ポッポ屋日記

日記的なブログにしたいです

お詫びとお知らせ

 

二ホンバトです。本日はこの記事をお読みいただきありがとうございます。

このブログをいつも読んでくださっている皆様にお詫びがございます。

 

唐突ではございますが僕は2024年1月30日の今日をもってX(旧Twitter)のアカウントを完全に削除しました。

以前当ブログでお伝えしていた情報収集のための鍵垢と「NB」という名前で稼働していた公開垢、そして旧二ホンバトのアカウントを消した後に同じiDを用いて作った捨て垢の3つのアカウントを全て削除し、デバイスからXをアンインストールしました。

鍵垢で繋がっていた方には突然の事で驚かせてしまったかもしれませんが、何も言わずに黙って消えてしまった事をどうかお許しください。

 

以下は消えた理由と以前から思っていたSNSに対しての主観を記します。

長くなる可能性が高いのでここで閲覧を終えても構いません。

 

唐突に消えた理由としましては、昨日に起きたセクシー田中さんの原作者の芦原妃名子さんがドラマ版セクシー田中さんの脚本制作に際して原作者としてセクシー田中さんの世界観を壊しかねない改変をやめてもらうよう日本テレビとドラマ制作サイドに意向を伝えていたものの、何らかの事情で双方の意思疎通や連携が取れないまま製作がずるずると進み、その顛末の一部をXに告発する形で述べる事にした…結果、最後には芦原妃名子さんが自殺をしてしまうという原作漫画のメディアミックス化をめぐるトラブルの中では一番最悪な結末を迎えてしまった事件が起きた中で、Xの不特定多数の大勢の見知らぬ他人がその事件に対して怒りと憎悪と怨嗟の感情を撒き散らす様を見てしまい、心理的ストレスで我慢の限界を迎え、人の醜い感情が蔓延り、数多の有象無象が存在しているXに自分が居るという事実に心が耐えられなくなった……

ので、Xから自分の存在を消しました。

 

まずは何よりも先に無念な思いを抱えながらこの世を去ってしまった芦原妃名子さんが上で少しでも心安らかに眠れている事を深くお祈りいたします。

 

今回のこの事件は非常に深刻でデリケートな問題となっていまして、「原作漫画のメディアミックス化に際しての所謂“原作レイプ”や原作者サイドの意向の軽視」という昔からあった根深い問題に深く関わるものでもありますので、多くの業界人や著名人の方々にも衝撃は広まっており、今現在も大変多くの人が話題にしています。

しかし、そこでふと思ったのは原作者の自死という衝撃から来る悲しみを怒りの燃料に変換し、「日テレとドラマに関わった脚本家が全て悪い!」と一方的に決めつけ、憎悪の炎を当事者でも何でもない赤の他人が燃やしている事が理解できないんです。

ここだけ書くと「あいつは日テレと脚本家を擁護している!」と誤解を生みだしかねないので宣言しておきますが、僕は決して日テレと脚本家の方を擁護している訳ではありません。寧ろ原作者である芦原妃名子さんの意向を無視した脚本を作り上げて、そこから来る軋轢やトラブルの解決に努めなかった日テレには責任があると思いますし、自殺報道があった後に日テレが出したコメントは極めて事務的であり、まるで他人事の様に軽く捉えるコメント内容は原作者の作家性を非常に軽んじた最悪なコメント、及び対応だと思っています。

では何故上記の事を書いたのかというと、正義の鉄槌を下さんとまるでヒーロー気取りの人たちが正義という名のこん棒を片手に躊躇なく人を殴り、追い込もうとする様が人間の醜さを体現した非常に恐ろしいものだと思ったからなのです。

今回の事件自体は非常に居た堪れない事件として途轍もなく悲しいです。こんな事二度とあってはならない事だし、なぜ?どうしてそうなってしまったのか?芦原先生を救える人は居なかったのか?等の詳細な原因の究明と再発防止の為の策を練る事と作家さんの心を守る為のメンタルケアの強化は急務でもあります。

 

ですが…Xでのネット上の声を見るとよく目にするのは芦原先生の無念を祓さんと躍起になった人たちが日テレと脚本家個人に対する怒りをぶちまけ、燃やし尽くそうとする行き過ぎた批判と誹謗中傷の声…。

その中には芦原先生の無念を抱えた代弁者気取りの人だけでなく、以前から原作漫画の実写化に対して懐疑的だった漫画&アニメファンの不満も乗せてものを言う人もおり、それは個人的な価値観の範疇でしかないものだと思うのですが、今回の事件を機に溜まってた不満を爆発させんとしている人が居るのも印象的でした。

中にはこの事件に深く関わった日テレと脚本家個人を脅迫する発言まで書いている過激な人もいて、それを見た僕はネットという世界でタガが外れた人間の恐ろしさを知る事となり、そしてそんな危険な発言をする人が決して少なくない数がいるXというSNSに自分の籍がある事がとても怖くなり、その事を考えただけでも気持ち悪くなり、吐き気を催す程の不快感を感じました。

しかもどうしようもない事に、そういったショッキングな事件に関わるポストをX側がアルゴリズムでおすすめ表示してくるもんですから、このニュースに関する事を一切目にしないようにするのなんて不可能に近い状態でして、そういう人の心理にダメージを与えかねないポストを積極的に表示してくるXにはほとほと呆れ尽くしました。

事件自体は本当に悲しくて最悪なものです。この事は決して忘れてはならないと思います。しかし本当に怒って石を投げていいのは芦原先生の家族や身内といった芦原先生に関わった近親者や、芦原先生の作品のファンのみが怒りを発するべきであって、今回の事件となんら関係のない当事者でもない赤の他人がまるで芦原先生の身内のように振る舞って怒りをぶちまけるのは違うだろ?と思うんです。

もちろん公正な原因究明を測るために第三者機関を設けるのは必要です。しかしそうではないネットニュースを見ただけの人がこの事件の事に対して必要以上に言及するのは良くないと個人的には思うのです。もちろん憶測で物事を推察してあたかもそれが事実であるかのように決めつけて誰かを燃やすのなんて言語道断、でもそれを平気で出来てしまう人、言えてしまう人ってのは世の中にはいるんですよ…それも結構少なくないですし。

 

人間って本当に恐ろしいのは怒りや憎しみの感情に駆られた時ではなく、正義感に満ち溢れて気持ち良くなってしまってる時っていうのはよく言われる話でして、何かの事件やニュースが報じられた時、立場上の正義と悪、強者と弱者を第三者が勝手に決めつけては決めつけた弱者を守る為に強者を必要以上に叩き殴る。それが本当に当事者のためになってない事であるにも関わらず、正義感に酔って気持ちよくなった人間はその事の事実に気付く事もなく更に叩き続ける。過剰な叩きや誹謗中傷が、叩かれた人間にとって大きなダメージとなって人を追い込み、最悪取り返しのつかない行動に走らせてしまう。

いざ手遅れの事態が起きた時、やっと自分がしていた事の愚かさに気付いた正義マンは激しい後悔をするか、それでも気付かない救いようのない人は「なんで死んでしまったんだ…」と、まるで他人事のように呟く。自分達がしてきた必要以上の叩きや中傷がそれを見た多くの人の心を追い込み、自殺に走らせてしまったかもしれないのに。

 

憶測でしかないので先ほどの記述と矛盾しますが、今回の芦原先生の件に関しても先生が勇気をもってしたSNSでの告発が過剰に日テレと脚本家個人を叩く流れを誘発してしまい、自分の告発がこの流れを引き起こしてしまったかもしれない…。そう思い、心を痛めて自分の心を追い込んでしまった末にこの世を去る選択をしてしまったのだとしたら……

繊細な心を持つ一人の人間の尊い命が失われた事に本当に居た堪れない気持ちでしかありません……。

 

 

今回の事件を以って僕は本当にXを辞める決心が着きました。

およそ半年前からXを巡っては色んな騒動が起きていたし、二ホンバトとしてのSNS生活についても最近では楽しい事よりも苦しいと思う事の方が多かったのでいずれはこうなる運命だったのかもしれないし、ある意味仕方ないのかもしれないと思ってます。

でもせっかく僕を好いて繋がってくれていた皆さんにとっては知ったこっちゃない話だし、勝手に消えて迷惑でしかないですよね。本当にごめんなさい。

 

ずっと前々から思っていた事だったんですけど、僕ってやっぱりSNS向いてないと思うんですよね。人の言葉に対して過度に気にする部分もあるし、それが例え見ず知らずの他人の発した自分に向けられた事じゃない言葉であったとしても、その文面を見ただけで心が影響されて憂う事だってあるし。本来淡白に考えるべきSNS上での人との繋がりをやけに重く捉えてる部分もあるし、その考え方が原因で相手から見限られる事に対して必要以上にショックを受けちゃうし、とにかく人の言動や態度というものに自分の心が影響されてしまう事が多々あるから「SNSやらない方がいいんじゃないか?」とすら思う所が結構あったんですよね…

やるにしても必要以上の繋がりを持ってはいけないし、繋がった相手に対して必要以上の感情を持ってはいけない。無駄な思い入れの強さは自分の心を大きく傷付ける諸刃の刃にもなりえるし、常日頃から壁打ち感覚でやるのが丁度いい。

本来、そういう心持ちでいる事が快適なSNS生活を送るのに必要な事だと思うのですが、僕はどうしても人の言葉や行動を気にするし、人に対する思い入れを強く持ってしまう、そして最近こそそうなかったのですが、その場で気が合った時は簡単に人とも繋がってしまう、まさにSNS向きじゃないタイプの人間だってのがよく分かるかと思います。僕も最近になってようやく改めて気付く事になりました…(苦笑)

思えば僕は昔からSNSに向いてない人間だよなぁと思う出来事は多々ありました。それこそMiiverseをやっていた頃の自分なんか今以上に人の言葉に対して過剰に反応してたし、悪い意味で感情的にもなってたし、人とのトラブルなんて絶えませんでした。その当時は学生だったとはいえ、感情のコントロールが出来なかったことで暴走することもあり、繋がってくれた人に対して迷惑ばかり掛けている人間でした。

Miiverseのサービス終了と共にSNSの延長線上として始めたばかりのTwitterでも始めた初期の頃は自分の一時の感情で呟いた発言やネガティブに支配された思考のせいで相手から縁を切られる事なんか日常茶飯事、僕は決して万人に好かれないタイプの人間でした。

そのせいで僕は決して少なくない数の敵を作ってしまいました。界隈からも嫌われてそこを去った経験は何度もあります。きっと旧ハンドルネームの「LASTBOSS」の名を聞けば今でも恨めしいと思う人もいる事でしょう。それらは総じて周りの方に非があるのではなく、全て僕自身が招いた自業自得でしかないのです。

 

そんな僕も歳を重ねてあらゆる物事の経験をした事である程度の落ち着きが持てるようになり、少しずつ快適にSNSが出来るようになっていました。そのおかげで二ホンバト時代ではある程度の繋がりが増えて仲良くなった人も増えました。

でも……それでも僕は今でも時々SNSに対して悩まされたり一喜一憂してしまう事もあるし、なんなら自分から去る事で今でも人に迷惑を掛けてしまっています。こんな風にどんなに人と出会って仲良くなれたとしても自分から捨て去るかのように、まるで逃げるかのように勝手にいなくなって人様に迷惑を掛けてしまうようなら、自分はもうSNSなんかやらない方が良いし、下手に人と繋がって仲良くなんかならない方がお互いにとって良いのでは?って、思ってしまう事が最近多いんですよね……。

だからという訳ではないのですが、互いをフォローし合う事が決して重要ではないSNSであるBlue Skyがとても使い心地が良くて快適だし、逆に今のXは心の平穏を保つという意味では最悪なSNSになっている事は間違いないですね。

 

先ほども述べた通り、今のXには「フォロー中」と「おすすめ」というタイムラインの2つで構成されています。その中でも特におすすめというのが非常に厄介な存在でして、繋がってフォローしている人の傾向から似たようなタイプの人や、フォロワーが話している話題のジャンルからそのコミュニティに関連性の高い「他人のポスト」を表示してくるのですが、まぁ…本当にろくでもない人しか流れてこない。

鍵垢の方はゲームコミュニティでは害悪なゲハ関係の過激な話題を話す人がやたら流れてくるし、NB垢の方では炎上必至のセンセーショナルな書き方をした過激な主張でバズったポストが流れてくるしでどっちにしても最悪でした。しかもタチが悪い事に最初にXを起動した時やアカウントを切り替えた時のデフォルト表示がおすすめタイムラインだし、おすすめで表示されるポストはそのユーザーがこれまで閲覧したポストやトレンドから得たデータを基に構成されているそうなので、まるであたかも僕自身がそういうポストを見たいからそう表示されているって言われているみたいで非常に腹が立つんですよね…!

当然そんなクソみたいな今のXのアルゴリズムの仕様と人の言葉に影響されやすい僕との相性は最悪も最悪で、先述したセクシー田中さんの事件に関連したポストについてもみんなおすすめタイムラインが原因で視界に入る事になってしまいましたしね。

今のXの仕様で快適なSNS生活が送れるとは到底思えないし、寧ろ心苦しいと思うことが増えました。そんなXに不満を持っていた部分があったから早く辞めたいという思いはあったものの、情報収集の要としてXの存在がどうしても外せなかった事と、せっかくここで生まれた繋がりを自ら捨て去る事なんて…と、思ってはいたのですが、それもとうとう限界が来てしまいました。

 

改めてお伝えさせていただきます。

僕はXを完全に辞めました。

時が経ってから戻ってくる可能性もひっそりと再開する可能性もありません。

戻ってくるつもりは微塵もないです。

これからはBlue Skyをメインにひっそりとやっていこうと思ってます。Xで繋がっていた皆様におかれましてはあまりにも急で突発的な事をしてしまって大変申し訳ありませんでした。

皆さんとのせっかくの繋がりや縁を無下にする、二ホンバトというのはそんな酷い男です。そんな奴の事なんか忘れてもっと素敵な話が出来る素晴らしい人との縁を大事にしてあげてください。

 

皆さんにとって今後のSNS生活が幸多からん事を心より願います。

ここまでお読みいただき本当にありがとうございました。

 

それでは…さようなら。

 

 

令和6年1月30日     二ホンバト

新年のご挨拶

 

このブログをご覧の皆様

あけましておめでとうございます

令和6年のお正月、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?お休みの期間が長かった人も、短かった人もお正月という期間だけは大体の人が皆平等に休める期間でもありますからそれぞれが思い思いの休み方をしていたかと思います。

もちろん全員がそうであるとは限りません。この正月期間であっても休みを返上して働いてくれている方がいるのも確かでありますから、本当はゆっくりしたいはずの三が日でも働いてくれている全ての労働者の方々には感謝の気持ちしかありません。

 

そんな中で私は1月1日のこの日、東京は池袋の西武池袋本店で開催されている「にっぽんカレー列島 東京カレーカルチャーDX」に行って来ました!!!

 

東京カレーカルチャーDXの入口電子看板

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2023年総決算

 

こんにちは、二ホンバトです。

早いもので今年も残すところ、あと僅かとなってしまいました。

最近思うことがありまして、やはり学生時代の時と比べると時の経過があっという間に感じるんですよね…。まだまだ若いのに何を言ってるんだと思われるかもしれませんが、私も今年で26になり、来年は27になるのです。油断してたら三十路なんてあっという間なのです。まだまだ若いから!って言いながら無理を通すのもこれからだんだん出来なくなってくるんだろうなぁ…と思うと末恐ろしさすら感じます…(苦笑)

だからというわけではないのですが、実は今年の最後に保険に加入する事にしました。キッカケは僕が住むGHを管理する施設の施設長からの勧めで障害者の人でも入れるという保険を紹介されたのですが、最初は結構悩んでいました。

保険に入っておけば万が一の事が起きた時でも安心ではある。けれど人生を生きている中で保険を必要とするほどの万が一が起きる可能性ってそうそうないだろうし、保険料だってそれなりのお金が掛かるだろうし、どうしようかなぁ…と、思い悩んでいたのですが、最終的には保険に入る方向性で決まりました。

少額型の総合保険だったので保障内容はそこそこではあったものの、個人賠償責任保障の額がかなり高くて安心感があった事と、やはりこの歳にもなって何の保険にも入ってないのは流石にマズいかな…という思いが芽生え、転ばぬ先の杖という言葉もありますし、せっかくなので保険には入っておく事にしました。

僕が実家にいた頃は保険というものに縁がなかったので入る必要性を感じていなかったのですが、これから歳を重ねて生きていく中で自分を守るための対策をしていくに越したことはないですし、今年ようやく借金を返し終わった事ですし、今まで払ってたそのお金を今度は自分の為に使うってのもまたいいもんだろうな…と思い、そうする事にしました。

借金の返済って?と思った方はこちらをどうぞ💁‍♂️

majihato.hatenadiary.com

 

というわけで雑談はこれぐらいにしておいて、二ホンバトのポッポ屋日記最後の記事は毎年恒例の総決算記事で締めくくって来たる年の瀬に備えて行こうかと思います。

最後の最後までよろしくお願いします。m(_ _)m

 

f:id:Gameslifeisff:20231228131744j:image

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人生初のPCを購入しました!

 

こんにちはニホンバトです!

いよいよ今月も半分を過ぎてクリスマス&正月までもうすぐ!と浮かれ気分になりそうな所ですが、予想してた通り今月は特に忙しい日々が続いており、ぶっちゃけ好きなゲームとかやりたい事等が全然できていない状況です!社会人って本当に忙しい…!家でゆっくりゴロゴロとゲームしたい…!

…とか書いてたらもうクリスマスじゃないですかやだ~!*1😭

そしてクリスマスも過ぎちゃったじゃないですかやだ〜!😭😭😭

ほんまに今月の休日は予定をぎっしりと詰め込んじゃったから全然休まる気がなかったし、仕事がある日なんかは身体が疲れ切ってて帰って来た後のゲームとかブログ記事を書く余裕なんかあるわけもなく、ただひたすらに睡眠を求めて眠るだけの日々が続いていたのでほんと、余裕がなかったんですね…

 

とまぁこんな感じで休日も予定ぎっしりで全然休まる気がしなかったのですが、そんな中で僕は今月の始めに人生で初めてのPCを購入しました!

いやぁとうとう遂にって感じですよ本当!人生で初めてのPC購入…そこに至るまでには色んな紆余曲折がありまして、PCを買おうと決意してから買うまでには大体1ヶ月ぐらいの時間を要したのですが、将来の夢が出来てからその夢の実現のためにPCが必要だと分かって、PCの所有を意識するようになってから数えると大体半年ぐらいの時間が掛かったような気がします。

それまでは"PC教室に通うのが先か?"、"PCそのものを手に入れる事を先にするのか?"といった事で随分と悩みまして、時間の事やお金の事、今の自分の状況などを鑑みたその上でその選択の事について結構…いやかなり悩み、教室に通おうかなぁ…PCを買おうかなぁ…と、自分の中でかなり揺れ動いていたのは確かでした。結果、僕はPCそのものを手に入れる事を選択する事にし、さぁ今度はPCを買おう!…と、なったのも束の間、今度は「どんなPCを買えば良いんだ?」という事でまた悩むことになり、物やスペックの事を調べまくったり、パソコンに詳しい人に話を聞きまくって相談したり…と、かなり奔走する事になり、結果としてこれだけの時間を要してしまいました…(笑)

しかし!その分価格とスペックの事を緻密にすり合わせて熟考した事で最終的には自分でも納得できる物を購入する事が出来たので、初めてのPC購入はかなり良い買い物が出来たんじゃないかなぁ~と思っています。

f:id:Gameslifeisff:20231218010344j:imageこちらが人生初PCの「GALLERIA RL5L-G165」スペック等については後述する。

今回は何故PCを買おうと決意するに至ったのか?買うまでの間にどうしたのか?買った後の事についてなどを簡単に書き記していくいこうと思います。

……ちなみにこの記事は購入したPCで早速書いています*2。これまでずっとスマホで書き続けていたので流石に文を打つ速度は遅いですが、タイピングの練習も兼ねて書いているのでここからだんだん早めて行きたいですね(笑)

*1:追記時点で12月25日

*2:正確には文章はPCで書いていますが、現時点で写真はスマホの写真をPCにアップロードする方法が確立されていないので写真の掲載のみスマホアプリのはてなから追加しています。

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表彰されました

 

ニホンバトです。

厳しい寒さと共に12月を迎え、世間は来たるクリスマスに向けて胸を高鳴らせ、そしてそれが終われば次は年の瀬に向けて準備が始まろうかとしてる所ですね。

僕もまた12月はやりたい事や、やらなければならない事、必要な作業などが多く積み上がっているので意外と忙しく、正直ゲームをしてる余裕も暇もないといった状況ではあるんですよね😭

 

そんな中ではあるのですが実は私ニホンバト、12月4日の今日、所属して働いている社会福祉法人から「自己管理優良賞」を受賞し、表彰されました!

 

f:id:Gameslifeisff:20231204203700j:image賞状と副賞のウエストポーチ

いやぁ今まで生きててこういった賞を受賞した経験って殆どなかったもんですから、こうやって正式に表彰されるってのはなんだか嬉しいもんですね…!

この賞を受賞した理由としては「勤務先から提示される変則的な勤務をこなし且つ、金銭管理や行政の手続き、契約…といった日常生活を送る上で必要不可欠な行動の全てを誰からの支援も受けずに一人で理解、判断、行動をし、一人で全てこなしながら日々を過ごせている事」が受賞の大きな理由となっているそう…なのですが、実を言うと僕としては「ただ当たり前の事を当たり前のようにやっているだけ」という意識でしかなかったので、こういった賞を受賞する事に対して「嬉しい!」という気持ちがある反面、「これで賞を貰っても良いの!?」という驚きと拍子抜けな気持ちがある事も確かでした。

でも実はこれ、健常者の人にとっては当たり前過ぎる事であっても、知的障害を抱えている人にとってはとてつもなく凄い事なんです。

 

人間は生物として生きていく上である程度の知識と理解力を必要とします。知識は勉学や教養、娯楽や趣味などの人生経験を経て得た知識、理解力はその時その場で発生した状況や事象、人からの説明や、調べた事に対する把握や理解といった脳内での処理に対する能力であり、知的障害と称される人はこの知識と理解力、そしてそこから生まれる適切な対処、対応といった行動をする為の適応力が欠乏してるとも言われています

日常生活を送る…という観点に於いて重度の人は要介護と判断されて人からの支援を常に必要としており、中程度の人はある程度のサポートがあれば支障なく日々を過ごす事が出来、軽度・最軽度の人は高度な理解力を必要とする場面以外では自らの力で理解して自己判断をする事が出来るとされています。

日常生活のどういった所で理解力を必要とするの?という事で言うと、例えば金銭管理、細かく言うと日々の買い物。今の自分はこれから何を買おうとしているのか?買おうとしているそれは何に対して必要なものなのか?今の所持金がいくらあって、買おうとしているそれはいくらの値段で、買うといくら減るのか?そしてお釣りはいくらになるのか?人が生活をする上で必ずする行動であり、当たり前の事である買い物一つとっても自分の力だけで完全に理解して買い物が出来る人はそうそう居なく、人からの支援やサポートがあって初めて買い物が出来るという人も少なくはありません。購入金額が大きくなるような高額な買い物ともなると適切な判断力が問われる為、尚更人からのサポートを必要とします

分かりやすいもうひとつの例で言うと公共交通機関を使った移動とかもそうですね。行きたい場所や目的地が出来たとして、例えば電車やバスを使ってそこまで移動するとなった場合、自宅から最寄りの駅に辿り着いたら、何線の何番ホームの何時何分のどこ行きの電車に乗って、どの駅に降りれば良いのか?乗り換えを必要とする場合、どこの駅で途中下車してどこ行きの電車に乗り換えれば良いのか?駅から出て多少歩く場合、何駅まで向かえば良いのか?そしてそこでまた何線の何番ホームの何時何分のどこ行きに乗れば良いのか?といった普通の人には当たり前のようにこなしている電車やバスに乗っての移動でも知的障害の人が1人で乗って移動をするのは人によっては難しい人もいたりします。

同伴者を付けて一緒に移動をしたり、何回も乗る事である程度のパターン化として覚えてしまえば1人でもちゃんと乗れるという人もいたりしますが、全く知らない土地に完全に1人で移動をするとなった場合、公共交通機関での移動の仕方を調べて理解し、行動に移さなければならないのでそこで躓いてしまって難しくなってしまう人もいるでしょう。

行政での手続きや契約といった高度な理解力を必要とする行動になると更に難しくなります。引っ越した後の住民票の移動、郵便局での住所変更手続き、住民税や公共料金の支払い、マイナンバーカードの発行、銀行での手続きや携帯電話のプラン変更やクレジットカードの契約…といった人からの説明を受けたり、規約を読んで理解しなければならない場面に於いて、知的障害の人が1人で完全に理解し、理解をしたその上で適切な行動に移すのはかなり難しいのです。

 

健常者の人なら当たり前のようにやっている行動も知的障害の人にとっては途端に難しい大きな壁となる。故に人からの支援やサポートを必要としていて、手助けをしてもらう事で初めて健常者の人と同等に行動をする事が出来る。

それは決して恥ずかしい事ではないし、寧ろ障害者の人は適切な支援やサポートを受けるのが当たり前の事でもあるんです。

でも僕自身はそういったサポートや支援をお願いする事は殆どなくて、相談をする事はあっても最終的には自らの判断で行動に移します。先々の事を考え、その時その時の状況に応じて適切な判断をして行動に移していく。当たり前のようにやっている事でも、知的障害の人にとってはそれが高度な理解力を必要とする場面である事も多く、あまり自覚はしていませんでしたが、僕自身も知的障害者である以上、こういった賞状を貰った事で日々の生活を当たり前のように過ごす事の偉大さを改めて自覚する事になりました。

大変名誉な事でもありますし、会場で多くの人から祝って貰えた時は感無量な気持ちになりました。でもそれと同時に「障害者にとっての自立とは何たるか?」をとても意識する事になりました。

 

普通の人が当たり前のように出来ていることが、当たり前のように出来ない人だって存在する。

人からの支援やサポートを受けて初めて健常者の人と同等の位置に立つ事が出来る人だっている。

障害を抱えて生きている事を決して悲観する事なく、前向きに捉えて生きるためにはどうすれば良いのか?

 

今の日本政府が掲げている障害者の社会との共生について障害者側の立場から見て一筋縄ではいかないだろうな…と思う事も多々ありますが、少なくとも僕自身がこの現実社会を生きていく中で、ある程度の事に対しては自らの判断だけで生きる事が出来た…という事に対する賛辞は甘んじて受けようと思います。

でも正直な話、僕は色んな人に支えられて今があると思ってます。今日に至るまでの日々を過ごす事が出来たのだって、決して全て一人の力だけで生きられたわけではありません。

僕もまた人からの手厚い支えがあってここまで来たんです。その事に対するあらゆる人への感謝の気持ちは決して忘れてはならない…と、そう思っています。

 

途中から堅苦しくなってしまいましたが、とにかくこんな名誉ある賞を頂けたのは本当にありがたい話ですし、めちゃくちゃ嬉しいです!!!

 

来年以降は自ら抱いた夢の実現に向かって努力していこうと考えていますので、このブログを読んでいるみなさんもどうか僕の行く末を見守ってくれたら大変ありがたいです😊

 

今日はそんな報告でした!

今月も無理せず元気に生きます!!!

 

令和5年12月4日 ニホンバト

 

 

 

これからの人生について

 

ニホンバトです。

長かった酷暑も彼岸過ぎれば涼しくな……る事もなく、夏日ができるぐらい暑くなってしまった。

…かと思えば今度は一気に寒くなり、秋をすっ飛ばして冬へと急転換してしまった。⛄️❄️

いつ、どのタイミングで出そうかな…?と迷っていた秋物の服が日の目を見ることはなく、上着のモコモコパーカーとインナーウェアを出して一気に防寒フル装備をする状態…毎年毎年「異常気象だね〜」と言ってた気がするが、今年はここ数年で一番の異常気象だと思う。

十数年前までは存在していた四季の原理が人間の手によって崩壊しつつあるんだなぁ…という事を実感しつつも、それでもどうにかして生きていこうとするのが人間。きっと将来日本の四季が完全に消えて夏と冬しか無くなってしまったとしても、人間はどうにか生きていかなくちゃならないんでしょうね。僕もまぁ例外ではないけども。

 

閑話休題、今年の6月に僕は夢が出来たと宣言した。そしてその年の9月末に家庭の事情で抱えていた僕個人の借金を完済した。これで僕の人生を縛るものは無くなり、完全なる自由を得た僕はこれからの人生を好きに生きる事ができるようになった。

でもそれと同時にこれから先をどう生きて行けば良いんだ?という迷いも生まれてしまった。

選択肢の幅が圧倒的に広くて自由過ぎるが故、逆に何をすれば良いのかが分からない。ゲームに例えればサガシリーズやペルソナ、いきなり世界のド真ん中に放り出されるオープンワールドのゲーム等、次に物語を進めるための分かりやすい導線みたいなものが存在しなかったり、何をどう動き、どうするのかもあなたの自由ですよ?と提示されて能動的に動く事を求められるようなゲームが苦手なのと同じ感覚で、今の僕はその広大過ぎる世界の中で一人立ち往生してしまっている

3年前のその当時こそは明日明後日を生きていくのに必死だった。親からの迫害によって精神的に追い詰められていた事で余裕がなかったのもあったけど、少しでも"自分が精神的に落ち着ける環境作りをしよう"という明確な目標があった事で、その実現の為にひたむきに働きながら今を生きる事が出来た。

衣食住の確保と生活のQOLの向上によって精神的にも余裕を持てるようになった僕が次に取り組むべき課題が親から課せられた借金の返済だった。 詳細は省くが家庭の事情によって背負う事になった借金…個人が抱える額としては決して安くなく(寧ろ大金)、契約時の設定ミスによって滞りなく返済できたとしても完済は僕が32歳の時に終わるという地獄も地獄な状況…それでも僕はこの業を背負って行こうという覚悟を持っていたから、借金の返済という行為自体に対する懸念や苦悶はそれ程なかった。

ただ本当にありがたい事にそんな僕の覚悟に共感した周りの人達からの支援のおかげで、僕の借金返済がスムーズに、より短期間で終わるような寛大な配慮をして頂けた。そのおかげで2021年の6月から始まった借金の本格返済は2年3ヶ月後の2023年9月を持って終了した。借金自体は2019年の秋頃に抱え始めた為、4年の歳月を掛けて完済した事になる。

4年…4年という年数自体は確かに長い、だが本来なら10年掛けて完済するはずだった借金がたったの4年で完済する事ができた。それによって6年分の余剰が持てるようになった。つまりこれから先の6年、僕が32歳になるまでの間は自分の人生を自分の好きなように、生き方を決める事が出来るようになる。今はそのスタートラインに立ち始めたばっかりだ。これから先をどう生きるか?に迷いが出始めるのもある意味では必然なのかもしれない。

だが逆に言うとその4年間という時間の中で「借金の完済」という大義が自分の中にはあって、そういった長期的に成すべき目標があったからこそ、ブレずに今を生きる事ができていたのかもしれない…と思う部分も今振り返ってみればなくはなかった。

皮肉な事に親から背負わされていたその借金自体が自分の今を生きる動機に繋がっていた…と思うと、理由もなく人生を生きるのって結構難しいんだな…と感じる事になった。

 

だったら冒頭でも書いたように夢を叶えるために生きれば良いじゃないか!と思う人もいるだろう。僕も現時点ではそうするべきだと思っている。しかし、その目標設定として掲げた夢が本当に自分が叶えたいと心の底から願う夢だと自信を持って言えるのか?と問われると、正直「そうだ!」と胸を張って言える確証がないのが本音だったりもする。

思えば、僕には叶えたい夢や目標というものがそれまで一切なかった。なりたい職業や憧れの夢…みたいなものを考えた事は一度もなく、とりあえず学校に通って、とりあえず勉強して、とりあえず就職先を決めて、とりあえず働く。「自分」というものを持っていなかった自分は親や周りの人の言葉に自分の精神状態が左右され、流し流され生きてきたようなあまりにも平坦で無個性が過ぎる人生だった。

意外と世の中ってそういう人が多いんじゃないのかな?って個人的にはそう思ってて、人生100年時代と言われる今の世の中で、人生の1/5も生きてない状態の中で夢だとか目標設定みたいなものを決めなくてはならなくて、その為に必死になって勉強して、社会に出て荒波に揉まれるように今を生きて人生を全うしなければならない。

成人をするまでの間に確固たる夢を持って今を生きてる人ってそんなには居なくて、何となくこうなってみたいなぁ、ああなってみたいなぁという憧れみたいな気持ちはあっても、心のどこかで「でも自分には無理だろうなぁ」とか「そうなるための努力が大変なんだろうなぁ」とかそんな風に最初から諦めてしまう感情みたいなものがあって、結果的に"夢が無いまま生きる人"みたいな状態になってしまうんだろうと思った。

もちろん子供の頃から触れてきた文化や体験に基づいて、それに繋がるように目標みたいなものを掲げてる人も中にはいて、そういった自然とできた目標に向かってひたむきに頑張ってる人ってのは凄いと思う。でも僕みたいにそれまで夢がなかった人が無理矢理夢を作ってそれを叶えようと努力をする事って結構な苦痛なのでは?って思ったりもするんですよね。

もしかしたら僕が叶えたい!とする夢も結局は憧れという漠然とした感情からか細く繋がって出来た仮初の夢でしかなくて、でも夢や目標がないまま今を生きるのは結構苦痛だからとりあえずの目標として掲げてこれからを生きていくしかない。僕の夢ってのは所詮その程度の本気や熱意の感じられない夢でしかないのでは???今の僕は自分の掲げた夢について時折ネガティブな自問自答を繰り返す事が増えてきた。

子供の頃からなりたい!叶えたい!と思って生きてきた人のそれと違って僕の夢にはどことなく熱意がない。熱意がないからそのための努力に対しても計画性がなくて、計画性がないから本気で取り組めなくて、本気で取り組めないから何をやっても失敗する。失敗したらしたで本気でやらなかったから叶わなかっただけなのに「やっぱり自分には無理だったんだ」と最初から諦める結論をつけて簡単に逃げに走ってしまう。 そういう悪循環を呼び起こしてしまう可能性は今でも大いにある。お前の掲げた夢はその程度で諦めるほどの小さな夢だったのかと烙印を押されても仕方ないのかもしれない。

 

でも…今の僕はこれからをどう生きるか?という問いに対して相当迷っていて、夢という名の漠然とした目標に向かって努力をする事でしかこれからを生きる事が出来ないのでは?という恐怖感があるのは確かなんですよね……。

 

ここまで書いてて気付いた事がある。

どうしてこんなにも色んな事を悩みながら自分の人生について考えてしまうのか?もしかしたら僕の中では「何となくで生きる事、目標もなく生きる事はダメな事だ」という固定観念に縛られているのかもしれない…と、そう思った。

それに加えて僕は無駄に焦っている。何かをやるのも何をなすのも早め早めに動かないと後れを取ると思っていて、最近の僕の決まり文句が「もう26ですから…」という言葉になってるのもそういった周りからの遅れに対する恐怖感みたいなものを感じているのかもしれない。

決まってそう言うと相手からは「まだ26じゃない!」と返されるのはそういった人生の焦りを感じるのにはまだ早いとされてるからなのだろう。20代の後半…人にとっては「まだ」と言えるのかもしれない。でも僕にとっては「もう」としか思えなくて、何かしらの努力をするのにも年齢は若くなければならないという固定観念に縛られているから、今もこうやって無駄に悩んでいるのだろう。

世の中にはそれなりのキャリアを積んできた人生の中堅組な人が脱サラをして、それまで勤めた仕事とは一切関係の無いジャンルの職業に挑戦して努力し、成功をした人もいる訳だから年齢や遅い早いという概念に縛られるのはもう時代遅れなのかもしれない。ただそれでも世の中の若者は早いと16歳〜18歳で就職先を決めて社会に出て、努力をして今を生きているわけで、それに比べたら僕の人生はずっと周回遅れで生きてきて、努力らしい努力もしてきたとは思ってなくて、何かを必死に頑張って生きていかないとダメだ!という思い込みが脳を支配してるのかもしれない。

それで延々と悩んでたら元も子もないとは思うのだが、とにかく今の僕は今掲げている夢に対して努力をしてこれからを生きていこうと思っている。もしかしたらその過程で本当に自分のやるべき事、成すべき事みたいなものが見つかって生き方の方向性をガラッと一気に変えるかもしれない…し、その掲げた夢を叶える事が本当に自分のやりたい事だったという結論にも至るかもしれない。

正直、10年どころか5年、3年、1年先の未来もどうなってるのか分からない未曾有の時代に入っている今だからこそ、これからをどう生きるかを決めておく事は大事なんだろう。

 

来年の僕はちょっとだけ背伸びをして夢に向かって頑張る事を目標にしようと思う。

 

推し活という言葉に対して

「推しのために生きる」という言葉を明確に口にしながら生きる人も増えた気がする。全ては自分の愛する推しに人生を捧げるために生きて、生活や仕事は推し活をする為の手段でしかなくて、推しに心を満たされている時が生の充足を一番に実感する時…それで本人が幸せそうにしているのならそれはそれで良いのかもしれない。 僕も借金返済生活をする傍らで大好きなFFやゲームをプレイしながら生きて来た部分があるからその気持ちはとてもよく分かる。

でも人生って最初から最後まで自分の思い通りに生きる事は不可能であって、推し活だって余裕を持っているからこそ出来る事であって、予期せぬトラブルが起きる事によって生活が一変してしまう可能性だって無きにしも非ずだ。そのトラブルを乗り越えた先でも自分の好きな事ができているかどうかなんて分からないし、それに人生の生き甲斐をひとつのコンテンツのみに縛って生きるのって実は結構危ういのでは?と思ってたりもする。

人生を掛けて愛してきたと胸を張って言えるコンテンツは人によって様々だろう。だがその愛するコンテンツがいつまでも自分の理想通りの形で長続きしてくれる保証が一切ある訳じゃない…し、逆にコンテンツ側の方から裏切られる可能性だってあるかもしれない。

推し活…という概念としてはずっと昔から存在していたジャニーズや宝塚が血なまぐさいドロドロの世界で踏み台にされ、泣きを見てきた人の屍によって築かれた瓦礫の塔だったと判明したのと同じ様に、キラキラで憧れを持たれやすい世界の裏には決して表には出せない恐ろしい風習や文化、世界というものがあるのかもしれない。

僕がずっと愛し続けてきているゲームというコンテンツだって、いつその形が変わって文化として消えていくのかも分からない。僕が愛するスクエニファイナルファンタジーだってあと10年もしない内に消えてしまってるかも分からない。そんないつまでも自分の中の理想の形としてコンテンツが残り続けてくれるかどうか分からないものに人生を捧げて生きるのって結構危ういのでは?…と。

 

だけどそれでも人には何かしらの形で愛する者や好きな物というものが存在していて、それによって心が満たされて今を生きる原動力になっている。確かに1つのものだけに全力を注ぐのは極端かもしれないが、それが人生のQOLに繋がっていて、自分の人生として満足出来ているのであればそれが一番良いのかもしれない。

僕はこれまで大好きなゲームとファイナルファンタジーによって心が満たされてきた。そしてそれは今でも続いている。FFを愛し、スクエニを愛し、ずっと昔から愛するコンテンツを生み出し続けてきたその会社に憧れを抱いた。

 

いつしか僕は「夢や憧れを持たせるコンテンツを生み出す人を下支えする存在になりたい!」と、心から強く思った。

 

人生100年時代、まだあと74年ある。

頑張って生きて行こう。そして努力して行こう。

 

今日も僕はそんな想いを胸に抱きながら日々を生きていくのだった。

 

 

シアトリズムファイナルバーライン ~完結~

 

2023年2月16日 この日「シアトリズムファイナルバーライン」*1というシアトリズムシリーズの最新作にして最終作がリリースされた。

 

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初代シアトリズムファイナルファンタジーの発売日に合わせて発売された本作はFFの楽曲を中心に取り扱ったシアトリズムシリーズとしては真の最終作、集大成という意味で発売しており、その当時の最終作的位置付けにあったカーテンコールと比較してボリュームが更に大きく増えた。

登場キャラクター数、収録楽曲数はシリーズ史上最多、出典作品数もFFのナンバリングタイトルから外伝作品、スクエニ作品も含めて多岐にわたり、TFBLはFF好きやスクエニ(主にスクウェア)好きにとってはまさに夢のような音ゲーゲームソフトとなった。

かつてシアトリズマーとしてシアトリズムを大いに楽しんできた自分としても今回のTFBLの発売は寝耳に水な話であると同時に予想以上に嬉しい吉報となった。それに対する期待と喜びの声を書き綴った記事とレビュー記事を以下に掲載するので興味がある人は是非読んでもらいたい。

↓↓↓

シアトリズムファイナルファンタジーというゲームについてただ語りたいだけの話 - ポッポ屋日記

シアトリズムファイナルバーライン体験版感想メモ - ポッポ屋日記

シアトリズムファイナルバーライン感想記事 ~FFシリーズ35周年の軌跡をリズムで追体験する最終作に相応しい究極のリズムゲーム~ - ポッポ屋日記

[目次↓]

 

トロコンは1つの通過点

発売日を迎えたあの当時から既にフルスロットル全開でTFBLを楽しんでいた自分ではあったが、実は発売日当日の時点ではまだTFBLは完成形の状態ではなかった。

発売日当日を皮切りに2週間に1回のペース*2スクウェア作品を中心としたDLC楽曲が配信される事になっており、11月1日に配信される最終シリーズ*3が配信されるのを最後にTFBLは収録楽曲数全502曲になって、宣言通りシアトリズムシリーズ史上最多の収録楽曲数の音ゲー作品として完成する予定だった。

追加配信という形で発売されるDLC楽曲ではあるが、冒頭に添付したタイトル画面からも分かる通り、僕は最初から全部入りのプレミアムデジタルデラックスエディションを購入したので、定期配信されるDLC楽曲の配信を待つのが密かな楽しみとなっていた。  既存の収録楽曲の385曲の解放を1日で終え、トロコンを1ヶ月もしないうちに達成した自分としてはトロコンもまた通過点の1つとして捉えており、その後はDLC楽曲の配信によって完成に近付いていくTFBLを楽しみ続けるのが自分にとっての何よりの生き甲斐というか、日々の楽しみとして存在し続けていた。

カーテンコールでは999,999でカンストしていた獲得リズポが100万を超えるようになり、カーテンコール時代は成し得る事の出来なかったゲーム内実績を全て達成し、やりこみ度の星を5つ星にしただけでなく、レコードの星を全てデカキラ星にした事でやりこみ度の5つ星をレインボーに輝かせたり…と、トロコンが本当にただの通過点であるのを物語ってしまうぐらいTFBLでのやり込み具合をとことん深めていった。

TFBLをやり込むという事は当然一つ一つの楽曲を繰り返し演奏し続ける事になるし、1曲辺りの平均が2分〜3分前後とはいえ、12~15曲分ぐらいプレイをしたら1時間なんてあっという間に過ぎてしまう。それを音ゲーとして集中的に、そして長期的にやり続ける事は、いくらゲーム好きであっても苦痛に感じてしまう部分があるのは普通否めないだろう。ゲーマーであっても2~3時間に1回は小休憩を挟まないと同じゲームをやり続けるというのは苦しい部分もあったりする。

しかしことTFBLに限って言ってしまえば、そういった長く継続的にやる事に対する"苦痛"というものはこれまで殆ど感じる事がなかった。理由としては音ゲーというジャンル自体が集中をする必要のある箇所が「楽曲を演奏している時だけ」という短期的且つ、限定的になっている部分もあるし、何より聴き心地の良い名曲をバックに自らの手で演奏する音ゲーは耳で聴く分にも、手で操作する分にも楽しいで埋め尽くされているので、長く継続的にやる事に対して苦痛よりも楽しさが上回る事が多いからだと思われる。

流石に超絶の譜面をフルチェインでクリアするとか、究極の譜面をフルクリティカルでクリアする…といった音ゲースキルの高さが求められるようなストイックさに走ってしまったらまた話は別になってしまうのだが、僕自身音ゲーガチ勢という意識はなかったので、その辺のこだわりは特に持っていなかった。そこが逆に長く継続的にやる事の楽しさを見い出せていた理由になっているんじゃないかな?と思ってたりもするが。

 

僕がシアトリズムを継続的にプレイするのは大好きなFFの楽曲が楽しめる音ゲーとして、コントローラーを握ってノリに身を任せて操作できる事が何よりも楽しかった…というのもあって、僕は永遠とTFBLを楽しみ続ける事が出来た。  そしてスクエニ作品が中心のDLC楽曲も新しいものが次々と配信される度にその日1日楽しみ続ける事ができた。サガシリーズ聖剣伝説クロノ・トリガー&クロノ・クロスライブ・ア・ライブゼノギアス、すばせか、NieR、オクトラ、ブレイブリーデフォルト……ありとあらゆるスクエニ作品の名曲が配信され、作品によって特色の違う楽曲の一つ一つを手に取るように、そして嗜むように楽しみ続けてきた。DLC楽曲はただ単に配信日当日に目一杯楽しんだらそれで終わり…という事はなく、忘れた頃にふとまたやりたくなったり、FFの楽曲からは摂取できない栄養素がスクエニシリーズ楽曲には存在しており、定期的にプレイしたくなるぐらいの魅力を持っている。

これもまたTFBLの良い所であり、FF好きだけに限らない幅広い層からの支持を集める魅力的な作品として物語られる要素のひとつと言っても過言ではないだろう。

 

そして…11月1日、TFBL最後のDLC楽曲として「FINAL FANTASY ⅩⅥパック」の楽曲が配信された。

 

シアトリズムファイナルバーライン完成

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f:id:Gameslifeisff:20231107230258j:image11月1日に配信される楽曲が何なのかは8月の時点では未だに謎のままだった。その頃にはシークレットタイトルのひとつとして10月にブレイブリーデフォルトシリーズが配信されると発表され、特にブレデフォ2の楽曲はシアトリズム初配信という事もあって多くのブレデフォ好きが歓喜に沸いた。しかし最後の楽曲は一体何になるのか?誰も予想がつかない状況だった。

だが9月に入った途端、突如として最後のシークレットタイトルが発表された。それがFF16だった。

最後の楽曲はFF16なんじゃないか?そうだったらいいなという予測をしてる人は結構多かった。しかしFF16はまだ6月に発売されたばかりのゲームで発売からまだ半年も経っていない。そんな中でFF16の楽曲が配信できるのかどうか?開発スケジュール的にもとても厳しいことになりそうだが、それでも有終の美を飾るのに相応しいタイトルはFF16以外考えられなかったのでその当時の僕もまた最後のシークレットタイトルに対して期待感を高めていたのは確かだった。

実現出来たらいいな…と思っていたタイトルの配信決定に多くのFFファンが沸いた。更に当初は8曲のみの配信を予定していたものが、主要な召喚獣戦を全部収録するために急遽8曲から3曲増やして11曲にするという荒業をやってのけてしまった。  これは予想外の嬉しい誤差となったのだが、長年シアトリズムシリーズの開発を請け負っているインディーズゼロの鈴井社長が「頑張って何とかしました!」と言っていたのから察するに、開発スタッフの皆さんが相当な苦労をして頑張ってくれたんだなというのが手に取るように分かる。

(スクショを一部抜粋↓)

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音ゲーとして「えぇ〜あの曲はないの…?」といった事態になる事を避ける為に「全部入れる」という言うのは簡単だけどやるのは相当難しい事を惜しみない努力と頑張りで実現してくれたインディーズゼロを始めとした開発の皆さんには感謝の気持ちしか感じられない🙏

上記のスクショにもあるように、FF16のBMSもまたステージ背景から敵の出現テーブルに至るまで徹底されて再現度がとにかく高く、FF16をプレイした人なら思わずニヤついてしまう程のネタのキメ細やかさに意図せずとも拍手喝采になってしまうだろう。実際僕もまた「No Risk, No Reward」の敵の出現テーブル構成に『あぁあのモブね!』とニヤついたり、「Logos」のあのキャラとのバトルを再現した敵の構成に思わず感心をしてしまった。

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f:id:Gameslifeisff:20231107234219j:image「Away」ではイフリートVSフェニックスの構成を再現する事だってできちゃう。

11月1日の当日は前日の10月31日の夜から0時待ちで待機をしている状態だった。TFBL本編の配信も含めて0時待ち待機をしたのはこれまで3回程しかなく、DLCの為だけに0時待ち待機をするのは恐らくこれが2度目だったと思う。

そして0時を迎えた瞬間から即座に最後のDLCをダウンロードしてソフトを起動、最後に追加された11曲の構成に感動を覚えたものだった…。そしてその楽曲を僕はひとつひとつ噛み締めるように楽しんでいった。時系列順に構成された曲を演奏する度にその曲が流れる場面を思い出し、懐かしさと歓喜に溢れた気持ちで心を強く満たしていった。  最後の「My Star」をクリアした時は、思わず感涙したあのエンディングを思い出し、思い出に浸るには十分過ぎる程のノスタルジーを感じる事が出来た……

全11曲あるFF16の楽曲を基本、熟練、究極、超絶の4周を通してプレイした事でFF16の楽曲が他のFFに負けず劣らずの名曲の宝庫である事を改めて感じる事ができるようになった。これは他の作品のどの曲にも言える事だが、FF16のバトル楽曲は基本的に強烈な印象が残りやすい召喚獣合戦やボス戦として戦う最中で聴く事がほとんどの為、その楽曲のイントロを聴いた瞬間からFF16で体験した思い出を想起する事が出来るので、FF16をプレイした人であれば懐かしさすら感じる思い出と共に曲の良さを深く刻み込む事が出来たと思う。

もちろん曲単体として聴いても「Away」や「Ascension」「The Riddle」といったコーラスやバイオリンが印象に残りやすいこれらの楽曲は繰り返し聴く事でFF16での召喚獣合戦がどんな激しい戦いとなっていたのか?を想像することもできるだろう。特に「Titan Lost」に限って言えば、作曲家の祖堅さんの個性が最も現れた曲としてFF14プレイヤーのヒカセンの耳にも残りやすいのは間違いないと思う(笑)

 

かくして11月1日のFF16パックの配信をもってシアトリズムファイナルバーラインはFF+SQEX作品を楽しめる究極の音ゲーとして完成した。

これまで歴代のFFに触れてきた人や、スクエニ作品を楽しんで来た人なら間違いなく楽しめるゲームとして僕はこの作品を強く奨めたいと思う。

ひとつだけ心残りがあるとすれば、FF16のキャラクター達(クライヴやジル、トルガル等)が楽曲の実装と同時に登場できなかった事ぐらいだが、当初は500曲ピッタリで完成とするはずだったTFBLが開発陣の頑張りによって+5曲増えた状況でリリースされる事になり、発売日以降から定期配信されるDLC楽曲を実装するための開発スケジュールがタイトだった事を考えると、FF16パック配信まで遅れずに無事に配信出来たそれだけでもお疲れ様でしたという言葉を開発陣に対する労いの気持ちとして送りたいと思う👏

本当にお疲れ様でした。

 

偉業達成

それからの僕は他のゲームをプレイしつつも継続的にTFBLを楽しみ続ける事になった。一時的にシアトをお休みしてた期間もあったが、FF16パック配信を控える1~2ヶ月ほど前になってから急にシアトリズム熱が再燃し、再び意欲的なプレイをするようになった。

以下ではそれによって達成した出来事について記録として記していこうと思う。

 

・エンドレスワールドで新記録を樹立

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f:id:Gameslifeisff:20231108044331j:image全てのシリーズクエストをクリアした後に開放されるエンドレスワールド(以下 EW)、その名の通りハートが無くなるまでの間、延々と一つ一つの楽曲に課せられたミッションをクリアしていくモードになるのだが、それまで35を超えるか超えないか辺りで撃沈ばかりしていたEWで188ステージまで到達というこれまで類を見ないレベルの記録を達成する事が出来た。

EWを本格的に始めた切っ掛けとしては、それまでの更新記録である「基本の譜面で35ステージまで達成という記録を塗り替えたかったからという動機があった。シアトリズマーを名乗る者としてEWで設定した難易度記録が基本の譜面で終わっている事が自分としてはどうしても許せなくて、「究極の譜面で36ステージ以上達成」という記録さえ残せればそれで良いと当初は思っていた。

しかしそこでひとつの山場を超えてからは、あれよあれよという間に次々とステージ記録を更新し続ける事になり、気づけば50、70、100を超え、最終的には188ステージまで到達した。ぶっちゃけ言うと100ステージを超えた辺りから「もうそろそろ終わりにしたいんだけどな…」と思う気持ちが強くなっていたのだが、ゲーマーとして手抜きをして終わらせる事はプライドが許さなかったので最後の最後まで真剣にプレイした上でこの記録となった。

ここまで長くステージを進める事が出来たのは僕が主に選んだミッションが「譜面難易度熟練or究極以上で虹クリティカルを80~90%達成」や「譜面難易度究極以上でGOOD以上の評価を98%以上達成」といった音ゲースキルに関するミッションを積極的に選んでいたという事と、それまで実力不足で達成出来ていなかったバトル系のミッションを「さきがけ二刀流強化ファリス」のチームで構成して乗り切った要素が大きかったのかもしれない。

更に言えば「譜面難易度究極以上で9000000点以上達成」という僕にとってはボーナスとしか思えないミッションが間に挟まれたり、たまたま失敗してしまってハートが減ったタイミングに限って報酬がハート回復のミッションに運良く当たった事も長期的に継続する事の出来た理由の一つでもあるだろう。

ここまでのステージ数まで進めるのにたったの1日では終わるわけがなく、プレイアブルキャラのスターレベルカンストを目指す傍らで同時進行として進めていた。結果的に200ステージ到達まであと少しという惜しい記録にはなったものの、もうここまで来たら充分だよね(笑) となり、僕は満足して終える事が出来た。

「最高連続フルチェイン継続数」に関して言えば、頑張ればもう少し伸ばす事が出来たかもしれないとは思っている。究極は超絶の譜面ほどのチェイン数はないものの、楽曲によっては500~1000を超えるチェイン数があるものもあるから、そういった長めの曲を積極的に選んでミスなく進められれば1万チェインを超える事ぐらい出来たかもしれない…が、それは本気でEWに挑む時用に取っておく事にしよう。

これでも僕はEW対策用に本気のチーム構成を組んでいない。やろうと思えば物理特化、魔法特化、一撃必殺特化、召喚獣特化といった構成を組むことだって出来る。まだ最強のベストメンバーが誰なのか?を模索する事も出来ていない段階ですらここまで進めることが出来たのだから、本気を出せば200ステージ到達だって夢ではないはず、時間が出来たら気ままにチマチマと進めて行こう(笑)

 

・104人のプレイアブルキャラクター全員のスターレベルカンストを達成
f:id:Gameslifeisff:20231108044320j:imageカーテンコールには育成システムの一環としてレベルリセットというシステムがあった。これはLv.99まで到達したキャラクターのレベルをリセットする事でアビリティをセットするのに必要なCPの上限を増やすというもので、これを繰り返す事によって有用だがCP負担の高いアビリティを気兼ねなくセットする事も出来たりする。その中でレベルリセットしたキャラクターの顔アイコンの横には数字入りの星マークが付き、それがレベルリセットを繰り返した回数を表す証として証明されていた。

今回のTFBLで新登場となったスターレベルはLv.99を超えた更なる育成をする事が出来るある種のやり込み要素で、1レベル上げるのに11万前後の経験値数が必要だが、スターレベルが1レベル上がる毎にHPは300、それ以外の全能力値が50ずつ上がるという飛躍的な成長を見せる事が出来、カンストするのに必要な経験値数は1人あたり999999と100万近い数値にもなるが、スターレベルカンストをした時の+向上値はHP+2700、それ以外+450と破格の数値となっており、全能力値MAXを目指す上では必須の要素ともなっていた。

 

今回、そんなスターレベルのカンストをプレイアブルキャラクター104人の全員分達成する事が出来た。

(以下 証明写真)

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f:id:Gameslifeisff:20231108044316j:image壮観な眺めである…

1人のキャラをカンストさせるだけでも大変なのに104人のキャラ全員をカンストさせるとなるとそれはそれはもう壮大に長い苦行とも言えるものであって、僕はバンバンとグロウエッグを使いまくった…というかグロウエッグがないとお話にならないぐらい最初の頃はスターレベルを1上げるだけでも大変だった…(笑)

BMSとFMSでは敵を倒した時の1体辺りの経験値量に違いがあって、BMSで5~7体倒した程度ではそんなに多くの経験値を得る事がなかった。  モンスターコレカを集めまくってモンスター自体が持つ基礎経験値倍率を上限の×1.20倍まで補正し、獲得経験値量30%アップ×3のフェニックスを付けて、経験値倍率を常時1.9倍+グロウエッグの効果による補正で、できる限り多くの経験値が得られるように工夫をしたのだが、それでも並のステータスだとシルバーで1回の獲得経験値量の上限値である9999まで行かない事が多く、最初の頃はゴールドで楽に9999まで稼ぎ、シルバーは強化によって多くのモンスターを倒せる状態にしてから使うのが定石だった。

それにしてもこの1回のリザルトで獲得出来る経験値の上限が9999でカウンターストップする所が一番厄介というか、曲者な所があって、個人的な事を言うとシルバーとゴールドを掛け合わせれば15倍以上の補正で経験値を獲得できるんだから獲得経験値量は万を超えて欲しかったなぁ〜と思う所はあるものの、基本&熟練の譜面のフルクリティカル埋めというチャレンジをやりながら進めていた所もあったのでそこまで大きな支障とはならなかった。

一応書く必要は無いと思うが104人全員のスターレベルカンスト目指すのに必要な獲得経験値の総量は1億を超えており、1人が毎回9999の経験値を得られたとしても到達には1万回以上の楽曲プレイ回数をこなす必要がある。TFBLでは4人パーティを組む事が出来るので4人が毎回必ず9999の経験値を獲得出来たとして、それでも最低2600回以上の楽曲プレイが必要に迫られる事になる。1回の獲得経験値量が9999を下回ればその分、こなす必要のある回数は更に増える事になるので、104人全員のスターレベルカンストを目指す事が如何に究極のやり込み体験となっているのか?がよく分かるだろう。

でも僕はそれをこの9ヶ月近い期間をかけて到達する事が出来た。本気を出してストイックに毎日シアトリズムをやり続ければもっと早く到達することだって出来ただろう。でもシアトリズムの本質はそこじゃないし、こういうやり込みを達成したからと言って大きくひけらかすように自慢する事でもない。  ただ最後のキャラクターのスターレベルがMAXの9に到達した瞬間を目撃した時、長らく続いた修行をやり終えたかのような達成感を感じる事が出来て、感慨深さが物凄かった。

長い長い旅路を終えて歩き続けた足を止めて、ようやく石垣に腰掛ける事が出来たかのような…そんな長くて壮大な冒険の日々を繰り広げてたかのような…今日まで進めてきたTFBLのゲーム体験を一言で表すとそんな表現が出来そうな気がしていた。

 

・以下詳細記録

ここからはプロフィカとレコードの記録を淡々と載せていく。

この記録は最後のキャラクターのスターレベルを9まで達成した時点での記録となる。

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  • 獲得リズポ…2100850
  • ゲーム内プレイ時間…515時間43分
  • 獲得実績…100/100
  • やりこみ度…5つ星(レインボー)
  • キャラクター使用ランキングはセシル、ティナ、クラウド、ノクティスでそれぞれ1301回ずつで同率1位
  • 累計楽曲プレイ回数…6285回
  • 総楽曲数523曲の基本の譜面、熟練の譜面それぞれで全楽曲フルクリティカル(赤い王冠)を達成
  • エンドレスワールド最高到達ステージ数…188マス
  • マルチバトル1位の獲得回数…94回
  • レート…1858


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地味な変化だが、実はFF16パック配信直前のアプデによって「ランクSSSを獲得した譜面数」と「クリティカルバーコンプリート数」の上限表示が999から上が開放された。これはひとつの譜面難易度だけにこだわらず、4つの難易度別から果てはプレイスタイル別でプレイをこなすガチ中のガチ勢に向けたアプデとなっており、これによって前人未到の記録を打ち立てる事ができるようになった。

ここまで積み上げてきた実績を眺めていると、ゲームってのは本当に深く長く楽しむ事が出来る最良のコンテンツであり、無限の可能性を秘めている音ゲー、もといシアトリズムともなるとそれをより強く実感する事が出来るから本当に良いゲームに巡り会えて良かったな…と僕はそう思う事が出来た。TFBLは本当に良いゲームです👍

 

シアトリズムファイナルバーラインよ…永遠に

ここまでありとあらゆる実績を積み上げて来て、やり込み要素をとことんやり込んだ僕としてはここで一旦TFBLをプレイする事を休憩しようと思う。  この1~2ヶ月はずっとシアト漬けの日々だったので、そろそろ積みゲー達を攻略していかないと積みゲーが死蔵化して草葉の陰から泣いてしまうことになるので…(笑)

でも記念日の日にはちゃんとソフトを起動して何のゲームの記念日なのかは今後もちゃんと確認するし、仮にもしこの先シアトに触れることが無くなってしまったとしても、忘れた頃にふとTFBLの存在を思い出しては、振り返るかのようにゲームを起動してプレイしているんだと思う。そして気付けば1時間なんてあっという間に過ぎていて、「あれ?もうこんな時間までやってたの!?」と思い驚く事になるんでしょう。

シアトリズムはFFとスクエニの作品の音楽をメインに取り扱ったゲームで、その作品が紡いできたストーリーの流れや歴史を、音楽を通じて体感する事ができて、振り返る事が出来る。

その原作作品をやり込んだ人であればあるほど、作品一つ一つに対する思い入れが強く、深くなっていて、音楽を聴いた瞬間脳裏に思い浮かぶ情景が自分の古き良き頃の体験と共にフラッシュバックして蘇ってくる……過ぎ去った日々である事を分かっていながらも、その音楽が流れるその場面でかつての自分は何を思い、どんな感情を持ってその作品をプレイし、体験をしてきたのか?

FFの音楽、スクエニの音楽にはそんな一人一人の思い出の琴線に触れる魅力を多数持っており、それを音ゲーとしてダイレクトにプレイする事が出来るシアトリズムファイナルバーラインというゲームはシアトリズム史上最高の最終作になった…と僕はそう絶賛してやまない。

そしてこの作品が何よりも素晴らしいのは開発を請け負ったインディーズゼロを始めとしたスタッフ一人一人に原作愛があり、常にファン目線として物事を俯瞰しながらゲームを作ってくれたことにあると思う。

シアトリズムがいつもすごいと言われているBMSの背景再現度が高い事や、モンスターの配置構成がちゃんと原作のキャラクターや要素を想起させるものになっているのは、開発スタッフ一人一人の原作愛の高さから来る原作解像度が常に高いから。  UIに対するこだわりの強さや小ネタなどの遊び心を常に忘れず、それと同時に一定水準以上のクオリティの高さを保っているのはこれまで培ってきたシアトリズムシリーズの開発のノウハウの高さとやはりFF愛、スクエニ愛が強いからだと思う。

大手サードメーカーが看板作品として抱えるIPを使った新作を作る際、AAAと言われる作品を作る時は自社開発で作る事が多いものの、それ以外の作品に対しては大抵の場合、開発会社にデベロッパーとして開発を委託をしてゲームを開発する事になる。その時大事なのは開発を任せるデベロッパー選びで、どの企業を選び、パブリッシャーと緻密に連携を取れたかどうか?によってその作品のクオリティが変わってくる事は大きくある。

また、開発を請け負うデベロッパーがそのIPに対してどれだけ知識があり、原作を深く知っているのかどうか?もまた個人的には重要だと思っていて、開発会社の取り扱うIPに対する原作愛や解像度の高さがないと、原作ファンとの齟齬が起きて列記としたシリーズの新作なのにも関わらず、ガッカリされる事になってしまう。

そういう点で言えばシアトリズムのメイン開発を請け負ったインディーズゼロのスタッフの方々は一人一人がFFガチ勢と言わんばかりのFFやり込みゲーマーであり、そういった人達が事前に原作をプレイしてロケハンをしたり、攻略本を読み込んで内容に対する理解を深めたり…と、FFシリーズやスクエニ作品を取り扱った新作ゲームを作るからとはいえ、取り扱う原作を一つ一つ大事にしようという姿勢がこれでもか!と言わんばかりにゲームの中で現れており、それは確かにプレイをする自分たちユーザーにもちゃんと伝わっている。

改めて思うのだが、こんなにもFF愛、スクエニ愛に溢れている開発会社に恵まれているなんてスクエニはなんて幸せなんだろうかってそう思う事もある。ありえないかもしれないし、あり得たとしても何十年先の話なのかは分からないけど、もしも万が一シアトリズムシリーズの本当の本当の最終作が再び作られるんだとしたら、開発は是非ともインディーズゼロさんにお願いして頂きたい…と、僕は切にそう願っている。

 

この感想文もそろそろお開きとさせていただきますが…改めまして、スクウェア・エニックスの皆さん、シアトリズムシリーズの最新作をまた作ろう!と思って企画を立ち上げてくれて本当にありがとうございます。

そしてそんなシアトリズムの最新作を再び開発してくれたインディーズゼロスタッフの皆様!シアトリズムシリーズ有終の美を飾るのに相応しい最終作をたっぷりの愛情を持って作ってくれて本当にありがとうございました!!!

 

僕にとってシアトリズムファイナルバーラインは永遠に語り継いでいくべきシアトリズムシリーズ史上最高の最終作です!!!!!👍👍👍👍👍

 

シアトリズムファイナルバーラインはこれからも永遠に………

 

本当に、本っっっ当にありがとうございました…!

 

 

令和5年 11月8日     ニホンバト

 

 

 

 

 

 

*1:以下 TFBL

*2:4月26日に配信されたNieRシリーズパック vol.2以降からは3週間に1回のペースに移行

*3:その当時はまだシークレットだった