難しい。

そんな中で僕の知的障害を見抜いたのは当時から知的障害の子供たちの教育クラスを受け持つ特別学級の担任の先生(仮名 Nさん)だった。N先生は入学前の見学にやってきた僕の様子を見てどこか違和感を感じ、N先生と二人だけで面談、その受け答えを見て即座に「この子には知的障害がある」と断定したのだった。その事を聞かされた母と父は当時大ショックだったという、両親の家系には知的だけでなく何らかの障害を抱えてた人は親族、親戚には誰も居ない。両親も至って普通の健常者であるにも関わらず、突然変異的な形で息子である僕が知的障害児だったという事実の突き付けが非情で残酷だったという...

ただ僕にとっては生まれ持った時からそういう人間であったから、幼い頃の僕が普通の子とは違うという事の自覚が無かったし、ある程度の理解が追いつくようになった時でも僕自身、障害児である事にコンプレックスのようなものは一切なかった。有難いことに僕はこれまでの人生で障害者である事を理由にした差別を受けたことは無いし*1身分的立場上そうなのかもしれないがそれはそれ、これはこれと考えていた。

両親も最初こそショックは受けたものの、そんな僕の存在を快く受け入れ、僕は特別学級に入った。父は教育に厳しく、時折夫婦喧嘩する事もあったが父が夏休みの時には旅行に連れてってもらったり、そうでない時でもみんなで出かけて一緒の時を過ごしたりと家族として過ごした日々は当たり前のように流れて幸せだった。

 

しかし、そんな幸せな人生も長くは続かなかった

 

父の突然死

2009年9月17日...父はこの世を去った。

まだ40代半ばで僕は当時小6だった。

死因は池江璃花子選手も患った事で大きな話題となった「骨髄性急性白血病」だった。会社の健康診断で異常なまでの白血球の多さにおかしいと思った担当医師が要精検を提出、大学病院で検査したところ急性白血病だと判明、即入院する事となり、その知らせが学校に急報として届き、僕は父の会社の人のトラックに乗り病院へ向かった。

その時の父は病床についていながらまだピンピンしていたのをよく覚えている。白血病という聞いたことも無い様な病気の事を聞かされても当時の僕にはまだ理解が出来なかったが、あの時は直ぐに治療して帰ってくるもんだと、僕も弟も母も、そして父本人も誰しもがそう思って疑わなかった。

しかし現実は非情で検査をして白血病が判明した時にはもう既に末期症状に近い状態にあり、一刻も早い骨髄移植が必要な状態だった。当時はまだ白血病に対する骨髄移植以外での有効な治療法が確立されておらず、治すのが難しい病気だった白血病は死亡率が高く、悪魔のような病気だった。最初は元気そうにしていた父はみるみるうちに衰退、入院生活から僅か2週間...父は突然居なくなってしまった。

 

あの頃の事は今でも忘れられないほどの衝撃的な事態だった。病院からの連絡で父の危篤を知らされた母は僕と弟を連れて病院へ急行、今夜がやまかもしれないと医師から聞かされた母はショックのあまり僕と弟を連れて病院の外へ行き「もしかしたら...もうお父さん死んじゃうかもしれない...」と涙で上擦った声で聞かされ、事の重大さをここで僕は思い知る事となった。

父親が居ない事の事実、片親だけで暮らしていかなければならないこれから、当たり前だと思っていた日常が崩れ去っていく、ここから先の人生が大きなうねりとなり、波乱になる事を僕は子供ながらに覚悟していた。

その時母は駆け付けた母方の祖父祖母、父方の祖父祖母との話し合いをした末、まだ子供である僕と弟が父親の死を目の当たりにするのはあまりにもショックが大きすぎるだろうとして死に目に会わせない判断をとった。父が亡くなった瞬間、僕は病院の待合室から見える月をながめていた...

 

それからというものの色んな事が起きた

父の亡骸を前にして涙が収まらなくなり、僕は延々と泣き続けた。葬儀を開いたら当時の特別学級のクラスメイト、健常児の同級生クラス、学校関係者と色んな人が駆けつけてくれた、僕と弟は葬儀会場の入口で弔いに来てくれた人に挨拶をする役割をしていた。告別式をした会場は神妙で陰鬱とした空気が渦巻き、僕も弟も含めて皆が喪服で悲しい顔を並べていて、涙で言葉を詰まらせながら弔辞を読む母の姿を見て、あの当時の僕にとってはこの状況が信じられない程の光景に見えて...もう二度とこんな状況に立ち会うことはしたくないと思うほどまでに悲しかった。

それからの母はショックで米もろくに炊けない程の状態に陥り、僕や弟はどうすればいいのか分からない状態だった。あと半年程で学校卒業が控えていて中学に上がるという大事な時に起きてしまったショッキングな出来事、母にとってはこれから先どうやって僕と弟を育てながら生きていかなければならないのか、路頭に迷う寸前だったと母は当時の事を聞かせてくれたことがあった。

あの頃の僕は父の死を目の当たりにしてこれから先の人生を兄として、母そして弟を引っ張るつもりでやっていこうと決意をしていた。これから先どんなに厳しいことになったとしても、僕達三人は乗り越えていくんだ...!そう決意していた。

 

引きこもり学生生活

父の死後、何とか片親でも僕と弟を成人まで育て上げようと心に決意していた母は資格の猛勉強をして介護士の資格を取った。まだまだお金も掛かる食い扶持である子供二人を抱えながら家事をこなし仕事もする...そんな普通だったら地獄のような人生に対して当時の母は人一倍誰よりも努力をした。これまで専業主婦として仕事面での経験がない中で資格を取り、働く努力を重ね、僕と弟のために本当によく一生懸命に頑張って育ててくれた。その事に対しては今でも僕は本当に有り難さで頭が上がらない部分もあるし、絶大な感謝をしている。だから当時の僕はそんな母を支えてあげたいという気持ちが強く持っていて将来の展望としては母を支える事が第一だった。

しかし、唐突な父の死は生活環境に大きな変化を起こす事となり、ショッキングな出来事に立ち会った事もあり、その当時の置かれた状況、環境の変化に僕は無意識的に大きなストレスを抱えていたらしく...

 

中学2年の夏から僕は突然学校に行かなくなった

 

別に学校生活に不満があったとかいじめられてたとかそういうことがあった訳じゃなかった。むしろクラスメイトはみんな好意的に接してくれるし先生は僕達の指導に熱意を持ってる。学生生活を送る環境としては最高の場所であったにも関わらず、僕は不登校状態になった。唐突な学校に行かなくなるという行動...自分でも正直どうしてあの当時あんな行動を取ってしまったのかが今でも本当によく分からない。ただあの時の自分は極度の学校嫌いになっており、絶対に自分から行きたがろうとはしなかった。それがどんなに愚かな事で、自分の将来を潰していく大変な行為であるという事を分かっていたとしても僕は登校する事が出来なかった。

母にはその事に関してだいぶ頭を悩ませてしまった。「行かないの?」と声を掛けられても僕は行く気にはならず、家の中でダラダラと過ごしていく日々...何度声を掛けても行くという行動を示さなかった僕に業を煮やして「もう知らない!」と怒られても僕は一向に登校する気にはならなかった...

その当時の僕の生活は親の影響の事もあって昼夜逆転生活は熾烈を極めていて起床は午後1時、就寝は朝の4時5時というのが普通の状態だった。午後に起きた時の倦怠感は並大抵のものではなく、起きても「どうせこんな時間になっちゃったから学校なんか行っても...」と思い込んで行く気力は1ミリも湧かなかった。時折先生が訪問をしに来てくれた事もあって、今の生活状況を聞いたり、プリントを渡してくれた。その事に感謝はすれど、それでも学校に行こうという気は起きず、自分でも悪いと思っていたが本当に学校に行く事は出来ず、ごく稀に行っても不登校の僕とでは特別学級のみんなとは馴染む事が出来ず、自分の中で孤立していたから楽しくなかった*2

その頃から僕は既にネガティブ人間になっていた。どうせ何をしても無駄で努力なんかする気にもならない、今から頑張ったってここまで燻ってしまった自分に何が出来る?何が望める?何が手に入る?どうせ自分はダメな人間だと諦め、最初からあらゆる物事に対してひたむきに頑張ろうとする努力すら見せなかった。後悔する気持ちだって本当に心の底から後悔してるのか?あの時の自分は今のままでも生活に支障はないから良いや〜って思ってたんじゃないか?と疑うほどまでにダラけていてどうしようもないほどのクソ人間だった。一時期Twitterでネガティブ状態に陥っていた時もあった僕だが、あれがある意味僕の本性というか、ネガティブな僕こそが本当の自分でもあったので、ネガティブな事を呟くことに僕は苦痛を感じる事は無かった...

今この場にタイムマシンがあって過去の世界に戻れるのなら僕は間違いなく不登校時代の僕の元に訪れてぶん殴っている。ボコボコにしてその根性を叩き直してやる!とスパルタになっていた事だろう...

 

父が亡くなる前は決してこんな事を考えない明るい子供だったはずなのに、父の死後僕の性格は大きく変わってしまった。特に成功体験の経験に乏しい僕は何に対しても後ろ向きで諦めがちでネガティブ思考が止まらない。ネガティブスパイラルに何度も陥った僕は負の連鎖から抜けられない状態にいた。

これは後々、僕が成人してから調べて分かった事なのだがある日突然不登校状態になってしまう子供は僕以外にも普通にいて珍しいことではないらしく、特に中学から高校期に掛けて不登校になる子供の特徴として幼少期から小学生の頃にショッキングな出来事に立ち会った事、生活環境が大きく変わる事による潜在的なストレスが突然爆発する形として不登校になってしまう事があるらしく、しかもそういう子供に限って不登校期間が長くなる傾向にあるのだという...

果たしてそれが学術的理論に基づいたものなのかは定かではないが、その説明を聞いて妙に納得した部分が多々あった。言い訳にしかならないかもしれないが、小学校の卒業直前に父親が突然亡くなり、当たり前のようにあった生活環境は大きく変化し、仕事から帰ってくる母親と時折トラブルや喧嘩をする日がでてきたりと、上手くいかない色んな事があり過ぎてそれがストレスになっていたというのも妙に納得ができてしまう。

 

そんな僕の不登校時代は中学を卒業*3して高校生になっても続き、最終的に不登校から抜け出せたのは高校卒業前の4ヶ月、実に5年近くにも及ぶ不登校期間を経て僕は社会人になって行った

 

社会に出て、成人を超えて...

話は少し前に戻るが僕が不登校を脱出した切っ掛けは大きな危機感を感じての事だった。もしもこのまま自分が怠惰な生活を送り続けたら結果どうなってしまうのか?きっとろくでもない人生を送り、最後は犬死に...あるいは犯罪を犯して囚人生活になる事だって有り得る。そんな人生送りたいか?否、絶対に嫌だった。

本当に抜け出す切っ掛けは些細な事だったが、自分の中で大きな危機感を抱いた事はようやく一歩前へ歩むことに繋がった。何度も僕の事を気に掛けてくれた担任の先生には猛烈な反省の意を示し、卒業4ヶ月前になっても就職出来る所を探して尽くしてくれた。そして今でも働くあるグループの就労継続支援施設に入所する事ができた僕はようやく社会人になる事ができた。

高校卒業式の時、担任の先生の1人は僕にこんな言葉を投げかけてくれた

 

「お前はこれからの3年が大事だぞ」と...

失われてしまった5年分の時を埋め合わせるために僕は人一倍努力をしなければならない、その事を肝に銘じるつもりで掛けてくれた先生のあの言葉が僕は今でも忘れられない。例えどんなに落ちぶれた奴でも見捨てずにいてくれた学校の先生には本当に心の底から感謝している。あの方たちがいなかったらきっと今の僕はいなかっただろう。

 

社会に出た僕は今の担当相談員の人とヒアリングを重ねながら働きに出ていた。しかし当時僕が働いていた就労継続支援施設にはA型とB型という施設があり、Aはごく一般的な健常者がバイトで働くのと同じように一般社会に近い多種多様な仕事をこなせて時給も出る、周りの人も知的障害が軽い人が殆どである事に対し、僕が入ったB型施設は基本的に働く人は障害の度合いが重い人の割合が高く、仕事内容も単純作業で賃金は月に手取り3万程しかない仕事だった。幸い悪い人はおらず、仕事の環境としては最高の環境ではあったのだが如何せん給料が安過ぎる事に僕は不満を持っていた。

その当時の僕は「母のために尽くす!」という決意が強かったのもあって、こんな雀の涙ほどの給料じゃ生活費に充てるのだって少な過ぎる、みんなどうやって生活してるんだ...?と疑問に思ったのだがどうやら障害が重い人は障害年金が貰えるらしく、雀の涙でもみんなが不満を持たずにいたのは障害年金があっての事なのだろう。残念ながら僕は障害の度合いが軽かった事で障害年金の受給資格が無く、雀の涙だけが僕の収入源だった。

それに人によっては昇給した人もいるらしく、通勤を継続していけば僕もいずれそうなる予定だった、けれどいつまでも続いて内容が変わらない単純作業の連続、どんなに働いても手取り3万の給料に充実感もへったくれもあったもんじゃない、僕はまたしても無断欠勤をする日々に陥ってしまっていた。

これからが大事な時だと先生から卒業式の時に言われたばっかりなのに、高校卒業直前のあの時ちゃんと頑張って努力したはずなのに、どうしてまた...しかしそれでも僕は反省をし、思い切ってA型施設への異動を直談判した。本来であれば確かな労働をしたという実績を残さなければ行けない道、僕がこの2年半の間で実績も残せていない状態で賃金形態が悪いからA型施設に入らせてくれと言うのはそのグループの歴史の中でも異例中の異例だった。

本来であれば実績も残せてないやつが入れるわけがないとして門前払いを食らう所だが特別に1ヶ月の実習を経て入所を決めるかどうか経過観察すると打診してくれた。ここが最後のラストチャンス*4だと思った僕は1ヶ月の実習を無遅刻無欠席で仕事も精力的にこなした。そしてその結果晴れて現在のA型就労継続支援に入所する事ができた。

 

それから丸2年...雇用契約も結んで時給が出るようになった僕はようやく最低限の生活ができそうな程の額を貰えて満足していた。

 

そして今に至るのであった...

 

成長と共に感じる母への悩み

母はひとり親として苦労が多いであろう男ふたりを育てるために尋常じゃないほどの努力をしてくれた、さっきも書いたがその事に対しては本当に感謝の気持ちは今でも持ってるし、その思いを無碍にするつもりは微塵もない。

しかし僕は時折母の言動について頭を悩ませることが少なくなかった

母は元々優しい性格のはずだった、父が存命だった頃は父の方がスパルタ教育が激しかったため、そんな父の厳しさに母が優しさで励ましてくれる、そんな存在であったはずだった。しかしそんな母でも唯一厳しくされたのがお金に関する事だった。

言っちゃえば母はドケチだ、超ドケチだ。長年父が貰った給料の管理を母がしていたのもあって母はお金に関する、またはそれに繋がる失態をすると烈火のごとく怒り狂う。例えば僕が小学生の頃、お使いのお釣りの10円を落としてしまった時に母は怒り狂い「落とした10円探してこい!!!」と激しく叱責された、その時の形相があまりにも恐ろしかった僕は泣き出してしまった、すると父は「10円ぐらい良いじゃないかよ...」と庇ってくれた...が母は「10円ぐらいなんて舐めた事を言ってたらお金にだらしなくなるからダメよ!」と父の擁護を一蹴、僕は夜も深けた中で買い物に行った道を戻りながら10円を探す事になり、10円が見つかるまでは一切家に入れてくれなかった。

思えばこの時から母のお金に対する執着心が異常だったのかもしれない。もちろん僕だってお金は大事だし、お金を落としたことに対してはかなり焦る。しかし今考えてもたった10円を落としたことに対して子供一人で夜道を探させるのは頭がどうかしてる。見つかったからまだ良かったものの、見つからなかった時にはいったいどうするつもりだったのか?

 

それと母は何かにつけて「弁償しろ!」という言葉をよく使う、例えばうっかり物を壊してしまった時は壊した物代を弁償しろ!と言い放つ、まだ働く事もできずお金を生み出す能力もない中学生の僕に向かってである。お風呂を使った後にガスの元栓を閉め忘れて放置してしまった時には爆発したらどうすんの!?という言葉と共に「お前がガス代払え!私は一切払わんからな!」と突き放す言葉を浴びせかける。当然そんなガス代を支払うなんて無理な話だった僕には理不尽極まりない言葉であり、どうすることも出来ずに泣き出すしか無かった。

そして僕は子供の頃から実際に金銭的責任を取らされた事があった、それは僕がこれまでの人生でプレイしてきたゲームソフトやゲーム機本体を売り払うという売却責任だった。

僕がこれまでプレイしてきたゲームは全て母が買ってくれたものである、だから所有者は僕でありながら購入者は母である為、母は問答無用で売り払うことを厭わなかった。僕がこれまでプレイしてきたゲーム歴が長いにも関わらず、今現在ソフトや本体を持っていない事の殆どの理由は売却責任として売られたか、生活困窮状態を脱する為に仕方なく売るというしわ寄せから来るものだった。もし僕が買ってもらったゲームを売っていなかったらゲームの数は相当数になっていたはずである。

あの時の僕はそんな理不尽とも取れる言葉を浴びせかけられても耐えるしか無かった、ただひたすら謝ってもう二度と同じミスはしないと誓って、泣きながら謝る事しか出来なかった。

しかし今の僕は思う、子供にお金の大切さを教える事は確かに素晴らしいことではあるのだが、だからといって支払い能力がない子供に向かって弁償しろ、責任取れと怒号をあげながら金銭を要求するのは親としてこんなおかしな話は他に聞いたことが無い。よく僕の精神が崩壊しなかったもんだ。

 

しかしそんな責任取れや!とよく言う母であるがそんな母にだってだらしがない所が色々ある。まず父と同じく母はヘビースモーカーだ、生活費の中にタバコ代は当たり前のように入っていて、ストレスの発散の為にタバコは当たり前のようにプカプカと吸っている。つい最近電子タバコに変えたがそれでも毎月のタバコ代は結構馬鹿にならない。非喫煙者である僕からしたら「禁煙してタバコ代を無くせば少しは生活が楽になるのでは...?」と思うのだがきっとこの考えは一生理解されないであろう。

そしてもっとダメなポイントは母はパチンコにも行くしかも娯楽として遊ぶための1パチではなくガッツリ稼ぎに行くための4パチで僕にとってはパチンコの様なギャンブルに行くことこそが最も信じられない行為のひとつで、母は自分でパチンコ依存症じゃないと言っているが、久しぶりに行って負けて帰ってきた時に明日リベンジしに行く!と考え行く時点で母は立派なパチンコ依存症である

その事については元友人もパチンコに行くという母の行為自体にドン引きしており、僕が母と喧嘩した事を伝えると「パチンコに行くくせに...」と僕の母を蔑んでいた。苦労して働いてお金を稼ぐという事を少しでも感じる事が出来た僕には本当に信じられない事だ、パチンコに行って勝ち越す事は絶対にない。パチンコに行かなければ0円で済むがパチンコに行った時点で100%マイナスになってしまう。

稼いでやろうと意気込んで投資したその1万円で何が出来ると思う?ちょっと豪華な食事をしに行こうとファミレスでご飯食べに行くだけでもお釣りが出る、1万円もあれは素晴らしい名作ゲームソフトを買ってパチンコ以上に充実感のあるライフスタイルを送ることだって出来る、そんな最もお金が掛かって損しかしない、充実感もない趣味なんか僕は絶対にしたくない。だから僕は一生の中でタバコとギャンブルと借金だけは絶対にしたくないと決意しているのだ。

母は生活に支障が出ない程度で抑えてると言っているがアレは絶対に嘘だろう。パチンコさえやらなければ支払えていたかもしれない支払いだって絶対にあるはず、稼ぎに行こうとパチンコに行く時点で母の金銭感覚も大概なもんだ

 

それと母はよく支払いを滞らせるし滞納もする

一時期携帯電話の料金が払えなくて止まったこともあるし、市税が払えなくて役所から「至急開封!」の封筒が来ても開けずに目を通すこともせず、ほったらかす。いったい何を考えているのか僕にはさっぱり分からない。単純に支払うお金が無いから支払えないんだと思うのだがそれでも1回は必ず請求書に対しては目を通すだろう、もはや母さんには支払う意思がないのでは?と思うほどこういう所にはとんとだらしない。

一家のお金を握る人であるのなら家計簿ぐらいはつけるだろう、しかし母は家計簿をつけていない。僕ですら去年から小遣いの管理をする為に家計簿アプリをダウンロードして金銭感覚を身につけてるというのに家計簿をつけないのは本末転倒!正直、家計簿をつけていない事で自分でも分かってない支払いとか金銭感覚の乱れがあるんじゃないか?と僕は思ってさえいる。こんなだらしない人にお金の事云々で色々言われても全然説得力もない。一家の長としての自覚があるのならそういう所は本当にしっかりして欲しい

 

母に関するダメエピソード三選

遅れてやってきた反抗期なのか、最近の僕と母は色々な所で全くと言って良いほど価値観が合わない。中学の頃から色々と抑えつけられていた自立心や個としての主張という事をやるようになったからなのか僕は最近母に対しては反抗的な態度をとっている。特にお金が大ピンチ!って話を聞かされた時には正直呆れの気持ちしか出てこない。これまで喧嘩の時に言われた罵詈雑言の事もあって僕は母さんに対して不信感しか抱いていない。

 

そんな母のダメエピソードを3つここに記そう

 

  • 中学生の僕に祖母から金を借りるように頼みに行かせる

母の働きだけではどうにもならないほどお金がピンチになっていたことがあった。その事に対してどうしようと悩んでいた時、母は不本意ながらも仲が悪い自分の母、つまり僕の東京の祖母にお金の工面をしてもらうように頼んでいた。しかし母の金にうるさい性格はどうやら祖母譲りだった様で、疎遠状態になっていた母と祖母は電話口で大喧嘩、祖母は「金にだらしないあんたが悪い!金なんか貸さん!」と門前払い、しかし母も「じゃあどうにもならなくなったら死ねって言うのか!!!」とこっちも引けを取らない。らちがあかなくなった母はお願いがあるのという言葉の後、とんでもない事を僕に頼み込んだ

 

「おばあちゃんの所に行ってお金を借りてきて欲しいの」

 

しかもみんなでではなく、僕一人でだった。

何故母はそんな事を僕に頼んだのか、母の企みとしては祖母との関係性が悪い自分が頼むよりも孫の僕から頼まれたら流石にあのクソババアも要求を飲まない訳には行かないだろうと打算してというクソみたいな考えがあっての頼みだった。その時の僕は正直な話、嫌だった。ただでさえお金に厳しい一面がある所を家族で顔をのぞかせに行った時でさえ肌で感じていたのにそんな100%トラブルになる頼みを僕に押し付けるようにお願いをするのなんてどうかしてると思った。

しかし、当時中学生の僕に出来ることは確かに母さんの頼まれごとをするしかない。本当は嫌々ながらも「分かったよ」と引き受けることにした。1人でバスに乗り、東京の祖母の元へ走り出す...果たして本当に上手くいくのか?僕が金の話をしたらおばあちゃんはどんな反応をしてしまうのか...?バスに乗ってる時も、電車に乗ってる時も僕の心は不安でいっぱいで最後の最後までその不安は拭いきれなかった。

 

そして祖母のいる団地の扉の前まで訪れた時...心臓がバクバクしながらも意を決してピンポンを押した...

 

\ピンポーン/...ガチャ

「やぁおばあちゃ...」バタン!!!

「帰れ!話したくない!」

 

祖母は僕の顔を見た瞬間即座に扉を閉めて鍵をかけた、どうやら母に頼まれて来たのを勘づいたようで、例え孫の僕からの頼みであろうと受け入れるつもりは無かったようだ。この時点で僕の心は既に折れていた

しかし僕は「ねぇおばあちゃん開けてよ!」と扉を叩いた。何故そうしたのか?僕は出発の直前「もしおばあちゃんがお金を出さないって言ったらどうするの?」と母に聞いた、そしてその母の回答が

「まず中に入って、お金をくれるまで帰らない!って言いなさい」

というそんな非情な事を頼む母は本当にクソの極みだと思った。僕は孫としてこんな事をしたくはなかった。けれどお金が無いのは事実で、母さんが頼れるところは実家しかないんだとするならそれしか方法はないんだろうと当時の僕は思い込んでいた。だから非常に心苦しかったが、僕は扉を叩いて開けるように要求した。

何度も何度も、近所迷惑にならない程度で扉を叩いて開けるように必死にお願いする...するとそんな僕を可哀想だと思ったのか、おじいちゃんが扉を開けてくれた。あの時のおじいちゃんは認知症が進んでいたのだが僕の事を認識して扉を開けてくれた、その優しさに涙しそうになった。

 

しかしまだ問題は解決していない。僕は母から頼まれた祖母にお金を借りるという地獄のようなミッションをこなさなければならない。無理だとわかっていてもその時の僕にはダメ元で頼み込むしか無かった。

しかし何度要求しても祖母は僕の頼みを聞き入れてくれず(当然だが)僕は言いたくなかったが母さんに言われた通り、「お金を貸してくれるまで帰らない」と宣言した。その時の祖母は苦虫を噛み潰したような渋い顔で僕を見やった後、外へ出ていった。

僕は正直ほっとした、こんな話したくないし、その話をしてしまったせいで部屋の居心地が悪い、すぐに戻ってくるだろうと思いながら暫しおじいちゃんとの会話を楽しんでいた。

 

しかし...

 

祖母はある人を連れてきていた

 

それは警察官だった...

 

 

.......祖母は...祖母は外に出たあと警察署に駆け込み「暴漢が家に入ってきて暴力を振るわれてる!助けて!」と僕を暴漢扱いして通報したのだった...パトカーと共にやってきたお巡りさんは僕を見て事情聴取した、そこで出した療育手帳を見て祖母と祖父と親族関係にある人だとお巡りさんに認知された。すると警察の人は祖母に「事件性のない事で通報しないでください!」と叱責、祖母は不服そうな顔をしながらも僕を追い出せればそれで良かったようだ...

 

僕の人生で1番のショックだった

やりたくもなかったお金の工面のお願いという頼みを引き受けてそれをやってしまったがために好きだったはずのおばあちゃんから暴漢として警察に通報された、その事実自体に僕は死にたくなるほどのショックを受け、絶望した。

未成年だった僕に対してお巡りさんは「パトカーで駅まで送ってくから、帰りましょう?」と言ってくれたその言葉に僕は素直に受け入れるしか無かった...パトカーの車内で祖母のいる団地を離れていけば行くほど僕の心はズタボロになって思わず大声を上げて泣きだしてしまった...

僕は自分の行動でひとつ縁を失ってしまった。

それも大切な存在のはずだった人との縁を...

泣きじゃくる僕を見るお巡りさんの表情は何とも言えない可哀想な子を見て憐れむ人の表情で...それが余計に悲しく辛かった...

 

泣き過ぎて放心状態になった僕はそのまま家に帰った、そしてこんな事になってしまった原因の張本人である母に経緯と結果を報告した

その時の母の反応は「あのクソババアが...!」とこんな嫌われ役を買って出た僕に労う言葉などひとつとなく、祖母に対する恨みを強くするだけだった

 

あの時の事は今でもよく覚えてる...けどもう二度と思い出したくないパンドラの箱に封印していた出来事だった。祖母との縁切りが僕が人生で初めて切れた人との縁切りだった...

あんな事もう二度と頼まれても僕はやらない、大切なものを失った事のショックはそれから数年引きずる事となった...

 

  • 僕の友達との接し方に口出しして自分の意見を押し付ける

僕はTwitterで出会った元友人との交流を楽しんでいた。いつしか親友とまでに呼べる関係になっていた時のこと、僕は家が近いということもあって友人の家に泊まりに行きたいと思っていた。お互いに顔も名前も知った友達同士、それまでの学生時代には出来なかった交流を僕は楽しみたかった。しかしそこを阻むのが母の存在だった。

僕が友人の家に泊まりに行きたいと言うといきなりダメよと言った、「何で?」と聞くとネットで出会った人の家に泊まりに行くなんて言語道断とのことだった。しかしこの時から既に母に対する不信感を持っていて反抗するようになっていたこの時の僕は母を説得しようと必死だった。それにしてもこの時の母の言うことは色々と理不尽な感じておかしい事ばかりだった

 

僕が友人に会いたいと言えば

「会うならお互いのいる場所から一番中間の地点で会いなさい、あなたが友達の元へわざわざ向かうのなんておかしい」と言い

 

僕が友人と飲みに行きたいと言えば

「じゃあ絶対に奢ってもらうなんて考えちゃダメよ、それが例え相手からの好意でそうするって言っても奢ってもらった時点で奢る、奢り返すの関係性になっちゃうから絶対ダメ」とのたまり

 

友人が車もってるから迎えに来てくれると言った時には

「車なんか絶対乗るな!事前に話し合った計画で出かける予定を立てていてもその友達がノリでなぁ今からちょっとラーメン寄らない?とかそんな予定にもないこと言ってきたらどうするの!?あなた否定できるの!?」と叫び

 

挙句

「どんなに自分が信頼しているつもりだったとしても相手のことを100%信頼なんかしちゃダメよ!」と言う始末

 

めちゃくちゃである

まずお互いの中間地点に会う云々の話に関してはそんなの僕も友人もお互いがどうしようと自分たちの勝手だし、何故そういう会い方をガチガチに指定されなければならないのか?

奢ってもらうに関する話でも奢ってあげるよと言ってくれてるのに相手の好意を受け取らないのは失礼だと元友人が言っていた様に、奢ってあげるという言葉に対する母さんの対応は逆に失礼という事になる。

友人の車に乗せてもらう云々でもだいたい友達と出かける時って大抵はノープランでぶらぶらっとちょっと出かけたり美味しいものとか食べに行くもんじゃないの!?と僕は心の中で叫び

最後の言葉に関しては友人関係を破綻させかねない酷い言葉である。じゃあ何のための友達なんだよ、何のための友人関係なんだよ。そんなガチガチに縛られた形で会う場所を指定して会って、飲みに行くとか食事に行った時は奢る奢られるの関係にならない為に必ず割り勘、事前に前もって話し合って立てた計画以外での予定外の行動は許されず、挙句の果てに相手の事を100%信頼するな?ふざけてんのか馬鹿野郎!

 

母としては例えで言ったのかもしれないが、この時の僕はその言葉がまるであたかも僕の信頼していた友人がそんな事をするかもしれないと半分断定した友人に対する侮辱だと受け取った僕はは母に対する怒りが収まらなくなりブチ切れた。

どうやら母の思う友達の定義と僕の思う友達の定義は全然違うという事がよくわかった。少なくとも母の言う友達との交流の仕方はそんなの関係性としては他人の会社内交流の付き合いだとかそのレベルでやるべき事なのであって友人として接するやり方としては失礼極まりない。もちろん僕の思う定義だって間違ってるのかもしれないが少なくとも母の思う交流の仕方には些か疑問でしかない事が多すぎる。

母は何故僕にそういう事を押し付けたのか?母いわくそれは「社会の常識、一般常識として」との事なのだそうだが僕には全くと言っていいほど理解ができない。世の中の人がみんなそうだとでも言いたいのか?それは母が個人的に決めつけた定義なのであってその考えを僕に押し付けてるだけなんじゃないか?とまぁ色々と思うわけですよ。そしてそれを言ったんですよ。そしたら母は「あんたの言ってるやり方はね、非常識なんだよ!」との事、はぁ?ふざけるな、だったら俺は一生非常識で良いわ!

 

とまぁこんな感じで僕と友人を巡る友達関係としての交流の仕方にいちいちイチャモンをつけて僕と喧嘩をする日々...この時、母は僕がTwitterで出会った人との交流をすることに対して危ない事に巻き込まれるのでは...?という心配をしていてとの事だったらしいのだが、そういう心配をしてくれるのはありがたいが、だからといって何でもかんでも頭ごなしに僕の考えを否定して自分の考えを押し付けるのはただの強要なんじゃないのか?

 

友達との交流ひとつすらも簡単に取らせてくれない母親、僕が20を過ぎて成人超えたにも関わらずこんな事を言って来るんだから本当に毒親を極め始めてるとしか言いようがない。

 

  • 金が無くなって急場をしのがなければならない時に起きる大喧嘩の日々

言わずもがなだが僕は母に対して不信感しか抱いていない。そう思うまでに至ったのは喧嘩になった時に母が私に言い放つ罵詈雑言の悪口の多さだ。

母はお金が無くなるとヒステリックになる。そりゃあ家計簿もつけないから財務状況も分からない、タバコは吸いまくるしパチンコもする。きっちり支払わなければならない支払いを滞納する。そんなんじゃすぐお金がなくなるに決まってる。金にうるさい割には計画性がなんにもない母はいつも金銭面で家計が追い込まれることになる、そうなるとどうにかして金を工面しなければならない。そうするにはどうすれば良いのか?

当初は僕に「今働いてる職場の給料前借りできない?」と言われた、ふざけるなという話だし、当然聞いてみたけど速攻で断られた。だから僕にはどうすることも出来ない。すると母さんは決まって「じゃあどうすれば良いのよ!」と言い放つ。いやいやそんなの母さんだって思いつかない事を俺が思いつくわけないじゃん!

僕はこういうお金がピンチだとかそういうマイナスな話を聞くのが嫌なので正直あまり良い態度はしなかった。母さんの言うことに対する受け答えにも若干呆れの気持ちが入った返しをしていた。すると母さんは「何その態度、なんで私を責めるような言い方をするのよ!!!」と叫び俺に怒りをぶつける。その事に腹が立った俺は売り言葉に買い言葉で「責めてるとかそんなつもりないから!」と怒りながら返す。

こうなるともう手が付かない、俺からの怒りは母にとっての怒りにも繋がるようで、母は俺が親に対して怒った態度でいる事が至極気に食わないらしい、そして喧嘩をすると大抵「偉そうにしやがって!誰のおかげでここまで育って来てると思ってるんだ!えぇ!!?」と、自分が育ててやったんだという事実を俺に押し付ける様にぶつけてくる、それに対して俺は「そういう恩着せがましい言い方で俺に押し付けてくるんじゃないよ!」と言葉の応酬で返す、すると更に怒りの火にガソリンが入った母の怒りは大炎上、終始話し合いに決着はつかないままお互いに心労が祟るだけで終わる。

「誰のおかげで」「偉そうにするな」「自分勝手な野郎」「家族の問題なんだから無視するな」「自分一人だけ」もうそんな言葉は当たり前のようにぶつけられ、僕は正直怒り声のトーンと共に聞くだけでもストレスになるからもう耳穴を塞ぎたいぐらい不快極まりない。

いくら僕が反抗的な態度を取ってるのが気に食わないからと言って、そうやって僕に怒りの言葉をぶつけたところで僕の怒りに火がつくだけでなんのためにもならない。だから僕が話す事を拒否しても母は僕に罵詈雑言を浴びせかける。そういう母さんからの言葉が一時心のストレスに大きく影響していたことがあって、職場で何度もその喧嘩を思い出す度に吐き気を催してまともに仕事が出来ないほどに陥った事もあった。

 

昔は母親の怒りを鎮めるために僕が心折れて謝るしか無かった、しかし近年の僕は母親に対して素直に謝る事もできず、怒りの応酬で返す事しかしなくなってることで母親も僕に対して怒りを向ける。

どうしようもない状況になった時、僕は何よりも人に相談することを重要視していた。こういう生活困窮をしてしまった時のために相談する機関を使うのが良いんじゃないの?と僕は思っていたからだ。実際僕はストレスとなった出来事を担当支援員さんの人に話をするだけでも心のストレスが解消される。それだけでもとても有意義な意味のある行動だと見いだしていた。

しかし、当の母は「相談したらお金くれるの?相談したって相手はへーそーなんですねー、かわいそうですねー、親御さんとかに頼ることは出来ないんですか?とかって事務的な返ししかしないし、絶対そういうことを言ってきてなんの解決策も導き出してくれないよ!」と、相談機関に対するゴリッゴリの偏見に満ち溢れた意見を俺にぶつける事で相談という選択肢を自ら潰している

相談をすることに意味は無いわけじゃないと俺は思っている、例え直接的にすぐの解決が難しかったとしても確実な解決策を一緒になって考えてくれる人の存在ほど有難いものは無いはずだ。それなのに母はそんな相談機関に対して何の意味を見出すこともせず、ただただ自分の中の偏見だけで決めつけて人の言葉に耳を傾けようとしない。あの人はあくまでも自分と家族の力たけで何がなんでも解決したいと思っているようだそんなのできるわけが無い

三人寄れば文殊の知恵ということわざがあるが問題に対してひ一緒になってか考えてくれる人は4人でも5人も多くいればいるほど良い、僕はそう思ってる、なのにあの人はその事については全否定する。そりゃそりが合わないに決まってるわな!!!😡😡😡

 

今まで母に対しては従順だった僕ではあったが、今は本当に反抗な態度しか取れていない、多分僕の中であの人とまともに話ができるとは思っていないからであろう。実際本当にらちがあかずに喧嘩終わりするのが殆ど、近年は本当にそんなことばっか、もう僕と母親の関係性は破綻してるのでは?とも取れる状態だった。

 

最近Twitterで色々と怒りのツイートや愚痴を呟いていることで色々と心配させてしまっているのでいったい何が起きて喧嘩をしているのか簡単に説明しましょう

 

まず、光熱費を中心とした生活費の支払いに使っていたクレジットカードの支払い限度額が超過したので即座に超過分を払って欲しいと請求が来る。もしも払えないとなった場合はカードの契約を解除されてそれまでの限度額いっぱいプラス超過分で合わせて250万以上の借金を抱える事になってしまう

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その事に対して一日中悩み抜いた末に母はこの急場を凌ぐために僕に別のカード会社や金融機関を使って借金を更に抱えて急場をしのぎたいと提案

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去年も「ここを乗り切れなかったら首吊って死ぬようになる!」とヒステリックに叫ばれた結果、人生でこれだけは絶対に手出しをしたくなかったと決意していたはずの借金を今の職場の給料受け取りに使っている信用金庫から48万円を既に借りていた僕はこれ以上の借金は重ねたくないという事を理由に「絶対に嫌」とNoを突きつける

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「じゃあもう破産するしかないわね!」と怒りながら言い放った母は僕が借金したくないと拒否した事を「自分本位で自分勝手で自分の事しか考えてない行動」として受け取り、ブツブツと文句を言う

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その事に対して僕はなぜ借金をしたくないのかを理由に反論、しかし話し合いの折り合いは付かず

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最終的に破産申請をすることに決定

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翌日8日、「破産申請をしたら私もうなんにもお金を生み出す力も無くなるからこれでまたうちがピンチになったらあなたにも金融機関つ使ってもらうから」という言葉を言われ、僕切れる

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大喧嘩の末、家を出ていきたいと言う

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母「じゃあ私があなたを育てるためにかけてきた養育費とかのお金全部私に払ってよ!そしたら家出ていいわよ」とクソみたいな事を言う

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再び大喧嘩、最終的に「じゃあどうせ私がし死ね良いんでしょ!そしたら相続放棄すれば借金も背負わなくなるからあんたはのびのびと自由に暮らせるもんね!!!」と言い放ちこの話は終了、「ダメだこの人...」と思った僕は心のストレスでノイローゼになりかけながらもTwitterの使用や相談員への電話で心の安寧を保つ

 

とまぁこんな感じです。ここでまぁ色んな言葉で喧嘩しまくりまして、もう本当に年末近くになるとうちは地獄なんですわ...

こんな頭でっかちで思考が停止してる人と話しててもマジで意味が無いし、逆に僕のストレスが余計に増えるだけ、最近は本当に喧嘩が激しさを増しているので心理的ストレスは半端なくて...いつか心労で死ぬんじゃないか...?なんて思ってます...もうね、本当どうしたらいいんでしょう?こんな母親、よく一緒に過ごしてられるよなって自分でも思います。

 

今回の件に限っていえば母親は躁鬱、コロナ、足の骨折と働きたくても働けない状況に陥ってたから百歩譲ってそこは仕方ないにしても、弟は学校卒業して3年間ニート生活をやってたんだから収入が足りなくてと当然じゃないかと僕は思うわけですよ。

頑張って働いて得た僕の給料は10万ちょっと、しかも借金の返済分の引き落としがあるから手取りはもっと少なくなる。それとお父さんが亡くなった時に得た遺族年金だけじゃそりゃ家族3人の生活なんかやっていけるわけなかったんですよ。つまりこれは必然、なるべくしてなった出来事なんです。

そのことを僕がしょうがないと言えば「あなたしょうがないって簡単に言うけどね...!」ってしょうがない以外の言葉に他にどんな言葉があてはまるんだよ!しょうがない以外の何物でもないだろこんなこと!!!😡😡😡

 

まぁもうそんなこんなで色々あって僕は今怒りのブログを書いてるわけなんですはい。

 

この様に、最近の僕と母親は毎日のように激しい言い争いの末に僕だけが疲弊する日を過ごしてしまい最悪な一日になる。そういう喧嘩を迎えた後に年を越すという年々家庭環境が酷くなっていく事態になっているわけなのです。

こんなに酷い環境他にないと思うんですよ、もう本当にガチで出ていきたい...親元を離れて1人で暮らしたい...そんな事を毎日思うばかりです。

 

しかし僕と母とはある歪な関係で繋がってしまっているがために離れたくても離れられない事態になってしまっているのです。

 

恐ろしい共依存関係

共依存とはお互いがお互いの存在に依存してしまい、お互いの事で苦しい事が起きても結局相手の事を頼りきってしまうことで双方離れられない状況にある関係の事を共依存と言います。

結局僕がこういうことがあっても離れられない状態になってしまってる原因には幼い頃から母親とずっと一緒に育ってきた事による異常なまでの当初の恩と実家暮らしの快適さを知ってしまっているがために離れられない甘えが僕をそうさせてしまっているのだろうと思います。

母もまた日常生活に必要な買い物や用事といった物は僕に任せて行かせることも殆どだし、結局のところ僕の給料を母は当てにしている。だからどんなに大喧嘩をしたとしても母は出ていけ!とまでは言わないのです。そして先に書いた様に僕が出ていきたいと言うと逃げるだと罵ったりとか、無茶難題を押し付けて出ていかせないようにするのは何故か?

 

子離れが出来ないからです

 

今の僕を色んなところで頼りきっているからこそそこから離れていったら母はなんにも出来なくなってしまう。だから僕の事を離れさせたくないのでしょう。

 

それが共依存関係であり、おかしいという思いを強く持っている僕は何とか必死になって離れようとしているのです。

 

弟に対しても一言

そもそもこうなってしまった原因の一端には学校を卒業しても就職活動もせずに仕事をしなかったニートの弟にも原因がある。社員の定職につけなかったとしてもパートやアルバイトをして少しはお金を稼ごうとする人だっていっぱいいる、なのにあいつと来たら仕事を一切せず、バイトを探すことすらせず、家にぐーたらと過ごしているお前にだって責任はあるんだし、それを少しでも感じてはいないのか?あいつがスマブラSPを2000時間以上プレイ出来てるのはニートだからですよ。

 

最後に

ここまで色々なことをぶっちゃけて書いてきましたが、要するにお金を巡る話をすると僕と母は必ずと言っていいほど喧嘩になり絶望するとそんな感じなのでありますね。

今回はだいぶ怒りの気持ちを込めて書きました、おかげで2万字以上も書いてきたのにまだまだ書き足りない事がいっぱいあります!皆様も自分の親は毒親じゃないですか?大丈夫ですか?本当は真摯に向き合うのが一番なんでしょうけど、それが今の僕には出来ないです。

 

果たして今度の生活はどうなってしまうのでしょうか?それは僕にも分かりません。ただもうこんな人の元には暮らせないので世帯分離でもして1人で暮らす道を選ぼうと思います。あの人の意思に関係なくです。

 

皆様ここまで本当に長い事いっぱい読んで頂きありがとうございました!

今回はニホンバトのリアルを綴らせて頂きました!もう二度と書きません!(笑)

 

では!また次回の記事で!

*1:単に最軽度の知的障害だった僕は普通の人とほぼ同じように振る舞う事ができていたから一見すると分からなかったというのもあるかもしれないが

*2:けれど今思えばあの時のクラスメイト達はみんな僕がどんなに期間を置いて久しぶりに登校したとしてもおぉ〜!来た〜!と僕の登校をいつでも喜んで迎え入れてくれた素敵過ぎる人達だった。そんな人達に馴染めずに卒業してからの繋がりを残さなかった事は本当にあまりにももったいないことであり、僕の人生の大きな後悔のひとつでもある

*3:ちなみに卒業式も登校しなかった、ゲスの極みである

*4:実際、僕が入所した後地元の市は就労継続支援を異動するに当たって勤務実績の無い者は基本的に移行を受け入れないスタンスを取ったらしく、あと1、2年直談判が遅れていたら本当に入れなかった可能性が大だった。

1ヶ月Twitter断ち生活

 

こんにちは、ニホンバトです。

Twitterで会うのが1ヶ月振りの皆さんお久しぶりです。

 

この度は突然Twitterから忽然と消えた事で、フォロワーの皆様におかれましては心配とご迷惑をお掛けしてしまったことを重ねてお詫び申し上げます。

申し訳ありませんでした

 

突然ではありますが皆さんはSNSを辞めたいと一度は思った事ありませんか?僕は過去に何度か辞めたいと思った事があります

情報収集のために始めたつもりのTwitterで本当の名前も顔も声も知らないけれど趣味が合う人と出会い、意気投合をした。けどTwitterというツールをやっていく中では様々なトラブルに見舞われてしまったのもまた事実でして...世界中の人間が現実とは違うTwitterという二面性を持てるツールを使っている訳ですからそこで現実には見せない黒い本心を見せていたり、他人に対してぞんざいな扱いをする人もいたりと、人間色んなタイプの性格がありますから相性が合わない人も決して少なくはないてす。

僕のTwitter生活も決して良い事ばかりではありませんでした。自分の好きな趣味や興味のある事を発信して活動をすると同じ趣味の人と出会う事がある。そしていつの間にか同じ趣味を持つ者同士のコミュニティに入っている事がある。

そこで仲良くをしているうちは良いのですが、「好きなものが同じ」という共通項は出会いの切っ掛けや相手に対して抱きやすい第一印象の素材に過ぎず、繋がりが長く続いていけばいくほど相手に対する印象は内々に変わっていくものであります。僕はその過程で悪印象に変わってしまう事が多く、何人もの色んな人との縁が切れていきました。仲が良いと思っていたのはただの自意識過剰、思い込みに過ぎず、何度も人から切り捨てられてきた。

その度に脳内での自分は何本もの失敗、挫折という名の付いた矢が刺さりまくり、身体中はボロボロ、自分自身に嫌気が差して、全てが嫌になって逃げ出してしまいそうになる事もしばしば

 

そして僕は決意しました

今回は思い切ってTwitterを断ってみようと

 

 

突然のTwitter断ちを決意した理由は「心の安寧の為」

9月に入った当初、僕は8月にお別れをしてしまった人の事で、心の傷がまだ完全に癒えていませんでした。またしても別れを経験してしまうとは思ってもいなかった事からショックがそれなりにあって、まだほんの少しだけ引きずっていた。

その事に加えて前々の段階からまたゲーム業界のきな臭い話がタイムラインに流れる様になっていて、主にPS5とXSXに関する事が多かったのですが、発売前の段階から既にゲハやらアンチやら信者やらが織り成すネガキャン試合といった様相が段々と目に付く様になり、必然とネガティブな感情が入ったツイートをよく見るようになりました。

その事に関しては僕自身が直接攻撃されている訳では無いので憂鬱になる事はないはずなのですが、やはり人のネガティブな感情が込められたツイートというのは目にするだけでも自分自身の心に悪影響を与えてしまう。

自分が直接怒られていなくても人が人を怒っている場面に遭遇すると何故か萎縮してしまったり、人の怒鳴り声を聞くと自分自身のパフォーマンス力が落ちる

というデータにもある様に、Twitterもまた人の負の感情が込められたツイートを見ると自分自身に直接迷惑がかかっている訳でもないツイートにも関わらず、何となく憂鬱な感情を引き起こしてしまうという事がさっきの例えと同じ様にあるのでは?と僕は思っています。奇しくもTwitterを休む少し前からTLは何かと不穏な事が多いTLでした。

新たな新ハードが出る時期になる度にゲーム界隈全体が...主に任天堂ソニーマイクロソフトとそのファンとで三つ巴のゲーム戦争の様な状態になっていて阿鼻叫喚になる始末...。ゲーム界隈は自分の好きな事や愛するものをこれいいよ!と強くアピールして布教しようというポジティブな感情のツイートが少なく

「○○は○○よりも低性能!」だとか「○○は...」「○○は...」と、人の揚げ足取りをしたり、悪口やこじつけ、中傷を言ったりする事で相手(この場合は企業)を貶めたり、おとしめる事で自分の好きな物の優位性を保とうとするネガティブな感情のツイートが多く見受けられます。

罵り合い合戦やマウント取りが多いゲーム界隈のツイートは見ていて時折辟易とする事があり、例えそれが自分で意識していなかったとしても無意識のうちにそれがストレスとなってしまい、何となくTwitterを見ている事が疲れてしまう...本当はそんなの1ミリも気にする必要がなく、ただ自分が好きだと思うもの、やりたいと思うものに対してひたむきに楽しめればそれで良いだけなはずなのに、ゲームというジャンル全体の中で起きる有象無象に目がチラついてしまうのはゲームという趣味を持つ人には避けては通れないものなのでしょうか...

 

それだけではなく、ふと自分がどういう一日を過ごしているのか...という事を振り返った時、考えてみると四六時中Twitterばかり見ている時間が圧倒的に多かったんですよね

多分殆どの人が何かしらの目的を持ってTwitterを見ているなんて事はなくて、何となく、ダラダラとTwitterを見ちゃうなんて事はよくある話だと思うのですが、僕もまた特にこれといった目的も何も無いのにTwitterを開いては閉じて開いては閉じてを繰り返す事が多いなと気付きました。

これはいけない、もちろんTwitterを見る事自体が悪では無いし、どうするのかは自分の自由ではあるのですが、殆ど依存にも近いレベルでずっとTwitterを見ている...それが果たして良い事なのかどうか...?疑念に思ったりもしました。

過去には自分のフォロワーさんの中にも学業を優先する為にTwitter断ちをした人もいたし、この機会に自分も少しTwitterを断ってみよう。そう思い、始めてみました。

 

ここから先の文ではTwitterを断ってから経過した日数毎にTwitter断ちをしたことでどんなメリット、デメリットを感じたか、そして自分の心境にどんな変化を感じたのかをリアルタイム方式に書いていこうと思います。

 

Twitter断ち生活1日目

Twitterを断つためにログアウトをしてからアプリを削除、Twitterはウェブでも見れてしまうのでウェブでもTwitterは検索禁止、極力Twitterを見ない事を徹底する生活が始まった。

しかし1日目にして早くもTwitterが見れない事にそわそわしてしまう...消したからアプリはもう存在しないのに一日に何度もスマホのホーム画面を立ち上げてはアプリが無い事にハッと気付き、慌てて画面を消す。自分はどうやら結構なTwitter依存だった事が1日目にして早くも判明した。

けれど良い事もあった。仕事がある日でも1日に平均5時間以上Twitterを常日頃から見ていた時間が一気にゼロになった事で他の事に集中して取り組む時間を取る事が出来る様になった事。今日はずっと書きたいと思っていた先生にお手紙を書く事が出来た。Twitterをやっていた時だったら絶対に書いてる途中で用もないのにTwitterを覗いてタイムラインを更新させてしまっていた事だろう...

無駄にダラダラとやってしまう事を排除する事で本当にやるべき事に取り組みやすくなるのがSNSを断つメリットとして一番に取り上げられる事が多い。その効果を確かに感じる事が出来た。しかし今はまだ休日中で次に書く3日目は仕事が入る。仕事がある日は昼休みに必ずTwitterを見て昼間のツイートをチェックするのが日課になっていた。そんな中でTwitterを見る事が無くなると昼休みがどう変わるのか...少し心配になってきた。

 

Twitter断ち生活3日目

意外な事にソワソワをしていたのは最初だけで3日ぐらい経ってもTwitterの事を気にする事が無くなりつつあった。

今日は仕事の昼休みもあったのだが、Twitterが無いので自然とTwitter以外の何かを求めて時間を潰すようになっていた。今更気付いた事なのだが、僕の職場ではだいたいの人が昼休みにはもっぱらスマホとにらめっこをしていた。大抵はTwitterのようなSNSか、YouTubeスマホゲームか...とにかく何かしらのコンテンツを用いて時間を潰していた。自分もTwitterに変わる何かしらで時間でも潰した方が良いのか...?と思ったりもした。けれど普段からずっと見ていたスマホを見る事を辞めて、少し物思いにふけりながら瞑想をしたり自分の事を考えるのも良い事かもしれない。

けどここで大きな失敗に気付いた。9月12日に呟いたゲッサンの購入報告ツイートを最後にフォロワーのみんなにTwitter断ちを宣言する事もなく、突然Twitterを断った事で周りのみんなにあらぬ心配を掛けさせてしまったかもしれないという事を思うとめちゃくちゃ大きな失敗だった...

事故があったとかでTwitterが呟けなくなったり、家族の身に大変な事が起きたから呟くのを一時的に辞めたとかそういうのでは無い、今回は計画的な目的を持って始めたTwitter断ちだったから一言ぐらい宣言をしておけば良かったと後悔した...でもその後悔が正しい事なのか正しくない事なのかは正直分からない。前もって宣言をするという事はいずれ戻る、もしくは戻りたいという意思があるんだと思わせてしまう事になり、それを宣言してしまうと何となく自分でも尾を引いてしまうのでは...?と感じる部分もある。でもそれもまた自分を心配してくれてた人にとっては勝手な事にも思えるだろうし、自分も随分勝手なやつだと思う。反面、これは自意識過剰なのでは...?とも思うし、どっちが正しい感情なのかが分からなくなって、頭の中でグルグルしてしまう。

 

ただ少なくともそういう無意識的な自分勝手さが人に嫌われちゃう要素になってしまってるのかな...と、思うばかりであった。

 

いずれにせよ、あと1週間か2週間でも経過すれば自分を見つめ直す余裕が出てくるかもしれない。

 

Twitter断ち生活1週間目

Twitterを断ってから1週間...この1週間が実に長く遠い1週間の様に感じた。以前は1週間なんて本当にあっという間で「え?もう○日?」と思うぐらい短く感じていたのだが、一日一日を長く噛み締めるようになってきているからなのか、1週間という時間経過がとても長く感じた。

以前の朝は毎朝起きて早々のTwitterチェックだった。そこに最低でも30分の時間を費やし見ていた事を考えるとかなりの時間の浪費にも思える。仮に...もし仮にTwitterを見ているこの時間が「無駄時間」であると断定して言うならば、朝のチェックに30分、仕事の昼休みの合間に1時間、夕方から寝るまで、果ては深夜にもTwitterを見てたりするから1日の大半、かなりの時間がTwitterの閲覧に消費されてる事となり、大きな無駄時間となっている事になる。その間は他の趣味や、やらねばならない事に取り組む時間が持てなくなるから(単に時間配分が下手な自己管理の甘さが招いているだけと言われればぐうの音も出ないが)何かしらやらねばならない事があって、それを優先したいと思った時には一時的にTwitterを制限する方が集中して取り組みやすいのかもしれない。

 

それと...ここでようやく自分を見つめ直す余裕みたいなものが出てきた。

 

Twitterというツールが世の中に出てきたことで人は現実とはまた違う関係性で人との繋がりを仮想空間上で持てるようになった。趣味や娯楽の一環として楽しむ人が大半の中、僕自身はTwitterというツールで出会う人間に対しては良くも悪くも固執していた部分があった。思えばそれもリアルで互いに友達だ、やれ親友だと言えるような関係性を持った人が学生時代に1人も居なかった自分の過去が、人に対する人との繋がりを求めたがる反動か何かを生み出していたのかもしれない...

けれど世のお父さんお母さんがネットの人に対して危ないというイメージを持っていて、大丈夫?というその心配を危惧した通り、ネットの人との繋がりを持つのは良いにしても、そこから信頼出来る友達になれそうな人を探そうというのは僕自身の経験からすると危ないからそれはよした方が良い、リアルに既に友達がいるのなら尚更だと思う。例えネットで繋がりを持った相互フォロー関係の人であったとしても、ほんのちょっとの些細な価値観の相違や意見の食い違いだけで「この人とは馬が合わないな...」となって事切れてしまう事も少なくはない。それがどんなにこの人なら信頼出来ると自分自身が思った相手だったとしても、ある時突然相手から拒絶されるようになってその関係性が突然終わってしまう事も珍しくはない。

けれど、信頼を得たいのならば、まずは自分が相手の事を心から信頼しないと相手にも信頼して貰う事が出来ない。例え裏切られたり、ある時急に見限られてしまって自分自身が傷付き泣く様な事になったとしても...その事を踏まえた上で自分が相手の事を信頼しないとそもそも友情関係は生まれない。やめた方が良いと言った僕もまたそこから本当に気心の知れた友達ができているのでそこの所は難しい限りである。

 

しかし最近は不用意に相手の事を信頼しすぎた事で傷付き酷く落ち込む事態になっていたのもまた事実...相手との適度な距離感を保つというのは本当に難しいものだ...

 

Twitter断ち生活2週間目

Twitterを断ってから2週間が過ぎた。

振り返って下書きを見返すと当初に書いた自分の文があまりにも内容的にこれは酷いと感じたので修正と書き換えをすることにした。特に「Twitter断ちを決意した理由は...」から始まる文はTwitter断ちの理由も当時と今の心境とでは全然違ったので内容をガラッと変え、いらない御託は消し、自分の正直な気持ちを書くことにした。

絵の世界でもそうなのだが、その当時良いと感じたつもりで書いた文は時間経過をしてから見ると「なんか違うな...」という感想になりやすい。自分を見つめ直す時間を経た上で読むと「そうじゃないんだよな...」と、なんか違うという感覚になったから、多分その違うという感覚が今の自分の正しい本音なのだろう。

 

Twitterを断っている間でも自分の好きなゲーム情報はゲームメモというサイトで逐一収集をしていた。FFに関してはFFポータルアプリから新情報が更新されるし、動画での発表があるのならYouTubeを見れば更新で分かる。ある程度重要な情報は弟から聞かせて貰えることもあるので自分がTwitterをやっていない事に対する不便さを感じる事はほぼ無くなっていた。

しかし情報収集の要として使っていたゲームメモでもやはりゲーム界隈特有の不穏な空気感や殺伐とした雰囲気がコメント欄を見て感じてしまい、「あ、これはダメだ」と思って即ログやブックマークから削除した。元々そういうゲーム界隈の殺伐とした空気感に息詰まって休んだ部分もあるのにゲームメモでもそういう状況に陥ってしまうのはTwitter断ちをした意味がなくなり本末転倒、しばらくゲーム情報からもシャットダウンをする事にした*1

今はTGSオンラインで開催されているスクエニの放送を見て、特にFFの音楽について取り上げたMUSIC番組には心癒されながら見て聴いて楽しんでいる。そういえばこの前やったPS5の新情報の放送でFF16の情報が出た時は死ぬほどびっくりしたしテンションが上がった。これは僕がPS5を買うための動機にも十分なり得る要素のひとつだ。もう既にPS5欲しいなという思いも持ち始めている。そのためにはまず5万5千円分の貯金をしなければ...

それからFFCCリマスターもクリアした。そしてFF7リメイクのあのマテリアルアルティマニアも買い物した。意外と充実したFFライフ、今年いっぱいもこれがあれば暇をしなくても済みそうだ(笑)

 

Twitter断ち生活3週間目

ここまで来ると完全にTwitterの存在は一切気にならなくなっていた。人間SNSが無くても案外やっていけるもんなんだな...と感じた今日この頃

Twitter断ちをしてからはテレビを見る頻度が増えたのでニュース情報に飢える事はあまりなく、Twitterチェックしなければという義務感に駆られる事もないから非常に心がスッキリしている。それに...今まで出会った中で嫌な思い出になってしまった人達の事で過去に縛られて思い悩む必要も無い。それがTwitter断ちで1番の良い所だった。

でも、それでもやっぱり誰とも話せない時が寂しいと思う事もあって、ある時突然Twitter断ちする以前に関わっていたフォロワーさんの事を思い出す事があった。TwitterというSNSの下、同じ時を過ごす中で殆どのフォロワーさん達とは楽しく話す事もできていたし、同じ趣味を持ち、共通の話題の方向性も一致していた。基本的に「この人なら信頼出来る」と僕が思ってフォローした人たちなんだからほぼ全員良い人達なんだと僕は思っている。その思いは今でも変わらない。

Twitterを始めたばっかりの頃はそれこそ情報収集のためだけという義務感から来ていたものもあった...しかし、時が経った今となっては僕がTwitterをする理由は単なる情報収集に留まるものでは無くなっていた事に気付かされた。

 

普段の何気ない日常のあれこれを呟き、好きなものを共有したり、話題に出して共感し合ったり、時にはネタに走ったり相手の呟いたネタに乗ったり、真剣な話をしたり...以前はごく普通に、当たり前の様に過ごしていたフォロワーさん達と交わした会話の日々は実はとてもかけがえのないものだったんだな...と改めて思う事ができた。

 

Twitterという世界から自らを切り離し、離れ、日々を過ごして来たからこそ、今まで自分に関わってくれた人達へのありがたみを感じる事ができた。

今度帰って来た時には心置き無く、気持ち良くTwitterができる事だろう。

残り1週間とちょっとの日々がかなり遠く感じた

 

Twitterを断ってから1ヶ月を経て

10月12日の今日

とうとうTwitterを断ってから1ヶ月が経過した

 

1ヶ月という期間は予想以上に長いようで短く、あっという間だった。

 

この1ヶ月の間、色んな事を思い、悩み、過去を振り返って思い出に浸ったりもした。1週間...2週間と節目節目の時期を過ぎるとその時の自分が感じた感情や自分がどんな心境になったのかを職場で1人の時に考え、悩み、このブログに綴って来た。

1ヶ月のTwitter断ちを経て感じた事...それはTwitterから切り離された生活は自分が思った以上に抱えていた悩みを捨て去る事が出来て癒しとなった事...と、同時に自分を慕い、関わってくれた人が周りから急に居なくなってしまう事に対する寂しさは計り知れないものがあった。という事だった。

僕が時折憂う悩みの種は今でもTwitterに存在するし、同じSNSの世界の中で触れて関わる事は無くともそこで共存もしている。その事に頭を悩ませる事も確かにある。けれどその悩み以上にTwitterには楽しい事もあれば良い思い出だっていっぱいある。人に固執し過ぎるのは確かに良くないが、自分達の日常や生活の一部をSNSを通じて共有する事で自分を知ってもらい、相手の事を知り、そこから転じて絆を深められる事の素晴らしさはSNSの最大の魅力でもあり、それが心を満たしてくれた。

ある友達は言っていた。「SNSの繋がりは切ろうと思えば簡単に切れてしまう関係性だ」と...そこは自分も身を持って体験しているからよく分かる。けれどそれでもSNSをやっている以上、人との繋がりを持ち、仲良くしていきたいと思う心までは捨てる事が出来ず、適度な距離感で相手との繋がりを持ち、長く持続していけばそれは素晴らしい関係性なのではないか?と、僕は思うに至った。

しかしどんなに自分が好意的に接していても人によっては別れの時が来てしまう場合もある。そういう時はその時の出会いと別れを一期一会とし、楽しかった思い出があるのなら時々その思い出を思い出して、大切にし、気に悩むのはやめると決めた。あまり重く考えるのはオーバーかもしれないけど、1ヶ月前の僕と比べると今は安心して前向きにSNSが出来る気がしていた。もうあまり悩まない。これからは本当に楽しくTwitterができそう。そんな自信にみなぎ溢れていた。

 

思えば1ヶ月前の自分はずいぶん小さな事で悩んでたんだな...とすら思えてくる。この記事を書き始めた時に書いた「1ミリも気にしなくていい事」も具体的にどんな事で憂いていたのかも忘れた。

本当にTwitterを再開しても大丈夫なのかという不安も少しはあるけど、それ以上に自信と安心感があるからきっと大丈夫

 

結論:Twitter断ちをして本当に良かったのか?

結果的に僕は良かったと思っている。もしあのままTwitter断ちをせずに1ヶ月そのまま過ごしていたら多分、気にしなくてもいい様などうでもいい部分にまで気にするようになって軽くノイローゼになっていたかもしれない。

自分を見つめ直すという意味でも、心の安寧を得るという意味でもこの1ヶ月間は本当に最高のリフレッシュとなった。

もしかしたらまたいつか嫌だなと思うことがあって悩ましく思う部分も出てくるかもしれない。友達もまた、1度Twitter断ちの良さを知った上でまた嫌な事があるとSNSがもっと嫌いになるかもしれないと心配もしてくれた。けど昔ほどもう悩まなくなった部分もあるし、フォロワーさんとの時間を共有して過ごしてきたあの日々がありがたいと感じられた今なら、心置き無くTwitterを再開できる。

 

皆さんには本当に感謝しかありません。

そして今一度、突然の途絶えでフォロワーの皆様にご心配とご迷惑をおかけした事、大変申し訳ありませんでした。

 

今年もあと2ヶ月を切りましたが宜しくお願い致します!

 

ニホンバト

 

 

 

 

*1:オマケにゲームメモは時折リークを元にした情報発信をする事で先行でネタバレを食らってしまう記事も投稿される事がある為、これを機会にゲーム系情報サイトを見るのもやめた方が良いかもしれない

FFCCリマスター感想記事 17年の時を超えた令和の冒険記

 

はじめに

2018年の秋...スクエニNintendo Directを通じてNintendo Switchで初めて任天堂ハードでの7以降のナンバリングFFシリーズの進出を発表した。当時からずっとゲーム業界の間ではタブーとされていた任天堂と7以降のFFシリーズへの軋轢の事を思うと2018年にされた発表は当時の経緯を知るファンである僕にとってあまりにも衝撃的なものだった。

そしてそのDirect内で一番最初に発表されたFFタイトルがFINAL FANTASY CRYSTAL CHRONICLES リマスター *1だった。

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タイトルロゴ&新規描き下ろしアートデザイン

 

2003年、スクウェアエニックスが1つになるという衝撃的な合併を果たした当時、スクエニ和田洋一元社長は当時絶縁状態にあったスクウェア任天堂の仲を取り持つ為に当時の岩田聡元社長と話し合いの場を設けて会談、長らく続いた絶縁関係は任天堂向けの新たなFFを作る事によって解消とし、任天堂スクウェアの2社は小さな繋がりで結び付き、雪解けを始める事となった*2

 

そして同年、任天堂向けFFとして初めて世に出たFFがまさにGCFFCCという事だった*3

 

当時から全くのノーマークだったFFCC

そんなFFCCが2018年に発表されたNintendo Directでリマスター版が発売されると発表、当時の思い出が深く心に刻み込まれたFFCCユーザーの多くがこの発表に歓喜した。

...しかし、数あるナンバリングFFをプレイしてきた僕ではあったが、実はFFCCシリーズだけはこれまでの人生で1度もプレイした事がないFFだった。

FFCCシリーズはDSにも数多くの作品を世に出してきたので年齢的に考えるとDS、Wiiがドンピシャ世代であるはずの僕だったのだが、不思議な事にFFCCに関しては全くもってその存在に触れる事も気付く事もなくスルーしており、FFCCというシリーズの存在に気付いたのはシアトリズムFFの楽曲リストから見たのが初めてだった(ガチで)

子供の頃からずっとナンバリングにお熱だった僕はFFが他にも色んなスピンオフ作品シリーズとして展開している事を知らず、気付いた頃にはFFCCは既にかつての古き良き名作としての懐かしいソフトとなってしまっていた為、ソフトをブックオフで探して買って...という程までには至らず、ずっと縁もゆかりも無いソフトとして見てるだけだった...しかしそんなFFCC17年の時を経て2020年8月27日にリマスター版として帰ってくる事になった。本格的なFF熱が高校生の頃からずっと今でも燃え続けている僕はもちろんNintendo Switchで展開された全てのFFを買うつもりでいたのでリマスター版も即購入、人生で初のFFCCの世界に足を踏み入れる事となった*4

 

牧歌的な雰囲気が出た絵本のような独自の世界観はFFCC最大の魅力

ゲームを起動してはじめからを押すとまず最初に流れるのが歌手のYaeさんが歌うカゼノネとミルラの雫を求め、長い旅をする事になるクリスタルキャラバン達が夜明けを迎えるオープニングムービーだった。

リマスター版となった事で映像表現が進化したのはもちろんの事だが、特にカゼノネはYaeさんが17年振りに歌の音源を新録オマケに幻の2番が追加され、その歌詞が当時と全く同じスタッフによって新たに書き起こされるという奇跡のような進化を遂げている*5

この作品の主人公はクリスタルキャラバン達、瘴気に包まれた世界の中でクリスタルの加護を受けて生きる村の人々は1年に1度、瘴気を守る力が弱まるクリスタルの力を取り戻す為に村の若者が代表してミルラの雫を求めるクリスタルキャラバンを結成、故郷の村から離れ雫を求め旅をする...というこれまでのFFには無かった一線を画した設定や世界観は当時から斬新なものとして話題になり、今でもなかなか見ないFFCCならではの魅力となっている。

 

  • 谷岡久美さんが手掛ける民族的な音楽が更に牧歌的な雰囲気を醸し出す

FFシリーズの音楽はいずれも名作揃いで世界的な人気がある。その中でかつてFF11チョコボシリーズの音楽を担当した事がある谷岡久美さんがコンポーザーとして手掛けたFFCCの音楽はオープニングのカゼノネを筆頭に民族楽器が多く多用されている事で出てくる暖かみのある音の柔らかさが聴く者を癒してくれる。谷岡さん曰く、ケルト感に近い雰囲気を感じさせつつも決してこれはケルトです!という主張をして楽曲を手掛けている訳では無いので、ある1つの特定の音楽ジャンルの枠にはまりそうではまらない、FFCCオリジナルの音楽となっている。

FFCCのダンジョンBGMは全体的に(良い意味で)力強い主張をしてくる音楽がほとんど無い。おそらくそれはアーティファクトの成長システムの都合上、同じダンジョンを何度も周回する事を前提としているのでずっと長く聴いていても疲れない楽曲作りを意識する事でプレイヤーに癒し効果を与えているのかもしれない。

アクションゲームやRPGゲームのフィールド&ダンジョンBGMは長くそのエリアに滞在する事を想定した場合、ずっと永遠に聴いても疲れを感じない程度に主張しない音楽作りをされる事が多いと聞く、ストーリー進行での重要イベントや時期限定エリアなどで流れるフィールドBGMは重要局面である事を意識させるために音の力が強いBGMを流す事で緊張感や焦燥感をユーザーに与え、それがゲームのテンポを良くして印象に残りやすい体験となって心に残る事がある。

しかし同じエリアを何度も周回する事で常時聴き続ける事になるFFCCのダンジョンBGMは激しい音の主張を抑えたBGMである事で常に聴いていられるものになっている。それでいてフィールドを歩く冒険感を感じさせてくれるのでこれが谷岡さんの手掛ける音楽の魅力なのかもしれない。

自分が特に好きなBGMはリバーベル街道とカトゥリゲス鉱山、ヴェオ・ル水門にデーモンズ・コート、ラスダンのヴィレンジェ山...と、色々ある。あとイベント限定音楽だがしましま盗賊団のテーマ曲も個人的には凄く好み

 

  • 板鼻利幸さんの描く暖かみのあるアートデザインとGCに合わせたグラフィックと進化

FFCCが独自の牧歌的な印象を与えやすい要因の1つにはFF9チョコボシリーズのキャラクターデザインを手掛ける板鼻さんの絵がベースにあるというのもFFCCの魅力を語る上では外せないものだろう。

FFCCでは主人公のクリスタルキャラバンのキャラクターを設定する時に4人の種族がいる。

  • 守りに長けたクラヴァット
  • 武道を極め力が強いリルティ
  • 知能が高く魔法力があるユーク
  • 素早い動きで敵を翻弄し、必殺技が強いセルキー

強い個性と特徴を持った4種族はそれぞれの種族ならではの味があり、デザイン自体は強い個を主張している訳でもないのでプレイヤーはプレイヤー本人に近い感覚でプレイができる。そんな中でもリルティは野菜の擬人化だったり、ユークは魔法生物だから奇抜なデザインの服や兜は人間っぽい雰囲気を作っているだけ...という裏設定があったりと、板鼻さんの中で描かれる瘴気に包まれた世界とその中を旅するクリスタルキャラバンのイメージが詰まったデザインは谷岡さんが手掛ける音楽との融合性もあってFFCCの独自の世界観が作り出されている。

特に丸くてふわふわでとても可愛らしい今作のモーグリのデザインは箸袋の裏に鉛筆で落書き程度に描かれたものが誕生の切っ掛けだという話を聞いた時にはたいへん驚いた。

 

また、そんな板鼻さんがデザインした絵を元に当時GCに落とし込まれたグラフィックは再現度が高く、キャラクターの表情は今のゲームほど表情がグリグリ動いたりするような感情豊かなものでは無いのだが、その表情を変えない部分は(当時はボイスが無かった為)日記に書かれる人間味溢れるテキストがカバー、また当時から既に水の質感とグラフィックが素晴らしいと言われていたFFCCだが、リマスター版になった事で更に水の質感のクオリティはアップ

たまたま買って持っていたGC版のFFCCと比べると現行機ならではの綺麗なグラフィックに進化していたのがよくわかった。

 

こうして見ると一見、全てが平和な世界に思えてくるのだが、実はそれだけじゃないのがFFCCが今でもファンに愛される所以ではないかと思う。それはまた後述する。

 

  • 新たに付いたボイスで繰り出される豪華声優陣

その昔、FFCCでボイスが付いていたのは主題歌とステージナレーションを担当していたYaeさんの声だけだった。リマスター版になって大きく変化したところはキャラクターにボイスが付いたこと、今やどのゲームにもキャラクターボイスが付くのは当たり前の事、今のゲームの魅力を語る上では声優陣の豪華さが声優ファンを取り込む要因の一つにもなっており、魅力として語られる事も多々ある。

馴染み深いキャラクターには意外な声優さんが付くこともあり、特に一人称が「オレ」で語られる旅人モーグリのスティルツキンを子安武人さんが爽やかな声で演じていたのには発表当初から「ギャップがあり過ぎる」と話題になっていた

あまり声優には詳しくない僕ではあるが、しましま盗賊団のアルテミシオンの小桜エツ子さん、同じくしましま盗賊団のメ・ガジの西村知道さん、セルキーのハナ・コールをライトニングの声優さんでお馴染みの坂本真綾さんが務めてたりと確かに豪華でそうそうたる面々、個人的に黒騎士を演じた大塚明夫さんは黒騎士が全身鎧ずくめな点が共通して声だけ聞くとFF12のジャッジ・ガブラスにしか聞こえなくなってくる(笑)

 

もちろんあの当時の思い出を大切にしたいとするプレイヤーにはボイスをオフにする機能もあるので当時と全く同じ環境で楽しむ事もできる柔軟性がある。ボイス付きでも僕は十分楽しめたが、その当時どんな声を想像して脳内再生していたのかを考えればそれもまた乙な楽しみ方なのかもしれない。

 

意外と闇深いFFCC

先程から牧歌的で朗らか...という文を強調してFFCCの魅力をお伝えしてきたが、このゲーム...一見平和そうな世界に見えて実は闇深き側面を持ったゲームとしてもその名が高い。

彼らクリスタルキャラバンが活躍するFFCCの世界では実は人類の99%が瘴気によって滅亡しており、クリスタルの加護によって守られた1%の残り数少ない人類がその年の1年を生き残るために雫を求める...という超退廃的な世界背景がある事が伺える。

道中で出会う他のクリスタルキャラバン達が皆それぞれ気ままな旅をしているかのように見えるが、実は大切な故郷の村の命を預かっているのと同じ使命を背負っているためにプレッシャーが半端ない事になっている。更にFFCCの闇深さを語る上で外せないのが鬱気味になるサブイベントの内容である。

特に挙げられる3つのイベントが

  1. 黒騎士の街道イベント
  2. ティダの村の手紙イベント
  3. デ・ナムの手紙イベントである。

黒騎士は実はFFCCでは本編の核心に触れるある重要なファクターを持つキャラクターとなっており、故郷の村から最初に移動した時にほぼ確実にイベントが起きるため、年数が進めば進む程イベントは進行していき、その結末を否が応でも見る事になる。

伝説のリルティの騎士として語り草となっている黒騎士、しかし最近の実態には不穏な影が差しており、その素性が分かってきてプレイヤーが気付いた頃には.....とても切ない結末を迎える事となる救いようのないキャラクターである。

 

そしてティダの村の手紙イベントやデ・ナムの手紙イベントもプレイヤーが任意に進められるサブイベントとなっているがその結末もまた酷い。人によってはティダやデ・ナムの方が後味が悪いと感じる人も居るほどである。

ネタバレ防止のため詳細は伏せるがデ・ナムに至っては進行すればするほど酷い事になっていくのでかなりのホラー*6である。こういう鬱イベントは一見穏やかな世界観の中で描かれる方がギャップから来る怖さの倍増がある。これはFFCCという世界が決して穏やかならぬものである事を指し示したスタッフからのメッセージなのかもしれない

こういう闇深いが、奥のある現実を見せる事でよりFFCCというゲームが人気になっていった要因であることを考えると今でもファンが愛してやまないのも頷ける*7

 

評価点のまとめと問題点

ここまで書いてきた僕が思う評価点をまとめると

  1. 谷岡久美さんの音楽とYaeさんの歌声を象徴として彩るFFCCの牧歌的な世界観の加味
  2. 板鼻利幸氏が描くFFの中では穏やかなアートグラフィックから織り成す世界観
  3. 豪華声優陣が華を添えるリマスター版追加要素
  4. 穏やかなだけじゃない鬱イベントが写し出すFFCCの更に深いストーリーを描いた奥深さ

と、ここまでFFCCの魅力を書いてきた僕だがもちろんFFCCの全てを手放しで評価できる訳では無い。ナンバリングとは違う独自のシステムを持つが故に僕にとっては難点となってしまうポイントがいくつかある。次はそれを書いていこう

 

元々FFCCはみんなでできるファイナルファンタジーを想定して作ったゲームであるためにソロでは敵の対処がかなり厳しく、ステージの構造上マルチの方が圧倒的に楽な部分がある。

仲間を復活させるレイズはもちろんソロでは死んだらそこでおしまいなので意味を成さず、合体魔法の材料になるのが関の山、ダンジョンレベルが高難度になると1対複数の敵を相手に立ち向かわなければならないため、適切な立ち回りが求められやすく厳しい戦いになる。

ジャック・モキートの館で対応する種族が乗ると踏めるスイッチ床はソロでは1種族しか対応しないため、同じ種族の紋章に変化するのを待つのに最大15秒ほどかかるのでタイムロスになる

特に酷いのはレベナ・テ・ラで、2種類の魔法を撃って2つのスイッチを制限時間内に壊して解く仕掛けでは魔法の発動時間に時間差があるガ系魔法を撃ち、その間に発動が早い弱い魔法を撃って同時に壊すという高等テクニックをしなければならず、魔法の詠唱時間が長いリルティのソロではアクセサリーの力を使わなければ仕掛けを解くのがほぼ不可能な為、種族によってプレイのしやすさに差が出てきてしまう。マルチを前提にした仕掛けはレベナ・テ・ラにはもう一個あり、そちらも工夫とダメージ覚悟をしてやっと解けるので周回にはかなりの苦労を要する。

 

  • ソロで着いてくるお供のモグが時たまプレイヤーをイラつかせてしまう

これもソロプレイ故の難点で、ソロでプレイしている時ではクリスタルケージを持つ役割をモグが担って着いてきてくれる。プレイヤーのサポート役として大変大いに役立つのだが、モグはクリスタルケージをずっと持てずに疲れてしまう。

「疲れたクポ〜、持つの変わってクポ〜」という声と共にモグの移動速度が下がり、どんどん前へ進むプレイヤーに着いて来れなくなってプレイヤーを瘴気から守りきれなくなってしまう、その場合は移動が遅くなったモグの速度に歩みを合わせるかクリスタルケージを持ってあげれば良いのだが、クリスタルケージを持って十数秒ほど歩いた所で「クリスタルケージはモグに任せるクポ〜」と言うので「お、もう疲れが回復したのか」と思い、モグにクリスタルケージを渡すと直後に「疲れたクポ〜」と言うのがザラにあるのでかなりイラッとさせられてしまう。

モグもロボットではなく、共に旅をする仲間なんだと言えば聞こえは良いのだが、サポート役としてはあまり良い印象に残りにくいのが実情で、オマケにキランダ火山やライナリー砂漠と言った灼熱地帯ではふわふわのモグの毛が暑さの原因となり余計にすぐに疲れてしまう。

それを防止するにはモーグリの巣に入りボディペイントシステムで毛をカットするお手入れをするのだが、毛のカットはハサミ1本しかなく、一気に刈れるようなバリカンなどが無いため時間が掛かる。オマケにダンジョンを数回クリアすれば毛は直ぐに生え変わる為、キランダ火山とライナリー砂漠の周回はコナルとレベナとは別の意味で苦痛に感じてしまうだろう。

モグに愛着が持てるかどうかがこの難点を克服するポイントなのだがなかなかにそれを乗り越えるのは難しい事だろう。

 

  • コナル・クルハ湿原とレベナ・テ・ラのダンジョンが長過ぎて周回するのに時間が掛かる

FFCCの成長システムはアーティファクトというダンジョン攻略中に拾う4つとボス撃破後の精算画面で得られる4つの能力値の成長アイテムの中から1つを選び成長させていくのだが、ダンジョンのクリア後に得られるアーティファクトは1つだけ。キャラクターの育成に取り組むのならば何度も周回する事で少しずつ成長をしていくしかない。その為には如何にクリアするまでの距離が短く、手軽に攻略できるステージでアーティファクトを取れるのかが重要になるのだが、コナル・クルハ湿原とレベナ・テ・ラのステージはとにかくフィールドが広い、もしくは仕掛けが複雑でどんなに効率よくプレイしたとしても1回の攻略に10分以上は掛かってしまう...

そこで得られる目当てのアーティファクトが見つからなかった場合はまたしてもダンジョンの最初からやり直し...周回することを前提としたゲームデザインにするのならばダンジョンは気軽にサクサクと攻略できる程度にしておくのがセオリーなはずなのだが、この2つのダンジョンに関してはそうもいかない。敵も強く、エリアも広く、仕掛けも複雑な三重苦が揃った終盤のこのダンジョンはさすがにやってて気だるさを感じてしまう。特に僕は周回をあまりやらないタイプの人間なので1回の周回でこの長さは本当にやる気がしない。どうやらこのステージは当時のスタッフがFFCCの開発初期にステージ作りに手を付け始めた頃だったらしく、加減が分からなかったとの事、長く冒険できる苦労はラスダンのヴィレンジェ山で達成感を感じる程度に特別長くしておけば充分だと思うのでここはマイナスポイントである*8

 

  • 全体マップが無いため、そのステージの全容を理解しにくい

その昔、FFCCではソロプレイをしている時にGBAGCに繋げるとミニマップが見れる機能が存在していた。リマスター版ではそのミニマップが常に表示される事である程度の範囲を見る事ができるのだが、マップの全体像を見る事ができる全体マップが一切ない。

オマケに大抵のダンジョン攻略中のカメラは俯瞰に近い斜め見下ろしの視点で固定となっているのでカメラを動かして、先を見通して進む...といった進み方が出来ないので非常に迷う!

特にだだっ広くて周りの風景に変化がないライナリー砂漠でマップなしだとガチで迷う事になるため、ここはソロ限定でも良いから途中で全体マップが見れるようにして欲しかった。

結局、ひとつひとつのエリアマップの全体像を把握するのにはゲーム攻略サイトに頼らざるを得なかった。追加の機能を入れられない故に仕方がないところなのかもしれないが、そこも当時と全く同じなのには少しガッカリした。

 

  • ダンジョン攻略中にエリアチェンジをした時にほぼ処理落ちに近いfpsの低下がある

これはNintendo Switch版特有の障害なのかは分からないが、2マップ以上あるダンジョンでは別エリアに移動した時にロードを挟んだ後移動をする。その暗転明けをする際、ほぼ高確率で動作が重くなる。

おそらく初めて別エリアを行った際にマップデータを読み込んだりするなどの理由もあるのだろうが、それでも処理落ちしちゃうんじゃないの...?と思うほどにゲームが重くなる事が多いのでいつもヒヤヒヤしている。今回のリマスター版はクロスマルチ、クロスバイに対応する為に1回発売を延期した経緯がある。特に気になるほどの事でもないが、度々動作が重くなるのには一松の不安を覚える

 

  • ロードが長い

昔からゲームの評価を決めるポイントのひとつにロード時間の長さや頻度が品評される事もある。昨今ではPS4ソフトのゴーストオブツシマのロード時間がPS4ソフトとは思えないほどの脅威のロード時間の短さがユーザーの間で話題となっていたりするほどユーザーにとってロードという時間が如何に無駄な時間として見られているのかがよく分かる。

さて、そんな中でリマスター版のロード時間はどうなのかと言えば...あまりそんなに宜しくない。寧ろ長い方の部類に入るぐらいロード時間はやや長め、ゲームを起動してからのタイトル画面に移るまでの時間や起動してからのロード時間はSwitchで出たFFのゲームの中でも最長に近い部類の長さになっており、ひとつひとつのレスポンスが長い。

周回の長さやロード時間の事を併せると1時間経ってもそれほど成長してないな...と感じる事も時々あるのでもうちょっと短くして欲しかった。

 

  • サブキャラ育成がダルい

クリスタルキャラバンはキャラクターエディットを使って8人分の新たなキャラバンを作る事ができる。しかしアーティファクトを使った能力値の成長記録は一人一人個別に設定されており、メインキャラ1人を強く育ててダンジョンレベルを上げてしまうと後から2人目以降のサブキャラを育成しようとした時に敵が強すぎて厳しい戦いとなってしまい、成長どころかダンジョンのクリアすら難しくなる事態に発展してしまう。

なので最初からサブキャラも育成する事を前提とした場合、ダンジョンレベル1の段階で育成に取り組まなければいけなかった。しかしもう1キャラの育成のし直しは辛く気が遠い戦いになってしまう。だからこその救済措置としてオンラインマルチでダンジョンレベルが低い人のマルチに参加する方法で成長を促す構造になっているのかもしれない。

 

と、ここまで以上の点でFFCCリマスターには不満点がかなり出る結果となった。他にも発売当初には倉庫でアイテム増殖ができてしまうバグやライナリー砂漠で謎解きをしなくても?属性のホットスポットが現れるバグ、マルチの募集ではなく外部からの参加にも関わらず、クリスタルケージの属性を変えたことで自分のクリスタルケージの属性も変わり、どこにも行けずに手詰まりになってしまうバグなど様々な練り込み不足、調整不足な点が挙げられた。

 

実は怖くてオンラインマルチを一度もやってない

僕はオンラインをする際、オンライン対戦をするのにはまだ抵抗はないが、他人と協力するオンライン協力プレイには消極的で極力やりたくない考えだ。

自宅のWiFi環境があまり良いとは言えない事から他人に迷惑をかける事になるかもしれないのはもちろんだが自分が下手なプレイをしてしまった時に煽られたり、相手が怒ってSNSなどの外部ツールを使ってニックネームを晒されたりしたなどの話を聞いているとどうも他人と協力プレイする気が湧いてこない。だからリマスター版ではずっとオフラインのソロでやる事となり、ソロならではの不満点を見つけてここに書くのに至った。

協力プレイには協力プレイならではの下手なプレイが出来ない空気感をひしひしと感じ、他人が少し上手くない人に対してテレビの向こう側でチッ、と舌打ちしている事を思うと僕は怖くてオンライン協力プレイが出来ない。

だからリマスター版で追加されたクロスマルチプレイの新たな利点は全く生かされてない結果になってしまった。

 

総評

FFCCは当時のプレイヤーが家族や友人みんなと体験した思い出が詰まったゲームである人が多い。故に過去の思い出補正の事もあって今のリマスター版をダメだと評する人もかなり多い。

僕も長年1人でプレイ出来るFFをずっとやっていていた為にマルチ前提となったゲームバランスのある内容には少々煩わしさを覚えたものだが、それでも当時ゲームキューブで出た任天堂向けFFであった事を考慮すると独自の牧歌的な雰囲気に包まれた今作の世界観の良さはFFCCシリーズの始まりとして素晴らしいものがあった。

 

アバター チ・キンの成長はまだ続いている。

今後は気長にゆっくり自身の成長を高めるものとしてやっていこうかと思う。

 

 

10月4日追記:成長を通してみて

本編のクリア後も成長の余地があるチ・キンを最強にする為、未取得のアーティファクトや最強装備を揃えるために色々頑張り、今もまだ成長中な現在

このゲームはFFではなかなかに珍しいハクスラ系の成長システムを持ったゲームであり、同じダンジョンの周回を繰り返しては目当ての報酬を引き当てるまで何度もリセマラをして成長を促している。しかしこのゲーム、やはり一つ一つの能力を成長させていくのにはえらく時間が掛かる。単純なレベル制ではないからいくら立ちはだかる面倒くさい敵を倒しても経験値を得られず、クリアして得られるアーティファクトは必ず1つしか手に入れられない点がダルさに拍車がかかってしまう。

何故1回の報酬獲得で複数個のアーティファクトをゲットして一気に成長できるようにしなかったのか?ただでさえアーティファクトだけでも70個近くあるのを全て集め切るのには、被り無しで取れてもその個数分だけ同じ回数ダンジョンを周回しなければならない。リバーベルやキノコの森のように手短に終われるダンジョンならまだしも、やはりコナル・クルハ湿原やレベナ・テ・ラの様な長くて時間が掛かるダンジョンだと周回する気が起きず、無駄に長くプレイさせられている気がしてならない

さっきもレイズリングを獲得するために1人で湿原を頑張ってプレイしたのだが、高得点クリアを目指すためにほぼ全ての敵を相手にしなければならなかった事で1回のプレイに30分以上もの時間が掛かった。オマケに目当てのものが出なかった時のリセマラもまぁスムーズにやってもなかなか出ない事も多いので時間が掛かる。下手すりゃリセマラ厳選だけでも30分は掛かった事もあるので、成長させる為にプレイする時間が苦痛に感じ、ますますアーティファクトを複数個取れるシステムにしなかった事に疑問を抱かざるを得ない。オマケにサブキャラを作って育成する目的もあるのなら尚更である。

 

このゲームには親の職業によって得られる恩恵に大きな差がある。特に商人や鍛冶屋、錬金術師、裁縫関係は恩恵の大きい職業としてメインキャラの親の職業にこれらを選ぶ事をゲームサイトで勧められている程。しかしその事を知らずに僕がメインキャラのチ・キンに対して選んだ職業は農家、農家には特に家族と仲良くなっても得られるメリットが無く、ただのお飾りのようになっているだけのいわゆるハズレ職業である。

錬金術師と鍛冶屋、商人の職業レベルの成長によって作れるアルテマ系の武器はサブキャラ育成を前提とした隠し要素となっており、アルテマ武器の作成はPS4版ではトロフィーに設定されているほど、しかしこのゲーム自体がソロでサブキャラ育成する事を想定した作りになっていない為、サブキャラで最初からアーティファクトを集め直すことを考えたら本当にやる気にもならず、チ・キンの育成が終わったらこのゲームを終わりにしようか考えているほど、とにかくFFCCの成長システムが超面倒くさい。

 

僕は元々ゲームクリアという大きな目標やレベル上げ、目当ての装備の獲得の為にマラソンや吟味といった単純作業をロールプレイする事には抵抗が殆どない人なのだが、FFCCでは下手にゲームクリアという大きな目標を終わらせてしまった事でこれ以上の育成を施す意味が見いだせなくなってしまい、やる気がなくなっているのが現状だ*9

自分にはどうも周回プレイという概念が無いのか、周回プレイをする事に対しては全然やる気がしない。例えばひとつのゲーム...特に僕はRPG対してはラスボスを倒すまでの間に色んな要素をクリアして、ラスボスを倒してエンドロールを迎えたらそこで終わり!という、簡単に言えばRPGは何度も周回するものではなく、本編をゲームクリアするまでの間に数ある要素を極めてから攻略するもの」という通念上の概念を持ってしまってる事で周回プレイを前提としたゲームが好きになれないのもあるのかもしれない。*10

 

注釈にも書いたが大きな目標や目的がないロールプレイや目標の実現が果てしなく遠い周回プレイには自分は大きな抵抗感がある。考えてみたら発売から2ヶ月ちょっとの今年の5月末に引退したあつ森もまたある意味ひとつの大きなロールプレイに思える。朝起きて、住民全員に挨拶をして、雑草取りをし、石を叩き、化石を掘る。木にフルーツが成っていたらそれの収穫作業をする...これもまたひとつの習慣、ロールプレイの一種だ。

ではそのロールプレイをする事にどんな意味があるのか?そのロールプレイをした先に何が待っているのか?その意味は自分で見つけなければならず、ゲーム側から目標提示されることはない。だから当たり前のように思ってする習慣付けが出来ず、今自分がやってる事に対して意味を見い出すことも無くやっていたらすぐに飽きが来てやる気が出なくなってしまう。

今僕がやっているFFCCの育成もまた育成を成しえた先に待っているものが何も無い。だからどうもやる気がしないし、面倒くさいと思いながらやる事が殆どだ。きっと多くのユーザーの思い出にFFCCが楽しい記憶として残っているのはみんなでやったという体験の記憶が強く残っているから楽しかったとする人が多いのだろう。

 

ソロでやるとなかなかに苦痛な要素が多いFFCCリマスター、楽しい事は楽しいのだが何とも難儀なゲームになってしまった...

 

 

 

10月9日追記:ラスボスの存在について(ネタバレ注意)

無類のFF好きな僕ではあるが、マルチ向けなゲーム作りがされたFFCCのソロでのシステム周りに不便さを感じた事でつらつらと不満点を追記し、辛口な評価をしてしまったが流石に不満で締めくくられてしまってはネガキャンにも捉えられかねないので更なる追記としてラスボスの事について書いていこうかと思う。

 

ネタバレ必至なのでここから先の閲覧にご注意ください

 

  • ミオとラモエ

FFCCでは瘴気に包まれた世界と密接に関係した記憶を巡るあるキャラクターがいる

 

それがミオラモエ

 

ミオの存在が明らかになるのは黒騎士イベントの4回目の時、記憶を失った黒騎士が自分の記憶を奪った諸悪の根源(と思い込んでいる)とする白い光を無我夢中に追い続けたもの、そして初めてその声が明らかになったのは黒騎士イベント5回目の時だった。

全体的に落ち着いていて柔らかな物腰で語る少女の様な声、しかし主人公たちに語らう内容は全体的に後退的でどことなく声のトーンからも絶望感をやや感じる所がある。彼女の語りによると、ソール=ラクトから聞かされた瘴気の根源を探し当てようとして消えてしまった伝道師とお供の伝説のリルティの騎士...つまりハーディ(ガーディ)と黒騎士は瘴気の根源となるヴィレンジェ山のメテオパラサイトの元に辿り着いた時に現れたラモエという存在によって記憶を食され自我を失ってしまったという...

 

ミオとラモエは共に人々の思い出を糧として生きる存在、違うのは元々はミオが先にこの世界に存在しており、ラモエは突如飛来した隕石が大クリスタルを破壊したと同時に生じた世界の流れの歪みから生まれた事

そしてミオが食すのは人の脳から消えかかって薄れた思い出でそれを食す代わりにお礼でミルラの雫へと還元していた事に対し、ラモエは己の私腹を肥やす為に記憶に新しい思い出まで食らい、魔物を生み出してしまう

という事だった。町や村に立ち寄った時にNPCが自分が何をしていたのか、これから何をするのかを忘れてしまうという健忘症の様な症状が出ていたのはラモエがところ構わずに深く刻まれた新しい思い出も食べている事の現れであり、実はこれがラモエの存在を示唆するさり気ない大きな伏線となっていた。

 

クリスタルキャラバン達がひとつひとつの旅の思い出を日記に書くのは、単なる思い出作りだけではなく、ある日突然無くなってしまった思い出や薄れかかった記憶を思い出させる為に記録として残る日記に書いているというのが正解なのかもしれない。

水かけ祭りで思い出の日記を振り返るのはその記憶をしっかりと胸に刻み込んでおくため。実にFFCCというゲームの世界観に合わせてマッチした設定である。

 

  • メテオパラサイトとラモエの関係性

メテオパラサイトとは地球に飛来した隕石に住み着く地球外生命体で、世界のモデルケースを語ったアミダッティ宜しく、外からやってきた者、つまりはこいつが人類の99%を死滅させた瘴気の原因そのものである。

宇宙からやってきた地球外生命体が元の星に居た種族を滅ぼしてしまうという設定を聞くとFF7に於けるジェノバと古代種の歴史を思い起こさせる。違うのはFF7では侵略された側の古代種が己の力でジェノバと対抗し、弱体化をさせた末に滅びの一途をたどったのに対し、FFCCではメテオパラサイトの存在に気づかずに原因が掴めないまま瘴気によって朽ちてしまったがある程度はまだ生き残っているという事

いずれにしても人類の脅威になっていた事に変わりはないのだが、そんなメテオパラサイトとラモエにどんな関係性があるのかと言うと瘴気の関係によって生まれる悲しみの思い出がラモエにとっては大好物という事に関係していた。

メテオパラサイトが生み出した瘴気によって多くの悲しみの思い出が刻まれた。その思い出を食らい格別だと感じたラモエはメテオパラサイトの存在を放置し、あまつさえメテオパラサイトを倒そうとするキャラバンを自身の住まうクリスタルワールドに引きずり込み、倒すという所業をやってのけていたのだった。

人類にとって脅威となるメテオパラサイトを倒せば世界に永遠の平和が訪れる代わりに、ラモエにとっては大好物となる悲しみの思い出が殆ど生まれなくなる。思い出を食らい魔物を生み出す事で悲しみの循環を紡いできていたラモエの企みは脆く崩れ去ってしまう。メテオパラサイトの存在こそが自身の成長を大きく促す事を認識していたラモエはキャラバンからメテオパラサイトを守る事で共生関係を紡いできていたのだった。

ジャック・モキートの館での書斎にある本やアミダッティ一行から聞かされるセルキーの古文書、マグ・メルでカーバンクルが話してくれる古代の歴史に光と魔と姫の童話など...多くの伏線が貼られる中で明かされたラモエという存在は密かに水面下で人類を蝕むFFのラスボスとしても申し分無いほどの存在だった。

 

思い出を食らって生きたラモエの存在によってFFCCの人類はいつの間にか瘴気のある世界が当たり前の世界となり、ミルラの雫を求める旅に出る事に疑念を抱かなくなった。

本当ならばこんな旅はもうしたくないはずなのだが、当たり前のように旅をし、当たり前のように世界を駆け巡る。その事に疑問を抱いたクリスタルキャラバンが英雄となる...歪みから生まれ、悲しみを求めて生き続けるラモエもまた悲しい運命を背負った生き物なのかもしれない...

 

世界に真の平和が訪れた後の世界ではその後どの様に物語が紡がれてゆくのか...それは彼らクリスタルキャラバン達が決める事である。

 

終わり

 

 

*1:以下 FFCC、リマスターエディション版を指す場合リマスター版と呼称する

*2:それでもスクエニスクウェアサイドはPlayStationの主力ソフトとして今のFFを提供するソニーとの関係性という立場上の事情もある為、任天堂にはDS版FF3や4、WiiウェアのFF4THE AFTERや過去作FFのVC移植など、ナンバリングに関してはFF1~FF6までのFFをメインとしたFC、SFCユーザーに懐かしさを提供した控えめで物静かな売り方がメインとなっていたため本当の雪解けと言えるのはスマブラforクラウドが参戦して以降からだと思っている(個人の見解です)

ちなみに任天堂向けに出したFFで個人的に最高傑作だと思うFFはシアトリズムファイナルファンタジーシリーズ

*3:この時の裏話としてスクエニ元社長の和田洋一氏がnoteに当時のFFCCの開発経緯と当時のスクエニにとってFFCCというゲームがどういう存在だったのか?について語っているので興味のある人は調べて読んでみよう

*4:かつてFFCCを大いに楽しんでいたフォロワーさんからは「FFCCが人生初プレイなのは凄く羨ましいです」と言われ、かなり驚いた

*5:残念ながら2番はゲーム内では聴く事が出来ないがサウンドトラックCDでは視聴可能、オマケにキーは当時と同じ様に全く下げずに歌ったらしく、Yaeさんの歌唱力の凄さが表れている。ちなみにエンディングの星月夜も新録

*6:分かりやすく言うと某有名ゾンビホラーゲームのあの記録を彷彿とさせる結末となる為にデ・ナムのイベントは屈指の鬱イベントとして語られている

*7:もちろん全てのサブイベントが鬱的なものではなく、しましま盗賊団との小競り合い的な街道イベントや詐欺師ガーディを巡るイベント、いなかパンと世界のモデルケースについてなど、クスッと笑えてシュールなイベントも多いのでそういう所もまた人気の部分になっている

*8:それでもオートセーブ機能が付いた事でボスを撃破した後の精算画面で目当てのアーティファクトや素材アイテムが出なかった時はリセマラをして吟味する事ができるようになっているのでGC版のように最初からやり直しという苦労をしなくて良いのは改善点ではあるが

*9:おまけにゲームクリア後の隠しボス的なものもいないのでますますクリア後のFFCCでこれ以上の育成をするのは自己満でやるという事実に天秤が傾いてしまう

*10:余談だが、最初から周回プレイを前提としたゲームデザインではないもの...例えばクリアしたらそこで完結するFF7や8などをもう一度最初からやり直してプレイした事はある。それこそ周回プレイじゃないかと思われるが、その頃は昔のゲームクリアを本当の意味で極めてクリアした訳では無かったから最初からやり直してやれた部分もあるし、最初からやり直す事で極めてからクリアするという大きな目標を掲げた事で周回をする事にも大きな意味を見出していたからできたのもある。大きな目標が成し得る訳では無いほぼ無意味に近いロールプレイは好みではないのだろう